おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

どっかで見た景色。

こりゃいかん。

「忙しい」は心を亡くすこと。

日常の感性が失われているのだろう。ブログを書こうにも考えがまとまらない(笑)

こんな働き方でいいのかどうか。


とはいえ、書かなきゃならん。

スズキもやらかした。

「いやいや、数値はほとんど変わりませんから」と言われてもな。

私たちにとっては、燃費が変わらないのならいいのだけど、世のルールを犯していたいたわけだから社会的にはそうはいかない。

一部、「三菱と違って株価が持ち直したから制裁はこれで終了」という向きもあるがそうはいかないのだ。


でもやはり「民間に踊らされる行政」があらわになった。

自動車産業は日本の屋台骨。大なり小なり政治力があり、影響力がある。

それがもう半世紀以上続いているのだから。

一般国民や中小企業にゃ厳しい行政機関。でも「力があるところ」とはなあなあの関係なんだということ。

国は「それだけ社会的責任が大きい企業は悪いことしないから任せよう」という暗黙の了解もあったのだろう。

メーカーも「俺たちの方が詳しいんだから黙って見ていろ」という意識もあったんだろうな。

言葉悪く言えば、国が舐められていたんだ。

舐めた方が悪いのか、舐められた方が悪いのか。

自動車産業界には強大な序列がある。

系列のサプライチェーン然り、販社然り。

そして分野ごとにも序列がある。

作るところが上、売りは下。でも中を見ると売る方に対し作る方が頭を下げる。

新車が上。中古は下。

数え上げたらきりがない。

昭和の頃まではあちこち健全に競争してきたと思う。しかし、マツダが傾き、日産が傾いたあたりから「排他性」「閉鎖性」が強くなったと感じる。

要は、仲間は仲間。仲間以外は敵、みたいな。

かつてはなんだかんだ言って自動車という共通のものの中での仲間意識みたいのがあった。

でもそれが消えていき、グループ化とともに強いものに媚び、弱い者を叩くおかしな風が吹いてきた感がある。

強いものは我田引水のために政治を動かす。弱い者はそんな強い者に群がる。

社会は、強者こそ正義かのごとく受け入れ、支持を集めるが、その反動で孤高の一匹狼が世にウケるようになる。

しかし強者はそんな一匹狼の首根っこも押さえてしまう。

日本だけじゃない。世界中でそんな国取り合戦が行われ、寡占化が進む。

「大きくないと生き残れない」という得体のしれない不安に苛まれ、節操なく食らう。

自動車の世界大戦の真っただ中なのだ。

そんな環境の中、日々進化する最新の専門技術に、意思決定の遅い行政のコントロールなんて利くはずがない。


軽自動車だからどうの、HVならどうの、燃費がどうの、潰れる、潰れないという問題じゃない。


私たちは単に「ワクワクする車」「良い車」「満足する車」を買い、乗りたいだけなのだ。

そこに「ちゃんとルールを守って作られた車の中でね」というあまりに当然で言葉にするのも恥ずかしい枕詞が付く。


そもそも競争云々なんて知ったことじゃねぇ。

ガソリン代をケチれる車がいいのはいいが、そもそもコンマ数キロの差で購入動機なんて左右されねぇ。

それを国がああだこうだ規制するのはおかしいのだ。

排ガス規制や安全技術と違って、燃費はユーザーに直接、継続的に費用負担をさせるもの。

資源が枯渇し、化石燃料急騰すれば自然にガソリン車は売れなくなる。自動車メーカーは嫌でも他の手段や技術を考えなければならない状況になるのだ。

それは世界を見て、そんな将来を見て自発的に開発し、世に問うてみるべきもの。そこをないがしろにするメーカーは自然と淘汰される。国が号令をかける類のものではない。

国が管理監督ができないことをやったもんだから、メーカーと立場が逆転し、こんな状況になったんじゃないか?


ほら、そしてみんなこれを機に、

「もうムリな燃費競争はやめませんか?」

って(笑)

誰かコケたことをきっかけに、今がチャンスだとばかりに逃げようとする。

どっかで見た景色・・・。

↓最後まで読んでいただいた方は「ぽち」お願いします。
rank
↓こちらも何卒お願いします。
にほんブログ村 車ブログへ
にほんブログ村

まさか日産とは。

びっくりした。

第三国あたりの自動車メーカーに「器」を売り渡して終わりだろうと踏んでいた三菱自動車の問題。

まさか日産が「取る」とは思わなんだ。

そもそもこの二社の相性は悪いと思っていたから。

強いて言えば共通項はEVくらいなもので。

単にガラパゴス状態の軽自動車の自社開発に二の足を踏んだ日産が、消去法で手を組んだだけだと。

三菱は財閥だし。

こと、近年の日本の自動車メーカー間の提携話は「トヨタ方式」で。

何より、イメージを大切に。

しかし、杭が出て来そうになったらいつでも簡単に叩けるように、資本という首根っこを掴んでおく。

方や掴まれた側も、強者への所属欲や、市場や信用への印象から「是」と考える。

一時、本当に潰れそうになった日産に手を差し伸べたのが結局ルノーだったことから殊更そう感じる。

まあだからと言ってトヨタと日産が、ってのは考えにくかったが(笑)

ここでやはりゴーンさんの経営手腕というか、先読みの力というか、凄さを感じる。

この提携自体は、日産と三菱の株価を見れば市場の評価が分かる。

普通はトップならネガティヴに考える。

慎重さの方が評価されやすいのが日本だし。

一歩間違えれば、腐った三菱ブランドに共々引きずり込まれる想定だってあったはず。

だから「…すげ〜」「やっぱグローバルな経営者だ」と。


さて、実利については報じられている通り。

グローバル販売台数のかさ上げや、EVでの協力は一目瞭然だが、やっぱり国とり合戦での効果が大きいよな。

現状、問題発生前からの三菱自動車ブランドの日本国内でのイメージはすこぶる悪かった。

国内販社さんに同情してしまうほどだった。

でも経営状態は悪くなく。

それもこれも、海外での売上が伸びていたから。

私としては、

「日本を捨ててるのか?」

という感じだったが。

だって、三菱のラインナップがあまりに貧素でね。やる気を感じなかった。

そこが逆に、日産にとっては日本でバッティングしないし、都合が良かったのだろう。

世界を見ても、インフィニティにとって都合の悪い車も三菱にはないし。

DATSUNあたりがバッティングする部分は多少あるか。

でも、三菱の東南アジアからオセアニアでのブランドはめっぽう強い。昔からね。

そうとはいえ、たったこれだけの期間で決断したからすごい。

まあ、日産の現モデルには言いたいことはたくさんあるのだけど、とりあえず今日はやめとく。

三菱はロゴは残るだろう。

国内ではパジェロとアウトランダーが「純三菱製」として残るのかな。


社員の方々は不安だろうな。

でも社員も三菱イズムからは脱皮した方がいい。

一般的に、大きなものに守られている、という安定意識は、いざというときのこちらからの要求に応えてくれないから。

そこから転げ落ちる人を沢山見てきた。

大への所属なんてのは、結局個人レベルでは意味のないこと。

定年逃げ切りなんて運。

クルマ自体や仕事自体が好きで働いていれば、多少の待遇やカンバンが変わっても慣れます。

でも「三菱グループLOVE」でいる人は厳しいだろうな。プライドが邪魔する(笑)


これを機に、より良いクルマを世に送り出して下さい。

ユーザーの顔を思い浮かべながら。

公教育の解放。

久しぶりにクルマいじり。

FMの受信感度がだんだん悪くなり、アンテナかアースか。

そしてここしばらく動かないドライブレコーダー。配線だろう。

みたいな。

で、パチパチと内装を外し、サクサクとコネクターを外して。

・・・イグニッション入れたままだったんだねぇ。

ゴルフ君はオーディオ下の空調のコントロールのとこに助手席側エアバックの警告灯がある。

ランプなのだから、コネクターがある。

何も考えずにサクッとコネクターを外したら、

「ポンッ」

ん?何の警告音だ?

最初は何か理解できず。

一通り作業を終えて、エンジンをかけるとまた、

「ポンッ」

インフォメーションディスプレイを見ると、

「error AIRBAG」

そこで気付く。やっちまった。

結局、バラした症状もおさまらず。

ドライブレコーダーも本体故障だ。

ディーラーも休みなので知り合いのおっちゃんの修理工場でリセットしてもらいに行くことに。

でもまあ、たまにはイジらないと腕が鈍る。


ずっと更新頻度が低下している。

こちらのブログはクルマネタや刺激のある物言いが中心。

仕事の絡みで言えないことが増えてしまい、ちょっとフラストレーションがたまっているのだけど、ある程度の守秘義務やマナーを気にしなければメシが食えないし。

自分らしくないという気持ちも強いのだが、当面は手探りで。



権利意識ってのは厄介なもので。

学校の部活動の顧問制度の是非ってのがいまだに続いている。

yahoo!で特集的なものがあったのでチラ見してみると、相変わらず感情的にギャンギャンやってる。

現に私もそこを考えさせられる出来事を経験してしまったので、このネタは結構目につく。

当時、ブログに書いて叩かれたけどね(笑)


まあ簡単に言えば、

・・・部活動の顧問はほぼボランティアである。

・・・それに対する対価がない。

・・・半強制的に就かされる。

・・・教師は勉強を教えるのが仕事。

・・・教師も労働者だ。

・・・違法だ。

・・・廃止せよ。

という教員側の主張と、これまでの経験から違和感を感じる私らとのぶつかり合いという構図。

そもそも労働関係法令に反する。だから是正せよ。

至極もっともな主張である。


やっぱりね、仕事に対する価値観の問題なのよ。

私らの年代にとっての教師、恩師ってのは、それを仕事としてやっている雰囲気はなかったからね。

そして、私らが今の自分に満足していれば、自分の子供には「自分と同じ経験をしてもらいたい」と思うのが当然だし。

ただそこには教師、恩師の多くの犠牲があったのは確かで。

今はすっかり「職業としての教員」が定着しているから、互いの要求に対して違和感を感じるのだろう。


でも、そもそも仕事ってなんだろう。

自らがっついて働く働き方もあれば、言われたこと、義務を粛々とこなす働き方もある。

私は経営者だからそこの価値観は大きく異なる。

自分の将来を描きながら、貪欲に「取る」働き方しかしてこなかったから。

労働拘束時間の対価なんて考えたこともなかったし。

「これだけ結果を残したんだからもっとくれ!これしか結果を残せなかったからこれだけくれればいい」

というやり方だったからなぁ。

みんな結局、縛られたいんだ。

縛られる、は、守ってもらう、と同義。

でもね、

労働法を厳格に順守する企業や組織が、自分を守ってくれるのかね?

それはない(笑)

今回の部活動の件とはちょっと違うけど、労使が対立して、労働者が使用者を訴えたとして何が残るだろう。

未払い残業代?を回収して。

損害賠償してもらって。

自分の権利を実行して。

そこまでやって、そんな環境で最後まで勤め上げる神経があったらすごいよな(笑)

民間企業じゃ、結局は排除される。

使用者が排除しなくても、集団の論理で排除されてしまう。居場所を失うわけだ。

それに対抗するとなると、もう不毛な戦いになる。だからみんなもらうものをもらって去るのだ。

いくら権利を貫き通しても、認められても、自分の居心地のいい環境になるとは限らない。

で、転職する際、次の職場が、そんなことをやってきた人間を採用するかどうか。

正当な権利を主張することに非はない。でも、その人を採るかどうかは別問題。


「ブラック企業」という言葉が一般化したころから、結構誤解も大きくなってきた気がする。

法定されているのだから権利を主張することは当然である。

でも使用者が求める義務は法定されていないのだ。

義務を課せられて、それを果たせないと「その義務が悪い」と主張することもできてしまう。

権利を厳格に定めるという事は、その分義務も厳格に定められる。

今はその過程にある。

そうなったときに困るのは労働者なんだが・・・。

何でも白黒はっきりさせると、それがブーメランのように自分に返ってくる。

「いつまでにアレをできるようになってください。この数字をクリアしてください」

できなければ職級ダウンだ。

どんどんダウンして、最後に「能力不足」として解雇となる。ちゃんと最初に合意していれば違法性はない。

でも労働者は「私は一所懸命やってる。その義務が悪いのだ」と主張するだろう。

そもそも「一所懸命に対しては対価は発生しない。結果に対価が生まれる」のだから。

結構、ここを勘違いしている人が多い。というか増えている。

仕事とは、

「拘束時間の対価」じゃないのだ。

「義務に対する結果の対価」なのだ。

時給で働いている人だって、一見、拘束時間の対価のようにとらえがちだがそうじゃない。



私はね、ここに関してはあいまいさは残すべきだと思う。それが労働者のためにもなる。

ニーズがあって仕事がある。

ニーズを捉えるにはある程度の試行錯誤が必要なのだ。

杓子定規になると、その必要な試行錯誤すら認めなくなる。

きまり通りにしか動かなくなる。

全ての労働者の義務や規律を使用者が事細かに定め、それにそぐわない労働者を簡単に切れるようになる。

使用者が義務や規律を事細かに定めることは、労働者の権利の反作用なのだから。

これはいわゆるリスクヘッジから生まれるもの。

労働者の権利は厳格に。でも使用者が定める義務はゆるやかに、じゃあ、経済活動が立ち行かなくなる。

労働者の権利で使用者が潰されると雇用自体が失われるのだから元も子もない。

そもそも、使用者はニーズから仕事を生成する。

これは民間だろうが公務員だろうが同じ原理だ。

無秩序に労働者をコキ使わないために労働者の権利が保障される。ここはいい。

でもそれ以上に使用者を縛ると、結局は労働者が困ることになるのだ。

だからそこはクッションとして相互信頼やあいまいさがあって然るべき。

それによって不利益を被る人もいるかもしれない。でもそのユルさが自分を守ってくれるという現実を知った方がいい。

もうそこはコミュニケーション能力と言うか、社会生活上必要な人間力、ヒューマンスキルの域。


誰だってその力を備えることが重要であることくらいは知っている。そこを磨くために日々奮闘している。

それすらも認めない、法定されているものこそ正義、というのならそう生きてみればいい。

私はそうじゃないから、自分の子供たちにもそう教えている。

専門性や知識以上に、社会の中で上手く立ち回る力こそ重要だ、と。


ニーズに反し、学校は勉強だけ、でいいというなら、そう変えていきたいというなら、課外活動は外のクラブでいいというなら、学校と塾の垣根をなくすべきだ。

厳格な競争原理で学校や教員を取捨選択できるようにすべきだ。

義務教育を民間開放し、莫大な教育関連予算を直接子供たちに公平に給付すればいい。

個々の教員の自己実現もしやすくなるだろう。自分の能力を高く買ってくれる学校に移れる。自分が子供たちに教えたいことをさせてくれる学校を選ぶこともできる。

よく、「公教育でしかできないことがある」とおっしゃる人もいるが、民間でもできるはずだ。

私たち親はそれが部活や課外活動、集団生活だと考えていたが、別にそれは民間に門戸を開けば同じようにせざるを得ないはずだ。

ニーズの一つなのだから。

「公教育の解放」

労働者たる教員、子を持つ親、そして子、人材を求める社会、みんなが満足するにはこれしかないと思う。

↓最後まで読んでいただいた方は「ぽち」お願いします。
rank
↓こちらも何卒お願いします。
にほんブログ村 車ブログへ
にほんブログ村

記事検索
アクセスカウンター(UU)
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

一般社団法人
自動車生活総合研究所
株式会社
自動車生活総合研究所
おさく法務行政書士事務所
こっちはジェントルに
Recent Comments
Archives
  • ライブドアブログ