得度の最後に頭を剃髪にし、本願寺でご門主よりお剃刀を受けます。
これでいよいよ、浄土真宗本願寺派の僧侶となることが決まります。
お剃刀(おかみそり)を受けるときは、親鸞聖人の故事にならい、夕方に
堂内をロウソクの灯りだけにして受けます。
それはそれで、得度習礼中の苦しみも忘れて、あらたな決意が生まれた
りします。
得度後は、晴れて僧侶の道を歩むわけですが、ここからの道は本当に千
差万別。寺に帰って僧侶となる人、また普通の生活に戻る人、どこかの寺
の衆徒となって法務に携わる人、等々。
僧侶になったからと言って、今の時代何も生活の保障はないですし、目的
が無ければ、自分が僧侶であると言った認識以外、何も以前と変わること
はありません。
ただ僧侶であることは事実なので、それにふさわしい言動に留意すること
が大切となります。
また、得度に行って僧侶の実態を多少感じると、逆に失望することがある
かも知れませんね、すべての僧侶が志があってきているわけではないで
すから。
西本願寺はビハーラ研修を始めとして、さまざまな研修会もあります。
浄土真宗は形がないので、入りやすい面がありますが、逆に形が無いの
で難しい面があります。それは特に僧侶となってからが、どの様な道を歩
むかで大きく変わってきます。
他宗は修行が厳しい分、修行後は逆に楽だったりすることがあると聞いた
ことがありますが、浄土真宗は教えを聞くことが第一なので、ご門徒さんが
とてもよく勉強していらっしゃいます。
僧侶でない分、教えに純粋でいらっしゃる場合が多いのです。
なので中途半端な知識では太刀打ちできませんし、逆に知識を前面に出
すと、相手にされないこともあるでしょう。
特に関西や北陸、広島や山口、福岡の方々はご熱心な方がいますから。
得度したくらいでは知識レベルはまだ1段階くらいのものです。
ここからが本当の勉強や努力が必要になってきます。修行は必要ないと
言っても、教えに近づく努力はしなくてはなりません。
そして自分の経験や自分の言葉でしゃべらないと、言葉は素通りして行き
ます。要は勉強と経験と志と、血と冷や汗をどれだけかいたか。
ただ、今までの僧侶にはない独自の視点であれば、それは面白いかも知
れません。
僧侶になろうと決意をされてから、龍谷大学や大学院、中央仏教学院、
大阪にある行信教校など、自分に合った勉学の場に進まれる方もいます。
ですから仕事を退職したり、途中で辞めたりして来られる方も。
僧侶資格を取って、葬祭会館の御用達となったりする方もいらっしゃいま
すが、これからの時代はもうそんな生活は待っていないでしょう。
葬祭会館と言えども、教えをちゃんと知っていて、遺族のケアができない
僧侶は淘汰されますし、それ以前に葬儀のあり方自体が変わってくるでし
ょう。今や全国の寺院は大きく変わろうとしています。
その中で本当に求められる僧侶とは、本物ということになると思います。
本物の僧侶とは定義が非常に難しいですが、その宗派の教義や作法に
精通していて、伝道布教力があり、さらには志もしくは社会経験が豊富。
もちろん社会常識があるということも、これからの僧侶には必要。
これは今までの僧侶は社会とかけ離れている人も多かったので。
まあ、ここまで言えば、今の僧侶にそんな人いるの?ってことですが、こ
れからの時代、僧侶になって食べて行こうと思うならそれくらいの覚悟が
必要の様な気がします、特に外部から僧侶を目指すなら。
こんな僧侶がいらっしゃれば、どこでも食べるのに苦労はしないでしょう。
若くて独身なら、お寺のお婿さん候補として十分な資質と言えるでしょう。
また、跡取りのいない寺院では養子の依頼があるかも知れません。
いろんな寺院より、その寺の衆徒(法務員)としての依頼もあります。
まあこれらには年齢がある程度若いということが必要かも知れませんが。
東京周辺では、都市開教が重点項目ですから、自らが新しい寺を作って
行くこともできるし、ネットなので新しい僧侶のスタイルを打ち出すことも
できるでしょう。
地方で実際に0から寺院を立ち上げて多くの人を惹きつけているお寺も
あるし、僧侶として様々な情報発信をしている方もいます。
もちろん僧侶になるからと言って、何かをしないといけないと言うわけで
はありません。自分の生活や精神的な支えとして、仏の道を歩むとい
う方もたくさんいらっしゃいます。
また仏教を勉強したいという純粋な気持ちの方もいらっしゃるでしょう。
浄土真宗本願寺派には、得度の後には教師と言う資格があります。
教師を取れば、望めば教義を修める「学階」の道に進むこともできますし、
これにはたくさんの段階が用意されています。
伝道布教には布教使という資格、勤行や作法には勤式という場所が用意
されていて、前期・後期を終了すると特別法務員資格が与えられます。
本願寺で勤行するには、この特別法務員資格が必要。
そこで学べば、それぞれの資格が与えられますが、そこに至る時間と費用
は並大抵ではありません。
私は会社を辞めてから4年の歳月と退職金をかなり注ぎ込みました・・・。
金額は総額で300~400万円くらいかなあ?これには寮費やその研修期
間の生活費、交通費や申請料や京都のホテル代や書籍代も含めてですが。
これは、中央仏教学院、教師、宗学院別科、安居専修科二期、布教使、
学階の取得までですし、期間中には他の事をしながらの期間も含まれます。
それでも、まだまだだなあと日々苦悶の連続です。
でも全国の住職や僧侶がそれを持っているかと言うと、逆にほとんどの僧
侶はそこまで持っていると言うことはありませんのでご安心を。
資格によって違いますが、それぞれ全僧侶の5%~10%くらい。
因みに、お寺の住職は、取あえず教師と言う資格があれば就任すること
ができます。
資格があっても何も保障されませんが、それだけ先があるということです。
なので、興味と時間があれば先は尽きることなく続きます。
それは人生が何度あっても足りないくらいかなあ?
浄土に行けば、そこでは今でも阿弥陀如来が法を説いておられると経典
には書いてありますから、それはこの世が終わっても尽きることなく・・・。
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