2015年11月23日



1982年9月 二塚

 はじめて二塚の専用線を訪ねたとき、狙いは大門土石の戦前製KATOだったことは前の記事に書いたとおり。ちょうど鉄FでI堀氏の記事が連載されていて、YUZZU共々その無骨なスタイルの虜になってしまっていた。北陸へ行くにあたってのメインターゲットに据えて、訪ねた時のエピソードはYUZZUの記事に詳しい。

 KATOの側線は確か駅の城端寄りの西側にあったと思う。近くに小さな踏切があって、側線は駅と踏切の間のとても短いものだった。他の駅の例を見るにつけ、アントを使ってもおかしくない規模だ。よくぞ機関車を選んでくれたものである。でも、このKATOの後釜も機関車だったから、アントでは手に余るような理由があったのかもしれない。

 ひとしきりKATOと戯れた後、高岡に戻るべく、いや、福野、福光のKATOを撮りに城端方面に向かった列車だったかなあ・・・、とにかく城端線DCに乗り込むべくホームで待っていたら、レールのきしむ音を盛大に上げながらワム8のながーい車列が、いつの間にか駅に近づいてきた。先頭に立っていたのが写真のニチユだ。
 運転台の出入り口のところに入れ換えの掛員が取り付いていて臨場感に溢れるシーンだったのに、フィルムに残っているのはたった2カット。たぶんこの後すぐに列車が来て、ろくに写真も撮らずに乗り込んだのだと思う。でも福野、福光の、あの無骨なKATOはすでになくなっていて、がっかりして引き返すことになるのだから、今から考えれば二塚で中越パルプの専用線をじっくり撮りこむべきだった。

 この掛員の方も、あの線路沿いの道を走って先回りして、道路信号を操作していたのかな?
 キャブに書いてある「PTC」と読めるマークは何を意味するんだろう?
 機関車の汚れ具合は、ご覧の通りまさに現役の重みを感じさせるもの。ロッドが見え難くったって、雑草が車輪に掛かっていたっていいじゃないの。それより運転席側の通風口が開いているのが、夏の写真の証拠かな。
 つまらない写真だけど、じっくり見てみれば様々な情報が写り込んでいて、いつもの通り妄想は尽きない。
 当時のフィールドメモには「ニチユ20トン、ロッド、緑、11:40入れ換え」との書き込みが残っている。残念ながら当日銘板を確認することができなかったが、ないねんリストによれば1963年製、C/N984001 とのことである。

RU


(15:56)

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