おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

2007年08月

花火で思う。

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 昨日は花火で締めた。

 子供の夏休みでの土日はあと一回あるのだが、実質昨日でおしまいだろう。


 中国産製品が騒がれているが、花火をやって実感した。

 昨日やった2セットのうち、ひとつはmade in china。

 これがなんせガサいのだ!

 途中で消え、再度復活したり、見た目は長いのにほんの2秒ほどで終了したり、火勢も総じて安定しないものばかり・・。

 「まあ、こんなものか」と思いつつmade in japanモノに手を付けると、これが全く違う。

 確かに価格は中国モノの2〜3倍はするが、質が雲泥の差だ。

 どう言葉に表せばよいのかわからないが、みなさんもきっとやれば一目瞭然だと思う。


 ふと感じる。

 そういやぁここ数年、デフレと呼ばれた時代。我が家の財政事情もあり、ここかしこ、いろいろな廉価商品を手に入れてきた。

 しかし100円ショップで買ったものなんてまともに使えるものは稀。単純な箱、文房具や材料なんかはいいけど、ちょっと凝ったものなんか最初から壊れていたりまでする。

 結局「100円だから・・・」で自分をいさめてしまうことも度々。


 自転車でいえば、8000円の我が愛チャリなんて過去5年、雨ざらしなのに1度くらいしか磨いていない。要は使えりゃいいのだ。

 でも我が子のものとなるとちょっと違う。安全性や品質を考えてどうしてもメーカー品を選んでしまう。

 そりゃ日本の有名自転車メーカーだって現状、中国に大きく依存しているのだろう。しかしやっぱりちょっと質が違う・・。


 私の愛チャリは「手放し運転」ができない。不安定でハンドルから手を離せないのだ。最初それは「私の体の老化」だと思っていたのだが、上の子の自転車ではできたのだ。

 きっとキャスター角など、設計の問題なのだろう。そう考えるとちょっと怖い。



 考えてみれば結局普通に買ったほうが安かったりしないか?

 金額はもとより、時間、労力、不快感・・・そして安全性に対する不安。

 きっとこんな気持ちを持つこと自体がデフレの終焉ということなのだろう。


 しかし前にも書いたが、これで中国製品が質も伴うことになったら、どえらいことになる。

 価格が上がる速度と品質が上がる速度、仮に後者が上回ったら日本製品なんてひとたまりもない。

 かつての先進国同士の品質競争じゃなく、先進国対発展途上国という図式になったら大変なことだ。

 「国」が感情を持たなければ問題ないのだが、そこは生き物。貿易は周知の通り様々な要因に左右される。

 これからの時代、食料だけじゃなくエネルギーや資源、製品の自給率ももっと注目されるべきだろう。

 「アンタもういいわ!絶交だ!」「日本ムカつくわぁ。みんなで外そうや」

 なんてことになったら THE END。


 今の外交は西側中心で仲良しタッグを組んでいる。でもそんな仲間は兵糧攻めに合う国に対してどれだけの援助をする?

 自国だけでアップアップなはずだ。


 これだけ生産を「低コスト」という単純な理由で、国家リスクの高い国に依存している現状をどう認識しているんだろう。

 とはいえ、「全部自国で」となればママチャリですら昔みたいに4,5万するようになるんだろうな。

 でもそうなった方が何でも大切に直しながら使うようになって、今流行の「eco」になるのだけどね。



 やっぱりモノにはそれ相応の適正な価格ってのがあると思う。いくらお客様のオーダーとはいえ、「5万で車検1年以上あってまともな軽を・・」とか言われると、「おいおい、自転車買うんじゃないんだからさ・・」と口に出そうになる。

 普通にお店から車を買うなら最低でも総額30万くらいは出さないとまず安心なものは買えません。それ以下できちんとしたものを手にしたのなら、それは単に「ラッキー」だっただけであり、博打に勝っただけなのです。

 不可能ではないですよ、もちろん。特別なコネや力関係を使えたり、誰かからタダでそんな軽を「もらう(仕入れる)」ことができたなら、それを5万で売る販売会社もどこかにあるでしょう。

 ただ、自動車販売における収益構造から見るとそりゃ「よくできるなぁ・・」となるわけです。

 分かりますよね?

 いくら「すぐ壊れてる可能性があってもいい」と思って買っても、現実そうなったら「あそこの車屋は最悪だ」という気持ちになるはず。直すのにもカネがかかるし捨てるにもカネがかかるのだからね。これは100円ショップで物を買うのと同じ。そして運悪く売った客みんなにそう思われちゃあ遅かれ早かれ商売は頓挫する。

 つまり、一定の品質を保つにはある程度のコストがかかるということ。特に、自動車販売というのはコストがかかる割に根本的な集客力が弱いですから、100円ショップみたいに「人を集めて」とか「数でどうにかする」ことがしづらいのです。

 命を預ける道具、車。名義を変えるだけでも白ナンバーの法定費用だけで5000円くらいかかります。行政書士に頼めば最低でもプラス10000円(車庫証明もあるので)くらいはかかる事を見れば、最低でもどのくらいが限界かわかるでしょう。


 「安いものはハイリスク」

 そりゃリスクなく安い買い物ができれば消費者は幸せだ。

 でもそれを言ったら極論、「お金がなくても生活できるのか」ということになる。しかしそれはないですよね。

 誰かのごやっかいにでもならない限り、悪い事をしない限り、自給自足の生活をしない限り、生きるためにはお金がかかる。

 それと同じだ。


 合格点を付けれる使い方をできるようにするためには、最低限のコストがかかる。

 品質の管理が容易なものとそうでないものがある。その分別を全面的に消費者に任せるのは「悪」と言い切れるだろう。だからこれからの時代は「企業モラル」が重要であるとされ、モラルを持ってしても持たざるものに潰されることがないように監督するのが国家や行政だと思うのだ。

 「自由」という名の背信行為。「管理=共産・社会主義」という短絡的思考。

 そろそろ変えて欲しいものだ。

 ねぇ・・?。



 さて、行こう。




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一億総無責任化

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 昨日は久しぶりに雨が降り、涼しい朝だった。

 一転、昼過ぎには晴れ始め、またうだるような暑さとなる。

 今日も暑い。でも風には確実に秋のニオイが・・。ほんと早いなぁ・・。



 プールで滑り台絡みの事故があったそうで・・。またご遺族と関係なくヒステリックにぎゃんぎゃん騒いで「禁止」になるのだろう。

 そもそも、人工的におもしろさを狙って作ったものの多くには危険がある。

 危険とおもしろさは紙一重の部分があるからね。これ当然。

 いくら厳重に管理をし、監視員を配置したところで何らかの危険は完全には排除できるはずもない。(少なくとも今回のような「沈んでいる所を発見」なんてことはなくなるだろうが)

 こんな「遊び場」に関して、それが人工的に作ったものか、誰が管理しているものなのかが問題となる。

 その責任者になれば、何かがあったときにはガシガシ責められる。そうならないようにあれやこれや逃げ道を作ったり、危険を排除するのだ。


 遊び場って一体何なのだろう。


 以前にも書いたが、自宅の近所にあるプール施設は、尋常じゃないほどの管理で閉口モノ。子供とジャレただけで監視員が「やめてください!!」と叫ぶ。水中で逆立ちしただけでも怒られる。

 気分が悪いのでもう行かない。

 でもそれは税金で作られ、天下りさんがいらっしゃるであろう団体、柳泉園組合といいます。そして立派なお風呂施設もある。だからこそ「もしも」があったら困るのだろう。



 公園では軟球のキャッチボールすらできない。サッカーなんてご法度。それにあぶれた青年チームが近所の幼児向け広場を占拠して本気モードでフットサルをやっている。

 どかんどかんとボールが飛んでくるので幼児を連れたお母さんは隅っこに追いやられている。

 遊び場が少ない時代。雑木林には「私有地につき立ち入り禁止」の看板と柵。畑に入ったボールを取りに入っただけで怒鳴られる。

 「もしも」のときに管理責任を問われる可能性があるからだろう。



 人がみんな弱くなっている気がしませんか?

 常に何かあっても誰かを責めることができる環境を選んでいる気がする。自分が小さいときってそうだったっけ?



 「海行ってくる!」とだけ言い残し、岩場の海でガシガシ泳ぐ。少しでも高い岩から飛び降りることをかっこいいこととし、少しでも深く潜ることを自慢した。

 雨が降ろうがシケようがお構いなし。「お前ら死ぬ気か!」と警察に怒られることも笑いのネタ。

 貸しボートを沈没させてオヤジさんに大目玉。でもみんなで引揚げ、水抜きしたら何のお咎めもなし。

 クラゲが出始めたらシーズン終わり。あっさりしたものだ。刺されたら痛いからね。


 台風の季節になると港の防波堤に行くことが多くなる。大シケだとものすごい波が来てそれこそ東映の映画の最初の部分みたいな情景の中に入ることができる。もちろんびしょ濡れだ。

 港の立ち入り禁止の場所は格好の遊び場だった。水面から15mはあるであろう防波堤の上を歩いたり、外海に面するバカでかいテトラポッド群の隙間を渡り歩き、帰りの道順が分からなくなったりもした。

 今思えば、一歩間違えば死んでる。

 ・・私の親はどう思っていたんだろう。きっと知らなかっただろうが。

 もちろん、こんなことで死んだら自業自得。誰も責めることができない。



 でも今の一般的な「遊び場」は誰かを責めることができるのだ。利用者はそれを安全や安心と勘違いしていないだろうか。

 もしもの事があったとき、その原因を追究するのは当然だ。でも、「責任ある人」が設定されてさえいれば、とりあえずは「敵」の姿をみることができる。

 最近のマスコミをはじめ、何らかの事件事故、問題が発生したときには深い検証をしないまま責任の所在の粗探しに走る傾向にある。攻撃対象を求めているのだ。もちろん「今後の糧として」というあいまいな免罪符を持ってだが。


 「ぶつけどころのない悲しみ」

 これをみんな恐れている。子の親なら特にそう。でもそれが自然の姿ではないか、とさえ思う。


 私がかつて遊んでいた岩場の海も今は遊泳禁止になった。

 公園には禁止事項がずらずらと書いている看板がここかしこに置いてある。


 「にもかかわらず危険なことをしたときの責任は取りません」


 そんなの分かっている。分かっていることを言われると逆に嫌悪感を持つ。でもそれを言うこと、伝えることが管理する側の義務とされている。


 慣習があって常識がある。当然ということがある。「隙間」や「不備」を悲しみに対するはけ口にするならまだ同情できるが、それを揚足を取るかのごとく濫用するものがいるからみんな一斉に防御に走るようになった。それが一部の常識を持たない人の出現によって加速度的に増幅し、さらに防御に走る・・。

 防御が増幅すると「無責任化」する。無責任になることが是となり評価される。


 一億総無責任化だ。


 隙を見せないように常にビクビクしながらの生活。そこには相手に対する思いやりや謙虚さのカケラもない。


 飲酒運転で福岡での幼い子供3人を殺した元公務員はいけしゃあしゃあと「酒は飲んでいたが危険運転ではない」と言い張る。

 事実は変わらない。人を殺めた結果も変わらない。飲酒の程度?それを争ってどうなる?猛スピードで衝突した事実、飲酒を隠蔽しようとした事実、救助しなかった事実・・。もし贖罪の念があるなら減刑を目的としたこの主張には矛盾がある。

 「法を厳格に用い、真実に基づいて」という司法の役割を逆手に取っている。

 「謙虚な深い反省で減刑を求めるより、あいまいな部分を矮小化して減刑させたほうが徳だ」という結論を導いた被告弁護側は非難されるべきだと思う。

 無責任、問われている責任を少しでも小さくしようと動く様は本当に見苦しい。




 軽く法律の勉強をしているとほんとに実感するようになった。

 どうしてみんな心をも損得勘定でコントロールするんだろう。どうして法をそのための道具にしてしまうんだろう。


 責任の度合なんてぱっと見れば大体分かる。問われた側は「少しでも削る」。問う側は「少しでも多く負わせる」。そのやり取り自体が「無謙虚」。非常に感情的で本能的だ。それを「法」を絡めることで論理的外見に「見せる」だけなのだ。


 話を遊び場に戻そう。

 まず、公共が運営に絡むプールに遊具は必要ないと思う。そんなものなくても子供はいくらでも楽しめる。
 そして民間の遊園地型の大規模なプールにおける管理責任を限定すべきだ。そんなところでの子供の監督は親がするべきであり、第三者の重過失や加害が明白でない限り「おぼれたのは○○の責任だ」などという論理が通用しないことは常識といえないだろうか。もちろん、混雑の調整などの責任は問われるべきだが。

 学校内における子供のケガも一定のレベルまで免責にするべきだと思う。殴った殴られただの「○○にやられた」だの、重篤な後遺症でも残らない限りどうでもいいことなのに親や教師が騒ぎすぎる。学校こそ、謙虚さや相手を思いやる気持ちを教える場なのだから、まずは学校内における解決を優先するべきだ。権利主張をぶつける親の姿を子供がどう感じるかを想像すれば、自ずと親も「謙虚さ」を子供に見せるべきでもあることくらいわかるだろう。それすら分からない非常識なヤツが多いのだが。



 責任を背負う人が馬鹿を見る、のが現実かもしれない。
 でも最低限、親は子供に対して責任を持つべきで、それを応援するのが公の役割であると思う。だからこそ派手な遊具を備え付けて儲けるためのプールを運営するのは本末転倒だと思うのだ。

 子供同士でも行かせることができるプール。これで十分。

 派手なプールは民間に任せて、親と運営元両者が安全の責任を取ればいい。




 「責任感」と「良心」はほとんど同義語だと思う。

 法を盾に、慣習や常識を無視し、謙虚さや思いやりを捨てるのはどう考えても間違っていると思う。


 何を言いたいか分からなくなってきた。

 支離滅裂になってすいません。



 

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飛行機きらい。

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 飛行機が燃えた。

 映画のワンシーンやストーリーみたいに、乗客の避難が終わった直後に「ボカーン!」。偶然とはいえできすぎだ。

 これで死者が出なかったのは奇跡に近い。何事も死者数で重軽を判断しがちな関係者は猛省を。

 無事だった乗客の皆さんはきっと「命は紙一重」ということを痛感したに違いない。できればそんなこと実体験したくないはずだが。

 それにしても無事で何よりだ。


 散々報道されているが、中華航空といえば名古屋空港での事故。

 確か私が就職した年だった。

 操縦ミスによる失速、墜落・・。

 元々飛行機嫌いの私が完璧にアレルギーになったきっかけだ。あのあとから飛行機に搭乗する度に異常に冷や汗をかくようになった。

 離陸の時には「ちょっと角度急じゃないか?!」「加速足りないんじゃいか?!!」なんてビビってしまうのだ。

 飛んでいる最中も手は汗がびっしょり。

 着陸するときはもっと大変。だから私は新幹線派。


 「飛行機の事故の確率は交通事故よりも低い」

 でもそんなの関係ねぇ!落ちりゃまず死ぬのだ。


 航空会社は今コスト高で苦しんでいる。そのしわ寄せは何処へ行く?

 鉄道はまだ地に足が着いている。船だって「生きるため」の選択肢がある。でも飛行機には空中だとそれすらない。

 パラシュートくらい積めばいいのに。コスト?のせいかそんな話すら出ない。

 だから信用できないのです。

 ・・・北海道新幹線の早期開業を望む!!





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24時間TV。

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 24時間TVが終わった。欽ちゃんは残念ながら時間内にはゴールできず・・。

 私は天邪鬼。基本的にこんな感動の押し売り的策略は大嫌い。「ここが泣くところですよぉ!」という製作側の聞こえぬ声が逆に怒りに変わってしまうのだ。

 タッキーのドラマも崇高なストーリーの割には演出が幼稚で呆れ笑い。学芸会を見てるようだ。

 そう。私は性格が悪いのです。


 でも泣けるんだよな。知ってても「策」にはまってしまう愚か者。





 否定はしません。たった1日の番組で億単位の寄付が寄せられると言うことは決して無くすべきじゃない番組だ。

 TVという最強メディアの一番良い行動だと思う。

 あれを見ちゃうと、街頭で「宜しくお願いしま〜す!」とやっている地道な募金が偽善とさえ映ってしまう・・。




 「感動チャンネル」なんてあって良いと思いませんか?一日中困っている人たちの特集を放映して募金を募る・・。

 結構、人間ってのは本能的に感動や善行を欲するもので、それを狙えばそれ自体でひとつの形が出来上がると思うのだけど・・。スポンサーは製作費用を負担、それだけでも社会貢献になる。

 動機が不純かもしれないけど、良く考えると結局みんなそうだ。

 全くの献身的ボランティアなんてありえない(と思う)。

 自己陶酔、自己満足、偽善、外見、世間体・・・多くは何かしら何らかの思惑があり、それを悟られないようにするのが「美」でもある。

 でも、良いことや誰かを助けるのは裏表なく心地よい。これも本能だろう。

 それなら別に、動機云々は関係なく「やること」を悪という人はいないはずだ。



 困っている人がいる。

 困っている状況を広く伝える。

 助けたい人がいる。

 でも助け方が分からない。助ける方法によって自分の満足感をもっともっと高めたい。


 こんな需給の関係を結びつける何かがあっても良いと思うのだ。


 ふと、自分の足元を見つめるとまたいつもの生活に戻る。駅前でやっている募金には目もくれず、ひたすら先へ急ぐ。
 電車内で狸寝入りすることもある。気が向いたら老人に席を譲って、気持ちよくなることを求めたりもする。
 痴漢を捕まえて正義感を満たしたこともある。でも被害者はいつの間にかその場から立ち去り、怒りにも似た感情や恥ずかしさに立ちすくんだっけ・・。

 ボランティア精神って何なのだろう。

 強制するものでもないのに無いと非難される。周りにアピールしたくなるものでもあるが、見せないのが「美徳」ともされる・・。

 う〜ん、不思議だ。




 

 

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極端だなぁ。

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 伊勢丹と三越がくっついた。

 まただ。

 どいつもこいつもでかくなりゃいいと思っている。

 例えその気がないとしてもでかくならなきゃ生き残れない、といういまの経済システム自体が間違っているような気になる。

 「商品仕入の共通化」

 「スケールメリット」

 「財務体質の強化」

 「・・・」

 ま、結局は「どこでも置いてあるものが同じ」になることを言う。看板は違っても扱い商品に特徴がなくなるということだ。

 安く仕入れ高く売る

 商売のセオリーかもしれないが、それは萎縮とも取れる。

 「個性的な商品を並べれないからコストを削って利益を・・」なのだ。


 別に当事者を蔑むつもりはない。きっとみんな一所懸命やっているのだろう。でもじゃあ「なんで?」と考えると「ネタ切れ」以外に思いつかない。

 開発されるべき商品は開発され、安価になり、新しい売り方もこれ以上思いつかない・・・。

 一方で人件費は高くなり、様々なコストも上がり続けるのが世の常。

 それでいて売価はそのスピードについていけない。



 たまたま先日、カミさんと「うまいラーメン屋」の話をした。

 「うまい」の価値観は人それぞれであることを前提としても、近年あまりに二極化しているように思えるのだ。

 うまいところはうまい。

 まずいところはまずい。

 うまいところはもちろん長続きするし、それなりに混んでいる。

 でもここ東京はまずくても淘汰されるまで時間がかかるのだ。

 「ラーメン評論家○○絶賛の店!」

 食べてみるとまずい。でも行列だ。

 一旦メディアに取り上げられるとあぶく銭が稼げる。噂じゃそれを目的としたビジネスも成り立っていると聞く。
 「味」に関しての価値観は人それぞれだから、真実を報道すべきメディアもそれに関してはいくらでも逃げ道があり、比較的扱いやすいネタなのかもしれない。

 そして人がうじゃうじゃいる以上、飛込みがあてにできる。「二度と来るか!」と思っても場所さえよければそれなりにやっていけてしまうのが大都会のラーメン屋なのだろう。

 東京で私もいろいろ食べ歩いたが、今では飛び込むことに恐怖すら感じるようになった。

 うまみ調味料が山盛りのラーメンは食べた後ぼんやりした吐き気に襲われる。

 何を使っているのか分からないが「ドロッ」としたスープもいやだ。くどくて全部食べれない。

 やたらとニンニクや背脂でごまかしているやつも閉口。

 そんな「奇をてらいすぎ」なものばかりなのだ。


 私の舌は鈍感。特段グルメじゃない。鼻が悪いから風味や味も人よりはうるさくはない。どちらかと言えば雑食で、多少まずくてもとりあえず腹が一杯になれば満足するタイプだ。だからこの私が「食べれないほどまずい」のは相当まずいんじゃないかとさえ思っている。

 「北海道の食べ物はうまいよ」とよく言われる。

 いや、食材のレベルは確かに高いのだが、そうじゃないのだ。

 特別うまいのではなく、どこでも大体平均点以上付けれるからなのだと思う。

 その辺のラーメン屋や食堂に飛び込んでも、まずくて食えないということはほとんどない。「ま、普通かな」と言える。


 これは簡単。「まずいとやっていけない」だけ。

 人の絶対数が少ないけど、かといって身内客を望めるほど人とのつながりが強いわけでもない。

 飛び込み客をあてにできるほど人が歩いていない。

 地道にお得意様を作り、それを広げるしかないのだ。


 まずいとすぐに潰れる。それがいやだからみんなそれなりに研究や努力をする。


 これは普通のことだ。


 でも東京くらいのパイがあればそれをしなくてもある程度やっていけちゃうんだろうな、きっと。だから信じられないくらいまずいお店もなかなか潰れない。



 北海道の食べ物がうまい、といっても一部でレベルは下がっている。チェーン化したラーメン店の多くがまずくなってる。具体的に名前は挙げませんが。

 そしてびっくりドンキー(創業は盛岡だが)も先週久しぶりに行って驚いた。

 150gは変わっていないが、300g以上は実質高くなったと思う(多分)。そしてこころなしか小さくなったような・・。基本的な味は変わりませんが。

 お子様ランチのおまけのおもちゃもなくなった。

 店員の表情も殺伐としている。


 経営が厳しいのかな。最近流行の地域別料金なのかな。


 でも私の定番、エッグバークディッシュ300gが1000円ほどになっちゃぁもう行きたいとは思わない。さよなら。




 ちなみに三鷹駅南口商店街にある「なないろ」ってラーメン屋が最近のお気に入りです。きっと賛否両論あるであろう、ほのかな酸味が感じるしょうゆの香りが強いスープがクセになった。見た目と違いあっさりしているのでいつも全部飲んでしまう・・。

 まわりはみんなつけめんを食べてますが私は常にしょうゆ。うん。



 で、話を戻して何を言いたかったかというと、

 「でかいところは守り。小さいところは冒険」の時代。

 ってこと。

 両者両極端だ。どっちも一番端の考えじゃあ転げ落ちるのが運命かも。

 十年後はどうなっているんだろうね。まだまだ苦しい時代は続きそうだ。


 私は私のできることしかできません。

 


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北海道。

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 この暑さは今日までらしいです。ほんとかな?

 今朝は野田のヤードへ。

 特段大きな予定もないので、出品予定の車をちょこちょこっと・・。

 いやぁ、それにしても「レンズ黄ばみ・くもり取りクリーナー」はすばらしっ!見るも無残に黄ばんだヘッドライトレンズがよみがえる!!

 皆さんもちょっとやってみて。カー用品店で800円くらいから各種売ってます。



 白い恋人はダメだね。

 北海道人としてもそう思う。


 雪印から始まった偽装云々、北海道が多いの何の。これじゃ「北海道=偽装」と思われかねない。

 単なるお土産のお菓子。確かに不味くはないけど、あれはお土産だから成り立つのであって、そうじゃなければ必要ではない。

 ただ、北海道土産の定番にまでにのし上がっただけに余計その罪は重い。


 石屋製菓のトップは今じゃ北海道経済界の重鎮だっけ?十数年前から偽装をやっていたとなればコンサドーレに携わった頃からか?


 ふとコンサのサイトを見る。


 サッポロビール、JAL・・・景気よくなさそうな企業ばかりだな。大丈夫なんだろうか・・。

 今現在J2で首位。盛り上がっているのにね。

 日ハムも首位。なのにねぇ・・。




 雪印もそう。ミートホープもそう。そして石屋も。

 ちょっと甘えてんじゃないか?

 「北海道経済は厳しい・・」それは誰もが認める。

 「内地(本州)に比べれば・・・」そうそう。

 元を質せば全て「コストカット」でしょ?ケチったんでしょ?

 それは「金を残したいから」でしょ?

 売上が厳しい、地域経済が厳しい、そんな強迫観念からあんなことをしたと言うなら、ちょっと幼稚すぎやしませんかね?

 あんたらはただでさえ「北海道=食」というブランドに乗っかって楽(かさ上げという意味)をしていたにもかかわらず自らそのブランドそのものをぶっ壊してしまった。

 別に潰れるならそれでいいさ。知ったこっちゃない。

 でもきちんと地道に事業を行ってきた他の道内企業にはどう説明するんだよ?石水さんよ。食品関係はみんな道連れだぜ?

 きっと今回も内部告発だったんだろう。つまり社員の士気も知れてる会社だってことだ。士気が高ければたとえ社長の指示があってもそんなこと(偽装)は起こらない。会社の統治構造がしっかりしているはずだから個々の社員の良心で自制が効く。

 まともな社員が少なくなるとこんなことが起きるんだ。それもこれも社長の意識ひとつに起因する。




 にしても最近思うのが沖縄との格差。


 正直、私は沖縄が好きじゃない(関係のある方、失礼!)

 2度ほど行って悲しい思いばかりしたからだ。


 前職の仕事で行ったのだが、某行政機関でいじめられまくった。

 「東京の感覚で仕事持って来られちゃあ困るんだわ!ここはオ・キ・ナ・ワ!」

 う〜ん・・。ま、いいか。(と言いながらかっちり反撃してます)



 そして次は別の機関。ちょっと方言部分が聞き取りづらかったので聞きなおすとあからさまに悪態つかれたり・・、「・・内地の人・・」って言われもした。

 おいおい違う、俺は道産子だ!


 いじめは2度目もね(笑)。用事があった機関が同じだから。私、苗字が珍しいから覚えられてた(泣)


 そして入った食堂での沖縄料理の不味いこと・・というか口に合わない。(再度、沖縄関係者にお詫びします)

 きっと入った店が悪かったんだ、と2度目は安パイを狙い空港でお弁当。でもこれも同じ。ほとんど手を付けれなかった・・。


 なのにTVじゃあ沖縄、沖縄!うまいうまい!人がおおらか!次から次へと出てくる沖縄ブランドのスター。etc・・・。

 「えぇ〜違うだろぉ?!」

 ちょっと嫉妬心もありつつそう思うのでした。




 かつては北海道がそんな感じだった。

 様々なキャンペーンがあり、北の国からや、相撲や食べ物、まさに総じて北海道ブランド。

 そんなこともあって、私も最初に上京したときに躊躇なく「北海道出身です!!」と言えたのかも知れない。

 
 今では「凋落の星」。炭鉱閉山、拓銀破綻、雪印、ムネオ先生、ムダな高速道路、過疎、夕張・・・ネガティブな話題しか聞こえない。

 あんな「可能性の大地」をどうして各時代のスケープゴートにしてしまうのかね?

 北海道開発局だって別に道民がそう仕向けたのじゃなく「国策」だった。それも今となっては公共事業ばらまきの温床とされて、結局そこまで甘えていた道民がいきなり袋叩きの状態だ。

 炭鉱だって、掘れや取れやで財閥系企業が掻っ攫っていき、用済みになれば「さよぉならぁ・・」と廃墟だけを残していった。街を建て直す責任は住民に押し付けて。国は策ではなく甘〜いドーピング交付金だけで「これでどうしようもできなかったんだからアンタらの責任だ」と。

 農業だって農協が農家に借金させてさんざんやらせた挙句、「余ったから減らせ。他のもの作れ」だものね。気候が厳しいから内地と違って簡単に転作できねーっつーの。それを「競争力をつける努力が足りない」と言われりゃみんな離農するわな。それで今「自給率が・・」なんて騒いでる。

 東京のテレビ局が発するヒステリックな言葉や映像で世論がどんどん鋭角になり、政治家のセンセイも国民を統率するのではなくゴマをすり、媚びるようになった。
 利益誘導ができなくなったから、画面を通じて国民に「おもしろ〜ぃ、気持ちいぃ〜」と思わせたり、正義っぽさを演じることで「すてきぃ〜、かっこいぃ〜」と思わせて集票するしかなくなったんだな。これじゃ芸能人国会だ。



 堺屋太一センセイが某新聞で書いていた。

 「2世、3世議員は地盤は地方と言いながら結局は東京育ち。地方のことは分かっていない」

 その通りだと思う。ね、防衛にご熱心なナカガワ先生、これといって特徴が掴めないマチムラ先生。両先生とも中央での出世は順調のようで。

 いくら国会議員は「国民」の代表とはいえ、自分の生まれ育った故郷がどんどん廃れていく姿を目の当たりにしたらあんな政策は取らないはず。人の心が在ればね。

 「へぇ〜大変だねぇ〜どうにかしないとねぇ・・」程度なもんなのだろう。



 「無駄な高速道路を作るな」と一世風靡した某センセイも東京にお住まい。

 国を動かすことができるお偉いセンセイ方はみんなみんな東京にお住まい。

 たとえ地方の実情を理解しているセンセイだって今の風潮では「地方にカネをまわすことは悪」と言われれば手の施しようがないのだろう。でもそれに代わる案が出せないということはそれがそのセンセイの能力なのかもしれない。


 多数決の原理でいえばきっと、

 「人が少ないんだから仕方ないじゃん」

 「都会に引越しさせればいいじゃん」

 という論理が跋扈する。でもそれでは国は成り立たないのだ。


 それを調整し、国のグランドデザインを描き、長期スパンで考えるべき投資を国民に対して理解を求めるのが政治だったり行政であるわけだ。でもそれをしない、できないということはこの国の中枢が壊れているのかもしれないな。

 でも「壊れている」ということを認めると自分達がバカだということを認めることと同じ。だからそうならない言い訳として「自由競争」や「民主主義」、「効率化」、「小さい政府、権限委譲、規制緩和」と吠えるんだろう。


 なるべく問題が発生した時や失敗した時の責任を問われたくないわけ。謝りたくないもんね。だから常に誰かのせいにできる舞台を整えているんだな。




 北海道のみなさん。かつての私を含め道民は、常に何かに甘えていたのかもしれません。何らかの「傘」を求めていたのかもしれません。

 でもそれができなくなりました。

 自信を持ちましょうよ、北海道はその気になれば国家として独立もできる資質がある地なのです。逆に北海道以外は東京がないとどうやっても成り立ちません。

 かといって独立は否定しますがね。


 これから北海道が自力で復活できたあと、他地域資本によって「いいトコ取り」されそうになったら反乱を起こしてやるくらいの誇りを持ちましょう。

 そして「俺が北海道を立て直した」と名誉を欲しがるであろう中央の政治家を蹴飛ばしてやりましょうよ!

 そのためには今の支店経済や観光頼みじゃだめです。産業構造を変えないと。

 いつか将来私も合流したい。

 その前に「モラル」ね、特に食品関係は・・・。



 私の心は北海道・札幌・留萌にある。





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終戦記念日で思う。

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 昨日は終戦記念日。

 おもしろい。TV各社みんなそれとなく安倍総理の姿勢に批判的だ。

 戦前の雰囲気?再軍備?核武装なんたらかんたら・・。危機感を煽っているようにも感じる。

 いろいろな論客、キャスター、学識経験者、そして実際に戦争を体験している人たちのコメントの数々・・。

 やっぱり実体験している人の言葉の重みには誰もかなわない。


 NHKでも討論会みたいなのをやってた。その中で小林よしのり氏のコメントは説得力がある・・。

 でもね、違うのよ。

 「国はこうあるべき」という確固たる信念は素晴らしいし、流されて生きている人が多い中、将来のこともちゃんと見据えているのだろう。

 ただ、アメリカと離れるべきだとか密接になるべきだなんてカンケーないことであり、そもそもどうして「戦争」に対して準備しないとならないのか、「準備しなきゃ」という気持ちを持たなくてはならないのか、という論点に欠けている。

 北朝鮮、中国、ロシアが侵略してくるかもしれないから。

 もしかすると韓国や東南アジア諸国までもそんなことをするかもしれない。


 そんな疑心暗鬼や猜疑心からそんな論理が生まれる。

 「誰が日本を守るのか?」

 これはある意味扇動のためのワンフレーズともとれる。


 非現実的なのは分かるが、日本が周辺各国と平和条約を結び、実際の関係も良好なものにできればどうなる?

 各国と程よい距離を保ち、貿易摩擦をコントロールし、国境問題をクリアできたら?

 国益という非常に曖昧な言葉を盾に互いに権利を主張しあうだけ。後付けで歴史解釈を持ち出したり、最後には民族差別的な論理がアンダーグラウンドで出てくる。

 日本は島国だ。だから大陸とは違う価値観や国民性が醸成されてきた。よく言えばつつましい。悪く言えば閉鎖的、排他的。

 でもこの価値観や国民性は世界に誇れるものだと思う。


 敗戦国という自虐的な意識を捨て、新しい日本の自信を取り戻す。


 そんないきなりスイッチを切り替えることに何の意味がある?


 いいじゃないか別に。こんな国でも。


 と、思う。



 ここで再軍備をしたり、ばんばん海外派兵する国になればそんな積み重ねで作られてきた素晴らしいものが吹き飛ぶと思う。

 Aという実在する見本があって、それに近づけることが正?

 新しいBというものを作るのはダメなの?

 「もし前例のないBがダメだったら誰が責任取る?」という論理は非常に消極的。

 日本は、元々あるものをよりよくする力に長けている?全く新しいものを作るのは苦手?


 政治家や国の方向を見据える役割の人たちは怠けていると思う。楽をしようとしていると思う。現存するレールに日本という列車をただ乗せることだけに注力している。

 日本は世界から見れば、侵略国であり敗戦国であり被爆国であり、甚大な戦禍からこんな短期間に目ざましい復興を遂げたモデルケースでもある。

 それだけでも国際的に重要な役割を担う素質を持ち、そのノウハウを欲しがっている復興途中の国もたくさんあるはず。

 別に派兵することが国際貢献じゃない。再軍備することが普通の国になることじゃない。それは西側が作った今までの価値観でしかないのだ。



 私はもっと国連の権限を強めて欲しい。

 今の国連が腐っているなら、安全保障に関する新しい組織を作りゃいい。そこが専門的に加盟各国の国を守るのだ。

 侵略や内戦は無条件派兵。国境を挟んでの紛争は両国に派兵。加盟各国に支店(防衛軍)を置いてもいい。

 テロだってその原因となる問題を解決すれば論理上は起こらなくなる。アメリカがイヤだというならアメリカに手を引かせればいい。それでも屁理屈を言うなら仕事を作り、普通の生活をさせるための支援を全世界がやればいい。

 かけがえのない家族との平穏な暮らしを壊してまでテロに走る人はほとんどいないだろう。もしそれが過去の恨みから来るものならきちんとした謝罪が必要だ。

 な〜んて空想なのだが、今の緊張感を利用した安全保障スキームが頭打ちとなっている以上、次の策はインパクトのあるものじゃないと一気に瓦解してしまう可能性がある。

 それを先導するのが日本であって欲しい。


 かつて某番組で誰かが言っていた。

 今の政治家で実際に戦地で戦った人はどのくらいいる?2世議員の親なんて、政治家だったのだから戦争に行っていないじゃないか。指揮する立場だった人間の子供たちに本当の戦争の苦しみなんて分かるはずない。

 まあこれが全てではないにしろ、そりゃそうだ。


 実際に戦争を「させた」人たちの子供が今の日本を操っているんだな。きっと多かれ少なかれ植民地化の正当性や国家論なんかも聞かされていたはずだ。いくら終戦となって「あの戦争は間違っていた」なんて聞いたとしても、刷り込まれた記憶は無意識に学術的な整合性を求めるはずであり、それが今の状態を生んでいると考えれば納得がいく。

 ま、そんな人にしたら兵隊さんは結局コマだしね。政治家やその家族はどうあってもライフル持って前線に行くはずもない。だから国益や国際貢献という言葉で隠してどうにかこうにか派兵したいんだろうな。でっかいものをコントロールするのは気持ちいいし、それが「軍隊」だったら尚のことなんだろう。

 9条を改正するならきちんとしたスキームを国民に見せるべきだ。

 自衛隊を日本軍に。

 派兵して戦死者が続出。

 入隊希望者が減る。

 徴兵制ができる。・・・というのが自然な流れ。


 ここで徴兵の条件が平等なものか見ものだ。

 「国会議員の3親等以内の親族は免除」とか

 「行政の重要な職務に携わっている職員の3親等以内の親族は免除」とか

 「上場企業の役員の3親等以内の親族は免除」

 なんてものがあったら暴動発生だね。

 でもきっと「滞りなく要職を遂行するために合理的だ」とか

 「国益にかなう」とかいって押し通すんだろうな。・・やだやだ。





 この問題は書き始めたらきりがない。


 少なくとも「意気がってどうするの?」って感じだ。アタマはいいけど弱くて目立たないヤツがケンカ系で出世したいからって空手を習い始めた途端に図に乗る、という感じ。アタマいいんだからその道で出世できるのに、ケンカ漫画の読みすぎで勘違いした、というところかな。


 人それぞれ、その環境ですべき最適な役割ってのがあるのよ。いくら憧れの人を真似てもその人そのものにはなれないのだ。

 多くはその途中で悟って自分の道を見つける。無理して背伸びばかりしていると周りから誰もいなくなる。

 今の政治(家)の幼児性を見るとそうなりそうで怖いのだ。



 それにしても昨日のNEWS23での、未だ戦地で放置されっぱなしの遺骨の特集には参った。あまりの生々しさに鳥肌が立った。

 こんな状態なのに「戦後レジームからの脱却」だと?!ふざけんなだ。

 もう収集しました。もういいでしょ?といいたげな行政。

 政府も行政も当事者意識ゼロだ。悪い先人のしでかしたこと、で片付けようとしている勘違い。あんたらがやったのだよ、戦争は。紙切れ一枚でコマにし、捨てた人たちのことをうやむやにして葬り去ろうとしてるけど、後片付けくらいきちんとやろーやぁ・・。


 あんなこと、民間の人だけでやることじゃねぇよな。


 日本が前に進むためにもね。





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盆休み終了。

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 私の盆休みはあっという間に終わった。

 今日は特段予定はないのだが、体を戻すために仕事にした。




 お盆にもいろいろ考えさせられることがあった・・。



 高速道路での繰り返される痛ましい事故。

 決まって犠牲になるのは何の過失もない子供だ。

 大型バスが渋滞の列にノーブレーキで突っ込んだらひとたまりもない。TVは繰り返しバスの運転手を攻撃する・・。


 ちょっと待て。


 サードシートに座っていた若いお母さんと赤ちゃん、まさか後ろからあんなでかいシロモノが突っ込んでくることなんか想像しようもない。これが普通だ。

 じゃあ、車の構造に非はないのか?そんな予測に基づいて作っていないのか?

 何度も言っているが、何かにつけ 「仕方ない」 で片付けようとする風潮が高まっているのだが、メーカーはどう考えているのだろう。



 そもそも、小さい車で多人数を乗せようとすると3列シートにすることは不可避だ。

 しかも規格があるからその分3列目は後面に近くせざるを得ない。

 それはイコール、クラッシャブルゾーンに食い込むこと。


 フロントで考えればエンジンルームにシートを配置するのと同じだ。でも後部はエンジンやミッションのような緩衝部はない。


 今でこそ車体の構造、衝突安全基準の進化によってフロント部はそこそこの安全性を持つようになり、ハイエース的な「四角いやつ」でもある程度の安全性を保たれるようになったのだが・・。

 一方、時代の流れというかニーズに合致したとでもいうか、ウィッシュ等に見られる「乗用3列シート」が大流行。

 これら車種の多くが、3列目は「補助的」な位置づけだ。

 要はトランクルームの床と兼用しているものが多く、必要がないときは折りたたむことができる。折りたためないとしても形や構造を見るとそれは一目瞭然。なんと貧弱なこと・・。

 そして私が前から一番気になっていたのが、後輪の車軸より後ろにそのシートが配置されているということだ。

 車の構造を理解している人なら分かるだろう。トランクフロアは一枚の鉄板。バックパネルは「骨」じゃない。これも薄い鉄板。つまり両側に走るリアサイドメンバーだけが「骨」。

 後部の床は後輪の車軸を支えるところまで、横に走る骨らしい骨がないのだ。

 モノコックの中でその骨の代わりをするのがボディの一番後ろのピラー部。バックステップがあればそれもそうかな。

 まあ、一言で言えばこれも「貧弱極まりない」のだ。

 大切な人をそんなスペースに知らずに乗せている多くの人・・。


 そもそも追突されて死にまで至る人が「少ない」から?

 追突の場合、責任の所在が明確だから?

 あくまでも3列目は「補助」として、できるだけ2列目(5人)までの人数で乗ることを呼びかけさえすればいい?



 簡単でしょ!リアフロアにクロスするメンバーを、ボディはリアピラーからルーフ後部にかけてAピラー並みの骨を走らせればいいだけでしょ!せめて3列シートの車だけでもね!




 私がかつてランクルに乗ってたとき、一度大型のタイヤショベルに追突されたことがあった。

 「ボカン!!」

 かなりの衝撃を受け、「おいこらあ!」と勇んで降りていったものの、どこにも傷が見当たらない。

 ぶつけた運転手も「確かにぶつかった」と言っている。

 「???」

 よくよく見るとフレーム直付け、ヒッチのところに1センチほどの真新しい傷がある。あ、これだ。バケットの爪がここに・・。

 「いやあ、ランクルは丈夫だねぇ・・よかったぁ・・」

 おいおい、ぶつけたお前が言うんじゃねぇ。

 兎にも角にも、これじゃ弁償もなにもないや・・。




 別にラダーフレームが万能というわけじゃない。でも少なくとも3列シートの車の後部に関しては「やわらかく吸収する」のではなく「硬い」構造で乗員を保護するべきだと思う。

 「車重が」

 「燃費が」

 「コストが」

 なんていう、人の命よりも自己満足を優先する開発者やメーカーは去れ。乗員の生命を守る最初の義務はメーカーにこそあるのだ。

 環境性能?デザイン?経営?それは全て「安全性」に基づくべきものであり、並行させるものじゃない。その責任を消費者、加害者、規格、基準のせいにして逃げるんじゃねぇよ。


 そもそも、コスト削減の策「プラットフォームの共通化」が度を越しているんじゃない?最近の車を見るとつくづくそう思う。




 今回の夏休み旅行はほぼ完璧だった。

 渋滞らしい渋滞にも巻き込まれず、一通り観光し、精力的に動いた。

 初日は宿についてダウン。爆睡。

 2日目は朝から晩まで観光、かんこう、カンコウ・・。

 最後はスワンボートで足が痙攣。


 我がワゴンRくんもよく頑張った。いろは坂もウンウンいいながらクリアしたし。




 それにしても思うのが観光地商売の未熟さ。

 腹立つこともしばしば。

 TVとかじゃいいことばっかりやっているけど、いざその中に行くと「おめぇらだけが客じゃないんだよ!」と言わんばかりの対応が目に余る。

 以前の私は「・・・何ぃ?おらぁぁ!!」とやってただろうが、最近はちょっぴり経営側の視点で冷静に見れるようになった。

 「・・・そんなことしてたら、あんたらきっと長くないよ・・・」

 もちろん口には出さない。「どうして分からないの?」と心の中で同情してしまうのだ。


 忙しいときこそ笑顔。ムカついたときこそ笑顔。それが客商売だと思う。

 少なくとも、きぬ○○は総じて長くないな。自分達が楽をするために観光客に負担を強いるなんてね。






 川崎駅でのエスカレーター事故の原因はきっと安全靴じゃないだろうか。

 駆け上がるときにあれで思いっきり蹴らさったらパリンと割れる気がする。もしそうだとすれば構造上の問題だな。

 でもメーカーと行政の責任のなすりあいってのはほんと見苦しいね。被害者はやってられないだろうな。

 「大変申し訳なく思ってます」という市担当者の気のない言葉。

 「原因調査中」というメーカー。

 いずれも「早く責任を負うべきヤツを見つけ出してそっちへ・・」という意図が見える。

 少なくとも、内心はそうだとしてもそんな表情は見せるべきじゃないし、いち早く「設置者・管理者の責任」「製造者の責任」で謝罪、補償することが信頼を得る術だと思うんだけど。



 原爆症認定に関する厚生労働省の控訴もそう。

 バカだよな。

 現状、各地裁判決で軒並み敗訴しているのに、「上級裁判所の審判を仰ぐ必要がある」という結論を出した担当者の常識が疑われる。

 確かに認定基準云々には科学的根拠が必要かもしれない。

 でもそこは肉体。根拠が曖昧にならざるを得ないケースもある。だから症状や状況証拠(事後に被災地へ入った、など)で固めるしかないのだ。




 本当に原爆の放射線によるガンなのか?

 本当に原爆の放射線による症状や体調不良なのか?

 そんなこと本人にだって分かりゃしない。医者だって確定できない。


 それを自分達(行政)の都合の良いように法を盾に「濫用」しているのだ。
 
 これは被災者と呼ばれる人の1%程度しか認定されていないことから明白だ。



 政府が勝手に戦争をおっ始めて国民を苦しめ、マインドコントロールしてたくせに「支持していただろ」と敗戦処理の責任を国民全体に押し付け、後始末の段階である今ですらそんな姿勢だもの、尊敬なんてされるわけない。愛国心なんて生まれるわけない。

 今の政府や行政には戦争の当事者意識がないのだ。「東条英機が悪いんだ、それを支持した国民が悪いんだ」って感じなのだろう。

 支出をケチるのが国益?ケチればケチっただけ評価されるの?

 弱いところは切り捨てやすい。しかも「じいさんばあさんだけだ、あと10年も粘れば大体いなくなる。」


 厚生労働省はそう考えている、と周りに思われること自体、人間として恥ずかしいと思わないのかね。それを補って余りあるのがお役人の名誉や権力なのかね。

 いくらね、成文法的に悪ではないにしても、それを貫くことによって数千、数万の恨みがアンタらに襲い掛かる。

 原爆症認定だけじゃない。今までのHIV訴訟や肝炎の訴訟でもみんなそう。

 しまいにゃ「時間がかかる司法制度が悪い」なんて解釈まで出てくる。



 子供ですら、ケンカのあとに相手を思いやることくらいできる。

 「俺悪くねーもん!絶対認めねー!」と延々言い張るヤツの周りには誰もいなくなる。



 ま、そんなことも分からない、プライドの塊のような連中なんだろうがね。

 あくまでもこれだけ敗訴しているからこそ言えるのですが。





 気が付けば終戦記念日。

 戦争すら体験していない連中が核武装や再軍備、9条改正を唱えてる。

 強くありたいのかねぇ?普通の国ってアメリカみたいな国のことなのかなぁ。そんなの日本には似合わないと思うけどね。まあこれはまた今度。

 

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ネットの世界に憲法がほしいね。

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 ふと思った。

 IT技術の進化ってなんだろう。ハード面はいいけど、ソフト面は・・。


 誰でも気軽に簡単に情報を得ることができる云々かんぬん・・。

 口コミだのコミュニティだの・・SNS?掲示板?2ch????


 まあ便利かもしれない。楽しいかもしれない。


 周知の通り、この分野ではいろいろなサービスや技術の開発が進んでる。じゃあ、身近なところではどんな影響があるのだろう・・。


 情報ってのは要はかつての新聞や雑誌がベースになったものだと思う。拡大すればチラシや噂のたぐいもそうかもしれない。

 情報をネットで得るというのは、結局それの「進化版」。グループになったりコミュニティを作るというのは「町内会」や「サークル」のワールドワイド版ってことか。

 で、そんな作業における一定の到達点に達するまでの、時間や手間を大きく削ることができるのも特長かもしれないな。

 んでんで、このまま進むとどうなるんだろうと、ふと思った。



 大根が欲しいとしよう。


 ネットでパチパチ・・。

 「うん!○○のスーパーが一番安い!!」

 で、買う。あちこち見歩く必要はなく目的地へ直行だ。

 つまり、ネットはまず価格競争オンリーのツールになるのだ。

 それが進むと当然品質が落ちてきたりする。そして信用がなくなる。

 「やっぱり自分の目で買うのが一番だ。ネットでは信用できない!」となる。


 でもあきらめない売り手は違う角度で攻める。

 何らかの付加価値、例えば敢えて高級品を扱ったり、品質保証やポイント、売り側のブランド価値向上などなど・・。

 でもこれも結局多くはコストの問題だから競争になる。

 競争に負けると市場から撤退を余儀なくされる。で、大手だけしか残らなくなる。中小があの手この手でいくら新機軸を打ち出しても、それは一過性。最終的には資本力で飲み込まれる。

 知恵は中小。実行は大手。そんなもんだろう。


 例えるなら、駅前の商店街はいくらセールをやったところで郊外のジャスコに潰されるのだ。特段ジャスコが魅力的な商品を置いているわけではない。でも「大型・複合」という魅力は不思議なもので、なんとなく足が向いてしまう。

 駅前の商店が個性的な商品を置いたところで、あっという間にジャスコでも買えるようになる。商品の作り手にしてみれば、舞台の大きい方が儲かる可能性が高いから・・。

 ネットの世界でもこの「規模の大小」を「信用の大小」と置きかえれば同じだと思う。でもネット上の「信用大」は多くが規模と連動させざるを得ないから置き換える必要もないのだが。

 つまりネットの進化は淘汰のツールでしかないんじゃない?ちょっと乱暴かな?



 最近辞書を開かなくなった。何でもネットで調べるようになった。そこに表示される情報の真偽も疑うことなく知識として詰め込むようになった。

 今まで責任持って情報を提供してきた本や新聞が、無責任に(全てではないが)提供している画面によって淘汰されたら大変なことだ。


 びっくり価格でたくさん商品を並べているネットショップだって、発注クリックの段階で「品切れ」とさえ表示すればその表示価格の正当性だって問われることはない。「プラズマTV1円!」でもね。
 一方、リアルショップだとそうはいかない。展示してある商品現物がある以上はお客様を騙すわけにはいかないし、そもそも「在庫切れ」なら展示しようもない。プラズマTV1円なら、最後の展示品でも買うよね。


 ネットでは失敗やそんな不快な思いをしないために、現状は受け手による「自己防御」を求められている。

 情報提供側の責任が非常に小さいのだ。そのくせみんな簡単に莫大な利益を取ろうとする。

 タイミング良くあぶく銭を得た一部の人は後は見切り時を睨むだけ。

 事業の永続性なんてどうでもいいかのごとく簡単に会社を売り買いする。そこに消費者保護なんて思考はなく、「それこそ偽善」とすら言いたげな雰囲気さえある。

 そんな人たちが崇められ、それを目指す若者も躊躇なく「ネットで大儲けしたい」「40までに億単位の資産を持って遊んで暮らしたい」と言う。



 このままで行けば最終的にリアルショップ、リアル情報に戻ると思う。そしてネットにはエロサイトと攻撃性の高い情報、インパクト系しか残らなくなるかもしれない。映像や音楽ソースも元に戻るかもしれないな。

 現に、価格比較サイトで一番安いところを調べてもそこで買う気がなくなった。多少高くてもヨドバシやビックカメラで買う自分がいる。その価格差で安心を買っている気になるのだ。それだけ自然と本能的に警戒しているということなのだろう。

 口コミサイトを見ていても常に「本当かぁ〜?」と斜に構えている自分に気付く。



 まあ、北斗の拳のあんな世紀末的情景みたいな荒んだ世界になりつつあるのだろう・・。鍛え上げた完全武装のつわものじゃないと生き抜けない世界だ。

 イメージを大切にする企業はweb広告をやめ、単なる社内業務でしかネットを使わなくなる。


 そうなればwebデザインとか新時代の職業もアンダーグラウンド的になる。



 そうなる前にネットの世界に「自律」を求めないといけない。素の人間でも安心してアクセスできる世界にしないといけないと思うのだ。

 でもどうして誰もやらないのだろう?


 答えは簡単。儲けるからだ。


 ネットの世界に秩序やモラルを強制的に押し付けると一時的に市場が縮小する。だから誰もやらない。儲け続けたいから。くだらない言い訳や自己正当化はいくらでもできるし。

 お店にしてもそうだ。

 リアルなら様々な「無言の壁」がある。許認可、立地、敷金、家賃、資金、仕入、事業計画・・・どれもみな人と人、信用が絡む。
 でもネット上はみんなゆるゆる。審査なんて面接すらない。「それがいい」というのは、やる側の論理であってそこに情報を受ける側の論理はない。



 私はネットの世界を「国家」として憲法を制定しなきゃいけないと思う。国ごととかではなく、全世界で一つの憲法だ。

 そこには警察もあり、国会も裁判所もある。そして法律があって税金がある。

 無秩序のままではそのうち戦争が起きる。かといって国別に律しても今度は国家間での価値観の違いで争いが起きる。

 それこそ「一つの国」にするのだ。


 争いごとには裁判。判決はリアルな効力。犯罪はリアルに逮捕。


 国民は身元を特定できる人のみ。特定できない人はアンダーグラウンドだけで生きてもらう。




 どうだろ?
 

 
 

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ワゴンRくん満載。

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 さて、今週末はプライベートイベント。

 結局、燃料代も高いし、高速代もバカにならないから我がワゴンRくんで行くことになりました。

 荷物が積めるかどうかの不安はありますが、どうにかなるでしょ。

 着々と成長する我が子。なるほど、家族構成で車を選ばなきゃならない人の気持ちが分かるようになった。

 いくら「定員4名」って言ってもね・・。


 でも良く考えると家族総出で出かけるなんざぁ、年に数回。普段は週末にスーパーに行く程度。

 そう考えると車のコストパフォーマンスってのはほんと悪いもんだ。

 しかしながらそれだけで終わらないのが車の魅力なんですよね。

 コスト面を考えれば所有は軽、イベントではレンタカーでワンボックスを借りる、というのがベストなんでしょうけど、それでは味気ない。車好きな私としては、それをやっちゃあ「悪魔に魂を売る」ことになる!そして私という人間としてもいかんわけなんです!

 やっぱりこだわりたいねぇ・・。裕福ならね(笑)


 一度、悶絶の末に小さくした「生活」を大きくするのには度胸がいる。いわゆるトラウマってやつだ。

 常に何かしらの強迫観念があって、もう一人の自分が「お前、それでいいのか?」と問いかけてくる。

 「ええい!高速に乗っちゃおうか!」

 ほんの400円(外環なら)。でもそんな声が聞こえてしまう。で一般道(笑)


 出張の帰りはいつもそう。行きの新幹線はどうしようもないですからね。

 だから中津川まで一般道で行ったり、途中甲府で降りたりしてしまうのだ(笑)。

 でも結構一般道ってのが楽しいんですよ。

 ちなみに昨日は素直に小牧から八王子まで乗りました。もちろん名古屋高速は使いませんが。



 まだまだワゴンRくんにがんばってもらわないと。でも現行のエブリィワゴンくらいの軽なら旅行もラクラクなんだろうなぁ。



 あ、いかん。もう行かないと。


 今日は成田。その前に野田だ。最近まともな更新ができてないなぁ・・。すいません。
 

 

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車の安全装置

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 日産がアルコール検知装置付きの試作車を発表した。

 まだまだ発展途上だろうか、とりあえずは評価できる。

 手のひらと吐気(におい?)による検出だそうだ。ここはちょっとアナログだがそんなのでも十分だろう。一刻も早い実用化を願う。

 きっとこれも何らかの「解除」の仕方が出回るだろうが、そんなのは黙認だ。

 ただし、故意に解除した状態で事故が発生した場合に、解除した本人や運転者を直接の事故原因に関係なく一律「危険運転」として処罰すればいい。確信犯としてね。

 大型車のリミッターもそう。

 大型でつるピカの新車(に近い)トラックなのに100km以上で爆走しているのをたま〜に見かける。でもリアにはきちんと「速度抑制装置取付車」のステッカーが・・。

 まあ、いろいろな事情があるのはわかりますけど、敢えてそうするのなら万が一の結果に対して責任を負わないとね。

 コトが起きてから「そんなつもりはなかった」「過失だ」・・・

 安全装置を解除すると言うことはそんな言い訳が通らなくなる。それだけでもものすごい抑止効果があると思う。


 ただ、一律のリミッター装着に関しては私は反対ですけどね、念のため。

 ちゃんと積載量連動式にすべきだと思う。空荷でも90kmじゃあね・・。高速での乗用車の実態速度が110km〜120kmなんだからこれじゃ余計に危険。そしてトラック同士の追い越しが困難になり、イライラを呼んでそれが事故を誘発することもあると思う。そんなことお偉いさんは誰も考えちゃあいない。

 街での信号タイミングによる速度抑制もそう。

 通過する交差点ごとに赤信号になるようにして速度をコントロールするやつ。まさにヒステリック施策だ。

 「この通りは40km/hでスムーズに走行できるよう、信号調整されています」

って表示を出していれば逆に「キレて爆走」や「滑り込み加速」が減ると思うんだけど。



 「ドライバーはみんな無感情なロボットたれ」「文句あるヤツは車に乗るな」

 が基本理念だもんね。はっきりいってバカだ。ほんと困ったものだ。

 自分の感情を押し殺すことが美徳とされている政治家や相撲取りだってあんなボロを出すのに、それを全一般ドライバーに求めること自体無理がある。


 人間の感情や心理を逆手にとって(考慮して)無事故に繋げること


 それこそ「トラフィックコントロール」なんじゃない?


 アタマのいい研究者たちにとっては特段、難しいことではないと思うんですけどね。単に目に見える結果をすぐに求められるから手をつけないだけで・・。


 コーナーをシマシマに・・

 錯覚を利用して・・


 こんなチンケなことしかやってない現状。お粗末だね。






 昨日は下の子の自由研究。

 子供より私が燃えている。

 作品は「船」。本格的な木船!でもちょっと小学2年生には難しすぎた。

 親子共々両手を瞬間接着剤だらけにして格闘中です。



 

 明日は出張。それが終われば夏休みだ。といっても私の休みは11と12だけの予定。それまでにあと一仕事したいなぁ。

 


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まことちゃん御殿で思う。

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 安倍総理は政権にしがみつき駄々をこねてる。

 朝青龍は仮病疑惑で精神不安定だそうで。

 アメリカでは橋が落ちるしね・・。

 まことちゃん御殿は周囲住民の抵抗でぐちゃぐちゃ。



 いろんなことがある。そんな私は最近「金麦」CMの檀れいにヤラれてる。芸能人にヤラれたのは久しぶりだ。なんかいいなぁ・・。



 アメリカの橋の件は大変なことだ。

 普段「安全なはず」と気にも留めずに使っているインフラがこんな惨事を呼ぶ。

 あってはいけないことだ。原因はどうあれね。



 ふと考えると、これは日本でも起こり得る事だ。なぜなら多くのインフラが高度成長期にばしばし作られたもの。つまりそろそろ耐用年数に達するということだ。

 首都高に乗っていて、橋梁区間で渋滞にはまると結構怖い。なにせ揺れる・・。

 一般道から見るとその橋脚の多くが金属製。あれだけ常に揺れていると金属疲労も起きるだろう。


 じゃあ作り直す?

 全部通行止めにして?ちょっと非現実的だ。それはわかる。

 だからといって放っておくわけにもいかない。それでズルズル・・・。

 「崩れた!!」って時にはもう遅い。きっと管理責任者はカメラの前で頭を下げるだろう。マスコミを引き連れて犠牲者の家族に罵倒されに行くだろう。でも裁判じゃ「分からなかった」「分かってたけどどうしようもなかった」と同情を乞うだろう。

 そんなもんだ。

 設計上の耐用年数、ってものは責任の所在をうやむやにするためのツール。

 耐用年数より前に壊れれば製造者側の責任。「使用環境や条件が予想よりも過酷だった」という言い訳ができる。

 耐用年数後に壊れれば設置者や管理責任者の責任。「検査はしていた」「予算の都合上建て替えには時間が・・」という言い訳ができる。


 逆に「大切に使わないといつ壊れるかわからないよ」って方が人間学上、きちんと検査や管理をするのかもしれない。


 そんなテキトーな社会に私達は生きているんだ。

 だからこそ「人生、いつどこで死ぬかわからない」と悟れる部分もあるのだが。




 たまたま見たTVで「まことちゃん御殿」の周辺住民の映像を見た。

 エゴの塊だな。お上品な言葉で浅い感情論で世論を味方につけようとしているサマが不快感を覚える。

 確かに目にきついかもしれないが、同じきついなら、ピカソがそんな家を建ててもあんな行動を取るのだろうか。

 岡本太郎が爆発的?な家を建てたり、宮崎駿がトトロの家を建ててもそうするのかな。

 単に「まことちゃん」に対して賛否両論があること、決して上品な漫画じゃなかったこと、漂流教室はホラーだったこと、作者本人が奇抜?な人であることなんかがそんなエゴを呼ぶのだろう。



 高級住宅街なんかを歩くと、結構奇抜な家を見かける。

 ひょうたんみたいな形だったり、まっピンクな家だったりいろいろだ。

 純和風なつくりの家の隣に洋館があったり、ボロボロのゴミ屋敷の隣にセキュリティ万全っぽい要塞のような豪邸があったりなどなど、とても統一性や景観云々とは言えないところがたくさんある。

 きっと自分の地域はそうあって欲しくないと思うのだろう。でもそれが排他的な思考となり、「俺は先にここに住んでいるからエライ」「違う種類は排除」なんていうアホな論理が生まれるのだ。



 私は良い意味でぐちゃぐちゃなのが日本の良いところだと思うんですよね。

 「和洋折衷」なんてそれらしい言葉があるけど、それだって元を正せば「混ぜこぜ」ってことだし。

 そんないろんな不釣合いのものをミックスさせて独自の文化が生まれるもの。そもそも直接自分のテリトリーを侵害されているわけじゃないのに「気分が悪い」とか「心をシマシマに塗られた気分」なんてTVで言う資格はあるのだろうか。

 私はかつて、階下に住んでいた気違●ババアから攻撃され続けたときはこちらから身を引きました。大家さんは一所懸命やってくれたんだけどね。だってそれは自分で選べるものじゃないもの。しかも家族の安全も考えないといかんしね。

 まあ私の場合、賃貸だからそうだったんだけど、色や形ごときでギャーギャー言うのは「ヒマ人だね」って感じだ。そもそもそれだけ景観?を保全すべきほど特別な価値がある住宅街のだろうか。
 例の「引越しおばさん」をはじめとする様々な「攻撃性の高い隣人の問題」に比べたら屁でもないと思うんですけど。
 でもあの辺も高級住宅街。みんな思い入れが普通じゃないんだろうな。

 これもある種「郷土愛」。良いのか悪いのか分からんがね。


 きっとうめずさんが妥協してもアイツら周辺住民は総スカンするのだろう。あ〜やだやだ。それでも近辺の子供に「個性を大切に」「仲間はずれはいけない」なんて言えるなら言行不一致そのもの。

 その後に「自分は特別だけどね」ってくっつけないと嘘つき大人だ。



 エゴなんて誰にでもある。でもそのエゴを貫くための手段と礼儀はよく考えないといけないと思う。そもそも世論誘導を使うべきほどの問題じゃないでしょ?例え取材が来たとしてもあんな言いぐさはない。大人なのにね。


 マスコミももうやめなよ・・。もっとやることあるだろ?




 朝青龍はちょっとかわいそうだ。

 能力だけじゃなく横綱は「演技」を求められるのだ。横綱を演じることができる人じゃないといけないのだ。

 きっとスポーツとして捉えている外国人力士には違和感があるだろう。外見や行動、様式程度の「伝統履行」を求めるスポーツはあっても、内心や雰囲気に至るまで厳格に決められているのは相撲くらいじゃないか?

 でも伝統。それを守れないのはいかん。

 親方の責任が大きいな。だって朝潮だもの。いい人らしいけど厳しさは感じられなかったもんね、現役のときから。「一所懸命」「ひたむき」ってイメージだった。

 私は朝青龍嫌いじゃないんですよね。どうにか復活して欲しい。公私共に熱い横綱がいたっていいじゃないですか。

 と思う。

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