おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

ハイビーム標準で削がれるもの。

午前中から動いたけど、終了。

ん〜、いまいちテンションが上がらない。


たまには本旨を。


車の夜間走行時、ハイビームを強く推奨することにしたようだ。

「歩行者保護」という絶対的正義を旗印にまたまた極な政策を持ってくる。

道交法上、夜間はハイビーム走行はそもそも標準。対向車とのすれ違いのときだけ「すれ違い灯」、いわゆるロービームに切り替えるのがきまり。

もちろん、誰だって事故などあいたくないし、おこしたくないわけだが、現実社会を見ればこの「ハイビーム走行」に無理があることはドライバーなら誰でも思うだろう。

対向車がハイビームのまま走ってくると非常に不快。それがもとで交通トラブルのみならず、相手が悪ければ事件にまで発展することだって珍しくない。

故に「慣習として」全く対向車が来ない田舎道でもない限りハイビームは使わないのだ。不文律。暗黙の了解。

確かにハイビームにすれば視認性は飛躍的に上がるが、慣習を変えることは非常に困難だ。

しかし不可能ではない。あとはその慣習を変えるためにどれだけの周知が行われるかだとは思う。車に搭載され始めた自動切替の普及もその一助だ。

ただ、あまりにも唐突、短絡的に思えたため、ここでは違う視点から言わせてもらう。


この世は「慣習」で社会が構成されている。

法律なんて事が起こった後にスムーズに白黒つけるためにあるとも言えるし、取締りというドライバーにとっての不利益や、結果や行為を糾弾するための根拠として後付けされたものとも言える。そしてそれらに対する恐怖を作ることを抑止と呼んでいるのかもしれない。

自動車社会は特に、自然とできた慣習が様々な場面で作用している。

簡単なもので言えば、合流を交互に行ったり、割り込ませてもらった時のハザードだってそうだし、一旦追い越したら追い越された側以上の速度で車線に戻るとか。

「周囲の流れに乗る」ことの重要性もそう。

これに背くと周囲は多かれ少なかれ不快を感じるわけだ。長年の歴史の中で暗黙の了解をもとに構成されてきた慣習、秩序が乱されるのだから。

仮に法律を正義だとすれば、自然にできた60km/hの流れの中で頑なに制限速度通り40km/hで走る人は、大多数にとって邪魔であっても「正義」なのだ。

その正義によって周囲が攪乱され起きる事故もある。しかし正義は正義。

そう定義しておかないと収拾がつかなくなるからだ。それが法律。法治国家。


私は常々、居眠り不注意のボケ事故以外は運転者の精神状態が大きく影響していると思ってる。

秩序と慣習の中で、人の能力の範囲内でストレスなく運転することが一番の事故防止だと思っている。

もちろん、だからといってスピードをいくら出してもいいとか、車がいなけりゃ赤信号で進んでいいとか、そういうことじゃない。

さらに、人の理性なんぞそんなに優秀ではないから、やっぱり法律は必要だとも思ってる。

しかし何でもかんでも交通序列の絶対的正義に頼るというのは一方への過重な負担や抑圧がエスカレートし、結局は到達すべき目標から遠ざかってしまうのではないかと思うのだ。


くどくど書いたが、言いたいことは、

慣習から外れたハイビーム走行の義務付けを強化することは、夜間の対「クルマより弱者」事故が起きた際に「ハイビームにしていなかったことが原因」として単に車側にすべての過失を載せるため、事故処理を円滑に進めるため

ではないのか、結果そうなってしまうのではないか、ということだ。

これまでは「クルマより弱者」側にもケースによってはある程度の過失が乗せられていたと思う。

例えば、街灯のない道路で自転車の後部反射材がすべて破損していた自転車、暗い色の服を着た歩行者が車道に急に飛び出してきて運転者が視認できなかった、という事故など。

「不幸だが、これはある程度クルマ側にも同情できる」

とされていたケースもあったと思う。

今回、それを一斉排除するという事でもある。

要は交通序列の中の「絶対的正義」が通用しないケース、隙を埋めるという事。

「クルマより弱者は絶対的正義」という部分を否定するわけではない。運転者の「いくらなんでもそれはないだろう」を認めていてはこれまで醸成されてきた交通秩序が崩れるからだ。

しかし、そんな隙は歩行者をはじめとする「クルマより弱者側」に防御心をはぐくんでいる現実がある。

「いやいや、俺はクルマより弱者だから何かあっても過失割合100対ゼロ」なんて権利の上に胡坐をかいた行動、中には敢えてそんな行動をする「偏った権利意識の強い人」も存在する。

法律に重きを置くとどうしてもこんな人が生まれるが、誰でも多かれ少なかれそんな面が必ずあるから、どんな意識の人であっても等分に守られなければならない。

最近の高齢者はちゃんと反射素材を付けた靴や服を着てくれている人が多い。それはもちろん「痛い目にあいたくない」という自己防御心からでもあろうが、一部の偏った権利意識の強い人であってもそんな「隙があること」をちゃんと意識してくれている面もあるからだと思う。

今、「クルマより弱者」側には一定程度そんな防御心がある。そこは非常に大切だと思うのだ。

それを削いでしまわないかという危惧。

車はハード面では交通強者であるが、社会の中では一番の弱者と定義されている。

イジメではないだろうが、税金、交通法制において車はめった打ちしやすい地位だ。反論の声すら上げにくい環境が完成していると言っていい。

誰だって一旦車を降りれば「クルマより弱者」側となる。だから利己的に「クルマばかり虐げるな」とは言わないのだ。

しかし運転者側だからこそ、「クルマより弱者」側の意識が見える部分もある。

普段から自転車も乗る人であれば自転車側の意識や行動が見えることもある。バイク然り、歩行者然りだ。逆にクルマの意識や行動も見える。

ただ、子供と高齢者は別。

子供は車を運転していないし、高齢者は老化からくる意識と体との乖離があるから。

こと人生百戦錬磨である高齢者はさらに前述の「偏った権利意識」を持ってしまう人も多い。だからこそ個々が持つ防御心を削いでしまわない施策にしてほしい。


ハイビーム走行標準化は理想かもしれないが、もうちょっと作用や手法の検討が必要だと思う。


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二重国籍。

ちゃんと更新しないとな。


蓮舫は嫌いなんだけど。

世を騒がせた二重国籍問題。

もっともらしい根拠をもって資質を否定するのは仕方ないとしても、それが中華系であるが故の差別意識はないのかね。

台湾籍ではなくアメリカや英国籍であってもこうなのだろうか。

「いやいや、中国は仮想敵国だから」

まあそれももっともだ。

お偉い面々が淡々と説得力ある根拠をもって「叩く」。

ん〜。

まあ日本人ってのは他国と変わらず理想は語りつつも蔑視意識が強いという事なのだろうな。



蓮舫はさておき、国籍なんぞ宗教などと同じく親の道を踏襲するもの。

わざわざ国籍を意識し、出自を意識して行動しなければならないのか。

「政治家になる際に片づけておく事が常識」

そう、そこを片づけておかないと政治家になる資格がないということなのだろう。


どこの国でもあるのだろうけど、こんな話を聞くとやっぱり日本はサラリーマン社会なのだなぁと思う。

一般的なサラリーマンは、健康保険も厚生年金も、所得税も住民税も、

普通に生活していれば自動的に処理される。

これが日本社会の「普通」ともいえる。

独立などでサラリーマンの身分を失うと、社会のルールってのはこんなに面倒なことなのかと良くわかる。

国保や国民年金の手続きや支払い。当然、会社負担なんてない。

自ら確定申告をして、税金を納めて。源泉徴収、特別徴収も誰もやってくれない。

でも本来はこれが普通であって、サラリーマンはその辺の面倒を単に会社がやってくれているだけなのだ。

蓮舫を擁護するわけじゃないが、これまで名だたる企業の方々と関わってきたが、ある一定のポジションにある方でも、その辺の「本来の普通」を知らない人が多かった。

「え?私より年上で、標準以上の社会的地位にいて、風格も備わってるのにそんなことも知らないの?」

大概、税金等は持ち家を持った時の控除関係で初めて関わるとか。

年金はマスコミで騒がれて初めて意識したとか。

そんなレベルだ。


蓮舫の問題もそれと同じ香りがするんだよな。

まあ、あの人は政治家という「特別な地位」であることと「職業としての政治家」を同列に考えていたのだろう。

でも多くの日本人だって偉そうなことは言えないんだ。

自分の出自なんて本来は他人にとやかく言われる筋合いなんてない。

こと蓮舫なんて日本国籍を持っているし、日本で暮らしている時間の方が圧倒的に長い。価値観も日本人とほぼ同じだろう。

いやいや、その証拠がない!

とは言っても内心は自由だし、本心なんて調べようがないから経歴や過去の行動や言動でそれを判断しようとする。

十数年、数十年前であっても「あのときこう言っていた」と持ち出す。

途中で主義主張が変わったとしても許したくないから弁明させる。上手くその変化を弁明されると「変節」と報じる。いや、変節すら疑う。

こう考えると、この情報社会、ネット社会、ブログやSNSのせいで、今後政治家になることができない人はたくさんいるだろうな。ご多分に漏れず私もそうだ。


台湾籍があっては日本と中国・台湾とがぶつかる場面で公正で合理的な判断ができない?

別にそこは国籍の問題ではない。日本人でだって平気で他国の利益に資する政策をやる面々がいるんだから。それが巡り巡って日本の利益となる、ってか?

国を売るかどうかなんてのは見方の違いだけだ。

そんなとこを捉えて「民進はやっぱりダメだ」とか蔑む論調に発展させたりするのはおかしいよな。

政権崩壊の総括ができていないとか

人材がいないとか

もっと本質部分を掘り下げてほしいのに。

自己顕示欲を隠せない情報番組キャスターや自称政治評論家なんて、民進ネタで明らかにあざけ笑ってるし。

そんなに自民党、安倍政権が好きなのかっての。

単に勝ち組に乗っかりたいからなんだろう。

産経は相変わらず堂々とだけど(笑)

でもそれが逆に日本の民主主義をゆがめていくのにな。わからんのかな。

かつての最強自民党の時代の社会党とは時代も政治システムも違う。

自民党で上手くいく、だから対抗勢力を育てたくない、というバイアスが国民全体にかかっているんだろう。

結果、野党に人材がいない、入らない、育たない。

それを選択したのもまた国民だ。

でも以前の派閥政治でバランスが取れていた自民党と違うからね。

「勝ち馬に乗れ」じゃなく、もっと健全な環境にすれば、きちんとスタビライザーが効いてマトモな野党が育つと思うのだが。


蓮舫じゃねーよなぁ・・・私とすればモナ・・・おっと違う、細野にやってもらってほしかったのだが。

再生は遠そうだ。


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もう1000km乗った。

さすがモデル末期。

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熟成されてるわ。

先週の日曜に取りに行って、一週間で1000km走った(笑)

室内が狭いのは仕方ないとして、一番の不満はエンジンに力がないこと。

街乗りセッティングなのだろう。MCでエンジン出力も下げられたんだから。

高速巡行がちょっとね、前のゴルフ君と比べると大きな差が。

ここはちゃんとゴルフとの差別化されてるとも言える。

というのも私はリアサスの構造が差別化ポイントかと思ってたんだが。

その点は意外や意外、目からウロコ。

想定外にものすごく上手に納めてた。

「あれ?あれだけリンクに拘ってた俺って…」

と恥ずかしくなるくらい。

バタつかない、前後のロール量やその戻りのバランスがすこぶる良い。

軽いことや、エンジンに力が無いこともあり、ゴルフ君よりもアンダーステアがなくオーバーっぽく切れ込んでいく。

だからこそ余計に、

GTIはもつといいんだろうなぁ…

とか、

ゴルフならリンクのハイラインじゃなくても…

と。

まあ…まあね。今さらね。

でもタイヤは15じゃなく16がいいと思う。

で、DSG。

あれ?ゴルフ君のDSGって一体…

と思うくらい、別物。

クラッチミートのタイミング、半クラの長さ、ヒルホールド。

どれを取っても完璧に近い。

DSGとして意識しても、ATとして意識しても違和感はほぼ無いんじゃないか。

まあこのポロは非力だから、わずかな登りで2速3速を引っ張り過ぎるきらいがあるが、1.4ならそれもないだろうな。

でもね、

質感はこの型の初期モデルより下がったんじゃないか?

ドアの重さや閉めた時の音。

内装のプラスチッキー度合い。

気のせいか?

ミリ波レーダーなんていらねーし。

アイドリングストップもいらねーし。

MTでもねーのにブレーキ踏まねえと始動できないってのはいらねーし。

スタンドで給油の順番待ちとかで、アイドリングストップしてる時にシートベルト外すとエンジンかからなくなったり。

それ、いらねーし、って機能がわんさか。

削って載せては仕方ないが、別に欲しくない装備のために、削って欲しくないキモを削られるのは残念だ。

覚悟してたオートライトや雨滴センサーのバカさ加減はほんの少しだけ良くなった(笑)

オートエアコンが「セミオート」なのは嬉しかった。あ、内気と外気が手動で切り替えできる点ね。


今日はこのくらい。

まあ今更敢えてポロを買おうとする人も少なくなったろうけど、気付いたことをチマチマ書いていきます。


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