最果志向 ~放浪家坂木さんの足跡~

この数十年の放浪履歴を元に思ったこと・感じたことなどを訪問者の目線で綴る『旅エッセイ』ブログ。たまに自作の音楽の紹介。

【坂木より】
2016年6月2日開設。現状一日1~2記事の更新です。皆様と『最果(さいはて)志向』と『漂泊の思い』を共有できれば幸いです。たまに昔作った音楽も公開しています。

山東省の街で乗せてもらった電動三輪車

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 こちらは中国の山東省の街、梁山で乗せてもらった三輪車。

 横に『电动』と書いてある。中国本土は簡体と呼ばれる漢字で、日本よりも更に簡略された漢字も多く使われるが、これは『電動』という漢字の簡体字である。

 文字通りの電動三輪車で、動き出す時もヒュイーンという多少のモーター音がする以外は静かなものだ。

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 日本ではピザ配達によく使われている三輪バイク以外ではあまり見かけなくなってしまった。最近ではヤマハが前輪が二輪ある特徴的な三輪バイクを出しているが、まだポピュラーであるとは言えない。しかし日本以外のアジア諸国では色々なタイプの三輪車を見ることがある。

 自動車はすでにグローバルでも標準化が進み、地域によってメーカーに偏りはあっても、車両形状などに地域的な特徴を見ることは少なくなっている。ただし、例えば主にアメリカでボンネット型のトラックやバスが主流であったり、全くないと言うわけではない。

 しかし三輪車においては、オート三輪由来、自動車由来、オートバイ由来、リアカー由来、サイドカー由来など、原型も定まっておらず、多彩なタイプの車両が見られるのが非常に興味深い。恐らくなんらかの経緯や背景などがあってそうなっているのであろうが、それを考えたり調べたりするのもまた面白い。タグ:アジアの多彩な三輪車に於いて、過去に紹介したアジアの色々な三輪車をまとめてあるので、暇な時にでも見比べて頂けると面白いかも知れない。

 中国でも色々なタイプの三輪車を目にする。各省が一つの国であってもおかしくない規模の広大な中国においては、地域によって特色があることも考えられる。

 こちらは恐らく元の車台は三輪バイクが原型だと思われる。ちょうどピザ配達用のバイクに後部座席を取り付け、ハリボテの車体で覆ったような感じで、タイのトゥクトゥクのようなオート三輪をベースにしたものではないようだ。たぶん事故に遭えばペチャンコになってしまいそうな感じだ。そんなにハイパワーではなく、日本の原付よりもスピードは出ないようだったが、街の足としては十分だろう。

【写真】2014年8月
【文章】2017年7月
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京都の金融中心・四条烏丸の建築

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 京都の文化遺産と言えば、やはり一番は世界遺産にもなっており、国宝や重文の宝庫である古い寺社仏閣であろう。ただ、建築マニアの方々はよくご存じだとおもうが、京都は明治時代から昭和初期にかけての、いわゆる近代建築が点在していることでも有名である。

 そう聞くと「京都は戦時中に空襲がなかったから」と言い出す人が少なからず居るのに驚く。何を根拠にそんなことを言うのだろうと思う。私の祖母は戦火の中で、乳児であった父を抱えて京都市内を逃げ回ったのだと聞いた。確かに大阪や神戸に比べれば被害は少なかったが、それは港を抱えるわけでもなく、大した軍事的要所でもなかったからだろう。しかし実際に京都も複数回にわたり空襲の被害にあったのは調べればすぐにわかることだ。

 京都の寺社仏閣を守るために原爆投下の候補地から外したと言う説も昔からよく耳にするが、京都も複数回にわたって空襲があり、御所なども被害を受けていることを考えると、この説も根拠のない都市伝説の類ではないかと思ったりもする。


 戦時中のことはさておき、京都に於いて銀行や保険などの金融業が集中しているのが、四条烏丸付近である。ちなみに四条烏丸は、東西方向に伸びる四条通りと、南北方向に伸びる烏丸通りの交差点の呼び名である。実は住所や町の呼び名は別にあるので、そのあたりは非常にややこしくて、慣れないと混同したりするのだが、これについては長くなるのでまた別の機会に記す。

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 四条烏丸の交差点の角には、銀行系の建物が並んでいる。

 写真左側は旧三井銀行京都支店のビル。今でも三井住友銀行が入っている。右側は旧三菱銀行。今でも三菱東京UFJ銀行が入っている。

 これらは大正時代に建てられたもので、元々は石造りやレンガ造りだったはずだが、耐震などの理由で昭和後期に解体され、今ではビルの角の部分にその面影を残すのみとなっている。

 私は建築にはあまり詳しくない。もしご興味あれば、お詳しい方の情報を調べたほうが良いと思うので、説明はこの程度で軽く済まさせて頂くことにする。

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 四条烏丸だけでなくても、こういった明治や大正の面影を残す近代建築は、京都の随所にみられる。

 一般的に言うところの京都らしい街並み、というのとは違うのかも知れない。皆がイメージし、期待もしている京都の街並みとは違うからだ。しかしながら、私的にはこれもまた一つの京都らしい街並みではないかと思ったりもするのだ。

【写真】2017年3月
【文章】2017年7月


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台湾 基隆駅前の迷惑駐輪で埋め尽くされた歩道

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 少し前に羅東駅近くの迷惑駐輪も紹介したが、羅東は言ってみれば田舎の小さな街である。迷惑駐輪のレベルもまだ可愛いものなのかも知れない。

 こちらは昔からの大きな港町、基隆。戦後に日本人の多くがここから引き揚げたことでも知られている。この街の駅付近の迷惑駐輪は、それはもうスゴイものだった。歩道や店先を埋め尽くし、まるで捨てられているように詰めて止められていた。

 一応人が歩くスペースを若干残してはいるが、駅の付近のバス停があるところで、歩行者やバスを待つ人々が大勢いるのだから、迷惑極まりない。これも2012年の写真なので、以降どうなっているのかはわからない。日本では行政側が本気で取締りを行わない限り変わらないのを見てきたことは上述のリンク先の記事でも書いた。やはり台湾でも同じなのだろうか。

 ちなみにGoogleストリートビューで同じ場所を見てみたが、2016年でもあまり改善されているようには見えなかった。



【写真】2012年1月
【文章】2017年7月
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『汽車站』に一瞬の違和感を感じるのも旅行の面白さかも知れない

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 こちらは泰山の麓の街、泰安の汽車站。
 站は駅という意味もある漢字なのだが、中国でいう汽車站は鉄道駅ではない。

 中国語をご存じの方には当たり前過ぎる話で、今更言うほどでもないのだが、中国では汽車と言えばクルマを指すのが一般的である。普通乗用車だけでなく、バスやトラックなど自動車全般を含む。中国の自動車メーカーの名前も『第一汽車』『東風汽車』『上海汽車』といった具合である。

 従って汽車站とは、他に何か断りがない限り、バス停あるいはバスターミナルを指すものだと思って良い。

 鉄道は中国語では铁路という言葉もあるが、我々が鉄道を指す言葉として一般的に使う電車あるいは汽車という言葉にあたる中国語は火車である。ウチの家計の話ではない。

 個人的な推測だが、恐らく蒸気機関車の時代、日本人は蒸気や湯気から連想して汽車、中国人は石炭を燃やして火の力で走るので火車、と名付けたのであろう。鉄道が火車と呼ばれているので、自動車が入ってきたときに、ガソリン(ガス)で走るから汽車と名付けたのも、別におかしな話ではない。

 そういうわけで、中国では鉄道の駅は火車站、バス停やバスターミナルは汽車站と呼ばれる。ちなみに車站とだけ呼ばれる場合もあって、これがどっちか悩んだりするのだが、大抵バス停(バスターミナル)の方を指していることが多い。鉄道の場合はきちんと火車站と言わないと通じないことが多かった。

 とはいえ、わかってはいても、日本人の私としては、いわば条件反射というか、無意識に、汽車站の文字だけ見ると鉄道駅だと認識してしまう。すぐ後に思考が追いかけてきて、違和感を感じる。そして「違う違う、バスターミナルだった」と認識を塗り替える。少し長い間住めば慣れてしまうのだろうと思うが、旅行者としてはこの一瞬の認識のズレや違和感を感じるのが、ちょっとした刺激で面白かったりする。

【写真】2014年8月
【文章】2017年7月
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台東で琵琶湖を発見

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 台湾東部の街、台東。町はずれに大きな森林公園があり、散歩していると『琵琶湖』という表示を発見した。

 日本人からすると琵琶湖と言えば、イメージするのは日本一の湖、滋賀県の琵琶湖以外にない。だが、特にそういった説明はなかったので、名前を日本の湖からとったというわけではないのだろうとは思う。

 日本の琵琶湖に浮かぶ島の一つ、竹生島には弁財天が祀られているのだが、その弁財天の持つ楽器の琵琶に湖の形が似ているということで、江戸時代に琵琶湖と名づけられたものだと聞く。

 その琵琶は名前も含めて中国から伝来したものである。すなわち、中華圏に於いても、たまたま琵琶の形に似ている湖を琵琶湖と名付けても不思議ではない。

 ただ日本人の私としては、それを理解していたとしても、やはり先入観ということもあって、大きな湖を想像してしまうのだ。

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 実際は公園の中にある小さな湖、というよりは、小さな池だった。

 確かに池の形が括れている感じが琵琶に似ていなくもない。

【写真】2013年1月
【文章】2017年7月
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蘇州の名刹の屋根上の西遊記

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 古くから栄える蘇州の名刹、寒山寺。蘇州城西の古い運河沿いにあるこのお寺には、文化的価値も高く、見どころもたくさんある。

 この寺の仏書を収蔵していた蔵経楼の屋根に、『西遊記』の一行、三蔵法師、孫悟空、猪八戒、沙悟浄の彫刻像がある。

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 西遊記は中国四大奇書の一つに数えられるが、その中でも比較的日本でも内容が知られているものだと思う。

 漫画『ドラゴンボール』でも当初は西遊記をモチーフにしており、主人公の名前もそこから取られているのは有名であるし、人形劇やドラマにもなっている。

 1980年以前の生まれの方だと、堺正章が孫悟空を演じ、ゴダイゴが音楽を担当したドラマが印象に強いのではないかと思う。私も子供の頃だったが、孫悟空が筋斗雲を呼ぶときの合図をみんなで真似たり、ワクワクしながら見たものだ。

 あの作品は独特の解釈や発想の面でも素晴らしかったと思う。本来男性であるはずの三蔵を夏目雅子が演じていたのがハマっていたり、馬を擬人化させるだけでなく人の姿を登場させたり。

 ただ素晴らしい作品であったが故なのか、後の作品に影響を与えすぎて、日本で作られる西遊記をモチーフとした作品が、なぜか三蔵は女優が演じ、馬は人の姿に変身できる、と二次創作の設定を引き継いだ三次創作みたいなものが多いように思う。原作への変な誤解を助長するかのような作品が散発されるのは、作り手の発想力が乏しいからのような気がする。

 元の壮大な話を原作としながら作品を作り上げるのであれば、三次創作ではなくて、そこに独自の解釈や独創性を持った二次創作が見たいものだ。三次創作では小手先のテクニックは進化していても、発想や独創性という本来創作に必要な部分が決定的に不足し、過去の作品を越えることは非常に難しいのではないかと思う。

【写真】2005年3月
【文章】2017年7月
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夕陽に映える稲穂と浅間山(長野県)

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 9月の夕方、とは言っても、まだ西の空がほんのり赤みを差した橙色に染まりつつある午後5時過ぎ頃だった。ドライブをしていて、たまたま休憩していたのだが、なんとも綺麗に浅間山が見えた。

 手前の稲穂もちょうど鮮やかな黄金色に染まっていて、山の色と対照的で映える。

 ちなみにこの写真、6年近く前ではあるが、写真を見ればどこで撮ったのかは思い出せた。ただ、いつも気の向くままに車を走らせることも多く、何を考えてこのルートを走っていて、どこに辿り着いたのかは覚えていない。

 ただこうして残っている光景の場所は覚えているものもあるというだけだ。この記憶もそのうち薄れてしまうので、とりあえず備忘録として残しておくことにする。


【写真】2011年9月
【文章】2017年7月

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プロフィール
管理人:坂木
ただ行けるところまで行ってみたい。何もなくても構わない。何もないことを見に行く。そんな性癖を勝手に最果(さいはて)志向と名付けた。
職業は会社員。休みのたびにあてもなくフラリ旅に出てしまう。



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