宣言どおり「テキストサイトの歴史」を更新しました。以前に「公開は秋か冬辺りにはなっちゃうかなという感じ」と言いましたが、だらだらやっても効率が悪いので休日を全て作業に割り当てて、一ヶ月で公開まで進めました。まあ、「テキストサイトの歴史」は元々出来がいいので、大幅に直すところがなくて、今のものに追記をしていくだけで済んだので早く終わった感じです。
更新内容はTwitterで呟いたとおりです⇒https://twitter.com/sakuraba_snow/status/1294595618548015105
Twitterで呟いちゃうとブログで書くことがなくなってしまいますね。なので、ここでは10年前に「テキストサイトの歴史」を書いたときの話をしましょうか。
ウェブ文化の考察文を書く構想を2005年から持っていて、当時は「ラグナロクオンラインが何故日本では成功したのか」についてをウェブ文化の視点から書こうかなと思っていたワケ。海外では成功しているとはいえないラグナが何故日本では成功したのか。それは、日本独自の事情があるでしょと、日本のウェブ文化に上手くのったからでしょと。そこを書こうかと思っていた。でもイマイチ書く気が起きなくて。
その後、2008年に「アイマスMADが何故流行ったのか」について書くと、なかなかいいものが出来るんじゃないかという事を思いついた。それで制作したのが「アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究」。この文は非常に高い評価をいただいたし、嫉妬されたりもした。でも、書いた私としては不満が残る出来で。制作期間に3ヶ月かけたのだけど、もっと時間をかけて調査をやれば数段上のレベルのものが書けたなあという反省があった。
で、アイマスMADから手を引いた2008年秋に「テキストサイトの歴史」を書くことを思いついた。『アイマスMADを中心としたコミュニティの発展に関する研究』での反省点は調査不足。だから「テキストサイトの歴史」の制作においては調査を丁寧にやろうと。行った調査はきちんとブログに残そうと。で、調査結果をブログに残すというアイデアは凄い良かった。今回「テキストサイトの歴史」を更新するにあたっても当時のブログ記事を結構参考にしました。もしブログに残さなかったら、同じ調査をもう一度行なうはめになっていたはず。
2010年に「テキストサイトの歴史」を公開。でもこの頃、私はウェブへの興味を失ってたんですよね。だから公開後の反応とかぜんぜん見ていない。でも、いいものを作る事が出来た満足感はありました。次の大型新作は2018年の「個人ニュースサイト史」。8年も間が空いた理由は、2010年から2014年までは、サイト管理人としては眠りについていたため。ウェブから距離を置くことにした理由と2015年に復帰した理由はいずれ書きましょうかね。
そういえばHTMLソースにコメントアウトでこんな事が書かれてました。コメントアウトにしているという事は制作途中では”初めに”の部分に書いてあったのを、公開する際にはボツにしたんでしょう。ボツにした理由は思い出せないけど、テキストサイトの歴史はこの考えに沿って書かれています。
<!--<br>
<h6><strong>◆この文が目指したもの</strong></h6>
目指したところは、大きく3つあります。<br>
<br>
1つ目は、テキストサイトブーム期に多く書かれた「テキストサイト論」の集大成です。かつて書かれたテキストサイト論は数こそ多くあれど、
その多くが内容としては薄いものでした。せっかくあれだけ大きな旋風を巻き起こした事象に対し、その記録をしっかりと残したものがないというのは寂しいことです。<br>
<br>
2つ目としては、一次ソースへのリンクを充実させ、価値ある文を多く引用することで、資料集としても使えるようにすることです。
ネット文化の研究を行う者にとって、その入り口の1つとなるはずです<br>
<br>
3つ目は、「ネット上の出来事を記録に残す」者に、その見本を示すということです。ネットには多くの興味深い現象が発生しているにも関わらず、
それをしっかりとした記録に残る場合は殆どありません。記録が残っていなければ考察も研究もできないのです。<br>
<br>-->