2009年11月21日
最終電車
木曜・金曜と続けて最終電車で帰宅しました。
札幌発23時59分岩見沢行きです。
胃があるころ、そう、ばりばりお酒を飲んでいたころは、最終電車に乗るということはへべれけに酔っ払ったということでした。
元気にお酒を飲み、それも限界近くまでいつも飲んでいた私は、どうやって帰宅したのかもわからない状態で、いつも転んでけがをしていました。
今考えてみても、よく駅ホームから転倒しなかったもんだとも思っています。
そんなばかなことをしていたことが懐かしくもあり、そんな危険なことをこれからはしないだろうという安心感もあります。
手術してから1カ月ちょっとしか経っていないのに、その最終電車に二日続けて乗ることになりました。
もちろんお酒を飲んだからですが、今は大量に飲めなくなった私は本当におとなしく最終電車に揺られて帰宅したのでした。
木曜日。
アスリートの風に出演したジュジュンの応援のためFMアップルに駆けつけ、その打ち上げに参加させてもらいました。
N社長、HITOMIさん、斉藤店長、そしてジュンジュン、R子さんとの会話が楽しくあっという間に時間が経ち白石駅から地下鉄に乗ろうとした時間が11時40分。
冷静に考えたら札幌駅に向かったら絶対間に合わない。
それなら新札幌に向かうか、しかし23時51分発だ。これも厳しい。
私の選択は地下鉄駅を飛び出してタクシーに乗ってJR地下鉄駅へ。これで最終電車に間に合ったのでした。
金曜日
会社で、同僚女性の結婚祝いと私の退院祝いの宴を開催してくれました。
感謝です。ありがとうございました。
1カ月近く休ませてもらい、完全治療できたのも会社の理解があったことは間違いありません。
入院中まったく仕事のことを考えることもなく治療に専念することが出来ました。
感謝の宴も8時には終了したので、調子が良かったら行こうと思っていた「かくさん」に足を向けたのでした。
かくさんに着いて感じたこと。
「ここに無事に帰って来れたんだ。」
かくさん復活がこんなに早いとは想像していませんでした。
当然以前と同じように飲めるわけもなく、焼酎の薄い水割りを楽しんでいました。
そんな時間もあっというまに過ぎ、札幌駅まで歩いていき楽々最終電車で帰宅となったのでした。
以上、最終電車の報告でした。
本日、孫ちゃんがまたまた家に来て寝返りをみせてもらい、夕方残雪のなか走ってきました。
今日は8K、何とかここまで走れるようになったのでした。
少しずつだけど距離が伸びてきます。
8K 45分10秒
明日は少し体を休めようかな。
札幌発23時59分岩見沢行きです。
胃があるころ、そう、ばりばりお酒を飲んでいたころは、最終電車に乗るということはへべれけに酔っ払ったということでした。
元気にお酒を飲み、それも限界近くまでいつも飲んでいた私は、どうやって帰宅したのかもわからない状態で、いつも転んでけがをしていました。
今考えてみても、よく駅ホームから転倒しなかったもんだとも思っています。
そんなばかなことをしていたことが懐かしくもあり、そんな危険なことをこれからはしないだろうという安心感もあります。
手術してから1カ月ちょっとしか経っていないのに、その最終電車に二日続けて乗ることになりました。
もちろんお酒を飲んだからですが、今は大量に飲めなくなった私は本当におとなしく最終電車に揺られて帰宅したのでした。
木曜日。
アスリートの風に出演したジュジュンの応援のためFMアップルに駆けつけ、その打ち上げに参加させてもらいました。
N社長、HITOMIさん、斉藤店長、そしてジュンジュン、R子さんとの会話が楽しくあっという間に時間が経ち白石駅から地下鉄に乗ろうとした時間が11時40分。
冷静に考えたら札幌駅に向かったら絶対間に合わない。
それなら新札幌に向かうか、しかし23時51分発だ。これも厳しい。
私の選択は地下鉄駅を飛び出してタクシーに乗ってJR地下鉄駅へ。これで最終電車に間に合ったのでした。
金曜日
会社で、同僚女性の結婚祝いと私の退院祝いの宴を開催してくれました。
感謝です。ありがとうございました。
1カ月近く休ませてもらい、完全治療できたのも会社の理解があったことは間違いありません。
入院中まったく仕事のことを考えることもなく治療に専念することが出来ました。
感謝の宴も8時には終了したので、調子が良かったら行こうと思っていた「かくさん」に足を向けたのでした。
かくさんに着いて感じたこと。
「ここに無事に帰って来れたんだ。」
かくさん復活がこんなに早いとは想像していませんでした。
当然以前と同じように飲めるわけもなく、焼酎の薄い水割りを楽しんでいました。
そんな時間もあっというまに過ぎ、札幌駅まで歩いていき楽々最終電車で帰宅となったのでした。
以上、最終電車の報告でした。
本日、孫ちゃんがまたまた家に来て寝返りをみせてもらい、夕方残雪のなか走ってきました。
今日は8K、何とかここまで走れるようになったのでした。
少しずつだけど距離が伸びてきます。
8K 45分10秒
明日は少し体を休めようかな。
2009年11月18日
間違いなく回復しています
今朝体重を計ったら60.8K。
退院後一時60.0Kまで落ちた体重がわずかずつですが増加に向かってきました。
食事の量が増えているわけではないけれど、楽に食べれるようになった分、きっと効果的に栄養が吸収できるようになったのではないだろうか。
お酒の量、こっちはあまり増えてはいけないんだけれど、今普通に350のビールと焼酎ボトル半分を飲んでいて全然平気だという事実。残った胃が極めて正常に働いている証拠だと思います。
退院後、コップ一杯の水もなかなか飲みきれなかったのが、今は割と簡単に飲めるようになりました。
お陰で脱水を心配していたランも、長い距離を走らなければ心配はなくなりました。
仕事も勤務再開してちょうど二週間。通勤も何も心配もなく、フルタイム何も気にならないで勤務できるようになりました。
もちろん、会社の配慮もあり定時に業務を終了するようにしていますが、今日は本当に体調も良く帰宅して走りたいという気持ちになり帰宅後ランを実施しました。
5Kをゆっくり走り、まだまだ走れるという状態になってきています。
ちなみに今日は、5K 30分36秒。
確実に回復しています。
外での宴をそろそろ再開します。もちろんまだちょっと怖いので、決して調子に乗らず無理しないことが前提ではありますが。
20日金曜日、会社で同僚の女性の結婚祝いと私の快気祝いがあります。
そして、12月には忘年会が入ってきています。
12月20日ころ、つどーむに出没しようと思っています。
少し長めに走るつもりで1か月調整していきます。
ゆっくりですが確実に回復しています。
孫も寝返りをうったと娘から報告がきました。
今日のお酒もおいしい。
退院後一時60.0Kまで落ちた体重がわずかずつですが増加に向かってきました。
食事の量が増えているわけではないけれど、楽に食べれるようになった分、きっと効果的に栄養が吸収できるようになったのではないだろうか。
お酒の量、こっちはあまり増えてはいけないんだけれど、今普通に350のビールと焼酎ボトル半分を飲んでいて全然平気だという事実。残った胃が極めて正常に働いている証拠だと思います。
退院後、コップ一杯の水もなかなか飲みきれなかったのが、今は割と簡単に飲めるようになりました。
お陰で脱水を心配していたランも、長い距離を走らなければ心配はなくなりました。
仕事も勤務再開してちょうど二週間。通勤も何も心配もなく、フルタイム何も気にならないで勤務できるようになりました。
もちろん、会社の配慮もあり定時に業務を終了するようにしていますが、今日は本当に体調も良く帰宅して走りたいという気持ちになり帰宅後ランを実施しました。
5Kをゆっくり走り、まだまだ走れるという状態になってきています。
ちなみに今日は、5K 30分36秒。
確実に回復しています。
外での宴をそろそろ再開します。もちろんまだちょっと怖いので、決して調子に乗らず無理しないことが前提ではありますが。
20日金曜日、会社で同僚の女性の結婚祝いと私の快気祝いがあります。
そして、12月には忘年会が入ってきています。
12月20日ころ、つどーむに出没しようと思っています。
少し長めに走るつもりで1か月調整していきます。
ゆっくりですが確実に回復しています。
孫も寝返りをうったと娘から報告がきました。
今日のお酒もおいしい。
2009年11月17日
まだまだ
私はこの12月で51歳になります。
ネットで知り合ったランナーで、昭和33年12月生まれの方は、かくさんますたー・GOさん・LEONさんと何と3人もいます。
マスターは夜の仕事というなかなんとか時間を作り、年々走力を上げ去年初めて北海道マラソンを完走しましたし、限られた練習の中まだまだ走力をアップしています。
そして、GOさん、LEONさんは絶え間ない努力でサブスリー現役ランナーでもあり、まだまだ進化し続けているランナーです。
お二人は来週大田原に参加し、お互い目指しているタイムに向かっています。
ぜひ、普段の練習どおりの力を発揮され、目標達成されますよう心から願っています。
みなさんの努力と活躍には本当に大きな力をもらっています。
私もまだまだ出来る、速くなると信じることが出来るのも、彼らの頑張りのお陰です。
今回ちょっと休んでいますが、しっかり回復して、自分を信じあきらめないで自分の目標に向かって走り続けてみようと思っています。
以下、私の今のベストタイム。
あらためて並べてみて、まだまだタイムは伸びると自分に信じ込ませることにします。
5k 18分44秒 (2006.9.24 余市)
10K 39分26秒 (2007.5.27 ラニングオン)
ハーフ 1時間26分45秒 (2009.4.19 伊達)
フル 3時間07分33秒 (2007.10.7 別海)
ウルトラ 8時間54分08秒 (2008.6.22 サロマ)
来年、ウルトラはちょっと無理だけど、それ以外はタイム更新がんばってみよう。
ネットで知り合ったランナーで、昭和33年12月生まれの方は、かくさんますたー・GOさん・LEONさんと何と3人もいます。
マスターは夜の仕事というなかなんとか時間を作り、年々走力を上げ去年初めて北海道マラソンを完走しましたし、限られた練習の中まだまだ走力をアップしています。
そして、GOさん、LEONさんは絶え間ない努力でサブスリー現役ランナーでもあり、まだまだ進化し続けているランナーです。
お二人は来週大田原に参加し、お互い目指しているタイムに向かっています。
ぜひ、普段の練習どおりの力を発揮され、目標達成されますよう心から願っています。
みなさんの努力と活躍には本当に大きな力をもらっています。
私もまだまだ出来る、速くなると信じることが出来るのも、彼らの頑張りのお陰です。
今回ちょっと休んでいますが、しっかり回復して、自分を信じあきらめないで自分の目標に向かって走り続けてみようと思っています。
以下、私の今のベストタイム。
あらためて並べてみて、まだまだタイムは伸びると自分に信じ込ませることにします。
5k 18分44秒 (2006.9.24 余市)
10K 39分26秒 (2007.5.27 ラニングオン)
ハーフ 1時間26分45秒 (2009.4.19 伊達)
フル 3時間07分33秒 (2007.10.7 別海)
ウルトラ 8時間54分08秒 (2008.6.22 サロマ)
来年、ウルトラはちょっと無理だけど、それ以外はタイム更新がんばってみよう。
2009年11月16日
日曜日
11月15日、さよならマラソンの応援に行ってきました。
朝から雨模様でちょっと躊躇していましたが、家にいてもただうだうだするだけなので、思い切って9時30分家を飛び出ました。
女房から、「走るんじゃないよ。」という言葉を背中に浴びせていたようですが、「うん。」と軽く答える私でした。
苗穂でJRを降り河川敷沿で会場に向かうのですが、ちょうど雨は降っていないのです。女房の言葉はこの時点でどこか遠くへ行ってしまい、すたこら走り始めていた私です。
会場まで3K程度、本当に軽く走って到着。お知り合いランナーとご挨拶を交わしているうちに、クォーターのスタート時間(11時)が迫ってきました。
スタート地点から少し離れたところで待機し、クォーターランナーを見送った後に最後尾にくっついてまたすたこら走り始め、結局また苗穂付近までのランとなりました。
この地点ではハーフ・クォーターのランナーが入り乱れていて、それぞれに参加しているランナーに声かけたあとに再び会場へ向かっていくのでした。雨がやんでいるときだけちょこっとランをしています。
会場に戻り、クォーターの表彰を見てまた再び苗穂に向かって河川敷を進みます。そしてやはり雨がやんでいるときにちょこっとラン。
結局何だかんだといって8K程度走ったことになるのかな。
そして、同じくらいの距離は歩いていると思われますので、昨日の運動量は退院後最大になったのでした。
さすがに疲れました。帰宅してからお休みなさい、となっていた私です。
しかし、一日はこれで終わりにしてくれない。
ドームに二日続けて「嵐」のコンサート見に行っている次女ちゃんのお迎えが、最後に待っていたのでした。
お疲れ様でした、ヨーイチ君。
朝から雨模様でちょっと躊躇していましたが、家にいてもただうだうだするだけなので、思い切って9時30分家を飛び出ました。
女房から、「走るんじゃないよ。」という言葉を背中に浴びせていたようですが、「うん。」と軽く答える私でした。
苗穂でJRを降り河川敷沿で会場に向かうのですが、ちょうど雨は降っていないのです。女房の言葉はこの時点でどこか遠くへ行ってしまい、すたこら走り始めていた私です。
会場まで3K程度、本当に軽く走って到着。お知り合いランナーとご挨拶を交わしているうちに、クォーターのスタート時間(11時)が迫ってきました。
スタート地点から少し離れたところで待機し、クォーターランナーを見送った後に最後尾にくっついてまたすたこら走り始め、結局また苗穂付近までのランとなりました。
この地点ではハーフ・クォーターのランナーが入り乱れていて、それぞれに参加しているランナーに声かけたあとに再び会場へ向かっていくのでした。雨がやんでいるときだけちょこっとランをしています。
会場に戻り、クォーターの表彰を見てまた再び苗穂に向かって河川敷を進みます。そしてやはり雨がやんでいるときにちょこっとラン。
結局何だかんだといって8K程度走ったことになるのかな。
そして、同じくらいの距離は歩いていると思われますので、昨日の運動量は退院後最大になったのでした。
さすがに疲れました。帰宅してからお休みなさい、となっていた私です。
しかし、一日はこれで終わりにしてくれない。
ドームに二日続けて「嵐」のコンサート見に行っている次女ちゃんのお迎えが、最後に待っていたのでした。
お疲れ様でした、ヨーイチ君。
2009年11月14日
復活(アルコール?)
これは、昨日飲んでいたお酒です。両方ともトライアルで買ってきたものですが、左は350の第三のビール、右は焼酎のボトルです。昨日、ビール一本飲んだあとに焼酎お湯割にして半分以上飲んでいました。
アルコール復活は意外と早いかも、というか、もうすでに人並みに飲んでいるといえるのかな。
今日一日雨でしたね。
最初からランはあきらめていたので、トイザラスに孫ちゃんのクリスマスプレゼントを見に行ってきました。孫ちゃんが出来ると、あれもこれも買ってやりたいと思う気持ちがしっかり生まれる、まさにジジの心境になるもんだな。
トイザラスには我が家の子供たちが小さい頃は随分行ったけれど、久しぶりで随分変わったような気がしました。
その後娘と孫ちゃんを誘って家に連れてきて、今食事を一緒にしたのですが、次女がいない。
次女は嵐のコンサート、それも今日と明日の二日とも行くんだってさ。
札幌ドームで行われるのですが、私の実家はドームから歩いて10分の距離なので、連荘の次女はしっかり実家にお泊りなのでした。
まあいいけど、長女は母して次女は青春しているんだな。
明日、天気次第だけれど、さよならマラソン応援に行こうかな、と思いながら孫ちゃんを送って帰ってきて、飲みながら今日という日が終了していくのでした。
2009年11月13日
おはようございます
退院後少しずつ体調が回復して、いつもの生活に戻りつつあります。
しかし、戻っていないリズムがありました。
朝ランです。
就寝時間の問題もありますが、朝どうしても布団を飛び出して走る気持ちになりませんでした。
昨日強引に10時に布団に入り今朝4時半起き。
軽くですが走ってみます。
いつもの私に戻るために。
(朝ラン後追記)
寒いですね。
でも、朝走るのはやっぱりいい。
長くはまだ走れないですが、身体がよく動くような感じがします。
退院後初めて「気持ちいい」という気持ちになったかも。
本日ラン 4K 22分38秒
今日頑張れば休日です。
しかし、戻っていないリズムがありました。
朝ランです。
就寝時間の問題もありますが、朝どうしても布団を飛び出して走る気持ちになりませんでした。
昨日強引に10時に布団に入り今朝4時半起き。
軽くですが走ってみます。
いつもの私に戻るために。
(朝ラン後追記)
寒いですね。
でも、朝走るのはやっぱりいい。
長くはまだ走れないですが、身体がよく動くような感じがします。
退院後初めて「気持ちいい」という気持ちになったかも。
本日ラン 4K 22分38秒
今日頑張れば休日です。
2009年11月10日
平成21年10月9日
時間は午後5時30分、ぼんやりと目を覚ましました。
目を覚ました瞬間、事態を把握できませんでしたが夢の中から聞こえる女性の声。
「○○さん、大丈夫ですか?」(看護師)
目を開け見廻すと女房の顔。なんとなく理解した私の第一声は、
「今何時?」
女房が
「5時30分」
私
「手術うまくいったの?」
女房
「うん、すべて予定通りだったみたい」
私
「じゃあ、お腹切っていないんだね?」
(腹腔鏡手術で済んだんだよね)
女房
「うん。」
ここでようやっと、胃がんの手術後なんだと理解できたと思います。
平成21年10月9日、私は早期胃がんのため「腹腔鏡下噴内側胃切除手術」を受けました。
1カ月経ちましたので、その時の記憶を辿りながら当日のことを振り返ってみようと思います。
前日(10月8日)いつものように10時半に就寝し、当日は4時半に目覚めています。
就寝前に看護師から、「12時くらいまで寝れなかったら声かけてくださいね。」と言われていました。おそらく安定剤みたいな薬投入も視野に入っていたのでしょう。
しかし、意外と落ち着いていたのが、すんなりといつもより深い眠りだったと思います。
4時半に起きブログの更新をしました。もうすでに飲み物も含め何も口にすることは出来ません。
そして6時、最後の下剤として座薬を投入しました。
その後9時50分点滴投入し、11時ちょっと前に女房が到着しました。
この時間いったい何を考えていたのか今は思い出せません。出来るだけ手術のことを考えないようにしていたとは思いますし、女房の前では何も心配していないという顔をしていたと思います。
しかし、入院前に女房にも言われていたこともあり、万が一の場合の諸手続きについて書いたものを自宅のパソコンのなかに残してきました。
もちろん、信頼していたし、手術での失敗の可能性も極めて低いことも理解していましたが、やはりそれでも万が一のことを考えるとつい残したくなるものです。
家の財産(借金含む)や公的機関の諸手続き関係は、結婚以来すべて私が行なってきたこともあり、女房にとっては全く苦手な分野であります。
そんなことを自宅のパソコンで打ち込んでいたら、ひょっとしたら戻れないこともあるのかな、なんてかすかによぎったこともあったかもしれません。
さて、11時になったら最後の血圧と体温の測定がありました。
血圧 120−75 脈拍 51 体温 36.2
意外と落ち着いているな、と思っていましたし、この時は早く手術室から呼ばれないかな、という心境でした。
12時ついに手術室から声がかかりました。
点滴をつけ歩いて手術室に向かうのです。女房と担当の看護師と一緒に5階から2階へのエレベーターに乗って、手術室の分厚いドアの前に来ました。
手術室前には手術担当の看護師が待っていて、一緒に手術室に入ったのです。
女房とはしばしの別れとなったのでした。
手術室に入ったら手術台が横になっています。
その手術台に三段くらいの台があり、それを上って手術台に自分で横たわりました。
麻酔の準備を麻酔科の医師が行なっている最中に、スタッフから笑いがおこりました。
あれ、何があったのと心の中でつぶやく私。
手術室のなかでは、おそらく有線だとは思いますが音楽が流れています。その音楽がその笑いの源だったようでした。
「氷川きよしですよね。何か違う音楽かけますか? 何か好きな音楽ありますか?」
と笑いながら聞く看護師でした。
「いえ、氷川きよしも嫌いではないのでこのままでいいですよ。」
と私。
「それでは、麻酔を開始します。と麻酔科の医師。
その時間は12時10分でした。
目覚めたのは5時半くらいだったのでした。
少しずつ現況を理解していくうちに、激痛が襲ってきたのでした。
女房が看護師から説明を聞いていましたが、どうやら麻酔から醒めるのが早かったらしく、通常激痛が麻酔で回避できる時間に私は目を覚ましたらしいです。
最大の痛み止めの治療をしてくれましたが、もうこれ以上はできないと宣言されました。
ただ、耐えるしかありません。
両足にはマッサージみたいに定期的に振動する装置をつけられ、尿道には管を入れられ、お腹には2本のドレーン。背中には痛み止めの薬の管、鼻からは胃直通の管が通っており、その外点滴1本に、ICU独特の血圧やらなんやら一目でわかる機械にもどこか接続していました。
要するに全身管だらけで、自由に動くのは両手くらいでした。
痛みに耐えていた私は、どこかにすがりつきたくなり頼ったのは女房の手でした。
手術始まってからひたすら病室で待っていた女房が呼ばれたのは、手術が終了(4時50分頃)してすぐだったらしいのですが、手術室の前で30分また待たされたらしいです。
そして、手術室のドアが開けられ担当医から切除した胃を見ながら手術の説明があったそうです。その時には私はすでにICUに運び込まれた後だったらしいです。
手術自体は4時間40分くらいで終了したらしいとあとから聞かされましたが、私が目覚める直前にICUに入ってきたらしいです。
誰でもよかったと言えば女房には怒られると思いますが、あの場面であの場所にいてくれるのは女房だけでしかなかった。
とにかく女房の手を握り、ただ激痛に歯を食いしばって耐えていたのでした。
手術の経過など女房に聞きながら時間が過ぎ、激痛も徐々に治まってきました。
そして7時40分頃女房が帰り、ICUの夜は更けていき運命の10月9日は終わっていくのでした。
目を覚ました瞬間、事態を把握できませんでしたが夢の中から聞こえる女性の声。
「○○さん、大丈夫ですか?」(看護師)
目を開け見廻すと女房の顔。なんとなく理解した私の第一声は、
「今何時?」
女房が
「5時30分」
私
「手術うまくいったの?」
女房
「うん、すべて予定通りだったみたい」
私
「じゃあ、お腹切っていないんだね?」
(腹腔鏡手術で済んだんだよね)
女房
「うん。」
ここでようやっと、胃がんの手術後なんだと理解できたと思います。
平成21年10月9日、私は早期胃がんのため「腹腔鏡下噴内側胃切除手術」を受けました。
1カ月経ちましたので、その時の記憶を辿りながら当日のことを振り返ってみようと思います。
前日(10月8日)いつものように10時半に就寝し、当日は4時半に目覚めています。
就寝前に看護師から、「12時くらいまで寝れなかったら声かけてくださいね。」と言われていました。おそらく安定剤みたいな薬投入も視野に入っていたのでしょう。
しかし、意外と落ち着いていたのが、すんなりといつもより深い眠りだったと思います。
4時半に起きブログの更新をしました。もうすでに飲み物も含め何も口にすることは出来ません。
そして6時、最後の下剤として座薬を投入しました。
その後9時50分点滴投入し、11時ちょっと前に女房が到着しました。
この時間いったい何を考えていたのか今は思い出せません。出来るだけ手術のことを考えないようにしていたとは思いますし、女房の前では何も心配していないという顔をしていたと思います。
しかし、入院前に女房にも言われていたこともあり、万が一の場合の諸手続きについて書いたものを自宅のパソコンのなかに残してきました。
もちろん、信頼していたし、手術での失敗の可能性も極めて低いことも理解していましたが、やはりそれでも万が一のことを考えるとつい残したくなるものです。
家の財産(借金含む)や公的機関の諸手続き関係は、結婚以来すべて私が行なってきたこともあり、女房にとっては全く苦手な分野であります。
そんなことを自宅のパソコンで打ち込んでいたら、ひょっとしたら戻れないこともあるのかな、なんてかすかによぎったこともあったかもしれません。
さて、11時になったら最後の血圧と体温の測定がありました。
血圧 120−75 脈拍 51 体温 36.2
意外と落ち着いているな、と思っていましたし、この時は早く手術室から呼ばれないかな、という心境でした。
12時ついに手術室から声がかかりました。
点滴をつけ歩いて手術室に向かうのです。女房と担当の看護師と一緒に5階から2階へのエレベーターに乗って、手術室の分厚いドアの前に来ました。
手術室前には手術担当の看護師が待っていて、一緒に手術室に入ったのです。
女房とはしばしの別れとなったのでした。
手術室に入ったら手術台が横になっています。
その手術台に三段くらいの台があり、それを上って手術台に自分で横たわりました。
麻酔の準備を麻酔科の医師が行なっている最中に、スタッフから笑いがおこりました。
あれ、何があったのと心の中でつぶやく私。
手術室のなかでは、おそらく有線だとは思いますが音楽が流れています。その音楽がその笑いの源だったようでした。
「氷川きよしですよね。何か違う音楽かけますか? 何か好きな音楽ありますか?」
と笑いながら聞く看護師でした。
「いえ、氷川きよしも嫌いではないのでこのままでいいですよ。」
と私。
「それでは、麻酔を開始します。と麻酔科の医師。
その時間は12時10分でした。
目覚めたのは5時半くらいだったのでした。
少しずつ現況を理解していくうちに、激痛が襲ってきたのでした。
女房が看護師から説明を聞いていましたが、どうやら麻酔から醒めるのが早かったらしく、通常激痛が麻酔で回避できる時間に私は目を覚ましたらしいです。
最大の痛み止めの治療をしてくれましたが、もうこれ以上はできないと宣言されました。
ただ、耐えるしかありません。
両足にはマッサージみたいに定期的に振動する装置をつけられ、尿道には管を入れられ、お腹には2本のドレーン。背中には痛み止めの薬の管、鼻からは胃直通の管が通っており、その外点滴1本に、ICU独特の血圧やらなんやら一目でわかる機械にもどこか接続していました。
要するに全身管だらけで、自由に動くのは両手くらいでした。
痛みに耐えていた私は、どこかにすがりつきたくなり頼ったのは女房の手でした。
手術始まってからひたすら病室で待っていた女房が呼ばれたのは、手術が終了(4時50分頃)してすぐだったらしいのですが、手術室の前で30分また待たされたらしいです。
そして、手術室のドアが開けられ担当医から切除した胃を見ながら手術の説明があったそうです。その時には私はすでにICUに運び込まれた後だったらしいです。
手術自体は4時間40分くらいで終了したらしいとあとから聞かされましたが、私が目覚める直前にICUに入ってきたらしいです。
誰でもよかったと言えば女房には怒られると思いますが、あの場面であの場所にいてくれるのは女房だけでしかなかった。
とにかく女房の手を握り、ただ激痛に歯を食いしばって耐えていたのでした。
手術の経過など女房に聞きながら時間が過ぎ、激痛も徐々に治まってきました。
そして7時40分頃女房が帰り、ICUの夜は更けていき運命の10月9日は終わっていくのでした。
2009年11月09日
一ヶ月
しばらくは、平成21年10月9日を忘れることはないでしょうね。
私の胃半分がなくなった日です。
でも、きっと10年もすれば身体が何事もなかったような状態になり、この日のこともどこか遠くに思え、あれ手術したのいつだっけ、となって走り回っていることでしょう。
今日11月9日、一ヶ月経ちました。
新しい身体に慣れている途中でちょっとじれったい感じもありますが、必ず以前の身体より進化して見せます。
ゆっくりゆっくりこれからも頑張ります。
私の胃半分がなくなった日です。
でも、きっと10年もすれば身体が何事もなかったような状態になり、この日のこともどこか遠くに思え、あれ手術したのいつだっけ、となって走り回っていることでしょう。
今日11月9日、一ヶ月経ちました。
新しい身体に慣れている途中でちょっとじれったい感じもありますが、必ず以前の身体より進化して見せます。
ゆっくりゆっくりこれからも頑張ります。
2009年11月08日
調子悪い
昨日の夕食時、手術後初めて具合が悪くなりトイレに走りこむことになりました。
充分気をつけて食事していたつもりでしたが、どこか無理したのかもしれません。そして、もう大丈夫という心の油断があったことは否定できません。
それでも、食後に350ビールとウィスキー水割り3杯くらい飲んで就寝したのでした。
そうして向かえた本日、朝から調子が悪かったです。だるくてすぐ横になっていました。
今日は長女も孫もいることもあり、実父母も訪ねてくれる予定です。
何とか買い物と昼ごはんの準備を済ませ、今日の昼は7人+孫ちゃん。賑やかに過ごせましたが、食後実父母が帰ってからまた横になるという一日になりました。
調子が戻ったら走ろうと思っていましたが、あきらめました。
やっぱり病み上がりの体なんですね。
今日はお酒も飲まず、風呂入って暖かくしてとっとと寝ます。
手術は10月9日、今日は11月8日。
ちょうど1ヶ月経ったというか、1ヶ月しかというか、まあそんなもんですから明日からまた頑張りましょう。
充分気をつけて食事していたつもりでしたが、どこか無理したのかもしれません。そして、もう大丈夫という心の油断があったことは否定できません。
それでも、食後に350ビールとウィスキー水割り3杯くらい飲んで就寝したのでした。
そうして向かえた本日、朝から調子が悪かったです。だるくてすぐ横になっていました。
今日は長女も孫もいることもあり、実父母も訪ねてくれる予定です。
何とか買い物と昼ごはんの準備を済ませ、今日の昼は7人+孫ちゃん。賑やかに過ごせましたが、食後実父母が帰ってからまた横になるという一日になりました。
調子が戻ったら走ろうと思っていましたが、あきらめました。
やっぱり病み上がりの体なんですね。
今日はお酒も飲まず、風呂入って暖かくしてとっとと寝ます。
手術は10月9日、今日は11月8日。
ちょうど1ヶ月経ったというか、1ヶ月しかというか、まあそんなもんですから明日からまた頑張りましょう。
2009年11月07日
5K
5K
闘病前では何てことはない、あっという間に終了する距離でした。
今日、天気もよかったし体調も悪くないので5Kに挑戦してみました。
5Kってこんなに長かったですか。そして、K6分でもこんなに苦しいものでしたか。
なんとか5K走れてほっとしています。
復活まではそうとう時間がかかることは、今日の5Kで覚悟しないといけないと改めて思いました。
少しずつ、少しずつ。
5K 30分27秒
走りきれてよかった。
今、長女と孫ちゃんがきています。次女のインフルエンザもすっかり回復しました。長男は朝帰りですが今家にいます。家族5人+孫ちゃんで晩御飯です。
そして、少しだけどお酒飲みながらのファイターズ観戦。
小さいけれど、これが幸せなんだ。
やっぱり家はいい。
闘病前では何てことはない、あっという間に終了する距離でした。
今日、天気もよかったし体調も悪くないので5Kに挑戦してみました。
5Kってこんなに長かったですか。そして、K6分でもこんなに苦しいものでしたか。
なんとか5K走れてほっとしています。
復活まではそうとう時間がかかることは、今日の5Kで覚悟しないといけないと改めて思いました。
少しずつ、少しずつ。
5K 30分27秒
走りきれてよかった。
今、長女と孫ちゃんがきています。次女のインフルエンザもすっかり回復しました。長男は朝帰りですが今家にいます。家族5人+孫ちゃんで晩御飯です。
そして、少しだけどお酒飲みながらのファイターズ観戦。
小さいけれど、これが幸せなんだ。
やっぱり家はいい。
