私が左官の道に入ったきっかけは、父親が左官だったから。もっといえば
代々の左官家に生まれたから。私で5代目の左官屋。
子供の頃。学校で出される宿題。「私のお父さん」という作文には、
左官が良く分からず、大工の分類に入る仕事だと思っていました。
小学校高学年から、たまに現場に連れて行ってもらったりしていた。
自分の将来の夢は、プログラマーになるか、家業を継ぐという、とても惰性的な感じではいました。

そして高校生活。そんな将来のビジョンなんですっかり忘れ、ロックミュージシャンになりたかったあの頃。。。
ano

ギターが欲しくて、父親に頼んでアルバイトをさせてもらっていた。
高校卒業が決まった18歳の冬から春にかけて、父親と結構現場に行っていた。
ある程度の金額がたまり、ギターも買ってアルバイトも終わった頃、母親にスカウトされた。
「あんたこのまま左官屋になったら?ギターも弾き放題だし、車の免許も取れるし」
実は高校卒業後は、大学浪人するつもりだった。あまり気が乗ってはいなかったけど。
ですが、そんな母親の甘い誘惑に後押しされ、実は職人になるのも悪くないとも思っていた。
そんなことで父親に相談したら・・・「一年勉強してみろ。それでダメだったら左官屋になれば良い」


父親は実は大学に行きたかった人らしい。祖父が厳しい人で学校には行かせてもらえず、左官の道に入ったそうだ。
そんなものだから、私には勉強して大学に行って欲しかったのかもしれない。

父親の説得に納得した私は、一年勉強しようと決意し、高校最後のライブに。バイトで買ったギターを持ってステージに上がった。
ライブが終了し、友達の家で打ち上げをしていると、友人宅に母親からの電話。

この電話が私の人生を大きく方向転換させた電話だった。

「お父さんが大変だからすぐに帰って来て」そのまま、友人のお兄さんに
車で家まで送ってもらうと、家にはおびただしい人が集まっていた。
「お父さんが死んじゃったの・・・」
何言ってんだろう?意味がわからなかった。今朝、父親の声を聞いて長野に旅行に行った父親がなんで死ぬのよ?

酒好きの父親は、酔いを醒ますのに風呂に入るのが好きだった。
旅先でもそれをしたらしく、お風呂場でなくなったそうだ。

その時に私は「左官屋になる」宣言をした。

それは、子供ながらに家族を養わなければいけないという、
長男の責任感から出た言葉。今となっては運命のいたずらとしか言いようがない、怒涛の18歳の春。

世間一般的には、ほっと一息ついて新生活を迎えるはずが、
いきなり左官の道に突入した18歳春でした。
この頃、今の自分が全く想像できない、ちっぽけだけど、とても勇気のある私がいた。


左菊では現在職人見習いおよび、職人を募集しております。
こちらをクリック

漆喰・珪藻土・土壁や住まいについての無料メール相談受付中!
左菊の無料メール相談

〓〓〓壁創り100年の匠 漆喰・珪藻土とリフォーム〓〓
〓〓神奈川県三浦市の左官 有限会社左菊はこちら〓〓

〓〓〓三浦半島のリフォームとスローライフ〓〓 
〓〓すまいるネット三浦半島はこちら〓〓