非常用に扉を開けるエレベーターが停止してしまったので、非常用のドアを各階でいつでも開けられるように工夫がされていました。(いつもは鍵がないと入れない)この辺はやっぱり地震の経験が生かされてますよね。(しみじみ)

瓦がかけているおまけに、隣の家の瓦もそんなに壊れてなかったので、ライフラインが断絶したとは言え、やっぱり宮城は地震に強いよなあ〜って感心してたんです。

隣の家反対側は結構やられてたけど、それでもまだ良い方で・・・。
ただ自転車が倒れてるのはなんとなく理解できたけど、サッシが倒れてることはなんで?って一瞬思いましたね。(^_^;)

もちろん、地震で外れたのです。

サッシが外れた

上を見ながら余震が続く中、避難所に向かっていたので、なるべく建物から離れて歩いて行きました。

無法地帯信号機が消えていて、その違和感がすごいありました。

消えた信号

本部の設置は早かった近くの中学校が避難所(自分たちが考えていた避難所は避難所ではなかった(爆))になっていたので最初は柔剣道場へ。
畳もあるということだったのだけど、何よりも体育館では翌日の卒業式の準備をしていたので、こっちに誘導されました。入ったときは多分17時前。

卒業式の前日だっただけど、20分もしないうちに人がいっぱいになり、1時間後には定員オーバーになり(既に体育館解放もキャリーオーバー)、この時点で「高齢者と小さいお子さんがいるご家庭を優先に他の避難所に行って欲しい」と町内会の班長さんが言ったので、移動することにしました。

2箇所目の避難所 17時ごろ

17時20分ごろもちろん、この時、津波で大変な事が周りで起きている事は少なくてもこの周辺の避難してきた人には知らないことでした。
なので、自分たちの家族の心配や、ママ友達で無事で良かったね(学校だしね)と安堵の色の方が強かったです。