
「我至成仏道名聲超十方、究竟靡所聞誓不成正覚。為衆開寶藏廣施功徳寶、
常於大衆中説法獅子吼。」
「われ仏道を成らんに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、
誓ふ、正覚ならじと。衆のために宝蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん。つねに
大衆のなかにして、説法獅子吼せん。」と。
これは『無量寿経』にある「重誓偈」に。
ここに、「つねに大衆のなかにして、説法獅子吼せん」、とある。
その前には、「衆のために宝蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん」、ともある。
これは、法蔵菩薩つまりのちの阿弥陀如来の決意なのだ。
もちろん、私たちはその名を聞く、そしてそのいわれを聴く、そしてまたその名
を聞くのである。
聞くこと、そしてその結果何が必要なのか?
私たちは法蔵菩薩ではない。
でも、その声を聞いたなら、私たちはその思いをしっかりと受けなくてはいけない。
まして僧侶であったなら、そうすべきであるのだ。
絶対他力の法を知る、他力に出遇うからこそ、そこから何をせねばならないの
か、何を伝えなくてはいけないのか。
それは、常に大衆のなかにして、衆のためにその教えを説き、その教えによって
衆の迷いを解き放ち、その心に安心をもたらすよう、獅子が吼えるように、教えを
力強く、勇気を持って伝えるのだ。
その法蔵菩薩の思いと決意を、私たちは聞き、そして伝える。
それは強い意思と決意をもって伝えるのだ。
その様に私は受け止める。
そして、挫けそうなときも、勇気を持って踏み出していかなくてはならない。
そう自分を励ますのだ。
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