定例会終了後、その足で横戸にある「仁兵衛さん」のお墓にご報告に行きました。

私は定例会で、花見川の歴史を取り上げました。
その中で、仁兵衛さんのエピソードに触れたからです。

印旛沼の水を東京湾に流すための工事は、江戸時代に3回行われ、いずれも失敗しました。
中でも、天保時代に行われた工事は、その過酷さは筆舌に尽くしがたいものだったようです。

庄内(今の山形県)から、駆り出された人足、仁兵衛さんも、その中の一人でした。
彼は、この地で病気になり、命を落としました。

土葬が普通だった当時ですが、遠方で亡くなった場合は、火葬にして、灰を故郷に持ちかえることが多かったようです。

でも、彼は遺言で土葬を希望したのです。

そして、彼の墓石の側面には、このように記してあります。

「後の人、憐れんで、これを発(あば)くことなかれ」

お墓

仁兵衛さんも含め庄内藩の人足は19人が命を落としました。そのうち、土葬を希望したのは3人。あと2人のお墓はどこにあるのか不明です。

彼は、故郷に帰ることは望まなかったのでしょうか?

なぜ、故郷遠く離れたこの地に骨を埋めることにしたのです。

死の直前、彼の胸中を去来したものは何だったのか?

今となっては、知る由もありません。


江戸時代の通貨

お墓には、江戸時代初期の通貨が、置いてありました。
時の流れに、一瞬、目まいがするような気がしました。


インタビュー

あ~。なんか、そんなことがあったみたいだね。時々、北の方から、お墓参りに来る人もいたね~
たまたま墓地を散歩していた80歳代のごご婦人のお話し。





https://www.facebook.com/takashi.sakurai.507/videos/1381443611931262/


ところで、仁兵衛さんと一緒来た人で、むくの木を持ち帰った人がいます。
むくの木は、寒冷地である山形には自生しません。

そのむくの木は、山形に根付き、今や高さ20M強の立派な木になっています(県の天然記念物)。

むくの木


「仁兵衛さん」と「むくの木」

公民館主催の花見川の歴史講座は、平成13年ごろを最後に、途絶えてしまいました。
学校の校外学習でも取り扱っておりません。

しかし、花見川の草むらの傍らには、歴史の断続性が埋まっています。

景観も大切、生態系も大切、活性化も大切、不法占有の対策も大切。


でも、歴史の断続性に光を照て、それに耳を傾けることも大切なことでは、と思うのです。

幕張へ

帰路の幕張の夕日がきれいでした。