D' s Basement supplement

キノコ・植物・博物館 このところ通常の更新はTwitterから、となっています。どうも8月21日以降設定変更されたAtomPubの相性が良くなく、うまくリンクまで設定できていません。なのでうまく更新されていないと感じたら http://twilog.org/sakumad2003/ をご確認ください

エルサレム雑感

エルサレム滞在は個人的には観光以上の何かを持っていた。
それは自分の個人形成のバックグラウンドとしてのカトリッククリスチャンとしての背景のなにかであり、ある意味そうしたおかげで民族や宗教、というものを無視せずに現実世界と向き合って文学や歴史の背景理解をしようとしてきた20代の自分との再開のようなものであった。別に隠すつもりもないし、文章としても書いてきたことだが、20前後の時間の多くは、横浜教区カトリック学生連盟というグループに身をおいていた。本部代表まで努めたので、まぁどっぷりと言ってもいいのだろう。土日に仕事を持っている現在、教会に通うという日常は私の中にないが、早朝に一人でエルサレムをさまよった時間にふと自分の中に呼び覚まされたフレーズもあった。

学連の祈り

全能永遠にまします天主
願わくは精霊を遣わし給いてこの集いを祝し
我らをして主の善徳に習わしめ
愛と忠実と深き謙遜とを持って
我らの言葉と活動とを
御身の御栄のために
捧ぐるを得しめ給え
我等の主イエズス・キリストの名によりて
願い奉る
アーメン


たしかなにかの「派遣を求める祈り」のバリエーションであるが、
少なくとも90年代の横浜教区カトリック学生連盟では、例会を始めるときにこれを唱和していた。早朝の聖墳墓教会で祈りの間でふと断片的に思い出し、全文を思い出したのは小一時間ほどたってからだった。自分の中に全文が残っていたのを驚くような、喜ぶような。もうひとつは「学連聖歌」とされていた「おおしくも」かな。

「おおしくも」
おおしくもいさぎよし つわものぞ主のため
そのいのちささげたる あわれそのいさおし
あめつちはよしや つくるともそのみなは
つきせずとこしなえに

主を知らぬ世のために いのちすらおしまで
血潮もて示したる とおつおやのいさお
あめつちはよしや つくるともそのみなは
つきせずとこしなえに


いつわりをゆるさざる けがれなきこころを
ひのもとにかかげたる その愛ぞとうとき
あめつちはよしや つくるともそのみなは
つきせずとこしなえに


記憶だけなのでちょっと歌詞曖昧。いつか、自分の葬儀に学連関係者がいたらぜひ歌ってもらいたい聖歌である。内容はキリスト教伝来の頃の信者、いわゆる26聖人のことを歌っている。

しかし、こうしてみるとどちらも見事に古文調であり、大学生が「インテリ」だった私達より前の時代の名残だったかもしれない。「おおしくも」の方は聖歌集にのっているのと比べてもかなり時代がかっており、「軍歌みたい」という声もあったほど勇壮な感じがある。

まぁ、どういう意味かの解説を高校生にしなきゃならなかったのを思い出す。
検索してもすぐには出てこなかったので、自分用にメモ。

最後のギャラリートークで喋ったこと

きのこ展

今回のきのこ展では9回のギャラリートークを行ったが、最終日に番外編としてもう一度行った。
蛍の光が流れてもお客さんが展示物の前から動かないのを見て、区切りが必要と考えて、16:50分からクロージングアドレスとして行った。
話したのは、
私がきのこの研究に踏み入ったのは大学院から、と比較的遅かったといえるでしょう。
その最初の何もわからない頃に、いろいろ教わったのは関西菌類談話会の上田さん、吉見さん、そして本郷さん、まだ滋賀大学にいらっしゃった横山さんといった方々でした。
そして縁があって、博物館に就職をし、彼らの資料を博物館で引き取ることができました。でも、同時にそこで終わらしてはいけない。
ここに展示したように、多くのアマチュアが研究者と相互に影響をしあい、本郷さんも川村さんや今関さんの影響を受け、川村さんも本草学者や海外の研究者の影響を受けてきました。
そうした、新旧世代をつなぐのは図鑑などとともに、標本でした。今関さんも安田篤の残した標本をもとに研究をし、今井三子も南方熊楠の標本を活用していました。
そうして受け継がれたものを、これからの研究に、これから学んでいただく皆さんにつないでいくために、今回の特別展を開催しました。
先人の膨大な資料が伝えるきのこの魅力で、私も勉強してみたい、自分も標本を作ってみようという人が一人でも現れたら望外の喜びです。そこまで行かなくても、山できのこを探してみようでもいいし、今夜の晩御飯にきのこを食べよう、でも構わないとおもいます。
きのこ展に来てくださった皆さんが、きのこの魅力になにかしら感染して、明日からの自然の味方がちょこっとでも変わっていたらと思います。

本当に最後まで熱心にご覧頂きましてありがとうございました。

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表現としての博物館展示(きのこ展の閉幕に向けて)

きのこ展

特別展「きのこ!キノコ!木の子!」は今日を含めてあと2日間で閉幕をする。
いろいろな展示内容を詰め込んでみたが、実現した展示も、作りきれなかった展示もある。

この特別展にあたって、作った解説書は前回同様、きのこを学ぶための入門書としてつくったので、一部は展示とも重複するがほとんどが独立のプロットとなっている。造り手としては同時に2つのプロダクトを準備し、同時にリリースするというかなりしんどいやり方にチャレンジしてみた。

そして同時に、今回の特別展は特に、展示を公開して完成とせずに、だいぶ展示品を入れ替えたり追加したりを続けた。最終週まで。相談コーナーに(なるべく)座り続けたことも含めて、展示を作り上げてリリースではなく、ずっと関わり続けた展示となった。

特別展は通常、「ケースを閉めたら観客にその解釈をゆだねるもの」として捉える学芸員が多い。しかし、毎週末のように開催したワークショップ、ギャラリートークを含め、うちの特別展はムーブメント的な側面が強い。これは、市民参加型で作り上げた特別展では、皆で取り組んできたことのグランドフィナーレ的な側面があるためになおさらでもある。今回の特別展も過去ずっとアマチュアの皆さんに支えられてきたものを表現している、という部分はなくはない。

しかしそれよりも、今回のきのこ展は一学芸員としての佐久間の、盛り込みたいこと、伝えたいことをベースに作り上げたプロダクトという側面が強い。「記名性のある展示」ということは実は私達が大切にしていることでもある。その意味ではこの展示は紛れもなく佐久間のプロダクトとなっている。

以前全国美術館会議の教育普及部会で呼ばれて講演をしたときに、美術系の学芸員と、作家(画家)と、自然系の学芸員で話をしたときに、自然系の学芸員と作家の立ち位置のほうが美術系学芸員よりよほど近い、ということが非常に新鮮であった。これは自然系だけでないかもしれないが、自分の研究を背景に、体系を示す展示を行う場合には学芸員は一人称で語る。
美術館学芸員にとって、一人称は作家(画家)のものである。一人称の声をなるたけ邪魔しないように、小声で三人称で語っているように思う。主張ができるのは作家本人が参加して回顧展をやる場合、などだろう。
配列などで語らせることはあっても、作品の個性を超えて美術史の体系を語るのはうるさかろう、という気持ちはわからないでもない。(でもそういう特別展も時々面白いなぁと思うものに出会う)

今回のきのこ展では、様々な声を展示に載せた。学芸員の想いや目線だけでなく、様々な文学作品のきのこへの言及(はしゃぐ牧野富太郎を含む)、過去の菌学者の目線も文字にして示した。多少うるさいほどだったかもしれない。しかし多くの観覧者は驚くほど解説を読んでくれている、というのは主催者としては予想外の熱量を感じる瞬間だった。

展示の冒頭にインデックスとなる3つの展示を作った。たくさんの標本を展示したのはきのこの見方を伝えたいこと、生活の中のきのこを伝えたいこと、きのこを見つめた菌学者の目線を伝えたいこと、それぞれをフリーズドライ標本、しいたけ栽培やまつたけ狩りのパンフ、図鑑原画を展示したケースとパネルで端的に示した。これは一人称で語る展示でしかできないことなのだろう。

そして、解釈を委ねず、質問に曖昧にではなくできるだけ明確に答え、ギャラリートークでも研究に基づいた菌類の生態を語ってきた。「皆の想像をふくらませる」というのとは少し違い科学でわかること、わからないことにどうアプローチしているのかをできるだけ平易に伝え、「わからない」ことへのチャレンジの面白さ、「知的好奇心」を刺激してきたつもりだ。科学においては勝手に想像させることが好奇心をふくらませるのではなく、過去チャレンジを知り、いくつもの可能性が立たれた先にある追求の中にこそ好奇心がある。過去の積み重ねを嫌というほど見た上での展望、これがグーグルスカラーに書かれた「巨人の肩の上に立つ」である。

科学の特別展において膨らませてほしいものは好奇心であるそれは、語り手の抑制の中で呼び覚まされる想像力とはちょっと違うだろう。研究者が自らの信じることを語る教育的アプローチと、それを抑えて相手の論理を引き出す交流アプローチは異なる手法だ。きのこを求めてやってくる人々を想定して、その沼の深さを、奥深さを示すことを画策して、きのこグッズの展示やキャラに全く逃げず、菌学、きのこの探求というストロングスタイルで展示を語りきったつもりである。

さて、この展示はあと2日で扉が閉まる。そのときは作者としての私も全く手が出せなくなるわけだ。観覧者に対してどういう印象を残したのか、その評価は展示の意図したことに対して、どう効果が上がったのかで評価したいと考えている。その意味では、「展示で伝えたいこと」は私にとっては特別展という博物館事業の求めるゴール、ミッションでもある。それは明示しておいたほうが少々強引な一人称の語り口も理解しやすかろうという見取り図でもあったわけだが、それが成功したかどうかは、まだわからない。アンケートや様々な評価分析で改めて検討してみるべきものだろう。






THETAで空間アーカイブ

横須賀市大滝町のサクマ商店をTHETAでアーカイブしてみた
まずは1F。入り口から奥へ。
横須賀市大滝町 サクマ商店 1F-0 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-1 #theta360 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-2 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-3 - Spherical Image - RICOH THETA



この辺から毛糸コーナー
一番奥の少し下がったあたりだ
大滝町 サクマ商店 1F-4 毛糸売り場付近 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-5 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-7 - Spherical Image - RICOH THETA



見事に商品がいっぱい。
大滝町 サクマ商店 1F-6 - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-8 - Spherical Image - RICOH THETA



階段下のあたり
大滝町 サクマ商店 1F-9 階段下あたり - Spherical Image - RICOH THETA



大滝町 サクマ商店 1F-10 - Spherical Image - RICOH THETA




撮影者と社長が写り込んでますが
大滝町 サクマ商店 1F-11 - Spherical Image - RICOH THETA



M2, 2Fはまた。

身近なコケ

コケにも沢山の種類があると聞いたんだけどまちなかに分布する全種の生態と分布を教えてほしいという非常にアバウトな質問を頂いた。
どう答えたものかとおもいつつ、以下のような答えを書いてみた

ご指摘のように「コケ」とひとことで言っても沢山の種類があります。平凡社の「日本の野生植物コケ」によれば、国内のコケ植物は1700種を超えるといいます。ただし、この数字は生物学的にコケ植物としてあつかわれるものだけですので、日常的に「コケ」とよんでいるものはウメノキゴケなどの地衣類も含んでいますから、その数はもっと増えます。
ではこのうち、まちなかにはどのくらいの数のものがいるでしょうか。難しい質問ですが、全国農村教育協会の「校庭のコケ」という本には190種が掲載されています。実際にはこの190種以外の苔も長居公園などにも見つかりますし、大阪では近所の公園にはいない種類も載っています。ですが、コンクリートの目地などによく見るギンゴケやホソウリゴケ、溝などによく見るハリガネゴケの仲間やジャゴケなど、コンクリートの上をオレンジ色に染めている地衣類のダイダイゴケなど、主なものはしっかり調べることができます。図書館などで借りてみるときっと参考になると思います。

参考になるかどうかわかりませんが、以下は無料で閲覧いただけます。

日本の貴重なコケの森 「京都市東山山麓」
https://ci.nii.ac.jp/els/contents110009662797.pdf?id=ART0010139650

大阪府蘚苔類資料1 大阪城公園の蘚苔類
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/publication/bulletin/bulletin/62/62-002.pdf

大阪府蘚苔類資料2 長居公園(大阪市)の蘚苔類
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/publication/bulletin/bulletin/64/64-004.pdf

大阪府蘚苔類資料3 万博記念公園(吹田市)の蘚苔類
http://www.mus-nh.city.osaka.jp/publication/bulletin/bulletin/68/68-004.pdf

大阪府地衣類資料機ツ控鏝園(大阪市)の地衣類相および 日本新産種を含む興味深い4種について
https://omnh.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1235&file_id=22&file_no=1

博物館は20年後の自画像を描けているか?

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先日、上野の東京文化財研究所で開催された日本博物館協会と学術会議の合同開催による
シンポジウム
これからの博物館の在るべき姿
〜博物館法をはじめとする関連法等の改正に向けて〜

に参加してきた。
日本学術会議 史学委員会 博物館・美術館等の組織運営に関する分科会からは 「21 世紀の博物館・美術館のあるべき姿 ―博物館法の改正へ向けて」 という提言がなされ、
また日本博物館協会からも「博物館登録制度の在り方に関する調査研究」報告書が刊行されたのを受けて開催されたものだ。 100名あまりの参加。チラリと見回しただけでも中部、関西、中国地方からも、参加者がチラチラ。館種も自然、美術、歴史といろいろ。規模も中小館も含めてと、事前の広報が弱かった割には結構意識高い学芸員から注目されたシンポと感じた。
内容について、いずれオフィシャルにも何か出されると思うが印象に残ったものを羅列的に。
学術会議側から
  • 日博協の登録制度の報告書は案外高く評価してもらえた。(リップサービスもあるかも)
  • 人類と社会のため、だけでなく個人のためにという視点。
  • 博物館を研究機関として大学関係者側から認知させるのはまだ案外大変。
  • そのことには現行の学芸員資格だけでは駄目なのだろう。
  • もちろんその一方で学部卒で学芸員になっている人は非常に少ない、という実態があり、大学院を終えて学芸員になっている現実が伝わっていない。
  • 日本の研究をそこ上げるために博物館の研究条件をどう上げていくのか、その合意形成を図っていかなくては。
  • 文明装置としての博物館をあるいは国家の宣伝装置としての博物館のところも気をつけないと。
  • 研究条件の事も相まって、博物館にどういう職が必要なのか、そこらを真剣にデザインして行かないといけない。
日本博物館協会側からは

  • 平成29年法改正で積み残された登録制度と「望ましいあり方」のねじれ。
  • 今回の登録基準案では、ははひろくミニマムなスタンダードをクリアできれば博物館として認め、ただし、定期的な再認証で改善が図られることを求めた。
  • より高い目標ハイアースタンダードとしての基準も作る
  • そうした部分を一気に法制化するのは難しいので自主認証などの仕組みも検討したい
  • 法の体系、所管官庁の機構改革、ICOMの博物館の定義など、様々な要素を睨んで検討を深めていく必要。

こうした議論を聞いて、私が思ったことは、まず個々の博物館で、自分の館にはどんなスタッフが必要なのか。考えておくべきだと思う。
  • なんでもできるスーパーマンは居ない。いや、スーパーマンに何でもやらせていたら単なる雑用係にしかなれないと言うべきか。
  • 学芸員資格にしても、あれは本当に学芸員になるための制度なのか。博物館経営論や展示論にしても、あれぐらいのベーシックなことは事務型の総務担当やエデュケーターも知っておいた方がいい。
  • ましてや事務長や館長になる人間は必須とすべき内容だ。
  • 学術会議の研究職と事務職みたいな二分法で考えない方がいい。研究と教育の両輪で活躍できるのは教員も学芸員も悪くないし、アドミニストレーションなんて研究者がやっても事務的内容がすごく多い。でもそこもやる人は必要。事務だけど研究の面白さ知ってる広報担当や事業連係担当がいたら素晴らしい。
  • これからは博物館のことをよく知ってる学芸員と役所から来た事務とが対立して回すのではなく、物と研究を扱う学芸員だけでなくてアーキビストとか司書とか教育スタッフとかコミュニケーション担当とか、製作スタッフ、そして寄付金集め、行政連携担当などなど、違う専門を持ったプロ集団が博物館を回していくやり方にしていきたい、というかすべき。そのためにどんな専門スキル教育が必要なのか。
  • そんな中で学芸員資格とか教育をデザインしたい。ミュージアムベーシックというのなら学芸員だけでなくてそれらの職種全部を視野にいれるべきだ。
  • もっと言えば、キャリアの中で自分が次に博物館の中でどういう役回りをしたいかセルフデザインできているか、という事も問われるだろう。そのときに、足りないスキルを身につける方策があるか。
  • そんなことが可能なような研修機会がたくさんあるといいと思う。学芸員課程は資格を出して終わりじゃなくてアフターサービスで存在感を示そう。
こうして博物館が20年後の自らの姿を想像して、どういう人材が揃っていてほしいか、今の若手が自分が退職する頃にどういう人材を採用したいのか、想像して制度設計の青写真を描いて、ようやく実現するかどうか。(そんなスピード感ではダメだろう、とは思うけど人材育成の制度を来年変えてもその人材が育って博物館で活躍するのはどんなに早く立って4〜5年位あとだ。制度を変えるのにだった数年はかかる)。
博物館の高機能化や学芸員の高度化はそんなふうに我が事として考えていきたい。

2017年懺悔その3 博物館学

結果的に見ると2017年一番豊作だったのは博物館学関係かもしれない。
それは昨年3月で科研費が一つ終わり、その成果出しとしての報告書がで、それに関連した発表や執筆の機会が多かったことがある。
報告書で私が主に関わったのは以下の5報。

日本の博物館のこれから 「対話と連携」の深化と多様化する博物館運営 
(こちらから各論文を閲覧・取得できる)

山西良平・佐久間大輔 はじめに
佐久間大輔 博物館の市民対話と協働 成長のための今後の課題
和田岳・佐久間大輔 ミュージアムショップは売店でよいか?
佐久間大輔・大原昌宏 資料管理と保全をめぐる対話と連携 -市民参加型のバックヤードマネジメント-
佐久間大輔 博物館総合調査から見た直営館と自治体出資法人指定管理館の現状と課題 -運営の継続に向けた課題を中心に-

実際にはそれだけでなく関連した口頭発表もあり、

日本生態学会
佐久間大輔 2017自由集会 [W15-5] アーカイブ活動への市民参画のためのバックヤード公開―デジタル化と市民科学の二兎を追うアメリカの博物館の模索は日本でも通用するか?

全日本博物館学会 口頭発表
佐久間大輔 2017 市民と博物館の関わりから見る「対話と連携」

特集として
佐久間大輔2017安定した博物館運営のための基盤を維持するために 対話と連携の残る課題全科協ニュース vo47no5「対話と連携から築く博物館運営
−現状を俯瞰し将来を考える −」
http://jcsm.jp/wp-content/uploads/news/PDF/vo47no5.pdf

があった。

この他に、3年ぐらい越しでようやく出た
Daisuke SAKUMA 2017 How should we prepare for the next disaster? The present situation of Japanese biodiversity heritage
http://www.iubs.org/fileadmin/user_upload/Biology-International/BI-Specials/BI_Special_Issue_No-36_beta_2_web.pdf


公益財団法人日本博物館協会 「博物館登録制度の在り方に関する調査研究」報告書(平成29年3月)
https://www.j-muse.or.jp/02program/projects.php?cat=10
もある。

その他に、
佐久間大輔・横川昌史・釋知恵子・山中亜希子(2017)「自然史系博物館における子どもワークショップの展開と課題」『子ども博物館楽校』7:18-25
https://www.dropbox.com/s/i2mhgt17j5av760/%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%A0%A1sakuma.pdf?dl=0

2015(平成27)年度 博学連携シンポジウム「大学の“学芸員養成“教育と博物館―文化の視野を広げるために―」三重大のアーカイブ


佐久間大輔 2017 地域の核として信頼されるために:行動規範を館の活動に活かすポイント 全科協ニュー
ス47(4):9
http://jcsm.jp/wp-content/uploads/news/PDF/vo47no4.pdf

佐久間大輔 2017 博物館の当事者は誰か――カルチャーをつなぐために
『友の会で語る博物館の楽しみ方 博物館友の会20周年記念誌』 神奈川県立生命の星・地球博物館友の会 http://blog.livedoor.jp/kpmtomo/archives/51953772.html



ICOM NATHIST
DAISUKE SAKUMA 2017
The Role of Local Natural History Museums for Developing Biodiversity Conservation Strategies

等色々書いた。

これも3年越しぐらいのSNS本は、11月に初稿を返却したので今年には出るだろう。まぁこれぐらい仕事しておけば、分野としての貢献はさせてもらっているのかなとも思うけど博物館学雑誌とかに書かないとダメかなぁ。
博物館関係の科研費は現在も研究協力者として関わるものが一つ、申請中の課題が3つくらいある。どれか一つくらいは採択されてくれないかなぁ

展望は組織の独立行政法人化の動きと科研費がどうなるかによってフレキシブルにいきたいと考えている。(まぁ明言できないところが多いかな)

2017年懺悔その2 キノコ関係

きのこに関する昨年の懺悔はこちら

菌学会に行き損ねたので、

関西菌類談話会
佐久間大輔 2017 菌類コレクションはどのようにして形成されるか採集者の多様性  

文化財科学会公開講演会
佐久間大輔 2017 被災文化遺産を有害生物から守る

ぐらいでしか発表していない。(あまり良くない)
全体的にいうと、
昨年の菌学会フォーレのまとめはした。でもそこで発表した内容の投稿はできていない。正月休みに着手中。

具体にはこちら
龍谷大学自然誌研究報告 : 第1報「龍谷の森」の菌類相目録1
https://opac.ryukoku.ac.jp/webopac/TD32021273

佐久間大輔・名部みち代・森本繁雄・田中千尋 2017 2016年度菌学会菌類観察会(大津フォーレ))の狙いと工夫. 日本菌学会ニュースレター2017−2(3月):2-4

保坂健太郎・細矢 剛・佐久間 大輔ほか 2017 2016 年度日本菌学会菌類観察会目録 日本菌学会ニュースレター2017−2(3月):5-10


以下の3本は共著者の皆さんのおかげです。

野村ほか 2017 食中毒を引き起こす有毒キノコの種特異的プライマーによるスクリーニング法の開発
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi/58/3/58_132/_article/-char/ja/

佐久間大輔・木村全邦 2017 失われた奈良県産アカイカタケ標本とその記録 関西菌類談話会会報34:14-15.

Reevaluation of Japanese Amanita section Caesareae species with yellow and brown pileus with descriptions of Amanita kitamagotake and A. chatamagotake spp. nov.
Author links open overlay panel
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1340354017300694

しかし、
この他に
収蔵庫のカビの話や管楽器の話、プライマーの話など3本(いずれも共著)が投稿中なので、まぁ悪くない感じ。あと、菌学会ニュースにも短いお話を書いたのでもうすぐ配布されます。

別記事にも書いたけど、2018年の最大の山はきのこ展。そこに向けて書物をし、標本を集め、キャンペーンを張るのが今年の展望。

民間助成金も、科研費も幾つかの野望を持って応募してみているが、それもきのこ展が一つの焦点になるようになるように描いてみてはいるのだが、果たしてどうなるか。さてさて。

2017年懺悔その1 生態学・里山関係

昨年の懺悔メモ
には
「展望】
キノコと里山の論文は書いてしまう。本も夏前脱稿を目指して書く。草山の件は生態学会に間に合わせ
なくっちゃ。

とある。申し訳ありません。書けていません。実は本の一節を依頼されていたのですが果たせませんでした。痛恨の極み。改めて春までに書きたい(書けなければもしかしたら特別展の図録が最初になっちゃうかも)

【やったこと】
いわゆる学会発表は

日本生態学会
佐久間大輔 2017 過去200年の大阪周辺の景観変化から考える都市と里山
http://www.esj.ne.jp/meeting/abst/64/I01-12.html

第9回文化景観研究会
天満和久・佐久間大輔・道盛正樹 2017 大阪府能勢町の生物多様性ポテンシャルに支えられた銀寄クリ林景観

「地域自然史と保全研究発表会 関西自然保護機構2017年度大会」
 P12:キノクニベニシダとは何か?:数見保則・佐久間大輔(大阪市立自然史博物館)
 P13:科学と環境政策のための根拠標本の行方:佐久間大輔(大阪市立自然史博物館)
ぐらいでした。

里山関係ではほかに主なお座敷は

Osaka City University International Symposium
"Symbiosis of People and Plants for the Future of the City" (June 10-11, 2017)
History of Woodland - What We Can Trace in Their Biodiversity

佐久間大輔2017「大阪の里山と自然」大阪みどりのトラスト協会森人塾(2017.10.15)

ぐらいかなぁ、シンポジウムは
大阪みどりのトラスト協会「里山"いこま" を、まもり、つかう活動交流会 」
関西自然保護機構「都市が里山に関わるということ 森里川海と都市住民」
などをコーディネート

それに対して書いた物は
佐久間大輔 2017. 高校生の課題研究、ポスター発表を考える ― 多様な人材育成のために ―. 大阪の生物教育(大阪府高等学校生物教育研究会誌) 44:59-60
佐久間大輔 2017. 大阪の生物多様性を維持するために−森里川海の多様性ホットスポットの保全と地域・都市における合意形成の重要性−地域自然史と保全. 39(1) 29-36

の2本だけ、とは情けない。(みどりのトラストの会報とかはあるけど)

でも、まぁ
季刊「政策・経営研究」に主著2本+共著が一本投稿済み
日本生態学会誌に1本投稿済み(現在リビジョンを要求されている段階)
なので、まぁ少し許せる感じ。

【進行中のプロジェクト】
・大阪市生物多様性戦略(案外時間を取られている)
もう少しするとパブコメ段階になります。

京都府生物多様性地域戦略(意見募集、1月12日まで!)

・能勢・吹田での森里川海実証事業。これが上記の関西自然保護機構のシンポジウムや書物、文化景観研究会につながっている。クリ林の価値を少し考える切っ掛けにしたいと考えています。これはもうしばらく関わっていくことになるでしょう。

・草山プロジェクト
能勢の話にも関わるものなんだけど、この3月の日本森林学会で少し話します。
3月でプロジェクトが一段落できるか。もう少し続くか。。

【今年の展望】
まずは生態学会誌の原稿直しをして、キノコと里山の話を投稿したい。
能勢、和泉葛城あたりに引き続き関わることになるだろうと思われるのでここもちゃんと仕事にしていきたい。

2017年総括と2018年年頭所感

あけましておめでとうございます。
2018年、平成30年、戊戌(つちのえいぬ)年、
国連の世界年は今年がすっぽりと抜けているらしい。
ワタシ的には2度めのきのこ展の年になります。
なんやかんや皆様にも色々お願いをしたりご迷惑をかけたりだと思いますが、何卒ご容赦そしてご協力ください、と前もって感謝とお詫びを。

さて、Blog的には毎年念頭に『懺悔』と称して昨年度の成果の未達を嘆く、というのがローカルルール。
これは私が学生時代に菌類関係の院生の自主ゼミで冬の間にシーズンの総括と来季の飛躍を誓う!という研究計画ゼミをそう呼んでいたところから来ている。この懺悔ゼミ、当博物館では年初のゼミで全員が年初の誓いを立てるというかたちで普及しているのだが、言い出しっぺとしては早めに自分の総括をしておきたいと思いBlogにあらかじめ書いている。
ちなみに前回のきのこ展の前年2008年の総括は
こちら
進展してねー。

さて、このエントリーでは成果に直結しないことを総括しておこうかな、と。
2017年はセントルイス、ピッツバーグと2回のアメリカ、チェンマイ周辺と北部タイへと海外遠征が続いた。まとまった時間、国際的な文脈でいろんなことを考える時間があるのは貴重な体験だったと思う。ICOMのこともあり、自分のいる博物館の立場や役どころなどをいやでも意識する。

逆に国内的にはろくに遠出しなかったな、という一年だった。それはフィールドも、という意味で。
もう少し大阪のフィールド各地を歩き回りたくもあるが、叶わなかった。
研修がやたら立て込んだり、館内的にもいろんな事を抱え込まなくちゃいけなかったり、ますます時間がなくなっていることは明白。

では2018はどうするか。
首の締まり方はますます激しくなると思う。
そうしたことを全部自分で片付けられるとは思っていないのでまぁ周りを巻き込むとしか言いようがないか。
海外行きは大型のタイ行き案件はちょっと遠のいたので台湾+アルファぐらいの予定だが、幾つかのプロジェクトの進み方によってはわからない。まぁそんなにバンバン行くこともなかろう。
国内は大阪の北や南の案件が手がかかっているのでそちらを中心に、キノコで少し遠出という感じか。
博物館でこれから数年で起こる事をきちんとレポートするだけでも重要な仕事な気もするので、とにかくまっとうに博物館生活を突き抜けることにする。
そしてそれよりも何よりも2018年夏には9年ぶりの「きのこ展」をやるつもりになっている。正月もそのための書物に取り掛かりつつある状況。(まだガッツリの域にまではいっていない)。

その手前の幾つかの片付けないといけないこともあるのだけど、今年のメインディッシュは「きのこ展」。相当そこに向けて絞り込んでいかないといけないので、いろんなことを不義理するかもしれません。

最初に先にお礼とお詫びを述べたのは、そういうわけなのです。



北タイの里山雑感

今朝まで 機中2泊、現地3泊というなかなかの強行軍で北タイの山地照葉樹林とその間に営まれる村の棚田、焼畑を見学する機会を得た。
北タイの里山
東南アジア、熱帯林というイメージの強いタイではあるが、今回訪問したのはいずれも標高1000mを超える地域である。ここにはフタバガキ科の樹木もいるが、シイ属、マテバシイ属、ナラ属(カシの仲間)が茂る。今回は見ることができなかったが、隣国ラオスにはクヌギまで茂っている。熱帯山地林、照葉樹林の続きと言える林だろう。こんな森林の間で村を営み、水田とその周囲の山を組み合わせて生業を営む。この生態系を日本の里山と対比して研究したいという動機はよく分かる。
日本のかつての里山がそうであったように、現代の北タイの里山もまた、都市との結び付きが強い。日本でも炭や柴を都市に出すだけでなく、様々な野菜や漢方薬、特殊な炭などを出して収入を得ていた。現在のタイの里山でも、焼畑を焼いた後に作られるのは、花、マメ、果樹、トマトやレタスなどの野菜、更にはコーヒーなどの都市で消費される作物だ。自給自足的な里山や焼畑ではない。なお棚田の米は殆どが自家あるいは地域で消費されるという。
 もちろん北タイの里山が現在のような姿になったのは、少数民族の定住化政策、麻薬栽培とそこから抜けるためのロイヤルプロジェクトによるテコ入れなど、様々な変遷があってのことであり、都市と結びついた里山が伝統的な姿だというつもりは全くない。
 が、日本が里山イニシアチブみたいなものを推進するのであれば、このタイの里山を否定することはできないだろう。生態系サービスによる生産財を用いて村が発展する(少なくとも見た場所はいずれも拡大している様子が伺えた)という姿に、江戸末から明治に山間の村々が豊かだった日本の姿をやはり重ねてみたくもなる。果たしてこの形は持続的なのか。そこもしっかり見ていかないといけない。
 焼畑は長く熱帯林の破壊原因として石弘之さんの著書の頃から悪役である。確かにアマゾンの幹線道脇に展開している焼き方のスピードは凄まじい。タイの焼畑もどのような展開になっているのか、もう少し過去の研究を眺めてみないといけないだろう(増野さんをはじめ幾つかの研究をしっかり読み込まないと、と思っているところ)。
 今回の熱帯行きは個人的には20歳頃に行った南カリマンタンのバンジャルマシンから奥に入った熱帯雨林伐採現場、D4の秋頃だっけに行った後輩の結婚式でサラワクのクチンから奥に入ったロングハウスに続けて奥深いところ。南カリマンタンが外部資本による皆伐という地域住民と自然との両者vs外部資本、であったのに対し、サラワクはヤシプランテーションの拡大がやはりキーになっていたように思う(もちろんその前駆としての木材収奪はあったのだろうけど)。プランテーションは半ば搾取されながらも地域住民が外部資本に取り込まれている。これら二つに比べ、北タイの里山は木材収奪というプロセスがあまり噛んでいないようにみえる。燃料需要も含めて、それほどの圧力はなく、単に焼畑として利用するために焼いて、休耕してを行っているようにみえる(焼畑がどのように実態として規制されているのかもしっかり調べないといけない)。
大規模伐採なしに、住民の事情(動機)のみで二次林化、耕作が広がっている部分は前の二つとは大きく構図が違い、里山的でもある。
 たった足掛け4日はいっただけのフィールドだが、そんなことを感じた。
 研究をするフィールドの可能性を持って熱帯にはいったのは実は初めて。そもそもこの分野に足を踏み入れた背景にはそれこそ熱帯林問題があった。石弘之さんにも影響を受けた部分もある。菌類に手を出したのも熱帯林の菌根に興味を持ったからという点も大きい。結局は近いところでないと菌類研究は難しいと大学近くにフィールドを張り、里山へと手を広げていくことになったわけだが、そこから一周回って里山ネタで熱帯山地林に行くというのは、自分としては面白い転がり方だよなぁと思ったりもするわけだ。このプロジェクトが採択されるのか、どうなっていくのかまだわからないところだけど、まずは帰ってきての感想としてのメモ。



菌学(に限らずフィールド系)を学ぼうという学生さんへ 特に学芸員資格に関連して

 最初に断っておくけど、この文章は菌学をどうやって勉強したらいいとか、おすすめの教科書とか、おすすめの研究室を紹介したりするものではない。勉強のことは自分のいる大学の先生とか、この人に教わろう、と決めた先生に聞いてください。どっちかというと、そうじゃない部分のお話。学生の皆さんには余計なことの部類に入るかもしれない。
 そもそも、この文章を私が書いている動機は、学生さんのためにという思いやりのこもったものではなく、極めて利己的な、ギョーカイの事情的な要素がプンプンと匂うのだ。正直そんな説教臭い文章を書くような質ではないし、自分がそもそも四半世紀前に、そんなことを素直に聞くような学生ではなかったのをようく知っているのでちょっとどころか結構ためらいがあったりもするのだ。
 でもそのためらいを越えて、書こうか、というのはまさに利己的動機、将来博物館で菌類を担う担当学芸員を一定数は確保しなければ、という事情からなのだ。ほら、利己的でしょ(とはいえ、私はまだしばらくは引退する気もないし、ぽっくり行く予定もないことは申し添えておく)。ただ、もともと博物館学芸員を目指していないで、最終的に(いや最終かはわからんがとりあえずこの20年)学芸員をやってしまった立場からいえば、別に博物館に限らないとは思っている要素でもあるのではとも思っている。もう一つあるとすれば、これから書くことはいわば寄り道のすすめみたいなものだから、教官からは書きにくいだろうなぁ、というのと、人によっちゃダメ出しにも聞こえるかもしれないから、これも今の世の中直接の指導教官からはやりにくいのもかも、なんて思うからだ。指導のしがらみもない私のほうが書きやすいかと思い、遠い回り道をするような書き出しで間合いを探りながらなんとかファイルを消去せずに書き始めているのだ。

 さてと、見取り図を示して書いていかないといつまでも目的地にたどり着かないから、ここで書きたい事を先に示そう。とりあえず3つのことを強調したいと思っている。一つ目は菌学を追求するのにも大変かもしれないけど、つま先立ちしてその他の世界をよく見渡しておくべきだ、ということ。二つ目は、菌学におけるアマチュアの重要性をよく認識しといた方がいい、ということ。三つ目はモノ、情報の処理の流れをしっかり知っとくことは大事かもよということ。
 そりゃ博物館学芸員になるにはそうだろうって?でもそればっかりじゃないと思うよ。一つ目は、菌類の生態を考えれば他の生物との関係なしにやってる菌類のほうが少ないわけで、生活史考えるんでも生態的な機能を考える上でも他分野の人と渡り合ってアピールできることが非常に大事。他の分野で何がいま面白いのかなぁ、これは自分の研究とどこかつながるかなぁということを意識していたほうが将来ポスドクで幅を広げるにしても共同研究の機会を作るにしても大事。そもそも公募の機会は「菌類」の募集じゃないかもしれないしね。他の分野にもからむ仕事をしておけば、採用される可能性だってある(まぁ、私もそうだった)。小さな大学や博物館の生物のポストは、色んな分野がわかること、その中で人と違う専門をもっていることは案外重宝される。人と違うだけじゃダメで、そこそこ色んな分野がわかることも大事。博物館だと他の分野との共同作業多いから、やっぱり大事。菌類専門でポストを取っていくにはこういうことも一つの戦略だと思う。
 二つ目は菌学がプロとアマチュアの両者から成り立っている学問というのを利点として活かすべき、ということでもあります。アマチュア団体との交流しっかりやってると博物館は結構即戦力としてポイント高いと判断されることも多い(少なくとも面接まで行けば)。大学でも社会貢献は重要視されるくらいだし。そういう打算的なことを抜いて、院生の皆さんはライフプランを考えていく上で大学以外の人間関係をもっていることはすごく大切だと思う。大学院を出て教育や企業の現場に行くこともまぁ、ふつうのことだし、そのときに菌類研究をどう続けられるのか、なんてワーキングモデルをもっておくことは大事なことだと思う。何より科学が市民の中にあることをよく理解できる現場だと思いますよ。
 三つ目のモノ、情報の流れを知る、というのは色んな方法があるけど、一つおすすめしておくのは、大学や企業に行くにしても「博物館」という世界を知っておくことは良い経験だと思う。大学で、標本の作り方、保管の仕方、情報の取扱をしっかり学べるところは、もはや少ないのではないだろうか。標本の取扱をまなぶ「資料保存論」、「保存科学」なんていう世界があることは普通に菌学だけやっていると意識しないんじゃないだろうか。博物館経営論も研究機関・教育機関が社会の中に存在している意義を考えるきっかけになるんじゃないか。例の大臣発言でもってちらりと注目が集まった「学芸員資格」だが、大学で必要な単位を取得して申請すると得られる国家資格だ。自分の大学でどうやったらその単位を取得できるのか、どんな形で開講されているのか、まずは調べてみたらどうだろう。もちろん卒業にも学位には関係のない単位だが、学芸員資格関連の単位をとっておくのは、研究者としてやっていくにもプラスになる要素は多いのではなかろうか、と思う。そりゃ単位を揃えるのにはそれなりにいろんな事業を受けなくてはならなくて大変なんだけど。
 学芸員資格を取得するには、大学などで単位を取るほかに2つのルートがある。一つは試験認定。東京で年に一回受験チャンスがある。過去問などはここで公開されている。単位数も多くなったため、一年で全部取得するのはけっこう大変だが、数年かけて全単位合格すれば取得できる。もう一つは、終始または博士を持った人が博物館で【2年以上学芸員補として勤務すれば】審査認定を申請できる。ただし、これも自動的にではなく審査があるので、博物館で単位取得に相当するうような博物館学関連の業績をきちんと上げていることが必要なようだ。
 近年の学芸員資格単位が増えてから、各地の博物館で採用に苦労するケースを良く耳にする。特に研究者試行で学芸員をとりたいのだけど、県などの人事が「学芸員資格」を採用条件に入れているために候補者が極端に減ってしまうケースが少なくないからだ。理科系の学芸員採用に学芸員資格を求めていない博物館もないではないが、逆に言えば、求めてくる所もそれなりに多い、ということだ。博物館への就職を考えるなら、とっておくことを進める。博物館への理解も深まるから、採用選考時にも当然役に立つ(ただし、批判的に学ぶのであれば、だ。どんな分野でもそうだけど)。注意点は学位を持っていて上記のように勤務経験がないと学芸員資格相当にはならないので、「受験資格がない」とはなからはねられる場合も多い、ということだ。
 博物館学の単位は文系的内容が多くて・・という声も聞くがそれは教え方にもよるし、実習はどこを選ぶか、だ。大阪市立自然史博物館での実習は春に自己申告で、大学事務から申し込む。それに漏れてしまったが、どうしてもという菌類関係者は個人的にコンタクトしてほしい。規定にあるように別枠の実習の可能性もある。博物館学の単位が自分の大学や学部で揃わない?そんな場合にも昨今は多くの大学で他大学の単位を申請できるケースもあるだろう。放送大学の学芸員資格関連の講座も単位互換制度などもあり、選択肢だろう。場合によってはその他通信教育などもある。

 学芸員の資格なんてなくてもいいじゃない、という意見もあるだろう。たしかに、資格がなくても、博物館に対する深い理解があれば通用するかもしれないし、就職後、養成し取得するでもいいかもしれない。けれど、博物館法に規定された職種として、登録博物館にはその配置が要請されるという観点から、受験資格に最初から要求してしまう博物館も多いことは現実だ。大きな博物館には資格を持っている人がすでにたくさんいるから、新人の資格が必須でなくてもという可能性はあるが、最初から要求する大規模博物館が少なからずあるというのはやはり現実だ。

 博物館に就職せずとも個人研究者として博物館の振る舞いを理解していれば、資料の保存や社会教育の現場、地域と大学の関係の結び方、そして大学としての経営の方向に至るまで、自分の視点が持てると思う。一研究者としてでなく、社会の中での研究者のあり方を意識することにつながるからだ。フィールドで研究材料を取得し、しばしば地域社会にその還元をする必要がある研究者には、きっと役に立つと思う。

 ちなみに自分の大学で、教官がそういう自然系の学芸員資格所持の学生の養成もしたいなぁという奇特な人がいた場合には然るべき学芸員に集中講義をやってもらうケースもあるだろう。私自身は来年度は特別展を抱えるため全く対応できないけど、再来年度以降であればケースによっては対応できるかもしれないし、仲介ぐらいはできるかも。

 自然系学芸員候補の養成は、比較的大事で急務な課題だと思う。まずは、本人のやる気と意識なんだけれど。色んな分野を眺めて、なおかつ博物館の世界まで単位を取るというのは忙しい大学院生には簡単じゃないかも。だとしたら学部の学生はそういう状況を見こして、先に揃えとくという考え方でもいいと思う。

 学生が時代や業界の今後を眺める構図は私とは違うだろうから、今後5年10年、どういうところにポストが有って(空いて)、自分が研究を長くするにはどういうキャリアプランを想定するのがいいのか、自分なりに虎視眈々と考えていいんじゃないかな。私の視点からは、その一つの可能性は上記のような各ポイントにあると思う。もちろん私が学生の時とは時代は違う。ここまでの話は採用側の事情を含めてのアドバイスだ。違う時代にどういうビジョンで見通して、生き残るべく考えるかは、学生さん次第。
もう少し追記するかもしれないけどまずはここまで。

 

ミドルヤード

今日は某所でとある冊子の企画会議的なミーティングがあり、なんとなく一番古くからやってるわたしがブレストを仕切る展開に。
科学系博物館をめぐる、共通の課題をいろいろと話題にしていく中で、収蔵庫の問題はやっぱり出てくる。
博物館にとって収蔵庫は基本中の基本なんで増設しないのはけしからん、標本は社会の財産なんだからつくるのが当然だ、という議論はマコトに正論なんだけど、それだけじゃなかなか進まないよなぁという非常に現場感覚に溢れた会議なんでもう少し踏み込むことができる。

「標本があふれてる、でも標本は大事だし活用の可能性はたくさんあるよね。でもほっとくとみんな捨てられちゃうよ?」
という現実を前にして、どんな答えを出すことができるか。さっきみたいな正論だけ言ってると話が少しも前に進まないでやっぱり捨てられちゃうかも。

100点もらえる正解がない中で、とりあえずの答えを出してきたひとつがモバイルミュージアムかなぁという議論になった。

それともう一つが収蔵展示、とも呼ばれるミドルヤードなんだろう。
展示室(フロントヤード)と収蔵庫や研究室(バックヤード)の中間で資料に近い距離を作り出す、ミドルヤード。国内だと戸隠地質化石博物館などが意識してるようだ。
このブログでもちょっと書いた2月に行われた研究会でも海外事例などを元にだいぶ掘り下げた議論をしていた。

モバイルミュージアムとミドルヤード、多分あともう一つはなんでも博物館に集中させるのではなくて、地域の中で資料をしっかり維持していくエコミュージアム的な発想、整理なんではないかと思う(もちろんそれらの資料もほっとくんでなくて博物館も協力して守っていくことが大切)。産業遺産なんかはこの発送がすごく大事だと思う。

閑話休題。
会議の後に、Tさんから紹介を受けて、「産廃から始まる創造・想像展」というのを見学した。
産廃の姿を見せて、そこから生まれ変わった什器に囲まれたワークスペースを見学するという、なかなか刺激的なものなんだけど、ワークスペースを見学できるように公開しちゃってるのが面白い。
展示空間と仕事空間が分けられてるのはパーティションロープだけで、打ち合わせは展示側に越境してきてるし、そもそもこの企画がワークスペースの主催者とアートディレクターと材料提供した産廃リサイクル企業で進められているもんで、ワークスペースと言うかプロジェクト自体を「魅せる」のがこの企画みたいになっている。
ワークスペースとの距離を縮める展示空間的なもの、これもミドルヤードなんだろうな、と思った。

でも考えてみたら大阪市立自然史博物館の情報センターやミュージアムサービスセンターはそもそもがバックヤードにいる学芸員との距離を縮めるミドルヤードの走りみたいなもんだろう。
恐竜のプレパレーションラボも、オープンラボも実現できていないけど、ミドルヤードを意識的にもっと整理・整備していっても面白いのかもしれない。
もちろん、場所だけ作ってもダメだけど、何故かうちの学芸員は会議をする時にこういうミドルヤードでやりたがるんだよね。
適度なノイズとか空気感を持ちながら議論をするのは案外大事なことなんだと思う。

(仮称)一本松記念館・陸前高田市立博物館基本計画(案)に対する意見

以下の文章は
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/shisei/kakuka-oshirase/fukkou-suisinka/ipponnmatu-hakubutukan-ikenbosyuu/ipponnmatu-hakubutukan-ikenbosyuu.html
にてパブリックコメントとして意見の募集を行った
(仮称)一本松記念館・陸前高田市立博物館基本計画(案)に対する意見募集
に対して個人の考えを送ったものの控え。
(仮称)一本松記念館・陸前高田市立博物館基本計画配架で参照できる(2017/3/30現在)
http://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/shisei/kakuka-oshirase/fukkou-suisinka/ipponnmatu-hakubutukan-ikenbosyuu/ipponnmatu-hakubutukan-kihonkeikaku.pdf

私はこの案では陸前高田市立博物館および陸前高田市立海と貝のミュージアムの復興はできないと考えている。ツチクジラの「つっちぃ」をどうするかとか、シンボルの問題もあるが、まずは基本機能を訴える意見とした。(既にFaceBookには書いたけど、FBは自分でも過去の書き込みをよう探せないという代物なので、こちらに転記しておきます)

【現在の素案では博物館の基本機能が満たされていません。】
博物館は、地域の伝統を未来に繋ぐための装置です。そのためには展示施設が出来上がっているだけではなく、住民と専門の学芸員が一緒になって地域を再発見し、地域の宝を保全し、それを伝えていくための活動を行っていくことが重要です。こうしたことによって、住民の地域理解やアイデンティティも深まり、地域を伝える担い手としてのキャパシティ・ビルディングも進みます。
このためには、博物館には以下のものが必要です
1.来場者がともに学び、コミュニケーションできる場が博物館内に必要です
2.新たに博物館で積み重ねられた新発見を形にして伝える、企画展示が行えるスペースが必要です。
3.公開スペースに匹敵する規模のバックヤードが市民が参加した収集活動などにはかかせません。
スタッフとのコミュニケーションができず、展示を見てかえるだけの施設は博物館とは呼べません。博物館法には博物館とは「資料を収集し、保管し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、(中略)あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関」と明確に定義しています。素案にはこれらのうち展示機能しか示していません。これでは博物館の復興として期待されているものが満たされていません。
1の博物館で住民がコミュニケーションができるスペースは学校教育利用の上でも重要ですし、住民のキャパシティビルディングや合意形成のためにも重要です。図書館にそのスペースがあるから博物館には不要というものではありません。博物館での展示物を活用した学びのために欠かせないスペースです。
2の企画展示スペースも他の施設との共用では運用は難しいでしょう。他館から展示物を借りる場合、博物館学芸員が管理しているスペースであることは重要です。照明や空調などの諸条件が文化ホールや図書館では厳しいのです。
3のバックヤードは市民参加での資料収集や人材養成を考えるとアクセスの悪い場所は難しい面があります。現在の仮収蔵庫は子ども単独ではとてもアクセスできる場所ではないでしょう。
【十分な機能を持つ博物館はまちづくりの基礎となる】
震災からのまちづくりの一環という位置づけの中で厳しい状況に置かれていることについては深く理解しています。
ですが、上述の通り住民のキャパシティ・ビルディングの機能などからは博物館は重要です。
法政大学の金山喜昭さんは
「博物館と地方再生: 市民・自治体・企業・地域との連携」という近著でその機能を詳述されています。博物館や図書館は仮のスペックでなくぜひ将来を見越した整備をお願いします。
【将来の構想を】
博物館は作って終わりではありません。それではハコモノとしての批判を浴びる対象となってしまいます。より良い施設としての「運用」と将来の発展を示すことが重要です。現在の展示プランは2011年から現在を見たものとしてとどまってしまっているように思います。
忘れてはいけないこと、がある一方この展示のままではすぐに陳腐化し、人々が訪れない施設となってしまいます。活動を続け、常に新しい博物館活動を再生産できるように、人的体制、活動の構想、運用のための基礎条件を示していただけるようお願いします。
 これから、多くの市民と外部人材を巻き込み、陸前高田の魅力を発信できる中核的な施設になる可能性を博物館は持っています。陸前高田の町は、そして保全された標本群はそのポテンシャルを魅せています。2011年の災害を記念するだけではなく、将来に向けて陸前高田の伝統と魅力を発信できるよう、より充実した構想になるよう期待しております。
なお、外部の博物館関係者として、必要とされれば協力を惜しまないことをお伝えして意見表明とさせていただきます。

執着と公益

 資本主義、というのはある意味冷酷な制度だ。何万人も従業員を抱えた大会社も経営が行き詰まれば途端に存続が怪しくなる。何代も続いた「家業」であろうと、借金がかさみ運転資金が底をつけば退場を余儀なくされる。「会社」という器に退場を命じられた時に、その事態を受け入れられずに個人資産をつぎ込み、果ては縁者からもお金を借りて、というケースだって少なくないだろう。事業への「執着」といえばそれまでなのだが、個人の人生と事業とを切り離すというのが会社法であり、破産制度であり、近世の家業と近代の資本主義ではないかと理解している。
 しかし、会社にも創業の目的というか「使命」はある。それぞれに達成したい理想や、地域における役割、顧客との関係、従業員の雇用など、長く続いた会社には地域社会の中に組み込まれ「なくなると困る」という状況はやはり生じる。わかりやすいのは地域に一軒だけのスーパーや薬局だろうか。これが、病院となると生存権に関わるということで何とか残す方法はないかと公費が使われる。村に一軒のスーパーでもこうしたことはある。営利企業であっても「公益」を多かれ少なかれになっている場合があるといえよう。事業への「執着」はこうした「公益」への意識が織り込まれているところがある。ただ、この公益はただただ事業の収入によって担われてきた。事業の収入がなければ高い公益への意識があろうと、その実現は難しい。
 これは基本、NPOなどの公益法人でも一緒だ。事業を行うためには事業を支える収入が欠かせない。ただし、事業収入だけでなく「使命」(公益)への執着を持つ人達が「寄付」という形で支援できるという点に大きな違いがある。個人の思いだけであれば執着だが、その執着が多くの人に共有されれば、公益になる。公益を形に変えたのが寄付だ。認定NPOなどに使われるパブリックサポートテストなどが多くの人が寄付で支える団体を公益を担っていると認めるのはこうした論理だろう。博物館などの「公益」的施設も、入館者だけでなく、様々な形で博物館を求める執着を形にして公益性を示すことが求められている。
 自然保護でも似たところがある。その植物、その動物、その湿地への個人の思い入れ、執着が多くの人に共有されれば公益となる。絶滅危惧種というだけでは残念ながら、なかなか保全へむけて事態を動かす駆動力にはならない。執着の共有、というコンセンサス形成は案外に大事なステップなのだろう。
 少し話を裏返してみよう。個人の執着という核を欠いた「公益」は長く保つのだろうか。この執着を持つ個人は事業主や従業員、それを支える支援者、それぞれに想定できるがこれを欠いた瞬間、そのいわゆる「公益」は非常に脆弱なものとなってしまうのではないか。支援者を失った博物館の例を幾つか見るにつけ、そうしたことに無自覚な人々に恐ろしさを感じる。


2017/2/25自然環境保全京都府ネットワーク総会&シンポジウム

シンポジウム開催案内 京都府が左のチラシのようなネットワークを設立するという。せっかくの企画なのに全く広報が追いついていないというのが行政の悪いところだ。
 コーディネーターとしてお座敷がかかっているので義理がたく広報させて頂くところ。興味のある方、行く末に意見のある方、どうぞご参加ください

総会&シンポジウム
参加無料 150名
平成29年(土) 2月25日13:00~17:00
(受付12:30~)
西陣織会館 4F 「展示場」
地下鉄「今出川」から徒歩約10分][バス停「堀川今出川」から徒歩約2分
第1部 総会
第2部 シンポジウム (14:00~17:00)
1 開催あいさつ

自然環境保全京都府ネットワーク会長

2 報告 京都府の野生生物をとりまく現状

3 ネットワーク参加団体の活動内容紹介

◆ 青葉山レインジャー隊
◆ 美山産官学公連携協議会・内久保環境・史跡保存会
◆ NPO法人 亀岡 人と自然のネットワーク
◆ 雲ヶ畑・足谷 人と自然の会
◆ NPO法人 やましろ里山の会

4 パネルディスカッション ~団体ネットワークをつくる意義~

京都の生物多様性の未来がより良い方向に向かう
ために、ネットワークがこれからどのように展開
していくのが望ましいのか、会場の皆様とともに
考えます。
<パネリスト>
須川恒 氏  龍谷大学 非常勤講師
鈴木康久氏  京都府環境部自然環境保全課 課長
伴浩治 氏  NPO法人 自然観察指導員京都連絡会 運営委員
宮崎俊一 氏  乙訓の自然を守る会 代表
<コーディネーター>
佐久間大輔 氏 大阪市立自然史博物館 主任学芸員



お申込・お問合せ先 京都府環境部自然環境保全課
TEL: 075-414-4706 FAX: 075-414-4705 E-mail: shizen-kankyo@pref.kyoto.lg.jp
チラシPDFファイル

収蔵展示のいま 自然史資料の価値を伝えるために

 一昨日(2017/2/3)は[公開ワークショップ] 「海外の自然史博物館における収蔵庫と収蔵展示を考える」に参加し、海外の様々な自然史系博物館がいかにコレクションの重要性を伝え、また魅せているのかという話題を中心に議論した。このシンポジウムは自然史レガシー継承・発信事業の今年度のまとめの会でもある。
 ひとはくの橋本佳明さんによれば、「驚異の部屋」とも訳される Wunderkammer(ヴンダーカマー)から始まった展示は、一方の極としてはカリフォルニアサイエンスセンターや日本で言えばニフレルのような水族館とも博物館ともつかないような生品展示に、あるいはココロのロボット恐竜のような動きの復元と行った死物から生品、動態へと達しているという。その一方で原点回帰のような動きとしての標本そのものを見せる「収蔵展示」があるという。モノそのものの魅力をみせる、という展示手法は、コレクションの重要性への回帰ということができるのかもしれない。
(もしかしたら「アチックミュージアム」の回顧にもつながっているのかな)
昨日のディスカッションでも述べたが、ヴンダーカマーへの回帰は「サイエンスとアートが未分化な状態への回帰」という意味合いもあるのではないだろうか。自然史博物館の展示が、あまりにも生物学、地学といった科学的な語り中心になった結果、シンプルに造形や存在感を大切にする展示に回帰したのではないかという部分だ。収蔵展示は国内的には東大総合博物館がKITTEで展開しているIMTなどがある。
 
 収蔵品の魅力を伝える展示にはいくつかのやり方があるだろう。その展示にまつわるストーリーを様々な形で届けること、なるたけそうした情報を抑制してミニマルに見せるやり方もある。
この両方を追求するというのはなかなかに難しい。ARなどテクノロジーを利用してという方法もあるだろう。古くはみんぱくがPDA的なものを利用していた。近年でも省電力ブルートゥースを利用する機器も少なくない、しかしまだまだうまくいっている事例というのは少ないなぁという気もする。そこにコンテンツを流し込むリソースの蓄積そのものが足りないのか、流し込むための労力や資金が足りないのか、そもそも仕掛けそのものが来館者に受け入れられていないのか。現代版ヴンダーカマーを楽しく実現するためにはそのブレークスルーは必須だろう。
 ミニマルに魅せるのにも照明、レイアウト、展示条件など様々な工夫が必要だ。日本においては展示学分野の担い手はしばしば博物館の中ではなく、外部のデザイナーや展示業者に依存しがちだ。展示室を作るときだけでなく活動の中にもいかにデザイナーなどアートの担い手を博物館活動の中に内在させるか。「サイエンスとアートが未分化な」ヴンダーカマーの魅力を高めるためには、この展示が生物学や地学の観点からだけでない検討が必要なのかもしれない。レイアウトもデザインの範疇だが、欧米の資料展示での資料と観覧者の距離の近さも、資料の迫力を伝える要素として話題になっていた。露出レイアウト、来場者の資料への配慮、声掛けの仕方など、資料保存とどうバランスをとるのか。実物資料の展示を最小限にするイギリス、資料の劣化を受け入れているかに見えるフランスなど考え方には幅があったが、実際「収蔵展示」となると比較的やりやすい、ホネ、貝、液浸、化石、剥製などがある一方で振動や光による劣化から難しい植物押し葉、昆虫などがある。昆虫や植物は棚ごと収蔵されている状況をみせ、その活動を示すやり方のほうが一般的かもしれない(フロリダの例)。植物や昆虫資料を露出で見せるやり方としてドイツ箱などの工夫や、樹脂包埋などの資料加工、あるいは展示環境でのIPMや光、振動の抑制など保存科学的な充実、ブレークスルーが欠かせない。原初的な展示にも思える収蔵展示も自然科学、展示デザイン、そして保存科学の複合によってより良いものにできる。
 「アートとサイエンスの未分化」な展示というのは文化と自然の再融合と言いかえることもできる。生物多様性と文化多様性の複合は、日本から生物多様性を発信する一つのキーワードでもある。この事業の一つの目玉でもあった、京都花洛庵で行われた町家での自然史標本の展示「日本文化を育んだ自然 where culture meets nature」もそうしたコンセプトにのる展示でもあり、また上記のような工夫を凝らした企画でもあったのだ。

自然史資料の価値の伝え方は「展示」としての魅せ方だけではない。研究成果を発信する研究員個人の努力だったり、博物館資料をfrickerでどんどん発信する博物館があったりと、「研究」を開示して魅せていくのも一つの方法だ。標本の製作状況やプレパレーションのやり方あるいは研究室そのものが見えたりする博物館もある。研究会でも台所を見せるのがどうかという話があったがいわば研究のオープンキッチン化だ。どう料理されるのかに興味のある人も多いだろう。演じ手のなれや覚悟はいるが、日本でも熊本の御船町恐竜博物館などではプレパレーションや研究室が見え、恐竜の研究というものの理解形成をはかっている。資料を使ってどのような成果につながっているのかを伝えることは、資料価値を伝える一丁目一番地だろう。研究成果の展示や研究活動そのものを表に出していくことはもっと博物館として行っていくべきだろう。研究者個人のSNS発信も重要、という声が海外事例にもあったのは面白かった。国内でも学芸員個人の研究活動・博物館活動のSNS発信は極めて重要だ(手前味噌)。

もちろんバックヤードツアーという「教育」活動を通じて資料価値の伝え方もある。語るべき内容は研究の成果であったり資料の価値や魅力だろう。しかし、多くの収蔵庫は見学用の動線として設計されてはおらず、標本の保存も見学者を必ずしも前提としていない。見学者の受け入れはそれだけ害虫の流入リスクも高めることになってしまう。見学者の安全、資料の安全の両方を考えるためには、入念な計画、案内者の教育と十分な配置、そして保存科学的な配慮が必要になる。例えば大阪市立自然史博物館でのバックヤードツアーは10−15人程度を1グループとし、学芸員一人に補助者が2−3人、上履きに履き替えて手ぶら(カメラ・メモ程度はok)で、冬場の実施を原則としている。実情で言えばこの数年は15人×3+ミニツアー50人くらいの行事を4セットくらい年間に実施している感じだ。(大学や研究会での見学ツアーはまた別だが原則は冬)。

 こうした資料の価値を訴えていく活動が、収蔵庫ひいては博物館の価値や必要性を高めていくだろう。社会の中での資料の意義をいかに伝えていくか。その活動の先には自然史資料を社会の共有財産として大切にする合意の形成がある。「自然史文化財」の保全や広義の「文化遺産保全」を国家的枠組みの中で担保し実現していくためには、これら実態としての活動が欠かせない。
こうした時に、海外での事例やトレンド、さらにその背後にある国際的な合意やコンセンサスを規範にしていくことは重要である。ベルリンの自然史博物館の液浸資料の保存と展示の背景には「動産文化財」の保存のための基金が活用されていることは注目に値する。また、自然史博物館のためのイコム倫理規程の中では自然史標本を世界の共有財産として位置づけ、博物館人はその管理人であるべきとうたう。さらに広い博物館資料の価値としてはUNESCOが2015年に行った「ミュージアムとコレクションの保存活用、その多様性と社会における役割に関する勧告」の資料の保全義務が重要だろう。残念ながら、こうした世界標準の枠組みに現状の日本の博物館法体系、文化財保護法体系は対応できていない。資料の保全は博物館の設置目的に書かれるだけで、保全の義務は書かれていない。さらに文化財保護法は非常に限定的に指定文化財を規定するのみであり、自然史資料は位置づけられていない。博物館関係者として、その必要性を強く訴えていくのはもちろんとしても、それだけでは実現は難しい。合理性だけでなく合意形成をはかるためにも社会への標本の意義、さらにはその前提として標本資料の魅力を伝える活動を推進していくことが我々に求められ、課せられているのだろう。
今回のレガシー事業は私達の社会の中、そして国際的な博物館潮流の中での立ち位置を再度確認する機会になったのではないかと思う。
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今年書こうと思っている小ネタ

今年書こうと思っている小ネタはいろいろ昨年度からの持ち越しであるんだけど、懺悔シリーズに書いてないことを中心に。

なにわのナチュラリスト追補
2005年ごろにやったなにわのナチュラリスト展で扱われなかった人々を拾っておきたい。
 西門義一
 小笠原利孝
安井喜太郎
ネイチャースタディか、近畿植物か。

高校生ポスターのネタ
もう骨格は書いてあるんだけど、どこに出すのがいいのかわからないでいる。

失われたアカイカタケ
奈良県の記録、という意味も込めて。NSか、関西菌類談話会か

虫に食われた標本からわかること。
関西菌類談話会かなぁキンコン会?

行動規範の話 

フォーレの話

■中ネタ
標本利用の話

採集記録の話

■大ネタ
社会教育調査の話
なんかずっと書いてても終わりそうにないんだけど。

予告するのは自分へのプレッシャーの意味です。このネタ、この媒体に書いてくれなんてリクエストがあれば受けちゃったりするかもしれません。
私の研究と被ってるとかこれを卒論とかでやりたいです、なんて人がいたらネタごと売り飛ばさないでもないかも。

ネタバレで誰かが先に書いちゃうなんてことは特に心配してないけどやる人は言ってね。仁義切ってくれればそれでいいし。

2016年の高座+2017は「菌類学講座2017 ナショナルとローカル:菌類ハーバリウム体系の理想を考え、現状を語る」から

さて、これも例年恒例だが今年どれだけ高座に上がったか。平たく言えばお話をする機会を頂いたか、ということだ。
手帳(アプリ)を眺めて数えると、観察会などは除いて28回。もっと喋ってた気がするけど、まぁそんなところかな。
うち、館のお仕事とそれに準じるものは9回。学会など自分からエントリーして喋ったのは4回。依頼を受けて喋っているのが15回。という感じ。月に1回年12回までに、というのは達成できていないけれどまぁ、なんとか絞り込んだのかなぁ。。新ネタが多かったので大変だった気もするけど。

2017年は例によって1月21日の菌類学講座から始まる。よかったら参加してください。

「菌類学講座2017 ナショナルとローカル:菌類ハーバリウム体系の理想を考え、現状を語る」


 大阪市立自然史博物館では2009年から菌類学講座シリーズを開催していますが、2017年は「菌類標本庫」にスポットを当てたいと思います。菌類を記録し、研究の基礎となる博物館の標本庫のあり方を国立科学博物館の菌類標本庫を統括する細矢剛氏をお招きして、一緒に考えてみたいと思います。
 日本最大の自然史系博物館といえば、国立科学博物館でしょう。地方にも中核的な博物館から小規模館まで多様な博物館にそれぞれ標本庫があり、菌類標本を所蔵している博物館も一部には存在します。
 しかし、地方では保管や活用に課題が、国立ではアマチュアや地方の研究者からのアクセシビリティの課題、双方に共通する問題としてマンパワーの課題があります。こうした課題をどうやってネットワークで解決していくのか、議論したいと思います。
開催日 1月21日(土)
時間 午後1時〜4時30分
場所 自然史博物館 講堂
プログラム
細矢 剛(国立科学博物館 植物研究部グループ長)
   「国立科学博物館菌類ハーバリウムの全貌と未来」
佐久間 大輔(大阪市立自然史博物館 主任学芸員)
   「地方博物館菌類標本庫の現状と課題」


対象 どなたでも参加できます(小学生以下は保護者同伴)
参加費 無料(博物館入館料必要)
申込み 申込みは不要です。

書籍の紹介 北の学芸員とっておきの《お宝ばなし》

浦幌町立博物館の持田誠さんから新刊の表題書籍を託されましたので、ご紹介いたします。

西日本自然史博物館ネット同様学芸員の交流が盛んな北海道では北海道自然史研究会、北海道博物館教会学芸職員部会などが精力的に多様な活動を展開されています。

その中の活動の一つ、同協議会のwebサイトで連載されたコラム
「北海道で残したいモノ、伝えたいモノ」
http://www.hk-curators.jp/colm-1
はそれ自体、優れたコンテンツであり、個々の専門性を持ち、併せて地域性を持った博物館学芸員の力を総合して作られたもの、という印象が強くあります。

今回同部会の設立40週年(その年月の重みにおののきますが!!)を記念してこの連載を再編集・改稿して一冊にまとめたのが本書、となります。

帯には<北海道ウンチク本>の決定版とありますが、そもそもが博物館とはその土地の様々なストーリーを掘り起こし、集め、価値づけていく存在です。そこで活動をする学芸員たちがわが町、我らが収蔵品、という観点で紹介をしていけば、それこそ、他では聞けない、価値のあるストーリー=ウンチク
であることは当然です。

専門性を持った学芸員は、どの地域にも一揃い揃っているわけではないでしょう。特に北海道のように地域が広く、しかも人口密度の低い(つまりは町村組織の脆弱な)地域にあっては学芸員一人職場の博物館も珍しくありません。こうした地域で、学芸員が交流し相互に保管していることは特に重要なのだと思いますし、これは他の地域においても大変重要なモデルとなるように思います。

記事としても北海道ならではの植物・昆虫・化石の地域での話がたっぷりつまり、自然史系学芸員にも、歴史、美術、考古などの学芸員にとっても魅力的な話が詰まっています。他分野の興味の持ち方、調査のアプローチにも触れることができ、面白いものです。

地域で他の博物館とのコラボレーションをする方にも、地域での学芸員のあり方を見直すにも、さらには学芸員と同じく、地域資源の掘り起こしに取り組む若手研究者あるいは実務に関わる方々にもおすすめです。

西日本自然史系博物館ネットワークの今後の活動にも示唆に富む一冊でした。

北の学芸員とっておきの《お宝ばなし》
北海道博物館協会学芸職員部会
定価1500円+税
出版社: 寿郎社 348ページ
http://www.hk-curators.jp/archives/2987
amazon http://amzn.to/2i6hBHC
大阪市立自然史博物館






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