佐倉葉ウェブ文化研究室の作業報告書

佐倉葉ウェブ文化研究室(旧:WebsiteMAP βVersion)』の作業日記。
こんなのを書いてます↓
個人ニュースサイト史」「テキストサイトの歴史」「登録型ウェブ日記リンク集の動乱
自己顕示欲充足システムに飲み込まれる登山者と事故の危険性 ~インターネットの普及による山行への影響について『ヤマレコ』を事例にして~

カテゴリ: URLクリップ


ウェブログに見る日米個人サイトコミュニティ事情

Grip Blog

あい's EYE

Grip 報道メディア設立 企画書(公開用)

自民党が“ブロガー記者会見”

民主党本部で食べたりしゃべったりしたことを淡々と記録してくるよ

泉あいさんに渡した「みんなのニュース」案の全文と解説

対極にあるジャーナリストとブロガー
 「ジャーナリスト」は、自分が絶対的に正義という立場からものを言う。自分は社会正義を実現するための社会の木鐸であり、悪を追及し、悪事を暴き、疑惑を暴くのがジャーナリストとしての立場である。だから、いかなる陣営にも買収されるようなことがあってはならない。

 しかし、「ブロガー」はそうではない。ジャーナリストではないライターにもそういう要素はあるが、自分が正義なのではなく、「世間はどうか知らないが自分はこう思う」を主張するだけなのである。それが「正しい」かどうかは別である。自分の立場からはこう発言するが、判断は読者にお任せします、それがブロガーである。

 つまり、ジャーナリストは自分が正しいという主張である。「市民」や「パブリック」を冠するジャーナリズム系ブログが多いが、これは民主主義的な「正義」(つまり、大衆の意見こそが正しく、政府はそれを聴け、という正義感)のあらわれに他ならないと思われる。

 一方、ブロガーは自分の考え、あるいは体験したことをとにかく表現する。

 「正義」という立場から発言することと、「自分の視点」という立場から表現すること、この二つには大きな違いがある。
 かつてブロゴスフィア(ブログ界)と呼ばれたものは、今なら「Web 2.0型言論界」とでも言うべきであろうか。これが新しいジャーナリズムを生み出すという期待は以前にもあったし、今もそのように考えている人は多いだろう。

 しかし、その「新しいジャーナリズム」は、今までの「ジャーナリズム」とは違うものになるはずだ、ということを見落としている人が多いように思われる。

 ブロゴスフィアは多くの人たちのブログでの意見が議論を生み、多くのブログで扱われることによって、新たな世論や見解を生み出していくものと期待された。実際には有益な議論よりも「炎上」が目立つようだが、それはさておき、Web 2.0型の意見交換は、あくまでも「それぞれの人の視点」で語られた「それぞれの意見」を集約したものである。

 一方、旧来型のジャーナリズムはそうではない。そこには「ジャーナリストが正義と考える見方や"事実"」が前提として存在している。いわば一方的に見解を伝えるのでなければ、ジャーナリストは自らの立場を貫けなくなってしまう。単なる事実誤認の訂正であればまだしも、ブログのコメントやトラックバックで自分の主張する正義をコロコロ変えていては、ジャーナリストにはなれない。

 あるいは、ジャーナリストは、世論が見逃している事実を突き止めるところに意味があるとも考える。Web 2.0は世論の集大成であるが、そこで見逃される事実を掘り起こすジャーナリストは、世論に埋もれていてはいけない。

 ここでWeb2.0とそれ以前のスタイル、言い換えれば「双方向」と「一方向」の情報発信の違いについて、私は決して優劣を論じるつもりはない。むしろ、目的に応じて使い分けるべきだと思っている。たとえばウェブマーケティングにおいて、双方向のクチコミサイトと、メーカーの一方的プレスリリースは、両方が必要なのであって、一方だけがよいとか悪いといったものではない。それぞれ特質・性質の違いがあるということである。

 ジャーナリズムは一方的である。ブロゴスフィアは双方向的である。だから、

泉あいさんに渡した「みんなのニュース」案の全文と解説 [絵文録ことのは]2006/12/09
 双方向型のジャーナリズムを志向する泉さんに対して、私は、ジャーナリズムそのものを双方向型にすることはよくないと考えた。だから、ニュースサイト全体は「双方向」的なものであっても、必ず「一方的部分」、つまり記者による独自取材記事発信を行なうように提案したわけである。


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FLASH★BOMB'05総合スレ1発目
600 名前:Now_loading...774KB 投稿日:2005/09/24(土) 06:22:17 ID:Nx4Ozcu4
   僕は今回初めてFBに行ったんですが、思ってた以上に楽しかったです。

   普段はモニターに向かって一人で見てるものを
   ああして大きなスクリーンとスピーカーで見るというのは、
   非常に新鮮でした。
   特にふつうなら笑わないようなことでも、
   会場の楽しい雰囲気に乗せられてか 心から笑えたし、
   大勢の人で一緒に見るのもいいものだと思いました。
   なによりフラッシュを作ってる側から見ると、
   こんなにも暖かく「愛を持って」見てくれる人たちがいるんだ
   ということにほんとに感動しました。

   FLA板からの視点で見ると、
   確かに少しさびしく感じるところもありました。
   イベントが「FLASH」という枠から「ウェブアニメーション」という枠に
   移りつつあるのが、作品からも、今回でFBが終わるということでも
   ひしひしと感じられましたし、
   お客さんの中には、FLA板には来たこともないであろう方も、
   いらっしゃるようでした。
   FLASH原理主義ではないですが、イベントの規模が大きくなって、
   いろんな要素が絡むようになると、
   FLA板に愛着のある僕にとって身近なイベントではなくなるのではないか、
   という不安もまたありました。

   でも来年、僕はきっと会場に足を運ぶと思います。
   スタッフのみなさん、そして会場に行かれたFLA板のみなさん、
   楽しい時間をありがとうございました
この不安、的中しましたね


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IPA職員がファイル交換ソフトでウイルスに感染、写真など流出
オープンソース情報データベースOSS iPediaについて
【ネット】 "知人女性との性行為画像や、妻との結納時写真も" 流出のIPA職員、「古いフリーソフト探す為、ウィニー等使用」★3

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GripBlog ~私がみた事実~

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Lounge Programmers Killer(URL不明。文章だけとっておいた。たぶんhttp://d.hatena.ne.jp/mkg_b/20060320/
■一部の人メソッド。

2ch の人間は「一部の人メソッド」に対して、理路整然と反論を行ったわけではなかった。そもそも読み解こうとすらしなかっただろう。ただ「自分達が帰属意識を持っている 2ch が貶されている」という意識だけで、"一部の人" という考え方に強く敵意を抱き、感情的に批難した。善悪も論理も無く、ただ自分達の居場所を守りたいが為だけに戦った。

「教団を悪にしようとする勢力がいる」「教団を守る為に一致団結しなければならない」

きっとあのときの 2ch の彼らも同じことを考えていたのだろう。

その時、氏は心の中で何を考えていたのだろう。論理も根拠も無く、勝手な陰謀論を作り牙を向けてきた彼らに何を見ていたのだろう。自分の居場所を守る為に武器を取った彼らをどう捉えていたのだろう。私の記憶では強い攻撃性を持って、見下すように接していたと思うが・・・。

"戦慄すべき人" という表現はとても的確だと思った。
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隠しページ講座
サイト管理人は寂しいと死んじゃうんだよ(個人サイト論)
倫理研第4回 - ised議事録 - ised@glocom
interview with tofubeats インターネットの憂鬱  | トーフビーツ、インタヴュー | ele-king
【連載】もう、個人サイト業界への「新規参入」の時代は終わった(1) - 琥珀色の戯言
【連載】もう、個人サイト業界への「新規参入」の時代は終わった(2) - 琥珀色の戯言
【連載】もう、個人サイト業界への「新規参入」の時代は終わった(3)〜個人サイトの限界と衰退  - 琥珀色の戯言
【連載】もう、個人サイト業界への「新規参入」の時代は終わった(4)〜個人サイトはどこへ行くのか? - 琥珀色の戯言





地下道入口閉鎖のお知らせ


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ゴールは道に聞いてくれ! - 試してみれば何かが得られる | デジモノに埋もれる日々
「メガとんトラック」が想像以上に快調な動きをカマしている件について | デジモノに埋もれる日々
メガとんトラックがOGP情報を用いるようになりました。 | デジモノに埋もれる日々

 『メガとんトラック』って個人ニュースサイトからリンクされているニュース記事のランキング形式で表示するサイトであり、 さらに各ニュースに対してどこの個人ニュースサイトがリンクしているのかをも表示している。『メガとんトラック』は後発で、先発サイトは『ばるぼらアンテナ』や『みなぎね5.1』ですね。元をたどれば米の『Blogdex』なのだけど。『メガとんトラック』は『Alpha Clipper Clips』から発想を得たのですね。


実録! 個人ニュースサイトが織り成す「華麗なる波状アクセス」一部始終 | デジモノに埋もれる日々
実録!「華麗なる波状アクセス」パート2 - 直下集中型連鎖 | デジモノに埋もれる日々

 これは『メガとんトラック』の人がやってるサイトに来たアクセス津波の実例ですね。実は今作ってる個人ニュースサイトに関するページにも、アクセス津波の実例を書いてます。『WebsiteMAP βVersion』でアクセス津波が来たときのを記録してあったので。名前をどうしようかな、今の下書きは「アクセス津波」にしてるけど、「波状アクセス」のほうがいい気がもするなあ。「波状アクセス」のほうが古そうだし。「波状アクセス(アクセス津波)」にしようかな・・・
 波状アクセスにも「さみだれ型」と「直下集中型」があるのではという指摘も面白いですね。参考資料としてリンク貼らせてもらおうかな。


ニュースサイトアタックとはてブストライク - 最終防衛ライン3
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個人ニュースサイトって何だろう - 最終防衛ライン3

さらに1年経ってみての個人ニュースサイト雑感。 - もっこもこっ
最近思っているのは、ニュースサイトというのは、先頭を切るか、あとからまとめてもってくるか。の2パターンが多いのかな、と。
なるほど。私がぱっと思いつくところだと『駄文にゅうす』さんは、あとからまとめてきますね。

「カトゆー家断絶」のリンク数について調べてみた - spring efemeral

parallels2をデチューンして、個人ニュースサイトリンク集『ぱられる1.2』を作ってみた。 - おちもなにもないただのにっき。
個人ニュースサイトまとめwikiを作ってみた。 - おちもなにもないただのにっき。
『Parallels2』は前に個人ニュースサイトの開設日と生死調査を作ったときに使いました。ちなみに、つやつやさんからは「ウチもなかったんでまぁ」というコメントがありましたね。なので調べて追加しました。

個人ニュースサイトのアクセス数を計測してみた - そのままなめて

存続率64%|続・ニートはニートを助ける会社を作れるのか?
八年前に100サイトピックアップした個人のニュースサイトは今現在どれだけ存続しているのか? | クラウドファンディングをしようと思った際のブログの保管庫

コミュニケーション衰退に見るIT時代の終焉 (1/3) - ITmedia NEWS

個人ニュースサイトは情報を拾うよりも情報を捨てることのほうが重要になってきたのかもしれないという話 - 空気を読まない中杜カズサ
10年前のネットがまだ普及していない時代から個人ニュースサイトは存在しました。代表的なのは『俺ニュース』ですね。で、この当時個人ニュースサイトに人気が集中したのは、ニュースが大量に集まっているから、というのがありました。当時はまだソーシャルブックマークもRSSリーダーもない時代(やっとアンテナがあったくらい)であり、あちこちから情報を集めるというのがかなり大変だったのですよね。さらに、今に比べたらインターネットという世界も小さく、ニュースを提供してくれるソース元も限られていました。その限られたニュースのソースを探し出してきて、まとめて読めるというところに個人ニュースサイトの大きな価値があったと思われます

寄り抜きTwitter、もしくは個人ニュースサイト界隈今昔話 - 駄文にゅうす

「個人ニュースサイト」 の時代は終わりつつあるようだ
ちなみに私としては、「個人ニュースサイト」 という言い方は不適切で、「クリッピングサイト」 と言うべきだと思っているが、ここは心ならずも世間の用法に従っておいた。


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山関係で炎上している文なのですが、”変な人が変な事を書いた”というだけの話しで、ネット文化的には何の価値もない文章です。やっているサイトがらアーカイブのURLをメモしておいただけ。

御在所岳でまさかの遭難! 大変ご迷惑をおかけしましたm(__)m。しかし警察って何様?感謝していますが言わせてもらいたいことが! | 食と身体 * 旅と山

akiyo(@akiyokaza)さん | Twitter
風越 紋代 | Facebook

遭難女性が救助の警官にブチ切れ ブログで「何様なの?」「酷い対応」 : J-CASTニュース
はてなブックマーク - 御在所岳でまさかの遭難! 大変ご迷惑をおかけしましたm(__)m。しかし警察って何様?感謝していますが言わせてもらいたいことが! | 食と身体 * 旅と山

「クソバイス」って知ってますか? 子育てあるあるクソバイス。最近多いクソバイス。その対処法を考える! | 食と身体 * 旅と山

警察との事実関係はどうでもいいです。その場を見ていないので判断のしようもありませんし。

昨日書いた文がすぐに炎上している。こういう無名なブログの無名な管理人でも、こんなに早く炎上する、そのメカニズムには少し興味があります。無名なブログの場合、記事がよく燃える素材であっても勝手には火がつかない。まずは火をつける人が必要。そして、火をつけた人、あるいはついた火を大きくした人は、実はこの人と顔見知りなんじゃないかな、とか。普段の行いが多少なりとも影響したのではないかなという気はします。まあ、想像ですけどね・・・。twitterやfacebookと繋がってるのでね。
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「個人ホームページ不況」とマニア率・カリスマ論[絵文録ことのは]2003/11/30
これ、松永さんのところの文ですが、2003年の文ね。カトゆーさんがサイトをやめたらノンジャンル個人ニュースサイトのコミュニティは崩壊すると予想している。流石ですね。
 ところで、テキストサイト系のところが不況に見えるのは事実だと思う。でも、それは当然なのだ。ReadMe!Japanが牽引し、ホソキン氏が話題を提供した上に、ちゆ12歳と侍魂という巨星が登場してテキストサイト黄金時代が生まれた。しかし、この2サイトが更新しなくなり(あと斬鉄剣も)、それに取って代わるだけのサイトが登場しないのだから、かつての激しいパワーがなくなって見えても当然である。ごく少数のサイトがネット界を牽引する、という構図は何ら変わらない。ネットではだれもが情報発信できて民主的ですね、というのは、それはそうなのだが理想論であって、実際には傑出したカリスマ運営者が大勢を決めてしまうのである。そういう意味で言えば、ムーノーローカルはムーノーデーに多数のサイトを巻き込むパワーがあったが、探偵ファイルやろじぱらにはテキストサイトを牽引するという意味でのカリスマ的オーラは残念ながらない、ということだ。これは個々のサイトそれ自体の面白さについて言っているのではない。他のサイトを追従させる(あるいは模倣される)パワーということだ。

 たとえばノンジャンル個人ニュースサイトでいえば、「俺ニュース」のあとも「カトゆー家断絶」があったから維持されているが、それに匹敵するレベルで更新されている次のニュースサイトはない。カトゆーさんがサイトをやめたら、はっきりいって今のノンジャンル個人ニュースサイト・コミュニティ帝国は崩壊するだろう。
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ASCII.jp:奇天烈管理人が語る「かつて、ウェブはクールだった」 (1/4)|古田雄介の“顔の見えるインターネット”
 ── 現在は1日数万アクセスというサイトが結構ありますけど、1990年代からするとすごい数字ですよね。

金田 ちょっと前だと考えられないよね。SF評論で有名な大森望さんは最初期から日記を公開していたんだけど、1日300人のアクセスがあって、それがすごい数字と言われていたんだから。2000年に「100万ヒットホームページを作った人々」を出したときでも、(累計で)100万ヒットって言葉がインターネットの世界の流行語になったくらいだったんだよ。
1994年に日本のインターネットが始まって、1995年くらいから個人サイトがたくさん出始めたんだよ。その頃は、インターネットはクールなもの、格好いいものっていう感覚があった。ストリートカルチャーとホームページを一体化させたような「JAPAN EDGE」というサイトがあったんだけど、あれが象徴的だね。

 当時は企業サイトのできが悪くて、個人サイトのほうが格好よく、見ていて面白い時代だったんだよ。それが1997年までは続いた。サイトを運営する人たちも、一種のクールな自己表現ができる新しい媒体としてインターネットと接していたし、そういう流れだった。

ASCII.jp:「日本は本当に広い」──“廃道”に人生を捧げるマンネリ知らずの管理人 (3/3)|古田雄介の“顔の見えるインターネット”
廃道を歩くなら、グレーゾーンだと自覚するべき

── なお、たまに地図がぼかされている記事がありますが、クレームは結構多いのでしょうか?

平沼 やっていくうちに分かったんですけど、人が住んでいる場所の近くの廃道を取り上げるのは、やはり近隣の人がナーバスになります。暴走族のたまり場になったり、心霊スポットと言われるのは誰でも嫌ですからね。ただ、そこに道があったのは事実なので、僕はできるかぎり実名で紹介したい。不快だという声を頂いたら、地図を削除したりボカしたりします。

 廃墟や廃線もそうですが、廃道も突き詰めていけば法律的にグレーゾーンの趣味といえます。だから、周囲に迷惑をかけないように、普段以上に心がけないといけません。とにかく事故に遭わない、ゴミを捨てない。その道路の管理者に迷惑を掛けないことです。

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競馬サイトの夜明けを綴る <No.1 序章>: 競馬ブログ オケラセラ
それは巨大ポータルサイトから始まった <競馬サイトの夜明けを綴る No.2>: 競馬ブログ オケラセラ
94年、その不毛の地に超近代的な高層ビルが出現する。 巨大ポータルサイト「The Derby Square」の誕生だ。 ネットベンチャーのオン・ザ・エッヂ(現ライブドア) によって立ち上げられたこのサイトは、 以来、01年に発展的解消を遂げるまで、 7年間に渡って競馬サイト界の中心的存在を担い続けることになる。
UMA LINKSは96年には700サイトあまりが登録していた。 この大型リンク集は検索機能こそないものの、 立ち上がり続ける個人サイトの存在をファンに知らせ、 またファンが知る手段として大きな役割を果たしていた。 そういう意味では、94年から2~3年間は The Derby Squareがあらゆるシーンにおいて、 競馬サイトをリードする唯一、絶対的な ポータルサイトだったと言っても過言ではないかもしれない。
個人サイトの興り 情報を発信せよ!<競馬サイトの夜明けを綴るNo.3>: 競馬ブログ オケラセラ
個人サイトとはその名の通り「ホーム」ページであり、 メディアとして読み手の側を特段に意識されたものではなく、 気の合う人々を家に招くような性質のものだった。 こうした「予想だけ載せてみました」的なサイトは94年以降に爆発的に出現したものの、 長期的なモチベーションの維持は不可能であり、次第に姿を消していったのは当然だろう。
たくさんの人たちが訪れてくれる競馬サイトをつくりたい。 自己満足でなく、ファンに開かれた競馬サイトをつくりたい。ネット人口の増大とともに、 そう考えた人々が次々と行動を起こしたのが96年である。 96年こそ競馬サイト元年だと私は思う。 この年、たくさんのファンの支持を得る2つの有名個人サイトが誕生した。 「 CARROT LUNCH 」と 「 うま中心主義 」である。 前者は今でも継続、後者は01年暮れから02年初頭の間に姿を消している。 このふたつのサイトが着目したのは競馬ニュースだった。 当時、大手メディアのサイトはなく、 ニュースは週刊誌かスポーツ新聞でしか手に入れることはできなかった。 両サイトのソースは知るべくもないが、 ほぼ毎日、ニュースは更新され、過去の情報もコーナーのなかに蓄積されていった。 ここに行けばファンのほしいニュースが手に入ったわけだから、 他サイトを一桁も二桁も上回るペースでカウンターが回ったのも不思議ではない。
しかし、大手メディアが自前のサイトで ニュースを流すようになると、情報系サイトは行き詰まるケースも見受けられるようになった。 「サイトの価値が失われた」と書き残して閉鎖した有名サイトもある。 情報系サイトはCARROT LUNCH、 「 Milky Horse com 」(98年~)のように大手メディアと比肩するだけの情報力を持つものでなければ、 ストレートニュースをメインコンテンツとして継続していくことは困難になっていったのだ。 一方、ニュースを引用するだけでなく、論評を書き加えることで 情報系サイトの新しいあり方を拓いていくものも現れた。 「 テキスト競馬 」(00~03年) は「ニュースを見て思ったこと」がメインコンテンツ。 例えば「宝塚記念、来年にも外国馬招待競走に」というニュースを引用し、 「ヨーロッパでもこの時期はレースが行われているので、ジャパンCよりももっと来てくれなさそう」 などとコメントをつけて紹介していた。 ニュースを扱う個人サイトとしては 「 血統の森 」(02年~)などが有名だが、ニュース引用→論評という形式は、現在の競馬ブログにつながるものでもある。 こうして考えると、突如、起こったかのようにみえる競馬ブログブームも、 連綿と続く競馬サイトの流れのなかで素地が形成された故と捉えるべきなのかもしれない。
競馬は馬券だ! 百花繚乱予想サイトⅠ<競馬サイトの夜明けを綴るNo.4>: 競馬ブログ オケラセラ


www.さとなお.com(さなメモ): 日記猿人
ボクの書き手としての日記猿人への登録は1000番台。不定期日記を始めてしばらくたってからだと思う。最終的には数十万となった登録者数からすると古参の部類ではあるが、二桁台三桁台の日記書きが大勢活躍していたからなぁ。
でも日記読者としてはもっと古い。前身である日記リンクスも読んでいたし、ばうわう氏の「UDO」も知っている。その後のいろんな騒動やその結果としての日記才人への改名、「たたかう伝言板」での泥仕合など、ROMとして追っていたりした。

それらの経験がネット・リテラシーをずいぶん高めてくれたし、いまネット上で起こっている炎上をはじめとした数々の現象もすべて既視感をもって見られるようになった。それはすべて「日記猿人でとっくに経験済み」だからである。
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ホームページって何だ?

インターネットを情報のデータベースとして用いたい人の立場からすれば、ホームページはコンセプトがはっきりしていた方が良い、ということになろう。 それどころか個人の自己紹介中心のページなどゴミ同然に思われるかも知れない。しかし、ちょっと待ってほしい。 すべてのホームページが特定のコンセプトという役割のみを担ってくれれば情報検索する者にとってありがたいのは事実だが、ほとんどの個人はそんな特定の「役割」を担おうとしてホームページ作りをするわけではない。 多くの個人は、自分が提供する情報についての専門家であるわけでもない。むしろインターネットの情報を形作っているのは、大半が「趣味」「マニア」の産物だ。 従っていわゆるスペシャリストの提供する情報に比べれば不備があるのは否めないが、同時に思いがけないオリジナリティがあるのもアマチュアリズムの魅力であるはずだ。

例えばある人は電子工学が専門だが、同時に川柳の達人だ、またある人はデザインが本業で、同時にスキューバダイビングがプロ並みだ、などといった支離滅裂な意外性にこそ個人の魅力があると思う。 そしてホームページという全く新しい表現形態がそうした個人の自己表現を可能にした。


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今後、個人のイラストサイトは減っていくのかな、と思った。 - 投げっぱなし日記
同時に、拠点としてサイトを持つ必要があるのか?という疑問が最近わいてきた。

ぶっちゃけpixivだけで活動していても問題はないだろうし、もっと気楽に楽しみたいなら、つい先日スタートしたdrawrというpixiv系列のサービスもある。はてなにもはてなハイクというお絵かきできるミニブログサービスがある。
90年代は「老いも若きもホームページ」みたいな感じでサイトが乱立していたのが、そのうちブログになって、今ではmixiになってる。個人で拠点を持つことの意義は今でもあって自分はその恩恵を受けてるし、ブログが全部mixiになったわけじゃないのと同じで、絶滅はしないだろうけど、そんな感じで今後個人のイラストサイトも何らかのサービスに吸収されて減っていくのかもな~。

そんなことを思ったとある秋の日。

「発表の場」としての個人サイトは絶滅する。
個人サイトについて前から自分が思っていたことについて書こうと思う。

http://d.hatena.ne.jp/takhino/20081006/1223258393

一ヶ月ほど前の記事。

イラストを発表する個人サイトは減っていき、pixivのような巨大投稿サイトで発表するのが主流になっていくんじゃないだろうか、という帰結をしている。

これは合っていると思う。というか、既にそうなっている。
イラストだけじゃない。
「表現の発表の場」としての個人サイトはだいぶ衰退している。
昔、表現をしたい人間が発表の場としてインターネットを選び、次々と個人サイトができていった。
「ホームページ」とも言うように、みんなが個人の家を持ち、その家の中で作品を発表した。
みんながみんな、点々と家を持ち発表をしていた。

しかし、同じジャンルを志すもの同士、繋がりたいものである。
それを助けていたのが「リンク集」や「登録型サーチエンジン」。

同好の士、お互いの家は離れていたけど、どこに位置するかを示す地図があり、みんなそれを頼りに足を運んだ。仲間に入るためにみんな自分の家を地図に載せてもらった。でも、みんなどこかバラバラだった。

数年前だけどかなり昔の話。もう戻ってこない遥かなる過去。
今はもう誰も地図を取らないし、家に足を運ばなくなっている。
地図を自分で取ってくるのは面倒だし、歩いて場所を探すのはかったるい。
それ以上にもっともっと、繋がっていたい、一緒にいたいという願望が強くなっていった。
そして、生まれたのが巨大な投稿サイトである。
イラストならばpixiv。音楽ならmyspace。写真ならflickr動画ならyoutube。文章にだってテキスポがあるし、ゲームはちょっと思いつかないけどこれからできるか、或いは海外にあるでしょう。

これはどんな状態か?

そう、「トキワ荘」である。今や表現者はみんなデジタルなトキワ荘に住んでいるんだ。

この8年前の記事は慧眼だった。 ただトキワ荘というとそこからより大きな..
この8年前の記事は慧眼だった。

ただトキワ荘というとそこからより大きなクリエイティビティが生まれるようなイメージだが、実のところ表現の画一性・多様性の喪失が進んだなという印象がある。
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ほいみんのページ7: なぜテキストサイトブームは終わったのか?

 2009年にもはてなのほうでURLクリップしていたものなのだけど、テキストサイトとニュースサイトの比較ですね。

 個人ニュースサイトが数多く作られた。その理由の一つとして、システム的に完成度が高く、属人性が低かった事かと思います。個人の特殊能力をあまり必要とせず、力技で運営ができた。まあ、その力技こそが個人ニュースサイトの存在価値ですからね。読者が情報を探してくる手間を肩代わりするというのが個人ニュースサイトの存在価値の一つ。

 個人ニュースサイトというのはシステム的によくできてるんですよね。お互いにリンクしあう仕組みも良かったですね。

 ただ、システム的によくできているというのは弱点でもあって、力技でなんとかなるというのは、結局は多大な時間の浪費という事だからいつまでも続くわけではないし。大手サイトにまでのし上がるには結局個性が無いと無理だし。お互いにリンクしあい、身内でアクセス数を融通しあうというのは、一旦界隈の活力が下り坂に向うと歯止めが聞かない。サイトの閉鎖が連鎖的に続く。

 もちろん、上記は一般論であって、特殊能力や個性が強い個人ニュースサイトもありましたよね。パッとすぐに思い浮かぶところでも(・∀・)イイ・アクセスさんとかかーずSPさんとか駄文にゅうすさんとかは、他には真似のできない強みを持ってますものね。この3サイト今でも健在ですし。流石というところ。
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