――物語の構造や配役が酷似 共通の挿話も続出――

水沢=めぐみ『姫ちゃんのリボン』画像
■高橋=亮子さんが水沢=めぐみさんの傑作に与えた影響

わたしが もっときな 漫画まんがは、
水沢みずさわ=めぐみさんが いた 『ひめちゃんのリボン』だ。
平成2へいせいに西暦1990せいれきせんきゅうひゃくきゅうじゅうねんから およそ 4年よねんあいだ
少女漫画雑誌しょうじょまんがざっしの 『りぼん』において
連載れんさいされた 漫画まんがである。
また
テレビ東京系列とうきょうけいれつにおいて 1年いちねんあいだ
しゅうごとに 1回いっかい
30分さんじっぷんわく
アニメ(動画どうがされたことも ある。
これまでは
集英社しゅうえいしゃ
りぼんマスコットコミックスにおいて
刊行かんこうされてきた。
そして 最近さいきん
集英社文庫しゅうえいしゃぶんこ(コミックスばん)としても 刊行かんこうされた。
わがくに少女漫画史しょうじょまんがしのこ大傑作だいけっさくひとつである。
物語ものがたり登場人物とうじょうじんぶつ魅力みりょく
伏線ふくせんかた・テンポの 軽快けいかいさ・
感動かんどうふかさ……。
その どれもが まことに よく つくまれており、
わたしに とって、
「これこそが 少女漫画しょうじょまんが理想形りそうけい!」というものなのだ。

そして この 『ひめちゃんのリボン』は、
過去かこ発表はっぴょうされた ある 作品さくひんと よく ている。
それは、
昭和49しょうわよんじゅうく西暦1974せいれきせんきゅうひゃくななじゅうよねんから およそ 2年にねんあいだ
小学館しょうがくかんの 『週刊少女しゅうかんしょうじょコミック』において 連載れんさいされた、
高橋たかはし=亮子りょうこさんの
『つらいぜ!ボクちゃん』という 作品さくひんだ。

いままで だれも この こと
きちんと 指摘してきしてこなかった。
すくなくとも、
わたしの るかぎり、
この こと文章ぶんしょうかたちで きちんと 検証けんしょうした ひと
一人ひとりとして いない。
しかし、
物語ものがたり基本的きほんてき構造こうぞうから こまかい 挿話そうわ
ては 単行本たんこうぼん編集へんしゅう仕方しかたにいたるまで、
ひめちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』との あいだには
ているところが おおすぎる。

三銃士さんじゅうし』などで 有名ゆうめい
フランスの 作家さっか・アレクサンドル=デュマは、
盗作とうさくうたがいで 裁判さいばんに かけられたとき、
こう ったという。
わく、
たしかに 盗作とうさくは した。
 だが、
 おれいたものの ほう面白おもしろい」うんぬんと。
ひめちゃんのリボン』は たしかに、
先行作品せんこうさくひんである 『つらいぜ!ボクちゃん』に
きわめて よく 作品さくひんではある。
だが、
それを みとめたうえで なお、
ひめちゃんのリボン』には
『つらいぜ!ボクちゃん』とは ことなる、
すぐれた 創作性そうさくせいる。

そもそも、
創作そうさくという おこないにおいて、
なにいところから なにかを す」ことが
できるかのごとく かんがえるのは
まったくの あやまりである。
小説家しょうせつか漫画家まんがかも、
すで作品群さくひんぐんから
さまざまなものを 借用しゃくようし、
物理的ぶつりてき社会的環境しゃかいてきかんきょう
さまざまな かたちしばられながら
作品さくひんつむぎあげていくのである。
わたしは、
ひめちゃんのリボン』という 作品さくひんいつくしむ。
だからこそ、
この 作品さくひんが 『つらいぜ!ボクちゃん』から
どういった まえぎ、
それを いかにして あらたな 作品さくひんへと
発展はってん昇華しょうかさせたのかを
きちんと あきらかにしたいと おもう。
また
逆説的ぎゃくせつてきはなしだけれども、
ひめちゃんのリボン』の
まことの 「個性こせい」や 「独創性どくそうせい」というものは、
もとネタ」である 『つらいぜ!ボクちゃん』との
くらべを おこなうことによってこそ、
はじめて あきらかになるものなのだと
わたしは こころからしんじるのである。

物語ものがたり構造こうぞうが きわめて ている 

まずは、
物語ものがたり構造こうぞうから ていきたい。
少女漫画しょうじょまんがもっとおもんじるべき 要素ようそともいうべき
恋愛れんあい」(色恋いろこい)というところに
まとしぼって 見比みくらべた 場合ばあい
ひめちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とは
ほぼ おな物語構造ものがたりこうぞうともっていることが
すぐに かる。

1.主人公しゅじんこうおんなはじめに きだった 、
  年上としうえおとこひとは、
  主人公しゅじんこうあねむすばれる。

2.失恋しつれんした 主人公しゅじんこうは、
  自分じぶん好意こういっている 年下とししたおとこ
  次第しだいに ひかれてゆく。

3.そこに、
  外国がいこくから 転入てんにゅうしてきた
  キザな 少年しょうねんあらわれ、
  主人公しゅじんこう年下男とししたおとこ・キザ少年しょうねんあいだ
  三角関係さんかくかんけいまれる。

4.さらに、
  年下男とししたおとこ幼馴染おさななじ少女しょうじょが ここに あらわれ、
  主人公しゅじんこう年下男とししたおとこ幼馴染少女おさななじしょうじょあいだ
  三角関係さんかくかんけいまれる。

5.最終的さいしゅうてきには 主人公しゅじんこう年下男とししたおとこむすばれる。

登場人物とうじょうじんぶつ名前なまえ性格せいかく
舞台ぶたい あるいは 具体的ぐたいてき挿話そうわなどの
物語ものがたり肉付にくづけ」を のぞき、
物語ものがたり骨組ほねぐみ」だけを すと、
すなわち、
ふたつの おはなしまったく 「おなじ」に なるのである。

ちなみに、
この 抽象的ちゅうしょうてきな 「登場人物とうじょうじんぶつ」たちは、
それぞれの 物語ものがたりでは、
つぎげた 名前なまえあたえられて てくる。

主人公しゅじんこうおんな
 『ひめちゃんのリボン』:「ひめちゃん」こと 野々原ののはら=姫子ひめこ
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「ボクちゃん」こと 田島たじま=のぞみ

年上としうえおとこひと
 『ひめちゃんのリボン』:「支倉先輩はせくらせんぱい
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「辻先生つじせんせい

主人公しゅじんこうあね
 『ひめちゃんのリボン』:「愛子あいこねえちゃん」
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「水絵みずえねえさん」

主人公しゅじんこう好意こうい年下とししたおとこ
 『ひめちゃんのリボン』:「大地だいち」こと 小林こばやし=大地だいち
 『つらいぜ!ボクちゃん』:「わたるくん」こと 小野寺おのでら=わたる

外国がいこくから 転入てんにゅうしてきた キザな 少年しょうねん
 『ひめちゃんのリボン』:有坂ありさか=せい(セイ=アレイ)
 『つらいぜ!ボクちゃん』:矢沢やざわ=卓也たくや

年下男とししたおとこ幼馴染おさななじ少女しょうじょ
 『ひめちゃんのリボン』:ひじり=結花ゆか
 『つらいぜ!ボクちゃん』:はら=かおり

うまでもく、
これは かなり 乱暴らんぼうな まとめほうである。
たとえば うえおもてにおいては、
小林こばやし=大地だいち小野寺おのでら=わたるとを、
主人公しゅじんこう好意こうい年下とししたおとこ」として
ひとまとめにした。
けれども、
『つらいぜ!ボクちゃん』の 田島たじま=のぞみ小野寺おのでら=わたるとでは
丸丸まるまる 一学年いちがくねん としが はなれているのに くらべ、
ひめちゃんのリボン』においては
野々原ののはら=姫子ひめこ小林こばやし=大地だいちとは
まったおな学年がくねんであり、
誕生日たんじょうびも たったの 4日よっか はなれているだけにすぎない。
(だが、
 どういう わけか 『ひめちゃんのリボン』においては、
 大地だいち姫子ひめこより 「4日よっか 年下としした」であることが
 いくたびも 強調きょうちょうされているところに
 けてほしい)。
ちなみに、
ひめちゃんのリボン』の なかには、
姫子ひめこがわさき大地だいちきになったのだと
おもんでいる ひとが かなり いる。
けれども、
その かんがえは 間違まちがっている。
ひめちゃんのリボン』においても、
『つらいぜ!ボクちゃん』と おなじく、
姫子ひめこ大地だいち意識いしきするようになるよりも さきに、
大地だいちがわ姫子ひめこきになっている。
大地だいち姫子ひめこきになったのは、
じつ物語ものがたり序盤じょばんなのである。
失恋しつれん確定かくていした 姫子ひめこが、
学校がっこう屋上おくじょうへといたる
「おばけが 階段かいだん」の ところ
つかれて ねむっていた とき
大地だいちが その 寝顔ねがおのぞんだ
まさしく そのときに、
大地だいち姫子ひめこに ひかれたのである(単行本たんこうぼん1かん115ページ)。
ひめちゃんのリボン』の つくである
水沢みずさわ=めぐみさんは、
かけがえの い この 場面ばめんを、
に そうとは さとらせなくするために、
あえて 何気なにげなく えがくことによって、
これを 際立きわだたせたりすることく、
物語ものがたりなか埋没まいぼつさせてしまっている。
そして そのあとに、
姫子ひめこ大地だいちのことを きになったということがわ
はっきりと つよえがくのだ。
こうすることによって は、
姫子ひめこおもいが 本当ほんとう大地だいちとどくのか いなかを、
ドキドキしながら 見守みまもらざるをえなくなる。
ひめちゃんのリボン』は、
『つらいぜ!ボクちゃん』の、
おとこがわさき主人公しゅじんこうきになる」
という 後先あとさき順序じゅんじょ
忠実ちゅうじつまえて なぞりながらも、
それでいて、
その 後先あとさき順序じゅんじょ
あたかも さかさまであったかのごとく 錯覚さっかくさせるという
叙述じょじゅつトリック」を 使つかいこなすことによって、
『つらいぜ!ボクちゃん』とは まったことなる 印象いんしょう
うまく あたえている。

共通きょうつうする 挿話そうわ(エピソード)が 続出ぞくしゅつ

物語ものがたりきた人物じんぶつ名前なまえ性格せいかく
舞台ぶたい具体的ぐたいてき挿話そうわ(エピソード)などの
物語ものがたり肉付にくづけ」を のぞき、
物語ものがたり骨組ほねぐみ」だけを のこしたとき、
ひめちゃんのリボン』と 『つらいぜ!ボクちゃん』とが
おなつくりを していることは
すでうえにおいて 指摘してきした。
けれども じつは、
そのとき のぞいた 『物語ものがたり肉付にくづけ』においても、
ふたつの 作品さくひんあいだには
よく た ところが おおいのだ。

まず、
登場人物とうじょうじんぶつ性格せいかく」であるが、
うえにおいて げた
それぞれ 相当そうとうする 人物同士じんぶつどうし性格せいかく
ているものが おおいのである。
なかでも 野々原ののはら=姫子ひめこ田島たじま=のぞみ
支倉先輩はせくらせんぱい」と 「辻先生つじせんせい」、
愛子あいこねえちゃん」と 「水絵みずえねえさん」、
有坂ありさか=せい(セイ=アレイ)と 矢沢やざわ=卓也たくやは、
ほぼ おな性格せいかくであると っていい。
元気げんきあかるく、
おとこみたい」〔ちゅう1〕な
野々原ののはら=姫子ひめこ田島たじま=のぞみ
知的ちてきいた おもむき
支倉先輩はせくらせんぱい」と「辻先生つじせんせい」、
「お料理りょうり 上手じょうずだし
 家事全般かじぜんぱん
 こなすし
 おんならしくて
 美人びじん」な 「おんなかがみ」〔ちゅう2〕である、
愛子あいこねえちゃん」と 「水絵姉みずえねえさん」、
「プレイボーイ」で じつは お調子者ちょうしものの、
有坂ありさか=せい(セイ=アレイ)と 矢沢やざわ=卓也たくや……。
これらは ほとんど 同一人物と言っていいほどだ。
(「野々原姫子と 田島望」は、
 気合を 入れるために 用いる 「決めポーズ」を
 共に 持っているところも 同じである。
 「姫ちゃん」は 「いけいけゴーゴージャンプ!」、
 「ボクちゃん」は 歌舞伎まがいの
 「ポーズ!」という 「決めポーズ」を
 持っているのだ。
 また、
 入っている クラブが
 共に 演劇部であるところも また、
 同じである。
 「姫ちゃん」が ポコ太、
 「ボクちゃん」が 忠治という
 「お付きの 動物」を 連れているところも
 よく 似ている)。

けれども、
よく 似ているのは 性格だけでは ない。
物語の 中における
彼らの 具体的な ふるまい そのものが、
あまりにも よく 似ているのである。

まずは 物語の 始まり方である。
『姫ちゃんのリボン』においては、
主人公である 「姫ちゃん」が、
野球を やっていて 着ていた 服を 汚してしまい、
体操服に 着替えて 家に 帰るところから
物語が 始まる。
家に 帰ると 「愛子おねえちゃん」が 居て、
「あらあら
 まー

 今度は なに
 やらかしたの?」と、
その姿を 見て
「姫ちゃん」に 尋ねるのである
(単行本1巻7~15ページ)。
一方 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
主人公である 「ボクちゃん」が
学校にて 制服を 汚してしまい、
体操服に 着替えて 家に 帰るところから
物語が 始まる。
家に 帰ると 「水絵姉さん」が 居て、
「まあー
 まあー
 まあ…

 男の子と
 ケンカ!?
 まーっ
 おそろし」と 言うのである(単行本1巻13~24ページ)。
物語の 始まり方からして、
この 2つの 漫画は あまりにも よく 似ている。
ちなみに、
服を 汚してから 家に 帰るまでの
数ページの 間に しっかりと、
「年上の男性」(「支倉先輩」・「辻先生」) 及び
「年下の男の子」(小林大地・小野寺渡)の 2つが
共に 出て来るところも 見逃せない。

『姫ちゃんのリボン』には、
文化祭の 5日前に、
演劇部にて 主役を 務める 少年が ケガをしてしまい、
文化祭に 出られなくなってしまうという お話が ある。
その 少年は、
脚立から 落ちてきた 別の 部員を 助けようとして、
自分が ケガを 負ってしまったのだ
(単行本1巻95~97ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても 同じく、
文化祭の 3日前に、
演劇部にて 主役を 務める 少年が ケガをしてしまい、
文化祭に 出られなくなってしまうという お話が ある。
ケガの 訳は
『姫ちゃんのリボン』と 全く 同じく、
脚立から 落ちてきた 別の 部員を 助けようとして、
自分が ケガをしたというものだ
(単行本1巻167~165ページ)。
ちなみに、
『姫ちゃんのリボン』にて
この時 行なわれる 予定であった 演劇の 演目は
『夕鶴』であるけれども、
『つらいぜ!ボクちゃん』においても
「ボクちゃん」たちの 演劇部は、
別の 機会に 『夕鶴』を 演じている。
この時、
主役を 演じた 「ボクちゃん」は、
劇の さ中に
過労のために 倒れてしまうことになる
(単行本5巻116~125ページ)。
『姫ちゃんのリボン』においても、
「姫ちゃん」たちの 演劇部が
『ピーターパン』を 演じた時、
劇の 直前になって 主役を やる 予定の 聖結花が
倒れてしまう。
(ただしこちらは、
 『つらいぜ!ボクちゃん』の場合とは違い、
 聖結花が 「姫ちゃん」に 主役を 譲るための
 狂言だったという 落ちが つく)。
「姫ちゃん」は 聖結花に代わって
ピーターパンの 代役を 務めることになる
(単行本6巻174~182ページ)。
更に 『つらいぜ!ボクちゃん』には、
これと 全く 同じく、
「ボクちゃん」が 他人の 代役で
ピーターパンの 役を 務めるという 場面もある
(6巻18~50ページ)。
いくら 「姫ちゃん」も 「ボクちゃん」も
共に 演劇部に 入っているからといって、
『夕鶴』・『ピーターパン』と、
物語の 中で 演じられる 演劇の 演目までが
偶然 同じということは やはり 考えにくいだろう。

『姫ちゃんのリボン』においては、
学校の 女子に 人気のある 小林=大地が
姫子と 共に 行動することが 増えるに したがい、
姫子が 「大地君ファンクラブ」から
にらまれる ハメになる(単行本1巻130~131ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても 同じく、
小野寺渡が 田島望と 仲良くなるに したがって、
田島望が 「渡君の親衛隊」に
にらまれる ハメになる(単行本1巻96ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が 学校の フェンスを よじ登り、
その 拍子に リボンが 破れてしまうという
挿話(エピソード)が 有る(単行本1巻118~119ページ)。
同じく 『つらいぜ!ボクちゃん』においては、
「ボクちゃん」が 学校の へいを よじ登り、
その 拍子に スカートが 破れてしまうという
挿話(エピソード)がある(単行本4巻7~9ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が
「お付きの ぬいぐるみ」である ポコ太を
風呂に 連れて入り、
母親が
「あの子は…
 またぬいぐるみと
 風呂に入ってるのか

 中一にも
 なって…」と、
愚痴を こぼしている 場面がある(単行本2巻20ページ)。
一方 『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
「ボクちゃん」が
「お付きの 動物」である 忠治を 風呂に 連れて入り、
母親が
「おふろに
 忠治は
 入れるなって
 あれほど
 いっといた
 だろっ!

 ネコの
 毛だらけで
 はいれないじゃ
 ないのっ!」と、
怒っている 場面が 有る(単行本1巻75~77ページ)。

『姫ちゃんのリボン』においては、
「姫ちゃん」が 間抜けな 誘拐犯に
人質にされるという 事件が 起こる
(単行本2巻67~76ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
「ボクちゃん」が 間抜けな 銀行強盗に
人質にされるという 事件が 起こる
(単行本3巻20~60ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が 授業中に 考え事をしている時に、
メガネを かけた 女教師に 当てられ、
トンチンカンな 返事をして
女教師を 怒らせるという 挿話(エピソード)がある
(単行本3巻85~86ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』にも 同じく、
「ボクちゃん」が 考え事を していた時に、
メガネを かけた 女教師に 当てられ、
トンチンカンな 返事をして
女教師を 怒らせるという挿話(エピソード)がある
(単行本1巻108ページ)。

『姫ちゃんのリボン』には、
「姫ちゃん」が ある 男の子と 女の子とを
くっつけたいと 思って
要らぬ おせっかいを 焼く 場面が 有る。
男の子が 映画を 見に行くことを 知って
女の子を 呼び出し、
彼の 隣の 席に 女の子を 連れて 座ったあと、
「ちょっと/トイレ」に 「行ってくる」といって
映画館を 出てしまう。
二人を 二人きりにしようとしたわけだ。
当事者の 断りも無く、
「姫ちゃん」の 独断にて 行なわれた この 作戦は、
まさに そうなるべくして 当事者の 怒りを 買い、
「姫ちゃん」は 自己嫌悪に 襲われる
(単行本7巻77~90ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』にも
よく 似た 場面が 在る。
「ボクちゃん」は ある 男の子と 女の子とを
ピアノコンサートに 誘い出し、
「ちょっと……用があ」る、
「すぐ…もどる」と言って 会場を 出てしまう。
二人を 二人きりにしようと したのだけれど、
当事者の 断りも 無いまま 行なわれた この 作戦は、
まさに そうなるべくして 当事者の 怒りを 買い、
「ボクちゃん」は 自己嫌悪に 襲われるのだ
(単行本1巻121~138ページ)。

『姫ちゃんのリボン』において、
外国からの 転校生・有坂静は、
「姫ちゃん」と 同じ クラブに 入りたくて
演劇部に 入部する(単行本3巻105ページ)。
そのあと 彼は、
テニス部にも 掛け持ちで 入部する(8巻147ページ)。
『つらいぜ!ボクちゃん』においても、
外国からの転校生・矢沢卓也は
「ボクちゃん」と 同じ クラブに 入りたくて
演劇部に 入部する(単行本4巻23~26ページ)。
そのあと 彼は、
テニス部にも 掛け持ちで 入部する
(単行本4巻39~40ページ)。

これらの 事を 考え合わせるならば、
この 2つの 物語は 「骨組み」の 次元だけではなく、
「肉付け」の 次元でも
大いに 似ているという事が
分かるはずである。
水沢めぐみさんは、
有坂静の 兼部する 運動部を
何も わざわざ 「テニス部」ではなく、
例えば 「バスケットボール部」に 変えることも また
やりえたはずだ。
しかし、
それを する事無く、
『つらいぜ!ボクちゃん』の 設定の 通りに
あえて 「テニス部」に 入れている。
わたしの 敬う
歌人(うたびと)の 枡野=浩一さんによると、
「『パロディというのは元ネタに気付いてほしい場合、
  盗作というのは元ネタに気づいてほしくない場合』
 という定義がある」そうだ
(枡野浩一『日本ゴロン』149ページ)。
この 場合、
水沢めぐみさんは 明らかに、
『元ネタに気付いてほしがっている』と
言わざるをえない。

『姫ちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』とを 読み比るならば、
『姫ちゃんのリボン』が
『つらいぜ!ボクちゃん』からの
大量の 借用を 行なっていることは
明らかである。
どうして それを 誰一人、
今まで きちんと 指摘しようとはしなかったのか。
『姫ちゃんのリボン』が
『つらいぜ!ボクちゃん』からの
大量の 借用を 行なっている 事実から
目を そらそうとするのは、
その 事を 後ろめたいことと 思い込み、
心の中で 『姫ちゃんのリボン』を
実は 落としめていることの 裏返しではないだろうか。
わたしには、
そう 思われて ならない。
繰り返そう。
作者・水沢めぐみさんは、
『姫ちゃんのリボン』の 元ネタの 存在に
明らかに
「気付いてほしがっている」のである。

■単行本の 編集の 仕方まで そっくり

水沢めぐみさんが
『姫ちゃんのリボン』の 元ネタの 存在に
気付いてほしがっていたと 述べる より所として、
わたしは 更に、
「単行本の編集」を 挙げたいと 思う。
『姫ちゃんのリボン』と
『つらいぜ!ボクちゃん』とは、
単行本の 編集の 仕方まで
実は そっくりなのである。

『姫ちゃんのリボン』の 単行本には、
雑誌に 載せられていた 漫画だけではなく、
単行本の 終わりに
「姫ちゃん通信」という コーナーが 付いている。
そこには、
主人公である 「姫ちゃん」の
日日の 思いを 綴ったような 内容の
文章や 絵が 載せられている。
『つらいぜ!ボクちゃん』の 単行本にも 巻末に、
「ボクちゃんだより」という コーナーが 有る。
「姫ちゃん通信」と
ほぼ 同じ 意味合いを 持った コーナーだ。
水沢さんが 若し
元ネタに 気付いてほしくないのであれば、
何も こうした コーナーを
単行本の 巻末に わざわざ 設ける 必要は 無いはずだ。

そもそも、
『つらいぜ!ボクちゃん』から
影響を 受けたということは、
恥ずかしいことでも 何でもない。
この 『つらいぜ!ボクちゃん』の作者である
高橋亮子さんは、
その後の 多くの 少女漫画家に
大きな 影響を 与えている。
高橋亮子さんの 作品の 一つに
『風色日記』というものが 有るけれども、
これが テレビ東京において アニメ化された
やぶうち優さんの 名作・『水色時代』に
大きな 影響を 与えたという 事は
あまりにも よく 知られている 事である。

『姫ちゃんのリボン』は
確かに 『つらいぜ!ボクちゃん』から
多くの 借用を 行なっている。
そして、
その 事を 踏まえた 上で、
初めて 見えてくる
『姫ちゃんのリボン』の 素晴らしさも 有るのである。
(例えば、
 上において わたしが 指摘した、
 『姫ちゃんのリボン』の
 優れた 「叙述トリック」のように)。

〔注1〕
「男の子みたい」という 言葉は、
『姫ちゃんのリボン』においても
『つらいぜ!ボクちゃん』においても
主人公を 指して たびたび 使われている。
但し おもしろいことに、
昭和49(1974)年に 描かれた
『つらいぜ!ボクちゃん』においては、
「少年のような」という 言葉が
時として 女の子に 対する 『誉め言葉として』
使われることも あるのに 比べ
(単行本6巻123ページなど)、
平成2(1990)年に 描かれた
『姫ちゃんのリボン』においては
「男の子のよう」という 言葉は 一貫して、
良くない 文脈においてしか 使われることは 無い。
『姫ちゃんのリボン』においては、
「姫ちゃん」を 誉めるときには、
「姫ちゃん」は
「本当は/とっても女の子らしい
 子なんだ」(単行本1巻55ページ)
といった 修辞(レトリック)が 使われるのだ。
わたしには、
(「姫ちゃん」のことを
 本当の 意味では 理解していなかったとされる )
 有坂静が言った、
「女らしいって/ことだけが
 魅力的ってことじゃ/ないんだから

 明るさや/元気の良さや

 まわりの人を/楽しい気持ちに/させてくれる
 そんな雰囲気

 すべてが/君の魅力であり
 長所なんだ

 自信を持って/いいと思うよ」
(2巻147ページ~148ページ)
という 言葉の 方が
よほど 納得出来るのだけれども、
どうやら これは
『姫ちゃんのリボン』という 作品の 中においては
「不正解」の 「姫ちゃん評」とされるらしい。
作品の中では あくまで、
「姫ちゃんは 本当は 女らしい」というのが
「正解」であるらしいのだ。
「女の子らしさ」を 拡大解釈することによって、
「姫ちゃん」のような 女の子まで
無理やり 「女の子らしさ」の 領域に
囲い込もうとする こうした 言い方には、
わたしには どうも 納得しかねるものが 残る。
「本当は」などと 言い出したら 恐らく、
どんな 人だって
男らしくも 女らしくも あるだろう。
(「100パーセント 女らしいだけの 人間」や
 「100パーセント 男らしいだけの 人間」など、
 いるはずがないのだから)。
それほどまでして 女の子は
「女の子らし」くなくては いけないものなのだろうか。
女の子は、
たとえ その子が どれほど 素晴らしくても、
「女の子らし」くなければ
誉めるに 値しないのだろうか。

〔注2〕
『姫ちゃんのリボン』単行本1巻18ページを
参照のこと。

【参考記事】
込由野=しほ『姫ちゃんのリボン カラフル』について