備忘録

2008年08月02日

あんぱ

世の多くの女性の例に漏れず「キャラクターもの」に強いこだわりを持つ妻は、その審美眼に適わないキャラクターグッズが家の中に侵入しないよう細心の注意を払ってきたが、その厳重なセキュリティの網を軽々とくぐり抜けて、彼は娘の元へやってきた。

一体いつ誰が与えたのかまったく分からないうちに、気がつけばシール、気がつけば風船とあの丸顔のヒーローのアイコンは次々と増殖していった。孫が反応を示す商品を手当たり次第に購入する曾祖母と祖父母、さらには姪を溺愛する妹夫婦まで味方に付けて、彼とあーちゃんの約束の王国の建設は粛々と進んでいった。ジョージ、ババール、エルマー、Suicaペンギン、エルモ、etc。ぬいぐるみの屍は累々と山を成し、辛うじて出生時から彼女の子守を勤めたミッフィーだけが粛清を生き延びた。

我が娘がアンパンマンとその神話世界の虜にされていくのを止める術を、我々は全く持たなかった。まるで女王陛下のMI6を以てしても、子供たちにドナルド・マクドナルドの存在を秘匿しておくことは不可能なように。

最終的にはいつも「あんパンチ」に頼る粗暴さや、顔面を破壊されてもすぐにジャムおじさんに複製を作ってもらえる安易な設定が子供たちの生死観に悪影響を与えるなどなど、屁理屈好きのお父さんの屁理屈も、「あんぱ!あんぱ!」のシュプレヒコールの前では全くの無力なのだった。


そんなわけで先日、一家で「横浜アンパンマンこどもミュージアム」なる施設に行ってきました。入場料は大人1000円・小人1000円ってオイ、な価格設定。大人がそれなりの入場料を取られるのは覚悟していましたが、まさか子供も大人と同じ額を取られるとは…。「お子様にはこちらのアンパンマンミニカスタネットをお付けしておりますので」ってオイ、それ大人にもくれよ。ヤフオクで売るから。

館内は三階建ての建物を上から順に見学するシステムで、3階と2階は過去のドラマの設定を再現したと思しきしょぼいジオラマが中心。合板と樹脂と塗料で作られたパステルカラーの世界は「子供だまし」という言葉そのもの。まぁ子供は面白いのかな、と思いきや、娘もガンガンに素通りする。オイオイちゃんと見ろって、と「ホラこっち、おにぎりマンがいるよ」などと言ってもクソガキャ見向きもしない。しかし、ジャムおじさんのキャンピングカー(正式名称知らず)だけは別。ハンドルを握り締めひとしきり運転したかと思うと中でパン作りに勤しみ、また運転と忙しい限り。

3階から2階に移動する際には、消防法の関係か、階段の窓から外の道路が丸見えで、けっこう白ける。東京ディズニーランドの立上げに関わったという方の話によれば、ディズニーランドの「仕掛け」の中で、最も重要なのは敷地をグルッと囲む木立なんだそうで、「ゲストを外界の風景=日常から遮断し、ディズニーの世界観に浸りきってもらう」ことが一番大事なのに、各地から来る見学者はアトラクションや売店の売り上げばかりに感心して肝心なところを見逃している、と嘆いておられた。(ちなみに氏の話によれば、ディズニーランドは遊園地ではなく「大規模小売店舗」として登記されているそうな。休日の東京駅で、絶句するほどの量の買い物袋を下げた善男善女を見かけるのも、むべなるかなである)

2階は3階にさらに輪を掛けたしょぼさで、なぜか油彩で描かれたアンパンマンと主要キャラクターの絵画(しかもレプリカ。本物は高知県の本館にあるんだとか。ありがたいですね)と、寿司や、釜飯やなどお店ごっこができるセットがあるのみ。もっとも、将来なりたいものは「ください(おみせやさんの人、ということらしい)」と漠然とした夢を語る娘にはうってつけで、父と母を客に一人で店を切り盛りする活躍ぶりだった。

そして1階では本日のメインイベント、「アンパンマンショー」のご開帳である。折よく10分後に始まるということで、半円形の客席の真ん中やや左の中段に陣取る。平日夕方のせいか、MAX70人程度の席数に2/3程度の入り。それでも集客率なら世界のFC東京さんより上だったりして。

歌のお姉さんからダンスのレクチャーを受け(けっこう難しい)、いよいよアンパンマンの登場。もちろん着ぐるみなのだが、着ぐるみと言っても結局ふつうの人がでかい頭のかぶり物をかぶってるだけだから、体のバランスが悪く、気持ち悪い。『伝染るんです』の「こけし」みたいな感じで、近くに来られるとけっこう引く。娘も若干怯えていた。

しかしですよ、歌と踊りのショータイムに入るとさすがだねぇ、子どものハートをワシ掴みですよ。家ではKINGでもアウェイに弱い我が娘が、お姉さんの音頭に合わせて「あんぱーんまーん」と大きな声で歌い踊る。子どもってこんなに素直なんだ、とちょっと驚く。

かつて私は、上にきょうだいがいたこともあり、ひねくれた子どもだった。縁日にウルトラマンが来れば、後ろに回ってジッパーを下ろそうとするようなガキだった。もったいないことをしたと今では思う。巨大な怪獣と戦うウルトラマンが、商店街のオッサンたちと同じくらいの背丈の訳はない。あのジッパーの下に誰がいるのか、それはいつか自然に分かることである。そんなつまらない、「そのうちにわかること」を同年輩の子どもより先に知ることで大人になったような錯覚をして、「ウルトラマンだ!すげえ!」とアホみたいな歓声を上げるチャンスを、子どもだけに与えられた特権を行使する機会を永遠に喪失したことを、心からもったいないと思う。


半日走り回って疲れ果て、しかし「夢の国」に足を踏み入れた興奮で眠れない彼女。ようやく外に出てベビーカーに乗せると、50Mも進まないうちに眠ってしまった。家に帰り着き、抱きかかえて布団に移しても目を覚まさない。そのまま4時間眠り、目を覚ましてカップの水を一気に飲み干すと、手を振り足をバタバタさせながら「あんぱんま〜んってったの!」などと興奮冷めやらぬ様子で昼間の出来事を話し続ける。うんうんわかったそうかそうか、とひとしきり相槌を打って布団に寝かしつけると、またすぐに眠ってしまった。

横浜限定の「チャイナ服を着たアンパンマン」のぬいぐるみを抱いて前も後ろもなく眠る娘。その姿を見ていると本当に胸が熱くなった。じーんとしてしまった。だってこの人はきっと、ほんとうのアンパンマンに会って握手したんだと思っているんですよ?
我々は、あれがみなとみらい線に乗って訪れ、一人当り千円を払って入場するところの施設であることを知っている。資本家が子供の親から金を取ることを主たる目的として建設した施設であることを知っている。いつか彼女が「しくみ」を理解し、あれほどまでに魅了されたギミックの全てに何の価値も見出せなくなることを知っている。しかし今日の彼女にとっては、あれは紛れも無い「夢の国」だったし、その中心で彼女は法王自らの祝福を受けたのだ。

「夢の国」の記憶を夢の中で反芻し、「…あんぱんまん」(本当に言ったんだ)と呟く娘のわずかに汗をかいた小さな額を撫で、いつか失われていくその無垢を思い、そっと毛布を掛け直してやる父と母なのでした。


また行こうな。


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2007年11月24日

順番

2歳になった娘に、最近しばしば「順番だよ、順番」と声をかける。だいぶ言葉を覚え自我のようなものが育ってきた分、ほかの子と玩具を貸し借りしたり、いわゆる協調するのがなかなかできない。シャベルを手にしたままほかの子の持っているカップを取ろうとするようなとき、ササッと近寄っては「後で借りようね。順番、順番」となだめる訳だ。
児童書によれば、2歳児にとって手にしている物は、まだ自分自身の延長であり、もう少し自我の輪郭がはっきりするまでは、物を他人と共有することは難しいとか。そんなわけで、最近は妻とともに「順番まてるかな?」キャンペーンを実施中なのだが、なにしろ親父が親父なので、2歳にしてなかなかの不貞腐れっぷりである。こちらも自分に「すぐには出来ねえんだ。順番、順番」と言い聞かせている。

試合のあとで、写真を撮りながらブラブラ調布まで歩く。新しい建売り住宅と、わずかな葉野菜を残した黒い土。中央道を降りる車のテールランプの列。嬌声を上げて駆け抜けていく自転車の小学生たち。だんだんに力を失っていく光のなかで、その色を逃がさないよう慎重にシャッタースピードを決め、その輪郭がぶれないようにしっかりとカメラを握りしめ、シャッターを切る。

線路沿いを歩くうちに、そういえば、調布駅もそろそろ建替えが始まるんだよな、と思い出す。調布から府中に向かう線路沿いは、とてもここから電車に15分乗れば新宿に着くとは思えないほど、鄙びた風景が続く。細い路地の奥には色褪せた空色の米軍ハウスがまだ残っていたりして、思わずハッとしたりする。
それでも我らが飛田給駅のように、だんだんと駅は新しく、ミニチュアのような小さな踏切たちを密かに匿ってきた線路もコンクリート製の高架式に替わりつつある。

調布駅の建替えの話を聞いてから、駅の写真を撮っておこうと思いつつ、そのままにしていた。今日はまだフィルムも3〜4枚残っているし、撮らなかったらこれっきりかもしれないな、と思い駅前の踏切、萬来軒の横からレンズを向けてみる。下りたままのオレンジのバーの内側を、左に曲がって橋本に向かう相模原線と、まっすぐ新宿に向かう特急が、銀の車体にお互いのライトを反射させながらすれ違う。毎日目にしていた景色のはずなのに、52mmのレンズの中にはいつもの親密さはなかった。変な形の交番、暗い蛍光灯の下の小さな改札口、古びた階段を上った先の幅の狭いホーム、そのいずれにも。


以下、メモにて。
・土肥ちゃん、本当にお疲れさまでした。何と言ったらいいのか分からないですが、もがきながらも戦い続ける姿を、俺は忘れないです。ポストギリギリのシュートを左手一本で何本も弾き出した土肥ちゃんが、俺のJナンバーワンGKです。
・福西には、お疲れさまでした、というより、すまない、という気持ち。万全のコンディションではないものの、持ち味は出したはず。これで戦力外なら、一体何を期待して獲得したんだろうか?残り少ない現役生活の、貴重な1年を無駄にさせて、すまない。
・そして、原さん。何人かが原さんのせいだ的な事を言っていましたが、俺はそうは思わない。サイドアタックとプレッシングと4バックが大好きなおじさんだと最初からよく知っていたし、ペナルティに迫ってからのアイデアに乏しいことも分かっていたから、今年の結果は初手からこんなものだろうと思っていました。
・分からないのは、去年あそこまでガタガタになったチームにいきなり3位以内という達成が極めて困難と思われるノルマを課し、チーム再生途上のプロセスを評価しないフロントの考え方。これでは最初から任期は1年と決まっていたのではないかとあらぬ誤解を招きかねない。
・大宮戦の内容は、シーズン初めのチームから比べれば格段に進歩していた。サイドを活かしつつサイドだけに頼らない、攻めの気持ちを持ちながら、緩急、メリハリのある試合運びが出来ていた。3月には散々だったクロスの質も大幅に向上していた。相手が大宮という事を差引いても、方向性は間違ってない、熟成させる価値のあるチームだと思いました。
・次期監督は城福さんでも誰でも好きにすればいいけど、時間だけは十分あげて欲しい。西野ガンバだって最初はグズグズもいいところだった。予算や戦力はまだしも、時間を掛けずにいいチームを作ることなどオシムだってできないのだから。
・昔は神戸や京都のフロントをバカにしていたが、どうやら今度は自分の番らしい。
・拙速で情緒的な俺の東京よ、お前は何処へいくのだ?なんとか今野に残って欲しいと思いつつ、胸を張って残ってくれと今は言えない。
・でも浅利は辞めるな。まだやれる。


窓の外をぼんやりと見ながら、流れていく布田や国領といった馴染みの駅名を眺めるうちに、声を出さずに「 俺も昔ここにいたんだぜ。俺だってここの一部だったんだ」と呟きそうになり、馬鹿らしくなってやめる。たとえ声にしなくても、それは口にしてはならない。すべては順番なのだ。



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2007年02月04日

オリーブを植え替える

去年の10月ぐらいに買った苗。
すぐに植え替えようと思っていたのに、土を買うまでにダラダラ。
やっと買ったものの、配合比率などを調べるまでにダラダラ(確かめてから買えよ)。
やっと調べたものの、時期をのがしていてダラダラ(秋か春らしいです。当たり前か)。

そして今日、久々に早起きしたので洗濯に時間をとられたもののまだ余裕があり、ふと思いついて植え替えにチャレンジ。時期的にはまずいかなと思いきや、適期は”2月中旬〜3月下旬”。あらら。半周してちょうど良くなっちゃった。

結局せっかく調べた配合比率のページは、ブックマークを忘れていて見られず、土の袋に書いてあった土6:赤玉土4を採用。

計量のできる筒型のスコップは使わず、目分量で袋からずざっとあけて、スコップでざくざく混ぜる。赤玉土は大玉しかなかったためバケツの中に入れ、ベランダに置きっぱなしの古いカラフェ@元花瓶で粉砕。休日の爽やかな空に鈍器特有のゴッ、ゴッ、という鈍い打撃音が響きます。

園芸屋で進められた、マグアンプとかいう肥料みたいなのも適当に混ぜ、底石をひき、すでに黒い苗用のポットから流出しそうになっていた苗をどさっと入れる。苗の周りと上も土で覆い、びよんびよんな枝を支柱で固定し、完成。
全部で30分ぐらいでした。

ずっとやろうと思っていて、ほったらかしだったことその1
な、オリーブの植え替え完了。

なんでも後回しにしないで勢いつけてすぐやんなくちゃ。
いや、でも勢いだけでやって後で後悔するのがいつものパターンでもあるしなぁ…。

ま、懸案事項が一つ片付いて、少しだけ気分も上向き。
久々に飯も作るかな。





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2006年10月16日

20061015 サンフレッチェ広島○5-2●FC東京

名古屋でもらった勝点3を広島に置いてきた敗戦。
来年も仲良く一緒にJ1でやろう、ということなのか…。

前半、よいリズムの時には全体がコンパクトで、DFがハーフラインまで押し上げルーズボールを拾ってまた前線に供給し、平山のポストと両サイド、そして今日は”起きていた”梶山が不安定な広島の3バックを揺さぶり続けた。
9分にジャーンが久々のゴール!GK下田のミスといえばミスだがきっちり決めたぞ!よかったな!でも、ゆりかごダンスできたんだから、もう落ち着いてディフェンスに専念してくれよ。
そして!梶山のかいしんのいちげき!ルーズボールをピタッとコントロールし、右に向かって短いドリブルでコースを作りつつ左手でDFを押さえ込み、そのまま完璧なコースでミドルを左ネットに突き刺す!アンタ、本当にすごいよ。起きてるときは・・・。

それが、21分に佐藤寿人にオフサイドのように見えるアンラッキーなゴールを許してから、徐々に広島にペースを握られる。それでもいま一つピリッとしない広島のおかげで前半は1−2で終了。この時点では何とか逃げ切れるかな、と思っていたのだが…。

後半開始からペースを取り戻すためか、平山out ルーカスin。しかし、これが裏目に出た。
いつも思うのだが、平山に前線からボールを追わせることにどのくらいディフェンス的な意味があるのだろうか。平山のチェイシングなんて、はっきり言って屁の突っ張りだ。もちろん対面のDFがフィードしようとする時にコースを切るぐらいは”人として”当然のことだが、アマやルーカスのようなチェイシングなんてさせても無意味だ。そりゃ”来日時”よりはコンディションが上がり、徐々に動けるようにはなってきたが、もともと走力がある方ではないし、その長所は身長とキープ力を生かしたポストプレーなのだから、センターで張らせてあまりポジションを動かさないことはある程度必要なことだ。つまり平山は動けないけど、あまり動かれても周りが困るのだ。前半、明らかに平山は効いていた。

森崎(浩)
「平山のところでマークがルーズになっていた。だから、彼をフリーで前を向かせてしまい、そのために2列目の飛び出しを許してしまった」

倉又監督
「平山も守りに追われるようになったので、ルーカスを入れて前からの守備を要求した。
”Q:平山の交代は、コンディションの問題か?” それはある。最後はミスも多くなった」

動けなくても守れなくても、電柱は立っているだけで起点になりうるし、相手にとっては邪魔なのだ。電柱を失い、東京の猟犬たちは小便をかけるターゲットを見失ってしまう。しかしポイントがないのに闇雲に走り回るため、徐々にチームのバランスやポジショニングがずれ、みんな頑張っているのに点の入る気配ゼロ→そのうち疲れてカウンターで沈没、という”敗北の方程式”にはまり込んでいく。梶山のシュートが入っていたら、途中から入ったイ・ハンジェが確変してなければ、戸田がオフサイドじゃなければ、ジャーンのPKを取ってくれればetc、すべて結果論だ。ありえない負けであるが、「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けは無し」。ノムさんの言うとおりである。

動かない平山を下げて動きすぎるルーカスを入れることで全体が間延びしてしまったこと、せっかくカウンター主体のチームを相手にリードしていたのに自分たちから仕掛けたことで、サイドを中心に相手においしいスペースを与えてしまったこと。これらは倉さんのミスだと思った。しかし、監督、選手の試合後のコメントを読むと、そう単純なものではないらしい。というか、もっと深刻だ。倉さんのミスだけならまだその方がいい。

攻守のキーマンである二人のコメントを見ると、

茂庭
「中盤と前線、ボランチとDFのコミュニケーションがもっと取れれば、プレスに行かないなら行かないでベッタリ引いて我慢する時間帯を作れて、もっと東京らしい粘り強い守備ができたと思う。全体的にゾーンが伸びてしまい、個人個人で守備をし始めて、簡単に崩されてしまった。」
石川
「今日は、引き過ぎてしまった。勝っていたのに相手にあわせてしまって、やられた感じ。(中略)僕らが勝っていたので、もっと守備も攻撃も主導権を握ってやればよかった。(中略) 僕や戸田さんは、頑張るところが違っていたような気がする。守備で頑張っていた。なぜ勝っているのに、守備で頑張らなければいけないのかな、と思う。もっと前で頑張ってもいい。僕らの持ち味は、前でやることなんで。」

バラバラである。
攻めるのか、守るのか、勝ちにいくのか、引き分けでいいのか、持たせるのか、プレスに行くのか、行くなら前線からか、低めの位置からか。これらの指針がはっきりしないのだ。もちろん、ピッチ上でこれらを実際に判断し実行していくのは選手たちだが(だからここ最近はフミさんを先発させているのだろうが)、そのベースとなる監督の方針が試合毎に揺らいでいては、前と後ろの選手の考えがズレるのは当然だろう。

6連敗中のほとんどのゲームと同じく、カウンターのチームにこちらから仕掛けて墓穴を掘った試合だが、リードしていたのはこちらである分、東京の”サッカーの下手さ”が際立った試合。この先、チーム状態がもっと悪化するかもしれない、そんな予感もする試合だった。
杞憂に終わればいいけど…。

最後にレフリングについて。
不満は、ある。特にスタジアムで見ていた人たちにとっては発狂ものの判定の連続だったろう。真横からのリプレイがないため断言はできないが、寿人の1点目はオフサイドだと思うし、ジャーンがエリア内で倒されたプレイも本来はPKだろう。しかし戸田のオフサイドは残念ながら正当な判定だと思うし(とはいえ、点差と試合展開を勘案すればあれは見逃してほしいものだが)、全体を通してみれば”東京に不親切な判定”ぐらいだろうか。レフリーのせいで負けたとは、恥ずかしくて言えない。寿人を途中交替に追い込んだジャーンのカニ挟みは見逃してもらってるし。

ん?ということは見逃しの多いレフリングだったということか。見逃してるなりの一貫性があったからゲームは崩壊しなかったのだろう。Georgeにも見習ってほしい、「逆らう奴は皆殺し」な世界のOKADAのナイスジャッジでした。イエー。


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2006年09月16日

中庸を尊び、謙虚で思慮深いもの

本を忘れて、夜中の休憩室で何も読むものがないのはつらい。TVの深夜番組は見るに耐えない。誰か何か置いてないかとテーブルの下をガサゴソすると、何日か前の朝日が出てきた。おおナイス、とペラペラ見始める。
日付は先週の土曜日で、最も多い自民党の総裁選の関連記事の他は、同時多発テロ5周年が近かっただけに、テロとそれ以降の世界情勢についての記事が目立った。見出しに曰く、”少数派の憎悪 噴出”、”「聖戦士」非イスラムにも”etc。

国際面の中心もノーマン・メイラーへのインタビュー記事だった。
ノーマン・メイラー?まだ生きてたっけ?と正直思った。23年生まれの83歳。ピューリッツァー賞を2度受賞した偉大な作家にしてジャーナリスト。『ヴィレッジ・ヴォイス』を創刊した人だったりもする、二昔前の報道人の生きた教科書。

”ブッシュは歴代の大統領で最も無知かもしれない。だが「十字軍による聖戦」という意味はわかる。単純に信じ込むタイプなので「テロとの戦い」を、お経のように繰り返すには適任だ。”
”米国はもともとキリスト教の国だから、キリストの教えに従って清貧であるべきだと教えられている。だが、日々の生活では豊かさを追求して消費にふけっている。「日曜日は教会に行き、残りの日は金稼ぎ」だ。そのことに罪悪感を抱いていて、心が二つに引き裂かれている。引き裂かれているから、対外介入と孤立主義の間でふれて「聖戦」が必要になる。”
(いずれも記事本文より)

ジャーナリズムの古老が錯綜する事実の中から導き出した、単純で、大衆が覚えやすい「公式」。あまりにも紋切型だけど、苦笑しつつもなんか憎めない。人徳だろうか。世の中は継続的に善き方角へ向かっていると確信する人の言葉には、話題が明るくなくても根底に希望の色が浮かぶような。

でも、そんな中で心に残ったのは、ブッシュらを「国旗保守主義者」と批判するコメントに連なった言葉。

”本来の保守主義とは中庸を尊び、謙虚で思慮深いものだ”

今のところの自分の考えにすごく近い感じがする。自分の頭で考えつつ、人の意見にも耳を傾け、しかし頭の中だけの考えに縛られず、日々の生活を大事に生きる。できること、できないことを冷静に考える。できることを一つ一つやっていく。できないことをきっぱりと諦める。その2つの間に、がんばればできそうなことゾーンを作り、できるだけここでがんばる。そんなイメージが浮かぶ。

ずっと前に亡くなった祖父のことを思い出す。明治の中ごろに生まれて、徴兵後は長身だったため、兵隊としては非常な名誉である儀仗兵に選抜されたのに「馬が怖いから」といって通信兵に転科し、無事除隊した後は家を継いで左官職人となった無口な人。お金を触るのが嫌いで財布を持ち歩かず、月に2度の散髪のときにだけ祖母から千円札をもらって床屋にブラブラと歩いていく。自作の欄間の前に両陛下の肖像画を大事に掛けていて、生涯にたった一度だけ夫婦そろっての旅行に出かけた先は、天孫降臨の地、高千穂(笑)。

おかしいでしょ?孫の自分から見ても漫画みたいな人だなって思う。おかしくて、かわいらしくて、本当に美しいと思う。この国を「美しい国」にするとか言っている次期総裁の有力候補は祖父のことをどう思うんだろうか?ああいう人間にだけは僕のじいちゃんを「美しい」なんて言って欲しくない。絶対にだ。

もう一度メイラーのインタビューから長い引用を。

”次の世代のために、毎日の小さな変化を積み重ねていくのが民主主義のやり方だ。その退屈さに耐えるには、判断力と意識をもった人々がいることが前提になる。民主主義は常に育てていくものであり、再生させていかなければならないのだ。”


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2006年09月06日

羊博士の家

「十二滝町には特定のモデルはなく、いくつかの町のイメージをつなぎ合わせたものだ」という読者への返信を読んで、僕は「羊博士の家」を訪れたときのことを思い出した。
僕がそこを訪れたのは、釧路湿原のあるネイチャーセンターが催した、馬に乗って湿原の周りをトレッキングするというプログラムに参加したときのことだった。それは湿原の端にある、今は住む人のない小さな木造の洋館で、大正か昭和のはじめに、もとは大学教授だったという方が、自給自足の理想郷を目指して東京の家を売り、家族を連れ、文字通りすべてを注いで建てた家だった。

「その頃の釧路なんてさ、今よりも何もなくて、湿原だってどこが終わりか分かんないくらいジメジメ続いててさ。材料運ぶ時だって、車の数自体少ないけど、あったって湿地の中には入れないんだから、結局最後は人と牛馬で引いたんでしょ。こんな湿原の中に家建ててさ、なまら金掛かったろうね。湿地を開墾して畑やって馬飼ってさ、たいしたもん収穫できるわけじゃないし、冬は本っ当にしばれるしさ。熊だって出るんだよ、ちゃんと(笑) どうやって暮らしてたんだろうね、本当に」

ガイドさんの言うことは全くその通りで、白樺に抱かれた洋館の佇まいは清楚そのものだけど、建物を少し離れればすぐに湿地が顔を覗かせ、にじみ出た水が作る細い流れが、幾筋ものクリークとなってあちこちを流れていた。夏の終わりの釧路はほとんど青空を見せることがなく、曇り空の下、海からの湿り気を帯びた肌寒い風がいつも吹いていて、念のために持ってきていたマウンテンパーカが手放せないほどだった。川も草木も明らかに関東のそれとは異なるメランコリックな美しさを湛えていて、初めて訪れた僕を十分に魅了してくれたけど、それでもここで冬を越したいという気には到底なれなかった。

「けっこう長いこと頑張ったみたいだけどね、やっぱりご主人が亡くなったのを潮に、家族は内地に引き上げたんだね。大変は大変だったろうけど、時間が経つと懐かしくなるみたいで、何年かに一度、みんなで集まってるらしいよ」

窓に近づいて中を覗き込むと、年代のバラバラな新聞や雑誌がわずかに残されている程度で、ほとんど家具や生活の匂いを感じさせるものはなく、かなり前に主がこの家を去ったことをうかがわせた。そのわりに室内は植物の侵食を受けておらず、完全に打ち捨てられた存在というわけではないみたいだった。あるいは、誰か地元の人が荒れ過ぎないように最低限の管理はしているのかもしれない。
正面に回り、玄関の短いポーチに立って支柱の一本に触れてみる。風雪にさらされ白いペンキは縁のほうにわずかに残っているだけなのに、木の表面は滑らかなのが意外だった。ガラスを失った入口のドアの上に消えかけのアルファベットが見える。薄く見づらい上に英語ではないようで、意味は分からない。

「何て書いてあるんですか?」
「たしか、ドイツ語で博愛の家、だったと思うよ。ご主人はドイツの哲学が専門だったらしいから」

もちろん、僕の訪れた家は羊博士の家の直接のモデルではないだろう。でも、この言葉を聞いたとき僕は、ああ、これは羊博士の家なんだ、と思わずにはいられなかった。「博愛の家」。なんと美しく、そしてナイーブで無力な響きだろう。今日の我々からすれば、あまりに理想主義的に過ぎるというか、ちょっと馬鹿なんじゃないか、とさえ思える。しかし、あまりにも19世紀的だった彼らと、21世紀を生き延びようとする今の僕の間にいったいどれだけの違いがあるだろう、とも思う。彼らが敗れたことを僕は知っているけど、だからといって彼らが敗れた戦いを自分が回避することは難しいであろうこともまた知っている。誰だってどこかに自分がもぐりこめるだけのすき間を作っておかなくてはならないのだ。

大正の前後にあらわれた若い日本の青年たちと、彼らが目指した理想郷、その挫折。言葉で言ってしまえば実に短いけど、でもそれで理解した気になれるほど、あの家の姿は単純なものじゃなかった。あの時代にたくさんの「羊博士」たちが彼ら自身のための場所を作るべく、斧を振るい、鍬を握って土と水と格闘したのだろう。彼らの夢や理想が、寒さや飢えや病や借金や女の取り合いや害虫や水害や干ばつ、その他の見えざる弾丸に体中を打ち抜かれて、斃れていった、そのゆるやかで合法的な虐殺の一部始終が、白いペンキをわずかに残した木のスクリーンの上に一瞬現れて、また消えていった。


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2006年09月05日

She said , Me said

夜、子どもが寝たあとで、妻と話をする時間がまた少しずつできてきた。

妻は最近、学生時代の友達の一人とうまくいかないそうだ。
僕が話を聞く限り、その人は18歳のときから全く成長のない人で、いつも同じような相手と簡単に付き合ってはすぐに別れ、というのを飽きもせず繰り返している。自分が好きでやっているんだから別にいいのではないかと僕は思うのだけど、当人は年齢なりに結婚に対する焦りなんかがあるようで、だったらよけいに間に合わせの男なんかと付き合わないで、じっくり考えたほうがいいんじゃない?と言ったところ、最近あまりにも同じような内容のメールや電話が続くので、我慢し切れなくて妻も同じことを(かなりソフトな表現で)伝えたのだそうだ。

「そしたら?」
「電話もメールも一切こなくなった…」
「(笑)その子の口癖って、あたしホント男運がないのよね、でしょ?」
「そうそう!」
「やっぱりなぁ」

女性は特にそうなのだろうけど、結婚し、子どもができれば、独身時代と何もかも同じという訳にはいかない。安心できるベースを一応は確保した安堵感は得られても、独身を謳歌する女友達とのそこはかとない乖離みたいなものに、淋しさとかうらやましさとか、やっぱり感じてしまうらしい。

「あなたはそういうのないの?」
「うーん、無くはないけど」
「けど?」
「俺友達いないし(笑)」
「アハハ。でもさ、友達って何だろね。」
「うん」
「学生のときはいっつも一緒で、一生友達だって思ってたのになぁ…」
「俺にとっての友達は、同じ汽車に乗り合わせる人、って感じかな」
「ホウ」
「長い時間乗る汽車で、たまたま向かい合わせの席に座った奴とさ、ガムとチョコレートを交換したり、新聞と読み終わった本を取り替えたり、今までに見たものやこれから行くとこの話をしながら食堂車でコーヒー飲んだりしてさ」
「うん」
「でも、方向は同じでも目的地までまったく同じではないし、乗換えもあったりしてさ、時期が来れば途中で相手が降りたり俺が降りたりするんだ」
「それで?」
「それでって、その時が来たら、じゃあな、元気でって手を振るだけだよ」
「本気でそう思ってるの?」
「そうだけど?」

妻は僕をきゅっと抱きしめて、わたしが友達になってあげる、と言った。
うまく伝わってないような気もするが、これはこれでいいことにしよう。

ピース。


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2006年09月04日

自転車を洗う


5時30分に起きたものの、生産的なことは何一つせず、ソファに寝転がって読みかけの本をパラパラ。腹が減ってきたので、お茶漬けを食う。コンビニに行くことすら億劫だ。

妻は子どもと帰省している。一人の時間ができたらやろうと思っていたことがたくさんあるのに、何一つ手をつけていない。買ったものの開けてもいない書店の袋、磨こうと思っていた靴、撮った写真の整理、etc。

空は青く、風が涼しい。9月に入ってようやく秋めいてきた。気温は高いが日陰は涼しいので、窓を開けておけば日中も冷房がいらない。

そういえば、と思い出す。駐輪場の隅にうちの自転車がある。妻が大はしゃぎして買ったものの、ほとんど乗っていない自転車だ。いつもこうだ。知り合いの犬が仔犬を産めば、後先を考えずもらってくる。じきに世話を忘れ、餌をやるのも散歩も家族の仕事になる。自転車だってこの2年ほとんど乗った記憶はないのに、1年分の駐輪場使用料6000円なりをまた払わなくてはならない。

9時を回ったことだし、いい加減、外に出たほうがいい。日曜に管理人室を訪れるのはちょっと気が引けるけど、8月末の期限を過ぎているんだから、文句を言いつつも手続きしてくれるだろう。

管理人室のチャイムを押すと、迷惑そうな顔をして見知らぬ人がドアを開ける。
「すいません、管理人さんは・・・」
「私ですが」
「?」
「替わったんです。金曜に。高橋さんが入院されたんでね」

高橋さんは、以前父が住んでいたときからの管理人で、軽い脳梗塞で入院したことがあり右足を若干引きずっているのだが、毎朝せっせとマンションの周辺まで掃除していた。いささか口うるさいが親切で、何かと気遣いをしてくれた。お土産を持っていくたび嬉しそうに受け取ってくれるので、僕も妻も、あんまり甘いものばっかりじゃ病気に良くないよね、と言いつつ、土産物を買うときにはついつい、高橋さんの好きそうな甘いものを選んでしまうのだった。

「病状はいかがなんですかね?」
「さあ、そこまではちょっと…。それより、ご用は?」
「あ、駐輪場代がまだだったんで、払いにきました」
「あー、ちょおっと待ってくださいね」

新しい管理人氏は、なにしろ急だったから、ほとんど引継ぎらしい引継ぎをしてないんだよね、と言いつつてきぱきと手続きしてくれた。おじさんというよりもおじいさんに近かった高橋さんが、事務的なことを苦手としていたのとは対照的だ。

「ハイ登録証。これからはなるべく平日でお願いしますね」
「すいません」

んー。地味ーにショックだなぁ、と思いつつ登録シールを貼ろうと駐輪場に行く。
久々に見る無印良品のママチャリ、無骨なカーキグリーン。静岡県限定の自衛隊純正色、と言ったら妻は怒ってたけど、誰が見たってそう思う。フレンチ好きの彼女はときどきこういう不思議なチョイスをする。あるいはフレンチ・アーミー風って言って欲しかったのか?

予想はしていたが、隅々まで埃まみれで、空気の抜け切ったタイヤはぺしゃんとしている。これじゃシール貼ってもはがれるな、と思い、少し汚れを落とすことにする。

バケツに水を汲み、使い古しの台所用スポンジを持ち、日向で自転車に向かい合うと、その汚れっぷりにファイトが沸く。俺が救ってやるぜ、と訳のわからないことを言いつつ、スポンジにたっぷりと水を吸わせ、サドル、ハンドル、かごと洗っていく。ステム、フロントフォーク、フレーム、荷台。すでにバケツの水は真っ黒だけどどうせ一度じゃダメだ、ざっと全体の汚れを落としてから水を換えよう。リム、フェンダー、ライト。タイヤの側面まで埃で茶色になっている。フロントブレーキ、リアブレーキ、ペダル、スプロケット、ディレーラー。グリースアップされた部品も容赦なく水洗い。あとでCRCをぶっかければいい。

新しい水を汲んでくると、車体はもうほとんど乾いている。正午近くの日差しはまだまだ強い。自動販売機で買ったスポーツドリンクを一気に飲み干し、二度目の洗いに入る。買ってからほとんど乗ってないだけに、埃さえ落とせばピカピカだ。ニヤニヤしつつ空気を入れる。以前友人のママチャリに空気を入れてやろうとしたら無意味に米式バルブだったため断念したことがあったが、無印のチャリはさすがに英式バルブ。クリップで挟み、シュコシュコシュコ。いいね。パツンパツンだよ。溝も深いし。

ここでちょっと乗ってみる。まだ少し水が残っているから乾かさないと、と言い訳しつつ。おおお。いいね、これだよ。久しぶりだなぁ。スタンドで踏んでシフトアップしたら、車体を小刻みに左右に振りながら同じリズムでまた踏んでいく。グングン伸びる。ハンドルじゃなく車体を傾けてコーナーを曲がる。コーナーを抜けたら車体を起こしつつまた踏んでいく。ちょっと、のつもりが環八の陸橋を越え、1国まで出てしまう。もちろん車道。チャリは車道走るもんだぜ、とタクシー運転手としょっちゅうケンカした時代を思い出す。はは。

昨今の自転車ブームで、これ見よがしにサイクルジャージを着てるヤツとか、やたらに高いバイクに乗りながらヨタヨタ走ってるヤツを見るたびにイライラしてたけど、やっぱり自転車はいいよ。気持ちいいからみんなが乗るようになったんだ、と思うことにする。許す。俺は許すよ、お前らを。でも、公道走る前にもちっと練習しろな。

でも、20分ほどして戻ってくると、もう膝ガクガク。調布のパンターニもすっかりオッサン。プルプルする手でCRCを注し、シートポストを5cm上げ、上向きだったサドルを水平に戻し、完成。ベルが盗まれてるのはご愛嬌だ。
でもって記念に携帯で写真を撮り、妻にメールすると「私の自転車なのに!」という返信が。やれやれ。

要するに、ひさびさの休日にひさびさに生産的なことができて、ちょっと満足でした、という話でした。

ピース。




ぴかぴか

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2006年06月04日

フォルクスワーゲン・ゴルフ


デンマークの絵本、水色のケトル、オリーブグリーンのガステーブル、ペンキを塗った年代ものの椅子と扇風機などなど。引越し先には入りきらないけどどうしても捨てられなかったものを、知り合いの店で引き取ってくれるというので、フォルクスワーゲン・ゴルフに乗っている友人に車を出してもらった。僕の赤いクーペは一昨日の4トントラックとの正面衝突でボンネットが半分の長さになってしまっていたからだ。
紺色のゴルフは最初のフルモデルチェンジの直後に彼の父親が買った車で、年式も走行もちょっとしたものだ。足回りがだいぶヘタっているし、カラカラというディーゼルエンジン特有の音もかなり耳に付く。しかしボディはまだしっかりしていて、ドアを開け閉めする際の動きや音にドイツ車らしい信頼感がある。静岡の実家にもこの車で高速を乗り継いで帰っているらしい。
大学を卒業し地元の信用金庫に就職する彼と、このゴルフはとてもよく似ている。信頼の置ける機械、行き届いたメンテナンス、ちょっとした荷物も楽に積み込む機能性。しっかりとしたコンセプトに基づいた設計から生じる年式を超えた信用。きちんと組み立てられた彼の生活と人生。アイロンの利いた白いラルフローレンのシャツ、紺色のフォルクスワーゲン・ゴルフ。
かつてはそういうものを馬鹿にしていた。つまらないやり方だと断定していた。彼に向かって"それで本当に満足できるのか?"と聞いたことさえある。周囲の友人たちは我々の間を犬と猿に例えた。実際にはさほど仲が悪いというほどではなかったのだが、なんとはない違和感はあったかもしれない。もしかしたら近親憎悪というやつだろうか。彼もまた見かけによらず頑固で、折に触れては自分の流儀を誇示することを好んだからだ。
今は、彼や世の中にも少なからず居る彼のような紳士たちに敬意のようなものを感じている。彼らのような生き方が、決して自分にはできないことがはっきりと解るからだ。これは皮肉ではない。”やりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ”確かにこのような流儀の人々が一定の割合で存在していなければ世の中は機能しない。先祖代々の家を継ぎ、信用金庫に勤める。穏やかな、安定した生活、申し分のない人生。でも、仮に立場を入れ替えることができるとしても、やはり彼のような生き方は僕にはできないだろう。

不意に終わってしまうことを、この場所を離れることを思い出す。可笑しくも、素晴らしい日々。毎日を、文字通り毎日を一緒に過ごした人と別れるときにも感じなかったことを、特別親しかったわけではない彼と、白と水色のペンキを塗られた大きな古臭い扇風機なんかかついでいるときに感じるなんて、不思議だ。
2月の末のよく晴れた空。雪解けと、根雪の下から解き放たれた土ぼこりが作り出すベージュの霞。眠ったように佇む午後の地方都市。丈の低いグレーのビルの連なり。悲しげで、でもどことなくユーモラスな3月はすぐそこに来ている。本当に本当に、青い空。
もう一度、彼のような人生を送る自分を想像してみる。申し分のない人生…。

"もう一生会わないかもしれないと思うと、少し寂しい気もするね"
彼らしい実直な口調で彼はそう言った。決して口先だけではない真摯な響きがあり少し驚いたけど、実は僕もそう思っていたところだった。でも、彼も僕もお互いの新しい連絡先を尋ねようとはしなかった。形式的に聞いたところで連絡を取り合うこともない人と、住所を交換するようなことは慎むべきだ。そういう形の礼儀というものもある。僕はそう思ったし、たぶん彼も似たようなことを思ったのだろう。
"助かったよ。じゃあ、元気で"
そう言って僕はドアを閉めた。カラカラといつもの大きな音を立てて、しかし静かにフォルクスワーゲン・ゴルフは走り出した。その姿は次第に小さくなって、やがて大きくゆるやかなカーブを曲がり、完全に見えなくなった。そのようにして、また僕はひとりに戻った。

27 FEB '96


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2006年05月24日

20060524 11:44〜16:41(中断含む)


曇り。暑くはないが湿度が高く、歩くと汗ばむ。夕方ごろ雨になるかも。
1日15分、何か書いてみようと思う。思うのだけど、結局日誌風のつまらん文章になる。
あと12分、書くことなんかない。
”チャンドラー方式”が机に向かうことは強制しつつ書くこと自体は必ずしも強制していないのは、書くことがないときにつまらんことを書き残して、後日読み返して続ける気をなくすのを避けるためか。
どうでもいいが、同僚のペン立てに並んでいるペンはどれも書きづらい…。

あと7分。
時折日差しがのぞく。遠くのビルの姿は煙り、手前の大きな照葉樹たちには淡い光が注がれている。不思議な感じ。
ここは京浜工業地帯の真ん中で、殺風景な建物たちの合間に、時折人為的に植えられた緑がある。大体は照葉樹だ。
照葉樹は関東大震災以降多くの都市で植樹されるようになったそうだ。震災の被害の大部分は火災によるものだが、後日の調査で敷地の周囲を照葉樹で囲った邸宅などは比較的損害が軽かったことが分かり植樹が推奨されたらしい。確かに焚き火でも椿の葉なんかは燃えにくい。なるほど。

会社の最寄駅を降りると、L字型の細い通路が100mぐらい続いている。片側がコンクリートの壁、片側はグリーンのフェンスになっていて、金網の内側は生垣になっている。木のちゃんとした名前は知らないのだけど、椿を小振りにしたような形の深緑の葉と、八重の花弁の大振りの赤い花がきれいで僕はわりと好きだった。
ある晩、夜勤のため夜の10時過ぎに駅の改札を出ると、その生垣が無くなっていた。前日の帰り道では赤い花をいくつも付けた2mほどの緑の木がすき間なく立っていたのに、およそ12時間の後、それらは音もなく消滅していた。月の明るい1月の夜で、冷えた空気の中に掘り返されたばかりの土の匂いがただよっていた。あまりにも綺麗に、落ちた葉や花、フェンスに絡みついていた雑草の蔓まで無くなっていたので、木なんか最初から無かったんじゃないかと気がしたほどだ。
そして自分でも意外なほど、僕は衝撃を受けていた。
年末に移動になったばかりで、羽田というかなり特殊な土地にうまく馴染めなかった自分に、行き帰りに目にするだけのこの赤い花が何か慰めのようなものをもたらしていたらしい。

しばらく立ちつくし、また会社に向かって歩きだした。そして夜の間、仕事をしながら考えてみた。これは虐殺なのだろうか?だとしたら誰による?
音もなくきれいに手際よく撤去された植物たち。フェンスに取り付けられた看板は、近日中に駅舎拡張のための工事が開始されると告知していた。それはありがたい。いつ建てられたのか知らないが、改札口が一つしかない上に通路も狭く、大人がすれ違うにはお互い体を横向きにしなくてはならないような駅がまだ23区内にあるなんて、最初は信じられなかったものだ。それが改善されれば確かに便利になる。自分も恩恵を受ける。しかしそのための工事で、赤い花を付けた木々は根こそぎにされ、どこかに運ばれていった。僕が眠っている間に。

これは虐殺ではなく消失であり、変化なのだ、という仮の結句を置いてみる。誰も悪くなんかないのだ式の。でもぜんぜんしっくりこない。
ここまでで45分。大きく目標をクリアする。とりあえず飯を食うことにする。


飯を食って少々雑用を済ますと、もう何を言おうとしていたのかを見失っている。
3時を回ると思ったとおり雲行きは怪しくなり、4時過ぎに大粒の雨が降り出す。窓際に立ち、外の様子を眺める。樹の葉に雨粒が当たり上下に揺れる。雨が葉を弾いているようにも葉が雨を弾いているようにも見える。雨足が強まる前のぽたっぽたっという降り方なので、樹全体ではなく、一枚の葉が揺れるとその斜め上の葉が、という感じのまばらな動き方だ。子どもの頃に見たかえるの合唱のアニメーションを思い出す。30秒に一度ぐらいの間隔で風が樹を揺らし、それよりは密に雨が葉を揺らす。じっと見ているとランダムな動きのなかにゆるやかな法則性のようなものが垣間見えて面白い。しかし動いているのは、実は木ではないのかもしれないとも思う。雨にも風にもそれぞれのリズムがあり、木はそれをこちらに感じさせる媒体の役割をしているだけなのかもしれない。ああそうだ、さっき言おうとしてたのは多分こういうことだったんだ。雨足はぐっと強まり、時々遠くで雷が光る。樹はさっきよりずっと速いリズムで揺れている。

そういえば僕の机の上には件の赤い花が一輪載っている。翌朝帰り際にフェンスの前を通りかかると、夜は気付かなかったけど、わずかに一輪の花を付けた10cmほどの小枝が金網に引っかかっていたのだ。前の晩にはまるですべての痕跡を拭い去られたかのようだったのに。花を落とさないようにそっと外し、名前を調べようと思い家に持ち帰った。いまだに調べてないけど。

雨はますます激しくなり、ガラス越しでは樹の姿さえ見えなくなるほどの強さになる。鍵を外し、重たい窓を押し開けてみる。南風が雨とともに運んできた潮の匂いがする。死んだはずの羽田の海から。


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2006年05月23日

たっくん


今でもそうだけど、小さい頃から僕はひどくわがままな子供で、君の受け持ちの子よりずっと我慢が利かない子供でした。とても思い出せないくらいたくさんのわがままを言い、周囲の人たちはずいぶんそれにこたえてくれたのですが、なんというか、僕はその小さなひとつひとつを思い出すとき、いつもうれしいようなはずかしいような、よくわからない気持ちになって、実際には目から流れることのない、泡状のなみだのようなものが、ブクブクと胸の奥のほうから湧いてきてしまうのです。

僕の父親の子供のころの話。
僕の生まれた町は、昭和のはじめごろにはなんの産業もなく、本当に貧しいところで、ほとんどの人びとが同じように貧しいくらしをしていました。僕の父親の家は、その中では比較的裕福な家で、扇風機やら何やらを”村(当時は村だった)で最初に買った”家だったそうです。そのなかでも父親に買い与えられた、村で一番最初の子供用の自転車は、ほかの子供たちにはなんともまぶしく映ったことでしょう。自転車なんてその当時は一家庭に一台、主にお父さんが乗るもので、それでも買えない家も多かったのに、それを自分専用に買ってもらった彼の得意は一応”現代の子供”である我われには、きっと正確に想像することはできないでしょう。

その自慢の、ぴかぴかの自転車はどうなったのか?
その日、村中の子供の前で颯爽とまたがったはいいけど、初めて乗る自転車が思い通りに進むはずもなく、ガキ大将だった彼の子分格の男の子たちこそおとなしく、順番にうしろを持ってあげたりしたものの、何度も何度もころび、だんだんに陽がかげり、ひとりふたりと家に帰り出し、ついにわずかに残った近所の子供のなかでも一番小さな女の子に大きな声で笑われた彼は、逆上のあまり、海を臨む崖の上から岩場に向かって自転車を放り投げてしまった(!)のでした。

これは父親の、得意の笑い話として遠方の客や親戚たちに披露されてきたもので、家のものは”またか”と思いながらも、はじめての聴衆にはまずまず好評だったように思います。
けれども僕は、その”父さんのいつもの笑い話”を聞かされるたびに、自転車にまたがって得意の絶頂だった父の顔や、食い入るようにみつめる子供たちの顔や、貧しかったその頃の村や、あるいは、おミソの女の子にまで笑われたときのカァッとしたきもち、せっかく買ってもらった自転車を、自分で崖から投げ落としてしまったあとの冷んやりしたきもち、夜のうちにこっそりと拾ってきた子が、明くる日みんなを連れて乗り回しているのを見たときの心が焦げてしまうようなきもち、そのような逆上とか、罪悪感とか、後悔とかいった言葉をおぼえる前の、キラキラとした原色のままの、彼のきもちのつぶつぶまで僕の手のひらに触れられるようで、そしてこの子供時分から実に短気だった人物との、どうしようもなく繋がっている線を自分のなかに改めておぼえ、そんなこんなが一体となり、泣き笑いとでもいったような、わけのわからない気持ちが、サイダーの泡のようにチクチクとまた湧きおこるのでした。

じゃあね。たっくんによろしく。

05 Jul '01



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6℃


今週はずっと雨が降っていて、今日もすごく寒い。最高気温は6℃の予想。そっちはまだ寒い?雪は溶けてもまだまだ寒いのだろうな。なに言ってんだろう?頭がうまく動かない。

三月で思い出すのは、白鳥渡来地のこと。
あそこは川の河口で、遠浅の干潟が見た目よりずっと沖まで続いているのだけど、一年で一番海の水位が下がる大潮の日が、三月の、たしか上旬だった。
僕がその話を聞いたのは、漁港にいたばあさんからで、五月のある日、思いがけずかなり潮の引いた渡来地を通りがかった時のことだった。そのときでもかなり海底が広く露出していたのに、それよりもずっとずっと、岸からはどこまで引いているのか良くわからないほど潮が引くのだという。
長靴を履いて、干潟を歩いたことがある?
そのばあさんの話を聞いてから、僕は暇にまかせて車に積んであった長靴を履き、干潟に降りてみた。砂地のそこは確かに海の底で、逃げ遅れた蟹や、海草がところどころに残る。ぬかるんでいて、でも少しも、わずらわしくもきたなくもない。陸の上とは明らかに違う風が渡る、海のなかの陸地。もしかしたら、僕がこれまでに行った、いちばん遠い処。

いつか、その大潮の日に、長靴を履いて沖まで歩いてみたい。まだ寒い北国の、とても寒い海の上。岸からは見えないほどの沖に向かって歩く。そんな日を思い描きながら毎日の仕事をこなす。明日から4月。もうひとつ年をとる。今年も大潮の日には間に合わなかった。

ま、いいか。とりあえず、部屋を片付けなくては。
それでは。

31 Mar '01                            


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2006年05月21日

37.8℃


昼過ぎから”ちょっとこれはおかしいんじゃないのか?”と思っていた。
夕方テレビをつけると、ニュースは”今日の東京の最高気温は37.8度に達し今年一番の暑さとなりました”と云っていた。夏場の東京の体感温度は、実際の気温より3度ぐらい高いのだそうで、その通りだとすると今日僕は40度以上の暑さのなかを歩いていた事になる。風が熱かったせいか、体からずいぶんと水分が失われたようで、夜になってもやたらに喉が渇く。日付が変わってようやく落ち着く。今年の残暑はひどく長くなりそうだ。週間予報は一週間先まで晴れ。気温は毎日30度以上。ふう。
それでも、朝の光や、夕暮れの色は確実に秋色を帯びはじめている。変わらない季節なんてない。それはさびしい事かもしれないけど、ある種の慰めにもなるかもしれない。真冬には真夏の日々を想うように、僕は残暑のさなかにも北の事を思い出す。

2月の終わり頃に小川原に行ったことがある。雪の少ない年で、暖かくなるのも早かったから、残雪もほとんど無かった。とても暖かい日で、車の中にいると汗ばんでしまうほどだった。2月末の平日の湖に用のある人間はそんなに沢山はいない。その日の小川原で僕は誰にも会わなかった。車を降りて展望台に上がった。すこし風があって、遠くに雲が見えた。水面はとても静かで、時々風が渡るのが分かった。対岸は霞んでいてよく見えなかった。じっとしているとさすがに少し寒くなった。岸辺に下りて歩く事にした。日陰には黒くなった雪が残り、日向にはもう無かった。コーヒーの空き缶があり、タバコの吸殻があり、片方だけの手袋が落ちていた。微かに土の匂いがした。マフラーが緩んだので、直した。いつもよりすこし丁寧に。空がいつもより青い気がした。とてもきれいだと思った。それからもうしばらく歩いた処で飽きて、車に戻った。エンジンを掛けて、コーヒーを飲みながら音楽を聴いた。何を聴いてたか思い出せない。コーヒーを飲み終えて、カセットテープを入れ替えて駐車場を出た。しばらく走って国道に出るまで一台もすれ違わなかった。
 君からの返事を読んで、体感気温40度の新宿の街を歩いていたら不意にそんな事を思い出した。小川原は僕も好きです。今度は6月とか、よい季節に行きたい。2月の末に行ったのが最後ではちょっと小川原がかわいそうな気がする。あまり気に留めていないかもしれないけど。

02 Sep '00


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「三月の水」


ジョアン・ジルベルトには、1973年に発表した『三月の水』というレコードがあって、僕はそのドラムスと、ジョアンのギターと歌だけでつくられたレコードがとても好きなのだけれど、それはこのレコードがとても静かでやさしく和やかな空気を持っている( “なごみもの”というレコード・ショップの棚から僕はこのレコードを見つけた)からというだけではなくて、むしろそれとは逆のなにか不穏なものが“和やかな空気”のなかにいることに気づいてからだ。
真夏の昼下がりとは一寸違う顔を、初秋の真夜中に見てしまった。日曜日の人びとのなかで、普段と違う顔で足早に歩く知り合いの顔を見たような気がした。『三月の水』とは僕をそんな気持ちにするレコードだ。
ときに軽快に、ときにゆるやかに、ときにぶっきらぼうに、微妙な上下をみせながら繰り返される単音。スピーカーの前に生まれる柔らかな40分余りの時間。そんなスクリーンの向こうに静かな嵐の存在が感じられてしまうのは、はたして僕とジョアンとどちらのせいなのだろう。おせっかいなライナーノートは、ジョアンがアメリカ、メキシコを漂流した長い不遇時代にこのレコードは製作された、と語る。僕はふうん、とだけ思う。そして少しだけ、“三月の水”の季節にいた頃のジョアンのことや、今まさに“三月の水”の季節の只中を、重いトランクを抱えたまま歩き回っているであろう僕の友達の事なんかを考えて、また眼を閉じる。今はまだ8月で、太陽は南の空を下り始めたばかりだ。少しだけ、少しだけ眠って夕食の支度をはじめよう。3月のことはトマトの季節が終わってから考えればいいのだ。おやすみ。赤い赤いトマトも、空色の窓ガラスも、少しの間だけ。
ところで『三月の水』ってなんだか南米のテロ組織の名前みたいだと思わないか?

18 Aug '00


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2006年04月27日

アスパラガス


主任にアスパラガスを貰う。
物流系の会社なので、時々得意先で余った食料品などが社員に配られたりするのだが、今回はアスパラガスだったらしい。
「新鮮だからね、美味しいよ。奥さんに持っていきなよ」

この人にはつい一昨日、軽くやられた。
客先に送ったファックスが、「送り状含め2枚」と書くべきところを「3枚」となっていて、それはもちろん僕のミスなのだけど、それを送ったのは彼に頼まれた面倒な仕事の最中で、時間に余裕がない中の軽いミスだったのは分かっていたはずなのに、「またミスです。送る前に再度確認すれば分かるのに、なぜ気付かないのか不思議です。これだから怠慢だと言いたくもなる訳です。」なんてメールを課の全員に送られてしまった。しかも実名入り。
僕が配属されたときからなんとなく気に入ってない様子だったのは気付いていて(この手の人はこっちがそのことに気付いてないとさらに機嫌が悪くなる)、一緒のシフトの時は他の人より神経を使って仕事しているのだけど、それがまた気に入らないらしい。時々何かしら小言の種を見つけてくる。あるときは完全な僕のミスだし、ある場合には言いがかりとしか言えないような小さなことを。

それにしても、一昨日のはあんまりだと思う。
アンタの仕事を手伝ってしかも予定より早く終わったのにそのことに対する礼はないどころかその間に起きた些細なミスはいきなり実名入りメールで皆に送っちゃうって40過ぎの男がやることかよ!?って感じだ。
普段から当たり障りのない話しかしてなかったけど、今日は全く話す気になれない。顔を見るとまたムカついてくるのでなるべく見ないようにする。暇も手伝って倉庫の棚の掃除なんかして。
A4が3000枚入ったダンボールを納品日ごとに入れ替えていく。雑然としていた棚に秩序が与えられていく。ああ。2、3日すれば結局は元の混沌に帰していくとは分かっているけど、それでいいのだ。徒労と分かっている徒労は気持ちいい。意義のあることと信じていたのに実は徒労だったという時はまったくヒザから力が抜けるけど。

右から左とダンボールを移動させながら考えるとはなしにまた考える。結局、気の小さくて子供っぽいだけの、ただのオッサンなのだ。それは分かっている。問題は、何故そのただのオッサンを自分は許してやれないのか、ということなのだ。面と向かっては言えないくせに、小さなことにいちいちイラついてチマチマ連絡票に書いたりメールを送ったりしてるただのせこいオッサン。でもこれって僕と同じじゃん。電車の中でガキが騒いでるのにいちいちムカついて、でもそいつらのジャージに「〜高 空手道部」なんて書いてあれば絶対にケンカを吹っかけたりなんかできない。この会社だって死ぬまで勤めるわけじゃないけど、かといって今日明日に辞めるわけでもない。第一そんなことできない。だったらサラッと忘れて、今までどおりの当たり障りのない付き合いをしていけばいい。腹の中で嗤っておけばいい。その程度のことがいつまで経ってもできない俺は、結局オッサンとどっこいどっこいだ。ちょっとこっちがムカついた気色を隠さない日には、曖昧な笑顔で会社備え付けのビニール袋に一掴みのアスパラガスを入れ、機嫌取りに差し出してくるこのオッサンと。ふざけんなよ、と思ったけど、いりません、と言うのもあまりにも子供っぽく思え、どうも、と言って要りもしないヒョロっとした緑色の野菜を受け取る。

リュックの右のポケットからステンレスのポットを、左のポケットからビニールに入ったアスパラガスを取り出し、キッチンのシンクに置く。
「と、いう訳なんだよ」
と、妻に愚痴ってみる。
「そうねぇ、困った人ねえ」
「うん」
「でも、このアスパラガス」
「うん?」
「本当に新鮮だわ」

軽く茹でて自家製のマヨネーズと和えたアスパラガスは、芯まで瑞々しくて本当に美味しかった。
新しい苦味とほのかな甘み、青臭くて土の匂いがまだ少しする。



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2006年03月29日

所感@3/29



書くって、難しいですね。

今とりわけ難しさを感じるのは、時間的な制約があるもの。
サッカーなどの試合についての文章だと、内容もさることながら鮮度というものが大事になる。
土曜のゲームについての文章を翌週の日曜日にUPしても、すでに次のゲームが終了している。
早ければ中身はどうでもいい、と言うわけにはいかないけど、ある程度タイムリーに記録していかなければ継続的なウォッチの価値も低くなる。
1試合ごとじゃめんどくさいから2、3試合分まとめてレビューしようなんて、そんなの僕にできるわけない。
それじゃ書くのはいいとこ開幕とシーズン終了時の2回だけだ。

そして、限定された時間内で書いたものを後になって読み返すと、これが本当に穴があったら入りたいような気持ちになる。
アラを探せば限りなく、感情だけが先走って全然納得いかないものばかりだ。
村上流に書いたものはすぐにUPせず一晩寝かせてから、とは分かっているのだけど、早く上がれば上がったで”まだ他は更新してるところが少ないだろうから、今UPすればアクセス増えるかも”とかすごくヤラしいこと思ってる自分に気付きまた↓る。

いままでは読むだけだったから、他のサイトを見ても人の文章にケチをつけるだけでよかった。
そして、正直、自分ならずっとうまく書けると思っていた。
まったく言うのは簡単だ。

でも、試行錯誤というこのぬかるんだ道を、ちょっとずつ進む自分は前よりは少しましだ、と思う。
どんなにスピードが落ちても、内容が下がっても、まずは書こう。
どんなに拙くても、文章は書くことでしか向上しない。
最初からうまくいくことのほうが少ないんだ。
そして、人の目に晒そう。
肥大した批評眼に適うものだけを公開して、それでいったい自分の何を守ろうというのか?
そもそも、守るほどのものなんて、最初からなかったんだろ?


今日の朝、自分の携帯に入っていたメール。

「言葉は逃げ水のように逃げていく。
いま、こうして思っていることも明日の朝には忘れているだろう。
怖い。メモを取らなくては。全部忘れる前に。
まだ1万分の1だって、言いたいことは言ってない。」

もちろん、眠りに落ちる前の、昨日の自分が書いたメール。
そして朝これを見るまで、昨夜の自分がこんなことを思っていたのなんてすっかり忘れていた。

明日の俺よ、これを読んでいるか?



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2006年03月10日

所感@3/10


1月末に最初のテキストをUPしてから、約1月半もほったらかしのしていたのですが、その間に徐々に書いたものをボチボチUPしてみた。
すると、けっこうやる気がでるものですね。スカスカのスペースが徐々に埋まっていく快感。
別に金になるわけでもなく、まだ誰も訪れていないにもかかわらず、自分の書いた文章が形になってる!というのは嬉しいものです。
同人誌にハマる人の気持ちがわかる気がします。ありがとう、ホリエモソ。

無人島に一人でいても、人は「表現」をするか、というのはわりと古典的な命題ですが、少なくとも私はしないでしょう。
「表現」というのは、結局のところ他人に自分の不快感を訴えるためのものではないかと思います。
他者という反射板のない無人島という環境で、それをしている自分を想像できない。もしかしたら、「自分」を2つに割って「反射板」を自作するのかも(笑)。
「芸術」というのも似たようなものですが、より切羽詰ったところからどうしようもなく出てくるもので、これは、たとえ無人島に一人でいても、する人はするでしょう。あるいは、無人島というシチュエーションが人のこころの中に「芸術」のたねを生じさせるかもしれませんが。
立川談誌師匠が、「煎じ詰めれば人間は、快楽を得ること、不快感を除くこと、この2つのためにしか行動しない」というようなことを言っていましたが、まぁその通りですね。
マザー・テレサだって、困っている人を助けるのが気持ちいいか、放っておくのが気持ち悪いかどちらかだったのだと思っています。

ところで、私は何の為にこんなものを書いているのでしょう?
これは「表現」か「芸術」かと言えば、疑いなく「表現」です(あまり質は高くありませんが、カテゴリーとしては、ね)。
ただ自分の不安や苛立ちを文章に置き換えて、誰かに訴えているだけです。
では、いったい誰に? 
それが明確に見えていない表現ほど見辛く、迷惑なものはありませんが、書くことによってしかスコープの精度は上がらないことも分かっています。
ただ覗くだけでは、敵の姿は見えない。ひたすらマッピングを繰り返して、追い続けるしかないようです。
そしてここが、今日の私の位置なのだ。

私は、自分の中に一つの袋があることを知っています。
その袋の中には、糸くずやパンの切れ端のほかに何枚かのメモが入っています。
日々の暮らしの中で、メモは壜の底に沈む澱のように静かに蓄積されていきます。
メモに書かれた言葉はそのままでは意味の通る文章にはなっていないものも多く含まれているので、私はもう一度整理し、つなぎ合わせてノートに書き写し、みなさんにお見せしているのです。
メモがすべてノートに移し変えられたあと、袋の中には何が残っているのか?
それを、私は知りたいのです。



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「楓」


スピッツによるオリジナルより、トリビュートアルバムの「一期一会」に収録されたユーミンカバーによる「楓」の方を良く聞いた。
オリジナルが好きな人には、このお洒落なアレンジは不快かもしれない。
でも僕は、この洒脱さの中に、このように物事を洗練させることで悲しみをやり過ごして生きてきたひとの凄みのようなものさえ感じた。
あの”さよーなーらー”のサビをマサムネの声でそのまま歌われても、本当に悲しいときには痛すぎて聞けないのだ。

それにしても、「悲しみを洗練させてやり過ごす」ってすさまじいやり方ですね。
この境地に至るまでに、彼らが失ったもの、葬った人々や追われた土地などの蓄積された記憶を思うと、軽々しい言葉なんてすべてシャットアウトされてしまう。
そんなわけで、3年の月日に自らガソリンを浸し火を放った冬、僕はずっとユーミンの「楓」ばかりを聞いていた。
いかにも松任谷正隆らしいアレンジの、優しいフルートのリフを糖衣にして僕は”別れ”そのものを喉の奥に流し込んだ。
さよなら。
すごく陳腐で申し訳ないけど、あなたのことは忘れないよ。


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インプットの季節についての話の続き。


映画館の椅子に沈み込んで、溺れるように映画を見続けるひと、シネマディクト。
ある人はそれを「蜜月」と呼んだ。映画と彼の間にある一定の期間だけ生じた、宗教的とさえ云えるほどの時間。
彼らの場合には、彼が大学を卒業してしばらくして「蜜月」は終わった。
再び彼の表現を借りるなら、「映画だけが彼を理解し、赦した時間」は終わりを告げたのだ。

僕の場合には音楽だった。
世田谷区と目黒区と渋谷区の境にたっていた、木造のアパート。風呂無トイレ共同4畳半一間管理費込みで28000円。
バブルが終わって5、6年は経っていたのに、意外と残っているものだなあと思った。
東南向きの角部屋で日当たりは良かった。学生時代の部屋はまったく日が射さない部屋だったから、家賃半分・日当たり半分で決めたようなものだった。
大学を卒業してから専門学校に行くなんて、今にして思えば馬鹿馬鹿しいことだけど、当時は「これは新しいチャレンジなのだ」と燃えに燃えていた。
バストイレ別駐車場つきフローリングの1DKから風呂無の4畳半に居を移したことさえ、なんだかヒロイックな感じがしてた。バカだとは自分でも思う。
大学4年の後半は、入学金をためるためにひたすらバイトしていた。日勤と夜勤のバイトを掛け持ちして、40時間連続で働いた日もあった。

そんな時期から、音楽はより自分の心に深く響くようになった。感傷的な歌詞にやたら共感するようになった。
本を読んでも写真を見ても、明け方、家に帰る自分と入れ替わりに登る太陽をみても、涙が出た。友達といえる人間は一人だけだった。
こんな気持ちを離れた町に暮らすあの人に届けたい、と思うと同時にそれが嫌がらせにしかならないことも分かっていて、つらかった。
いまでもあの頃聞いていた音楽を耳にすると、あの頃の狭い部屋の湿度や光、匂いまで思い出す。あんな風に音楽を聴くことはもう無いだろう。
音楽は今でも好きだ。けれども、心の奥がそのまま音楽と共に震えるような感触はもうない。あまり小説も読まない。未熟な主人公の身勝手な台詞に腹立ちを覚えることさえある。どちらかといえば、事実を丹念に調べて書かれた散文の方を好むようになった。

僕は老いたのだろうか?
そうかもしれない。でもたぶん、ちがう。たぶん、ただ季節が変わっただけだ。たぶん、いいことでも悪いことでもない。最近はそう思うようにもなった。
間宮少尉が放り込まれた井戸の底に射す光のように、それはただ僕の上にやってきて、わずかな時間僕を暖め、そして過ぎていったのだ。

新しい音楽、新しい文学、新しいファッション、新しいテクノロジー。それらをただ闇雲にストックすることはやめた。
インプットの季節は去ったからだ。いま僕は、大掃除をしている。なけなしの金を叩いて買った馬車にはもう二人の人間が乗っている。
必要なもの、大事なもの、捨ててはいけないもの、慎重に見極めて、大胆に捨てなくてはならない。荷台にはもうわずかな空きしかないのだから。
何も捨てない、あるいは自分の馬車には誰も乗せない、という選択肢もあった。というよりも、いまでは馬車に誰かを乗せるという行為すら少数派になりつつある気さえする。僕の場合にはどちらかといえば成り行きだった。少なくとも、以前の「チャレンジ(笑)」のように、熱い気持ちだけで突っ走ったわけではない。成り行き。でも悪くない。もちろん責任は重い。こんなに重たいものだとは思わなかった。でも、悪くない。
そしていつか、この「生活」という圧搾機から、何がしかのアウトプットが搾り出されてくるとしたら、どんなものか。僕もすごく興味がある。

とにかく、さあ西を目指そう、ベイビー。


sakuralemmon at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

話すみたいに間単に、



話すみたいに間単に、なんて話ほど簡単じゃない。
頭の中で考えていることを文章に移し変えるには、それなりの訓練が必要だ。
まさしくこれはその訓練なのだから、失敗しても気にしないでどんどん書いたらいいのに、それでもあれこれ考えて時間を無駄にしてしまう。
困ったものだ。
いったい何をそんなに、って自分でも思う。
たぶん、まだ自分に期待しているものが大きすぎるのだ。
その一方で、僕に残された時間はもうそんなに多くはないということもいよいよ明らかになりつつある。
かつて自分に同情するための根拠だったファクターは日々欠けていき、だんだんと僕は幸福になりつつある。
家族を得、精神状態は安定し、寛容だ、という評価を受けることさえある。
なんだかみんなに嘘をついているような気分になる。かつての自分を裏切っているような気分さえする。

それでも、僕は僕に対する評価を見直さなくてはならない。
過大に評価していた帳簿上の自分と、実際の自分とのリコンサイルを、冷徹に実施しなくてはならない。
過小評価していた部分に正当な評価を与えなくてはならない(そんなものがあればの話だが)。
そして、消えていきつつある日々の記憶を掘り返しておかなくてはならない。
いるか要らないか、正確か不正確か、価値があるのか無いのか、それは後で考えよう。いま、掘っておかなくてはならないのだ。

でもなぁ、実施者も検査官も自分じゃなぁ・・・。そもそもそういうものをリコンサイルと呼び得るのだろうか?


sakuralemmon at 22:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2006年01月29日

ブログ、ブログ、ブログ。


ブログ、ブログ、ブログ。どっちを向いてもだ。
これだけの流行り物を、流行の頂点ではじめることの何とはずかしいことよ…。

1、2年前、年下の友人との会話中に「ブログって何よ?」と聞き返したら、ものすごくビックリされた。まだここまで一般的な言葉になる前だったけど、すでに自宅にPCがあってインターネットに接続しているなら知っていてあたり前、ぐらいの状態だったらしく、本当に驚かれた。
その日の会話ではP2Pということばもわからず、友人とその彼女も「どうしちゃったのよ…」みたいな感じだった。サブカル系の知識は私から彼に教えることが多かったし、なにより彼らにとってコンセンサスぐらいのことを私がまったく知らなかったのは、ちょっとショックだった。なにしろ一時は兄弟のように四六時中一緒にいた仲だったから。

最近特に感じるのは、自分にとって「インプット」の季節は終わったようだ、ということ。何か目新しいことを探し、自分に入力していく時間は過ぎたように思う。「老化」のはじまり、かどうかはこれからアウトプットするもので判断しよう。

これについてはまた時間を掛けてちゃんと書くこと。
もう寝よう。


sakuralemmon at 23:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

書くことにした理由


「神様、私に変えられないものを受け入れる平和な心と、変えられるものを変える勇気と、そのふたつの違いがわかる知恵を与えてください。」

変えられないものを受け入れる平和な心は、たぶんある。
ふたつの違いがわかる知恵も、少しづつ付いてきた。
それと同時に、変えられるものを、変えられないものにすり替える知恵も。
変えることができるものを、変えていけないか、少しずつ。

少しずつ書くことにしようではないか。
昨日までのことは、昨日で終わり。
思ったことを少しづつ書いていくのだ。手を動かすのだ。
少しでも心の動きに追いつくように。
書いてだめなら、また書くか、止めてしまえばいい。
止められるなら、きっとその方が幸せなのだ。



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