おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

ガンへの対抗。

さむいわ。

いろいろとさむい。

外はめちゃくちゃさむい。会社の決算もさむい。住民税の最終期日が近いのもさむい。仕事量もさむい。

まあ1月はこんなもんだ。


小林麻央さんの一連の件。

芸能人は大変だと思う。

有名人であるが故に周りが放っておかない部分もあるだろうし、そんな世界で生きていただけに、世間で忘れ去られる恐怖に苛まれたり、自己顕示欲を消化できない苦しさもあるのだろう。

それをうまく昇華させるのがこんな露出の仕方。

でも辛いだろうな。

まあ私も親を乳がんで失っただけに、その過程はおおよそ想像がつく。

「痛い」ってのは本当にすさまじく、健常者じゃ想像がつかないくらいともきく。

そんな痛みを背負った状況じゃ、様々な希望もしぼんでしまうだろう。

いくら周囲が「がんばれ」「家族のために戦え」って言われても、そんなもん本人はハタ迷惑なだけであり。

心が左右に振れながら「もういい、楽になりたい」と考えてしまうのが普通なはず。

しかしそれじゃ困る人もいるわけだ。

それが旦那の海老蔵であり、子供たち。当然だ。

「じゃあ仕方ない。家族のためにちょっと頑張るか」

本人をそう転換させるのが愛なんだろうな。


私が母を失ったのが30年前。

30年も経ちゃ、医学の進歩は雲泥の差であるはずで。

報道やネットなんかじゃ、もうすでに末期で手の施しようがなく確実に死ぬ、みたいなニュアンスが蔓延している。

でもな、私はまだそうじゃないと思うのだ。たとえ余命が宣告されていようとも。

単なるフィーリングだけなんだが、なぜかそう感じてならない。そもそも余命なんて誰が分かるわけでもなし。たとえ医者でも。


うちの母親は生前、完全に死を悟り、受け入れたのであろう転換点があった。

そこからは見舞いに行って話をしても目を合わせてくれなくなったもんな。

まあ真意はわからんが、いよいよあきらめ、死を受け入れた以上、どこか私への後ろめたさがあったんじゃないかと思う。

最後の最後は見てるのも苦しくなるまでの生への執着だったけどな。ありゃやられた(笑)


この30年の医学の進歩が、小林麻央さん一家へ何かしらの「根拠ある希望」を与えているんじゃないかと思えてならない。

人は誰にでもナルシストな部分があるわけで、ブログを読んだりあのTVを見てると「絶望から奇跡の復活」というドラマ的シナリオをなぞっているようで。

心底絶望し、根拠なき希望だけにすがっている状態の文章に思えないのだ。

TVでの、あの姿というかオーラというか、死期が直前まで迫った状況には見えないのだ。

確かに現状はまだ苦しいのだろうが、何かしらの希望ある到達点に向かえているのではないかと。


どこかの医者が「ガンは切るな」とか「抗がん剤はやめろ」って言って叩かれているけど、医療に関係しない人間本来の抵抗力ってのは絶対にあると思う。

西洋医学を否定するわけじゃないけど、入院させて、切って、抗がん剤でヘロヘロにさせたら治るものも治らなくなるのでは?という意味でね。

入院させて、どんどん体力が失われて、そのまま寝たきりになるってのが典型。

以後、日常生活が送れなくなる治療って、それ治療なの?という。

ガンを切ると余計にその細胞が散って転移するってのも信じてる。だからまあ私がガンになったら、最大限小さくして、腹を開かないでジュッと焼いてサクッと取るパターンだな。


まあ、そんなことよりも「気の持ちよう」ってのは病に対して影響力が大きく。

ガンなんぞ、本当は治る病気であるにもかかわらず、それ本来からくる痛みや苦しさに加え、治療によりその気力、体力、抵抗力を奪って死に至らしめる性質の病気なんじゃないかと。

考えてしまうんだよな。

だから今の小林麻央さんを見ていると「もしかしてこれイケるんじゃねえの?」って。

吐いたとしても頑張って食べられる、苦しくても自分よりも周りを先に気遣える、昔よりは瘦せたといってもまだ美形を保つ肉はついてる。

何より、目の下に隈はあっても死相が見えない。私は霊能者じゃないが(笑)


そうはいっても突然体調が急変することもあり得るけど、海老蔵が口にした「奇跡」ってのは今の瞬間じゃなくてもっと先も見据えることができるレベルなんじゃないかと。

ここから復活すりゃ、同じ病気を同じ深刻度で抱える人たちにものすごい希望を与えるな。

絶望なんてない。根拠なき希望にすがる必要もない。「気の持ちよう」の輪郭を明確にする。

これも発信力ある著名人がその過程をなぞるが故だ。

「末期がんに打ち勝った」「がんが消滅した」なんて、一般人なら「たまたま」で片づけられ埋もれていく。世間じゃそんな事例は貴重であるにもかかわらず逆に「胡散臭い」印象すら与える。

それを具現化する役目。


何としても復活してほしい。


↓最後まで読んでいただいた方は「ぽち」お願いします。
rank
↓こちらも何卒お願いします。
にほんブログ村 車ブログへ
にほんブログ村


不毛な。

国産車と輸入車の間では、何かにつけあちこちでバトルが起きる。

ネット上ではそりゃもう、読むのも苦しくなるくらい。

ジャーナリストが輸入車を評価すると「かぶれ」と叩かれる。

何でかな。

そもそも評価の基準が違うのだから、個人の論評にいちいち目くじらを立てること自体が不毛なのにな。

広瀬すずが世界一かわいい。

いや、佐々木希だ。

そんな感じ。どっちもかわいい。私の基準ね。

そんなとこに、

「広瀬すずは照明さんの仕事を見下したから差別主義者だ」

「佐々木希は演技が下手な低視聴率女だ」

なんて否定をぶつけてくる輩が少なからずいるのはこの世のさだめ。

クルマもそうなんだよな。

主義思考は十人十色。だから腐るほどいる評論家の記事なんて、あくまでも個々人の参考としかなり得ない。

「識者」なんてのは「賢者」じゃないのだから、受け手は信じてもいいけど信じなくてもいい、どちらでもいいのだ。

だからこそそんなジャーナリストは、叩かれたくないのであれば、個々人の価値観に委ねるべき部分に触れるときには言葉尻に気をつけなきゃいけない。

ハナから炎上狙い、気をてらうつもりなら別だけど。


私はジャーナリストでもないから思いっきり主観であれこれ書いてるけど、それでも叩かれて恐怖を感じる時もある。

まあ、ブログを書くってのはそんなリスクもあるんだけどね。


で、輸入車と国産車。

普通の乗用車、セダンやクーペやハッチなんかは、やっぱりベンチマークはドイツ系。

国産メーカーは、ちゃんとそれを認めているし。

「ベンチマークはVWゴルフです」

なんて堂々と発信するくらいだから、潔い。

ベンチマークってことは、やっぱりアドバンテージはそちらにある。

そこの評価基準ってのは高速安定性やハンドリングだ。

国産メーカーがドイツ系のクルマの作り方をすると、オーバースペックになり過ぎて割りに合わないはず。

だって、200キロオーバーでぶっ飛ばす性能を求められる国なんて限られる。

だから、その代わりに燃費を良くしましょ、壊れないクルマにしましょ、ってやってるのが日本車。

でもね、200キロオーバーを念頭に作られたクルマって乗り味や安定性、安心感が全然違う。

そこを

「ムダ」ととるか「魅力」ととるか。

それだけのこと。

壊れるか壊れないか、の基準もそう。

壊れて、それを直して、ってのが愛着とダイレクトに繋がる。

壊れないに越したことはないけど、直ったクルマを取りに行ったときの高揚感ってのは間違いなくある。

まあそこも価値観に左右されるのだけど。


日本車の得意種目だってある。

やっぱ、世界中で市場を開拓したハリアー的SUVとミニバンだ。

コテコテクロカンじゃなく、乗用クロカン。

エスクードから始まり、RAV4、CR-V、ハリアーなど。

日本がこのジャンルを作ったからね。

だからカイエンやX5やXC90はいいんだけどどこか「ムムム…」と思ってしまう自分がいてしまう。

あとは日本だけだけど

軽。

そして

HV。

HVと言えば対抗はダウンサイジング。

どっちも一長一短。それこそ個々人の価値観なんだ。

細かく言えば私はCVTのフィーリングが苦手。嫌い。

こう書くと「最強リニアトロニックをサゲてんのか」なんて言われるが、DSGを味わって惚れちまったんだから。

確かにDSGは耐久性に不安があるから、

DSGかMTか多段AT

の三択になっただけ。これも単なる私の好み。

あとは足回り。

一度リンクやウィッシュボーンに乗ったら分かる。

今の私のポロはリアはトーション。

全然違う(笑)

曲がりながらバンプ越えればすぐわかる。

これはいろいろなクルマを乗ってきたから分かること。

でも、ずっと国産コンパクトに乗ってきた人じゃ分からない。

だからと言って、それが分かってりゃエライなんてことはない。

いろいろなクルマを知ってる、クルマが詳しいなんてのは自己満足なのだ。

ヴィッツやフィットが好き、事足りる、って人に輸入車を語るなんざあ、恋人を紹介しに来た人の目の前で、別れてドイツの女性にしなさいって言うようなもんだ。


ま、結論としては、

発信者も受け手も「流す力」ってのが必要ってことかな。

読んでイラっとしても流す。

受け手から叩かれても流す。

個々人の価値観に手を入れる事ほどムダなことはない。

変わるわけないんだもん。

ただ、明らかなアラ探しや揚げ足取りはやめた方がいいな。

やる人は、いくら正当化したところで周囲から冷めた目で人格を疑われてるから。

自戒も込めて。

最終日。

2016年も最終日。

ペースがなかなか自分の思い通りにならないストレスでヤられた一年だった。

年賀状も書けず終い。

1日の時間は万人に平等に与えられてる。やはり人には容量というものがあって、それを超えることはできないんだ。

睡眠を削ると身体がぶっ壊れる。

睡眠を取ると後回しにすることが増える。

必然的に後回しにするものを無くしてしまう行動をとってしまう。


仕事を優先にすると生活にしわ寄せがくる。

だからこそ効率なり要領なりを考えなきゃならんわけで。

そこがデキる人間とそうでない人間の差なんだろうな。

大きな流れに乗りながら自分の方向に向かうことの難しさ。

敢えて取ったこの環境。

欲張りと言ってしまえばそれまでだ。

それが鋭利な刃物となって身を突き刺す。

刺されたらその傷に絆創膏を貼りながら進みゃいい。

進んでるうちに、新しい傷が増えても古い傷は癒える。

まあそう簡単に行くわけないんだが、なかなかハードなもんだ。

でもこれも天命。

天職。

誰にも求められず、仕事もなく苦しんでるのとは逆。

こんな幸せなことはない。

自分のやりたいこと、やるべきことを少しできないくらい。

こんなの人生の中では些細なことだ。

今はこのまま突き進んでみる。

そう決めたのだから。

そして「見えたら」方向転換する。

身体と生活を壊さないように気をつけるだけだ。


来年もよろしくお願いいたします。

記事検索
アクセスカウンター(UU)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

一般社団法人
自動車生活総合研究所
株式会社
自動車生活総合研究所
おさく法務行政書士事務所
こっちはジェントルに
Recent Comments
Archives
  • ライブドアブログ