さくもく、ぶろぐな日々

だるさ無限大なキロクと記憶を残しています。

カテゴリ: 東日本大震災な日

なにか書こうと思ったんだけど、書けないんだよ。

速過ぎた相方が26日にブルーインパルス見に行く?と誘ってくれたので、海の近くで怖かったけど、行ってみました。

写真を撮ってみたら、インパルスが速すぎてあまり撮れない。(泣)

DSCF0442-1パイロットさんに、だいぶ海の方もきれいになって、基地も整ったので来てくださいね。と言われたけど、人気らしくて抽選なかなか当たらんそうなので(笑)、外から応援します。

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DSCF0431戻ってからまだ宮城の海のそばにはいけない。

あの日から2000日目に、また宮城にいるっていうのも不思議。

変わってないよ鏡を見たら、5年前と変わらない髪の長さで、だけど少し老けた女がいた。それだけだよ。

今日は、テレビはつけられないから・・・。
(ここ数日そうなんだけど・・・。)


今の気持ちは、なんで経験しなくちゃいけなかったんだろうとか。


うちは転勤族なんです。みたいな話の流れから、
前の赴任地は?と聞かれて「宮城です。」と言うと
「じゃあ、もしかして・・・。」と
触れちゃいけないような顔をするので

「そうです。あの時いました。」と言うと
しんみりしちゃう人と、「こっちも大変だったのよ!!」と言う人がいて
対処がちょっと難しい。

しんみりされても困るし、あの日、日本で大変じゃなかった人なんて
いなかったんじゃないかと思うんですよね。
だからどういう顔をすればいいのかわかんない。

被害はなくてね・・・。みたいな話をしてはぐらかすんですけど・・・。

ちなみに、18歳の子は「マジで?すげー!!」でした。(爆)


うん。だからなんで経験しなくちゃいけなかったんだろうか。
という問いが強いです。


私は海原に一人で立てるようになるだろうか。
海に向かって自分の夢が何であるか問えるぐらい強くなっただろうか。



いや、まだ強くなれてないと思うし、前に向かって進んでる気がしない。


野蒜駅


忘れないでと言う気持ちの中で、

忘れたいという気持ちがあって

被災地をもっと知ってほしいという気持ちの中で、

被災地がどうなってるかわからないという気持ちがあって

私の心の中は薄い溝が出来始めている。


この溝を埋めてくれるものは何なのか

それを探すのがあの日から与えられた課題ならば、

私はこの課題を克服する日が来るのだろうか。

それを抱えながら前に進まないといけないか。

神様は、大した課題を与えてくれたもんだ。

こんな小心者に・・・。




やっぱ、気持ち的に辛いっすね・・・。

ボクは今週から視聴ストップです。

まだ2年しか経っていないというのが、感想です。
あれからよりも、まだの方が強いです。

名取市

被災地にお別れをしてきました。
もうここに来ることはできないから。
見守ることはできないから。

yuriage 2012

この国は結局草を伸ばすしか出来ませんでした。
政権が変わっても変わるとは思えないのはなんでだろう。
投票しても虚無感しかないのはなんでだろう。

緊急地震速報悔しいけれど、あの時からたくましく生きてたつもりだけど、つもりはつもりで、本当に悔しいけど、強くなんて全然なってなかったんだなと改めて自分の事を認識しました。

緊急津波警報幸い、新幹線もしばらくして再開したので、その日に相方が帰ってこれました。

津波警報解除とかく、地震によわっちい私を助けてくれたのは、地震直後の1通のメールでした。
「もし旦那さんが帰って来れないようで、夜、心細かったらいつでも 家においで」と送ってくれた方のそのメールを見た時は、ボロボロと大粒の涙が出ました。

同じ地震をたった今経験してるのに、この強さ。この優しさ。この暖かさ。
宮城での出会いに、縁に本当に感謝しています。

地震、1人1匹 無事です。 有感的に震度4ぐらい。
だけど、多分表記は震度3。

やっとだよ駅前にあるロフトの外壁工事が始まったようです。

毎週レッスンに行く際、バスを利用するのですが、見るたびになんか亀裂が気になっていたので、精神的に少しほっとしてます。

復興予算って被災地の意見で優先的に使われるもんじゃなくて、官庁の役人の計画で優先的に使われるもんなんですね。ガッカリ。

ぬいぐるみ

このぬいぐるみの持ち主は大丈夫だったろうか・・・野蒜海岸にて

ダメです。現在10話まで何とかこじつけました。本来なら当時、放送にあたり保存も考えていたのですが、やっぱダメですね。
緊急地震速報が出ちゃうと、身構えるというか、あの日の事を思い出すというか、辛いことを思い出すので、今回は視聴したら削除しています。

せっかくのイケメン・・・。10話まで見て、緊急地震速報が流れたのは、2回なんですね。5話に1回の割合です。でも三国志の方がもうちょっとあったような気もします。再放送を録る気力もその頃なく、精神的に辛いなら残さない方がいいかなと思って、ごめんよ。ぴーたーさん。(T_T) 
話は突っ込みどころ満載だけど、
ちょっと面白くなってきた。(^_^;)

朝の緊急地震速報で、揺れと共に起こされ寝不足。多分2か3か。
有感的に30秒は続いたかな?

うー。ねむい。今からちょっと昼寝でもしようかな・・・。

やっとようやくというか、周りの住宅のカワラの修繕が始まりました。
震災から1年と2か月。まだ1年と2か月
あれから。

ひどく長い1年のような気がする。

修復中

辛いです。怖いです。

名取市

何も無くなった場所に立って、1年ってなんだろう。復興ってなんだろう。

DSCF3173今日は結婚記念日。
結婚して12年。歳は取ったけど、相変わらずな僕ら。12年ってなんだろう。
想定外、安全神話、絆・・・。
大嫌いな言葉になった。
放射能とか全然気にしないけど、
ヘリ(これも相変わらず)と地震も嫌い。(^_^;)


うーん。ご飯豪華にしたほうがいい??(;一_一)
12年も経つと、やや(かなり?)手抜きの癖も(笑)

去年の今日は、公衆電話を探しに歩き回ったな・・・。

とにかく、相方の実家に無事って連絡しなくちゃって。
ぴた友姐姐達のチケットを有効にしてもらわなくちゃって。
水を汲まなくちゃ。
ヘリコプターがすごいなって。
建物の倒壊があまりないのにどうしてだろうって

津波の猛威にまだ気づいてなかったと思う。
原発なんてニュースで言われても、なんだかちっとも。

ライターかマッチがないとキャンドルに火をつけられないな
温かいコーヒー飲みたいなあ

そんな日だった気がする。

自転車今日も朝からヘリコプターが飛んでるし、ちょいと不眠だし、なんかめまいっぽいというか、地震がいつもあるみたいだと思って、病院に行ったら、「地震酔い」だねとぽーんと薬を渡されました。薬で治るんか〜(-_-;)
この前、電話で小姐と話してたら、1年って早いねっていう話になって、確かに最初は遅かった気がするけど今年はもうさっくり1月終わっちゃって、2月中旬になってるし、来月は1年。
県の便りとかみてると、馬術競技場は復帰未定。の文字
だって、現実を見ちゃったんだもん。
そこには処理しきれないぐらいガレキがあってさ。集積場になっててさ。草ボウボウでさ。
もう乗れないんだな・・・。ここで。

馬術競技場馬術競技場

がれき集積所その後ろ側

コサージュ震災の被害で校舎移転を余儀なくされた高校のコサージュのボランティアの依頼を受けて、200名分(笑)アートフラワーによるコサージュレクチャーに9人で中旬ぐらいに押しかける予定です。

丁度、3月の事業も申し込み受付中。
住所に〇〇仮設住宅〇〇−1−〇〇とか書いてあると胸がぎゅっと痛い。

何もできないだけど・・・。
花の話をしている時だけは、和んでもらえたらないいなと思います。

4163744703何回も何回も見ようとおもったのだけど、やっぱりあの日の事を思い出して怖くなってやっぱりまだ見れていません。この人たちは戦ったのになあ・・・。
河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。
その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」と題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。
しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。

これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。
私は躊躇した。
しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。

私はこのささやかなメッセージを続けることにした。
諸君らのほとんどは、大学に進学する。
大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。
大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。
いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。
一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。
知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。
日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。
しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。
大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。
そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。
どの社会にあろうとも、よき友人はできる。
大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。
そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。
エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。
現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。
遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。
諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。
無断欠席など、会社で許されるはずがない。
高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。
それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。

愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。
諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。
高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。
家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。
大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。
波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。
荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。
自分の夢が何であるか。海に向かって問え。
青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。
自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ、大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。
未来に向かえ。
別れのカウントダウンが始まった。
忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」
(ΗΑΛΗΘΕΙΑΕΛΕΥΘΕ ΡΩΣΕΙΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

一言付言する。

歴史上かつてない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。
あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。
だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。

惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。
文明の進歩とは何か。
原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。
原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。

救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。

アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。
窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。
地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。
行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。
家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。
今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。
そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。
共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するとともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。
(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。
もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。
卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校 校長 渡辺憲司

本日、午前4時20分ごろ。震度4。
うちは有感震度3ぐらい。ちょっと長かったかな?

戻ってきていきなりってどうよ??(-_-;)

ミシッとか・・・。
カタカタカタカタって部屋が鳴るだけで
またデカイ地震がくるんじゃないかとか・・・。
まだまだ神経がピリピリしてる。

今日はやたらと余震が多い。

繋げるボランティア今日で7か月目。だからと言って何がどう変わったわけでは無いようであるようで、相変わらずな毎日。

ただただ毎日・・・。聞くのは今度はいつ(またデカい地震が来る)らしいよ(^_^;)と方々から聞こえてくるので、もう飽きた。
来るもんは来るんだわ。(笑)

熱い思いもありましてボランティアで、仙台七夕の開催前に宮城県と全国から集まった折り鶴をつなげました。
もう100歳ぐらいから下は1歳(^_^;)までの、果ては海外からも来たりですごく想いが強すぎて、強すぎて最後はちょっと苦痛でした。(爆)同じように思ったボランティアの人も多かったようです。
本当はすんごく感謝しなくちゃいけないのだけど・・・。

それぐらい想いが込められたので、この鶴は公開後、被災地のお寺で供養する予定だそうです。

たくさんのツル

それはそれはたくさんで

どんどんつなげていきました公開当初、会社の人からぜひ見に来てくださいね。って言われたのだけど、もう胸が苦しくて、現物を見に行くのはやめました。

で、七夕が終わった2週間後ぐらいに県庁で飾ると聞いたので、その時ようやく見に行きました。

別の場所にて

ありがとう 今さらだけど・・・。
「ありがとう」(*^_^*)

ようやく記事に出来るようになりました。

ありがとうです。

エレベーター停止間もなく半年たつけど、マンションの補修工事はまだまだこない。
4階と8階の梁と柱が4月7日の余震でダメージを食らってさらにひどくなったらしく、一番危ないかも?とか言ってたけど、それでもまだ来ないのは、まだまだ住むぐらいなら大丈夫という判断なんだろうと思います。

高校時代の友達が奇遇なことに、旦那さんの転勤で仙台にきて、ボクとは真逆の仙台の北側にマンションを借りていたんだけど、7日の余震で全壊判定をうけて転居しました。

応急処置 彼女が言うには、うちは賃貸だったけど、そこは元々分譲なので、組合でどうするか揉めているとか。
地震から6か月。

ボクも彼女も物理的な被害は少ないけど、精神的にはまだ落ち着いてきたとは言えない。 彼女の3歳の女の子は夜中に地震に関係ないちょっとの揺れや音でも泣き出して、地震が怖いと言うそうだし、マンドリンの仲間内でも子供が夜怖いというので、夜の練習が多いサークルはしばらく休みたいといってきた。

余震で更にヒビ

ツッパリが落ちるいつまた大きい地震が来るかもしれないとか警鐘されても、正直もう参ってますよ。(-_-;)
だいぶ落ち着いてきたなんて嘘です。
だって「疲れた」って言葉が出ちゃうんだもん。出てるもん。

人にやさしくできる心は今は持てない。ごめんなさい

地下水お金がいっぱいあるなら、本当に地震のない国に住みたいよ。(^_^;)

本日14時36分における地震において、有感震度5弱。いや4??
とにかくでかかった。
1人と1匹無事です。

カエル君起動せず。
携帯も、テレビも緊急地震速報なるも、もう揺れてんのよ。(苦笑)
どうしろと・・・。(涙)

相方とまだ連絡取れず。→→→16時40分。無事確認

疲れた。もうやだ。

カエルさんがお知らせ我が家はテレビよりPCが常備ついていることの方が多いので、つけてみた。

ストラテジー株式会社から無料でダウンロードできる緊急地震速報です。

メリットはパソコンにかじりついていても緊急に対応できるっていう点なんだけど、 デメリットは、震源地が近いので揺れの到達時刻が10秒単位。(爆)これが東京とかに設定していると、最低でも30秒ぐらいのゆとりがあるんですが、宮城だと10秒とか・・・。15秒とか・・・。
あっ、地震だ・・・と知らせが来てもパソコンから離れるかぐらいしかできない(実際離れた試しもない)(^_^;)
まっいっか。(笑)

8月11日午後22時31分における地震において、有感震度3か4。
8月12日午前3時22分における地震において、有感震度4。

神様。本当に深夜はやめてください。熱中症対策で早く寝てもこれじゃ意味ないっす。(涙)

おまけに気持ち悪い夢をみた(もう思いだせない。)

あっ、そうそう緊急地震速報の精度が良くなったのか、宮城は鳴りませんでした。
みな無事です。

山元町坂元駅山元町坂元駅

階段からはずれる海岸から2キロぐらいにあった小さい駅は津波にのまれた。駅舎は流されたと思う。線路も流失してる。

写真を撮った時、ボクは野次馬とおんなじじゃないか?と何度も悩みながら撮った。 別にプロじゃない。撮らなくてもいいわけだし、ぶろぐに載せなくたっていい。

だけど、忘れられちゃうことの方が本当に怖い。
こんなに情報過多の時代に一部しか取り上げられなくて、いまだ線路がつながらない地域があるということも知ってほしい。

ホーム

片線残るも

跡形もなく

線路流失

バスかタクシー乗り場

思い出

駅前

本店の義援金分配はまだ難色があるみたいで音沙汰がなくなった。
会員の残りの300名の安否はまだ不明だけど、噂も出ない。

何よりも会員の人たちが一番アタマに来たのは、本店から出されたアンケートの内容だった。
自宅に住めますか?住めませんか?

駅前のこの何もなくなった状態を見てたら書けただろうか。
ボクも、もっと早く知っていたら、こんなアンケートはひどいっすよって言えただろうか。
後日、この写真は本店に資料として提出した。

親先生に、委員になったことを告げた。殊の外喜んでくれたが、してんちょーになったといった途端、あなたと私とでは会社に奉仕する考え方や道が違っているから誤解が生じないように、私のところで習ったとは言わないで欲しいと言われた。
確かに迷惑になるというなら隠してもいい。

ただ、なんとなく相談する人がいなくなってさみしいようで、ほっとしたようで・・・。
複雑な5か月目。



本当に長く強く助けてもらいました。ありがとうございました。

3名の直筆サイン震災前に、すんごく、ボクのイメージしていたモデルハウスを見つけてしまい行ったらば、まあ営業が始まるんですけどね。(^_^;)
その頃はまだ震災が起こるなんて思いもしないから、普通の会話して終わって、そのあと来場者抽選したら、なぜかベガルタの3名の直筆サイン入りのユニフォームが当たっちゃった。
サッカーにほぼ興味のないボクらはふーんとお持ち帰りしたが、だれのサインだか震災と共に去って行ってるかも。(^_^;)
とにかくサイズがでかいので着れん。

12番はぶかぶかであるその営業の担当者は女の人でまだまだ新米さんでしたが、その人の出身が荒浜だったんですね。
例のニュースで遺体が200〜300体あがった所。

震災からしばらくして、彼女が営業マンとしての仕事ゆえなんだろうけど、お見舞いの電話をくれた時に、荒浜出身と以前の会話の中で聞いていたことを思い出して、逆に家は、家族は無事だった?と聞いたら、家も家族も無事です。ただ2人友人を亡くしました。あとはもう地獄でしたと。



とにかく流された身元不明の遺体を自衛隊でも間に合わないので、集落の人達一緒になって誰構わず遺体を運びあった話を聞いて、それでも彼女はこれから家を売らなきゃいけない。
家を無くした人に家いりませんか・・・なんて、そう簡単に言えない状況に彼女がどうか強くなってくれることを祈ってやみません。

本日、午前3時51分頃に発生しました地震に
おいて、宮城中部は震度5弱を感知しましたが、
有感地震的には震度4ぐらいです。

2人1匹無事です。
あぁ。1週間以内に緊急地震速報を2回も聞くとは・・・。

頼む。 寝こみは本当にやめて!!(T_T)


午前0時37分の地震におきまして,有感は震度3ぐらい。 無事です。

こてん18時半に2回も有感地震あり。(怒)
ヘリの音もまだまだ。

どんなに気持ちを切り替えても、現実に戻されちゃうのよね。

3月11日14:46

本日午前3時35分頃、地震。ちょっと長かったかな・・・。
相方が珍しく起きてきたんだけど、実は僕は半分寝てました(爆)
揺れてるなー。長いなー、ちょっと大きいかなーみたいな感覚があったのだけど、もう勝手に揺れとれと起きないままでいました。
したらば、相方が起きてきたので、えっこれデカイ?とか相方基準で起床。(笑)
地震の慣れは怖いですね。((+_+))
たぶん有感だと震度3ぐらい。
ちなみに、るんどんも揺れで固まったのか、机に潜ることすらしてなかった。


調べていたら、3月11日の地震はなんだかんだで13分間は大小合わせて地震に揺れていたそうです。
6分ではないらしい。確かに長かったもんなあ・・・。
まあとにかく一言でいえば、もう経験したかねぇですかね・・・。

あと、寝こみを襲うな(笑) 超寝不足。もう一回寝よう。(-_-)



震災から100日過ぎました。
宮城は依然約5000人行方不明で、この震災で「認定死亡」という制度が6月11日から適用になりました
この届出が受理されると法的処置をもって災害慶弔金等がもらえるようになります。

遺族としては遺体のない(まだ見つからない)家族を「死亡」とみなすか、みなさないかで心が揺れます。

一昨日、うちらは福島応援旅行と名を打って、相方の元同僚の方が脱サラし、相馬市でお蕎麦屋さんを開いている相馬市の松川浦まで行ってきて、おいしいおそばを食べました。
何よりも無事でよかった。でも現実はちょっと下に行くと、もう津波でめちゃくちゃで、このお店の上がちょっと高台にあったから助かったけど、それより下はだいぶ流されたようです。松川浦は海と湾を囲むようにして形成されているので、
おかみさんの話では津波が来るといっても、これだけの規模が来るとは思わなかったし、高台にと言われてもどこまで逃げれば良いのかその時は無我夢中だったそうです。

この映像のフルバージョンを見せてもらいましたが、掲載されているのはこのショートバージョンです。最初の白い建物が途中から無くなりかけているのが解ると思います。
あと大きな橋の道路のしたすれすれまで波が来た様子がわかると思います。

元気なご主人とおかみさんを見て、帰った矢先、彼の訃報の手紙をいただきました。
癌だったけど、穏やかに家族に見守られて亡くなったと聞き、不謹慎ながらも 綺麗なままの体が残り、家族に見守られたのなら幸せだったんじゃないかと思ってしまう自分の感覚が・・・この震災のせいか、宮城にいるせいか。なんかマヒしちゃって、でももう彼は戻ってこないというのは同じなのに。

震災で頑張ってる人を見てきた直後に、この死の知らせは私にはとても辛く。腕を引きちぎられたように辛い。辛い。

危険のしるし4月5日。無事仙台に戻った長町周辺の写真。

今回の地震で長町エリアは太白区(区役所もやられた)の方では比較的にやられた方。

3ヶ月経った今は、全壊判定を受けた建物の場所は既に更地へ。
お店は移転または閉店を余儀なくされました。

ブロック崩れる

外壁はがれる

地盤沈下

外壁に亀裂

外壁に横に亀裂

検査済証

耐震審査で

閉店を余儀なくされた

駅広場 液状化花関係でいろんな職種(大学仲間や、ぴた友や、マンドリン仲間もそうなんなだけど)の方と知り合いになってきたりで、今、宮城県における状況がわかったりします。

特に市役所にお勤めの方は管理職が故に泊り勤務や、夕方から夜の避難所回りの担当です。何故か??

管理職だから、超勤手当て、宿泊手当てが出ないからなんだそうです。
管理職ではない人がこれらの仕事をやってしまうと手当てで経費が圧迫するので、管理職の人達が走り回ります。タダ働きに近いそうです。

マンション正面玄関そして避難所にいって集約避難所(小中学校の体育館が使えないと困ると言う理由から移動してきた避難の人達が集められる)に行き、その集約避難所からも出て行って欲しいと勧告をしに行くそうです。
何故か??

その避難所である場所が使えないと困る人がでて来てるわけです。
ところが仮設に入るのは誰でもOKとは行かないそうです。
家が無くなったら即入れるそうですが、例えば一部損壊の家の人は入れません。 家は住める。でも修理したくても業者の需要が超えてしまってなかなか来ない(うちのマンションもそうですね・・・。)でも雨漏りもするし、じゃあ避難所へとなると仮設には申請できません。

4月5日の太陽では、借り上げで・・・となると今度は高齢者の賃貸を渋る不動産屋さんがでてくるそうです。特に独り身の高齢者は貸したはいいが、万が一孤独死されてしまうと、その部屋の次の借り手がつかないと困ると思ってるそうです。
働く事ができる若い人はぽんぽんと避難所を出て行きましたが、仕事がない高齢者には大きな壁になるそうです。

そして一番の問題は仮設住宅に入っても困る人がいるそうです。
仮設住宅は家賃はタダだし、電化製品も用意はしてくれてるそうですが、光熱費、食費は自己負担です。
無職の人たちには自分達の未来も見えないのに、それを払っていく今後の見通しが見えない。だったら避難所の方がお金はかからないし食事も出る。
これが避難所からなかなかでれない理由です。

旅に行くの?それを同じ県民の役所の人が出て行けと勧告しにいく。

中央で、たちの悪い子供の喧嘩をしてる大人達。
誰がTOPになってもおんなじだと思うよ。
今は責任とかじゃなくて、落ち度があったからとかじゃなくて、現場の声を聞いてくれる人が欲しいのよ。
何で、同じ県民同士で痛みを分かち合うんでなくて、広げなくちゃいけないの?

ボクから言わせて貰えば、「みんな辞めちまえ」(^_^;)
一文無しで、仮設に住んでみたら??

至るところに割れた瓦断続的な余震のせいか、瓦もさすがに耐久性がなくなってきてるのか落ちてくる頻度が高くなったので、仕方ないので道路を歩くという・・・。(もちろん車にも気をつけて)
この時、るんどんが4キロだったのだけど、火事場のなんとやらか、あんまり重い感覚はなかったです。

ようやくついた光実質的に3箇所目の避難所にようやく着いて8畳の和室に。
この時点で18時ぐらい。家から5分ぐらいの市民センターが最終的に避難所になっていて、もっと避難所の事を把握しとくべきだったと反省。

だけど、16時過ぎの段階では、この市民センターはまだ避難所になっていないみたいだとマンションの他の住人さんから聞いていたので、1番目に向かったのに・・・ね。

18時40分ごろ。ようやくあかりついた瞬間。

3箇所目の避難所この市民センターもすぐ人が満杯になって、8畳に20人ぐらいなってしまって、メールで避難所に向かってる相方を見に玄関に行って、戻る度に座る場所がなくなってしまって、ついには動けず。

やっぱり情報がないので、帰るまでに2時間かかったとか、宮城県沖より大きかったとか、海側で大変になってることは全く誰も予想もせず。

19時に相方と無事合流。

ラジオでは荒浜で遺体があがっているというまこと不可思議なニュースが流れていたけど、相方に津波を聞いて野次馬根性のサーファーが流されたの?とか全然訳も解らない質問をして、相方に「今はそう思っとけ」と言われた気がします。

配給された非常食一応、非常食としてリッツを貰いました。最初は子供から余ったら大人へと配慮してくれました。

相方が貰ってきた相方は相方で会社で支給された非常食(なんとお湯かお水でご飯が食べられるというもの)を貰ってきて細々と食べる2人

さすがに、るんどんを担いで歩いた疲れがどっと出てきて余震も相変わらず続いてて、断水でトイレも使えなくて行きづらくて、この人数でこの避難所で一晩過ごすのなら、

不安げなるんどんマンションは部屋はめちゃくちゃだけど建ってるし(^_^;)、トイレも汚い表現だけど自分たちの分で済むから、余震も続くけど家に戻るかという事で20時、避難所からでました。

何よりも、るんどんはおびえてしまってるのが可哀想で出すわけにも行かないので
(お隣は赤ちゃんがいるし、反対側にはハムスターを連れてきたご一家が・・・。ハムちゃんを狙っては、いただけない。)

生協の買出し生協は太陽発電でお店は明かりがついていたけど、中にはお客さんを入れないで、お店の前で販売。この時点で100人ぐらい並んでて、さすがに何か並んで買おうとか全然思わず素通り・・・。
後で聞いたら、1人10点までどれでも100円で売ってくれたそう。



後日談、赤ちゃんのいる友達は紙おむつ(結構なお値段がするそうな)も100円だったらしく、この時ばかりに3つ買ってやろうかと思ったそうだが(笑)、さすがにひんしゅくだと思い、1つだけ購入したそう。(^_^;)

真っ暗だった全くもって停電なので、本当に真っ暗で←←←これはフラッシュなしで撮ったマンションの写真。無論、マンションなんか写るわけもなく・・・。
フラッシュたいてみても↓↓↓やっぱり真っ黒で、不気味な程、暗かったです。


だから、震災後、計画停電で大慌てしてたニュースを見るとふっと笑ってしまう自分がちょっといたりしましたね。(嫌な奴になってました。ごめんなさい)
本当の恐怖は、真っ暗で情報がない時・・・。
星がすごく綺麗でした。それがせめてもの救いでした。(雨とか雪だったらもう・・・どん底。)

フラッシュたいても

5階廊下部分3/12 5階廊下部分3/12

地下水翌日は、土曜日でしたが有事なので、相方が仕事へ。
ありがたいことにマンションの大家さんが、地下水を解放してくれたので、トイレだけは出来るようになり、1人で延々と水汲みをして、果てました。(爆)

このときも、津波で相当な被害が起こっているとは全くもって知らないでいました。
そして翌日早朝福島空港に向かったのでした。

非常用に扉を開けるエレベーターが停止してしまったので、非常用のドアを各階でいつでも開けられるように工夫がされていました。(いつもは鍵がないと入れない)この辺はやっぱり地震の経験が生かされてますよね。(しみじみ)

瓦がかけているおまけに、隣の家の瓦もそんなに壊れてなかったので、ライフラインが断絶したとは言え、やっぱり宮城は地震に強いよなあ〜って感心してたんです。

隣の家反対側は結構やられてたけど、それでもまだ良い方で・・・。
ただ自転車が倒れてるのはなんとなく理解できたけど、サッシが倒れてることはなんで?って一瞬思いましたね。(^_^;)

もちろん、地震で外れたのです。

サッシが外れた

上を見ながら余震が続く中、避難所に向かっていたので、なるべく建物から離れて歩いて行きました。

無法地帯信号機が消えていて、その違和感がすごいありました。

消えた信号

本部の設置は早かった近くの中学校が避難所(自分たちが考えていた避難所は避難所ではなかった(爆))になっていたので最初は柔剣道場へ。
畳もあるということだったのだけど、何よりも体育館では翌日の卒業式の準備をしていたので、こっちに誘導されました。入ったときは多分17時前。

卒業式の前日だっただけど、20分もしないうちに人がいっぱいになり、1時間後には定員オーバーになり(既に体育館解放もキャリーオーバー)、この時点で「高齢者と小さいお子さんがいるご家庭を優先に他の避難所に行って欲しい」と町内会の班長さんが言ったので、移動することにしました。

2箇所目の避難所 17時ごろ

17時20分ごろもちろん、この時、津波で大変な事が周りで起きている事は少なくてもこの周辺の避難してきた人には知らないことでした。
なので、自分たちの家族の心配や、ママ友達で無事で良かったね(学校だしね)と安堵の色の方が強かったです。

あの日の2時間前あの日から3ヶ月。最初の頃のニーズと現状のニーズが変わり始めてきました。
あの日の2時間前はLOFTで買い物をして14時帰宅しました。
あの時、まだあの場所にいたらどうだっただろうか、山形に出張に出かけていた相方がまだ山形にいてたらどうなってたのか本当にその時その瞬間の行動が生死を分ける大きな天災になるとは思ってもいませんでした。

全部地震で動いた炊飯器が6分間踊って、引き出しの中に

モニターが反転PCのモニターが90度反転。
上においていたDVDは全て落下、更にバックアップ用のディスク落下。

ハードが前にせり出したハードも前面にせり出していたので、もうちょっとひどかったら多分落ちてた。

台所が一番悲惨多分、我が家で一番の被害は台所。
幸いだったのは食器棚が開かなかったので、食器は奇跡的に湯飲み茶碗1つ破損で済んだが、あとはもうぐちゃぐちゃ。

離れた。ぴた部屋のラックと衣装ケースはつかず離れずの距離が、揺れで大幅に離れた。

椅子が落ちる積み重ねた椅子が落下。そのため服が取り出せない状態に。

10cm前に移動壁面にぴったりつけていたが、やはり振動で前に移動。上のものは落下

空間が出来る 室外機動く

地震で下降エアコンの室外機がかなり移動。

また、玄関にかけてあったウェルカムボードが上から下にかけてずり落ちるように移動。

未だにかけられないでいます。

住民土手に避難マンションの住民は目の前の土手に避難。 この川は、しばらく先に行くと名取川と合流するのだけど、この時は、名取川が遡上するとは誰も思っていないので、少なくても地震発生後2時間ぐらいは皆いた。

大雪地震発生後、15時過ぎ。
ライフラインが途絶えた上に、この無常のような大雪が振り出して、この時ばかりは、「ボクはそんなに悪い事でもしましたか。神様」と思ってしまうぐらいショックを受ける。

残酷だと思った

陥没山間部もそれはそれで、やられてまして、未だもって復旧の目処立たず。

マンホールが出た!!

相当やられたね

20cmぐらい

ぼこっ

これは80cmぐらいこのマンホールは80cmぐらい隆起してました。

どうやって元に戻すのかな・・・。

もっと残酷クラブに行く近道は小道なんですが、こちらも残酷なまでに道路がぐちゃぐちゃ。

相方が言うには、福島空港の帰りは(ボクを避難させた後、クラブに寄った)、これほどまでじゃなかった気がすると言うので、3月11日よりは4月7日にやられた??

確かに11日は横揺れだったけど、7日は縦揺れの違いがあった気が・・・。

車はもちろんダメ

またまたぼこっ

家ノ前にマンホール家の玄関の前にマンホール

壁崩落酒造の壁も崩落。

瓦落下この家は何か商売をしているらしくて営業中と看板はでているのだけど、落ちた瓦に関してはブルーシートなどせずそのまま。
でもね、こっちはまだいいほうなの。

逆側は↓↓↓もう瓦がほとんどないぐらい落ちちゃってるんです。
どうするんだろう。

どうしようもできない

おっ。残酷な風景を見つつも、
スノードロップ発見。
かわいい。

水ひきが始まった

宮城の田んぼが始まりました。例年より2〜3週間遅れてます。(宮城ではGWが田植え時)被害のなかった山間部からスタート。

沿岸部は2300haちかくあるそうですが、津波の被害で今年はわずか400haの作付けとなるそうです。

でも、田んぼ見るとやっぱり宮城だな。とおもいます。

仙台駅今日で2ヶ月。ダメージが大きかった仙台駅は修復中。

仙台駅に掲げた応援仙台駅周辺を歩くと、どこにいっても貼られてる。

でもね。どこまで頑張ればいいんだろう。これ以上どう頑張ればいいんだろう。
2ヶ月経つとちょっと辛くなってきた。

応援キャンペーンもう2ヶ月経ったからいいや、話そう。
マンドリンを抱えて半月前、合奏の練習に行ったらば、おじさんに「こんな時に音楽なんかしやがって」と言われました。確かにそうだよね。
そのおじさんは県外から救援の為に休みもなく働いてくれてる人かもしれない。被災地から来たかもしれない。とにかくヘルメット。大きなリュック。明らかなのはこの震災の為に苦労してる人だということ。
そしてとても不釣合いな対面の2人。

長町商店街にてゴメンね。おじさん。
でも僕たちにもマンドリンでボランティアの要請が2件程ありました。
聞いてくれる可能性はないけど、役に立てるように演奏するね。

そしてお花のほうでも動きがありました。
もしかしたら2年間は慌しくなるかも。これもまたボクが宮城にいる試練なのかもね。(^_^;)そう、宮城に来る様な運命なら受け入れてやろうじゃないか!!と本人は強気にならんといかんのですが、少々戸惑いモード(今日お話が打診された)のです。やっていけるかな。心配。(ーー;)

ダイエーにて目が覚めると、あれは嘘の事なんかじゃないかと未だに受け入れられない事の方が多いんだけど、毎日自衛隊やら海保のヘリコプターの音を聞くと現実に戻される。だからヘリの音が嫌いになった。
あの日から止まる事のない音が聞こえなくなる頃、どうなるんだろう。

クリスロードにて負けたくないよ。

Kia Kaha!強くあれ。私。
ニュージランドから、Kia Kaha!という言葉を貰った。
同じく地震で被害にあったNZ。
マオリ族の言葉で「キア・カハ」と言うそうです。英訳すれば「Be Strong」
強くなれるかな。なりたいな。

ガソリン危なかった震災後、不足した物で大変だったのはガソリン。
僕らは車は普段馬とか、馬とか馬に行くしか使わないので並ぶ必要はなかったけど、ボクが帰るまでは本当に入手するのが大変だったらしい。

幸運な事に震災前に満タンにしていたので、そのおかげで福島空港まで走らせて、相方仙台まで戻る事ができたのは言うまでもない。

ガソリンを入れた日後々、いろいろな人から当時の入手経路を聞くと、震度7を観測した古川市では、7時間待って5Lしかダメだったらしい。無論5Lなんてとてもじゃないので、また7時間並んだそうな。

3月の終わりごろになって7時間待って(それでも7時間)10L手に入ることが出来たんだそうです。

そもそも相方は並ぶ事が一番苦手な人種なので、待ってられないと行く事はあっても整理券がなくなった時点で待つこともなく、4月5日通常販売の時にガソリンを入れた。
水以上にガソリンがなくなるというのは落とし穴だったかも。

携行缶そのものが最近、仙台では軽自動車(車を流された人が購入で、軽自動車の方が購入手続きが早いらしい)が品薄でやや高騰気味。
あと携帯電話。どこの携帯ショップに行っても品薄。

日常品はだいぶ手に入るようになったけど、どこまで物資が行ってるかわからない。

救援物資が届き始めた頃、洋服はいっぱい来るけど女の人で困ったのは下着だったそうです。 段ボールいっぱいの洋服の中から下着を探す姿に本当に必要なものってやっぱり上手く伝わらない。紙おむつや粉ミルクは大々的にやってきたけど生理用品は少なく、かといって頼みづらかったらしい。
あとは、意外なものでコンタクトレンズ用品でした。


もうこんな地震いつ起こるかわからないけど、念の為にストックがあるといいかもしれません。

MALL長町南にある、ショッピングモールは地震で結構な被害を受けたらしく、地震発生後、しばらくの間は営業が中止、4月5日の戻った時、新宿からのバスは仙台駅までしか行かない(従来だと、長町駅にも寄ってくれる)と聞かされてたので仙台駅まで行くつもりが、何故かこの日は長町駅に寄ってくれたので下車。
ただ着いた頃にはまだ地下鉄がやってないので、とぼとぼと長町南まで歩いたのです。

仙台の信号機仙台で見た久しぶりの信号機、電気がついてる。

モールPART2MALLはPART1とPART2とララガーデンと3つからなる商業施設で、1には西友と専門店、2は専門店とMOVIX、ララガーデンは専門店とスポーツクラブなんかが入ってこの辺ではよっぽどの事がない限りここでお買い物なんかが済んじゃうんで、土日は結構混雑するんです。

1も被害にあったけど、とかく2の方が酷かったみたいで、まず、1の西友が営業再開したのちに、1の一部の専門店が4月中旬に、残りの専門店とララの専門店が4月28日に足並みを揃えて営業再開しましたが、

モールPART2正面玄関2の方はまだもうちょっとかかりそうです。一応予定では5月中旬。MOVIXは未定。

MOVIXもなんだけど、2の方には一階にペットエコがあってそこで、るんどんのご飯を買っていたので営業してくれないと自分の足で買いにいけないので痛い。
そして何故だか、るんどんにあげているご飯のメーカーが他のD2とか他のホームセンターではなかなか見つからない。(汗)それでも結構必死に探して何とか見つかったので、エコが再開する分までは大丈夫かな?

2の方はスプリンクラーが作動したとかで、水浸しになったようです。
島村楽器とかあるんだけど・・・。エレキとかピアノ・・・。(涙)

ララガーデン外壁ララは、まだ建ってから1年ぐらいしかないので、比較的被害は免れたようですが、側面のガラスは割れちゃったそうです。

壁にも亀裂入ってるしね・・・。

ちなみに3月11日の地震発生2時間前、ボクはこのララのLOFTで買い物してました。(ぴーたーさんたちのハガキを買いに)
その時の館内放送を今でも覚えてます。9日に大きな地震があったので「緊急地震速報がなったら各自責任をもって速やかに避難してください」というアナウンスがあって、そっか、何が何でも1人で逃げにゃならんなあ〜と買い物帰りにいつもコーヒーを飲んで買えるのを、丁度その頃、精神的に参ってたんでとっとと帰ろうとバスに乗って帰ったのでした。(ーー;)
あの時間いたらどうなってたかな・・・。

ララガーデン前歩道 陥没

ララガーデン前歩道2この辺は、利府〜長町にかけて断層があるようで、ボクが住んでいる所に比べて道路はひどく波のようにうねってました。

以前、長町に住んでいる人が、ボクの住んでいる場所も地盤が弱いよ〜 と聞かされていたので(どうやら田んぼの上にマンションが建ったらしい)ビビッていたけど、正直、今回は長町の方がひどいと感じました。
うちの周りでここまでひどいのはみてないんですよね・・・。

長町南駅2 長町南駅

地下鉄もえらい目に遭った地下鉄もダメージは大きかったようですが、仙台駅から南は比較的被害は少なく。逆に北側が大きかったようで、しばらくの間その区間はバスで運行されていました。 特に泉中央駅と八乙女駅がひどかったようです。

この写真を見ると5月末再開予定と書いてますが、一ヶ月前倒しになり、これも4月29日に全線開通になりました。

台原までしか買えない無料バスは出ているものの、仙台の地下鉄は通勤通学の大きな足になるので朝はすごい混み混みで北側の人たちは大変だったみたいで、こっち方面に住んでいるマンドリンの人たちはお休みされていました。
在来線組みと、新幹線組みも、もちろん電車が通るまでお休み。

仙台で見た自販機停電になるとね。ジュースも買えないのよ。(涙)

12日、公衆電話探しまくって疲れて目の前の自販機にお金入れたら、コロコロってお金が落ちるの・・・。
何回もやるけど、お金が入らない。
その悲しい音と言ったら・・・。

別府に戻って自販機でコーラーを買った時、馬鹿だから涙が出ちゃった。
こんな当たり前の事にどっぷりハマってありがたみも忘れてたんだなって。

全部とは言わないけど、こういう災害の為に「緊急時飲料提供ベンダー」 (ライフラインが途絶えた時に自販機から無償で飲料水が手に入る自販機)の導入をもうちょっと市のほうで考えてくれると嬉しいです。

仙台駅東口この写真は4月5日のJR仙台駅東口の広場付近。
さすがに周りの修復には時間がかかるだろうが、29日に新幹線全線再開。これで一先ず東の大動脈がつながったわけです。

新幹線の高架柱が崩落しなかった為、普及が早くうまくいったと言うのがオオスジです。これはこれでいいことだけど、逆に沿岸部を始めとする在来線の目通しは厳しい状況にあります。

仙台駅東口2駅も5駅ほど全壊してますし、線路も流されてるし、県知事からは津波対策用に何とか作り直して欲しいとの要望も出てきたりで、明暗が分かれています。

仙台駅東口3本来でしたら、3月12日に九州新幹線が博多から鹿児島につながって、いわば青森から鹿児島までつながる予定でした。が震災の影響で開業はしたけど、開業イベントは全て自粛になりました。
そして4月29日がようやく一つになれた日なわけです。

その頃なんと九州では祝新幹線のCMが流れていたのですが、事情が事情なだけにCM自粛。
でもね。なんかいいCMなんです。新幹線を本当に心から待っていたって言うのが伝わるいいCMです。
来年の3月11日が来たら、ボクも新幹線から見える景色で東北新幹線を応援したいとそう思う気持ちです。1年頑張ったぞ!!ってね。
というわけで、そのCMぜひ見てください。




線路はどこまでも続くんだよ。
たのしい旅の夢つなぐために。
カーブもあるけど、坂もあるけど、いつか必ずどこかにたどり着くから。

あっ!!画面が普通になってた。
宮城ではフジテレビ系列は震災から1ヶ月半で通常に、
他の放送局は四十九日を終えた段階で通常に、
現在NHKのみ現地の詳細情報が見れる様になっています。

かもが戻る幼稚園のマンションの目の前で送迎バスが来るようになったので、幼稚園が再開したんだと思う。もう何日もなんだけど、1人だけバスに乗る時、毎日泣き叫ぶ子がいる。
ある日たまたまその場に居合わせたら「お母さんと離れたくないよ〜。地震が怖い」と言っていて、ああ。心の傷が出来ちゃったんだなあと思いつつ、郵便受けを見てたら、

ご飯は上げないよ。(笑)もう1人のお母さんが「ムリに行かせなくてもいいんじゃない?」って言ったらば、その泣いている子のお母さんが「でもね。この先もっと大変な時が来た時にこの辛さを思い出してバネにして欲しいから無理矢理でも乗せる!!」と言っていて、オカンって強いなあと思ったのでした。
で、今日も泣いてるんだけど。(それ以上にくっついてる子供をバリバリっと剥がすお迎えの先生もツワモノ(^_^;))

川遊びもうしなくなったと思うけど、相方の会社の同僚のお子さんは、震災後、おもちゃのブロックを積んでは津波!といって崩していたそう。
大人が映像見てるのを子供は知らず知らずに一緒に見て感じちゃったんだね。
という事は、大人が元気でないと子供も自然と元気がなくなるのかも。
子供の感受性はすごいなあ・・・。

マンションの土手の川にカルガモが戻ってきた。
餌をくれるいつものおばさんが来ない。
白鷲のつがいはあの日から見かけない。

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