おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

しょうがない。

師走。

早いなぁ。

4日で留萌、増毛間の鉄道が廃止。

こっちじゃニュースにもならない。

やっぱ小さいころの故郷の風景がネガティブな方に変わるのはせつないものだ。

人が乗らない理由は何なのか、人に乗ってもらえない理由は何なのか。

クルマが、道路が、ってのは一番簡単な正当化理由。

首都圏みたいに「乗らざるを得ない人たち」をもとにしたロットの商売で成り立っている鉄道経営モデルを当てはめても頓挫するに決まってるのに。

誰かの歌の「だって、しょうがないじゃない」だけで片づけるのは能がなさすぎるんだけどな。


しょうがないと言えば。

個々人、それぞれに「能」がある。

当然、「能」がない部分もあるわけで。

そこを謙虚に受け止めるか、受け止めることができるかどうかってのは大切。

人は誰だって欠陥もある。

当然、ストロングポイントだってある。

悪い部分は諦めて、良い部分を伸ばすか。悪い部分を埋めて全体を底上げするか。

考え方はそれぞれなんだけど、まずは自己分析から始めないとならんが、それは結構辛いモノ。

私だって辛い。

そもそも、これまでの人生や経歴を客観的に見てもそりゃもう欠陥だらけで(笑)

欠陥を挙げていたらきりないし、直せるわけがない。

バツイチになったこと自体が人間性にどこか欠陥があるからであり(笑)


・・・体もあちこちガタがきているし。

・・・字は汚ねぇし。

・・・机の上も汚い。

・・・大雑把だし。

・・・でも神経質。

・・・ネガティブ思考だし。

・・・寂しがり屋だけど群れるのは大嫌いと言う矛盾。

挙げればきりがない。

ものぐさな私はそんな欠陥の数々を放置することにした。

「だってしょうがないじゃない」

やりたくないことはやらん。

やりたいこと、できること、得意なことをやる。

だから自分で食って行く道を選んだ、いや、選ばざるを得なかったんだと思う。

でも、そのためには大切なことがあった。


自分の弱点、欠陥に謙虚になること。


これ。

弱点を隠すのはいいけど、できないことをできるフリをしているとそのうち詰まってしまう。

最後に苦しんでしまう。

隠す人は、人が見ていないところで必死に努力して弱点を消さなきゃならない。

簡単に言えば、「知ったかぶりを知ったかぶりじゃなくする」ってこと。常にその作業が必要になる。

私だって「あ〜あ〜、知ってる知ってる」なんて知ったかぶりしてその場は相槌を打ったりもすることはある。

でもそのあとに必死に調べる!覚える(笑)

それって結構大変。面倒だから、最初から白旗を上げることの方が多い。

「知らん」

「できん」

「やらん」

その選択の基準は、面白そうか否か、それが本当に必要なことかどうか、程度で。

そもそも一挙手一投足を束縛、管理されることには物凄い抵抗がある。

だから組織じゃ働けない(笑)

でも、だからといって自分で全てをやる、知るなんて土台無理筋で。

若い人なら努力すればどうにでもなるけど、よわい45の私が今から新しいことをゼロからってのは無謀と言われる年齢。

「これまでの経験からやる」じゃないと逆に通用しないのだ。求められるのもそれだし。

だから自分にないものを周囲を使って、助けてもらって、

「やる」。

そのためにはやはり、

「これ、俺わからんからやって」

「俺の能力じゃできんからやって」

というお願いの気持ちは絶対に必要。だって頼みごとに転換するんだから。

「自分の能力でできるんだけどやって」

では頼まれた方は意味が分からんし。じゃあ自分でやれよ、ってなる。

ここで言う能力はキャパも含めてね。


人に頼むイコール「お願い」。

そこには社交上お願いする理由や最低限の儀礼を求められる。気持ちを伝えないとお願いを聞いてもらえない。

それの根源が

「謙虚」

そのために

「自分の弱点、欠陥を認める」

ことが必要になる。

謙虚は別に演技でもいいのよ。でも認めることは内心の部分だから。

認めることが最も辛い。

とはいえそれができないと周囲とのかかわりが大変になってしまうんだよな。

周囲は当然「謙虚」を求めるんだから。

それがないと「命令」となる。誰がやるか!

そこを端折って、忖度して、先回りしてやってくれるなんて家族くらいなもので。

好きな人のためでもない限り、それはあり得ない。

だから、

「お願いする、助けてもらう」

に必要な

「儀礼」

の根源となる

「謙虚」

のために

「自分の弱点、欠陥を認める」

作業の前提として

「己を知る」

のだな。

うん。


だから、これを逆からやれば人から助けてもらえる、できて初めて助けてもらう資格が与えられるとも言える。

振り返ってみれば、私も人から救ってもらった時には、我ながらそれができていたと思う。

昔、外注さんとケンカばかりしていた頃もある。、結果お願いなんて誰も聞いてくれなくなった。

スケールのデカい仕事に図に乗っていたんだ。

でも最終的に詰まって改心したらみんながまとまって助けてくれるようになった。まあ当時私も背伸びして苦しんでいたことを見透かされていたんだろうな。じゃないとあれだけ怒鳴り散らしていたことを許してなんてもらえないだろうから。

あの場所で改心できたのは良かった。だからその後独立できた。

いや、改心じゃないんだ。

単に自分に正直になっただけ。

苦しい、助けて、自分の能力でこれはできるけどあれはできません。

「でもやりたいのです」

それが抵抗なく出せるようになった。

そうしたら人が集まってくれた。手を差し伸べてくれる人が増えた。

世捨て人的な性格の私だが、元々人は嫌いじゃないから。

自分に下駄を履かせたり、繕うことをやめたらすごく楽になった。

自意識、自尊心も強く、カッコつけの性格は相変わらず。人の好き嫌いも極端だが、こうやって今もどうにかこうにかやっていけてる。それだけ周囲に支えられているということ。支えてくれる人がまだいるということ。


「己の弱点、欠陥に謙虚であれ」


確かに私もまだ十分じゃない。

でも道は間違っていないと思う。

惰性。

もうJR北海道の存在意義はないな。

「だって、しょうがないじゃない」

対応、主張からそんな気持ちが滲みまくってる。

惰性に任せた経営の結果だ。

恵まれた環境に甘えまくってる他のJRと同じビジネスモデルを踏襲しても、行き詰まるのは容易に想定していたはず。

にもかかわらず、厳しい気候、薄い人口密度を嘆くばかり。

人を集めるのは行政の仕事です、と言わんばかり。

確かに、官僚出身知事の無感情で合理性ばかり追求した道政の責任も大きい。

しかし、そもそも経営なんて環境に合わせていろいろ考えるものだ。経営のために政治や行政があるわけじゃない。

どうせ計画通りに全て廃止するのだろう。

となるともうJR北海道なんて会社の体を成してない。

経営のための機関や内部の管理部門のコストすら無駄。

公共交通という社会的責任を果たせない、と宣言したも同然、かつ儲かる路線だけで続けさせろ、と要求しているのだから、事実上すでに経営破綻しているといえる。

一部の資産と研究技術を手土産に、JR東日本に救済合併を申し込むべきだ。

函館札幌間、札幌旭川間、札幌帯広間と新幹線だけならJR東もOKするだろう。

残る路線があまり変わらないのなら、大資本に運営してもらった方が安全だし、様々な展望も開けるというものだ。

本当なら、北海道の経済界で経営を引き継ぐ新会社を立ち上げて欲しいところだが、現代の私鉄の経営ノウハウがほとんどないから厳しいだろう。


あとは道政だ。

札幌への一極集中を自然の流れ、時代の流れと捉えていていいのか。

地域振興策は市町村任せ、ろくに予算もない市町村の自己責任のままでいいのか。身の丈に合ったレベルの名物名産品を考えさせ、作らせるのが振興策か。

それしか考えられないのか。

道庁、道政はそんなレベルの人材、知見の集まりか。

もしどうして良いか分からないのなら、まずはいろいろと試行錯誤からだろう。

税金を無駄にできないから失敗できない?だから試行錯誤はできない?

そもそも成功の裏付けがある策なんてない。ある方が胡散臭い。

きちんとした過程を経て立案したものを道民に投げれば必然的に議論が始まり、チャレンジへの合理性を判定してくれる。


確かに自動車が鉄道に取って代わるのかもしれない。

それが北海道にとっての時代の流れなのかもしれない。

でも、中にいると感じないかもしれないが、北海道の衰退具合は間違いなく危険水域に入っている。

東京にいる私には言う資格はないが、もう少し危機感を持つべきだと思う。

見てわかるだろう、中央は地方を救わない。中央は地方を牽引なんてしない。

経済合理性と自己責任論で切り捨てる。そこにほんの少し叙情や同情を纏わせれば世論は簡単に同意する。

だから余力のあるうちに能動的に中央と対峙していかないと。

中央経済なんて地方をはじめとする国全体を基盤として繁栄してる。でもそうは考えずに、地方交付税で「田舎を食わせてやってる」という不合理の認識が強い。

でもそこに感情論で異を唱えても意味がない。

中央の最大の武器はカネよりも多様性に富んだ知見と人材。

それをどんどん利用すべきだ。


今の北海道には奇をてらうくらいのリーダーシップが必要だ。

やっぱMTなんだわ。

ここんとこ続く高齢者の暴走事故。

便利、楽、としてできたであろうオートマが、その引き換えにこんな事故を増やしてる。

昔から高齢者なんて腐る程いるし、運転する高齢者だって腐る程いた。

しかし何故ここにきて特別クローズアップされるくらい多くの「同種事故」が起きるのか。

まあ、いわゆるアクセルとブレーキ踏み間違い事故ってのはAT特有のもの。

右脚の裏、ほんの10cmの踏み場所の差。

現役世代には分からん老化。想像もつかないだろう。

でも、歳を取るということは「これまでできた事が次第にできなくなる」と同義。

しかもそれはある日突然できなくなるのではなく、できる日もあるができなくなってきた、という曖昧な境界を経てできなくなる。

右脚で、いや右の足首より先だけで加減速とブレーキという三操作を担わせるのは、アタマの回線の接触具合によっては混乱に陥りやすいのかもしれない。

案の定、ネットでは「高齢者の運転を禁止しろ」とか「70歳で強制卒免」とか出始めた。

でもそれは一番短絡的な思考。

地方の高齢者にとっては死活問題にもなる。

そもそも、MTであれば「踏み間違い暴走」に関してはほとんど防げる。

クラッチで駆動力を切る、しかも左脚で。

何よりエンストが怖いから意外と左脚への意識を強くして運転しささる。

これって生態学的にも合理的なんじゃないかと思うのだ。

今の高齢者は免許的には全員MTが乗れる。

高齢者にMTを勧めてみてはどうだろう。

いやいや、面倒だからそう簡単には行かない。そりゃそうだ。

なら、何らかのメリットを与えては?

税制、車体価格、保険、いろいろ誘導策はある。

今のAT限定の世代が高齢者になる頃には超高齢社会も落ち着いてるし、自動運転だのが進んでるだろうからな。

とりあえず「今」に対してはMT誘導が最善だと思う。


認知機能の低下に対しては、やっぱり更新時にハードルを設けるしかないよなぁ。

特に、「警察署での更新」はやめた方がいい。

あれじゃ単なる書き換えだ。

高齢者の件とは関係ないが、明らかに視力検査で引っかかってるであろうにも関わらず、何回もやって勘で言い当てさせ無理矢理合格させてる光景を何度も見てる。

処理優先の安協にやらせてるからこうなる。

申請者とトラブルになりたくないからこうなる。

現状の根源にはこんな「現状」があるのだ。

安協は行政じゃないから裁断できないんだ。結果、処理優先でなあなあになる。

いちいち免許センターを使うのも利便性が大幅に低下するから、地域の自動車学校と警察が一緒にやればいいのにな。

警察が自動車学校のコースを使わせてもらって高齢者の更新時検査をやる。

認知機能のね。

あとは運転者を認知症と診断した病院に警察への通告義務を負わせたり。

病歴は最重の個人情報だけど、事件事故が起きた後に「診断歴があった」なんて言われても意味がない。

人権に配慮した形で上手くやれるはず。


まずは高齢者にMTを「流行」させよう!

MT運転したら、間違いなく認知機能にも良いと思うんだが(笑)
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