おさくの部屋

自動車生活にまつわる勝手なうんちく

2015年01月

灯油配送のちょろまかし。

ちょっと歯ごたえのない程度の雪。

昨冬のドカ雪があったから、TVはオオカミ少年状態。全然大丈夫な程度でも必死に大変さを繕っている。

だけどまあそれなりにマヒはしているな。道路がガラガラだ。

恨めしいと思う人も多いのだけど、私は逆にテンションが上がる。


あ、一部の方々向けにご報告をば。

多分「アイツ、書かねーなぁ」なんて思われているかもしれないので。

ムスメのお受験はこれからの私大試験が本番です。センター試験は・・・本人いわく「可もなく不可もなく」ということで。

国立大はセンター前から挫折してました(笑)。なので自宅通学圏の私大を手当たり次第に受けるそうで。

受験料だってタダじゃないのに・・・まあ浪人は選択肢にないから仕方ないか(笑)

ムスコは高校なのでこれからです。

こっちが心配で。

楽天家というか、身の程知らずというか、「まあ、どうにかなるんじゃね?」と漫画を読んでます(笑)

自分の要領よさに自惚れているというか・・・

努力家タイプのムスメと正反対。

どうなることやら。


昨日、夕方のニュース内の特集で、灯油の移動販売の詐欺を取り上げていた。

要は、少なく入れて、多く請求するという何とも単純な手口。

セルフでもない限り、依頼者は給油量を確かめないのが普通だ。給油者の言い値ともいえる。

そして満タンのポリ缶は重いから高齢者であれば運びも「全てお任せ」となる。運んでもらえるのだから高齢者は給油者に感謝する。なのに、なんて極悪人だ!

という作り。

まあね、確かに罪だ。

振り返ると、こんな事例は良くあることだと思う。

お総菜の量り売りなんて典型だろうな。

100gで300円、とか。

「おいおい、衣のカスたっぷりじゃねぇか!」

「この秤、本当にあっているのか?」

みたいな。

でも「おにいちゃん、一個サービス!」なんて余計に入れてくれたりもする。

そんなやり取りもまた楽しいものだ。

でも灯油はそうもいかない。本来はかっちり、きっちりやらなければならない。「大体」は通用しない。

かっちりきっちりをお総菜に取り入れたら殺伐とするだろうな。

「人情も何もあったもんじゃねぇ!」みたいに。

じゃあ、灯油も「自宅への運び」を有料にするか。2階へ上げると割増とか?

これまた非難されるだろう。

一体この違いは何なのだろうな。お総菜、野菜、魚とかなら「大体、あいまい」も悪くない、でも灯油はかっちり。

私にもわからない。

犯人はVTRで「ありがとうと言われるのが・・・」と漏らしていた。これは本音だろう。

罪悪感はある。でも目先の小遣い銭に目がくらむ。

やめられなくなる。

多分ね、人間の弱さだと思うんだよな。

ほぼ間違いなく「バレない」、となれば普通の人間であれば流されてしまうものだ。

そこに崇高な倫理観を求めるのならばそれなりの「何か」がなければならない。

灯油ローリーの移動販売のほとんどは「業務委託」だ。要は元売りや中間販社のリスクヘッジで生まれた形態。

灯油は冬しか売れない。だから私がガソリンスタンドで働いていた頃の灯油屋さんは、普段は農業をやりながら、冬だけそれで稼いでいた。

「ちょうどいいんだよな!」

そう言っていたのを覚えている。

でも制度を変えればもっと良い形態もあると思う。

その人も「俺、社員じゃないから国保なんだ。結構重いんだぜ」と言ってた。

会社の社会保険でそんな季節雇用の区分を作ってあげればいいのにな、なんて思ったり。

「(個人)事業主は大きく稼げる<チャンスがある>」から勤め人よりいろいろと不利な部分があるのだが、それを可処分所得ベースにはできないだろうか。

心の弱さは保障である程度カバーできる。

保障を失うことほど怖いものはないからだ。

そうすれば起業家も爆発的に増えるだろうし、悪いことはないと思うんだが。

私も事業主なだけに勤め人よりは「たが」は緩い。

自分の力で食っている、という自尊心は一人前だが、常に不安におののいている。

その不安が「たが」を外してしまうことを一番恐れている。抑えるのに必死だ(笑)

別に罪を犯す、という訳ではなく、道端で絡まれたり、殴られたりしたらブレーキ効かないだろうな、とか。

意識して倫理観を維持しなければならないのだ。

だから行政書士という資格で良かったなと思う。資格でカテゴリに分類されているから、何かやってしまうと数万人に迷惑をかけてしまうからだ。


でも灯油ローリーの事業主はそんなにいないし横のつながりも薄い。

常に目先に甘いものがぶら下がっている。

そんな環境を改善してあげないと、「・・・べき」という一般常識だけで吊るし上げを繰り返したところで絶対になくならないと思う。販社や元売りによる管理を厳しくしたところで、すべては「事後」の対処となる。

情に訴えても同じだ。

ごまかしのきかない計量機、POS、レジ。

単位販売(18、20リッターとか、屋外タンクであれば30リッター刻みとか)も効果があるだろう。半端分は何らかの能動的対処を必要とする、とか。

まずはそこからだろうな。

罪は罪だが、目の前に落ちているカネをどんな状況でも取ってはいけない、という法律論を押し付けるだけではダメだと思う。

銀行員が現金をくすねる事件が少ないのは、その管理方法もあるがやはり銀行員であるリターンの部分が大きいから。それを失いたくない、という気にさせるモノが大きいから。

銀行員ほどの待遇は無理だから、それなら社会保障関係や管理の部分で抑えることができるように。

してあげてほしいな。

ある程度内情を知るだけに。

繰り返すが、罪は罪、責任を負うべきであることに異論はないけど。


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モラハラ?

ん〜、新型アルファード/ヴェルファイアはどうなんだろ・・・。

またトヨタの悪い癖、「エスカレート」が出てしまっている気がする。

数年経てば見慣れるのかなぁ。

鉄板モデルでこうするとは、良いことなのか悪いことなのか・・・。

挑戦という耳障りの良い言葉も、裏を返せば驕りとなる。

一定数は誘導されるからそれなりに売れるだろうけど、乗換えユーザーがすんなりと選択するかどうか。

写真や映像ではない現車の印象で決まるだろうな。

・・・もったいない気がする。


モラハラ?

芸能人の離婚問題で毎日聞くこの言葉。

セクハラ、パワハラ、そしてこれ。

言葉の出生時には「困っている弱者のため」としての意味合いが強かったものの、最近では濫用される場面も多くなった。

気に入らない相手の足元をすくうための格好の道具。

自らは手を出さずに相手に制裁、ダメージを与える武器。

「モラハラ」もそうなるのだろうな。いや、もうそうなっている感もある。


言葉の説明コメント、画像、VTR、どれをとっても「男性が女性に」だ。

その逆はない。

せいぜい最後に「この逆もありますけどね」とオマケコメントが加えられる程度。

そうして刷り込まれていくわけだ。

精神的?人格否定?

なんだそれ。

人と関わっていく以上、様々な諍いは必ず起きる。絶対的平等なんてありえない。

そんな現代社会。

未婚率が、少子化が、ニートが、なんてさかんに言われているが、これでは人と関わること自体が怖くなって当然だろう。

電車での痴漢が典型だ。美人局的に自分がまきこまれてしまうリスクを避けるために混雑している電車に乗ることを躊躇する人もいるという。

無論、犯罪や、犯罪に近いこと、相手を傷つけてしまうのは言語道断。

悪いのはそれを濫用する輩。

しかし、そこにある「利益」には飛びついてしまうのが人間。

そして「勘違い」するのもまた人間。

それを助長させるツールでもある。

ツールを使う人の、それこそモラルに期待するしかない、というあまりに危険な社会。


私は武闘派だ。しかし女性には手を上げない。

当然だ。

しかしそれをもって足元をすくおうとする場面に直面する。

だから私は論理を振りかざす。

すると言われる。

暴力に等しいと。

しかし女性側が私にそれと同等以上の論理を振りかざし、それに呼応すると「男のくせに」と言われる。

私はそんな女性が大嫌いだ。

安寧し、作られた社会通念に守られながら攻撃と退避を繰り返す手法を使い続ける限り、男女平等なんて口に出す資格はないとすら感じてしまう。

無論、すべての女性がそうだという事はない。多分ごく一部だろう。

力では男性にかなわない、しかし相手は手は出してこない。ならば理論で、と思ったが理論でもかなわない。そんな男には社会通念で周囲を味方につけてやり込めよう。

そんなあざとさが見え隠れする。


親の七光りと、一発屋の両3流タレントのネタが毎日のようにワイドショーで流れている。

本来、夫婦のことは夫婦にしかわからないはず。

しかし曖昧な根拠に基づいた「推測論」で、一方に肩入れした番組を作っていく。

噂が真実なのか、自分に非があるためか何も語らない男性、今後の活動を視野に狡猾に演じている女性。

まあワイドショーらしいといえばそれまでなのだが。

ただ、TVで流されている以上、それによって「何か」が作り上げられていく。

その重大さを制作側は意図しているのだろうか。

新たな「通念による抑制」を作っていることに気付いているのだろうか。


平穏に生きていくためには、

誰とも深くかかわらない、または誰に対しても聖人君子を演じ続ける、しかないのかもしれない。

個人を抑制すればするほど、個人主義をはどんどん進んでいくのだろう。


誤解されないように言っておくが、どんな状況、場面においてもハラスメントは否定されるべきことだ。

ただ、それを完全に拒否するということは、自分も同じ鎖に縛られるということ。

表面上の対人関係ならそれも可能だが、関係が濃ければ濃いほどなかなかそうもいかないし、極論、着飾ることなく、本当の安寧を得るためには孤独でなければならなくなるという事だ。

言いたいことも言えない、素にもなれない、それを我慢することで得られる利益を求めるか否か、という二者択一になってしまうのが非常に堅苦しい。


そもそも上手くいっている間はそんなことも考える必要もないのだろうが。


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新型アルト。

また久々の更新。

そりゃ仕事優先だからしゃあない。

これも仕事の一つなんだけど。


ちょっと驚くニュースが。

人質事件じゃない。日産と三菱の事実上の仲たがい。

まだ数モデルしか出していないのに。


これは日産側の苦境によることが明らか。

いや、三菱はまだまだ厳しいし、日産はそれなりの収益を上げている。

でも日産側と見るのが自然だろう。メディアはどこも取り上げないが。

今の日産は日本で戦えるモデルがことのほか少ない。

一部の高額車、セレナ、あとは法人向けメインとなったコンパクト。

販売力で一定の数字は出せても、消費者の支持による強いモデルが見当たらない。


提携先の三菱は言葉は悪いが、今の日本では弱小だ。この部分で日産に対する影響力、発言力が低いことは容易に想像できる。

それは技術力を盾にしても同じ。

なんだかんだ言って、日産は一定の技術を得ることに成功したのだろう。じゃないと新たにゼロから軽自動車を開発する、なんて考えられない。

ちょっと西洋的経営であまり好ましくは感じられない。


この短期間にそれを決断できるという事は、当初からその目論見も頭にあったのだろう。


今後、どんなモデルを世に出してくるかは未知数だが、私はおいそれとはいかないと思う。

軽自動車も長い歴史の中での技術の積み重ねの上にあるからだ。

但し、一つだけ道がある。

三菱傘下の部品メーカーを従えること。

下請けにすれば渡りに船だろうから。

例え三菱と、技術において独占や機密保持があったとしても、作り手が一緒であればある程度の精度や技術のフィードバックは見込める。

作り手には個々に誇りが備わっているから、設計上、製造上の不備を見逃すはずがない。

一見、非常に策略的で嫌悪感を抱いてしまうが、それもまた道だ。


純粋な日産製軽自動車が走り出すことになるが、日産にはどうかじっくり、長い目で育ててほしい。

目先のエサに飛びついた、などと言われぬよう。



新型アルトに魅かれる。

ひと世代前に戻ったようなデザインに対しいろいろ賛否はあるようだが、私は非常に魅かれている。

なにせ初代アルトワークスを知っている年代だから、ゾクゾクしてしまう。

先祖返りというか、レトロというか、バブル時代でもない今、こんな冒険をできるメーカーはスズキ以外にあるだろうか。

トール、ハイト全盛の今、どこもみんな同じような車ばかりになってしまった。そこに風穴を開けるかもしれない。

機能性だけじゃ先が知れてるという事。

悪い意味ではなく、ニーズに迎合して機能性ばかりを優先した結果、作り手が世に送り出したい車を作れなくなっていた事。

アルト、ミラのジャンルはすっかりビジネルユースと高齢者専用になっていた。

でもこれが軽の元祖なのだ。

あれやこれやで必死に燃費競争をしてきたが、あれもこれもで結局車重がかさみ、プラマイゼロ状態。

車重600kg台というのは驚愕だ。ハイト系と比べれば3割削ったことになる。同タイプ比でも100kg以上軽い。

爆発的には売れないだろう。しかし盛り返しは間違いない。

3月に出るスポーツターボモデルも見逃せない。

あとはミラがどう先祖返りしてくれるかが期待だ。ワークスVSアバンツァートの時代の再現なるか。

心が揺さぶられる車は人を引き寄せる。

機能性、タイプから「どのメーカーにしようかな」なんて選択肢に入れてもらう販売戦略はユーザーを消極的にさせる。規格が限られている軽自動車、カテゴリを選べば最後は価格だけになってしまう。

軽自動車なんて眼中になかった私を転換させたのはやはり「ワークスの衝撃」だった。

ターボ、4WD。

どこに飛んでいくか分からなくなる加速。

80kmも出せば、ぶっ壊れるかもしれないという恐怖がじわじわ襲ってきた当時の軽自動車。

ワークスは軽く120km出る。550でだ。

軽だから1速は頭打ちが早かったが、2速の引っ張り、立ち上がりの面白さ。

ダートなどでは2速3速だけで十分限界まで走れる。普通車と変わらない。

まさに魅了された。

スズキはジムニーの歴史でもそうだ。

昔から魅かれてはいたが、メインカーとするにはキツかった。

しかしフトコロが寒かったにもかかわらず、ランクルだけでは飽き足らず、どうにか格安で手に入れた。

さんざんひっかき回させてもらった。山で人生初の転倒も経験させてもらった。

はっきり言って、あの「何としても欲しい!」という感情は病的だったと思う。

そんなアプローチは、なかなかそこらの車では想起できない。

まさにスズキは先駆者なのだ。


ようやくそこに戻ってくれたか、というのが正直な気持ちだ。

普通車はスイフト以外、なかなか振るわない。

軽のOEMも減りつつある。

一見、追い込まれた末の・・・と周囲から思われるかも知れない。

でも違う。

迷ったら原点に立ち返る。

それだけのことだ。これでいいんだ。それを実行できるメーカーは意外と少ないのだから。


やっぱりスバルとスズキは一般的なメーカー像とは違うんだよなぁ。

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ゴルフ君にリクライニングがあればなぁ。

阪神大震災20年目の日。

今日はちょっと書けないなぁ。実害がなかった私が書くと失礼にあたる気がして。

本当は書こうと思ったけど、すっかり、感傷的VTRから行政への問題提起がパターン化されたTVを朝から見てしまったから。

まあ何も取り上げないよりはいいのだけど。

とりあえず合掌。あなたたちの叫びをムダにしないよう心して生きます。

苦しみながら生きている被災者の方々の傷が時とともに「風化」してほしいと思いながら。

「風化させちゃいけない」って一見正論できれいな言葉だけど、それを盲目的に唱えるのも私はどうかと思う。

心の傷は時間とともに風化させることによって癒えていくものだと思うから。個人的にね。

毎年この時期、そんな方々の傷をえぐってはいないだろうか?そっとしておいてほしい人も相当数いるんじゃないだろうか?

風化させちゃいけないものと風化させるべきものがあると思うんだよな。

気丈にTVで自分の経験を語る被災者も立派だけど、それをそうとは思わない被災者も必ずいるはず。

伝える人たちには、どちらにも気を遣ったまとめ方をしてほしいな。


未来への糧って一体何だろう。



ドイツ車には国産のようなリクライニングレバーがない。

現行モデルがどうか全てを把握しているわけではないが、御三家(MB、BMW、VW)はそう。

このところずっとプレオ君ばかり乗ってて、ふとゴルフ君に乗ると気付く。

意外と不便なのだ。

私は仕事中に休憩をよくする。コンビニの駐車場などでシートを倒し、寝る。

これをゴルフ君でやろうとすると、グリグリとダイヤル式の調整。

疲れるのだ。

私が記憶している限りドイツ車は昔からそうなのだが、安全上など何らかの理由があるのだろう。

でも不便。

確かにホールドは国産と段違いだし、まさに「包み込む」感じ。平べったい昔のMBのシートだって型に反してしっぽりと。

でも不便なのだ。

う〜ん、そもそも車で寝るなんて優先されるべきじゃないのだが・・・。

もちろん、仕事以外ではリクライニングなどあまり使わない。

となると今の2台体制が正解なのか。


いや、たまにゴルフ君で出動するわけで、その時にレバー式リクライニングのありがたさを知る。

最近は仕事でヘロヘロになるから痛切に感じてしまう。

頑張ってダイヤルグリグリしてリクライニングさせても、腰に思いっきり段差ができる。

・・・あ〜、そもそも想定をしていないんだな、とわかる。

だからプレオ君の出動機会が一向に減らないのだ・・・。


昼寝しなきゃいいだけなのだけど(笑)

一度習慣になるともう治せない。10分でも十分で。

いつからか、時間カツカツでもない限りは外に出ると必ず休憩をはさむようになった。

昼飯抜いてでも休憩の方を優先するという・・・。

「眠い、ということは体が求めているのだ。ここで寝ないと絶対体に悪い」

なんて勝手に分析、解釈しながら。


唯一、ドイツ車の嫌いなところ。

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お菓子に爪楊枝。

お!?やきそば弁当が東京進出か?

・・・なんだ。違うのか。


ニュースを見て分かる通り、「マルちゃん(東洋水産)やきそば弁当」は北海道のみでの販売商品。

しかしそのシェアは凄まじく、他社製品なんて目じゃない。

そもそも東京に来るまで「ペヤング」なんて言葉すら知らなかった。


やはりその真骨頂は「スープ」。残り湯をスープの粉と混ぜて出来上がり。

ペヤングはスープがないから、普通サイズでは昼飯にしてもちょっと物足りない。

スープがあるから一食分にできると言える。まあ普通サイズでは男にゃ足りないのだけど。

せいぜいおやつくらいかな。


気が付けば東京で食べることができない北海道フードがいろいろある。

カツゲンもそうだし、ガラナもそう。

しかし普通の食材でも結構あるものだ。

ホッケのすり身、身欠き鰊、味付ジンギスカン、鰊の切り込み、などなど。

中でもホッケのすり身は全く。

日持ちしないから送ってもらうわけにもなかなかいかない。

北海道にいた頃は、カネがなけりゃちょくちょくホッケのすり身。薄く焼いてしょうゆをかけるだけ。それだけでも白米3杯はいける。

東京じゃ、マトモなホッケも身欠き鰊もレアだ。

ほんと、食べるものに困るんだよな。鮭だって1cm厚くらいの干からびた切り身ばかりで。

バランスよく、といっても魚はどれもこれも高い。だから必然的に肉ばかりになる。

私が贅沢だったのか、こちらの物差しがおかしいのか・・・




「お菓子に爪楊枝」事件は恐ろしいな。

野次馬根性出してyoutubeを見たけど、ありゃマトモじゃない。

トチ狂っているというか、八つ当たりというか。

自分の上手く行かない原因を社会に向けてる。

さっさと確保してもらわんと、といっても、確保してもすぐに出てきて同じことを繰り返すかもしれないな。


通信がここまで発達する以前にはこんな「自己顕示欲満たす系」の犯罪はブレーキが効いたものだ。

誰だって多かれ少なかれ自己顕示欲はある。

でも本当にそれを満たしたければ自分の力だけでやるしかなかった。

そうやって自分の「器」を知るのだ。自分の思ったところに到達できなければその消化法を学ぶのだ。


若い頃は私だっていろいろ試した。ウタを歌ったり、一所懸命に剣道をやっても所詮は住む町、地域レベル。せいぜい北海道内。

最初は目標は大きかった。でもそれで十分満たされた。全て個々人が自分の力で試し、消化するもの。

しかし今はネットという「倍力装置」がある。

それがあるのだから使わない手はない、として身の程も知らずに動かす。

多分、動かす前にいろいろ妄想するはずだ。

「どんな反応があるだろう」

「支持を得るには、有名になるにはどんな刺激的なことをのせてやろうか」

勝手に妄想するのはいい。リアルも同じだから。しかし前にも書いたが、身の丈に合わず舞台が大きすぎると努力よりも妄想が中心になるんだよな。

得てして客観的にネガティブなネタをのせるときの妄想は方向を見失う。見失ったまま妄想を膨らませるからさらにネガティブ、病的になる。

人にはそれぞれ「格」がある。



誰かが「アタマおかしいヤツは妖精と話をしてんだよ」と言ってた。

多分、この犯人も自分の中の妖精から「これをやれ。カッコいいから」とか命令されてんだろうな。

チラ見しかしていないが、年少に入ったことがあり、生活保護を受けている、と言ってた。

箔をアピールしてんのか、本当にそれがコンプレックスなのか。

わからん。

ほんと今は腐ってる。

キレイ事全能の世の中。声高に理想を唱えるのはいいが、ちゃんと現実の汚さも周知しないから、こんな人間が生まれる気がする。


まだ昔の喧嘩上等の時代の方がマトモだ。

バカみたいに意味もなく争って、力で上下関係を作って。

喧嘩でのし上がれない時は違う方面でのし上がる。それを武器にする。

そしてそれぞれ、まさに体で身の程を知り、次第に大人になっていく。

自分の居場所を上手に作りながら。


屁理屈なんて武器にならないのにキレイ事が跋扈する今はそれがエライ、アタマいい、と。

「暴力はいけません。パワハラです」

「言葉も暴力です。万人に優しく」

うんざりだ。

そもそも別に弱くたっていいんだよ。この世は力じゃない。それは単なる武器、一つのアイテムなだけだ。人が持つアイテムは人それぞれ。それが個性だろう。

ただ、人間関係を計算高く作るが武器と見做されるのは間違ってる。今はそれが常道化している。だから人間関係を作れない、おかしくなる人が多い。

ムカついたら怒鳴る。時には手も出る。

負けたら悔しい。勝ったら嬉しい、でもスッキリしない。

目立ちたい、成功したい。

俺はこれが得意だからこの路線でいく。

成功するためには近道はない。素質と運と努力しかない。

でも「普通」に生きていれば自らの限界を冷静に受け止めることができる。どうにか自分で消化する。

それが人間だ。


昔からおかしい奴は腐るほどいた。

でも今の「おかしい」は広域すぎる。薄すぎる。そして「外れすぎ」ている。

キレイ事を呪文のように唱えられ続け、汚いものから遠ざけられて暮らし、一見清潔であっても根幹の「好奇心」は今も昔もだれにも止められない。それと消化できない自己顕示欲、誰でも立てるデカい舞台。

おかしくもなるわ。


今更そんなこと言っても始まらない。

周りに危害が及ぶ前に確保だ、確保!



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腹八分目。

元朝日新聞記者の植村隆氏による慰安婦記事の問題。

内容のねつ造云々は触れない。

しかし、家族に対しても攻撃を加えるというのは明らかに間違っているよな。

ネットというのは使い方を誤ると困ったツールになるもんだ。

これまでの犯罪加害者家族、ときには被害者家族への攻撃を見ても分かるように、群集心理にも似た自己顕示欲のはけ口として格好の舞台なのだろう。

どうしてそこで発信者は正義感、倫理観のブレーキが利かなくなるのだろうな。

単に匿名性だけじゃないような気がする。人々の心が病んでいるのか、元々生物学的にそんなものなのか。


小さい頃から「人をいじめてはいけません」「暴力を振るってはいけません」「嘘をついてはいけません」と呪文のように刷り込まれてきた。

でも実際はいじめもしたし、人を叩いたりもしたし、嘘もついた。

しかしそこで「後ろめたい」「罪悪感」を感じる効果はその刷り込みによるものだろう。それが記憶となり、事後繰り返すことがあっても一定のブレーキとなる。


車に乗っていると、ムカつくクルマと必ず出会うものだ。

曲がり方が気にくわない、割り込まれた、ウインカーをつけない、煽られた・・・

ドライブレコーダーを付けていると、「晒してやろうか!」なんて思いもふとよぎるものだ。現に動画サイトでは地域名、ナンバー、クルマの特徴そのままでバンバン晒している輩がうじゃうじゃいる。

そもそもドライブレコーダーはそんな目的で作られたわけではないのに。

しかし私ですらそんな思いがよぎることもしばしばある。

境目はやはりそこから先を「する」か「しない」か。

その一線を越える人は間違いなく増え続けている。


新聞的に言えば「うっぷんを晴らす」ということなのだろう。

今回の植村氏の件も、不満がうっ積し、それを晴らす「ツール」がそこにあるから安易にハードルを越えてしまう。

でもネットやメール、投稿サイト自体が悪いわけじゃない。ドライブレコーダー自体、動画サイト自体が悪くないのと同じだ。

このように、単なる「文章」であれば本来訴求力が弱い。だから敢えて刺激的な言葉を選んでしまうのだろう。

どうにかして植村に鉄槌を下したい、記憶に刷り込ませたい、思いを同じくする周囲の人間から賛同を得たい。

そこには「自分の存在の薄さ意識」があるように思えてならない。


かつては自分が関わるコミュニティーは非常に狭い範囲だった。

せいぜい家族内、学校や職場内、居住地域内くらいなものだろう。

そのレベルであれば関係する人間の数なんてたかが知れている。せいぜいその中で自分の存在を知らしめ、状況如何で顕示欲を満たすことができればそれで良かった。

ライブで言えばかつては観衆100人の前でステージに立って歓声を浴びれればそれで良かった。しかし今のステージは観衆が数万人、数十万人。

それなりのポジションにあるアーティストならばそこでライブを行うのも十分に観衆を満足させることができる。しかしそんな実力もない、実績もない、ポジションにない私ら庶民の歌など誰も聴かないのが普通。

一度ステージに上げられると、そこで無視されることほどの苦痛はない。となるとどうにかしてでも振り向かせよう、聴いてもらおうとしてしまう。

その時に効果的なのが「極」な思考や言葉だ。

その効果によって手始めに数人から好意的なコメントが寄せられたとする。そうなるとそれはもう群衆化したものと同じと言っていい。

群衆化すると変え難い恍惚感を得られる。そして発信し続け、賛同を得られ続ければ群衆も加速度的に大きくなっていく。自身は恍惚感をさらに得ようと発信が先鋭化していく。悪いことに逆に賛同を得るために内容な表現手法を合わせていくようになる。群衆は群衆で「所属欲」を満たすため、周囲の目を気にしながら発信される内容が意に沿わなくとも迎合していく。

もうこの時点で相互に転換や反論の余地がなくなるものだ。

舞台が大きいだけに恍惚感、所属欲は何倍にも膨れ上がっていく。そうして歯止めや理性が効かなくなる。

動画サイトで言えば閲覧者数、facebookではいいね!数、twitterではRT数などだろう。


やっている最中の当人達は熱くなっているから気づかないが、冷静な第三者は「おかしい」ということに気付く。それを材料に別のベクトルを作ったりもする。

そうやって敵対含め、三つ巴、四つ巴になってぐるぐるエスカレートしていくものだ。


植村氏の件に関して、私は言論として発信する以上、何らかのリスクは負うべきだと思う。

しかしここで言いたいのは「発信」するのはお互いに同じ条件であるべきだということだ。

確かに慰安婦問題は大きく国益を損ねたことは事実だろう。

でも一方は丸裸、もう一方は「群衆化した得体の知れない市民」では差があり過ぎる。かといって両者とも丸裸だと発信力で市民より記者の方が何倍も強いのだが。

しかし言えるのは、別個人である家族なども攻撃対象にするのは明らかに日常生活では守られているマナーに反している。常軌を逸している。

片方の感情や倫理観、価値観を基にした人民裁判がどれほど愚かか、歴史を見直すと感じる。現に近代日本史において、「人民裁判」とは異なるかもしれないが、東京裁判という勝ち組のワケの分からない正義、仇討で「次世代への生き証人」という貴重な「平和の糧、反面教師の声」を奪われた、と私は思っている。


家族などへの攻撃は発信者の恐怖心を煽る。必要のないところにまで自制をかけてしまう。

この恐怖のせいで言論が不自由になるとしたら、ネット上での不特定多数の発信も不自由になる可能性がある。自分で自分の首を絞めてしまう。だからこそ表現や言葉の選び方には一定の理性が伴わなければならないと思う。

私も表現では人のことが言えない。社会上での自分のポジションを矮小化して刺激的な表現を使ってしまったり、中途半端な表現能力で本意を伝えられなかったりもする。それで痛い目に合ったこともある。

主義志向は自由であるべきだからこそ、植村氏を糾弾する声はあってしかるべきだと思う。

しかし、一呼吸置けば、その言質一つが自らにも刃を向けてしまうことに気付くはず。

文章とはそもそも一呼吸置く、読み返す時間を得るためにあるものだと思うのだ。人は面と向かうと感情的になって伝えたいことが伝えられなかったりする。

自戒を込めて言えば、例え短文であっても読み直すべき、それで受信者がどう感じるかを想像すべき。そもそも読んでもらい、その反響、反応に期待するからこそ「書く」のだから。


感情的に書き込むこともあるだろう。でもそれによって自分が思った以上に受信者が反応することもある。

だから読み返して、反響を想像し、儀礼として角を削ぐことが文章には必要なのだ。

メシも表現も腹八分目にしておくのがちょうど良いあんばい。


私も気を付けなければ。

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義務教育を民営化してみれば。

こりゃ致命的だな。

ビニールならまだしも。

さすがに人の歯が入っているのは、想像しただけでも吐き気がする。

マック、アウトっぽいな。

個人的には食中毒を出されるよりもイメージ的にデカい。

いくらそのうち「もう大丈夫です」「メニューも一新しました」なんて言われても行く気にならない。

食品を扱うってのは大変だなぁ。

潰れるかも・・・。


年明けからPVが異様な数字。

公立中学校での部活動の位置付け」という昨年の記事のアクセスが増えている。

この問題はTVで取り上げられたりもしたからなぁ。

あるブログ主の方がリンクしてくれているようだし。そのせいかもな。

その方は教員なのだろう。部活動の在り方について問題提起されてらっしゃるようだ。

私の記事云々については文章やコメント欄を見てもらえれば反応が分かると思う。敢えて載せている。


私にとっては、ウチでの一連の出来事は思い出したくないが、最近は結構メディアなどでもこの問題を耳にする。

メディアから取材の電話もいただいた。正式なのはお断りしたのだが、経過や私の考えは伝えさせてもらった。


総じて思うことは「いい世の中になったねぇ」ということだ。

別に嫌味じゃない。声を上げれば世の中が動く、動いてくれるという意味でだ。


誰でも、自分の労働環境が悪ければ良く「させよう」と思う。「しよう」はその権限を与えられた人が使える語尾。

本来は権限なき人は声すらあげれなかったが、今ではそれができるのだ。実現可能かどうかは別として。

だから単なる不満のはけ口として愚痴るではなく、具体的に実現に向かえるようになった。それが賛同を得られるかどうか世に問うこともできるようになった。

非常に良いことではないか。


しかし、そうなると良い意味でのエゴが通用するということになる。

善悪、苦楽、正義なんて価値観は十人十色。必ず衝突が起きる。

建設的意見のぶつかり合い?互いに納得?

そんなことは有り得ない。数の多い少ない、影響力や注目度で勝る発信者や、意見の内容如何で勝ち負けが決まる。そして敗者は我慢を強いられる。

最終的には同じ境遇にある人同士で大きな集団となり、問題の本質はさておき、自己正当化から始まり相手を論破するのが目的となってテクニカルな言論合戦となり、大きくぶつかって勝った方の「エゴ」がまかり通るわけだ。

かつての「まあまあ、間取って」的な予定調和的結論に導くことはできず、無感情に裁断される。右左、保革の論争を見れば分かる。「論」よりも、我欲のために相手を叩きのめすことが目的になっている。決して特殊な例ではなく、どんな論争も似たような経過をたどる。

その分だけ決した後、戦後処理が大変になる。いや戦中も泥仕合だ。それが今の討論。

非常に残酷なものなのだ。


「いやだ」「辛い」「おかしい」「許せない」

そう言えば誰かが聞いてくれる。賛同者が集まる。

かつては組合がその役割だったが、今ではそんな組織も必要ない。団結しなくとも会社や所属団体に影響力を行使することができる。時には対象に制裁を加えることができる。

人がみな自分の権利を主張し合い、せめぎ合い、混沌としてきている。

「悪」と据えられた者は完膚なきまでに叩きのめされ、普段からなんとなく殺伐としている。



部活動においては私は「保護者」として前の記事を書いた。

でも今日はいち「おさく」として書く。一方的にだ。だから不快になられる方がいても単なる愚ブログとしてスルーしてほしい。

別に教師を敵に回すつもりはない。それはそれで。



これまで私は教員養成においてもっとふるいをかけるべき、教師になりたい人の資質を探るべきだ、と思っていたが、なかなかそうもいかない。

ではどうすべきか、となれば、やはり義務教育の民営化をすべきだと思う。もちろんできる地域は限られる。きちんと学校間で競争ができる環境を有していなければならないから、それができるのは必然的に大都市部に限られるだろう。

教師側だって、自分たちの待遇や労働環境を自分達の手で得る方が良いはずだ。もちろん能力の低い教師は淘汰されることになるが、身分保障と引き換えに能力の高い教師は公平正当な扱い、待遇を受ける土俵が作られることになる。

子供たちだって、能力の高い、モチベーションの高い先生から教わるに越したことはない。

学校も自由に生徒集めの「営業」ができるだろう。そもそも良い学校にしないと子供が入ってこない環境だ。

もちろん、部活動をウリにするのか、それよりも学力向上に注力するのか、など校風を自由に設定でき、それに応じて子供たち側が学校を選択できるのだ。

すでに私学という先例があるのだから、比較的容易に移行できると私は思う。


あとは学費の問題だが、小学、中学における今の公費を考えれば多少の統廃合を行えばその予算(補助金として)で十分賄えると思う。そして課外活動はサービスとして補助金付きの別料金制にすればいい。補助の部分は既存の私学と均衡を図らなければならない。

校舎などのインフラはそのまま残し、公共財産としたままで運営のみを民営化する。ここが私学との差別化だ。開始時に盤石な財産を集めない限り、一定の実績を一定期間残さない限りは、固定財産を持てないのだ。すると投資には限界があるから否が応でもソフト面でハイレベル、高付加価値を求められる。

これで遠い距離に通う子供も出てくるかもしれないが、それを利用して公共交通運営の一助とする。

学校行事などを営利活動として近隣市民に開放しても良いかもしれない。小学生の学芸会や運動会なんぞ、例え自分の子供が出ていなくとも意外とカネを払う価値はあると思う。

公立の学校は、競争になじまない人口規模の市町村に限る。


問題は競争で生まれる敗者への対応だ。

敗者ということは児童生徒数が減ること。漸減していく段階で、学校運営のスタートアップに最適な規模を下限として敗者を退場させ、タイミング良く新たな運営母体を招かなければならないだろう。

それがかなわなければ他校との併合となる。

子供たちへの影響を最小限にするよう特段の配慮は必要になるが、それもまた人生だ。今でも途中での学校の統廃合は珍しいことではない。

有能な教師は他校へ転職することになる。地域の子供の数が突然大幅に増減することはないから、能力さえあれば増えた学校へ転職はできる。


思いついたことを、このように漫然と書いていくと、不思議とできそうな気がしてくる。

多分、戯言と笑われていることだろうが、できない根拠が見つからない。浮かぶのは単に民営化は公共教育になじまない、とか、あるべき論、主観論ばかりだ。

私は自身の「教師はこうあるべき」を教師に否定された。だから現状に不満を抱いている教師から反発は受けないだろうと思う。現に、実現が難しい環境にある地方の市町村では公立のまま続けるべきだと述べているのだから。

己の正当な評価を受けること、職種の前に社会人であることを周囲が認めること、は教師がまんべんなく望んでいるであろうことは間違いないはず。社会人の誰もがそうだ。

だからこそ民営化すべきだろう。

手段や方法にいろいろありこそすれ、民営化自体には反論はないだろう。

もしそれすらも否定するのならば単に公務員という身分にこだわっているに他ならないからだ。

これを子供たちの教育を受ける権利と絡めて本旨を挿げ替えて反論しようものなら尚のこと。その問題はいくらでも事前に想定しながら対処できる。不足があれば走りながら付け足せばよい。

子供たちは形態はどうあれ、楽しく充実した学校生活を送ることができればいいだろうし、親にとっては経済的負担を増やすことなく、一定の結果も求めることができる。

リスクは「自由に学校を選択すること」による責任が親と子にかかることくらいか。しかしこれも十分な情報の開示によってリスクではなくなる。在学中のリスクなどは今もあるからここでは考える必要がない。

一般的には、職業人としての権利と義務のうち、義務を矮小化して権利を主張すると説得力を失う。

特別な職業だから、特別な勉強、努力、鍛錬をしてきたから、という貴族的意識などを持っている公務員はこの時代、もういないはず。

まさに当事者全員にとって悪い話じゃない。親も含めると3者、行政も含めると4者だ。


私は専門家ではないからこの程度でしか制度を語れない。

しかし民営化、民間によって、適正な営利を求めつつ、教育を行うことしか方策はないと思う。

大人の主張丸のみでは子供にしわ寄せがいく。子供のことだけを考える(フリだけなのかもしれない)と教師が疲弊する。

しかし箱は大人が作るものだ。子供には作れない。

だから行政主導で新しい制度を導入すると決まって子供が材料扱いされる。

本来、私はココが納得できなかった。しかし、それがまさにあるべき論だろう。

それならば、学校での子供たちの「楽しい、充実」さえ最優先にしていれば、大人側が子供を営利の材料と見てもいいんじゃないか、と思うのだ。行政主導だとどうしても結果、効果よりも行政効率を最優先してしまう。

税金の投入先には国民の厳しすぎるくらいの目が注がれている。そこに委縮してダイナミックな戦略は打ち出しにくい。

だからこそ「公」から脱するべきなのだ。



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やっぱトレンドマイクロはがさい。

もう我慢できなくて。

ノートPCが「ウイルスバスター」のおかげで全く使えん!

PCを起動するたびにHDDフル回転状態で。

毎度毎度、じっと待つこと10分弱。

・・・スキャンしてます

・・・プログラムのアップデートをダウンロードしてます

おかしいな。デスクトップではお昼に勝手にスキャンしてるのに、ノートでは起動の度にスキャンが始まる。

デザリングでつないでいるからか?


ソフトの設定画面を見てもスキャンのタイミングが変えられない。いや、できるのだが言うことをきかない。


旧バージョンではなんともなかったのに。


迷った挙句、トレンドマイクロにTELすることに。


迷う?


いや、ハナから気分を害されるの分かってるから(笑)

通信系のサポートなんぞどこもクソだ!という私の経験上。

でも仕方ない。



いろいろ心の準備をして。

深呼吸して。

シミュレーションして。

腹を立てないように。対応を予測しておく。


んが。


結局最後は「アホか!お前!ざけんな」

と電話を切ってしまった(笑)あーあ。


まあオペレーターに怒ってもしゃあないんだけど、あまりにガサかったので。


携帯からだったのでナビダイヤルではなく普通の番号にかけた。

当然、一発でつながるはずもなく、待つこと5分。

その間も繰り返し、

「チャットだと今なら比較的つながりやすいです」

どうしても電話対応はしたくないようだ。これはどの会社でもそう。

でもカチンときたのが、

「・・・サービスに入ると、サポートのつながりやすい番号を・・・」

と、有料サポートへのお誘い。

これで一気に血圧が上がる。

「いやいや、サポートって製造物に対する製造者の責任だろうが。カネ払う人にだけ責任を全うしてやる、って馬鹿じゃねぇのこの会社!」

とブツブツ独り言。

で、ようやく繋がったら・・・

ひとつひとつ書くのもムカつくのでやめた。

こちらの問い合わせはただ一つ、

「起動時のスキャンを止める方法はないのか」という操作方法。

でも向こうは結果的には不具合と捉えている様子。

「いや、そうじゃなくて」と何度繰り返したか。

そして何度も「お客様、確認しますので2、3分保留にさせていただきます」

・・・おいおい。

最初は私のシリアルナンバーやら住所やら電話番号やらで数分。症状を説明するのに数分。

で、返ってきた答えが

「アップデートのダウンロードは止めれません」

「はあ?、知ってるわっ!!んなもん!!スキャンだって言ってるだろうに!」

「いや、他のアプリケーションが固まるんですよね?」

「そうだけど、それはスキャンの時でえ!!・・・」

「アップデートでは大丈夫なんですか?」

「いやいや、アップデートでも固まるけど毎日なのはスキャンでえ・・・」

「アップデートは止めれないんですよお」

「・・・いや、だからさ・・・」

の、やりとりが3度ほど。

30分経過・・・

さすがに携帯代が気になり始める。

そこで「2、3分保留に・・・」でブチ切れたワケ。

「おまえ、ふざけんな。そっちから折り返し電話してこい」

がちゃ。

かかってくることに期待はしてなかったけど、案の定かかってこない。

そんな会社なのだ。

「そんなにムカつくならシマンテックにでも乗りかえればいいだろうに!」

分かってる。

・・・でも、

契約があと2年残ってるんだ!!ウン万円払ったんだもん、どぶに捨てれん!

くそー、契約更新の時は何の不満もなかったからなぁ。やっちまった。

後悔先に立たず。


まあ諦めるしかないんだけど。


ムカつくのは「メモリが・・」とか「OSが・・・」とか、まるで買い換えろとでも言わんばかり。

おいおい、たかがセキュリティソフトのためにPCを買い換えろとでも言いたいのか?

一応i7のレッツノートなんですがね。

win7proの64bitなんですがね。

もう化石ですか?

i7の最初のだから化石っちゃあ化石かも知れないけど。

ざけんな。

パナソニックに「化石です」と言われるならまだしも、車で言えばナビゲーションメーカー辺りに「もう規格が違いますので取付不能です。ウチの高性能ナビを快適に使いたいなら車を買い替えてください」と言われるようなもんだろ。


決めた。次はMacにする。もうやだ。

まだ買えないけど。


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新年早々。

あけましておめでとうございます。


正月一発、我がゴルフ君のバッテリーが死亡。

んだよ、幸先悪いな。

ジャンプスタータがここで活躍するとは。

仕事始まるまではプレオ君で過ごすことに。


で、ネットでバッテリーを物色すると、やっぱり昔より高いなぁ。

前のゴルフ5の時に取り換えたときはデルコでも8000円くらいだった記憶が。

今は1万円。ボッシュので12000円。狙っているボッシュのちょっと良いヤツで15000円弱。

う〜ん。

前より乗る機会が減ったからちょっと良いヤツにしておきたいのだけど。

ムダっちゃぁムダ。

でもたかが数千円の差だしなぁ。


意外とムダな電力使ってる。国産と違ってアクセサリがないからON状態でTV見ながら休んだり、車内外のあちこちに勝手に光る灯りがあるし。

そこに、最近の冷え込み。確かに久しぶりに火を入れるときセルが怪しかった。

まあ、案の定というとこだ。

だからジャンプスタータを積み替えしておいたのだが。


ぴったり寿命。

新車で買って丸3年ちょっと。

本当は5年くらいは持つはずなのだけど、最近は週に一回使うかどうかだったからね。

薄々、「こりゃ5年は無理だな」と前から思ってた。


で、バッテリーの話だが、純正は60Ahが積まれている。

互換でいえばその上の72Ahも搭載できる。しかしこちらは容量が大きくなる分、横が数センチ長くなる。

価格を見ると、どこのメーカーも1000円くらいしか変わらない。

前のゴルフ5のときも私は72Ahを載せた。

ここで困るのが「バッテリーケース(保温カバー)」が付けれなくなること。

聞けば「あ、それ付けなくても別に大した影響ないっすよ」ということだったのでその時は捨てた。

でもなぁ。

今回は新車で買っただけにちょっとそれは抵抗があるので規定通り60Ahにしよ。


バッテリーを物色しているといろいろ考えさせられる。

コールドスタート性能とかは高いに越したことはないのだが。

「オーディオの音質が変わる」

「燃費が良くなる」

とかを前面に出すのはね。

燃費については多分、オルタネータ負荷の部分だ。

たくさん電気を作ろうとするとオルタネータの回転抵抗が増える。根幹のバッテリーの性能が良くなればそれを減らすことができるという理屈。

データの数字上では差があるんだろうけど。

体感できるかどうかは私は疑問だ。比較論だからね。以前がどうの、という部分にも影響されるし。

ガソリンの清浄剤や添加剤と同じようなもんだろう。

オーディオの音質については私は懐疑的だ。

まあこれもデータがあるんだろうけど。

それを耳で聴き分けられる力があるとすればすごいよな。

どこがどう、という説明力も然り。

アンプ本体への影響なのか、スピーカーまでの導電なのか、メリハリなのか。

私が分かるのはウーファーの電力消費に合わせて起きる電圧降下の大きさくらいだ。

ドフドフに合わせて室内のイルミネーションがもわもわと暗くなる、みたいな。

でもこれはとりあえずバッテリーをデカくすりゃ小さくなるから。

いろいろなプラスアルファが販促材料に使えるのは分かるんだけど、体感しにくい部分を使うのは自然人が検証しにくいだけにあまり褒められないと私は思う。

バッテリーの性能向上ももう限界に近づいている裏返しなんだろうな。そんな状況下でも差別化に勤しまなければならないのだから大変だ。

そんな部分よりも「従来品より重量半分!!」って方がインパクトあると思うんだけど。軽量化ね。

そっちに注力してほしいな。

難しいからやらないんだろうけどね。

でもここに進化の余地がある。

素材だよなぁ・・・鉛の代わりにリチウムやニッケル積むわけにいかんのだろうしな。

自動車創成期から変わらない「鉛蓄電池」。

セルの基盤形状と表面処理くらいしか研究しようがないもんな。

「メンテフリー」が最後の革命ってことなのかな。


とりあえず本年もよろしくお願いいたします。


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