2010年11月17日
「踊る阿呆に・・・。」そのⅡ
せっかくどうも、店長の佐久間です。
ご無沙汰・・・です。
実りの秋です。今日りんごの収穫、明日りんごの収穫、たまに柿の収穫、そして週末は仙台へ・・・・・。忙しいです。゜゜(´□`。)°゜。 なので、ブログ遅れてます・・・申し訳ない。
私は15年前、大失態を演じたのです。今も忘れることのできない悔しい思い出があります。
当時私は、町で企画した町おこしグループの一員として活動していました。それはとても楽しく、職種も様々でメンバーの中には旧知の仲の人達も数人いて、終われば必ずです。(⌒-⌒)・・・楽しくないはずはありません。私の役目はイベント部の部長でした。
そこで取り組んだのが町で最大のイベント、「夏祭り」でした。
その夏祭りはそれなりに盛り上がりをみせていました、・・・が。参加している人達の間では、頼まれてやっているとゆう一種の冷ややかな目で祭りを見ている風潮が、色濃く漂っていたのでした。そこで、それをイベント部の活動の題材にしたのです。もっと楽しくもっと多くの人達が参加できる祭りに、がテーマとなったのです。
そのような最中に、当時私が代表をしていた直売所が町の依頼を受け仙台のある祭りに出店した時でした。
そこで見たのです。・・・「仙台すずめ踊り」を、・・・・・。
その踊りの話を持ち帰り紹介したのです。イベント部ではすったもんだの数回のミーティングを経て、この「仙台すずめ踊り」を地元の伝承太鼓と組み合わせ祭り全体の活性化に、とゆう活動の方向性を取ることになったのでした。
メンバーは燃えていました。ゴ━━━(#゚Д゚)=○)`Д)、;'.・━━━ルァ!!
仙台には数度出掛け見学や講習を受け、すずめ踊りの当局とも交流を深めたのでした。そこに至るまでには数多くの皆さんのお世話になったことはゆうまでもありません。本当に感謝・・・・・です。
私達地区の伝承太鼓の大きな特徴は、即興の曲打ちにあります。特に大太鼓は打ち手により異なり舞う様に打ち、小太鼓は大太鼓の打ち手に合わせて囃したてます。多くは屋台や山車に組み込まれて、神輿の渡禦に合わせて練り歩くものです。祭りの盛んな地区では20数件に一台の太鼓屋台があります。また、同じようなリズムは福島県の県北地方一円に広がり、その地区ごとの太鼓の数やチームの数は大変な数にのぼります。
そこに、青森のねぶた祭りのはねこように、この太鼓屋台のリズムに合わせて踊る踊りがあれば、・・・・・なのです.(*´∇`*)
私たちのイベント部はその目標に向かって動き出したのでした・・・・・・・が、しかし。
続きは、後日です。
次回予告、「踊る阿呆に・・・」そのⅢ
ご無沙汰・・・です。
実りの秋です。今日りんごの収穫、明日りんごの収穫、たまに柿の収穫、そして週末は仙台へ・・・・・。忙しいです。゜゜(´□`。)°゜。 なので、ブログ遅れてます・・・申し訳ない。
私は15年前、大失態を演じたのです。今も忘れることのできない悔しい思い出があります。
当時私は、町で企画した町おこしグループの一員として活動していました。それはとても楽しく、職種も様々でメンバーの中には旧知の仲の人達も数人いて、終われば必ずです。(⌒-⌒)・・・楽しくないはずはありません。私の役目はイベント部の部長でした。
そこで取り組んだのが町で最大のイベント、「夏祭り」でした。
その夏祭りはそれなりに盛り上がりをみせていました、・・・が。参加している人達の間では、頼まれてやっているとゆう一種の冷ややかな目で祭りを見ている風潮が、色濃く漂っていたのでした。そこで、それをイベント部の活動の題材にしたのです。もっと楽しくもっと多くの人達が参加できる祭りに、がテーマとなったのです。
そのような最中に、当時私が代表をしていた直売所が町の依頼を受け仙台のある祭りに出店した時でした。
そこで見たのです。・・・「仙台すずめ踊り」を、・・・・・。
その踊りの話を持ち帰り紹介したのです。イベント部ではすったもんだの数回のミーティングを経て、この「仙台すずめ踊り」を地元の伝承太鼓と組み合わせ祭り全体の活性化に、とゆう活動の方向性を取ることになったのでした。
メンバーは燃えていました。ゴ━━━(#゚Д゚)=○)`Д)、;'.・━━━ルァ!!
仙台には数度出掛け見学や講習を受け、すずめ踊りの当局とも交流を深めたのでした。そこに至るまでには数多くの皆さんのお世話になったことはゆうまでもありません。本当に感謝・・・・・です。
私達地区の伝承太鼓の大きな特徴は、即興の曲打ちにあります。特に大太鼓は打ち手により異なり舞う様に打ち、小太鼓は大太鼓の打ち手に合わせて囃したてます。多くは屋台や山車に組み込まれて、神輿の渡禦に合わせて練り歩くものです。祭りの盛んな地区では20数件に一台の太鼓屋台があります。また、同じようなリズムは福島県の県北地方一円に広がり、その地区ごとの太鼓の数やチームの数は大変な数にのぼります。
そこに、青森のねぶた祭りのはねこように、この太鼓屋台のリズムに合わせて踊る踊りがあれば、・・・・・なのです.(*´∇`*)
私たちのイベント部はその目標に向かって動き出したのでした・・・・・・・が、しかし。
続きは、後日です。
次回予告、「踊る阿呆に・・・」そのⅢ
2010年10月31日
「踊る阿呆に・・・・・」
せっかくどうも、店長の佐久間です。
私は今、毎週土曜日と日曜日の両日、仙台の本町で産直市を開いています。福島県伊達地方の特産物を中心に紹介しています。それは20年ほど前より交流が始まり、一年半前から定期的に開催するようになりました。また同じく、本ホームページの開設も時期を同じくして始りました。
この話は後日に、・・・・・です。( ´_ゝ`)ノ
仙台に、ある踊りがあります。それは「仙台すずめ踊り」・・・・・です。
その由来は、伊達正宗が作った青葉城の築城落成の折、大阪の堺より呼び寄せて石垣作りをさせた石工職人達が即興で踊ったといわれ、祭りや祝い事の席でも踊り楽しんだと伝えられています。その後、ある石工家により代々伝え継がれてきました*・゜゚・*:.。..。.:*・゜。
そして、現在もその末裔が伝承者として活躍しています。
もともとは男踊りで、飛び跳ねて踊る姿がすずめが餌をついばむ姿に似ていることと、伊達家の家紋が竹に雀であることから、「すずめ踊り」(正調すずめ踊り)と名ずけられたといわれています。
現在の踊りの形は近年で、仙台市が伝承芸能としてある中学校で取り組んでいたものを発掘し、その歴史性と芸術性に着目、あるバレイ教室の指導者に依頼し現在の踊り方を現代風にアレンジして形作ったものです。(新・すずめ踊り)。
今では老若男女を問わず踊られるようになり、春の「仙台青葉まつり」を中心に年間を通していろいろなイベントで踊られています。特に青葉祭りの前夜祭「すずめ踊りコンテスト」の熱気には圧倒されます。(((( ;゚д゚)))
私の地域、伊達地方には昔から伝わる祭囃子があります。
そのいわれは古く、500年から600年以上前ではないかといわれています。それは、今もその跡を残す銀の採掘現場のあることです。当時、銀の買い付けに京、大阪より商人が訪れており、その商人たちが持ち込んだのではないか・・・・・と。その銀山のある地区に、祇園祭囃子保存会とゆう名前のグループがあることでも知ることが出来ます。
20年ほど前に、あるお祭りでその踊り(すずめ踊り) に出逢った時 感じたのです。 これは俺たちの太鼓のリズムでできる・・・と。そして元をたどれば、その音色(リズム)は同じところに行きつくのでは・・・と。そういえば全国に祇園と名のつく伝承芸能が数多く存在します。もしかしたら有名な小倉祇園太鼓は俺たちの太鼓と兄弟になるかも・・・・・。「仙台すずめ踊り」も、関西京、大阪の流れをくむなら合うはずだ・・・・・、でした。
それから始まったのです。太鼓と踊りの時代を越えた融合を夢見ての挑戦が・・・・・・・・・・・・・。
続きは、後日に。
次回は、「踊る阿呆に・・・・・」そのⅡ、です。
私は今、毎週土曜日と日曜日の両日、仙台の本町で産直市を開いています。福島県伊達地方の特産物を中心に紹介しています。それは20年ほど前より交流が始まり、一年半前から定期的に開催するようになりました。また同じく、本ホームページの開設も時期を同じくして始りました。
この話は後日に、・・・・・です。( ´_ゝ`)ノ
仙台に、ある踊りがあります。それは「仙台すずめ踊り」・・・・・です。
その由来は、伊達正宗が作った青葉城の築城落成の折、大阪の堺より呼び寄せて石垣作りをさせた石工職人達が即興で踊ったといわれ、祭りや祝い事の席でも踊り楽しんだと伝えられています。その後、ある石工家により代々伝え継がれてきました*・゜゚・*:.。..。.:*・゜。
そして、現在もその末裔が伝承者として活躍しています。
もともとは男踊りで、飛び跳ねて踊る姿がすずめが餌をついばむ姿に似ていることと、伊達家の家紋が竹に雀であることから、「すずめ踊り」(正調すずめ踊り)と名ずけられたといわれています。
現在の踊りの形は近年で、仙台市が伝承芸能としてある中学校で取り組んでいたものを発掘し、その歴史性と芸術性に着目、あるバレイ教室の指導者に依頼し現在の踊り方を現代風にアレンジして形作ったものです。(新・すずめ踊り)。
今では老若男女を問わず踊られるようになり、春の「仙台青葉まつり」を中心に年間を通していろいろなイベントで踊られています。特に青葉祭りの前夜祭「すずめ踊りコンテスト」の熱気には圧倒されます。(((( ;゚д゚)))
私の地域、伊達地方には昔から伝わる祭囃子があります。
そのいわれは古く、500年から600年以上前ではないかといわれています。それは、今もその跡を残す銀の採掘現場のあることです。当時、銀の買い付けに京、大阪より商人が訪れており、その商人たちが持ち込んだのではないか・・・・・と。その銀山のある地区に、祇園祭囃子保存会とゆう名前のグループがあることでも知ることが出来ます。
20年ほど前に、あるお祭りでその踊り(すずめ踊り) に出逢った時 感じたのです。 これは俺たちの太鼓のリズムでできる・・・と。そして元をたどれば、その音色(リズム)は同じところに行きつくのでは・・・と。そういえば全国に祇園と名のつく伝承芸能が数多く存在します。もしかしたら有名な小倉祇園太鼓は俺たちの太鼓と兄弟になるかも・・・・・。「仙台すずめ踊り」も、関西京、大阪の流れをくむなら合うはずだ・・・・・、でした。
それから始まったのです。太鼓と踊りの時代を越えた融合を夢見ての挑戦が・・・・・・・・・・・・・。
続きは、後日に。
次回は、「踊る阿呆に・・・・・」そのⅡ、です。
2010年10月22日
「後継者そのⅡ」の2
せっかくどうも 店長の佐久間です。
子供たちの発表会は明日23日です。子供たちの手には、まめが・・・・・。でも嫌がる子供はひとりもいません。まめ ができるのが上手になるための勲章だと先輩たちに聞いているからです。
目の色が変わってきました。(((( ;゚д゚)))
そして、担任の先生も気合いが入ってきました。・・・・・・・・・・ゴ━━━(#゚Д゚)=○)`Д)、;'.・━━━ルァ!! 。
いよいよ本番です。がんばれ、9人の後継者・・・。
この9人の中の、ある児童のおじいちゃんが、私たち大條太鼓保存会発足当時の先生でした。数年前に亡くなりましたが、天才的な技の持ち主でそのテクニックはみんなのあこがれの的でした。もちろんその孫も上手です。今年は先生えの恩返し・・・かな。
その後、大條太鼓保存会は太鼓ブームに乗り、色々のところから声が掛かるようになり、演奏旅行も数多く経験しました。
太鼓をかついで地球の裏側のブラジルに出掛けたこともあります。
太鼓を通して得たもの、それは音色には何の区別も境もなく、ましてや国境もないことです・・・・・。
それにしても子供たちの対応能力には驚かされます。今まで発表会当日の演奏がそれまでの最高の出来でなかった年はありません。それは太鼓の持つ力なのか太鼓の前の子供たちは皆素直になるのです。それに、その集中力の高さを、子供たちだけが持つ特権かの様に発揮してしまいます。
今は当たり前のように、一か月前になると練習が始まります。しかも現在は小学校で自前の太鼓も用意し、上級生が下級生に教えることもできるようになっています。
きのう、最後の夜の練習が終わりました。9人の人生の物語のいちページが、さあ本番です。
そしてまた、新しい後継者の誕生です。(⌒-⌒)
しかし・・・、太鼓で、後継者の一人の私にはまだひとつ、やり残していることがあります。それは、歴史を超えた融合です。
私たちの地域は伊達家の発祥の地です。伊達正宗が仙台に移る前に伊達氏が数百年間納めていた地です。
私は今、仙台でホームページでも紹介している産直市を毎週、土、日の両日開催しています。そして仙台に、ある踊りがあります。
続きは後日に・・・・・。
次回予告、「踊るあほうに・・・」です。
子供たちの発表会は明日23日です。子供たちの手には、まめが・・・・・。でも嫌がる子供はひとりもいません。まめ ができるのが上手になるための勲章だと先輩たちに聞いているからです。
目の色が変わってきました。(((( ;゚д゚)))
そして、担任の先生も気合いが入ってきました。・・・・・・・・・・ゴ━━━(#゚Д゚)=○)`Д)、;'.・━━━ルァ!! 。
いよいよ本番です。がんばれ、9人の後継者・・・。
この9人の中の、ある児童のおじいちゃんが、私たち大條太鼓保存会発足当時の先生でした。数年前に亡くなりましたが、天才的な技の持ち主でそのテクニックはみんなのあこがれの的でした。もちろんその孫も上手です。今年は先生えの恩返し・・・かな。
その後、大條太鼓保存会は太鼓ブームに乗り、色々のところから声が掛かるようになり、演奏旅行も数多く経験しました。
太鼓をかついで地球の裏側のブラジルに出掛けたこともあります。
太鼓を通して得たもの、それは音色には何の区別も境もなく、ましてや国境もないことです・・・・・。
それにしても子供たちの対応能力には驚かされます。今まで発表会当日の演奏がそれまでの最高の出来でなかった年はありません。それは太鼓の持つ力なのか太鼓の前の子供たちは皆素直になるのです。それに、その集中力の高さを、子供たちだけが持つ特権かの様に発揮してしまいます。
今は当たり前のように、一か月前になると練習が始まります。しかも現在は小学校で自前の太鼓も用意し、上級生が下級生に教えることもできるようになっています。
きのう、最後の夜の練習が終わりました。9人の人生の物語のいちページが、さあ本番です。
そしてまた、新しい後継者の誕生です。(⌒-⌒)
しかし・・・、太鼓で、後継者の一人の私にはまだひとつ、やり残していることがあります。それは、歴史を超えた融合です。
私たちの地域は伊達家の発祥の地です。伊達正宗が仙台に移る前に伊達氏が数百年間納めていた地です。
私は今、仙台でホームページでも紹介している産直市を毎週、土、日の両日開催しています。そして仙台に、ある踊りがあります。
続きは後日に・・・・・。
次回予告、「踊るあほうに・・・」です。