★日本のネットカルチャー史(角川インターネット講座 第四巻 ネットが生んだ文化 ~誰もが表現者の時代~)

 今回は書籍です。角川インターネット講座というシリーズがあります。名前からすると、インターネットを使った何かしらの遠隔講座の事?と思ってしまいそうですが、そうではなくて、”インターネットに関する講座”って事です。これの第四巻が「ネットが生んだ文化 ~誰もが表現者の時代~」として、著者8人がそれぞれネット文化に関しての持論を書いている。

 で、この本の第一章が「日本のネットカルチャー史」としてばるぼら氏が書いている。個人ニュースサイトの事についても何かしらは書いてあるだろうと思い、買って読んでみました。ただ、歴史の部分は大分駆け足で書かれていて、その部分については収穫はありませんでした。文の初めに8ページをかけて書かれている「ネット文化とはなんのことか」のほうが私にとっては収穫でした。

 いつものとおりピックアップしますが、今回は書籍ですから全部ピックアップするのもあれな感じなので、最初の14ページ分だけです。「ネット文化とはなんのことか」から「日本のネットカルチャー史」で個人ニュースサイトがでてくるところまで。


ーーーーーピックアップーーーーーーーーーーーーーーー

■ネット文化とはなんのことか

・昨今の「インターネット」はおおよそ「ワールドワイドウェブ」の事を指している言っていいだろう。「NCSA Mosaic」の登場以降、可能な限りブラウザー内で完結できるよう、ウェブが拡張されていった。ウェブの利便性がすべてを飲み込んでいった。
・インターネットの一部であったウェブは、やがて「インターネット全体のインターフェイス≒ウエブ」といえる状況を生み出した。この文で扱う「ネット文化」の大半は「ウェブ化して以降のインターネット文化」の事、このニュアンスが前提である。

・ネットで展開されている出来事全てがネット文化になるわけではない。そこにはネットらしさがなければならない。そこで何が「ネット的」で何が「非ネット的」かを決める必要がある。
 →設計の側面でいうと、「プラットフォームに依存せず、どこからでもアクセスが可能で、特別な技術の修練を必要としない、オープンな環境」これはネット的である。
 →運用の側面でいうと、「ユーザーと自主性を担保するボトムアップ型、情報の自由な流通、匿名と実名の選択の自由、常に修正され更新される可能性を秘めた情報の不確定性、受け手が送り手にコンタクトをとる手段が確保された参加可能性・双方向性」これはネット的である。
・世の中の殆どの企業は非ネット的な側面を持っている。現在、ネットで流行しているあれこれが必ずしもネット的であるわけではない。しかし、ネットは非ネット的な存在に影響を受けて、ネット特有の文化を生み出すことがある。ネットと非ネットは隙あらばお互いを取り込もうとする。
・ネット文化の歴史を知るには、ネットと非ネットの両方の視点が必要になる。

・ネット的な設計と運用を生み出した背景には、ネット的な態度や気分がある。その源流は3つ指摘できる。
 →一つ目はインターネット普及以前からあるコンピューター文化、アメリカの「ハッカー文化」の態度や気分である。法律が整備する前に規制事実化させてしまおうとする行為に、ハッカー文化の血脈を感じる。
 →二つ目は60年代の「ヒッピー文化」である。ネットユーザーが時に反体制的な態度をとり、様々なデータをパブリックな場にフリーで公開するのは、ヒッピー文化の名残といえる。
 →三つ目は「DIY文化」である。休日に趣味に没頭することで、意外なクオリティのものを生み出してしまう彼らの活動が文化の発展に寄与することは少なくない。フリーウェア/シェアウェアの多くはサンデープログラマーによる制作物である。
・これらの文化がネット文化と地続きである例として96年2月に作家のジョン・ペリー・バーロウが発表した「サイバースペース独立宣言」がある。
・通信品位法への反対声明として発表した「サイバースペース独立宣言」は、インターネットをグローバルな社会空間と捉え、国や政府など既存の権威を否定し、新しく自由なコミュニティを我々は築き上げていくという宣言。
・この宣言を書いたジョンはヒッピー文化を代表するバンド、グレイトフル・デッドの作詞家である。
・ジョンは「Electronic Frontier Foundation(電子フロンティア財団)」の共同設立者の一人。他にはGNUプロジェクトで活躍したジョン・ギルモア。「Lotus 1-2-3」の開発者で「Mozilla Foundation」の初代理事長でもある、ミッチ・ケイパーがいる。彼らは、パソコン通信「WELL」で知り合った。


■日本のネットカルチャー史

・最初期のインターネットで活躍する個人の多くは大学生だった。ISPが安価な接続サービスを始めるまでは個人がインターネットを利用できる場所は、大学(と企業)に限られていた。日本のネット文化を最初に築いたのは大学生であった。
・日本のネット文化は主にその時代の大学生が先導し、やがて時間がとれずに活動が減り、次の大学生に譲る。その繰り返しである。
・90年代、ZINEブームが巻き起こってた時期。ネットで雑誌を作ればいいと、雑誌感覚でコンテンツを公開するサイトは”E-ZINE”と呼ばれた。代表的なものとしては「Japan Edge」「pickles spinn」「Club HAL」「Shigep's」が挙げられる。
・並行して、”ウェブ日記”も流行した。サイトを更新材料として日記という形式が重宝された。人気を集めたものとして「をたく日記」「駄文でポン!」「不連続日記事件」「狂乱西葛西日記」。
・多くのウェブ日記が公開されるようになると、それらを更新した順に並べて一覧表示する「津田日記リンクス」が登場した。

・95年末から96年前半にかけて「Windows95発売」、大手パソコン通信各社がインターネット接続サービスを開始。学生や一部の業界人でできあがっていた、インターネットのコミュニティは一回リセットされた。
・E-ZINEは「shortcut」「bewitched!」「SHIFT」などの第二世代が内容は充実していたが再び大きなムーブメントになる事はなかった。
・「津田日記リンクス」の元参加者が「ReadMe! JAPAN」を立ち上げた。ここは日記に限らなかったことで独自性を発揮し人気を集めた。
・人の流入は個人サイトを多様化させ、ひとつの流れで捉えきれなくなる。96年から99年にかけての現在に通じる個人サイトという視点で振り返れば、まず目立つのは”テキストサイト”と呼ばれる事になる、毎日更新されている日記以外の文書を更新するサイト群であった。
・「しろはた」「パワードダイ」「ハッピーハッピーうさちゃんまつり’67」「ウガニクのホームページ」「HEXAGON」「クリアラバーソウル」「A_Prompt.」などのサイトはそれまでのウェブ日記サイトからは出てこなかった非日常的なセンスを持っており、これらは「ReadMe! JAPAN」を中心にコミュニティが形成されていった。
・同時期に、”個人ニュースサイト”と呼ばれる形式も生まれはじめた。これは独自取材のニュースではなくて、複数の商業サイトから気に入ったネタをピックアップしてリンクを張るサイトの事。企業がネットで情報を配信するようになったからこそ生まれたジャンルといえる。
・閲覧者は自分とセンスの近い個人ニュースサイトを見れば、自分でサイト巡回しなくてもいい為、重宝された。
・大手として「MP3 TIDALWAVE」「SMALLNEWS!」「変人窟」「J-oの日記」「ムーノーローカル」「TECHSIDE.NET」「裏ニュース!」「sawadaspecial.com」など。これらのサイトの多くは「ReadMe! JAPAN」に登録しており、ランキング上位は殆ど彼らが占めていた。
・テキストサイトや個人ニュースサイトは、「侍魂」と「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」という2つのメガヒットサイトによって閲覧者数/運営者数が増加する。この現象は個人サイトをメディアからコミュニティへ変容させるきっかけとなった。
 →何かコンテンツを「発表」することで満足を得るのではなく、個人サイトというコミュニティに「参加」することで満足を得る人々が増加した。
  →これにより、01年前後からテキストサイトや個人ニュースサイトは内輪化、自己完結化が見られた。個人ニュースサイトからさらに情報をピックアップする”孫ニュースサイト”と呼ばれた「俺ニュース」はある種の象徴だった。
・メディアとコミュニティの意識のバランスがうまくとれていたのは、大量のリンクを毎日更新する「カトゆー家断絶」、専門性を高めることで独自性を発揮した「かーずSP」「CG定点観測」「ミュージックマシン」「(・∀・)イイ・アクセス」「萌えミシュラン」「ゴルゴ31」。旧来的な総合色のある「everything is gone」「まなめはうす」「ugNews」。
・彼らはブログのオルタナティブな情報集約機構として継続していくものの、ITやオタク以外の分野で新たな個人ニュースサイトが設立される事は減っていく。


 ここまでが最初の14ページ分。この後は大型掲示板、ブログ、Flashアニメ、SNS、まとめサイト、キュレーションサービス、動画配信サービスなどについて書かれている。この流れのなかで個人サイトを持つ動機は年々薄れていき、個人サイト文化もまた一昔前の出来事となっていく。
 2010年に「WIRED」は「The Web is dead.」という特集を組んだ。インターネットは生き続けるが、主戦場はオープンなウェブからクローズなプラットフォームへ移っていくという時代の変化を捉えた内容だった。
 現在は「ポスト・インターネット」環境を生きている。これはマリサ・オルソンが08年に話したキーワードで、オンライン・オフラインの区別はもうないとする立場。

 一番最後に「ネット文化の発展は未だに過去の理想の実現に留まっている」とし、「誰も想像していなかったことが起き、インターネットに初めて触れた時以上の高揚感を体験できるか。この先、日本のネット文化に期待しているのはそこだけである」で文は終わる。