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 ラオスのパークサンとタイのブンカーンの間には、外国人旅行者にも開かれている国境がある。これは外国人旅行者に国境が開放されてまだ間もない頃に訪問した時のことだ。

 ラオス側のパークサンは小さな街である。ブンカーンは今でこそ同名の県の県都であるが、当時はまだブンカーン県はなく、ノンカーイ県に属する小さな街だった。外国人にも国境が開放されたばかりで、国境付近にはよくある市場もないし、そもそも人もまばら、といったところだ。

 閑散としたイミグレでラオス側の出国手続きを終えるが、国境の渡船も出そうな気配は全くない。人がある程度集まるまで出発しないのだ。船が出るまで2時間近く待つことになった。とはいえ、特に急ぎの旅ではない。付近を少し散策したりすると、意外とそれくらいの時間は過ごせてしまう。時の流れがゆっくりに感じるラオスだが、ここは特に緩やかに思えた。

 国境の渡船を待っていると、タイ側からトラックを積んだフェリーがやってくるのが見えた。タイとラオスの両国の国旗が掲揚されているので、国境を結ぶものだろう。どうやら我々のような旅客は乗せてくれそうな雰囲気ではなかったが。

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 しばらくすると接岸した。立派な船着き場があるわけでもない。板を渡すだけだ。板が渡されると同時に、トラックが続々と走り出す。

 ラオスとタイの間の国境線の大部分は大河メコンである。しかし当時、橋がかかっていたのは、ノンカーイとビエンチャン郊外を結ぶ友好橋だけだ。この写真のブンカーン=パークサンの国境は、友好橋からは比較的近いが、それでも150kmほど離れている。橋まで回り込むよりは、時間と手間が多少かかってもフェリーで渡るほうがよっぽど効率的なのだ。

 これよりもう少し南のラオスのメコン流域で聞いたことがあるが、タイでタンクローリーにガソリンを満載してきて、ラオスで売りさばくだけで、それなりの財産ができたのだと言う。そんな話も、こういった物流インフラの状況を見ると頷ける気がした。

 じゃあみんなやればいいじゃないか、と言う話になるのだが、これは我々がある程度自由経済が発達した社会で育っていたからこその考え方である。ラオスはそもそも貧しい農村ばかりの国で、社会主義によって経済活動や流入資本には制限がある。民間レベルではタンクローリーやトラックも簡単に入手できないのだとか。ただし2000年代初頭に聞いた話なので、今となっては経済や物流の状況もずいぶん異なっていることだろうとは思う。

【写真】2007年4月
【文章】2017年12月
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