2002年に起きた、「ブログ騒動」について今更振りかえってみました。
 Joi=伊藤穣一氏、eno=飯野賢治氏

 2002年9月26日、東大メディア環境学研究室(MESH)の助教授、武邑光裕氏がブログを始めた。そこには伊藤穣一氏からブログというものを教えてもらったと書いてあった。
(URL失念。下記文は私が2007年に保存しておいたもの。タイトルは「my first blog.」。)
久しぶりにJoiに会った。彼はいつも私たちの先にあるコミュニケーションの形を教えてくれる。Blogは久々に感激しているツールだ。どんな可能性があるかを実際に経験するため、とりあえず日記のように、記憶の地図のように、書き記そうと思う。
 2002年10月23日、東大メディア環境学研究室の学生、明神光浩氏がブログを始めた。このブログの初エントリーに書かれていたのが、有名なこの一文である。
another mitsuhiro's blog: blog by mesh
blogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)
 このエントリーに武邑氏は「日本の創成期を是非形成して下さい」とコメントした。
 同日、飯野賢治氏がブログを始めた。(ただし、飯野賢治氏の文はブログ騒動において注目されていない)
さて、自分でもblogを始めてみた。

理由は3つある。

1つ目はJoiがblogをやっているからだ。Joiはblogだ。
いつ会っても、いつ電話してもJoiはblog中。
仕事柄でも、個人的にもJoiとそろそろ何か事業を一緒に始めようと思っているのだが、blogをやっていないと会話に入れてもらえないらしい。こりゃ困った。
なので、blogをやって「今日はいい天気だね」なんていう普通の人との日常の会話と同じように、「blogのスタイルシートがどうのこうの」などJoiとの会話のきっかけを作ることにした。
サッカー選手がセリエAに入った時、練習と同時にイタリア語を覚えるようなものだ。
なんだか、クラスのキレイな女の子との会話のきっかけを作っている中学生男子のようで悔しいのだが、Joiはblogなので仕方がない。
 2002年10月25日、武邑光裕氏がブログを更新。そこには伊藤穣一氏と飯野賢治氏が「Japan Blog Associations」という組織を作ると書いてあった。
TKM (gourmet)blog: Birthday
今日、joiとenoさんからJapan Blog Associationsなる組織を作るとの知らせ。ほんと、blogに乗り出すこれからの人に、オープンソースの流れが合流すれば、この国の重いメディアの壁を越えることも可能かも。mesh bloggerも走り始めた。いきなり皆、それぞれの個性を光らせている。
あと2週間もすれば、ホント、周りが全部、bloggerになってしまう。これはやはり革命かな??
 これに既存の個人サイトが反発した。日本では今までに培ってきたウェブ文化がある、それを無視するな、と。創成期は既に終わっていると。

■2002/11/8
裏日本工業新聞2002・11上
 ネット上での発言はおしなべて等価なもので、良いように抽出され引用され貼付されて流布した挙げ句に惑乱を招くという可能性は確かにあって、これは紙媒体のような編集作業による淘汰の働くメディアであったら、文字化され定着するようなことにはならなかった言説が自在にネット上にアップされ、定着するようになったから起こったことで、だから無責任な流言飛語の類の垂れ流しには、常に留意しなければならないという見解に異論はない。ひとたび事、起こったときにそれが当人に跳ね返って来ないとも限らないし、当人のあずかり知らない所で、ひとり歩きして悶着を起こす可能性もある訳だし。

 とはいえ、等価なものとしてネット上に並立はしていてもその情報を取り扱う側の意識において、情報の出し手の世俗的な社会におけるバリューなり、情報を掲載するメディアなりのバリューってものを推し量ろうとする作業が働くことがやっぱりあって、その辺りを推し量りつつ情報の出し手が出し方の品位を上下左右させることがあって、それほど悪いことなのか、とも思う。だってねえ、来年の2月で満7年とかになるくらいにいろいろと書き殴っては来たけれど、世の中的にどうよと言われた時にまるで実感ってものがないんですね、未だに「日刊」って間違えられるし(「日刊」は競合紙だっつーの)。なのに始めてた3日? それとも1日? って人に「blogが一般的になったときに、『mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない』と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)」なんて語られちゃう。でもってどうにもそれが本当のことになりかねないような空気がある。というの赤門の看板とかインターネット・エバンジェリストの後光とかってのが権威大好きなメディアにとっても魅力的で、遠からず「研究室から始まる情報革命、blogはメディアを変えるか? 情報の正確性に留意必要」ってな感じで取り上げられて、テレビのニュースにもなって歴史として定着しちゃうんじゃないかと思うんですよ、ジョーイもう大喜び、卑下したくもなりますって。

 そうなって悪いか、というと一方では既存のマスメディアに看板とか後光でもって 取り入るフリして「blog」って奴を盛り上げて、挙げ句にマスメディアそのものをぶち壊す、なんてことに期待も抱いているんだけど、それこそウェブが登場したごくごく初期から営まれて来た個々人による発言の連続と集積が、今日の「blog」とやらの胎動につながっているんだって認識なしに、「草創期」だなんて言われてしまうから腹が立つし、悔しいし、何より妬ましい。唯一神と神の子と使徒たちってか。かつて神と呼ばれた津田優さんはギリシャ神話のティターン、日本神話のオオナムジのようにパージされるのか。それもこれも静岡の助教授が「日本web日記学会」を冷凍保存だか塩漬けだかにしているからだ、と言っては忙しいうちにも着々と布石を打って来た助教授には申し訳ないけれど、このままでは確実に存在している筈の歴史が存在しなかったことにされかねないので、ここにこうして指摘をすることで歴史の維持・保存に務めたい。突出しなくても良いから等価な言説として流布されることを望む。
小心者の杖日記
タ ニグチリウイチさんが8日の日記で不快感を表明しているのをはじめ、各所で話題になっている東京大学大学院メディア環境学研究室(m.e.s.h.)の ウェッブログですが。個人的には、このm.e.s.h.のメンバーに成宮観音改め三坂知絵子さんがいることが衝撃的でした。

 「blog が一般的になったときに、『mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない』と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)」とい う記述が一番波紋を呼んでいますが、コメントを送れるシステムなのに誰もそれに対して突っ込んでいないというあたりに、ウェッブログ幻想(というか blog幻想)の限界が如実に現れている気もします。
ニーツオルグ

ぶははははh

俺はインターネットは裏側でUGで既存メディアとかはてんでダメでオレ達でわっしわっしと歴史を作るのがよしとか言ってばっかりの人は嫌いだし、こういうふうに、なんですか? カウンターカルチャー? おしゃれニューアカ? みたい? にしていく人も嫌いだ。あの、あの、88年頃の、トーキョーディスクジョッキーズオンリーの頃の、サブカル文化人が調子に乗ってたころのDJブームみたいだよ。あれのせいでかなり歪んだ方向に行ってたじゃん なんでサブカル人とかがヒップリホップリしてたのよあの頃。あれと一緒じゃん。こういう人たちがやることはホントに変わらねえなあ。バッカじゃねえの?  インターネットだって92〜93年頃に川崎和哉とかがワーワー言ってたんじゃねえの? で飽きちゃって今度は風呂具ですか。なーにがブロッグだ。どこが草創期だよこの、この、ちちちちんぽ野郎が。外人が横文字で名前つけてくれないとマトモに物事を見れないんだからどうしようもないな。とりあえず半年ROM だ。つーかどうせそのうち飽きるんだろうからさっさと飽きろと思った。こういう人たちは既存のメディアとかと組んでわいわいやって、そのうちいなくなっ て、実際のインターネットには何にも残さないんだよな。歴史になんねえじゃんあんたら。いい迷惑だよ。最初にも書いたけどまったくインターネットの外部と接しようとしない連中もどうかと思うけどね。この二者が組めば面白いというのは明白なのだが、こいつらは絶対くっつかないんだよなあ。こうしてネットに対する、ネット自身と実社会の認識の溝もどんどん広がっていくのだなあ。今日は寒いなあ。

見下げ果てた日々の企て
  ガ━━Σ(゚Д゚;)━━ン! ぼくのしらないところでそんなことが…… こんなサイトなんかやってる場合じゃないYO! これからの時代はblogだ! そして、ぼくらはbloggerだ!
 あと2週間もすれば、ホント、周りが全部、bloggerになってしまう。これはやはり革命かな??
 ど、どうすればいいんだ…… 流血革命だ! 血の日曜日だ! 皇帝の首を断頭台に乗せろ!!
  m.e.s.h.—メディア環境学研究室—の人たちの見てるインターネットとぼくの見てるインターネットは絶対ちがうものだと思いました。嘘つきには見え ないインターネットがあるのかな? そこはきっと陽の光がさんさんと降りそそぎ、花が咲き乱れ、小鳥たちが囀り、そしてbloggerたちが手に手を取り 合って歌い踊るこの世の楽園なのでしょう。ぼくには見えないけれど。

■2002/11/9
Beltorchicca
それにしても各所で話題のblogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)てすごいなー。日本で最初のホームページが誕生して10年にもなるとゆうのに。個人サイト文化をまったく知らないか、庶民のいじましい自己表現とは違うのだよという自意識の現れなのか。

★手元にある「InterCommunication」2001年秋号に伊藤穣一氏のインタビューが載ってまちた。以下抜粋。

インターネットと個人には、今言ったマスメディア的な現象を崩壊させる力があるのですが、それを適切に動かすリテラシーと責任能力がない。ですから、せっかくの力が「2ちゃんねる」のようなアカウンタビリティとリテラシーのないところでぐるぐる回って、「出会い系」とかに走ってしまうわけです。結局、まだコミュニティに力がついていないんです。

なるへそー。で、その伊藤さんと飯野さんがJapan Blog Associationなる組織を立ち上げるみたい(ココ参照)。アカウンタビリチーとリテラシーに欠ける野蛮なる日本のネットコミュニティを、俺らがblogでしきったるってことなのかなー。でも、でも、先人には敬意を!とかゆっていきたい。でもいくら言っても無駄だろうから反面教師としてココロにとめておきたい。ジャパンエッジとピクスピと、あとえーとなんだ日記リンクスの偉業に黙祷!てか死んでないし!テラモトさんすみません!
holic.org: tDiary
「BLOG」っていうのがまだどうも良く分からない。

というのは、どうも普通の日記とかとは一線を画しているからのようだからで、なぜそういう事を書くのかというと、

    今日、またblogって何ですか?というメールをもらった。(メールは復旧しました)weblogの変種ですとか、掲示板とどう違うのとか、そんなサービスはいろんなポータルでやっていますとか、毎日楽しく拝見させてもらってます云々.....そもそもこの手の質問がまだまだblogの行く手を阻んでいる。

というtakemura氏のコメントに依ります。

どうもBLOGというものは、これまでにはない変化をもたらすらしく、俺が「こういうのってSlashcode とtDiary とhns を合せたみたいな感じだよね。面白いけど新規性はあまりないよね」とか考えるのは恐らくあまりよろしくないのでしょう。

…という展開から批判するのはもう多くのサイトで行なわれているので、それは良いとして。

で、「Beltorchicca」にてdemiさんは、

    にっき-けい【日記系】  ド素人がいじましくネットの片隅で自己表現しているさま。<類語>テキスト系、個人ニュースサイト
    ぶろぐ【BLOG】  イケてる業界人がメディアの規制に煩わされることなくご意見をパブリッシュしているさま。<類語>カウンターカルチャー

    (※引用注:一応、その後の追記も以下に引用させていただきます。)

    すすいませんウソデタラメデマゴーグです。客観的に見れば日記サイトもBLOGもたいして変わらないと思います。

という、色々な意味で非常に分かりやすい区別をされていました。

結局は、使ってるシステムが、日記生成システムとかテキストエディタとかなのか、こういうのか、という違いだけかもしれない、と思いました。それなら、本質的な違いはやっぱりないけど。

えー、で、本題ですが、個人でテキストを書いて、誰かからのコメントを貰えるというシステムなら、日本ではtDiary.Netという、システムというかコミュニティというか、とにかくtDiary.Netに一日の長があると思っています。あ、今はtDiary.orgと棲み分けしているんですね。とにかくその、tDiary界隈に一日の長があると思ってます。

tDiaryというシステムほど、簡単に日記が更新できるシステムはないと思うし、日記レンタルサービスということで、面倒なシステムの設置をすることなく利用できるし。他にも色々。

というわけで、BLOGとやらにtDiaryが含まれるのなら、BLOGの草創期はむしろtDiary抜きにしては語れないと思うし、含まれないのなら、BLOGというものは、「個人がテキストとかで情報を発信する系」の選択肢の一つなんだろうということで、多様性の一つとしてしか俺は評価しないです(でも、もちろん面白いなーとは思ってます。でないと俺が今書いているこれは何?)。

でも、それよりも、tDiaryはもっと評価されるべきじゃないのかと。日本で作られ育てられた、そういうBLOG系(でよいのかな?)のシステムとして。それなのに、外国から良さそうなシステムを持ってきて、BLOGだBLOGだと言って、日本で画期的なもののようにして広めて「個人がテキストとかで情報を発信する系」の代表みたいにしてしまうのは、どうかなーと。

■2002/11/10
- BlackAsh -
ああ、ああいう人たちはいろいろ言うけれど、まあがんばってください、としか思ってないなぁ。彼らの言う「blog」が普段私がよく見ている「テキストサイト」と一致するのかしないのかは知らないけれど(多分しないと思うんだけどね)、どうあれ彼らは、もし今ネット上にいわゆる「テキストサイト村」があるとすれば、それを「テキストサイト市」にすることなんて出来やしないし、またやろうとも思ってないんじゃないかな。彼らはきっと他のところに土地を買って、家を建てて、住民を招いて新しい生活空間を作ろうとしているんだ。雑踏からかけ離れたところに、整然として清潔な超高層ビル街を。
まあ、それならそれでいい。ウェブの世界を「閉鎖的」にしてきた、またはした、またはするのが誰か、どっちかなんて話には興味がない。私はネットの片隅で、淡々と私の書きたいことを書いて、そんで時々ビルを見上げて「すげーなぁ。がんばれよ〜」と手を振るよ(フリッパーズ・ギターの曲を聴きながら)。そして、それに対する反論としてではなくて、今なお息づく「テキストサイト」や「ニュースサイト」、「アングラ」の記憶として、「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ」や標題リンク先のコンテンツを見るんだろう、きっと。
かまくら がテキストサイトの名コンテンツへのリンク集を公開。
結局ほとんど使わなかったので次の機会まで眠らせておこうかなと思っていたものなんですが。気が変わって今公開してみたくなったのは、最近業界人が言い出した「blog創世期」なる言葉に対しての具体的な反論材料を出してやりたかった、というのが大きいです
赤尾晃一の知的排泄物処理場(わかば日記)
◆日本web日記学会は鮒寿司かよ!!
東京大学新利権創成科学研究科は院生も利権創成に余念がないようだな。過去をまったく見ずして。mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)。言いすぎでぃ!!

ワイの理解では,blogとはwebログサイト構築の一方法論にすぎない。cgiなどでログを生成し,他者が付けたコメントを並記できる形式のこと。tDiaryで運用されているwebログサイト群が典型だし(例:なんでやねんや日これ),日記才人古参者である龍成の「D-Point」もそうだ。blogは草創期は過ぎ,すでに定着期に入っていると思う。

webログには三つの下位概念があるとワイは考える。(1)web日記サイト,(2)ニュースサイト,(3)テキストサイトである。重複する部分が多くて整然と区分することは不可能だが,内容の比重の置き方で分類できるのではないかと思う。例えば,ワイのこのサイトはweb日記とニュースサイトの重複領域に位置づけられる。〈詳しくは講義資料のPowerPoint HTML版またはPDF版を参照)

    web日記……身辺の出来事と雑感記述に比重

    ニュースサイト……時事的イシューの出典へのリンクとコメンタリーに比重

    テキストサイト……エッセイに近いエンタテインメント性の追求に比重

「日本web日記学会」を鮒寿司以上に発酵させてしまったワイはともかく,webログ論ですでに論文を書いている山下清美(→論文:PDF)や永江孝規(→論文)に対して,失礼だろう。HotWiredのWebログ関連の記事(*)も読んだことがあるのかね > myojinくん

鮒寿司も漬けすぎると食べられなくなるので,ぼちぼち樽から取り出すことにしようか。ジョーイやイーノやタッキーにJapan Blog Associationsを作られて,東大に新利権を奪われたのではたまらんしなー(←痴呆酷律大学教官のコンプレックス丸出し)。「日本webログ学会」に改称して,来年3月をメドに設立記念大会を立ち上げたるぜ,ホンマに。3月8日(土曜)あたりのご予定はいかがなもんでっしゃろ > とくに,はせぴぃ,ちはるのご両人。

■2002/11/11
blog - ただのにっき(2002-11-11):(ただただし氏が作ったWeb日記システム「tDiary」は、すでにコメント機能を実装していた。)
なんか誉められてるような。こそばゆいね。

しかし、これまでも何度か書いてきたけど、Web日記の最大の発明は「段落アンカー」にあると思っているし、最初にリスペクトすべきはそっちだろう。referer によるゆるやかなコミュニケーションは、(日本ならではの)オリジナリティを感じさせる。誰の発明か知らないけど。レンタルサービスだって日記鯖を先にあげるべきだと思うし。tDiaryやtDiary.Netは、そういう先人の知恵を上手にまとめただけだ。

海外での動向は知らないけど、 (おそらく)HOT WIREDあたりの紹介記事からblogに興味を持ち始めた日本のインターネット利用者にとって、日記とblogの違いは「ジャーナリズムの有無」なんじゃないかと思う。個人が発信するジャーナリズムを機能させるツールとしてのweblog。なんかカッコイイ気分になれますな。しかし、そこに個人の生活をにじませてしまうと、とたんに日記になってしまうという罠。だいいち、従来のWeb日記にだって、ジャーナリズムを感じさせる記事は山ほどあったわけ で、やっぱり両者の区別なんてつけられるものではない。

で、先のholic.orgから周辺のリンクをたどって読んでみたけど、新世代bloggerたちは、どうも日本のWeb日記文化の存在を知らないみたいだな。それとも、「Web日記って面白そうだけど、ちょっとおたく臭がしていて近寄りがたかったんだよね。でもblogの輸入でWeb日記文化はなかったことにしてオシャレに仕切り直しができそう」ってところだろうか(笑)。舶来物 をありがたがる日本人の特質は、インターネットでも健在だ。でも、読んでみるとジャーナリズムのカケラもないblogばかりで、なんだ、やっぱり日記じゃ ん?

だいたい、伊藤譲一の名前が出てきた時点で「うわ、うさんくせぇ」と感じるのが普通だと思うんだけど……なんて考えてたら、 yomoyomoさんの最新作『I can't blog』に同じようなことが書かれていて笑った。ようするに、「伊藤譲一免疫を持っていない人」が新しいことをやってる気分で浮かれているのが、日本の blogムーブメントの正体なんじゃないの(←毒がありすぎ?)。
I can't blog.
東京大学メディア環境学研究室あたりで横並びにウェブログやっている人達は、僕のようなトーシロでも一瞬で考え付く以上の疑念を凌駕する価値観を提示してくれているだろうか。研究室というなら、少しは理念的バックボーンをしっかり提示してくれと言いたい。それなしに『blogが一般的になったときに、「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたいですね。(言いすぎ?)』などと書いても足元を見られるだけだと思うがどうだろう。

 そしてこの辺の人達の流れと連動して、伊藤穣一や飯野賢治あたりが Japan Blog Associations なる組織を作るという話があるようだ。

 伊藤穣一については Paint A Vulgar Picture という文章でボロカスに書いたことがあってどうしても色眼鏡で見てしまうところがあるのだが、基本的には僕などより遥かに有益な仕事をしてきた人である(当たり前だが)。それはちゃんと分かっている。また飯野賢治については、彼のゲームでプレイしたことがあるのは「Dの食卓」だけで、それはものすごく楽しませてもらい、幸運なことにそれ以降の作品をまったくプレイしたことがないので彼に対して個人的な悪感情はまったくない。

 しかし上の「blog草創期」という物言いやその周辺の顔ぶれを眺めると何か胡散臭さ、もう少し失礼な言葉を使うなら山っ気を感じてしまうのだ。彼らはこの十年間日本において独自の展開を遂げてきた個人サイト(ウェブ日記、個人ニュースサイト、テキストサイト)史を踏まえた上で「これからは blog だぜ」と言えるだけの、サイトの見た目の瀟洒さ以上の新規性、独自性、必然性を見せてくれているだろうか。自身の blog で実際にバリューを見せ付けてくれるのはこれからだとしても(今現在、何らかの形を出しているのは伊藤穣一だけ)。結局は Japan Blog Associations のお手並み拝見ということになるのだろうが、そっち系業界人の特権意識、権威主義がもろに出そうな気がするのはワタシという卑しい平民の偏見に過ぎないのでしょうね。
[dies in the cyberspace.] -> [daily-note] -> [2002-11a]
 m.e.s.h.の件で面白いな、と思ったのはまるでアナフィラキシーショックでも起こしたみたいに既存の大御所テキストサイトが攻撃反応を示したことで、blogだろうが10年間築き上げてきたテキスト文化だろうが、そんなものに現在に至るまでこれっぽっちの寄与もしてない弱小サイトの管理人としては、「まあ、怒るだろうな」と思うと同時に、その大手サイトの方々が隠し持つプライドの高さを有る意味エグく垣間見せた感じがして興味深かったです。
 むしろほとんどのサイトが脊髄反射でまずムキになって(間違いを指摘するのはムキになるのとは違うけど)憤りを表明したことは、天然だとは思いますが一流の釣り師として認めてあげたい。せっかくここまで反応されて、アクセスを貰ったんですし「あの発言だけだった」なんて事にならないようにこれからも良いネタを提供し続けて頂きたいです。
 ってエラそーだね、自分。
赤尾晃一の知的排泄物処理場(わかば日記)
◆mesh発のblog論争の波紋か

当 サイトのアクセス数が過去最高の「4724」を記録。ascii24にはタイミング良く,「日本の“個人ニュースサイト”と米国のblog。その違い は……」の記事。マスコミ論研究者としてのワイのweblogへの関心は,20世紀型マス・ジャーナリズムとweblogが開く21世紀型ジャーナリズム の力学にフォーカスされている。その意味では,Rebecca Blood,“The Weblog Handbook: Practical Advice on Creating and Maintaining Your Blog”(Perseus Book Group,1527円,→amazon)のスタンスに近い。blogの場合も「BLOGGER」を嚆矢としてビジネスとして仕掛けられた側面があり, ソース(マスメディア)がなければ,お好み焼き(blog)が作れないように,両者は補完・共存関係にあることは間違いない。「形式」はblogの重要な ファクターだが,それ以上に必要なのは,bloggerのジャーナリストとしての覚悟と社会的イシューへの関心だとワイは考える。テキストもコメントも狭 いコミュニティで閉じたイシューに終始する限り,blogたりえないはずだ。院生間に閉じたblogという意味では,「日記リンクス」の初期段階と同じだ (そういう意味では,形式はweb日記ではあってもwebログとは呼びがたいテキスト群は星の数ほど存在する)。I can't blogでもあり,I can't web diariesというのがワイの本日の立場だ。
エロチック街道 11月の状態
 で、なんか、はしゃいじゃってるひとがいたみたいね。another mitsuhiro's blogの一番下とかですか。「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」meshってなんだろう。NECのやってたやつかな。

「日本における」おれがいちばーん!ってそんなに嬉しいのかなあ。そういうこというなら、おれ世界で始めてレイヤーを利用した掲示板作ったよ。くだらねえ仕掛けだが。

つまりあれか、アメリカ様ご発信ネタだからおおはしゃぎなのかな。まさかweb関係で日本が先に行ってる分野があるとは思いもよらなかったということか。そういえば、wikiってのもあったね。いやまだ終わってないのかもしれないけど。「これは!」と飛びついたひとがいたけど、いまいちわかりにくいとこあって、普及にはアレしてるように思う。しかし、blogよりはちょっとアイデアがあったと思うけどなあ。

ともかく、まあその「blog草創期」発言に異論のあるみなさん、「blog」という呼び名で呼び始めたのは少なくとも彼らが最初ですから。彼らのだいじな「blog」が今後どうなるかは我々にとってどうでもいいことですが、まあともかくきっといまいちばん楽しい時期なんすよ。大目に見てあげましょうよ。少なくとも、ハメを外してついに普通の日記サイトを「キミらのブログはね…」なんて言い出すまでの間は。

で、くだんの方はこんなこともおっしゃっておられます。bashing?。

    あまりうれしいことは書かれていないけど、自分の書いたことに対して見ず知らずの人から意見してもらえるってことはこれまで経験のないことであり、けっこう新鮮です。研究室とか関係なしにblogをやっててもこうやって取り上げられることはなかったんだろうなと考えると、自分のまわりの環境のすごさを改めて実感しました。

嬉しいでしょうね。私もコメントされると嬉しいから。でもそれ、わかっててわざととぼけてるようなのであえてはっきり書きますと、「blogだから反響があった」「blogはやっぱりすごいんだ」とかじゃなくて、すでに実質そういうのやってた人々を黙殺し、彼らにとっては暴言とも取れる言葉を吐いたから、批判されたり嘲笑されたりしてるんでしょう。ちがうのかな。研究室云々はよくわからないな。少なくとも私はそんなの知らずにいまこの文章書いてますけど。…批判されてるサイトを見ればその時点で「すでに日本にはこのように批判できるほどの、blogと同等のサイト群が機能してるのではないか」と気が付かないのかねえ。いや気が付いてないふりしてるんだろうけど。

■2002/11/12
- BlackAsh -
何だか業界の人たちがアメリカからblogなるものを輸入してきて「これすげーよ!」「これかっけーよ!」と言ってる最中なんじゃないかと思うんですけども ね。そんで、昨日のニュースでも書いたけれど、既存のシステムとは違う新しいシステムを構築し、新しい住人を集めて、新しいコミュニティを作って、わいわいやろうとしてるんじゃないかと(もちろん金儲けの目的が色濃いだろうな)。今まで10年間築き上げられてきた日本の個人サイトの歴史を意図的に無視しながら(「排斥」はしないだろうね。ただ「無視」するだけ)。
ああ、強く感じること。彼らの書いている文章をざっと読んだ限りでは、何だかとても理想郷チックなんだけれど、blogって。今さらながらにフリースペースバンザイ的。「個人の発信する情報の時代だ!」的。これって今までずっと言われてき たことじゃなかったの? そんで、いろんなところでそれが否定されたり肯定されたりして、多少の変容を経験している真っ只中じゃなかったの?

彼 らのやろうとしているblogなるものが、もしこのままのスタンスで続いていく(主に業界によってそのスタンスが固定化されることによる)とするならば、 既存のテキストサイト・ニュースサイト・アングラと一致するものとはとても思えないし、ましてや互いに融合するとはとても思えない(しかし一方で、その必然性もなければその必要性もないとは思うけれど)。そして、それがどっちのせいとかそういう問題でもないとも思う。
Joi Ito's Web - JP: A negative comment about JBA:伊藤穣一氏のブログ日本語版
A negative comment about JBA [ Blogging about Blogging ]
by Joichi Ito at 11 12, 2002 07:35 AM

こういうとき、本当に日本語をもっと勉強するべきだと思う。。。

yomoyomoさん。。。ちょっと違うんだよ。ブロッグはオープンでこういう形でお互いのコメントを読んで、リンクして、CONVERSATIONがもてる分散型のウェブページです。本当に新しい文化が生まれると思います。もちろん日記サイト、BBSなどで同じようなことは出来ますし、していましたが、ブロッグとあえてここで新しい名前で呼んでるのや、僕は新しい書き方とコミュニティーの作り方だと思います。

それで、JBAは別にINSIDERな組織を作ろうとしてるではなく、これからもっとブロッグをどうやったら広げられるか考える会です。ちょっとダサいけど英語がうまい僕と、デザイの面白さいっぱいなENOさんとメディア美学なら任せての武邑先生と一緒に考えよう!と最近思っただけです。ここで、”特権意識、権威主義”なって言っていないで、一緒に話をしましょうよ。別に何かを否定してうわけではなくて、もっともっと今までウェブで発言していなかった人を引き出そうとしているだけです。JBAもオープンにしますし。それがブロッグの面白さではないですか。もちろんCRITICALなコメントもいいですし、自分の事を考えるのにはいいきっかけですが、僕らに対して”特権意識、権威主義”はないでしょう。
Joi Ito's Web: Net Culture.... sigh...:伊藤穣一氏のブログ英語版
Net Culture.... sigh... [ Blogging about Blogging | Geek and Net Culture ]

Since I live in Japan and most people here read mostly Japanese, I've been trying to write in Japanese and read Japanese blogs. (Although I speak Japan fine, my reading and writing has never been that good.) I just spent the last few hours reading a bunch of articles and entries about myself and my friends that were quite negative. I'm pretty good at taking criticism and I actually believe that reading it is important for self-improvement. Having said that, it's quite tiring. Especially in Japanese.

One thing I've noticed is that people have more "local conversations" behind your back and tend to be a bit more personal and biting in their criticism than in the US. (Although it was sort of personal when Tim May came after me for being on a government crypto committee...) I wonder which is worse, getting really negative people writing comments in your blog, being ripped apart in a mailing list, or having to hunt down negative comments... Anyway, I blogged a rather negative comment I found by an intelligent sounding guy on my Japanese blog and pinged him for a response. Let's see if this turns into a mess. An experiment in the strength of weak ties... ;-p

What I am often criticized about is trying to "take all of the credit" or creating some sort of power structure or insider group. It's really frustrating because that's exactly what I am trying fight against. How do you try to evangelize when the people you are trying to reach react negatively towards people who get attention? It's quite a dilemma. This sort of thing does exist in the US, but I think to a lesser extent. For instance, I find that the Linux community in Japan is much more closed and populated by many people who pride themselves in how much they know, happy that so many people can't use Linux. I think there is much less evangelizing to the masses.

I wonder if this us/them closed mentality is what keeps Japanese from being more politically active. It reminds me again of Toshio Yamagishi's discussion about how Japanese come from a "closed" culture...

■2002/11/13
- BlackAsh -
今回の騒動に関連する英語版の記述を見てみましょう・・・

・・・日本語版とえらい論調が違うんですけども。何だか愚痴ってます。日本の閉鎖性に閉口してるみたいなことが書いてあります。

I wonder if this us/them closed mentality is what keeps Japanese from being more politically active. It reminds me again of Toshio Yamagishi's discussion about how Japanese come from a "closed" culture...

とかねぇ・・・ 何だかアメリカかぶれの人たちがよく洩らしそうなsighですね。
つーか伊藤氏はあれですか。英語で書けば、blogにネガティブな人たち(と伊藤氏自身が感じている人たち)にわからないとでも思ったんでしょうか。そうであったとしたらちゃんちゃら可笑しいわけですが。しかも、この英語版の記事につくコメントがまた振るってて、みんな伊藤氏バンザイなんですけども。「Comment from chietto on November 12, 2002 10:19 PM」では、このchiettoという方が、ネガティブなコメントはほとんどが嫉妬だよ、無視されて嫉妬してるんだよ、とありまして、その後、

Ignore the other losers who wander spilling their guts outside 2ch.

とか。何だか見てるだけでとても楽しいんですけれども。

そもそも、blogそのものを受け入れないという態度を明確に表明した既存個人ニュースサイト、個人テキストサイトはないと思うんだけども。単に、「何だかわけわからんこと言ってるやつがいるんだけれども」という論調か、「既存の方法以外に何か新しいものが得られると言ってるけれどそれは本当なんですか」という疑問。これが、「伊藤氏がネガティブと感じている見解」の趣旨だと思うんですけども。伊藤氏が勝手に「日本は閉鎖的でどうしようもないね」と思ってるだけのような気がするんですけども。

私は、先一昨日のblog関連のニュース(かまくらのテキストサイト資料アーカイブの紹介のニュース)で、

ウェブの世界を「閉鎖的」にしてきた、またはした、またはするのが誰か、どっちかなんて話には興味がない

と書きました。けれども、期せずして、どうやら結論が出てしまいそうな・・・
山形浩生勝手に広報部:部 室:伊藤譲一氏の書き込み
Hmm....  : Joi Ito id  (reply, thread) - Wed Nov 13 07:02:32 2002

First: Never attribute to malice, that which can be sufficiently explained by stupidity (or ignorance.)

こんなにちゃんと相手にしてくれてありがとうございます。まず、僕は確かに日本語の日記サイトの勉強不足でした。すみません。基本的にはあまり技術的に見るとブロッグと日記サイトはあまり違いがない。みとめます。ちょっと個人的な背景を説明させてください。

実は僕は1994年からHTMLで日記サイトやってます。CGIも色々使ってみました。MTに移る前まではDREAMWEAVERでただHTMLとCSSをいじってました。それで、僕のアメリカの友達たちが皆ブロッグブロッグ本当にうるさく僕に言ってきた。でも、僕はなにが違うか分からないとこの数年言ってきた。僕はDavid WinerのScripting Newsを興味深くトラッキングしていたでこ、まだウェブログには興味がわかなかった。それで、自分の日記サイトを新しいものししようと思って、色々さがしだした。日記サイトもしらべた。それで、この間SFに言ったとき、NYTのMARKOFFとMERCURY NEWSのGILLMORとご飯を食べたとき二人はかなりブロッグについてあつい議論をしていた。GILLMORはブロッグはジャーナリズムを変えると信じていた。MARKOFFはネガティブ。ただの流行だといっていた。そのあと、JUSTIN HALLがMTをインストールして僕を強引に連れ込んだ。最初は結構suspiciousだったが、 使ってみたら面白かった。段々、ペースがあがってきて、最近は一日数件アップします。一日4時間位ブロッグしてます。これが、ちょっと便利になっただけ で、ずいぶん自分の行動がかわるもんだな、と思いました。それと、僕の最初のSWITCHするまでの頑固さを思い出して、かなり大きな声で皆にプッシュす るようにしました。いまだにDAVID FARBERとかDECLANはMLで満足してますので、RSS FEEDもない。もったいない。こういう感じでした。ですので、tDairyとかAntennaを知らなかった僕にとっては、ブロッグは技術的にとっても面白かった。

ただ、技術をちょっと別にして、アメリカのブロッグ文化と日本の日記文化は少し違うような気がします。これも僕の勉強不足なかのうせいもありますが。。。もちろん仲間内のブロッグもありますがブロッグは自分のコミュニティーを超えるリンクや引用が一番盛り上がって、いかに自分のブロッグを大きなブロッグネットワークの 一部としてコントリビュート出来るかが大きな意味をもつ。同じCommunityでも、皆批判しあうよりも、リンックして!ってな感じです。面白い現象 で、ブロッグが盛り上がってから昔天敵だった人が仲良くなったり、僕も10年以上話をしてなかった人と沢山コンタクトがとれてます。この大きな仲間意識がとても面白いと思います。これって、日本の日記サイトではおなじですか?2chにはこの要素や少しあるような気がしますが、リンクの楽しさと BLOGROLLINGの文化がないので、その部分の楽しみがないような気がする。

それともう一つ面白い要素は、USではマスコミがかな り意識し始めて。ほとんどの会議ではブロッガーは先に書いてマスコミに乗る前にブロッグにのってしまうことを本当に恐れている。この間、MSの商品説明会ではMSが何人かの人気ブロッガーをスポンサーして呼びました。それで、筆が曲がるというスレッドがブロッグ間で起きました。そこまでメディアとして認められつつある。日本では2chはこういう要素があります。ですので、文化的に言うと多分2chのメディアせいと日記のスタイルがアメリカのブロッグ現象にちかいのかな?

ちょっと長くなってきたので、そろそろ一回きりますが、この間ARS ELECTRONICAでぶつぶつ色々言ってたら” お前みたいなオールドスークールなやつがいるから前に進まないんだ!”と言われました。やっぱり僕も後から来た人が昔の勉強をしないで色々語るのを聞くとむかつきます。気持ちはよく分かります。実は僕はパソツーにかなり80’sからはまっていました。それでネットが出来てUSENETやMLが盛り上がって きたとき色々革命話しをする人にちょっとむかついた。でも、結果的にはもっと多くな人が使い出した、どんどん変わっていった。その新しい人たちによって ネットは代わっていく。AOLのメンバーがUSENETに書き込むようになって本当に内容のレベルは下がった。でも、それはネットの進化の一部だった。 しょうがない。(Although I hate the word しょうがない)

それで最後ですが、武邑先生は僕は本当に面白いと思います。かれは本当にすなおにブロッグのツールで生活が変わったことに喜んでいます。それを皆に伝えてるだけです。もしかしたら日記サイトを作ってあげても同じ効果があったかも。僕が日記サイトの話を彼にしなかったことが問題だったのかもしんないけど、僕は自分の事をブロッガーだと思って、彼はその言葉を選んだ。僕は武邑先生見たな人たちがどんどんブロッグや日記サイトを立ち上げていくともっともっとネット上にコンテンツと色々な視点が増えて今よりもマスコミに対して戦えるよな気がします。
山形浩生勝手に広報部:部 室のyomoyomo氏の書き込み
どうも…  : yomoyomo id  (reply, thread) - Wed Nov 13 15:11:00 2002

早速ありがとうございます。

僕が今朝書いたときに懸念していた通り、早速英語版と日本版の相違を取り上げているサイトもあります。こういうときは何かと噛み付かれやすいものです。嘆きたくなる心境も十分理解できますが。

個人的にはもう次の段階に行ってもよいと思います。実際、今回の騒動の後はじめて海外のblogツールを試してみてその感想を書かれているサイトも見つけました。alternativeがあるのは良いことで、それぞれが自分のやりたいことに一番あったツールを選択できればそれで良いのです。伊藤さんの活動がそうしたpositiveな流れに結実してほしいと願っています。

これは追従などではありません。僕の文章が伊藤さんらの活動を批判する最右翼の文章、というように紹介されているのを見て心外なのですが、文章の最後に書いた通り、何よりblogから豊かなコンテンツ、議論が今後生まれればと思います。コンテンツの質が高ければ、それが何から生まれたものであれ僕は(誰でもでしょうが)支持します。それだけです。

…とこれだけでは何なので、ESRの最新文書「A Political History of SF」は、彼のblogに書いたものの再編集版なのかな?
「見下げ果てた日々の企て」
「ひょっとして一般の人が見てるインターネットと僕の見てるインターネットもちがうんじゃないの?」と怖いことに気づいてしまいました。m.e.s.h.—メディア環境学研究室の人たちのネットに対する感覚のほうが、一般の人の感覚に近いわけで、やっぱり自分は未開の地に暮らすネット原住民なんじゃないかなあという気はしてきました。いるけれど、いないものにされそう。アメリカ大陸発見! みたいな。前からずっとあったよ。

■2002/11/14
eno blogのコメント欄:飯野賢治氏
この騒動について、なんかしらのコメントが聞きたいです。
Posted by: jeff on November 14, 2002 05:24 AM

Blogは繋がっていくこと、広がっていくことに、僕は魅力を感じています。
そういう要素を元々持っているところに、興味がありました。
でも、まだまだ勉強不足だし、考え不足なもんで
そういった可能性を感じてくれるいろいろな方々と
Blogを面白くできたらいいなと、考えています。

また、ここ日本ですし。
日本語が僕の言語ですし、日本語好きですし。
ツールでも説明書(文)でも、日本語化が進んだりすると
もっと、みんなが使ってくれるようになっていいだろうなとも思っています。
もっと簡単なエントリーモデルもあったら、いいだろうし。
日本ならではの展開もいっぱい可能性があるでしょう。

もちろん、そういう要素を満たすツールもいっぱいあると思います。
僕は、Blog自体もJoiに教えてもらったくらいなので
あまり詳しくはありませんが。

なんか、「Joiどう?」とか知り合いだけで
盛り上がったり、考えたりするのではなく
Blogのビジョンにのっとって、みんなでいろいろと
考えていけたら、いいなと、心から思っています。

-飯野
- BlackAsh -
まず武邑氏に関しては、下調べをせずにmeshなる企画を公的に運営したのは研究者として大きな失敗だったかと。私も本気でびっくりしましたっつーかそんなことで大丈夫なのかと逆に心配になってしまったり。
まあ、これから、もし武邑氏に興味と時間があれば、きっといずれ日本の既存ウェブ日記に関する研究の成果が見られるのではないか、とも思っています。社会学的見地からウェブ日記を研究した論述はそれなりに出てきているようですが、東京大学の最先端の研究を行っている(はずの)研究者の論述が見られるかもしれないのは興味深い。ぜひともオンラインで上梓してもらいたいところですね。

伊藤氏に関して。
伊藤氏たちがこれから盛り上げていくであろうblog企画を潰そうなんて思ってる人はいないんじゃないかと。そのことをしっかり認識した方がいいんじゃないかと。少なくとも私は、blogなる表現そのものについて批判したことはないし、ましてや伊藤氏個人に対して何か特別な思いを抱いているわけでもない。何だか勝手に自己完結して「日本は閉鎖的だ」とか言われてもなぁ。対象を「閉鎖的だ」と思った瞬間に自らが閉鎖的になっているかもしれないんだから・・・
WWWという空間それ自体は、当然のことだけれど、誰に対しても拒否を示すことはない(もちろん特別な歓迎の意を示すこともないけれど)。だから、やりたいのであれば基本的に何も障害はないはずでは。それが伸びていくかどうかは別にして、何かでっかいビルディングを建ててみればいい。まだ、我々は、

We haven't seen the value. What is it that blog can do, that nothing else can? We haven't seen it.
(引用:yamagata氏のこちらの発言)

なんだから。
あ、あと別に日本語版と英語版を一般的に同じにする必要なんてないさ。でも、ああいう時期に、渦中の人物が、何だか二枚舌とも取ることのできるような発言をするのはいったいどういうことか、どういう理由によるものか、という疑問があったんで、昨日のBlackAshNewsで取り上げたわけです。
さらについでに、blogツールの紹介は日本語で日本人に向けて日本語版のものを示さないと全く意味がないと思うんだけれども・・・ そりゃあ、日本語が余り得意ではないということはわかりますが。


さて、私は、前にも書いたけれど、彼らがきっと建てるであろう整然として清潔な超高層ビル街を時々見上げて、興が乗ったら手を振っちゃったりなんかしながら、そんで私のやりたいことをやろうと思うよ。
以上、今回のblog騒動についての言及はおしまい。これからどうなるか。既存ウェブ日記の多くにあまり見受けられなかった(と思われる)極めて強いジャーナリズム指向を意図する(と思われる)blogが、これからどうなるか。まったりと眺めていくことにします。

■2002/11/15
another mitsuhiro's blog: blog by mesh:明神光浩氏がコメントに返信
多くの方々の考えるblogと私の考えるblogに相違があったようです。このアイテムに対するtrackback先の方からのご指摘の通り、私は MOVABLE TYPEやそれに類するツール(blogger等)を用いて作ったサイトのみをblogとしてとらえておりました。そのため、web日記等は私の考える blogの範疇には入っておりませんでした。このことが「日本におけるblog草創期」という表現につながっています。しかし、blogの定義はまだまだ あいまいではあるものの、web日記や個人ニュースサイトを含めるのが現状では一般的なようであり、私はそのことを認識できておりませんでした。この点に ついては私の勉強不足以外の何物でもありません。私自身この騒動以前からいくつかのweb日記や個人ニュースサイトを拝見させていただいています。それに も関わらず、これらのサイトの運営者の方々には侮辱的と受け取られても仕方のない表現をしてしまい、多くの方々に不快感を与えてしまったことをここでお詫 び申し上げます。

■2002/11/17
TKM (gourmet)blog: mesh blogger:武邑光裕氏がコメントに返信

まず、blogなるものを実験として設定し、それを研究の対象として展開可能かどうかを検証する目的であった筈の実験そのものを、研究それ自体として表明してしまったことに、私の無自覚な発言がありました。

研究対象として設定しうるか、という事前の手続きや、その準備の積み上げ以前に、私の無自覚な発言によって皆さんの反響を呼んだものと反省しております。

これまでの「日本におけるweb日記・テキストサイト・ニュースサイトの実状とその歴史、そしてそれらに対してblogが一線を画する明確な概念定義」をめぐる準備不足など、研究と述べてしまいましたが、まだその端緒にもついていない段階で、こうした言葉を安直に用いたこと、様々な方からのご批判、 ご指摘の通りと受け止めています。

言葉足らずとは弁解にもなりませんが、研究を実行に移すというくだりに、「研究対象として設定可能かどうか、先行調査などの前提を踏まえる」という姿勢を表明しなかったことが間違いであったと反省しております。

こうした私の無自覚な発言によって、多くのご批判、ご質問を頂き、今それらを真摯に受け止めているところです。

そして、こうした状況の中からも、多くの貴重な情報提供を様々な方からお寄せいただいています。これに関しても、この場で御礼を述べさせて頂きます。

ご指摘の通り、院生諸君の研究テーマの設定として、それ自体、可能か否かをもっと精査すべきであったと思っておりますし、今回の反響から、学問的研究の前提として、blogなりを対象とする先行研究など関しても、多くの方々から情報を頂き、今回の実験の継続や方向を再調整する段階と受け止めていま す。

こうして皆さんのご批判、ご指摘によって、私自身の反省はもとより、「研究」という言葉の持つ重みを改めて内省しております。今回の多方面からのご指摘、ご批判に答えるためにも、blogという言葉や概念以前に、「日本におけるweb日記・テキストサイト・ニュースサイトの実状とその歴史」を遅ればせながら、学習させていただいております。この作業自体、私に様々なことをお教えいただいているものと受け止めております。

院生の諸君にまで、私の無自覚な発言が反響を呼んでおりますが、すべては私の責任と自覚しております。

今は、研究以前の問題として、なぜ私にとってblogなのかを見つめていければと考えております。


・この騒動の2ちゃんねるスレッド:blog★ブロッグ
・この騒動とは関係ないが同時期に話題となった記事:インターネットのあり方を変える? 個人ニュースサイト“blog”を運営する人たち
「僕がblogしない理由」(《月刊ASCII》2003年2月号/大森望)


 伊藤氏はこれまでの日本のウェブ日記について触れずに、飯野氏とともに「Japan Blog Associations」という組織を作ると言うものだから、反感をかった。伊藤氏は武邑氏にブログというものの存在を教え、武邑氏は明神氏にブログを教えた。「「mesh抜きでは日本におけるblog草創期を語れない」と言われるようなサイトにしていきたい」と書いた明神氏は、所詮学生に過ぎないが矢面に立ってしまった。伊藤氏も武邑氏も日本のウェブ日記については不勉強だったとコメントした。

 これは今にして思うと、、、なのだが。騒動より僅か一ヶ月前に「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史」が公開され、四ヶ月前には「テキストサイト大全」が発売されていた。そしてこの頃はサイト論についてよく書かれた時期でもあった。もしかしたら、これらの事が影響したのかもしれない。すなわち、個人サイトの管理人達に「ネット文化は俺達が育てた」という意識が芽生えた、すでに意識を持っていた人はさらに強くなった。それが「俺達を無視するな」という感情に繋がったのかもしれない。

 これも今にして思うと、、、なのだが。伊藤氏と武邑氏はインターネットに初期から関わってきた人達で、立派な肩書きを持つ人達。それが個人サイトの反発を受けて両人とも反省コメントを出すに至った。これは"当時の"ウェブの特徴を見せ付ける出来事だったと思う。対面でのやり取りではこうはならなかったのでは。また、今の時代なら少し違う成り行きになったような気もします。

 日本の個人サイトでblogという単語を早い段階で使ってたのは、私がパッと思いついたところで言うと2001年11月?からblogdexという言葉を使っていたばるぼら氏かな。「mesh抜きでは(略」を伝えたサイトの一つは『ばるぼらアンテナ』でしたね。
(2017.06.18追記:ばるぼら氏の本を見たらこの辺が書いてあった。それによると99年12月、『研究日誌』のドメインがblog.net。その他に『2ちゃんねる研究』等、当時からブログを認識していた人の事が書かれている)

 「ブログ」という言葉の定義。既存のウェブ日記(テキストサイト、個人ニュースサイトも)を「ブログ」に含めるのか、それとも含めないのか、これによってこの騒動の評価は変わってくるのだけど。いづれにしろ、この騒動は結果として「ブログ」という言葉を日本のウェブに広めることに一役買った。



 ブログの到来は黒船だった。だがそれは「ブログ」という概念よりも、「各社のブログサービスが始まった」事にあった。HTMLの書き方がわからない人でも企業が用意したブログサービスを使う事によって、簡単に日記系サイトを始められるようになった。出先でも携帯電話からサイトの更新が出来るようになった。

 芸能人や会社役員などの有名人がネットの世界に進出し始めた。

 個人サイトの世界が黄昏を迎える最初の出来事だった。