『心の授業』10・・・自分だけの苦しみ、だから宿坊光澤寺がある。

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空を厚い雪雲が覆っている。

地表は雪で覆われていて凍り付いている様だ。

苦しみの中にいるとき、心の状態はこんな感じだろうか。

心がこんな状態であるとき、人は他の人のことを考えない。
自分の心の中に入ったままになる。

そんな心のとき、無理をしてはいけない。
無理をして氷の雪の中でもがくと、身動きできなくなります。

氷は溶かして行くのです。

どうしたら溶けるのか、それは何かに触れること。
人でもいい、花でもいい、宇宙でもいい。

でもそれは優しさがあることが大切。

苦しみのとき、人は周りが見えなくなる。
すると、「自分だけが苦しい」のだと感じてしまう。
そうすると余計に苦しさが増したり、孤独感に包まれたりします。

そして、その雪雲がずっとこれからも続くのだと感じる。

雲は流れゆくもの、苦しみだって同じ。
いつまでも続くものではない。

だけど自分でその心の雲を止めてしまうのです。

そうなると先が見えなくなる。

そんなとき、一番大切なことは、自分が帰ることができる場所があることだ。
できれば、自分をそのままに受け止めてくれる場所がいい。

そこはとざされて凍った心を溶かす場所です。
溶かせば、雲も少しづつ流れ出します。

実家や友人ではそれを溶かすことはなかなかできない。
自分に壁を作ってしまうからだ。

宿坊光澤寺は、そんな帰る場所であって欲しいと願っています。

その扉はすべての人に開かれている。

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ここだと自分を飾る必要がない。
それってすごく楽なこと。

あなたはあなたのままでいい・・・。

そうそれだけのことなのです。

日常だけにとらわれて生きるとき、それができないのです。

でもここは日常の思考からゆっくりと離れて行く場所。

もし何かあったとき、ここを訪れてみて下さい。

だからここは一日一組にしています。

一人でも一組。

一対一でゆっくりと向き合うこともできる。

そうすると普段は話せなかったりすることも、自然に口から流れ出す。
それって心の氷が溶け出してるってことなのです。

そんな心の安らぎの場所が人には必要なのです。



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暖冬から一転、大寒波の襲来・・・雪に思う。

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今年は暖冬になります。

少し前まで天気予報はそう言っていた。
1月~2月も暖冬になるといった感じでした。

ところがこの一週間は、日本列島が大寒波に見舞われています。
最近は積雪も少なめでしたが、今年の雪はすごい。

本格的に降り出して三日目だ。
今まで三日続けて雪かきをしたという経験はあまりない。

強風も吹き荒れて、国道でさえ車で走ると前が見えないときもあるくらい。

毎日20cm~30cmくらい積もっている。

雪が少なく暖冬だと、その年の農作物に影響すると言われる。
虫が越冬してしまうとか、雪不足が水不足につながるとか・・・。

冬らしい冬があった方が良いのでしょうが、ここまで降るとちょっと大変です。
高齢化と過疎化が進む村。
雪かきをするのにも一苦労です。

本堂の屋根を見ると、それほど積もっていないように見える。
これは寒さが厳しくて雪が風に舞う、さらには強風なので雪が積もらずに吹き
飛ばされるのです。

まだ当分寒さが続くようです。
これではとても暖冬だとはいえないでしょう。

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八頭町は四季の自然がそのままに訪れる町。

そういった意味では、冬には雪があった方が良い。
これも四季の自然である。

さいわいにも、豪雪で身動きとれないといったところまでは行かない。

どうも明日朝起きたら、また雪かきをしなくてはならないだろう。
今も雪が降り積もっている。

この土日は、法事などのお参りが続いた。
それでも法事などは雪が降ったからと言っても中止にはなりません。

さすがにこれない方もいらっしゃるが、法事は予定通りに行われる。
なので私も、とにかく雪かきをして車を出さないといけません。

表の道路まで約100mを雪かきします。
もう少しというところで、ある家の方が自分の家の雪かきした雪を、私が除雪
している道路にせっせと捨てていた。
そこが盛り上がって車が通れなくなっているのです。

さすがに「道路に雪を捨てないで下さい」とお願いする。
すると、「わしはここに捨てる、ここに捨てて何が悪い」と開き直られた。
そして私の目の前で雪をさらに捨てていた。

私がお寺からずっと車を出すために雪かきをしてきているのは、分かっている
のです。

過疎化は自分さえ良ければといった風潮さえ生み出すのかな・・・。
ちょっと寂しい気持ちになりました。

私がお寺を盛り上げようとしているのは、そんな村や町を支えるためです。
でもそれは、個々の人たちには関係なく、ただ私の思いだけなのでしょう。

過疎化と高齢化と社会格差は、人の心も変えてしまうのかな・・・。















大雪警報さらにはホワイトアウト、でも若桜町で新年会!

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今日は八頭町は大雪警報。

朝、雪かきをしても見るうちに雪が積もって行く。

法事に2件お参りした後、出かける前に雪かきをしたお寺に帰れない。
お寺に近い場所で車がスタック・・・。

途中の国道ではホワイトアウト状態、前が見えない・・・。

そんな中、今日はさらに雪深い若桜町で、若桜町を盛り上げる皆さんと新年会。

午後3時過ぎの若桜鉄道で会場に向かう予定が、車が立ち往生で乗れない。

あとは路線バスで若桜に向かうしかない、でも一時間に一本しかなく、この雪
ではいつ来るか分からない。
とりあえバス停で待とうと、近くの丹比駅前のバス停に・・・。

バスを待つこと一時間以上、気温はマイナス3℃、強風が吹き荒れ降り積もった
雪が風で地吹雪に。
きっと体感気温はマイナス8℃くらい。

でも皆が待つ若桜に行かねば・・・。

若桜はここ八頭町よりも山の中、雪と吹雪は半端ない。

一時間以上バスを待って、バスの乗っても若桜までの間、バスが風に吹かれ
て道路で揺れ、ホワイトアウトで前も見えない状態。

やっとの思いで会場にたどり着いたのは、お寺を出て2時間くらい経っていた。

それでも会場に着けば、20人くらいの方々がいらっしゃった。

写真は若桜鉄道の観光ガイドの広澤さんと多田さん。

みんな若桜鉄道を盛り上げようとされている方々。
若桜のの女性の皆さんもたくさんいらっしゃった・・・、とても頼もしい皆さん。

大雪だけど、ここは皆が熱いのだ。

今年は若桜鉄道感謝祭を5月に開催したい。
そんな思いを皆さんと話をしました・・・。

なんとかしたいですね。


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伊吹春香さんのイラストを宿坊で・・・。

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鳥取在住のイラストレーター、伊吹春香さん。

今晩の地元のテレビ局、日本海テレビのeveryというニュースで紹介されて
いました。

普段は会社にお勤めだそうですが、個人でイラストを書いておられる。

私はたまたま、年の瀬に若桜鉄道の八東駅にある「ひとやすみ」さんに行った
とき、ちょうど展示会をしていたのに出会った。

そしてそこに伊吹さんもいらっしゃいました。

facebookで展示会のことは知っていたのですが、行くときは忘れてた。
でもfacebookで見て気になっていた絵が突然あったので、ちょっとビックリ。

今日テレビで紹介されていた絵、実はそれが今、宿坊光澤寺にあります。

たまたま気に入った絵があったので、「これ買えますか?」って聞いたのです。

「まあ、売るような売らないような・・・」って感じの応え。

そんなやりとりがあって、宿坊に数点飾っています。

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宿坊に来られたら、伊吹さんの絵を見ることができます。

少しだけ伊吹さんの世界に触れることができる。

地元在住の若者が話題になるっていいですね、たまたまのご縁でしたが、
これからも頑張って欲しいですね。

宿坊も、いろんな楽しみがあるように、今年もいろいろと新しいものを準備
して行きたいと思っています。

いついっても、同じように感じられる。
でもどこか、いつも変わっている。

そんな場所でありたいと思っています。


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セルビアから新年のAIR MAILが届く・・・!

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今日ポストを見ると、一枚の絵ハガキが入っていた。

遅い年賀状かなと思っていたら、なんとAIR MAIL。
10月に宿坊に来られた方からでした。

投函してあるのは、セルビアのベオグラード。
バルカン半島にあるドナウ川流域の都市、セルビアの首都である。

10月に来られたときは、ポーランドを一ケ月旅された後でした。
「まだ時差ぼけです」と仰られていた様に思う。

こんな風に旅先から手紙をもらうのって嬉しいですね。
自分も旅に出たいなって感じたりします。

大学駅伝も応援されていて、宿坊に泊まられた次の日は出雲大学駅伝の応援
に行かれていました。

今回は、イングランドの湖水地方からスコットランドを旅された後。
結構な距離を旅されてますね。

マッサンの軌跡をたどられたご様子。
旅先で温かな人々との出会いがある様で、その楽しさが伝わってきます。

旅の楽しみは、景色や観光地だけでなく、そこの人たちとの交流にある。
こうやって地元の人たちと触れ合えるっていいですね。

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絵はがきは、ピーターラビットなので、イングランドで買われたものかな?

その絵はがきがセルビアに渡って、日本に届く。
これってやっぱり面白い。

いろんな想像をかき立てられます。

今はヨーロッパは、東欧が面白いらしい。

先ずは治安が良いこと、そして物価が安いこと。
さらには、親日国が多く優しい人柄、風景も美しい。

そんな話を聞いたので、東欧への興味が湧く。

ホテルや食事も安いという。

今度はポーランドからの東欧一周の旅に出たいな・・・。

と思った時からもう旅は始まっています。

地図と観光ガイド買って、どこを周るか行程を考える。

見る場所と食べるものを決める。

交通手段を考えて、あとは地図をずっと眺める。

海外に行くときはいつもこんな感じです。

なので行ったときは、ほとんどその街の地図が頭に入っています。

そろそろ計画建てようか・・・。

いつになるか分からないけど、思っていれば自然に流れが出来ます。

来年の出雲大学駅伝の頃にまた来られるそう・・・。
宿坊の良さは、世界や日本をいろいろ旅された方が来られるところ。
行ってなくても行った様な気になれるし、リアルな情報にアクセスできるのです。

これって役得!


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若桜鉄道丹比駅から見た冬の風景

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今日は八頭町の行政相談所の開設日。

僕は初めてのことでしたが、会場になっている宿坊からほど近い丹比地区
公民館に行きました。

民生委員とはいろんなところに顔を出すことになるものです。
今日の相談員もそうですね。

やはり現役で仕事をしていると、中々対応ができないのが現実ですね。
民生委員になり手がなくなっているというのも、よく分かる。

地域のコミュニティーが崩壊して行き、誰もが自分個人のことだけに関心が
向いている現代では、他人とか面倒なことに関わりたくないのでしょう。

こんな田舎でもそうなのですから、都会ではもっとそうだろう。
お互いに顔も知らない関係でしょうから・・・。

今日は2時間半そこで相談に来られる人を待ちましたが、誰も来られなかった。

そう言うものだろうと思う。

担当者数人でいろいろと話をしながら時間が過ぎるのを待つ。

日頃話をすることのない方々なので、いろんな話題になるので退屈はしない。

ただ形式だけの相談所と言えなくもないだろうが、かといって無くすこともでき
ないといった感じであろうか?

お寺の関係もそうだが、行政の関係もそういう役割や組織があふれかえって
いるのです。

ではどうすれば良いかと言えば、これと言った妙案もないのです。

なので慣習に従って続けているといったところか。
あとは監督官庁の方針変更によって変わるくらいでしょう。

その行き帰り、若桜鉄道の丹比駅を通った。
これから冬型の天候に変わって行くとき、駅の向こうに見える遠見山も雪景色
になりつつある。

でもこの景色も中々素晴らしい。

古い駅舎と寂れた町、その背景に山がある。
この山の正面に駅が造られ、そこから真っ直ぐに駅前の道路が続く。
以前は多少は活気があった商店街ですが、今はスーパーが一軒あるくらいに
なりました。

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お寺ではタルチョが風に舞っていた。

これから寒くなるな・・・。

あまり積雪が多いと大変なので、雪が少なければ良いのだが。
これも思い通りにはいかないだろう。

冬の八頭をどうやって楽しむか、それもこれから大事なことです。








本願寺新報で、「やずブータン村まつり」を紹介!

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今日届いた浄土真宗本願寺派の新聞、「本願寺新報」。

そこの「読者のひろば」欄に、昨年11月に開催した「やずブータン村まつり」の
様子が掲載されています。

この新聞は、宗派が発行している新聞で、所属寺院1万ヶ寺と、熱心な門信徒
の方々が読まれているものです。

宗派のことを知るには、一般的なものではこれが一番だと思います。

そこには「読者のひろば」欄があって全国の寺院で開催された行事やイベント
などが投稿されてきます。

各寺院も、自分のお寺のことを紹介し広く知ってもらいたいときなどに、記事と
写真を送っているもの。

私もお寺に戻ってからは、子ども会や老人会などの行事やイベントなど、気に
なるものがあったとき、いろいろと投稿してきました。

檀家さんでこの新聞を購読されている方もおられ、ときどき「最近光澤寺が
載ってないね」などの声をいただくことがあります。

なので昨年と今回となるべく忘れずに投稿するようにしています。

やはり誰でも、自分のお寺が載っていると嬉しいものですね。

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今回も掲載されたので、今度お会いしたときには話題になると思います。

なるべく毎年載せてもらう様に投稿しているので、私がお寺に戻ってからでも
10回近くは載せていただいているかも知れません。

そして、宿坊を開設した2012年の10月10日号では、なんと一面トップで
掲載していただいたこともあるのです。

「読者のひろば」欄は、それぞれのお寺が投稿するものですが、記事の方は
記者さんが取材をして書かれるもの。
そのときも宿坊に取材においでいただき、記事になりました。

当初は2~3面くらいの小さな紹介記事かなと思ったのですが、西本願寺も
お寺の新しい取り組みを展開するタイミングでもあったので、あれよあれよと
言う間に一面トップ記事になったと、取材に来られた記者さんが仰っておられ
ました。

確かに、浄土真宗の宿坊って全国でもほとんど例がないときでもありました。
また、過疎地の寺院での新しい動きも模索されているとき。

そのときの記事と、取材にお越しいただいた記者さんがこちら!

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懐かしい思い出です。

宿坊を始めて半年、これからどうなるかなと思っていた頃です。
私もまだ取材慣れしていなかったですね。

でも夜遅くまでお寺のことをずっと飲みながら話していた。
記者さんには感謝しております。

朝日新聞さんや日本海新聞さんが取材に来られ、本願寺新報でトップ記事
になった。

その後は宿坊雑誌での紹介や、NHKさんのロケが入ったり。
この5年間で、テレビのロケがたくさん来られ、新聞でもたくさんご紹介いただ
きました。

さらに雑誌でも取材があり、昨年10月には中國新聞さんや週刊女性自身さん
でも紹介していただきました。

自分がというよりも、宿坊を始めたのが時代の流れにちょうど合っていたとい
うことを感じます。

この3月で宿坊を始めてちょうど5年になります。
その中でいろいろ感じたこともたくさんあり、いろんな方との出会いがありました。
その一つ一つが私の財産となり、宿坊の空気感を作ってきたと感じます。

これからも一日一組での対応を基本として、お一人お一人と向き合って行く宿坊
のスタイルは変えない。
でも日々新しく変化して行く宿坊にして行きたいと思っています。

以前来たときと何も変わらない空気感、でも何か大きく変わっている様な感じ。

そんな感じでしょうか。


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『こころの授業』9・・・心とは何か②、マインドフルネスとは。

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心とは何か・・・。

単純に言えば、ただの思考でしかない。

英語的に言えば、シンキング。

なので仏教はシンキングを手放すことが本質。

自分はこうだとか、こうでなくてはいけない、という思いを手放す。
そうすると、その思いはスッと心からなくなる。
ただそれだけのこと、でもそれが難しいのだけれど。

もちろん何層にも重なった心の状態を仏教では唯識で解き明かす。

ヨーロッパの現代心理学レベルのことは、仏教ではすでに二千年前から説か
れている物ばかり。

なので心理学を研究するなら、仏教を学べばいい。
でもそれは日本の大乗仏教ではありません、お釈迦様の仏教から大乗仏教に
至るまでの系譜になります。

なぜ仏教が良いかというと、お釈迦様がその解決方法を示しているからです。

西洋哲学や心理学にはその解決策が述べられていないことが多い。

でも仏教は心理学や哲学などの学問が目的ではなく、心の解決をすることを
目的としているからです。

まあ難しい話しはこれくらいにして、私たちが日常において心と感じているもの
は、思考レベルでしかないということ。

その思考によって、苦しみが生まれ、悩みや悲しみがあり、現代人のストレスも
ここに存在する。

仏教的に原因と結果という縁起の観点から見ると、ストレスが生じるのは思考
するからであるとなる。

ストレスを取り除くには、答は簡単、思考しない自分になれたら良いのです。

それは思考停止ではなくて、思考から離れられる自分になれば良い。
思考を手放して行くのです。

思考を手放せば、ストレスの原因である思考が無くなる。
すなわちストレスも生まれないということなのですね。

今ブームになっているマインドフルネス、これは東南アジアの仏教である瞑想
がベースにあります。

仏教がベースなので、仏教的理解をしておかないと、ただのエクササイズにしか
なりません。

テレビや雑誌で取り上げられるものは、ほとんどがエクササイズでしかない。
なのでそれほど効果はありません。

仏教って言っても、葬儀や法事をやるのが仏教ではない。

人々の心を解き放つ教えが仏教なのです。
なので、宗教という枠にとらわれる必要が無いものです。

じゃあ今日マインドフルネスをやって、すぐにそうなれるかというと、成れる人も
いるそうではない人もいる。

ただ継続してやって行けば、ストレスは簡単に取り除けるようになります。

その前提として、宿坊光澤寺では瞑想の前に必ず『こころの授業』をやっている
のです。

ここで心の基本的な部分を知った上で、マインドフルネスに入って行く。

そうするとその意味が分かるので、入って行きやすくなります。
意味も分からないでマインドフルネスをやっても、ほとんど効果はありません。
ただ何となくオシャレって感じになれるだけです。

瞑想って本当に気持ち良いです。
確かに東南アジアのミャンマーやスリランカにある瞑想センターで、一生瞑想
だけして過ごせたら幸せかもしれないと思います。

日常のことに煩わされることがないですからね・・・。

でも日本ではそうもいかないので、簡単に瞑想に入るスタートアップと、思考
を簡単に消す作業を体験していただいています。

あとマインドフルネスにはセットになる瞑想があるので、時間があればそちら
も体験していただいている。

これってセットでなければ、本当のマインどフルネスに入って行きません。

全てを丁寧にやれば、やはり2時間~3時間くらいかかってしまいます。

簡単なスタートアップであれば、30分~1時間でも対応できます。
でもそれは、本当のスタートアップだけになってしまいますが。


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『こころの授業』8・・・苦しみの仕組み、そして今を生きるということ。

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苦しみの仕組みってどうなっているか。

ここでの苦しみとは、あくまでも心の作用による苦しみのことで、肉体的な苦しみ
とは違うという前提です。

今までもお話ししてきましたが、「思い通りにならないこと」それが「不満足」となる。
それを苦しみという。

そのときの心の状態を見てみると分かりやすい。

たとえば、あるものが欲しいとする。
その物を手に入れたいという思考、つまり欲しいという心が生まれます。
でも手に入らないときは、その物がないという思考である心も存在する。

欲しいものを手に入れたいという理想の心と、手に入っていないという現実の心。
その二つの心が同時に発生します。

その二つの心に差が生まれます。
その差のことを苦しみと言います。

実は、心の苦しみとはこれしかないのです。
そうかなと思われる方は、ご自分の苦しみを見つめてみてください。
そうすると、それがよく分かります。

この心の差が、「思い通りにならないこと」であり、それが「不満足」となって、心を
作り出していることが理解できると思います。

家が欲しい、でも家が買えない。
お金が欲しい、給料が上がって欲しい、でもお金がない、給料が上がらない。
彼氏が欲しい、でも彼氏がいない。
あの車が欲しい、でも買えたのは別の車だ。
社長になりたい、でも出世できない。
モテたい、でもモテない。
美味しいものが食べたい、でも食べられない。
あの店に行きたい、でも遠くて行けない。
ガンになりたくない、でもガンになった。
いつまでも元気でいたい、でも身体の自由が利かない。
会社のあの人がいなければいいのに、でも会社に行けばあの人がいる。
クレームがなければいいのに、でもクレームがある。
勉強ができたら良いのに、でも成績が悪い。
東京大学に入りたい、でも受験で落ちた。

『無量寿経』にこんなことが書いてあります。

「田なければ田なきことを憂い、田あれば田あることで憂う」

すなわち、人はどんな状況にあっても悩み苦しむということです。

待望の家を買った、そうすれば満足なはずです。
でも家を持った時点で、地震になったらどうしよう、火事になったらどうしようと
考える。
子どもたちの為に買った家だとしても、その子どもたちが家で遊んで壁を壊す
と怒る。
さらには、ローンが払えなかったらどうするか・・・。
そして、時が経つと修繕という作業が待っている。
最後には、子どもたちが一緒に住んでくれると思っていた家から、子どもたち
が出て行ってしまう。
期待していただけに喪失感が大きくなる。

これって、家があるばかりに起こる苦しみなのです。

でもアパートだったら、狭くて物が邪魔になる。
子どもたちが大きくなったら、子ども部屋が欲しい。
庭のある家でバーベキューしたい。
ベランダでくつろぎたい。
広いキッチンがあれば、美味しい料理も作れるのに・・・。
お風呂もゆったりと入りたい。

こんな感じでしょうか・・・。

ここでいう、自分が理想とする心。
それを仏教では執着というのです。

執着とは、現状の不満足によって起こってきます。

日常では、もちろん愛も執着です。

愛する人と巡り合い結婚できたら幸せだと思う。
だけど、その人よりもっと好きな人ができたら不倫となる。
不倫をしている自分よりも、自分の夫が目障りになったりするのです。
ときにはそれがエスカレートして、相手を殺すことでさえあるのです。

満足とは、それを手に入れた瞬間に不満足に転換するものということも知って
おくことが大切ということ。

日常とはそういう世界で出来上がっているのです。
なぜなら、その人の日常とは、その人の思考回路の中にのみ存在する世界
だからです。

価値観がすべてそうでしょう。
価値観はその人の思考回路のクセによって生まれるものです。

その価値観は、すべて一人一人違う。

だから、ある人にとっては大きな苦しみでも、別の人にとってはまったく何でも
なかったりするのです。

たとえば、中国と日本、韓国と日本、アメリカと日本。
見る場所や位置によって、すべての価値観が異なります。

アメリカでは英雄でも、日本では逆の見方であったりします。
それは、原爆を投下したアメリカ軍の兵士ということを考えると分かります。

私たちが何となく自分の心と思っているのは、せいぜいが思考回路でしか
ないのです。
その思考回路がクセによって、それぞれの価値観を作り出している。

実は、その思考回路のクセを自分と表現します。

でもそれって、思考回路でしかないので、自分探しをしても自分って見つか
らないのです。
なぜなら、この根源は思考回路の中にないから。
それだけのことです。

私たちが心ではないかと何となく感じているのは、このレベルのことでしかあり
ません。

なので、日常はそれぞれの思考回路の中にのみ存在し、思考回路でできあが
っているのだから、所詮それぞれの物語でしかないということ。

その物語も、その人のこの世のいのちの終わりを持って、ジ・エンドとなるわけ
です。

みなさんの亡くなられた先祖のことを思ってみてください。
たとえば、お祖父ちゃんだったとします。

そのお祖父ちゃんの人生をすべて分かる人はいますか?
そのお祖父ちゃんの心を知っていますか?
そのお祖父ちゃんの日常って、今ありますか?

すべてNOだと思います。
「お祖父ちゃんはこうだった」と言われる方があるかもしれませんが、それはあく
まであなたが思考するお祖父ちゃん像でしかないのです。

ただそれだけのことなのです・・・。

でも物語であれば、たとえば過ぎ去った過去は変えられない。
でも、これから来るであろう未来は、今の自分によってストーリーを紡いで行く
ことができるということに気づけばよいのです。

なぜなら、仏教の縁起とは、すべての事象は原因と結果があるということ。
つまり過去の原因によって現在が存在する、でも現在は常に未来の原因である
ということでもあるのです。

であれば、今の自分がどう生きるかによって、未来の自分が変わるということ。

ただ、その未来がいつまで続くのかは誰にも分からない。
東日本大震災、熊本大地震、相次ぐ災害や事故や事件。

誰しもが、それに遭遇する直前まで自分が死ぬとは思っていなかった方ばかり。
それも人生なのです。

つまり人生自体が、自分の思い通りにならないということ。

それに気づけば、結局は今をどう生きるかしかないのです。
そして今という時間は、一瞬のうちに過去に流されて行っている。

そういうことなのですね。

この続きは、またどこかで・・・。


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『こころの授業』7・・・四苦八苦について語る。

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四苦八苦

これは人が逃れられないものです。

日常を生きるとき、すべての人はこれに苦しみ悩む。

四苦はいのちに関わるもの、お釈迦様がこの四苦から人々の心を安めたいと
仏教を説かれたのです。

八苦は心に関わることになる。
心も日常によって引き起こされるものです。

世の中には、いろんな悩みや苦しみや悲しみがある。
でも最後には、すべての苦しみはこの四苦八苦に行きつくのです。

四苦は、「生老病死」。

命あるものは、これから逃れることができません。
でも何とか逃れたいともがく。

その時点でそれが苦しみになって行くのです。

八苦は以下の通り。

愛別離苦・・・愛するものと必ず別れるときが来るという苦しみ。
怨憎会苦・・・憎しみ怨みのあるものと会わなくてはいけない苦しみ。
求不得苦・・・求めたものが手に入らない苦しみ。
五蘊盛苦・・・身体や心、それにまつわるものすべてが苦である。

四苦八苦という言葉はよく知っていても、では一体どういうことかとなると、
実は意外と内容を知っていないという人は多い。

さらにはそれが仏教の教えだとは思っていないのです。

仏教の原点は、この四苦八苦にあるのです。
ここから人の心を安んじ、そして解き放つ教えが仏教なのです。

何も葬儀や法事をすることが仏教はないし、お墓のことなど本来はまったく
関係ないのです。

この「四苦」から、縁起が説かれ空として展開される。
これは宇宙全体を考えても、縁起から外れるものは何一つないということ。

たとえそれが、いのちがあろうとなかろうと・・・。

夜空に輝く星にも寿命があると・・・、と言う歌ではないが、そういうことなの
です。

何も私だけが、ということではない。

でも人はいつも、なぜ私が・・・、と考えるのです。

そこから苦しみの連鎖が始まって行く。

そして周りと自分と比べる。

それはさらに深みにはまって行くのだ。

日常とは、「周りとの比較」・「見返りを求める」、そんな世界です。
その両方ともが、苦しみを生み出している原因なのですが・・・。

たとえば、比較することなく自分のいのちを知る。
そして見返りを求めない生き方をする。

実はそれだけで、生き方が大きく変わって来るのです。
でも日常に囚われている限り、なかなかそこに思いが行かない。
だから苦しいのです。

「四苦」をちょっと考えてみる。

これは、生れたくて生まれてきた人は誰一人いない。
誰もが歳を取りたくないし、ましてや病気にもなりたくない。
そして、いつか死ぬのは分かっているが今は死にたくないとか、元気でいて
ぽっくりと死にたいとか・・・。

でも思った通りにはなりませんね。

そう、この四苦の苦とは、元々仏教では「思い通りにならないこと」という意味
だったのです。

「思い通りにならない」とは、人に不満足の心を起こさせます。

この、「思い通りにならないこと」そして「不満足」のことを苦しみというのです。

なので苦しみは誰もがすべて同じですね。

たとえば、すべてのことが思い通りになっていたら、それは苦しみを生みません。
さらには、あることを全く気に掛けない人は、そのことで苦しむことはない。
なぜなら、そこに思いがないからです。

そういうことなのです。

意外と単純。

でも日常という物語の中が自分の全てと思っていたら、そこから抜け出すことが
できない。

それで人は苦しみます。

だってそうでしょう、日常って思い通りにならないことばかりなのですから。

たとえ望みがかなっても、そこから苦しみが始まっているのです。

なぜなら、人の思考回路には、満足という意識がすぐに上書きされます。
次の意識ではすでに不満足の思考に入っているということ。

満足とは、それを手に入れるまでの瞬間であって、手に入れた瞬間に不満足
の回路に転換します。

なので永遠に不満足の連続でしかないということ。

それをどう捉えれば、心が安らぐのか、悩みや苦しみから逃れられるのか。

その答えは、これからゆっくりと、この授業の中でお話しして行きたいと思い
ます。


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花を見るともう春がそこまで来てる・・・。

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いつもは二月の中旬ころから咲く蝋梅。

今年は一か月以上早く咲いている。

ヒマラヤユキノシタも十二月から早くも咲き始めた。

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万年青(おもと)も今年は赤い実をたくさんつけている。
こんなに実を付けることは、あまり見た記憶がない。

境内には、他にも赤い実をたくさん付けているものもある。

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今までは本当に穏やかな冬になっている。

ただ来週は一週間、雪模様の予報が出ている。

少しは冬の寒さも必要かなと思うけど、生活ではやはり雪がない方が有り
難い。

あまり厳しい寒波ではないことを願っている。

木々も季節を早取りし過ぎなのかな・・・。

宿坊では、冬には冬の景色を楽しめます。

四季の自然が豊かなのが、ここの魅力です。


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『こころの授業』6・・・心とは何か①?

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生きる上で大切なもの。

家族・健康・お金・名誉や地位・友達・家・車、恋人・彼女・結婚相手・・・。

みなさんに浮かぶのはこんな感じではないでしょうか?

これに共通するものってなんでしょう。
つまりすべて日常に起因するものということです。

これが現実と思い込んでいる自分という存在を示すものでしょう。
でもここに自分はいません、ただそれだけのことです。

では、これらが大切だと思うのはどこかということです。

それは、自分の心がそう思っているということです。
他人でも誰でもなく、自分自身の心が思っているということです。

では心って何ですか?

と聞かれたときに、心というのはこう言うものです。
とはっきりと応えられる人に、まだ出会ったことはありません。
つまり心がそう思っているのに、その心って何かを知らないままなのです。

人生を生きる上で、知らないことには不安が付きまとう。
さらには、どう対処したらよいか分からない。

なので人は迷い苦しみ、悩み喜ぶ。

でもその根本は何かも分からずにそう感じているということなのです。

生命体は、その誕生から自分たちの子孫を残すことだけを中心に存在して
いるのは間違いない所でしょう。

その為に、多くのDNAがそこに組み込まれて来た。

それは生存競争に勝ち抜くためのDNA。

つまり、他者と自分とを比べる、自分の弱みを知る、弱者を従える。
弱肉強食、適者生存、など様々な試練を掻い潜ってきている。

そんな中で、自分の意志であるかのように、様々な思考回路が走っている
のです。

それが、私たちが心と思っている正体ですね。

そこに、自分が誕生してからの体験や経験が積み重なって、自分という
クセができて行く。

そのクセを自分というのです。

ということは、本当の自分何て何もないということも分かるでしょう。
人は、自分という枠を作る様に思考回路ができている。
自分という枠がないと、心配でしょうがないのです。

でも仏教の目的って、最終的にはこの自分という枠を取り去ることにあります。

自分という枠があるからこそ、その枠の中で自分が苦しんでいるのですから。

でもその枠って一体誰が作ったのでしょう・・・?

自分でしょうか、環境でしょうか、条件でしょうか?

それで作られた自分を、本当に自分というのでしょうか?

でもその肉体は・・・?

その肉体を自分というのでしょうか?

その肉体を自分というのでしたら、その肉体を管理できていますか?
その肉体をコントロールできていますか?

もしできていたなら、病気にもなることはないし、老化することもない。
でも誰もが、生老病死の四苦から離れることはできない。

では肉体を持って自分と言えるのか?

今の自分の地位を自分と言えるのだろうか?
その地位は、誰にとっても同じ価値観を持つものだろうか?
それは虚像でしかないだろう。

さらには、一体いつの自分を自分というのだろうか?

10年前の自分と今の自分は、顕かに違う。
でもどちらも自分なのか?

では幸せって、一体いつが幸せだったら幸せなのか?

死ぬときでしょうか?

願いがかなったときでしょうか?

いのちとは、常に移り変わって行くもの・・・。

そこには何一つ実体はない。

それゆえに、諸行無常 諸法無我 という。

その囚われから、心が解き放たれるとき、さとりという世界がある。

ちょっと今日の話しは、訳が分からなくなったのではないでしょうか?

でも結構重要なポイントでもあります。

心とはと言いながら話しは飛びましたが、心のことをお話しするには、こんな
ことも大切だったりします。


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『心の授業』5・・・ピーコの生き方、ジコチュウで行こう!

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と言っておりましたら、自己中心派の総元締めがこちらに・・・。

ピーコには新年も何もない、多分いつもおめでたいのではないだろうか。

自己中心派ですから、自分のことで悩むことはないだろうと思う。

そういえば昨年のお盆前、イギリスに単身赴任されている方が親子で宿坊
にやって来られたことがある。

そのとき、「今日本はストレス社会と言われていて、鬱がとても問題になって
いるけど、イギリスもやはりそうですか?」
とお伺いしたことがあります。

するとその方は、「あるのかも知れないけどほとんど聞いたことはないです」
と言われたことを思い出す。

「それはなぜですか?理由があるのですか?」
すると、「いやーだって彼らは自己中心的だから、自分たちのやりたいように
しかやらないよ」。

そうか・・・、自己中心的だから周りに左右されないのだろうな。
「イギリス人は、今でも自分たちが世界で一番偉いって思ってるよ、きっと」

こんな話をしたことがあります。

日本では、自己中心的という言葉はあまり良い意味で捉えられていない。
どちらかというと、「ワガママ」と解釈されているのでは・・・?

なので、自分というものをうまく表現できないという一面がある。
そうなると、心はつい自己否定的になってしまうのです。

自己否定や自己批判は、苦しみにつながります。

ということは、日本社会って自己否定に陥りやすいってことになる。

人って生きてる限り自己中心的なんだってことを知ってれば良い。

ピーコはそんなことさえ考えずに生きてる。

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まあ、それでいいのだろう。

ちょっと自己中心で生きてみる。

今年はそんな感じはどうでしょう。

自分のいのちを生きる。

ただそれだけのことなのです。

ちょっとはピーコの生き方を見習ってみようかな・・・。

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『心の授業』4・・・今年は、自己中心であるということを感じてみるのも良い。

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自己中心。

この言葉は、日本ではあまり良い意味で使われないことが多い。

でも人って、生きてる限り自己中心なんだけどな・・・。
そんなことを思ったりする。

自己中心でしか生きて行けないのに、ジコチュウではいけないと言われる。

だから苦しんだりするのではないかな。

人はなかなか自分を客観視することができない。
いつも自分自身の視点から物事を見て、判断をしているのです。
判断してるのは自分の思考回路しかない。

ということは、人は常に自己中心であるということなのです。

このときの自己中心は、世間一般でよく言われる「ワガママ」とは、ちょっと
ニュアンスが違います。 

たとえば、私たちがすべてと思い込んでいる日常って何?

日常とは、自己中心的な自分だけの物語。

それが日常というもの。
その人の、この世のいのちが尽きれば、その人の日常は消え去ってしまう。
日常が現実と思っていても、それはその人にとってのことだけ。
つまり思考回路で構成されているとすれば、それが実態ではなくて物語で
しかないということが分かる。

自己中心の物語をどう展開させて行くのか・・・。
それが日常を生きて行く上で重要なことになる。

自己中心でしか生きていない自分の存在をしっかりと見つめる。

自分のことは自分でしか分からない。
でもその自分でさえ、本当の自分のことを知らない。
なので自分探しをしたり、生きる意味を問うたり、自分を変えたい、などと
考えるのでしょう。

私たちが考える自分何てどこにもないのに・・・。

だから、自分というものや、生きる意味などは、自分で決めることでしかない
のです。
それはあくまでも心、つまり思考回路の中の作業でしかないから。

突き詰めると、存在でしかない。

なので日常は、自己中心で良いのです。
人に迷惑を掛けることが、自己中心ということではありません。

自己中心とは、自分のいのちを生きるということだと思っている。
日常とは、いのちの上にのみ存在するもの。
いのちがなければ日常も存在しない。

そのいのちを生き切る。

それが自己中心ということ。

日常は、比較や見返りを求めて行く世界。
そこにとらわれている限り、自己中心ではいけないという反作用が心に起き
てしまう。
それが自分を苦しめることにもなる。

そこから離れてみると、少し楽になったりする。

今年は、自己中心である自分という存在を、感じてみると良いのでは・・・。



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葬儀に想う・・・2017年という歳

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元旦の夕陽。

初日の出はみんな気にするのだが、初夕陽はあまり騒がない。
というよりも聞いたことすらない。

別に初にこだわる必要はないのだけれど、何となく初夕陽って感じた。
極楽浄土は西方にある、つまり日が沈んで行く方角。

日常が終わりを告げる、そんなイメージかも知れない。

年末に葬儀の連絡が二件続きました。
私は大晦日であろうが元旦であろうが、問題はない。
いつでもお参りさせていただく。

ただ元旦は火葬場が休みなのです。
そんなこともあって、2日と3日の葬儀となりました。

どちらもごく身近のご親族だけの葬儀でした。
僕はそれはそれで良いと感じます。

これからの葬儀はそうなって行くのだろうと思う。

故人に関係のない方々がたくさん集まる時代は終わったのです。

お一組は、もしかすると生前にいろいろとお話しをされていたのかも知れない。

身近なものだけで葬儀をして欲しい。
後は誰にも知らせなくて良い。

そんな感じではなかったか・・・。

遺された者が困らない様にとの思い。

私は葬儀のときに、亡くなられた事情を聞くことはない。
なぜなら、葬儀という儀礼を執り行い、故人を精一杯お見送りすること。
それが私のやるべきこと・・・。

全てのいのちは同じである。
たまたま亡くなられた理由や背景は違っても、それで左右されることがないから。

ただ年齢や性別なので、ある程度のことは感じます。

唱えるお経や言葉を選んでゆく。
もちろん本願寺派の規範に合わせているが、それでもその一つ一つをしっかりと
自分で選ぶ作業をしています。

そしてそこに込められた意味を問うて行きます。

それが私の口から出るときは、既にそれは私によって唱えられたものではなくなる。

すべて仏の言葉となるのだ。

それを承知していない僧侶は多いのではないかと思う。
だから「俺が葬儀をしてやった」となり、「お布施はこうだ!」となるのではないか?

そんなことはないのだけれど・・・。

今年は、檀家さん以外にも葬儀を執り行って行くつもりでいます。

それは本堂の納骨堂整備も含めて、過疎化に晒されている寺院を守って行く為
である。

もう動きださないと遅れてしまうことになる。

タイミング的には今年がいいだろう。

もう十分に機は熟した。

これから一気に展開を早めなくてはいけない。

宿坊を始めるときもそうだが、すべてはやってみなくては分からない。
けれど、やらなければ何も変わらない。

お寺を次世代に継承するために、ただそれだけの思いである。

自分のことだけなら、そこまでする必要はないのです。
そこがポイントなのだ。


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