宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

説法獅子吼せん。

獅子

「我至成仏道名聲超十方、究竟靡所聞誓不成正覚。為衆開寶藏廣施功徳寶、
常於大衆中説法獅子吼。」

「われ仏道を成らんに至りて、名声十方に超えん。究竟して聞ゆるところなくは、
誓ふ、正覚ならじと。衆のために宝蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん。つねに
大衆のなかにして、説法獅子吼せん。」と。

これは『無量寿経』にある「重誓偈」に。

ここに、「つねに大衆のなかにして、説法獅子吼せん」、とある。
その前には、「衆のために宝蔵を開きて、広く功徳の宝を施せん」、ともある。

これは、法蔵菩薩つまりのちの阿弥陀如来の決意なのだ。
もちろん、私たちはその名を聞く、そしてそのいわれを聴く、そしてまたその名
を聞くのである。

聞くこと、そしてその結果何が必要なのか?
私たちは法蔵菩薩ではない。
でも、その声を聞いたなら、私たちはその思いをしっかりと受けなくてはいけない。

まして僧侶であったなら、そうすべきであるのだ。

絶対他力の法を知る、他力に出遇うからこそ、そこから何をせねばならないの
か、何を伝えなくてはいけないのか。

それは、常に大衆のなかにして、衆のためにその教えを説き、その教えによって
衆の迷いを解き放ち、その心に安心をもたらすよう、獅子が吼えるように、教えを
力強く、勇気を持って伝えるのだ。

その法蔵菩薩の思いと決意を、私たちは聞き、そして伝える。
それは強い意思と決意をもって伝えるのだ。

その様に私は受け止める。
そして、挫けそうなときも、勇気を持って踏み出していかなくてはならない。
そう自分を励ますのだ。


山里もおそい春の装い・・・雪国の春の花たちの饗宴。

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山里にもやっと春の装いが・・・。

ここは東北や新潟ほどは雪は降りませんが、山陰もやはり雪国かな。
つい先日も春雪が。

気温が低く、庭の紅梅もやっと開花がはじまった。
例年より1ヶ月くらいは遅いそうです。

そうすると、境内や庭のあちこちに、春の装いがありました。

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こちらは、ヒマラヤユキノシタの花。
チベットでも、今ごろ咲いているのだろうか。

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こちらは、日本のユキノシタ。
同じユキノシタでも、かなり違う、そして花は咲かない。
でも、どちらも雪の下で、葉を緑のままに春を迎える。

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池に浮かぶ、サザンカの花。
まるで飾っているかのようです。
自然のままに・・・・。

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境内の木には、こんな可愛い花も。
とても小さく謙虚に咲いています。
でも鈴なりに、たくさん花を咲かせている。

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庫裡の前の庭には、昨年植えたミントがたくさん葉をつけていた。
昨年植えたときは、立木であったが、冬を越してみると、土に根をはわして
いる。
これも自然のなせる業?
庭に低く、強い風と雪に耐えているのだ。

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こっちにも、昨年植えていた花が、雪どけと同時に花を咲かす。
やっぱり生命力って強いと感じさせられる。

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牡丹もつぼみをつけている。
牡丹の花は一瞬である。
そのはかなさも表現される花。

でも、その瞬間は美しい。

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シバザクラの花。
昨年より境内の片隅に植えている。
いづれは、その一帯をシバザクラでいっぱいにしようと思っている。
可憐な花だな。

春先から5月くらいまで花を咲かせてくれます。

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沈丁花の蕾。
本当は、もう花を咲かせていてもいい頃。

でも今年はまだだな、はやくその香りで楽しませて欲しいですね。

いよいよ、山里の光澤寺も、春本番ですよ。


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仏教ルネッサンス塾から・・10年経った今。

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僕が東京で会社員をしていた頃、東京には仏教関係のイベント紹介雑誌
があった。
多分、季刊くらいではなかったかと思う。

たまたま、その雑誌をある講座で見つけて、そこに興味のある講座を見つ
けては、毎週どこかに出かけていた。
そして丁度、上田紀行氏の「仏教ルネッサンス塾」に出会った。
「がんばれ仏教」という本を出されたばかりでもあった。

閉塞感のあった日本仏教を、本来の輝きを取り戻そうという試み。
場所は、芝公園近くの青松寺。
このお寺は、曹洞宗の学林のあった寺院で、駒沢大学の前身だった寺。
そこには当時、あの南直哉氏がおられた。

まだ当時は、仏教界にはそんな動きは少なく、保守ムード一色。
まだ物珍しさが先にあった。

浄土真宗では、松本圭介氏が「おぼうさんはじめました」を出された頃。
青松寺の近く、神谷町の光明寺におられた。
私が営業を管理していたエリアだったので、カフェで休んだり。
行事に行ったりしていた、町田宗鳳氏が講座をやられていた。

確かに、何かが動く、何かが変わる、そんな予感がした。

鳥取の寺に帰ろうと考えていたときだったので、とにかくいろんな場所に
足を運んだ。
講座もいろいろ回った。

そして今振り返ってみる。

仏教は、静かなブームである。
僧侶になりたいと考える人も増えたように思う。

ターミナルケアやビハーラ活動も少しづつではあるが、動き出している。

あのころ、少し種が蒔かれはじめ、今はまだ蕾くらいかも知れない。

ただ仏教は変わろうとしているのが分かる。
原点回帰も進んでいるように感じる。
まだまだ、先は長いだろうが、確実に仏教は力を付けている。
必要とされる仏教に脱皮しようとしている。

さて、その先には、どんな世界が待っているのだろうか。
自分自身でも、少し期待している。

ヒマラヤユキノシタ・・・仏教の伝播と植物。

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この植物の名は、「ヒマラヤユキノシタ」というそうである。
原産地は、アフガニスタンやチベットとなっている。

今年の冬は寒く、そして雪が多かった。
確かに、雪の下でもその葉は枯れることなく、一年中緑のままです。

そして雪解けの頃に、花の蕾をつける。

ユキノシタという植物も近くにある。
こちらの方は、葉も小さいのだが、ヒマラヤがつくと、同じ系統の植物とは
思えないくらいである。

春には、その花を咲かせ、とても美しいのだが、どちらかというと、その葉を
一年を通じて楽しむのでしょう。
庭とかには欠かせない、そして岩場などの日陰でも育つのです。

昨年の春、この植物を譲り受けて、境内の所どころに植えている。
なかなかいい具合に根付き、そして今年の春を迎えた。

境内に彩りを添えている。

アフガニスタンは、仏教の伝播してきたルートである。
大乗仏教になり、アフガニスタンから中央アジアへと伝播し、シルクロードへ
と伝わって行く。
チベットには、密教となって大乗仏教より遅れて仏教が伝わる。
そのころから、この植物はあったのかな?

もしかすると、仏教とともに伝わってきた植物なのかなあと想像してみたり。

阿弥陀如来は、このアフガニスタン周辺で醸成される。
そして、願いが込められてきたのだ。

今はタリバンでイスラム原理主義の強い国柄であるが、元々は仏教国でも
あり、パキスタン周辺も仏教国であった。

宗教は違っているが、そこにもいろんな思いを馳せたりする。
アフガニスタンはTVでは不毛の地であるように見える。
チベットも決して恵まれた地とは言えない。

そこにこそ信仰を育む要素があるのかも知れない。

キリスト教もイスラム教も、その生まれた地は、決して土壌豊かな国ではない。

そんなところにも、宗教の原点があるのかも知れない。


新しくて古い街造りを考える・・エンジン01とやずブータン村から。

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鳥取で開催された、エンジン01文化戦略会議。

その4時限目にも出席した。
講師は、和田秀樹氏、竹山聖氏、夏野剛氏、そして平井鳥取県知事。

竹山氏は設計家で映画の美術監督も務める、夏野氏はiモードの仕掛け人
で、現在は「ニコニコ動画」を手掛けている。
平井知事は、自治省出身で、橋下知事とのバトルでもちょっと有名。

そんな方々が、「小さな県から大きな提案を」と言うテーマにのぞむ。
今回のエンジン01で感じたことは、テーマ設定がイマイチだったと言うこと。

無理にそのテーマに合わせることで、激論や討論やトークが中途半端。
せっかくの講師陣の魅力を半減させているのでした。

皆、無理やりそのテーマに合わせた話しを聞きに来ているのではない。
その講師の魅力ある話しを聞きたいのではないか。
逆にテーマはあっても、ある程度フリートークにした方が面白い。

化学反応を狙った面も感じられたが、それはごく一部にとどまった。
ポケモンの増田氏のトークはキレが悪かったが、その他の二人の講師の
トークによって、その次の展開が一気に進む可能性を見出したと思う。
増田氏にとっては、意味深い講義でなかったかと・・・。

ところで、4時限目は、どちらかと言うと平井知事の独壇場って感じ。
せっかくの討論の半分近くを独占していた。
はっきり言って、私は平井知事の話しを聞きに来たのではない。
その他の論客の展開を期待していたのである。

実現可能か不可能か、そんな無茶な、そんなことできるの?
そんなトークを期待していたのに、平井知事の議会報告になっていた。
うーーーん、残念!

和田氏、竹山氏、夏野氏のトークが盛り上がりそうになると、平井知事の
自慢話が始まる。
さも、この小さな県でこれだけ頑張ってます。

僕たちは平井知事が頑張っているのは、よく知っている。
そして、これからもがんばって欲しい。
鳥取県には、できすぎの知事であるのも分かっている。

でも今回は、それ以外の論客から、いろんなアイデアを引き出す場なの
だから、そこに徹してもらえたら、もっと面白いテーマになっただろう。

その中でも、私の目指す「やずブータン村」構想のヒントになることはあった。

それは、街づくりの基本的な考え方。
そこにおける可能性。

十分に、私の感性を刺激したトークがあった。
竹山氏と和田氏の話しには、非常に惹かれる所がある。
この二人には、これからの鳥取県のあり方を示唆したものがたくさんあった。

夏野氏は、そこにカウンターの様に別次元の発想を加える。
平井知事がオブザーバーに回っていたら、もう少し化学反応が見えたかも。
そう思うと、中途半端な気持ちもあるが、まあ仕方ない。

そう言えば、最近softbankのCMで、鳥取が話題になることが多かった。
これは、想像した通り、孫社長のメガソーラー構想に、鳥取県がいち早く
候補地として立候補したことによる御礼。
そうじゃなきゃ、そんな鳥取を名指ししたCMはできないよな。

でも、鳥取県民はそのCMの意味を理解しない人々でもある。
砂丘の糸電話に抗議してるそうだ、馬鹿にされてると感じるらしい。
まあ、これも鳥取県たる由縁。
それを生かせばいいのに抗議をする。

だれも本当に糸電話をつかっていると思っている人などいないのだ。
砂丘で糸電話をつかって、恋の告白をするとか、プロポーズするとか。
そんな発想をすればいいのに・・・。

鳥取、そして「やずブータン村」
そこにある、遅れた県と、過疎地の村をつなぎ合わせて、他県では真似の
できない村をつくる。

それは、古くて新しい村。
懐かしいけど、こんな村、あるようでなかったな・・・。
そう思ってもらえる様な、村つくり。

そんな村を作れば、僕もいつかエンジン01の講師に読んでもらえるかな。

「因幡の源左」のふるさと・・・願正寺にて「ようこそようこそ」

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昨日は研修で、鳥取市青谷にある願正寺に行ってきた。
その研修会で、問題提起と取りまとめの法話をしてきました。

この願正寺は、妙好人の「因幡の源左」で有名なお寺です。

浄土真宗には、妙好人という方々がいる。
その教えを味わったままの生き方をされた人、という感じであろうか。

普通に生活されていた方々、その中で浄土真宗の教えにひたる。
そして、生き方や言葉が、その教えそのままに・・・。

「因幡の源左(げんざ)」さんという、浄土真宗では有名なお同行である。
口癖は、「ようこそようこそ、さてもさても」と言う。

この「ようこそようこそ」という言葉と、その芹沢銈介氏の染色によって、
そのイメージが今に広がっている。

民芸復興の柳宗悦がこの源左を取材し、世に知らしめたきっかけとなる。
その師であった、鈴木大拙も「妙好人」という著作があり、浅原才一などの
お同行紹介している。

前は、私のお寺にもお同行がいらっしゃったなあ。
お寺で法要があると、その方の周りにいつもたくさんの人が集まっていた。
そしてずっとその人の話しを聞いているのだ。

昔は、いろんなお寺にそんな方々がいらっしゃったのだろう。
そして、衣を着た僧侶ではなく、普段着の教えがあった。
教えが伝わって行く土壌があったのでしょう。

願正寺さんでお話しをしながら、そんなことを考えていた。








本物とデジタル・・・美術作品に対する認識の違い。

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    (エンジン01にて・・・わたせせいぞう氏と有森裕子氏の後姿)

エンジン01の講義の中で、CGアーティストの日本の第一人者である、
河口氏が面白い話しをしておられました。

キャラクターとか肖像権とか、現在日本ではやっとうるさくなってきた。
個人情報保護が言われるようになり、種々の問題が発生したからであろう。

その逆が中国である。
物真似、違法コピー、何でもアリである。

そう言う世界の風潮の中で、欧米では方向転換しているのだと言う。
美術品や肖像権などは、デジタルコピー化され、規制しようが何しようが、
世界中に広まってしまう。

それなら、いっそフリーにしてしまって、広告宣伝にしてしまおうとの戦略
である。
世界中に自由に宣伝してもらって、本物の価値を高め、それを見に来て
もらう。
そうすることで、さらに本物に磨きをかけると言うのです。

確かに、ヨーロッパやアメリカの美術館は、かなり前から撮影自由。
あのモナリザだろうがなんだろうが、フラッシュ撮影し放題であった。
一応フラッシュ撮影禁止となっている場合もあるが、現在のデジタルカメラ
や携帯端末ではフラッシュお構いなしなので、対処しようもない。

多分、フラッシュ撮影による作品の劣化はないとの判断もあるでしょう。
とにかく、世界の有名美術品は、どこでも撮影OKになってきている。
絵画で、モナリザがそうであるなら、他の作品でNGになるのもどうか。

そのときは、日本との違いに驚いたものです。
確かに、デジタルの写真をネットを通じて見れば、さらに有名になり、どこ
の美術館にあるかはすぐに分かる。
そうなれば、本物をやはり見たくなると言うのが心理だろう。

基本的に、日本の美術館で撮影OKには、まだ出会ったことはない。
モノは取り方である。
規制にばかり気をつかって、来場者が増えないのなら、意味がない。
多くの人に見てもらって、その作品に触れてもらうことが大切だろう。

そのとき要求されるものは、本物の価値である。
その価値をどう高めて行くかがポイントである。

それが、今回のエンジン01のポケモンにも言えることだった。

コピーや偽物が出回る中で、本物をどうやって表現するのか。
どうしたら、本物を見に行こうと思うのか。
どこに行ったら本物に会えるのか。

その付加価値を早く作り出さないと、手遅れになる。
そんな感じ。

このことは、私たちにとっても重要なポイントである。
そこを見誤ると、手遅れになってしまうのだ。

エンジン01in鳥取・・3時限目「寝ても覚めてもゲーム」ポケモンの行く末は?

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3時限目は、ポケモンとゲームについて。

講師は、ポケモンの仕掛け人の増田順一氏、そして今をときめく勝間和代氏、
そして、CGアーティストとの第一人者である河口洋一郎氏。

この顔合わせこそ、エンジン01文化戦略会議だからできる顔合わせでしょう。
この三人の組み合わせは、すごく興味がありました。
会場が鳥取なので聴衆は静かでしたが、東京だったらヒートアップしてたでしょ
うね。
それぐらいワクワクする組み合わせ、この三人を引合すために今回の会議が
セッティングされたとしても、おかしくないのである。

テーマは、本当は「ポケモンはまだ進化する?」でした。
でも最終的な話しの展開は、「ポケモンの行く末は?」もしくは「任天堂の行く
末は?」と言った印象を私は持ちました。

ポケモンの世界市場における市場規模は、現在までで4兆円にも上るという。
世界的に圧倒的な人気を誇るポケモン。
そのポケモンが、巨大マーケットだけに、現在のSNSのゲームに押されている。
でも簡単には方向展開できないという、ジレンマが増田氏の言葉から垣間見
える。

河口氏によれば、日本に残された数少ない資源がポケモンなのだと言う。
そのポケモンにいまだかってない危機が訪れているのだ。
10年以上前から、国にそのことを訴えていても、国はそのことに全く気付か
ずに来てしまったのだそうです。
失われた10年、でもポケモンの人気が世界で圧倒的だった故に、その危機が
現実になるまで見過ごされていた。

もしかすると、ポケモンはディズニー以上の存在にできたかも知れないと言う。
日本や中国やヨーロッパやアメリカに、巨大ポケモンランドができていたかも
しれないのだ。

アメリカの超有名な映画関係者が日本に来ると、とにかくポケモングッズの所
に連れて行ってくれと言うのだそうだ。
それも誰もがそう言うのだそうです、じゃないと帰国したとき子どもに怒られる
からだそうです。

そのポケモンが、SNSによって大きな曲がり角に来ていると言う。
私はそう感じました、本当はそんなこと言ってなかったかも知れませんが。
多分、増田氏は今日のトークで、自分が想像していたより、はるかに危機に
直面していると感じたでしょう。
それが今年度の任天堂の決算に表れているのだ。

一度落ちると、多分市場は待ってくれないでしょう。
かと言って、ポケモンをSNS市場には簡単に出せない。
開発費がでないからだ・・・。

日本が世界に誇るアニメキャラクターが存亡の危機にあるのだ・・・。
もう二度と、日本からそんなキャラクターは出てこないだろう。
なぜなら、ゲーム機と言うハードが、スマホやiPadという機器にとって代わら
れたからである。
一気に市場規模が縮小するだろうことは、予測の範ちゅうである。
でも成功体験者はそこから、なかなか抜け出せない。
そうしているうちに、皆の興味は他に移って、手遅れになる。

増田氏は、勝間氏という客観的で、かつユーザーであり、またその子どもも
ユーザーである人から、現状をありのままに伝えられた。
勝間氏も、実は今日話しをするまでは、そこまでの認識はなかった様です。
でも、現状を聞くと、その策が取られていないことに、かなり危機感を抱いた
と言った感じでした。
河口氏はかなり前から、今回のことを危惧されていて、国にも相当助言を
したが、誰も聞く耳を持っていない。

要は、政治家は日本の将来より、自分の老後と選挙のことしか考えていな
いのだ。
韓国の様にK-POPを国家戦略で売り出すような、そんな感覚を持ち合わ
せた人間はいない。

気づいたら、日本にはすでに誇れるものや、海外に売り込めるものは何も
残っていないと言う状況になる。

要は、グリーやモバゲーのレベルでは、世界には対抗できないと言うこと
なのだ。

勝間氏の鋭い目線と、世界を見据えた河口氏の助言を、増田氏はどう受け
取られたのであろうか。

これからの展開を興味を持って、注視してみたい。
私なりにも、とても興味のあるトークでした。

ここでも、勝間氏と河口氏のするどい感覚は、やはりただ者ではないな。
今回の会議が、その復活のきっかけとなる出会いであって欲しいと願う。

今回のトークは、別にポケモンに限ったことではなく、その他のことにもあて
はまるのだ。
たとえば、現在のお寺や僧侶の置かれている環境にも言える。
変わらないと思っていたことが、一気に流れが変わってしまう。

そのことをしっかりと考えておかないといけないのだ。

エンジン01in鳥取・・2限目「唱歌ふるさとは鳥取生まれ」、猪瀬節炸裂せず。

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2限目は、「唱歌ふるさとは鳥取生まれ」です。

講師は、三枝成彰氏と服部克久氏と猪瀬直樹氏。本当はオペラ歌手の
中丸三千繒さんも出席予定でしたが、急遽体調不良で欠席でした。

確かに、「ふるさと」の作曲は鳥取出身の岡野貞一ですが、わざわざこの
戦略会議の議題にしなくても、と言った感じがしました。
途中でも、やはりテーマに気を使って、トークが盛り上がらない場面も。
それなら、もっと自由なテーマでやって欲しかったなと感じた。
せっかくの三人のトークが、もう一つ不発だったようにも・・・。

猪瀬氏は、独特の持論で話しをされるので、その方が興味深いのです。
三枝氏は進行も兼ねていたせいか、ちょっと歯切れがなかった。

やはり、中丸さんが欠席になったので花がなかった面もありました。
トークもそれで、ちょっと盛り上がりに欠けていたのかも知れませんね。

それでも、三人のそれぞれの持ち味のトークはありました。
岡野貞一に関係ない話の方が良かったですね。

次回以降は、もう少しテーマを検討されては?
何故かと言うと、岡野貞一のことは地元の人は良く知っているので、それ
をこの場で聞くより、もっと違ったテーマを聞きたいのです。
この講義のチケットの売れ行きが遅かったのは、その点が大きかったと
思います。

講師陣も、岡野貞一について、熱く語るとこはできなかったようです。

鳥取県には有名なオタクが二人いると言っていました。
岡野貞一と石場茂。

かと言って、オタク文化に力を入れてはと言われてもねえ・・・。

猪瀬直樹さんの毒舌が炸裂して欲しかっただけに、ちょっと残念でした。

最後に、三枝氏が、鳥取を去った岡野貞一が、「ふるさと」という曲を
書いたのは不思議だと言っていました。

でも、鳥取を去らざるを得なかった、たとえ良い思い出がなかったとして
も、去ったからこそ、あの曲が書けたのだと僕は思う。

ふるさとに縁があって、良い思い出しかないのなら、あの「ふるさと」と言
う曲は、逆にできていなかったのではないかと感じます。

三枝氏は、もしかすると都会育ちなのかな?
「ふるさと」の曲のイメージができていないのだろう。

なので、中途半端な進行になったのかな?


エンジン01文化戦略会議in鳥取・・1時限目「どうする鳥取の超高齢化」

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3月24日、鳥取で、エンジン01文化戦略会議in鳥取が開催されました。

1時限から4時限まで、17会場に分かれてそれぞれ講義が行われます。
そうそうたる講師陣で、こんなに鳥取に有名人が集まることは、多分最初で
最後だと思う。
よくぞ、これだけ揃えられたものだと、驚くばかりである。
幹事長は林真理子氏で、副幹事長は和田秀樹氏。
実行委員は、三枝成彰氏・有森裕子氏でした。

講師は
茂木健一郎氏・猪瀬直樹氏・勝間和代氏・倍賞千恵子氏・川島なお美氏
和田裕美氏・湯川れい子氏・藤原和博氏など、まだまだ有名な方がたくさん。

1限目は私は、「どうする、鳥取の超高齢化」に出席しました。

講師は、和田秀樹氏・亀井眞樹氏、そしてフジテレビアナウンサーの佐々木
恭子さんが進行役でした。

和田氏と亀井氏の医療現場からのメッセージが、とても分かりやすく、結構
私が取り組もうとしているNPOに重ね合わせても、役に立つ話でした。
自分の方向性と、同じ方向を向いている話しが多かったですね。

超高齢化と現代医療の問題点に、鋭く切り込んでおられました
1時間半の講義ですので、詳しくは話せないのでしょうが、NPOの進むべき
方向へのヒントをいただきました。
聴衆は、テーマから年配の方が多かったのですが、逆に若い方にも聞いて
欲しかったなとの思いも。
このことからも、鳥取は超高齢化社会なんだなと痛感。
都会なら、多分若い人がたくさんいたでしょう。

最近、NPO関連の研修などに行くが、本当に年配者が圧倒的です。
エンジン01とかNPOって、結構若い世代のテーマだと思っているのですが、
地方は若い人がいないのか、興味がないのか・・・。
多分、この両方ですね。
そこに危機感を感じたりする、今日この頃です。

私が目指すのは、「人生の最後の20年を幸せに暮らせる町づくり」なので
大変参考になりました。
ちょっと勇気をいただいた講義になりました。

それにしても、三人の講師の方々の切れの良いトークと、その進行は、とて
も素晴らしかった。
田舎にいると、こんな場面には出会わないので、頭の良さと回転の速さ、そ
して、その明確さと鋭さに驚くばかり。
久々に、こんな感覚を味わえたのも、刺激になりました。
  

沈丁花

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お寺の境内に沈丁花が蕾をつけている。

まだ開花とはいかないようだ。
春の季語に使われるという、ほんとうはもう咲いていてよいのだろう。

さすがに雪はとけたが、つい最近まで雪がかぶさっていた。
春の雪は水分を含んで重くなる、それが朝晩の冷え込みで凍てつき、
氷の塊になってさらに重くなる。

春の雪は、樹木にとって試練でもあったりする。
枝や幹が折れたりすることも多い。

この沈丁花は、さらに厳しい試練を乗りこえている。
前の住職が、この木の根元でよく物を燃やしていたのだ。
なので木の根っこのところが焦げて黒くなっていた。
幹や枝もかなり傷んでいてあまり見栄えもよくなかったのです。

今でもこの写真に見える側の反対側は、その影響で枝がない。
昨年から少しづつ手入れをしているので、だいぶん元気になってきた。

ことしも、もうすぐ遅い花を咲かすでしょう。
甘酸っぱい、とても香りがいい。

そうすると、この山里のお寺にも本当の春がやってくる。

人生も試練の連続だ、釈尊でさえそうであったのかな。
でもそこに仏の道を歩むという生き方があった。

私にも、迷いばかりの人生であるが、道があるのだろう。
脇道に逸れようとする心を、その道に戻そうとする作用がある。

それが仏教なのかなと思うことがある。

戻る道があるからこそ、今自分が迷っていることが分かるのだろう。
その道がたぶん仏の道なのだ。

戻るところがなければ、自分が迷っていることさえ分からない。
すると迷いは深くなる。
でもどこまで行っても戻れない。

早く、その道に気づくことが大切なのだろう。

「自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、
 法をよりどころとし、他のものをたよりとしないでいる人々がいるならば、
 かれらは修行僧として最高の境地にあるであろう、
                    ・・・・誰でも学ぼうと望む人々は・・・・。」
          
(大パリニッバーナ経 「ブッダ最後の旅」 中村 元訳)

私が自分で感じることのできる「いのち」は、今の自分のいのちだけだ。
その「いのち」を生きているのなら、とにかく楽しくて苦しみのない人生が
いい。
そう考える人も多いでしょう。

人生において本当の歓びとは何であろうか・・・・。

宝くじに当たったときであろうか、家を建てたときであろうか、毎晩若い
女性と遊んでいるときであろうか、出世したときであろうか、名誉をえた
ときであろうか・・・・

それがすべての終わりではないのだろう、そしてそのことがずっと続けば、
そのことにも飽きてしまい、また別のものを求めるだけなのだ。

それが資本主義の循環であり活力であることは事実。
その資本主義によって、経済と科学の発展は遂げられた。
もう昔の様な生活には戻れない、それも事実。

でも本当にそれで心豊かになったのか、それで本当に幸せになれたのか。

仏教は厭世主義などではない、快楽の元は「苦」にあるということを知ると
いうことなのだろう。

一瞬の快楽を、快楽と錯覚しているところに「苦」があると言っているのだ。

快楽は苦であることに気づくことが大切なのだ。

その典型はギャンブル、そのもとのお金、遊興。
でも、やめられない、神頼み、占い、祈祷、お祓い、風水、
エセ・スピリチュアル。

あれほど、騒がれているのに、人間は懲りないのだ。

なぜ釈尊が、そのようなものに頼らないと説かれたのか。
それは「苦」であることに気づかないで、余計に迷いにおとしめるだけだから。
それは「錯覚」という脳のはたらきなのだ。
あげくには「悟り」を錯覚によって作り出そうとする宗教も登場する。

いまでは、日本のお寺でもあちこちで・・・・。

そこには、授戒や戒名の意味や価値を見出すことはできない。
釈尊の教えを真っ向から否定していることに気づいていないのだろうな。
やはり迷いは深い。

そういう私も、迷いは深いのだが。

歎異抄に聞く・・其3 「第一条・・②」

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『歎異抄』の第一条にはまだ続きがある。

「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なくゆゑ
に。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。」

このように続いている。
ここにも浄土真宗の教えの根本が説かれている。
この一条が、浄土真宗の教えの極致なのだとさえ感じる。

この一条をどのように受け止めるかで、二条以降の言葉の受け取り方が違う。
そして、この一条によって、すくわれる人々がいる。

その心をとらえて離さないのだ。

弥陀の本願にまさる善などない、また、弥陀の本願をさまたげるほどの悪などない。
すごい言葉である。
親鸞聖人のお考えであろうが、逆に親鸞聖人であったならば、ここまで強烈な言い
方ができたのであろうか。
傍でずっと、その教えを聞いてきた唯円だからこそ発せられた言葉ではなかろうか。

当時、念仏は旧仏教界から相当な弾圧を受けていた。
死罪になった僧もいたのである、親鸞聖人は生涯そのことを忘れていない。
『教行信証』の「化真土文類」にはそのことが明確に記されている。
相当強烈な言葉である、日本が戦時中には、その言葉が『教行信証』から削り
取られていたほどである。
「主上臣下・・・云々」という言葉があったからである、つまり天皇批判とも受け取ら
れかねない言葉だったのです、実際はそうではないのですが。
日本の歴史の中で、僧侶がその教義によって死罪になったのは、後にも先にも
この承元の法難のときだけだという。

その結果、法然と親鸞は流罪に遭う、そして浄土宗と浄土真宗と言う二つの教え
が生まれる要因ともなっている。
親鸞聖人は、法然の弟子の中でも遅く入ったので、決して序列は上ではなかった。
でも親鸞聖人も、法然上人と同罪くらいの遠流なのだった。
そこには親鸞聖人が、法然門下でも際立つ存在であったことをうかがわせる。
もし、このことがなかったならば、その後の浄土宗はどうなっていただろうか?
そんなことも感じずにはおれない。

現代でも、その言葉には驚きを隠せないほどの衝撃があるが、当時であれば反逆
者と呼ばれかねない言葉なのである。

八代目の蓮如上人は、この『歎異抄』を門外不出として、本願寺の奥深くにしまわ
れたほでであるのだ。
そこには、外部のものはもちろん、内部の者にでさえ危険極まりない。
そう思わせる言葉が並べられているのです。

弥陀の本願のすくいの対象。
それは、老少や善悪を問わないとある。
やはり、十方衆生、すべての衆生が対象である。

逆に言えば、悪人と称せられる、罪悪深重・煩悩熾盛の迷いの中にいる、自分から
抜け出すことのできない人こそが目当てなのだと。

ただ、このことから、悪いことをした人間の方が真っ先に救われるという、造悪無碍
という間違った教えが伝えられることにもなる。
だから悪いことをしても構わない、悪いことをしろと言っているのだ。などと・・・。
唯円は、そのことを正したかったのでしょう。

悪人のとらえ方が重要なのである。
そのことが第三条へとつながって行くのだ。

歎異抄に聞く・・其2 「第一条」

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「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏
申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけした
まふなり。・・・云々」

これは歎異抄の第一条の最初の言葉である。

唯円は最初に、浄土真宗の教えの根本を伝えておられる。

【意訳】
阿弥陀如来の本願に出遇い、そしてその本願によって私はすくわれて往生させ
ていただくということを疑うことなく信じ、その思いをうけとるとき、そのありがたさ、
かたじけなさの思いの心から、私の口から念仏が称えられる。そのとき私はすで
に阿弥陀如来のすくいの手の中にある。
そのとき私はすでに浄土に往生が定まり、この世の迷いの中に戻ることはない。

このことが、浄土真宗の信心のすべてである。
これ以外に信心はない。

この言葉のみで、私が感じることができたのなら、もう他は必要ないのである。
余計なことを考えないのなら、ここにすべてが納まるのです。

でも、なかなかこれだけを聞いてすべてが分かるほど、人間は純粋ではない。
あれもこれも考える。

このときはどうだ、あんなことをしたらどうだ・・・。
考え出すときりがない、それほど私たちの迷いは深いのだ。

ときには、自分なりに解釈して、きっとこのときは違うだろう。
さすがにこんなことではすくわれない、いやすくわれたらおかしい。
何のために私はこれだけ頑張っているのか。
あんな奴がすくわれるなんて、そんな教えはおかしい。

誰でもそんなふうに考えてしまう。

真理は単純であったりする、でもそのまま受け入れられなくて、複雑にして
いるのが人間なのです。
真理を解釈して行くと、そこには迷路が待ち受けている。

だから唯円が『歎異抄』を著す必要があったのでしょう。
そんなことは親鸞聖人は仰られていないと・・・。

私(唯円)が、親鸞聖人からお伺いした教えは、このような教えです。
ただ、そこには純粋ではあるが、唯円という人格を通すフィルターが存在する
のも事実ではあるでしょう。
『歎異抄』 = 親鸞聖人の教えではなく、『歎異抄』 ≒ 親鸞聖人の教え
なのだと思います。

唯円が、私たちに親鸞聖人の教えを分りやすく説いてくださる。
その分かりやすさを、親鸞聖人のお言葉へ帰る作業をする。
そうすると、唯円が説かれた教えが、親鸞聖人の教えとなって、私たちの前に
ヴィジュアルとなって広がってくる、つまり教えが具現化してくるのです。
それが、この『歎異抄』という本の最大の魅力である。

逆に、親鸞聖人の教えに帰すことができなかったならば、それは親鸞聖人の
教えではなく、唯円の解釈になってしまうことでしょう。

唯円は、寸分たがわず、そして自分の解釈を入れず、親鸞聖人から聞かれた
ことだけを伝えようとされている、そのことが伝わってくる。

親鸞聖人が浄土真宗の言葉を使った意味は、法然上人の教えを正しく伝える
と言う意味でのみ、この浄土真宗と言う言葉を使われているのです。

でも結果として、その後に浄土真宗と言う宗派ができる。

浄土宗は法然上人の教えを正確に伝えていないかも知れない。
でもそれは、現在の本願寺教団にも言えることかもしれない。

少なくとも、三代の覚如上人以降大きく変わったことは確かである。
ただそこから教団としての構築が始まっているのも事実。
それがなければ現在の教団は存在しない。
それは、どの宗派も同じ問題を抱えている。

仏教しかり、キリスト教しかり、イスラム教しかり、そこから派生する各宗派し
かり。

この問題を内包しながら、その溝を埋めて行く努力をしている。
それが、現在の各宗教や宗派の共通認識なのだろうか。


歎異抄に聞く・・其1 「序」 

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『歎異抄』はとても有名な宗教書です。
これを解説すると言うことは困難な作業となります。

一つには、とても有名過ぎると言うこと。
過去にとても多くの方々が解説をしておられる。
学者、宗教者、宗門関係者、作家まで。
それぞれ独自の視点で鋭く解説されています。

二つには、浄土真宗関係者にとって扱いが難しいと言うこと。
要は有名である分、避けては通れない道。
ただ、著者が親鸞聖人ではないということから、この著作を依り所とはできない。
たとえば布教使の試験では、この『歎異抄』からテーマを引くと言うことはできな
いのです。
その点で、このテーマを語るときは親鸞聖人の言葉を、その著作から引いてくる
という作業が発生します。
『歎異抄』だけで語ることができないと言うことにもなります。

ただ今回は、難しく考えないで自分なりにこの『歎異抄』を味わうことにしよう。
この本は何回読んでも、多分その度に違う思いが出てきます。
年代、立場、経験、自分の精神状態etc・・・。


その逆説的な表現方法が、いつまでも人々に親鸞聖人を追い求めさせている
のかも知れない。

『歎異抄』は日本で一番有名な宗教書であることは、誰もが認めるところでしょう。
世界中の有名図書館には、必ずその蔵書があるという。

ただし、その解釈もたくさん。
どれかに引きずられてはいけないので、ただ自分自身として向き合って行く。
でも10年後はまた別の解釈になっているかもしれない、というより絶対違う
だろうと感じます。

今回は、51歳の私の『歎異抄』ということになります。

この本の著者は正式には不明。
ただ唯円であるということは、ほぼ誰もが認めているところ。
この唯円の生涯も正確には分かっていない。
これも人によって変わる。
宗門(本願寺派)では、そこはあまり語られないところでもあります。

これだけの有名人の生涯があまり知られていないのも不思議である。
奈良吉野の立興寺には唯円のお墓がある。
ただこれも本当に唯円の墓と認定されているわけではない。
小さなお寺です、近くには蓮如上人の所縁の立派な寺院があります。

お墓も小っちゃい、忘れられたような感じのお墓です。
東京で会社員をしていたとき、鳥取へ帰省の途中に寄ったことがある。
でも、そのお墓はとても味わいのあるお墓でした。

本当の唯円のお墓であるとされていたら、参拝は絶えないであろう。
そんな感じがしますが、そんなところも唯円らしいと言った感がある。

親鸞聖人に付き従った方。
その傍でずっと教えを直接聞かれた方である。
釈尊にとっての阿難の様でもある。

だから余計にその教えがリアルに人々の心に届くのであろう。
決して親鸞聖人からは聞けない、傍に付き従った人であるから出てくる
言葉なのでしょう。

だからこそ、その親鸞聖人の教えが違った方向へ進むことは許せない。
そうじゃないんだと・・・。

『歎異抄』は唯円の心の叫びでもある。
それは親鸞聖人のお心にも必ず通じる言葉なのでしょう。

NPOの助成金について考えた一日。


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今日は彼岸の中日。
午前中に彼岸法要をお勤めしました。

お参りは村の方を中心に10名くらいで、少なかったのですが、法要後お茶を
飲みながら皆さんと和んだ時間を過ごしました。

懐かしの大学芋を坊守が作って皆さんに振る舞い。
とても美味しいと評判でした・・・。

お世辞でも、あっという間になくなったので美味しかったのしょう。

これなら、宿坊に来られた方に、お茶とサービスしたらいいかもと考えたり。
やはり、そのお寺の特長を出さないといけないから、お菓子や料理に工夫を
しないと。

午後時間が取れたので、文化ホールへ。
県が助成したNPO法人への、地域マネージャー配置の成果報告会に行って
みました。
鹿野町・智頭町・米子市・関金町などのNPOの発表がありました。

年間600万円の助成を3年間、相当な援助だな・・・。
NPOなどへ、雇用支援施策として打ち出された様です。
皆さんそれなりに苦労し、頑張っておられる。

様々な助成金が出されている。
もちろん目的が明確であるのだが、助成金って効果が図れないのが難しい。
今日の報告会でもそう。
何かただ使ってるだけという感じがしないでもない。
ただ誰も批判できない、お互い様。
このスタイルは寺院にも言えるような気もするし・・・。

自民党の最後の政権のときは、本当に助成金がばら撒かれていた。
そんな話を聞いたことがあります。
とにかく金があるから使え、報告はどんなでも良い。
最後は、助成金をもらう方が困惑していたそうです。
それも数千万円単位。
それで、今は何でも反対じゃおかしいよね、もっと議論に参加して欲しい。

私もNPOを立ち上げたなら、どんな助成金でも欲しいと思う。
でも、助成金に頼ったら、頼ったなりの成果しかないであろう。
NPOもそんなことにしがみついてるところも多い。
要は、受託業務的発想。

多分成功しない。
受託業務や助成金が終われば、その業務は終了。
責任がないのだ、県の担当者も異動すれば終わり、責任は問われない。

そんなことを考えさせられた一日でした。

批判するは易し、でも実行するは難し。

自分自身でも、進む道の険しさも実感させられました。
頼ったら、頼ったなりの成果しか望めないのかも、自助努力も苦しいが。
今日はちょっとキレの悪い話となりました。

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