ベランダの鉢植えの桜が 日ごとに2つ3つと花を咲かせ
人知れず満開になっていました。
誰が見ていても見ていなくてもちゃんと毎年変わらぬ姿。
・・・かなわないなぁと思います。
10年続けたお店の根っこの想いは
このさくらのように誰が見ていても見ていなくても
変わらずいること、でした。
つぼみのまま残した日も 静かに咲き続けた日も
芽の出ぬ時も 種を蒔けずに掌からみんなこぼしてしまった時も
いつでもあの場所で変わらず
ちいさな灯りをともし続けることが出来ればそれでよかったのです。
12月22日さくらのみち最後の日
少しも大袈裟ではなくて
私の人生のなかであんなにも晴れやかに
スポットライトを当ててもらった日はなかったです。
争奪戦のようにケーキとお菓子が売れていき
抱えきれぬほど頂いたものは
お花と手紙とプレゼントだけではなかったなと
改めて思っています。
手紙とメールの返事も プレゼントのお礼状も
誰にもなんにも返すことが出来ずにいますが
・・・感謝しています。
さくらのみち店主
森岡美智代
夕べお店からの帰り道ぼんやり自転車走らせていたら
空からなにか降ってきた。
暗闇に突然ふわふわと舞い落ちてくるのが不思議な感じで
それが雪だと気が付くまでにほんのちょっと時間がかかった。
雪の降り始めを見たのは随分久しぶりだなぁ・・。
学生の頃やたらと空ばかり見上げていたからか
雪や雨の降り始めに気付くのはいつも私だった。
だからと言って雨だよー雪だよーと誰かに教えることもなく
傘を差すのも好きじゃなかったから
ぽつぽつさらさら いつも濡れて歩いていた。
雪が降るとばかみたいに口を開けて突っ立っていた。
当時クラス委員をやってたような真面目な女の子が
「これからは空気が汚染されて雨も雪も汚れてくるのよ!
傘もささずに雨に打たれてたら髪だって無くなって禿げちゃうんだから!」
なんてことをものすごい勢いでまくし立てていたっけ。
今から30年近く前のこと。
あの頃から環境破壊とか地球温暖化とか言われてたんだった。
・・・帰り道自転車止めてぼんやり そんなことを思い出してたら
雪にはしゃいでる幼い兄弟が道の向こうからやってきた。
傘をつつきあったりしながらお兄ちゃんが口を開けて雪を食べると
弟も真似して口を開けてパクパクしながらおどけていた。
可愛くてちょっといい光景だった。
ちょっと離れたところにいた兄弟の母親がものすごい勢いでとんできて
「こっんな汚い雪食べるなんて何してんのあんた達!
早く傘差して!手拭いて!もおぉっ!」って絶叫して
二人を引きずるようにして帰っていった。
もう名前も思い出せないけれどクラス委員だった彼女元気かなぁ
きっとあんな感じでお母さんになってるんだろうなぁ。
私は相も変わらずです・・。
銀座に出掛ける仕事が何回か続いた。
作家さんから個展の案内をもらって銀座に。
打ち合わせで銀座に。 出張カフェで東銀座に。
住所を頼りに界隈を歩くようになってふと思い出した。
そういえば20代の初め
毎日のようにこの場所に足を運んでいた時期があったなぁ。
コピーライターとして勤めることになった広告代理店と
その取引先だった出版社が東銀座にあったので
出来上がった広告を持ってほぼ毎日、界隈を歩いていました。
こう書くと ものすごいクリエイティブな
お洒落な仕事をしていたように思われそうですが
私が入った会社・・。入社してみれば雑居ビルの1室に机並べて社員6人
仕事といえばコピーライターなんて名ばかりの
胡散臭い美容広告を書くことだけ。
バブルの時代ならではの怪しい広告代理店でした。
「魔法の美容クリーム♪
1日1回 揉みこむだけでAカップがCカップに!」
・・こんな嘘ばかりの広告で人を騙していいんでしょうか?
当時20歳そこそこの真面目な私の問いかけに
いくつもの修羅をくぐってきた牢名主みたいなバイトのおばちゃんが
「Eカップ!って書きたいトコをCで止めてんじゃないのさっ!
あんたいいひとだよぉ~」とヘンテコに慰めてくれた。
おばちゃんは子供を捨ててまでして男と駆け落ちしてきたのに
その男にあっけなく捨てられて田舎にも帰れずにいるんだぁと
酔うとよく話していた。
小学生だった娘さんとはそれきり会うこともないけれど
その娘さんと私の性格が似てるといって酔うといつも泣いていた。
そして「あんたアタシみたいなだらしのない人間キライでしょ?」と
いつも泣きながら質問された。
だらしのない人間もだらしのない女性も納得できる理由があれば
そんなに嫌いになることもないけれど
だらしのない親だけはあんまり理解が出来ないというようなことを
いつも答えていたと思う。
自身の勝手で子供の人生に暗い翳りを落とす親は
どんな理由があっても好きにはなれなかったから。
その考えに今もあまり変わりはないけれど
どこかで懺悔しながらヒリヒリとした風に吹かれて
片時も救われることのない感覚のなかで生きている人がいることを
ぴかぴかした銀座の街を歩いていたら
唐突になんの前触れもなく思い出して
そして少しだけ仕方の無い状況もあるのだろうなぁと
すとんと腑に落ちて気持ちがクリアになっていた。
おばちゃんは今も娘さんと会えないままで酔うと泣いているのだろうか?
バブルの隙間にぶら下がりながら息をしていた様なあの会社は
もうとっくに無くなっているだろう。
その先の角を曲がれば ロビーだけは不自然なくらい立派だった
雑居ビルがふいに現われそうで確かめてみたい気にもなったけれど
結局そのまま大通りを歩いて駅までの道を急いで帰りました。
秋だというのに初夏のように薄ぼんやりとした風が吹いていて
なんだか妙に気持ちの底の底にまで吹いてきて
気がついたら子供のように駆け足で家路を急いでいました。
子を置いて自ら逝ってしまいそうな友人を
消えてしまいそうな友人を必死に連れ戻そうとする私の身体と
自分の闇の底を一度きちんと掴んで
そしてきちんと切り離してこないと何度も底に引きずられるから
静観するしかないと言い聞かせる私の心が
千々に乱れる日々を過ごしていたそのタイミングで
銀座の街を歩いたせいなのか
何だかいろいろなことを思い出してしまいました。
久しぶりに歩くその街はバブルが終わっても
ちゃんとぴかぴかしていたけれど
切ないほどにぎこちなくて一生懸命のぴかぴかに見えました。
それは あの頃の装っていた街や時代では
見ることの出来なかったものなのだろうなぁと思うのです。
自信を失くして切ないほどにぎこちなく
泣きながら微笑んでいた友人が戻ってきたら
ぴかぴかしたその街を一緒に歩いてみようと思う。
きっと今頃はクリスマスの飾りが華やかで
その灯りがいろんなところに沁みてきて
多分泣くんだろうけれどそんなことは構わずに
わんわん泣きながら歩けばいいんだよと思う。