
仏教は縁起を説きます、もちろん浄土真宗も縁起がその教えの中心を成し
ています。
親鸞聖人のお言葉の隅々まで、縁起の教えが説かれているのです。
この親鸞聖人の説かれる縁起は、釈尊~龍樹の縁起に通じるもの。
元々、縁起は物事の吉凶を問うものではありません。
それがいつの間にか、縁起の良し悪しに使われている。
仏教は、そのような人々の迷いや、イワレのないことに対して、心の迷いを
解き放つ教えなのです。
でも、私たちは、日々の中でいろんなものに左右される。
占い、風水、お墓の向き、六曜の仏滅や友引。
そして、お祓いや祈祷。
仏教は、その様なとらわれから解放するものであったはず。
それが、さも現在の仏事では、そのことにとらわれているのはなぜ?
縁起とは、私たちの存在すべてに関わっていることで、それをどう受け止め
かが、仏教の教えに通じて行くもの。
そこに、祈祷やお祓いを持って来てしまっては、釈尊の説いた教えを真っ向
から否定しているようなものなのです。
浄土真宗では、世間で言われるような、縁起の良し悪しは問わない。
たとえば、お守りや祈祷というものに頼ってしまうと、逆にそのことにとらわれ
てしまうのです。
位牌や戒名にこだわると、また心がそのことにとらわれてしまう。
本来の、仏弟子としての道を歩むという教えから、逸脱してしまう。
浄土真宗では、その様にとらえて行きます。
ただそれを強制することはない、ただその様なとらわれから、少しづつ心を
解き放って行けばいいのです。
そうすると、心が逆に軽くなって行くのです。
そして、その私を見守る存在がある。
いろいろ経験されたり、いろいろ考えられたり。
でも、最後に行き着く場所は必ずありますよ。
それは、すべてのとらわれから解き放たれる世界が。
もちろん私は、まだまだ、ですね。
いつも、日々、いろんなことにとらわれています。
でも、ちゃんと先が見えていれば良いのです。
そんな世界があることを、ちゃんと。
そうであれば、そこに少しづつ近づいて行けるのでしょう。
無理をせずに・・・。
- カテゴリ:
- 浄土真宗的生活のすすめ

































































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