18 歳の春。父親の他界を機に左官の道に入った私。
父親の代わりに叔父が親方になり、おじいさんのお弟子さんとともに、
左菊で左官をするようになった私。
当初は、何もわからず何も出来ない私。とはいうもの、父親と一緒に
現場に行ったので少なからず、まったくの“0”からのスタートではなく、
なんとなく仕事の流れは分かっていた。
いきなり親方がいなくなった左菊は相当ピンチだったのかも知れない。

そんな状況もあり、速く私を一人前にしようと、親方も職人さんも
沢山の事を教えてくれて、実践もさせてくれた。
実はものすごく恵まれた環境であった。言い換えれば、下積みが
あまりない職人になってしまったのかも知れないと、
今でも少しビビっています。(笑)

そんな訳で、少々速く仕事も覚えることができた私。
「・・・なんか左官業って衰退産業なんじゃねえの?」そんな恐怖心が
仕事を覚えるのと比例して大きくなる。


当時(1990年代)の建築業界はこんな感じだった。
すさまじい戦後の復興のなかで、安く・早くの建築が主流になり、
住宅の壁も左官壁から、クロス壁にうってかわってきたところ。
その完成形を迎えると同時に、
その反動として、環境・人体への負荷が見えてきて自然素材が
注目され始めた頃でした。

私の住む、神奈川県三浦は田舎。まだ、衰退が進行していた最中に
私は左官になったらしい(笑)
仕事を覚えて、視野が広くなればなるほど、その恐怖が現実となってきた。
「このままじゃやばい。」
そう思い、私は色々勉強しなければまずいと思い、私は左官を
より深く学ばなければいけないと考えだした。

しかし、親方はそう考えず、左官に限らず、広く学ぶべき。意見が対立した。
答えはどちらも正解だろうが、私にとっては深くした方がそのあとの広がりも出ると思って疑わなかったし、なにより私はそうしたかった。


という事で、左官を知りたいという想いが、インターネットを通じて、
東京の左官。巧左官の鈴木さんとお会いすることが出来た。

鈴木さんは、日本の左官のみならず、世界の漆喰を学んでおられる方。
お会いしてお話をさせて頂くと、そのスケールの大きさに感動しました。
同時に、田舎で将来に不安を感じているだけじゃ、なにも生まれないと思った。
ここから、知りたいという欲求と、もっともっと自由で楽しい
左官の世界があることを知り、

さらなる、探究へと繋がるのでした。


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