December 2015

December 31, 2015

 2015年、「平和」「安全」というヒツジの皮をかぶったオオカミのような法律が作られた年から、サルの年へと移り変わります。

 年賀状のデザインをざっと見てみると、ちらほらと孫悟空が描かれているものがあります。いえいえ、『ドラゴンボール』のほうではなくて、中国の物語『西遊記』の孫悟空です。

 ご存じのとおり『西遊記』は、三蔵法師というお坊さんが天竺(てんじく=インド)にお経を取りに行く道中、孫悟空猪八戒沙悟浄の3人の妖怪をはじめ、仙人や牛魔王、金角・銀角などが登場し、敵になったり味方になったりしながら旅を進めるという冒険物語です。特に、キン斗雲や如意棒など様々な仙術を使って戦う孫悟空の活劇は、世界中で愛されています。

 ところで、孫悟空、猪八戒、沙悟浄には、それぞれ仏教的な意味合いが込められているといわれています。仏教でいう「煩悩」の中の「三毒」、すなわち「貪・瞋・痴」(とんじんち)の3つが、3人のキャラクターにあてはめられているというのです。

  • 猪八戒(豚) ← (とん)=貪欲(とんよく)…貪りの心、止められない欲望
  • 孫悟空(猿) ← (しん)=瞋恚(しんに)…いかりの心、抑えられない怒り・憎しみ
  • 沙悟浄(砂漠の妖怪) ← (ち)=愚痴(ぐち)…智慧がないことによって苦しむ心

 確かに、猪八戒は食欲旺盛、孫悟空は怒り狂って誰彼かまわず攻撃し、沙悟浄は知識はあるけど狡猾でずるがしこい… そんなキャラクターに描かれていますね。彼らは妖怪ですけど、人間の煩悩が妖怪の姿を借りて立ち現れたものなのかもしれません(ちなみに孫悟空の「孫」はむかしの中国で猿を表したようです)。

 さらにこの3人の妖怪の名前に注目してください。3人とも仏教の言葉が名前になっています。これは、それぞれの煩悩の解決策が示されているといえます。

  • 貪欲 → 八戒(8つの戒め) … 戒律を守ることで欲望をコントロールできるようになる
  • 瞋恚 → 悟空(空を悟る) … いかりの対象に実体がないこと(空であること)を悟ることで、いかりを鎮めることができる
  • 愚痴 → 悟浄(浄を悟る) … 浄らかな心(慈悲心)をともなうことで知識が智慧に昇華する

 なかでも、三蔵法師と出会う前の孫悟空はひたすら、いかり続けていました。自分以外の存在は敵だと思い込み、相手が攻撃してくる前に自分から攻撃しようとする。自分とは違う存在を認められず、憎悪を投げつける。実体のないものにおびえ、いかりに身を滅ぼさんばかりの孫悟空は、お釈迦様によって閉じ込められてしまいました。

 まるで、隣国を憎み、自分とは違うバックグラウンドを持った人たちに罵詈雑言を浴びせるヘイトスピーチャーのようではありませんか。あるいは、隣国を敵だと思い込み、「隣国が自国を攻撃してくる前に先制攻撃を」と叫ぶ国の指導者のようでもあります。

 しかし、孫悟空のほうは、三蔵法師とともに旅する中で、「悟空」すなわち「空を悟れよ」という課題と向き合うことによって、自分がいかりを抱いてきた相手が単なる幻想だったと気付き始め、そのエネルギーを前向きな方向に転化していくようになります。

 「悟空」とは、いわば私たちに課せられた課題であるような気がします。サルの年の間にきっちりと片をつけないといけない課題です。



sakatakouei at 16:00 
雑談 | さかたこうえいの「時々通信」

December 29, 2015

 地方紙の1面トップに「慰安婦『最終解決』」という大きな見出し。安倍政権は日本軍「慰安婦」問題で、韓国政府と「最終的かつ不可逆的解決」をすることで合意したとのことです。その内容は、日本政府が軍の関与や政府の責任を認め、韓国政府が新たに設立する財団に日本から10億円を拠出するというものです。

 この「合意」を、朝日新聞は高く評価しています。一方、「安倍サポーター」の産経新聞はおおむね批判的で、歴史学者・秦郁彦氏のコメントには「韓国に押し切られた」と見出しをつけています。政権への支持・不支持と今回の「合意」の支持・不支持が「たすき掛け」になっています。安倍サポーターはさぞ憤懣やるかたない思いでしょう。

 今回の「合意」は、例えれば、下校前の「終わりのホームルーム」で喧嘩した2人が先生に半ば無理やり仲直りをさせられた、という状況ではないでしょうか。「先生」は無論アメリカです。アメリカのケリー国務長官がすかさず歓迎の意を表明したことからも、容易に想像できます。

 この「終わりのホームルーム」の比喩は、もしかしたら産経読者も納得するのではないでしょうか。そういう意味で、この「合意」は、慰安婦問題の運動を続けてきた日韓の市民の側からも、「慰安婦問題は捏造」「強制連行はなかった」と批判してきた側からも、双方納得いくものではないようです。

 それゆえに、私自身は何とも言い難いモヤモヤがあります。この「合意」を「簡単に批判して切って捨ててもいいものか」というモヤモヤです。

 慰安婦問題の本当の「最終解決」とは何か。それは、あえて矮小化していえば「昭和天皇による謝罪」の一点に尽きます。日韓併合から始まる日本の植民地支配と、そのもとでのアジア太平洋戦争によって被害を受けたすべての人(それは当然、日本兵を含むすべての人)に対して、昭和天皇が「申し訳なかった」と頭を下げて謝罪すること。それが、戦前に「統帥権」をもち、戦後に日本の「象徴」となった昭和天皇の、本来果たすべき役割でした。もしそうされていれば、慰安婦問題だけでなく、原爆投下や靖国参拝などあらゆる戦後処理・植民地処理が「不可逆的に解決」したかもしれません。

 ですが、それが不可能なのは言うまでもないことです。平成天皇がその役回りを担えるかというと、「原因を作っていない人の謝罪」にしかならないので、無理です。であれば、究極の意味での「最終解決」はもはや有り得ないと私は見ています。

 とはいえ、今回の「合意」は無意味なものなのでしょうか。それも私は違うと思います。前述のように、「安倍派」も「反安倍派」もこの「合意」を批判していますが、このような批判合戦に終始しても、事態は一向に前に進まないと思います。「慰安婦」とされたハルモニがひとり、またひとりと亡くなっている中で、できるだけ早く何らかの「形」を示そうとした努力は評価されるべきでしょう。

 今回の「合意」を一歩前進と受け止めつつ、課題を指摘していく。そんな姿勢で臨む必要があると、私は思っています。

 今後の課題は、(1)歴史的事実をさらに検証し、(2)日本政府として植民地支配全体における責任を認めて謝罪し、(3)そのことをもって戦時性暴力の問題全体に日本政府が主体的に取り組むこと、ではないかと。

 (1)について。慰安婦問題は複雑です。日本人女性の場合、植民地支配によって「日本の一部」となった朝鮮半島・台湾の女性の場合、インドネシアなどそれ以外の地域の場合、それぞれ位置づけや境遇が違います。また時代によっても、植民地支配の初期から日中戦争にかけて大きく変化しています。さらに、軍と業者との関係、「調達」を担った業者や軍属の性格などによって、慰安婦となった人たちが置かれた状況は千差万別です。それらを丁寧に紐解くことで、事実は事実として踏まえた議論をしなければいけません。もしかしたら、私たち運動側も認識を改めなければいけない事態もあるでしょう。それを覚悟の上での検証です。

 (2)については、今回の「合意」の最大の欠点だと思うので、ここは引き続き求めていきます。ですが、そのためには日本国内の世論を大きく変えなければいけません。日本外交は「謝罪外交」だという印象を抱いている人はかなり多くいます。ハードルは高いです。

 ですが、このハードルを乗り越えない限り、(3)は見えてきません。逆に、(2)を経た上で、(3)の取り組みで世界的なイニシアチブをとれるのであれば、それは日本外交の大きな「勝ち点」になります。

 戦時性暴力は現在進行形の問題です。最近は国連PKO部隊による性暴力が問題になっていますし、沖縄の米兵の強姦事件も戦時性暴力と地続きです。これらの現在進行形の問題においては、少なくとも現在の日本はほとんどの場合、直接の「加害国」ではありません。日本が果たせるはずの役割が、ここにあります。

 こういったプロセスを通じて、もう誰も「慰安婦」にしないという世界を構築すること。これがいわば「限りなく最終に近い解決」です。これは、私たちや私たちの次の世代の人々にとっての利益です。「慰安婦」問題に取り組むことは、私たちと子孫の権利を守ることなんです。そういう理解が必要だと思います。

 ただし、この(1)(2)(3)のプロセスには、(0)=大前提があります。それは、安倍政権の閣僚が「強制連行はなかった」「日本軍の責任はない」などと発言したら、即座に更迭すること。そういう明快な姿勢を安倍さんが示せなければ、あっという間に今回の「合意」は吹き飛びます。今の極右内閣ならば、問題発言は必ず出てくるだろうと私は踏んでいます。そのときの安倍さんの対応に、まずは注目ですね。



sakatakouei at 18:40 
さかたこうえいの「時々通信」 | 政治・社会

December 27, 2015

hanamoyu 結局、『花燃ゆ』はほとんど見ないまま終わってしまいました。吉田松陰が投獄された辺りまでは頑張ったのですが、あとはもう見るに堪えませんでした。主人公を始め登場人物のキャラが立っていないこと、怖いはずの人物が怖くないなど演出が下手なこと、イメージポスターやキャッチコピーが学芸会レベルであること、俳優が他の幕末ドラマで別の役を演じていて混乱したこと、ストーリーが単線的で深みがないこと、セリフが拙いこと、演出意図が明確でないこと、描かれる人物に対する制作者の愛情が感じられないこと… とどのつまり「退屈だった」の一言に尽きます。

 おりしも権勢を誇る我が総理の足下・長州が舞台の大河ドラマとあれば、NHKは絶対失敗してはいけなかったはずです。そして、その変なプレッシャーが、多方面に気を遣わせ、ドラマのテーマを曇らせ、作品を退屈なものに仕上げたのでしょう。おそらくスタッフ自身、このドラマへの思い入れがなく、退屈さを感じながら作ったのではないでしょうか。その空気感が液晶画面からにじみ出ていました。

 大河ドラマにはいろいろなことが求められます。視聴率を始め、ご当地コラボや子孫の方々への配慮なども必要でしょう。特に幕末物や女性主人公の場合は難しいと言われてきましたが、『篤姫』という成功例があるため、その言い訳もしにくいところです。

 さらに、面倒な大河ドラマファンが、「昔はよかった」的な発言を繰り返すのもどうかと思います。「最近の大河は若いタレントばかり出す」とか。『新選組!』では、主人公たちが若すぎるという批判があったそうです。でも、実際の新選組メンバーと同じぐらいの年齢なんですけどね。それに、よく考えたら、例えば豊臣秀吉を演じた火野正平や緒形拳は、当時は大抜擢された若者でしたが、好評価でしたよ。よく確かめないで昔を美化するのはやめましょう。

 そういえば『新選組!』では、近藤勇と坂本龍馬が友人だったという設定にも非難が殺到したとか。「日本史の試験で間違ったらいけないから」というのが主な理由だったそうです。ぶぁかかっ。坂本龍馬はもともと幕閣・勝海舟の弟子で、最後には薩長と幕府を仲立ちしようとしたんでしょうが。龍馬は幕府方だと言っても間違いではありません。

sanadamaru というわけで、ついつい『新選組!』の話でひとり盛り上がってしまいましたが、しかし次回大河ドラマは同じ三谷幸喜脚本作品である『真田丸』です。三谷さんの「真田愛」は本物なので、あとは変なプレッシャーなんかはねのけて、のびのびと自由に、やりたいようにやっていただけたらと思います。はっきりいえば、総理のオトモダチだか何だか知りませんが、そんな上層部への配慮をやめることです。大河ドラマを見る世間の目は、まるで滅びゆく大阪城のような状況ですが、江戸の権力者に一矢報いる真田信繁のように、己の信じる作品づくりに向かってひた走ってほしいです。



sakatakouei at 20:26 
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December 26, 2015

20151224doshishakyokai 12月24日か25日には、毎年キリスト教会のミサに行きます。いわゆるミーハー・クリスチャンである私は、キリスト教徒ではありませんが、単なるイベントとしてクリスマスを騒ぐ気にはあまりなれず、ついつい教会に足を運んでしまいます。これまでカトリックやプロテスタント、新宗教系など様々な教会に行きましたが、どの教会も、そんな私を温かく受け入れてくれていました。

 そして今年はなんと、念願の同志社礼拝堂に行くことができました。以前、大河ドラマ『八重の桜』が放送されていたころ、八重の夫・新島襄ゆかりのこの礼拝堂を見学させてもらったことがあり、いちどミサに行ってみたいと思っていました。

 この日のクリスマス・ミサは、執事の加藤良太さんの司式のもと、聖歌隊の美しい歌声、穏やかな聖書の朗読、そして温かい牧師のお話と進み、参加者全員で歌う讃美歌はとても心地よいものでした。ミサ終了後、聖歌隊が礼拝堂の外でおこなったキャロリングも盛り上がりました。

 同志社礼拝堂は、レンガ造りのキリスト教会としては日本最古のものだそうです。この素敵な建物を見に行くだけでもいいかもしれません。



sakatakouei at 17:40 
行事報告 

December 24, 2015

 皆さん、クリスマスをいかがお過ごしでしょうか。プレゼントはもう受け取りましたか? 世の人々は、クリスマスにどんなプレゼントをもらっているのでしょうか。

 防衛省は、初めて5兆円を超える防衛予算をもらえることになりました。安倍政権になってからというもの、防衛費は毎年増えて、次年度は5兆500億円に。そのかわり、教育予算が削られて、小中学校の教員は自然減に加えて370人削減されます。国民には「教育より戦争」をプレゼントするという、アベ政治の真骨頂です。

 年金受給者1250万人には、「臨時給付金」として3万円のプレゼントが。政権を獲ると、こんなに好き勝手にお金をばらまけるんですね。でも、安倍サンタの袋の中身は税金です。まるで税金を使った買収ですね。

 公明党は軽減税率というプレゼントをもらいましたが、これなんて次回の選挙でも自民党側につけよというバーターが見え見え。小選挙区や1人区は、公明党の選挙協力がないと自民党は勝てません。公明党の負担は来年以降も軽減されそうにないですね。

 そして、報道ステーションの古舘伊知郎キャスターには、半永久的な休暇がプレゼントされました。キャスター就任早々にイラク戦争の人質事件が起きたのを、まるで昨日のことのように思い出します。そして原発から安保まで、古賀騒動を経ながらもギリギリの立ち位置で放送を続けてきた報ステでしたが、このあたりでもう限界ということでしょうか。

 それぞれのクリスマスに、それぞれのプレゼントがあったようです。それではみなさん、メリークリスマス



sakatakouei at 14:09 
さかたこうえいの「時々通信」 | 政治・社会

December 23, 2015

20151108nhk 「NHKは見ない!」という人も多いと思います。国会中継は都合よくちょん切るし、まるで安倍首相の「番宣」かというぐらい偏った解説を流すし、特に政治部は酷いです。

 ですが、たまに「さすがNHK」と唸るような番組もあって、私は捨てがたいものがあります。なので、年金は払っていませんが、NHKの受信料は払っています。

 11月8日に放送のあったNHKスペシャル「アジア巨大遺跡(4)縄文 奇跡の大集落〜1万年持続の秘密〜」は、そんな唸る番組でした。かねてから興味のあった縄文時代の文化(いや文明ですね)の凄さの一端を見ることができました。

 まず驚いたのは、縄文の研究者として登場する人たちの大半が、イギリスなど外国人ということでした。それだけで、日本の縄文が世界的に注目されている気分になります。

 実際、縄文文明は世界でも驚異的です。有名な縄文土器は1万5000年前ごろから作られていたとされ、土器としては世界最古級です。また土偶は、人物を造形した像として世界で最も古いものだとか。つまり、世界最古の文明の1つと言ってもいいはずの縄文なのですが、なぜこれまで「四大文明」のようなくくりで考えられていなかったかというと、それは農耕をしていなかったからです。

 縄文人は狩猟採集で生活していました。そのため、農耕に移行した文明と比べて一段劣ったように見られてきました。しかし、縄文人は決して農耕を知らなかったわけではありません。朝鮮半島や中国大陸との交易をしていた彼らは、農耕を知っていたにもかかわらず取り入れなかったのです。それは、豊かな自然資源を上手に利用していたからでした。

 巨大な集住の痕跡がみられる青森県の三内丸山遺跡からは、大量の栗の花粉が発見されています。縄文人が栗の木を苗から育て、計画的に栗を採取していた証拠です。また福井県の遺跡からは、魚の背骨は出土するけど頭骨は出ておらず、どうやら頭を取った後で身を干物にしていたと考えられています。単なる行き当たりばったりの狩猟採集ではなく、食料を計画的に得る工夫をし、その技術を蓄積させていたのです。

 だから、他の文明が狩猟採集から農耕へ移行して文明を築いたのに対し、縄文文明は農耕に移行せず狩猟採集をしながら定住を成功させ、1万年という恐るべき長期間、文明を持続させたのでした。

 ところで、昔から気になっていたのですが、なぜ縄文土器には「縄文」つまり縄の文様がつけられていたのでしょうか。土偶についても、なぜ存在したのかよく分かっていませんでした。

 どうやら、それは宗教儀礼の意味合いがあったようなんですね。パプアニューギニアで現存する少数民族の文化から、それが推察できたそうです。その民族は「土器には精霊が宿る。土器に文様を入れるのは、自然を崇拝するためだ」と語っていました。また土偶も、巨大化した集落をまとめるために、その集落の象徴的存在として祀ったのではないかと考えられているのです。

 なんと、縄文人はすでに宗教の原型を生み出していたのです。なるほど宗教というのは、哲学(理屈)よりも儀礼が先にあったわけなんですね。これは納得です。

 そんな縄文時代が終わりを告げたのは、弥生時代の始まり、つまり農耕を取り入れたことでした。農耕は階級社会を生み出し、権力争いや格差・差別、そして戦争をもたらしました。現代社会は弥生時代の延長線上に存在するといってもよいでしょう。

 縄文文明が持続可能な文明だったことは、1万年も続いたことが雄弁に物語っています。自然環境を激変させずに、上手に自然のルールに添って生きることで、縄文人は何百代にもわたって世代をつなぎました。

 脱原発や脱経済成長を主張すると「縄文時代に戻れというのか」と非難されることがあります。でも、今なら言えます。「私たちが縄文人より優れているなどと思っているなら、おこがましいにも程がある。私たちの文明はあと何年持続しうるだろうか」と。土器をこね、栗の皮をめくった縄文人の爪の垢を、私たちは煎じて飲むべきですね。



sakatakouei at 20:31 
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December 22, 2015

20151222toji 12月22日、地元で冬至の風物詩として知られる、かぼちゃ汁のお接待にあやかってきました。大鍋で煮たあっつあつの汁で寒い冬を乗り切ろうと、近隣のお年寄りや親子連れが鍋を手にして訪れていました。

 かつてこのブログで、冬至とクリスマスの関係について書いたことがありました(3.11後、初めてのクリスマス)。キリスト教が広まる以前のヨーロッパ土着の宗教であるミトラ教は、太陽神ミトラスが一年で最も弱る冬至の時期に、ミトラスを応援するお祭りをしていました。そのミトラ教のお祭りは、キリスト教に取って代わられた後、もともと誕生日のはっきりしなかったイエス・キリストの聖誕祭として受け継がれた、というものです。

 この話をいろんな人にしたところ、様々な話題提供をいただきました。仏教の弥勒菩薩(マイトレーヤ)が実はミトラスに影響を受けていること。もともとはイランやインドで信仰されていた神ミスラとされていること。どうやらミトラスの名残はかなり広範囲にわたっているようです。

 また、ミトラスの影響といわないまでも、太陽神や太陽信仰はそれこそ世界各地にあります。エジプトのラー。ローマ神話のソル。インカ帝国のインティ。北欧のソールは、日本の天照大神と同じく女神です。

 考えてみればそれは当たり前のことです。太陽は自然界で最も強いエネルギーを放つ存在であり、農業においても生活全般についても欠かせない存在で、しかも時間を司る(時間の基本単位は1日、そして1年)。太陽がのぼらなくなれば私たちは生きていけません。これはもう太陽に祈るしかないでしょうね。

 宗教や信仰をめぐっては違いばかりが目につきますが、太陽信仰はかなり普遍的なもののようです。もしかしたら世界共通の信仰なのではないか。もちろん違いを尊重しつつも、違いに気を取られすぎないようにしたいです。私たちには、違いより共通点のほうが多いのですから。



sakatakouei at 15:33 
雑談 | 歴史・文化

December 20, 2015

20151212cop21 日本国内ではそんなに話題にならないけれども、世界的にはビッグニュースということが、しばしばあります。気候変動(地球温暖化)の問題はその筆頭でしょう。

 先日、パリで開かれた気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で、画期的な合意が得られました。いわゆる「パリ協定」です。

 これまで気候変動に対する国際的な取り決めといえば、1997年に採択された「京都議定書」でした。しかし、その約束期間が終了し、次なる取り決めが必要とされていました。それが今回、パリ協定として日の目を見たわけです。

 この協定、内容はというと、なかなかすごいことになっています。まずアメリカと中国が参加したということ。この2か国はCO2排出の2トップですので、その意義は非常に大きいといえます。また、「地球の平均気温」の努力目標も、「産業革命以降の気温上昇を1.5度未満に抑える」という、かなり踏み込んだ数値目標が示されました。

 といっても、はたして本当に実効性があるのかという疑問も、ないわけではありません。「2度未満」でも強硬に抵抗していた米中が、なぜいきなり「1.5度未満」で同意したのかは謎です。逆にヨーロッパは、1.5度未満が達成不可能になった場合、その敗因を米中に押し付けるのではないか、と勘繰る人もいます。

 それでも、この目標は意地でも達成しなければいけません。日本では安倍政権が「ベースロード電源」として原発石炭火力を進めていますが、まったく時代錯誤としか言いようがありません。

 特に原発は、「地球温暖化対策」を建前にこれまで長年にわたって推進してきたにもかかわらず、ほとんどCO2削減に貢献しませんでした。さらに地球規模の放射能汚染をもたらし、事故処理と安全対策に莫大な資金を費やしています。原発は単なるカネ喰い虫でしかなく、ただちにゼロにする以外ありません。

 むしろ、気候変動対策は経済的にもチャンスです。節電再生可能エネルギーの推進は、新しい産業の育成やイノベーションが期待できます。また、化石燃料を使う大型発電所に比べて、再エネはより多くの雇用を生み出します。さらに、地域分散型で地産地消のエネルギー政策は、地域経済の自立につながるので、安倍政権がやっている中央集権バラマキ型の「地方創生」よりはるかに健全です。経済成長の強迫から抜け出し、持続可能な経済をつくる好機ととらえるべきでしょう。



sakatakouei at 16:58 
さかたこうえいの「時々通信」 | 環境

December 18, 2015

 運転免許証、パスポート、銀行口座・郵便貯金口座、クレジットカード、生命保険、健康保険、印鑑、そして仕事関係… 姓が変わると、山ほど変更の手続きをしなければいけません。旧姓を通称使用できるケースとできないケースがあり、それらはしばしば変わります。職種によっては、氏名の変更が致命的な不利益をもたらす場合もあるでしょう。

 ある研究者向けのサイトには、旧姓使用した場合のトラブルを避けるため、「論文提出前にペーパー離婚し、提出したらまた婚姻届を出そう」というアドバイスが載っています。なんというご苦労。ノーベル賞受賞を誇る日本の研究現場が、この状況です。

 選択的夫婦別姓をめぐって、最高裁判所が「夫婦同姓の強制は合憲」という判決を出しました。判決では、婚姻によって姓が変わることへの不利益は「容易にうかがえる」としながらも、「憲法に違反するものではない」と結論づけました。また、夫婦が同姓であることは、家族の一体感や、家族であることを対外的に示す意義があるとも述べています。

 冒頭のような不利益のせいで結婚を諦めた人にとっては、「家族の一体感」もヘッタクレもないでしょう。また、事実婚を選択した人は、相続などで不必要なリスクを抱え込みます。夫婦別姓を選択できないことが家族を壊しているという実態を、この判決は軽く見すぎています。

 ところで、選択的夫婦別姓に反対する人からは、しばしば「日本の伝統的価値観に反する」という意見を耳にします。夫婦同姓は日本の伝統なのでしょうか?

 姓の歴史は複雑です。現代のイメージを投影した誤った解説が多く、私自身も正解がどうなのかはいまだ確証が得られていません。姓・氏・名字(苗字)ももともと意味合いが違います。例えば徳川家康は、フルネームでいうと「源朝臣徳川次郎三郎家康」となるそうで、それぞれ、

  • 源=(うじ)
  • 朝臣=(かばね)
  • 徳川=名字(苗字)
  • 次郎三郎=通称
  • 家康=(いみな)

ということみたいです。長い。大変だ。

 ただ、夫婦同姓が日本の伝統でないことは確かです。家族社会学者の山田昌弘さんは朝日新聞のインタビューでこう述べています。

 明治時代の半ばまで、日本は夫婦別姓の国でした。源頼朝の妻は北条政子と呼ばれ、足利義政の妻は日野富子のままでした。結婚で夫婦の一方が姓を変え、同じ姓にする現在の制度は、明治政府が西洋化政策の一環として、法律で強制したものです。戸籍制度ができるまでは、名前じたい桂小五郎が木戸孝允になったりと、もっと自由でのびのびしたものでした。「伝統を守れ」というなら夫婦別姓に戻せという意見が出てしかるべきでしょう。

 また山田さんは、日本と同じ東アジアの儒教文化圏である中国・朝鮮半島が「夫婦別姓」であることを指摘しています。夫婦同姓は、近代家父長制を取り入れるために行われた、明治政府による西洋化の産物だったのですね。

 話がそれますが、どうせ西洋化するならなぜミドルネームを取り入れなかったんでしょうね。「ジャクリーン・ケネディ・オナシス」みたいに、再婚しても前夫の姓をつけたままとか、面白いじゃないですか。

 で、話を戻すと、江戸時代まで人口の大部分を占めた百姓たちには姓(名字)はなかったわけで、「家」意識にもそこまで縛られていなかったと思います。それが明治時代になると、公家・士族の価値観や習慣が庶民にも浸透するようになり、明治31年の「夫婦同姓」制度ともあいまって、ここまで「家」意識が根強くなったのでしょう。その歴史はわずか百年あまりなのですが、現代の人々にとっては「これぞ日本の伝統」と思わせるに十分な力を持っているようです。

 問題は姓よりもこの「家」意識のほうかもしれません。仮に選択的夫婦別姓が実現したとしても、「家」意識に縛られた親や親戚が、容易には別姓を許さない状況は続くと思われます。

 でも、時代は確実に変わっていくでしょう。夫婦同姓を強制し続ければ、手続き婚をしない人が増え、婚姻制度が破綻する時代がやってきます。そうなれば日本は一気に、夫婦同姓社会から事実婚社会に「二階級特進」してしまうかもしれません。それはそれで面白い気もしますけどね。



sakatakouei at 19:22 
さかたこうえいの「時々通信」 | DV・ジェンダー・子ども

December 17, 2015

fufubessei 選択的夫婦別姓の憲法判断が出ました。最高裁大法廷の多数意見は「夫婦に同じ姓を強制するのは違憲とまではいえない」というもので、「あとは国会の責任」ということになりました。

 こういう判決が出ることは予想はしていましたが、結果が出てみると、それはそれでなかなか興味深いものがあります。

 というのは、最高裁判事15人のうち、「合憲」の10人は全員男性で、女性判事3人は全員「違憲」としているのです。最高裁判事の男女の数がもし逆転していたら、つまり「男性3人、女性12人」だったら、判決も逆転していた可能性はじゅうぶんあるわけです。

 いわば、これは最高裁判所のジェンダーバランスの問題と見ることもできるんですね。これでは鶏と卵。少なくとも憲法判断をする最高裁判事はクオータ制(男女の人数差を小さくする制度)を採用してほしいところです。

 夫婦別姓については、おって細かい論点を整理したいと思いますが、取り急ぎ今日はここまで。



sakatakouei at 09:37 
さかたこうえいの「時々通信」 | DV・ジェンダー・子ども
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