彼方への手紙

2006年06月04日

フォルクスワーゲン・ゴルフ


デンマークの絵本、水色のケトル、オリーブグリーンのガステーブル、ペンキを塗った年代ものの椅子と扇風機などなど。引越し先には入りきらないけどどうしても捨てられなかったものを、知り合いの店で引き取ってくれるというので、フォルクスワーゲン・ゴルフに乗っている友人に車を出してもらった。僕の赤いクーペは一昨日の4トントラックとの正面衝突でボンネットが半分の長さになってしまっていたからだ。
紺色のゴルフは最初のフルモデルチェンジの直後に彼の父親が買った車で、年式も走行もちょっとしたものだ。足回りがだいぶヘタっているし、カラカラというディーゼルエンジン特有の音もかなり耳に付く。しかしボディはまだしっかりしていて、ドアを開け閉めする際の動きや音にドイツ車らしい信頼感がある。静岡の実家にもこの車で高速を乗り継いで帰っているらしい。
大学を卒業し地元の信用金庫に就職する彼と、このゴルフはとてもよく似ている。信頼の置ける機械、行き届いたメンテナンス、ちょっとした荷物も楽に積み込む機能性。しっかりとしたコンセプトに基づいた設計から生じる年式を超えた信用。きちんと組み立てられた彼の生活と人生。アイロンの利いた白いラルフローレンのシャツ、紺色のフォルクスワーゲン・ゴルフ。
かつてはそういうものを馬鹿にしていた。つまらないやり方だと断定していた。彼に向かって"それで本当に満足できるのか?"と聞いたことさえある。周囲の友人たちは我々の間を犬と猿に例えた。実際にはさほど仲が悪いというほどではなかったのだが、なんとはない違和感はあったかもしれない。もしかしたら近親憎悪というやつだろうか。彼もまた見かけによらず頑固で、折に触れては自分の流儀を誇示することを好んだからだ。
今は、彼や世の中にも少なからず居る彼のような紳士たちに敬意のようなものを感じている。彼らのような生き方が、決して自分にはできないことがはっきりと解るからだ。これは皮肉ではない。”やりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ”確かにこのような流儀の人々が一定の割合で存在していなければ世の中は機能しない。先祖代々の家を継ぎ、信用金庫に勤める。穏やかな、安定した生活、申し分のない人生。でも、仮に立場を入れ替えることができるとしても、やはり彼のような生き方は僕にはできないだろう。

不意に終わってしまうことを、この場所を離れることを思い出す。可笑しくも、素晴らしい日々。毎日を、文字通り毎日を一緒に過ごした人と別れるときにも感じなかったことを、特別親しかったわけではない彼と、白と水色のペンキを塗られた大きな古臭い扇風機なんかかついでいるときに感じるなんて、不思議だ。
2月の末のよく晴れた空。雪解けと、根雪の下から解き放たれた土ぼこりが作り出すベージュの霞。眠ったように佇む午後の地方都市。丈の低いグレーのビルの連なり。悲しげで、でもどことなくユーモラスな3月はすぐそこに来ている。本当に本当に、青い空。
もう一度、彼のような人生を送る自分を想像してみる。申し分のない人生…。

"もう一生会わないかもしれないと思うと、少し寂しい気もするね"
彼らしい実直な口調で彼はそう言った。決して口先だけではない真摯な響きがあり少し驚いたけど、実は僕もそう思っていたところだった。でも、彼も僕もお互いの新しい連絡先を尋ねようとはしなかった。形式的に聞いたところで連絡を取り合うこともない人と、住所を交換するようなことは慎むべきだ。そういう形の礼儀というものもある。僕はそう思ったし、たぶん彼も似たようなことを思ったのだろう。
"助かったよ。じゃあ、元気で"
そう言って僕はドアを閉めた。カラカラといつもの大きな音を立てて、しかし静かにフォルクスワーゲン・ゴルフは走り出した。その姿は次第に小さくなって、やがて大きくゆるやかなカーブを曲がり、完全に見えなくなった。そのようにして、また僕はひとりに戻った。

27 FEB '96


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2006年05月23日

たっくん


今でもそうだけど、小さい頃から僕はひどくわがままな子供で、君の受け持ちの子よりずっと我慢が利かない子供でした。とても思い出せないくらいたくさんのわがままを言い、周囲の人たちはずいぶんそれにこたえてくれたのですが、なんというか、僕はその小さなひとつひとつを思い出すとき、いつもうれしいようなはずかしいような、よくわからない気持ちになって、実際には目から流れることのない、泡状のなみだのようなものが、ブクブクと胸の奥のほうから湧いてきてしまうのです。

僕の父親の子供のころの話。
僕の生まれた町は、昭和のはじめごろにはなんの産業もなく、本当に貧しいところで、ほとんどの人びとが同じように貧しいくらしをしていました。僕の父親の家は、その中では比較的裕福な家で、扇風機やら何やらを”村(当時は村だった)で最初に買った”家だったそうです。そのなかでも父親に買い与えられた、村で一番最初の子供用の自転車は、ほかの子供たちにはなんともまぶしく映ったことでしょう。自転車なんてその当時は一家庭に一台、主にお父さんが乗るもので、それでも買えない家も多かったのに、それを自分専用に買ってもらった彼の得意は一応”現代の子供”である我われには、きっと正確に想像することはできないでしょう。

その自慢の、ぴかぴかの自転車はどうなったのか?
その日、村中の子供の前で颯爽とまたがったはいいけど、初めて乗る自転車が思い通りに進むはずもなく、ガキ大将だった彼の子分格の男の子たちこそおとなしく、順番にうしろを持ってあげたりしたものの、何度も何度もころび、だんだんに陽がかげり、ひとりふたりと家に帰り出し、ついにわずかに残った近所の子供のなかでも一番小さな女の子に大きな声で笑われた彼は、逆上のあまり、海を臨む崖の上から岩場に向かって自転車を放り投げてしまった(!)のでした。

これは父親の、得意の笑い話として遠方の客や親戚たちに披露されてきたもので、家のものは”またか”と思いながらも、はじめての聴衆にはまずまず好評だったように思います。
けれども僕は、その”父さんのいつもの笑い話”を聞かされるたびに、自転車にまたがって得意の絶頂だった父の顔や、食い入るようにみつめる子供たちの顔や、貧しかったその頃の村や、あるいは、おミソの女の子にまで笑われたときのカァッとしたきもち、せっかく買ってもらった自転車を、自分で崖から投げ落としてしまったあとの冷んやりしたきもち、夜のうちにこっそりと拾ってきた子が、明くる日みんなを連れて乗り回しているのを見たときの心が焦げてしまうようなきもち、そのような逆上とか、罪悪感とか、後悔とかいった言葉をおぼえる前の、キラキラとした原色のままの、彼のきもちのつぶつぶまで僕の手のひらに触れられるようで、そしてこの子供時分から実に短気だった人物との、どうしようもなく繋がっている線を自分のなかに改めておぼえ、そんなこんなが一体となり、泣き笑いとでもいったような、わけのわからない気持ちが、サイダーの泡のようにチクチクとまた湧きおこるのでした。

じゃあね。たっくんによろしく。

05 Jul '01



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6℃


今週はずっと雨が降っていて、今日もすごく寒い。最高気温は6℃の予想。そっちはまだ寒い?雪は溶けてもまだまだ寒いのだろうな。なに言ってんだろう?頭がうまく動かない。

三月で思い出すのは、白鳥渡来地のこと。
あそこは川の河口で、遠浅の干潟が見た目よりずっと沖まで続いているのだけど、一年で一番海の水位が下がる大潮の日が、三月の、たしか上旬だった。
僕がその話を聞いたのは、漁港にいたばあさんからで、五月のある日、思いがけずかなり潮の引いた渡来地を通りがかった時のことだった。そのときでもかなり海底が広く露出していたのに、それよりもずっとずっと、岸からはどこまで引いているのか良くわからないほど潮が引くのだという。
長靴を履いて、干潟を歩いたことがある?
そのばあさんの話を聞いてから、僕は暇にまかせて車に積んであった長靴を履き、干潟に降りてみた。砂地のそこは確かに海の底で、逃げ遅れた蟹や、海草がところどころに残る。ぬかるんでいて、でも少しも、わずらわしくもきたなくもない。陸の上とは明らかに違う風が渡る、海のなかの陸地。もしかしたら、僕がこれまでに行った、いちばん遠い処。

いつか、その大潮の日に、長靴を履いて沖まで歩いてみたい。まだ寒い北国の、とても寒い海の上。岸からは見えないほどの沖に向かって歩く。そんな日を思い描きながら毎日の仕事をこなす。明日から4月。もうひとつ年をとる。今年も大潮の日には間に合わなかった。

ま、いいか。とりあえず、部屋を片付けなくては。
それでは。

31 Mar '01                            


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2006年05月21日

37.8℃


昼過ぎから”ちょっとこれはおかしいんじゃないのか?”と思っていた。
夕方テレビをつけると、ニュースは”今日の東京の最高気温は37.8度に達し今年一番の暑さとなりました”と云っていた。夏場の東京の体感温度は、実際の気温より3度ぐらい高いのだそうで、その通りだとすると今日僕は40度以上の暑さのなかを歩いていた事になる。風が熱かったせいか、体からずいぶんと水分が失われたようで、夜になってもやたらに喉が渇く。日付が変わってようやく落ち着く。今年の残暑はひどく長くなりそうだ。週間予報は一週間先まで晴れ。気温は毎日30度以上。ふう。
それでも、朝の光や、夕暮れの色は確実に秋色を帯びはじめている。変わらない季節なんてない。それはさびしい事かもしれないけど、ある種の慰めにもなるかもしれない。真冬には真夏の日々を想うように、僕は残暑のさなかにも北の事を思い出す。

2月の終わり頃に小川原に行ったことがある。雪の少ない年で、暖かくなるのも早かったから、残雪もほとんど無かった。とても暖かい日で、車の中にいると汗ばんでしまうほどだった。2月末の平日の湖に用のある人間はそんなに沢山はいない。その日の小川原で僕は誰にも会わなかった。車を降りて展望台に上がった。すこし風があって、遠くに雲が見えた。水面はとても静かで、時々風が渡るのが分かった。対岸は霞んでいてよく見えなかった。じっとしているとさすがに少し寒くなった。岸辺に下りて歩く事にした。日陰には黒くなった雪が残り、日向にはもう無かった。コーヒーの空き缶があり、タバコの吸殻があり、片方だけの手袋が落ちていた。微かに土の匂いがした。マフラーが緩んだので、直した。いつもよりすこし丁寧に。空がいつもより青い気がした。とてもきれいだと思った。それからもうしばらく歩いた処で飽きて、車に戻った。エンジンを掛けて、コーヒーを飲みながら音楽を聴いた。何を聴いてたか思い出せない。コーヒーを飲み終えて、カセットテープを入れ替えて駐車場を出た。しばらく走って国道に出るまで一台もすれ違わなかった。
 君からの返事を読んで、体感気温40度の新宿の街を歩いていたら不意にそんな事を思い出した。小川原は僕も好きです。今度は6月とか、よい季節に行きたい。2月の末に行ったのが最後ではちょっと小川原がかわいそうな気がする。あまり気に留めていないかもしれないけど。

02 Sep '00


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