宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2012年11月

悲しみを抱いたまま・・・。

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今日は、今年息子さんを亡くされた方の宅参り。

報恩講に合わせて月命日をお勤めした。

奥さんは、阿弥陀経と正信偈を一緒に唱えられていた。
以前は、お経になると席を外されていたのだ。
でも、息子さんを亡くされてからは、必ず一緒に唱えられる。

ご主人は、「和尚さん、やっぱり忘れられんは・・・。」

そうですよね、時間が経ったって忘れられないですよね。

でも仏様やから、見守ってくれてるんですよね、きっと。

お経を唱えている間、すべての心は仏様に見守られ、すくわれている
んだなって感じた。

残された者の悲しみが癒えない、そんなこともたくさんある。
親を先に見送れたなら、癒えるときもあるかも知れない。
でも、お子さんを先に亡くされた方は、死ぬまで思い続けることもある。

僕は、それでいいと。
悲しみも消えないし、忘れることなんかできない。

だから年忌法要があるんだ。

「息子の50回忌は勤めたいけど、それまではもたんな・・・。」

以前、ご主人はそう仰られていた。

僕も無理ですね、でもどなたかがきっとお勤めされると思います。
そう答えた。

悲しみも抱いて生きて行く、そこに仏様がいらっしゃるなら。
そのままの自分で、無理をする必要なんかない。
そのまま受け止めてくれるだろう。

お勤めの後、三人で食卓を囲んだ。
お寺のこと、たくさんお話しした。

いろんな思いが交錯する、そこにいることも、亡き故人のご縁である。

いつか私たちも浄土に旅立つのだ。


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これからの僧侶に必要なもの・・・もし僕が18歳なら。

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これからの僧侶に必要なもの。
浄土真宗的にという前提で、あくまでも独断と偏見で・・・。

社会経験・・・社会的なバランス感覚、できれば仕事をしてた方がいい。

情報通信スキル・・・PCやネットを使って自由に情報を操作できる。

仏教・・・できるだけ広範囲に、そしてインド原始仏教に精通する。

浄土真宗・・・教義と儀礼(作法・勤行・声明)に通じること。
        学階は取るにこしたことはない。

布教使であること・・・別に絶対ではないが、ある方がよい。

特別法務員・・・これも絶対ではない、余裕があれば。

良い師に出遇う・・・有名でなくても、大学の先生でなくてもよい。
            偏っていなくて信頼できる師。

学校に行くなら・・・大学に行くなら、全く関係ないところ。
           社会経験を積んだら、中央仏教学院がいい。

旅をする・・・日本の寺社、そして世界の宗教施設や聖地を巡る。

他宗派を経験する・・・たとえば禅、修行など、できるだけ深く。
              もちろん教義も学ぶにこしたことはない。
              瞑想など、東南アジアの仏教も大切です。

ブログ・・・自分の感じたまま、そして体験を、とにかく書き綴る。

カメラ・・・写真を撮る、とにかく撮りまくる。

20代で、もしこれだけのことができたなら、僧侶として十分に食って
いけます。
相当な情報発信ができるし、誰にも情報で負けないでしょう。

もちろん、New Typeの僧侶として活躍できる。

もし僕があと30歳若ければ・・・。

如来の真意を聞いてみる・・「天上天下唯我独尊」。

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お釈迦さまの誕生の説話に出てくる言葉。

「天上天下唯我独尊」

この言葉はあまりに有名だ、でもなぜかあまり意味は分からない。
ってことが多いのでは。

実は、この訳は玄奘訳であり、元は違っているのだそうです。

原文の訳は「天上天下唯我為尊」。

さらには、この文はその後に続く言葉を持って、初めてその真意が
伝わるのです。
つまり、この文だけが一人歩きしていて、様々な解釈や誤解を受け
るのだ。

「天上天下唯我為尊 三界皆苦吾当安之」となります。

天上天下、唯我を尊しと為す。三界皆苦、吾、当に之を安んずべし。

あるいは、

天上天下、唯我を尊しと為す。要らず衆生の生老病死を度せんと。

この言葉は、阿弥陀如来の第十八願へとその思いは続くのです。
すべての衆生を救うと誓った願いである。

もう私は、迷いの道に戻ることはない、すべての衆生を救うために。

なぜ、仏となるのか、その意味がここに込められているのです。

ここに仏の自利と利他が円満となる。


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(浄土真宗の)僧侶の口癖・・・。

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これはあくまでも僕が感じたこと。

前からこんな言い方をしていたけど、最近そうだなって思った。

浄土真宗の僧侶同士で会話しているときに、よくあること。

「浄土真宗的にはちょっと違うけど・・・云々。」

「浄土真宗的にはこうなんだけど・・・云々。」

こんな言い方をすることが良くある。

わざわざ、こんな前置きをすることがとっても多い。

やはり教義となると、おいそれと自分の考えを前面に出す訳には
行かない。
でも自分の思いや観念を話すときに、こんな言い方をする。

浄土真宗の教義とすこしニュアンスが違うとき、もしくは自分の思い
を話すときかも知れない。

この前、ある布教使の方と話しをしているとき、お互いにそんなふう
に前置きをしていることに気づいた。

以前から、そんなことよくあったのだけど、この前は改めてそう感じ
た。

一々前置きするの面倒だよねえ、浄土真宗の僧侶って・・・。
なんて笑った。

他の宗派の方々同士が話しをする時にも、こんな前置きするのかな。
それとも浄土真宗だけ?

浄土真宗は修行をしない前提、そして教えを聞くことが最も大切な
こと。
だから教義にこだわる、白黒をつけなきゃいけない。
なので、こんな言い回しをすることが多くなるのです。

浄土真宗的な教義は押さえつつも、微妙に自分の思いを話すとき
など、そんな感じ。

よその人が聞いてたら、この人たちおかしいんじゃないって思うかも。

自分でもおかしくなった。

これってどうなの?




他力を語る者の、他力知らず・・・。

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境内の公孫樹の樹。

少し前までは、黄色の葉でいっぱいだった。
でも、10日くらいで今年は一気に散ってしまった。

今は幹と枝だけ。
これからは冬を迎え、風雪に耐える。
そして春を待つ。

こうして季節は繰り返される。

今日は、ご門徒さん宅を報恩講で訪ねた。
時間があったので、二時間くらいお話しをした。
もちろんお経も唱える。

今年二十五回忌を終えたお父さんのお話し。
息子さんのお話し。
仏教のお話し。
親鸞聖人のお話し。
お寺のこと。

たくさんたくさん、尽きることなく。

いつまでもお元気なら良いけれど、やはりいつか終わるときがくる
のだろうな。
来年も再来年も、たくさんお話しができたら良いけどな。

あとは、認知症のお話しも・・・。
仏教のこと、親鸞聖人の教えのこと。
それを深く考えておられるのなら、心配はないですよ。
そうお互いに顔を見合わせながら、笑った。

生きている限り、いろんな悩みがつきまとう。
生きている限り、いろんな苦と向き合う。

それが定めなら、それを受けとめて行くのだ。
一時の幸せは、それは本当の幸せではない。

本当の心の安心を得るには、やはり人間最後は宗教しかない。
だから人間は宗教を追い求めるのだ。

それは、自分で解決できない問題があるから。
自力では解決できない問題だ。

だから仏教は、必ず最後は他力に委ねるしかないのです。

その最後の絶対他力が悟りの世界なのだと感じる。

仏教の最終的到達点、それが他力なのかも。

でも本当は、中々その境地に達することはできない。


論語読みの論語知らず、と言う言葉がある。

絶対他力の心棒者は、その他力の本質を見ていないことがある
んじゃないかなと思うことがある。

他力はなかなかたどり着けない竟地なのだということに。

では凡夫を救うためにと言った阿弥陀如来、親鸞聖人の真意は
どこにあるのかを。



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いのちの流れの中に、我がいのちを感じるとき・・・。

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大きないのちの流れがある。

その流れに逆らって生きているのかも知れない。

でも、あるとき、そのいのちの流れに身をまかせてみる。

そして、いつしか、いのちの流れにとけこむ。

いのちが一つになる。

すべてのいのちがつながっている。

生まれ変わり死に変わりして行くいのち。

でもその、いのちの流れはとどまることなく、とまることなくつづくのだ。

そこの、私のいのちもある、間違いなく。

すべてが一つなのだ。

すべてのいのちが一体となる。

そんな世界がある。

涅槃である、寂静である、悟りである・・・。

そんな感覚に至ったなら、人はその心を忘れない。

その感覚のまま。

現生において、そんな感覚に至ることができる。

南無阿弥陀仏とはそんなことかな。


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もっと光を・・・。

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光りによって、ものはその色を映し出す。

光りがなければ、色はまったく意味をなさない。

暗黒の世界であれば、その色は何も映さないのだ。

紅葉も光りによって輝く。

太陽の光に照らされるかどうかで、その輝きが違う。

人は光の世界と暗闇の世界を知っている。

それゆえに、光りに導かれて行くのだ。

もし、死後の世界が暗黒、つまり冥土であれば、その死に怖れを感じ、
そして穢れを想うのだろう。

でも、そこが光輝く世界であったなら、そこに希望を感じることができる。

詩人のゲーテは、最後にこう言ったと言う。

「もっと光を・・・」

やはり、神の存在や仏の存在も、光りに関わる存在が多いのだ。

太陽であり、光りの存在なのだ。

ただ、この光の存在も、暗闇があって初めてその存在に気づかされる。

やはり光と陰は同時に存在するのでしょう。

どちらもしっかりと受け止めて行く。

私の心もそうだ・・・。

しっかりと・・・・。

冬もあたたかく・・・冬の宿坊を楽しむ。

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HEAT何とか・・・。
いろいろな言葉があるので覚えられないな。

でもこの毛布って暖かい、敷きパッドと掛け毛布、これがあれば寒い
冬でもあたたかい。

どんな構造になってるのか知らないけど、確かに熱が逃げないって
ことが分かる。

宿坊の和室の談話室にはコタツがある。
そしてエアコンとファンヒーター。

鳥取の山里の冬も楽しめる。
冬は冬の宿坊の楽しみ方があるかな。

そんなこと考えながら、初めての宿坊の冬を迎えています。

車での峠越えはちょっと厳しい季節。
高速バスや、特急ならあまり問題はないですね。

冬の宿坊も魅力的です。
山に積もった雪。

そして、コタツに入って雪景色を楽しむ。
意外と心が落ち着きますよ。

昨日は、三世代の方が宿坊に来られました。
おじいちゃんとおばあちゃん(と言ってもまだお若いです)。
娘さんとお孫さん四人、総勢七人が宿坊で過ごされました。

一組だけなので、気兼ねなしにゆっくりされていたと思います。

うん、宿坊の良さは、こんなところにもあったか。
ちょっと再認識しました。

朝は全員で、本堂のお勤めに参加されました。

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無邪気さと素直さと・・・一枚の絵から感じること。

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一枚の絵がある。

そこから感じること、それは無邪気さと素直さ。

温もりがあり、夢に満ちた世界。
すべての人が楽しそうだ。

うーーん、浄土ってこんな感じかな。

この絵は、僕の友人の知り合いが書いた絵。
友人が宿坊に訪ねて来たとき、持って来てくれた。

決して高価ではない、ただプリントしたもの。
でも、そこからあふれ出してくるものを感じる。

ナンバリングはしてあるけど、フリマで売ってるだけだそう。

この絵は宿坊に合う!
瞬間にそう感じた。

この人が書いた絵を宿坊に飾って、訪れる人を迎えたいな。
そう皆の顔から笑顔がこぼれるだろうな。

さて、来シーズンの宿坊は、シュンスケの絵と露天風呂を売りにして
行こう。
それともう一つ、ヨガのリトリート。

さて、来年の楽しみが増えたな。



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遠方より友来る、会話はどうかな。

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昨日、横浜より学生時代の友人が、宿坊を訪ねてきた。

何年振りだろうか、おそらく10年振りくらいだ。
現在は東京でスポーツ用品メーカーに勤めている。
さすがに東京だけあって、垢抜けしていて、若く見えるな。

宿坊をしていなければ、訪ねて来ることはなかっただろうな。
これも宿坊を始めたことによる縁だ。

ここ数か月、宿坊って人を引き寄せる力があると感じることがある。
宿坊って、人と人との距離を縮めるのかも知れない。

今の時代、観光目的の旅って少なくなっていくんじゃないかな。
何故なら、高齢化社会になるけど、その方たちはいろんな場所に
すでに行っておられる。
若者たちは、ただの旅行ってあまり行かなくなるのかも知れないな。

観光以外の目的がなければ人は動かなくなる様に思う。
観光以外と言えば、やはり人とのふれあい。
あとは、特別ではなく普通の自然の中に滞在する。
そして、何かを体験すること。

宿坊には、それらを満たす魅力がある様に感じるのです。

心と身体の癒し、休息、修養など。
それらの要素が、すべて含まれている。

そして山里の自然の中で、普通の田舎の魅力を引き出す。
そんな感じかな。


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御同朋、御同行。

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浄土真宗の良いところ。

初めてお会いした方でも、親鸞聖人を通じてすぐにお話しができる。
御同朋という感覚がある。

そして、そのみ教えをお話しする。
そこには、御同行という思いが伝わるのだ。

今回、本願寺新報をご覧になられて、北海道の札幌からお二人の方
が、わざわざ鳥取の宿坊までおいでになられた。
最初、ご予約の電話をお受けしたときは、えっ北海道からと驚いたの
です。
この宿坊始まって以来の、遠方からのお越しとなります。

お二人は、まさに御同朋であり御同行の方々。
そこに私も坊守も加わる。

あっという間に、もう他人でなくなる。
宿坊のいいところは、そんなところにもある。

お客様ではあるけれど、すぐにそれを超えた関係になる。
お部屋でお話しすると、もう他人じゃないのだ。
旅館やホテルでは、あくまでもお客様と従業員の関係は変わらない。
いくら応対が良くても、たとえリッツカールトンでもそうだろう。

でも宿坊は違う、もう家族の様な関係になる。
ちょっと違うかな、古くからの友人の様な関係かも知れない。
そんな暖かさが宿坊にはあるのです。

今回2泊3日のご縁でありました。
また近いうちにお会いできる、そんな気持ちになりました。
北海道と鳥取で距離は離れているけど、そんな気がした。


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和讃・・・悲歎述懐、親鸞聖人の心の奥底か。

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親鸞聖人の和讃の正像末の三時を説いた和讃、「正像末和讃」。

その中に、「悲歎述懐讃」がある。

これは、親鸞聖人の心の叫びとでもいえるような和讃。

自らの心を見つめるとき、とても清らかな心などない自分に気づかされる。

告白と言うには、あまりに厳しい言葉の連続である。

その最初の和讃

「浄土真宗に帰すれども
       真実の心はありがたし
               虚仮不実のわが身にて
                      清浄の心もさらになし」

ここでの浄土真宗とは、浄土の真実の教えであり、法然上人の教えとも
言えるのではないか。
常にこの言葉でわが身を振り返るのでしょう。

中にはこの様な和讃も

「悪性さらにやめがたし
        こころは蛇蠍のごとくなり
                修善も雑毒なるゆゑに
                        虚仮の行とぞなづけたる」

このような私にとっては、修善でさえ、ただの雑毒でしかない、ただの
虚仮の行なのだ。

この悲歎述懐讃は、中途半端に詠んでしまうと、火傷しそうなくらい。
そんな言葉が並んでいる。

でも親鸞聖人は、この和讃を詠まずにはおれなかったのでしょう。
そのお心は、まだ私には届かないな。




英月さんと宿坊談話室。

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                              (釋英月師 in宿坊光澤寺 談話室) 

報恩講とは何なのだろうか。

釈尊、阿弥陀如来、宗祖、七高僧、ご先祖。

すべてのいのちの流れ、そして教えの流れの中に、私たちのいのちが
包まれている。

そのことに思いを馳せ、感謝をし、そしてそのご恩に報いて行こうとす
ること・・・。

その思いが報恩講法要につながっているのではないか。

すべてのいのちに感謝をする。

そこに、私の思いを超えたものがあるのでしょう。

すべては、不可称・不可思議・不可説なもの。

そこに「思いを超えた」ものが存在する。

思わず手を合わせる、そして称えずにはおれないはたらきがある。

「南無阿弥陀仏」

英月さんのご法話には、その様な思いを感じました。

そして、そこにつながるものがある。

つながっていたことを感じること。

それが縁起。

尊いご縁まことに有り難いことなのですね。


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宿坊周辺散策・・・秋の因幡路


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イベントが終わった次の日、鳥取の因幡路はきれいに晴れ上がった。

宿坊研究会の堀内氏と、因幡路の散策に出かけてみた。

先ずは、宿坊から車で15分くらいのところにある、「岩屋堂」へ。

ここは重要文化財に指定されていて、崖の洞窟にお堂が立てられて
いる。
有名な三徳山三佛寺と共通している建造物である。
国道から近く歩いてすぐなので、非常に行きやすいのが特徴です。
行ってみると、聖域なのが分ります。

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次は、最近話題の「若桜鉄道」
ここは、若桜鉄道の建物から線路までが、すべて有形文化財指定を
受けています。
今や、鳥取県東部の町おこしの一番手に名乗りを上げています。

この「さくら号」も、鉄道マニアにとっては魅力の車両です。

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ここは「鳥取砂丘」

鳥取に来たら、先ずは一度は見ておきたい場所。
やはり感動の風景です。

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八頭地方の秋の名物と言えば、柿です。
写真は、「花御所」と言ってブランド柿の名産品です。
とっても甘く、果実の王様と言っていいくらいの甘さですよ。

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紅葉の落ち葉の中を散策する堀内氏。

ここは八頭の「清徳寺」。
紅葉の名所です。

堀内氏もいたく気に入っておられました。

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こちらも「清徳寺」

晩秋の因幡路を堪能できますよ。

今のトレンドの地域活性化は、新しい何かを作り出すのではなく、そこ
にあるものを再発掘すること。
すでにある地域資源を見直して行くことにある。

何故なら、どこも町おこしはたくさん。
それらと同じ土俵に乗っても、差別化できないし、お互いの消耗戦。

ならば、今あるものの魅力に気づくことが大切。
都会の目線と田舎の目線は違うのです。

あるがまま、自然のまま、そしてそこにある歴史が町おこしのポイント
になるのですね。


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「やずブータン村」発足記念講演会by堀内克彦氏

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今日は、寺社コンに引き続いて「やずブータン村」発足記念講演会を
開催しました。

今回の開催には、本当にたくさんの方々の協力がありました。
感謝に絶えない気持ちでいっぱいです。

講師は宿坊研究会の堀内克彦氏。

宿坊の歴史から、宿坊で体験できるもの。
そして宿坊の可能性をお話しいただいた。

後半は、宿坊とお寺と地域活性化がテーマでした。

全国の宿坊、そして寺社を巡り歩かれた経験。
今や全国的に名の知られた宿坊を、始まりから見て来られたこと。

これからの地域活性化における宿坊の役割。
そして、宿坊の持つ魅力について、十分にお話しいただきました。

確かに、宿坊を今年の春に始めてから、いろんな出会いがあり、
いろんなキッカケがあった。

新しいことを始めるのは、すべてが手探りなので苦労も絶えない。
でも始めることで、見えてなかったことや思い至らなかったことが、
いろいろ見えて来るものもあった。

天候は雨模様でしたが、この地域のキーとなる方々が参加されてい
て、面白い講演会となりました。

さて、いろんなお話しは聞いた。
その上で、地域を巻き込んだ流れを呼び起こせるか。

いよいよスタートのときです。




お寺で写経体験中・・・寺社コン二日目。

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今日は、寺社コン二日目です。

お勤めをして、少し法話のあと、朝食です。

今日の寺社コンの体験メニューは、瞑想と写経。

今は、写経中です。

皆さん真剣に写経に取り組まれています。
14名中、約10名の方が写経初体験。

写経は、『般若心経』と『重誓偈』をご用意しました。
どちらでもお好きな方を選べます。

今日は、半々ぐらいでしょうか。

浄土真宗では『般若心経』をお唱えしないので、『重誓偈』で始める
方も多いですね。

それぞれ作法や考え方が違うので、どちらも体験されると面白い
かも知れません。

ただいま寺社コン、真っ最中です。

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                                                    (写真の許可はいただいています)
ただいま寺社コン、真っ最中。

今日から明日にかけて、1泊2日で宿坊光澤寺で寺社コンです。

仕掛け人、堀内氏を囲んで皆さん盛り上がっています。

自己紹介とお勤めの後は、先ずは近くの日帰り温泉で身体を温めて。

今日は、夕食にはイタリアン精進料理をメインに、盛り皿を用意しま
した。

夕食に引き続いて、懇親会も開催しています。

外は雨だけど、部屋の中は熱気があふれています。

お酒もたくさんご用意しています。

ここは宿坊、帰りの電車も車もタクシーも気にすることなく、ごゆっくりと。

楽しい会になってそう、賑やかな声が聞こえてきます。

今日の参加の方々は、遠方からも来られていますよ。


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さあ寺社コン開催・・・宿坊研究会堀内氏来る。

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今回、「やずブータン村」で企画した、寺社コンと講演会の講師として、
宿坊研究会の堀内氏が宿坊光澤寺にやって来られました。

これは宿坊を始めたときからの念願でもありました。

お昼過ぎ、堀内氏とお会いしました。
とても気さくで、でも魅力的な方でもありますね。

明日からの寺社コンと、明後日の講演会が楽しみです。

これからの宿坊光澤寺と「やずブータン村」をどう展開して行くか。
今晩から、もういろいろと堀内氏と話しをしました。

東京からおいでいただいているので、とてもお疲れだと思いますが、
丁寧にお応えされます。
さすがに、全国の寺社や宿坊を巡られているので、話題が豊富です。
そして、寺院側や宿坊側ではない視点なので、私としても参考になり
ます。

いろんな出会いが、これからの展開のヒントになる。
そして具体的になって行く。

さあ、これから二日間、ちょっと気合を入れよう。
そしていよいよ次の展開へ向かって進むのだ。


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『阿弥陀経』が意味するもの。

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『仏説阿弥陀経』、これは浄土三部経の経典のうちの一巻です。

一番短く、内容も分かりやすいと言われています。

お釈迦様の説法も、親鸞聖人の教えも、僧侶のために説かれている
のではない。
あくまでも民衆のために説かれた教えなのです。
でも、僧侶はそれを勘違いする、俺はこんなに教義を学んだ、俺は
偉いのでと・・・、上から目線になる。

そうじゃないよ、民衆に教えを説くために、弟子や僧侶に教えを説い
たんだよ。
民衆に教えを説く、つまり民衆を救うために説かれた教え。
それが僧侶にかかれば、どんどん難解な教義に入って行く。

お釈迦様の八万四千の法門と言われる由縁は何か。
それは一人ひとりに違う教えを説いたから。

『阿弥陀経』は、お釈迦様が多くの弟子の前で、一番弟子の舎利弗
に伝えて行く、お前がこの教えを受け継いで伝えて行くのだと。
そしてあらゆる諸仏がその教えを護念して行くと誓う。

それは、民衆のために。

そう、僧侶は民衆に教えを伝えるために学ぶのです。
自分たちのためなら学ぶ必要さえなくなると言ってよい。

すべての人々の心を安んずるために・・・。

『阿弥陀経』は、その原点となる経典なのですね。


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英月さんのご法話・・・『思いを超えて』。

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法話のご講師に英月さんをお迎えして、光澤寺報恩講をお勤めしま
した。

『正信偈』を皆で唱えます。
全員で唱えるのは、やっぱりいいですね、皆の心が一つになります。

そして、ご法話は英月さんです。
今回は
ご無理をお願いして、鳥取までおいでいただきました。
鳥取に来られるのは初めてだそうです。

10年間の渡米をされたことの思い、ご実家のお寺に帰られたこと。
たくさんお話しをしていただいた。

声もよく通り、面白く、でも有り難いお話しをたくさん聞けました。
後半は、トークショー形式で、皆さんのご質問を伺いながら、和気合い
合いと進めて行きました。
最後まで残られた方とは、ご一緒に記念撮影もしました。

結構皆さん、若々しく写っておられますよ。

今日は、宿坊に泊まっていただいたので、夜遅くまで、いろんなお話し
をお伺いすることができました。
お疲れだったことでしょう、感謝申し上げます。

宿坊の展開なども、いろいろお話ししていただきました。
また、心を新たにすることもありました。

やはり輝いている女性は素晴らしいですね。

僕も、「思いを超えて行こう」!

宿坊と地域活性・・・宿坊研究会堀内氏との出会い。

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                     (写真:宿坊研究会)

「やずブータン村」発足記念の講演会が、11月18日(日)午後2時~
光澤寺(宿坊光澤寺)で開催される。

講師は、堀内克彦氏

旅行家であり、日本中のお寺と宿坊を訪ね歩かれている。
もしかすると、今一番HOTな寺社研究家ではないか。
過去一年間に限れば、おそらく日本で一番お寺を訪れているかも
しれないのだ。

宿坊に関しては、圧倒的に一番であろう。
何しろ、この宿坊光澤寺にでさえ、今週やって来られる。
その上、寺社コン&講演会まで開催する。

宿坊光澤寺は、全国で一番訪れた人が少ない宿坊であるのは間違
いない。
宿坊研究家としては、面目躍如というべきか。

それは、宿坊を始めたときからの、私の念願であった。

何故なら、宿坊を始めようとHPを開設したばかりの頃、お客さんも
まだ一人も来ていないとき、というか旅館業の申請段階のとき、早く
も宿坊研究会から問い合わせが入ったのです。

なぜ分ったのかなあと思いつつ、宿坊研究会が発行しているガイド
ブックは購入していたので、とにかく登録をお願いしたのです。

宿坊光澤寺への問合せ第一号であったのは間違いない。

それが年内に出会えるとは、不思議な縁です。
これが関東とか関西というなら話は別だが、鳥取の山奥です。

今、お寺も地域も活性化へ向けての活動が盛んです。
でも、ちょっと上滑りしてるような気がしています。
どちらも地に足がついていない様な感じ。

僕は、宿坊をフックに、お寺と地域の活性化を目指している。
田舎には、心地よい宿泊施設が必要なのだ。
それも旅館やホテルとは違う、生きている宿泊施設。
そして活動する宿坊。

待ちではなく、こちらからアプローチして行くような。

堀内氏との出会いによって、新しい展開が始まることを予感している。

まったく新しい発想と、原点との融合である。
そこに何かが起こる!

それが、11月18日に。
ぜひ講演会に足をお運びください。


宿坊光澤寺のHPはこちらへ!





明日は光澤寺報恩講です。

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明日はお寺の報恩講です。

今日は昼から駆け込みでその準備に追われました。
普段綺麗にしているようでも、掃除をしてもしても追いつきません。

それにまして、明日は今年一番の冷え込みです。
ご年配の方のお参りが多いので、大丈夫かなあ?
ちょっと心配。

でも、明日のご講師は、「阿弥陀ビーム!」の英月さんです。

実は、私も初めてお会いするので、ちょっと緊張気味です。
こんな鳥取の山の中のお寺においでいただくのが、申し訳ないくらい。

お迎えする以上は、思いを尽くしてお迎えしたい。
なので、準備もラストスパート!


今日の正座の時間は・・・。

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今日は報恩講で、ご門徒さんの自宅へお参りしてきた。

1年で1回しかお参りしない家もあるので、できるだけゆっくりとお参り
することにしている。
皆さんとは普段中々世間話をするときは少ない、なのでいろんな話し
をする。
天気や行事のこと、家族のこと、最近のマイブーム、etc・・・。

目安は、1軒1時間くらい。
今日は10軒でしたので、約10時間になりますね。
8時過ぎにお寺を出て、夜6時くらいに終了した。
もちろん、今日はお昼抜きです。

お経を唱えるとき、お腹に入っていると声が響かなくなります。
なので、食べない方が楽だったり。

読経は常に経本を目で追いながら、常に経文と向き合う。
すると、その思いと巡りあえるときがある。
なので、必ずご文を追って行くのだ。

今日のお釈迦様、、そして親鸞聖人との出遇いである。

お勤めは、『正信偈』和讃六首引が基本です。
それにご要望があれば、『阿弥陀経』も唱えます。
1軒で約45分正座をするので、今日は約450分間の正座でした。

時間にすると7.5時間正座していたことになります。
これが続くと、膝と足の甲の痛みが何日間も残ります。

正座の場合、体重も影響するので、減量が必須ですが歳とともに増
え続けるので、そちらもちょっと心配ですね。

お勤めの前と後には、お茶を出してくれるので、トイレも頻繁にお借り
することになる。
さすがに読経の途中で中座はできないので、なるべく早めに行く様に
しているけど、これもやっぱりタイミングが難しいなあと。

でも一年で一番大切な行事なので、あと一か月やり抜くしかない。


宿坊でイタリアン精進料理を食す!

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宿坊で、昼食にイタリアン精進料理を食べたいとの申し出があった。

カルチャースクールの13名の方です。
皆さん、いろんなところに食べに行かれているようで、相当グルメな
方々だと思います。

先生からのご要望なので、できるだけゆっくりしていただける様に、
そして、美味しく召し上がっていただける様に工夫しました。

普通の寺で食事をすると言うことが、驚きだったのかもしれませんね。
そこでイタリアン精進料理とは、さらに驚きだったでしょう。
中庭を望める和室で、静かに昼食を・・・。
でも、皆さん楽しそうに歓談されていました。
何しろ、周りを一切気にしなくて良いのですから。

メニューは
①豆乳ときのこのスープ・・・オリーブオイルで味付け。
②しめじと銀杏のリゾット・・・ねぎのワイン煮添え。
③水菜と油揚げのパスタ。
④冬大根のボッリート粒マスタードソース。
⑤サツマイモのオレンジ煮・・・ヴァニラ風味。
⑥ひじきとペンネ。

食後には、コーヒーとカフェオレ大福をお出ししました。

皆さん初めての食感なので、興味津々、でも美味しくいただいた様
です。
やさしいお味でしたという感想も。
全員、すべて残さずお食べいただきました。

レシピもご要望があったので、コピーしてお渡ししました。

このイタリアン精進料理は、西本願寺のレシピです。

紅葉の始まったお寺で、皆さんごゆっくりとされたと思います。

午後は、お寺で写経をされる方、近くの窯元に行かれる方、それぞれ
楽しまれました。

こんな企画も面白いなと感じた一日。

宿坊光澤寺では、皆さんのご要望に、できるだけお応えできるように、
準備をしてお待ちしています。


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八正道を考える

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釈尊が悟りになられた竟地、それが四諦。

四諦とは、「苦諦」・「集諦」・「滅諦」・「道諦」のこと。
これは因果律に基づいています。

「苦諦」は簡単に言うと、四苦八苦のこと。
これは「果」と捉えます。

「集諦」は、私たちと切っても切れない煩悩のこと。
これが「因」。

つまり、無明による煩悩によって、苦が生じるのである。

そして「滅諦」、これは涅槃寂静の竟地。
悟りの状態と言っても良いのでしょう。
仏教の最終到達点と言っても良いかも知れません。
これは「果」です。

その涅槃寂静に至るために、「八正道」が示される。
それが「因」となります。

仏教の基本は因果律に基づいているものなのです。

その八正道をどうとらえて行くか、そして何に重点を置くかは、それ
ぞれの判断になるのではないか。

基本は「正見」、これは八正道すべてに通じるもの。
「正見」がなければ、八正道すべての意味が違ってくる。
いくら仏教的な思考があったとしても、「正見」がなければ間違った
方向に進んで行ってしまう。
新興宗教などは、その傾向が顕著であるでしょう。
迷いを解き放つものが、迷いに引き込むことも多いのです。
ですから「正見」が大切なのですね。

「正見」とはものごとを正しく見る智慧と表現されます。

日本の各宗派は、大乗仏教なので八正道ではなく、六波羅蜜とも
言われますが、この八正道にも通じていると思います。
原点はやはり八正道でしょう、その「滅諦」にたどり着く方法や思考
がそれぞれの宗派の特徴となっているとも言えます。

そこに、自力と他力の立地点の違いもある。

八正道には「正見」・「正思惟」・「正語」・「正業」・「正命」・「正精進」
・「正念」・「正定」がある。

「正見」のもとに、それぞれの宗派の考え方があるのでしょう。
まあ、いろいろ考えて行くと面白いですね。

因みに、六波羅蜜とは、波羅蜜(パーラミータ)つまり到彼岸、涅槃
の竟地に至るための六つの実践方法のこと。
「布施」・「持戒」・「忍辱」・「精進」・「禅定」・「智慧」のことですね。

ここに至っては、浄土真宗は大乗であっても、自らの実践はありま
せんね。
絶対他力によるものなので・・・。

だからと言って、八正を否定することはあり得ません。
誰もが、真理に近づく努力は必要なのです。
ただ、到彼岸については自力でなく他力だと言っているだけです。


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秋の深まりと報恩講・・・報いきれなくても。

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少しづつ秋が深まる。

山里も紅葉がだんだん下りてくる。
山の上から里へと移り変わる。

12月に入ると、今度は雪がだんだんと下りてくる。
先ずは山頂付近からだ。

今のところ、11月はまだ過ごしやすい。
それほど底冷えする日は少ない。

この時期は、浄土真宗のお寺は報恩講で忙しくなる。
年末に向けて慌ただしい時期、そこにお寺の行事やお参りがある。

でもそれを終えないと歳が越せない、といった感覚もある。
ちゃんと感謝の心で今年を終え、新しい歳を迎えるということ。

やはり人は、感謝の心が必要だ。
何に感謝するのか、それは具体的である必要はない。

目に見えないものであったり、すべてのいのちに感謝するって感じで
しょうか。
その心が、人の心を豊かにするのです。
現実の物やお金にだけとらわれやすい、私たちの心を解きほぐす。
そして潤いを与える。

そうすると、手を合わせるという行為が自然に溶け込んで行く。
その心が美しいのです。

禅の竟地にしても、最後は自然に融け合うのだ。

歩む道はいろいろあります、でもちゃんと伝えなくては意味がない。

浄土真宗には『恩徳讃』という親鸞聖人の詩があります。
これを皆でおとなえする。

報いきれない恩を受け取る、そこにありがたいと思う心があり、そし
て、せめてもの私の思いで、仏様を讃える。

その先には、阿弥陀如来の願いがある。


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心でお経を称え、そして精一杯唱えるとき、思いが共振する。

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先日、宿坊に来られた方から、お手紙をいただきました。

浄土真宗では、法要のときお経の前に『三奉請(さんぶじょう)』を唱え
ます。

阿弥陀如来、釈迦如来、そして十方の諸仏を敬い、その場にお招きす
る作法、そのとき散華を撒きます。

華のを降らして仏様をお迎えするのです。

何と美しい光景か・・・。

あるときこんなことを仰られる僧侶がいらっしゃった。
仏様はいつも見守っておられるのだから、『三奉請』を唱えてまわざわざ
お迎えする必要なんかないと・・・。
 でも私たちは、仏を敬い讃嘆し、丁重にお迎えするのが礼儀。
やはり礼を尽くすこころが必要なのです。儀礼をおろそかにすると、すべ
てが疎かな方向に進んでしまう。
いつも見守って下さっていることへ感謝の心を持ってお迎えするのです。

お手紙をいただいた方が宿坊に来られたとき、「お経が大好きです」、
そう仰っていた。
そして、お帰りになられるとき『阿弥陀経』をお唱えした。
そのときお経の前に『三奉請』をお唱えした。

今日のお手紙に、その時の御礼が書いてありました。
 「そのときのお声は深く美しく朗々として心にしみてゆきました・・・」そして、
「深い感動のうちに阿弥陀経が終わりました。」
私にとって、これ以上ありがたい言葉はない。

やはりお経は心で称えるものでしょう、でも声も非常に大切だと感じます。
心から仏様の声を聞きながら、その言葉を精一杯唱えるのです。
 その声は波動となって、伝わって行くのだと感じています。

もちろん、それを聞かれる方の心によって、それが共振する。
そのときに仏様に包まれてる思いがあるのだと。

同じお経を唱えても、その唱える心、思い、そして、受け止める心。
それが違えば、お経の意味も唱える意味も、すべて変わる。
何でも唱えれば良いと言うことはないのです。

それらのすべての思いの中に、法要はあるのでしょう。


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心でお経を称え、そして精一杯唱えるとき、思いが共振する。

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先日、宿坊に来られた方から、お手紙をいただきました。
浄土真宗では、法要のときお経の前に『三奉請(さんぶじょう)』を唱
えます。
阿弥陀如来、釈迦如来、そして十方の諸仏を敬い、その場にお招き
する作法、そのとき散華を撒きます。

華の雨を降らして仏様をお迎えするのです。 何と美しい光景か・・・。

あるときこんなことを仰られる僧侶がいらっしゃった。仏様はいつも
見守っておられるのだから、『三奉請』を唱えてまわざわざお迎えす
る必要なんかないと・・・。

でも私たちは、仏を敬い讃嘆し、丁重にお迎えするのが礼儀。
やはり礼を尽くすこころが必要なのです。儀礼をおろそかにすると、
すべてが疎かな方向に進んでしまう。
いつも見守って下さっていることへ感謝の心を持ってお迎えするので
す。

その方が宿坊に来られたとき、「お経が大好きです」、そう仰っていた。
そして、お帰りになられるとき『阿弥陀経』をお唱えした。

そのときお経の前に『三奉請』をお唱えした。今日のお手紙に、その時
の御礼が書いてありました。

「そのときのお声は深く美しく朗々として心にしみてゆきました・・・」そして、
「深い感動のうちに阿弥陀経が終わりました。」

私にとって、これ以上ありがたい言葉はない。

やはりお経は心で称えるものでしょう、でも声も非常に大切だと感じます。
心から仏様の声を聞きながら、その言葉を精一杯唱えるのです。
その声は波動となって、伝わって行くのだと感じています。

もちろん、それを聞かれる方の心によって、それが共振する。
そのときに仏様に包まれてる思いがあるのだと。

同じお経を唱えても、その唱える心、思い、そして、受け止める心。
それによってすべてが違うのです。

ただ唱えておればよいなんてことはないのです。

それらのすべての思いの中に、法要はあるのでしょう。


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心でお経を称え、そして精一杯唱えるとき、思いが共振する。

先日、宿坊に来られた方から、お手紙をいただきました。 浄土真宗では、法要のときお経の前に『三奉請(さんぶじょう)』を唱え ます。 阿弥陀如来、釈迦如来、そして十方の諸仏を敬い、その場にお招き する作法、そのとき散華を撒きます。 華の慈雨を降らして仏様をお迎えするのです。 何と美しい光景か・・・。 あるときこんなことを仰られる僧侶がいらっしゃった。 仏様はいつも見守っておられるのだから、『三奉請』を唱えてまわざ わざお迎えする必要なんかないと・・・。 でも私たちは、仏を敬い讃嘆し、丁重にお迎えするのが礼儀。 やはり礼を尽くすこころが必要なのです。 儀礼をおろそかにすると、すべてが疎かな方向に進んでしまう。 いつも見守って下さっていることへ感謝の心を持ってお迎えするのです。 その方が宿坊に来られたとき、「お経が大好きです」、そう仰っていた。 そして、お帰りになられるとき『阿弥陀経』をお唱えした。 そのときお経の前に『三奉請』をお唱えした。 今日のお手紙に、その時の御礼が書いてありました。 「そのときのお声は深く美しく朗々として心にしみてゆきました・・・」 そして、「深い感動のうちに阿弥陀経が終わりました。」 私にとって、これ以上ありがたい言葉はない。 やはりお経は心で称えるものでしょう、でも声も非常に大切だと感じ ます。 心から仏様の声を聞きながら、その言葉を精一杯唱えるのです。 その声は波動となって、伝わって行くのだと感じています。 もちろん、それを聞かれる方の心によって、それが共振する。 そのときに仏様に包まれてる思いがあるのだと。 同じお経を唱えても、その唱える心、思い、そして、受け止める心。 それらのすべての思いの中に、法要はあるのでしょう。 光澤寺HPはこちら!

心でお経を称え、そして精一杯唱えるとき、思いが共振する。

先日、宿坊に来られた方から、お手紙をいただきました。 浄土真宗では、法要のときお経の前に『三奉請(さんぶじょう)』を唱え ます。 阿弥陀如来、釈迦如来、そして十方の諸仏を敬い、その場にお招き する作法、そのとき散華を撒きます。 華の慈雨を降らして仏様をお迎えするのです。 何と美しい光景か・・・。 あるときこんなことを仰られる僧侶がいらっしゃった。 仏様はいつも見守っておられるのだから、『三奉請』を唱えてまわざ わざお迎えする必要なんかないと・・・。 でも私たちは、仏を敬い讃嘆し、丁重にお迎えするのが礼儀。 やはり礼を尽くすこころが必要なのです。 儀礼をおろそかにすると、すべてが疎かな方向に進んでしまう。 いつも見守って下さっていることへ感謝の心を持ってお迎えするのです。 その方が宿坊に来られたとき、「お経が大好きです」、そう仰っていた。 そして、お帰りになられるとき『阿弥陀経』をお唱えした。 そのときお経の前に『三奉請』をお唱えした。 今日のお手紙に、その時の御礼が書いてありました。 「そのときのお声は深く美しく朗々として心にしみてゆきました・・・」 そして、「深い感動のうちに阿弥陀経が終わりました。」 私にとって、これ以上ありがたい言葉はない。 やはりお経は心で称えるものでしょう、でも声も非常に大切だと感じ ます。 心から仏様の声を聞きながら、その言葉を精一杯唱えるのです。 その声は波動となって、伝わって行くのだと感じています。 もちろん、それを聞かれる方の心によって、それが共振する。 そのときに仏様に包まれてる思いがあるのだと。 同じお経を唱えても、その唱える心、思い、そして、受け止める心。 それらのすべての思いの中に、法要はあるのでしょう。 光澤寺HPはこちら!

心でお経を称え、そして精一杯唱えるとき、思いが共振する。

先日、宿坊に来られた方から、お手紙をいただきました。 浄土真宗では、法要のときお経の前に『三奉請(さんぶじょう)』を唱え ます。 阿弥陀如来、釈迦如来、そして十方の諸仏を敬い、その場にお招き する作法、そのとき散華を撒きます。 華の慈雨を降らして仏様をお迎えするのです。 何と美しい光景か・・・。 あるときこんなことを仰られる僧侶がいらっしゃった。 仏様はいつも見守っておられるのだから、『三奉請』を唱えてまわざ わざお迎えする必要なんかないと・・・。 でも私たちは、仏を敬い讃嘆し、丁重にお迎えするのが礼儀。 やはり礼を尽くすこころが必要なのです。 儀礼をおろそかにすると、すべてが疎かな方向に進んでしまう。 いつも見守って下さっていることへ感謝の心を持ってお迎えするのです。 その方が宿坊に来られたとき、「お経が大好きです」、そう仰っていた。 そして、お帰りになられるとき『阿弥陀経』をお唱えした。 そのときお経の前に『三奉請』をお唱えした。 今日のお手紙に、その時の御礼が書いてありました。 「そのときのお声は深く美しく朗々として心にしみてゆきました・・・」 そして、「深い感動のうちに阿弥陀経が終わりました。」 私にとって、これ以上ありがたい言葉はない。 やはりお経は心で称えるものでしょう、でも声も非常に大切だと感じ ます。 心から仏様の声を聞きながら、その言葉を精一杯唱えるのです。 その声は波動となって、伝わって行くのだと感じています。 もちろん、それを聞かれる方の心によって、それが共振する。 そのときに仏様に包まれてる思いがあるのだと。 同じお経を唱えても、その唱える心、思い、そして、受け止める心。 それらのすべての思いの中に、法要はあるのでしょう。 光澤寺HPはこちら!

家庭料理と精進料理はどっち?

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(家庭料理の例、これにご飯と汁物が付きます)

宿坊では何を食べる?

宿坊と言えば、精進料理って感じでしょうか。

仏教的には、本来どちらでも構いません。

お肉や魚は、お釈迦様も食されています。
親鸞聖人は、もちろんですね。

ただ、いのちをいただくので粗末にしないということは大原則ですが。
托鉢でも、昨日の残飯をいただくのです。
庶民の食事ですから、何が入っているか分かりません。
でも残さないということはあったようです。

お釈迦様が亡くなる原因となった、チュンダの食事は、肉料理とも
きのこ料理とも言われています。

前置きが長くなりました。

宿坊光澤寺では、家庭料理と精進料理。
どちらもご希望に応じてお出ししています。

さらには、MIXでも対応しています。
精進料理&家庭料理です。

精進料理は、イタリアン精進料理でもお出ししている。

要は、お客様のご要望次第ですね。

野菜を魚を始めとした食材は、できる限り旬のもの、地元産にこだ
わっています。

さて、みなさんはどちらを選びますか?

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(精進料理の例、こちらもご飯と汁物が付きます)

宿坊でヨガのリトリート・・・実践型仏教テーマパークへ。

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(ヨガインストラクター紹介 : azusaさん と naoさん です。)

西本願寺では、今年度より重点プロジェクトを推進している。

目標は、「開かれたお寺」そして「現代社会の苦悩に向き合うお寺」。
だと僕は認識しています。

もちろん、その根底には仏教や浄土真宗のみ教えに基づいてという
ことがあります。

宿坊を開設した目的もそこにあります。
心と身体に栄養を、疲れた方々、悩みがある方々。
仏教や浄土真宗の教えを学んでみたい方々。
そんな方々に対して、広く開かれたお寺を目指している。

こころに、本当の救いを。
それには仏教や浄土真宗的なみ教えがある。

でも日常の生活で傷ついたり疲れたり、身体も思うようにならない。
そんな方々にも、お寺が拠り所となりたいと思っている。

瞑想や写経はそんな感じで始めた。
そこに、ヨガも加えてみようと思っています。

ヨガは私の専門ではないので、インストラクターのお二人に依頼します。
海外でも研修され資格を取得されている方々で、若い方から80歳代の
方々まで、コースをご用意できます。
これは、西本願寺の重点推進プロジェクトやビハーラ活動の一環として
の実践講座でもあります。
よりよい生活を送るためのもの。

宿坊光澤寺は仏教リトリートを目指しています。
その中で、来年はヨガのリトリートに力を入れてみようと思っています。

日帰りコースから一泊から二泊のリトリートまで。
いろんな体験や研修コースをご用意して行きます。

対象も20代から80歳前後の方まで、様々なコースを。

宿坊なので、ゆっくり泊まって、いろんなお話しをしながら、ヨガに親し
めるように準備致します。
もちろん、講座や法話、お勤めや写経もご希望によって体験できる。
仏教テーマパークの一環でもあります。

詳細は、追ってホームページ等でご案内して行きます。


宿坊光澤寺HPはこちらへ!


お経にあいたい・・・。

DSC_0017 (3)

先日宿坊に、お二人の女性が来られた。

少し遠くからお車で、ちょっと大変だったかなあって思ったけど、よく
おいでいただきました。

宿坊に来られた理由は、「お経にあいたいから」。
ただその純粋な理由でした。

浄土真宗の仏教のお話しもたくさんさせていただいた。
ずっと心にひかかっていたことがあったそうです。

そのお話しもしたら、スッキリしましたと仰っていただいた。
そんなときは、僕も嬉しかったりする。

夕と朝のお勤めは、いつもより長めに。
そして帰られるときは『阿弥陀経』をお唱えした。

上手く唱えられたかどうか、ただ一生懸命に唱えた。

「とてもありがたいお経でした」とお言葉もありました。
できればCDはありませんかとも・・・。

僕なんかで良いのかなと思いながらも、送らせていただこうと思った。

宿坊をしていると、いろんなご縁がある。
お経が好きな方もいらっしゃいます、ウレシイな。

だからやっぱり、お経は心を込めて、そして大切に言葉を受けとめる。
それが大切だなって思った。

また、初心に戻してもらえる瞬間なのです。
そして、それがまた僧侶としての勇気になります。

今日は、別の方にこんなことも言われた。
先日の町の慰霊祭、宗派の違う五ヶ寺で導師を交替で勤める。
今年は私の順番。

今までずっ出席していたけど、今年が一番良かった。
やっぱり大きな声ではっきり聞こえた、やっぱりそれがいいなあ。
皆もそう思っただろう・・・と。

実は僕も初めてだったので、気合を入れていたのです。
何故なら、お経は戦没者の方々の思いである。
ならば、寺院の都合ではなく、その方に失礼ない様にすることが大切。
ご遺族の方々が喜んで下さるのが一番ですね。


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NHKの宿坊光澤寺の放送を見て・・・縁がつながる。

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11月の1日の夜と2日の昼の二回、宿坊光澤寺がNHKの情報番組
で紹介されました。

どちらも同じ内容ですが、それぞれ10分間としっかり紹介していただ
いた。
やはり最初は自分の悪いところに目が行く。
でも、内容は秋の山里の旅ロケと言った感じで、素晴らしかったです。

田村アナウンサーの紹介、綺麗な画像を撮影されたカメラワーク、そ
れを上手く編集されていました、音声さんも、僕の下手なトークを。

何故か、最後には僕がその宿坊に行ってみたいと言う気分にさせら
れたのです。
天候が良かったこともあって、お寺や景色が美しかった。
実際よりも綺麗に撮影されていたと思えるくらい。

瞑想や写経、お勤めなど、実体験されている風景がまた良かった。
瞑想では、田村アナウンサーが本当にリラックスされていたのが、僕
にも伝わってきました。

こんなにしっかりと紹介していただけるとは、想像していなかったので
ビデオに録って10回くらい見直しました。

昨晩は、ちょうど宿坊にもご年配の方がお二人お泊りに来られていて、
一緒に番組を見ていただいた。
お二人も、ご自分たちが泊まっている宿坊がTVに写っているので、感
激され、そのTVの画面をカメラに収められていました。

今回の撮影は、たまたまいろんな縁が重なって、放映されました。
宿坊をやってみて感じること、それは様々な縁が重なっているなって
実感したことでした。

僧侶であり縁起を説き、そして縁の大切さを語る。
でも、今はそれをしみじみと身を持って感じる、今まで以上に。
縁を大切にして行けば、心も人生も豊かになるでしょう。

ただそれを必要以上に期待してもいけないだろう。
今あることを大切にすることが大事だと思う。

そこから自然につながって行く縁がある。
そう思っている。

宿坊光澤寺は、皆の縁をつなぎ、そして皆の心の安らぎを願い、その
依り所となる場所であって欲しい。
ただ、それだけが願いである。

この放送はビデオに録っているので、宿坊においでの方は、ご希望が
あれば見ることができます。
講座の様子を見るのには、結構いいえすよ。


宿坊光澤寺のHPはこちら。


お寺を仏教テーマパークに・・・。

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お寺を仏教のテーマパークにできるか。

若者の仏教離れが言われるが、決してそんなことはないと思っている。
ただ、仏教やお寺の情報発信力が弱かっただけだと思う。

それは、お寺側に危機感がないからだろう。
大きなお寺は、葬式と法事で十分やって行ける。
体制的には、保守的な考えが行き渡っている。

今の流れを変えたくないと言った感じでしょう。
何故なら、自分の時代のことばかり、この先も変わらないと思っている。
と言うより、そう思っていたいのでしょう。
だから、檀家さん以外への情報発信はしなくてもいい。

今日、TVの情報番組を見ていたら、今はテーマパークや遊園地が、
大人気なのだと言う。
いずれも入場客が大幅アップ、増益なのだと言う。
ポイントとして上がっていたのが、団塊の世代以上の方々の三世代が
一緒に訪れることができるから。
つまり、子守と大蔵省(ちょっと古い)の役目を頼めるということ。
年配者が来ると、遊園地もお金が落ちるので、ありがたいだろう。

最近僕も思う、みんな高度成長期やバブルで贅沢になっていった、
旅行もいろんなところに行った。
その年代の方々が、リタイヤしたとき何をしたいのか。
旅行も行き尽くしているのです、で、贅沢な旅館やリゾートに行くか?
否、そうではないと思う。

これからの人生、やりがいと生き甲斐と、文化的生活、そして自然に還る。
それと、くつろぎと安らぎ。
そして今までできなかったことと、本物志向。

お寺だって、今まで通りなら新たな魅力はない。
本物ではあるけど、新たな取り組みが求められる。
従来の檀家制度で満足しない方々が一気に増えると予測します。

先祖は仕方ないけど、自分のときは、自分の好きなお寺で、自分の気に
いった僧侶に見送ってもらいたいと言う人が増えるのは間違いない。
そして、納骨堂もお墓もそうです。
自分だけのものが必要になるのです。

お寺だって、元々はエンターテインメントの中心であった。
だったら、仏教テーマパークにしたらいいではないか。
仏教カルチャーの情報発信をする。

自分だけのカリキュラムが組める、講座や体験。
仏教に求めるものは、個人個人によって全く違う。
それをお寺はカタチにはめ込もうとする。
法要や行事、講座、もうそれでは誰も満足しない、ただの義務感のみ。
でも、仏教に心の依り所を求める声は多い。
情報発信力があれば、さらに要求は増えるであろう。

思い思いの、自分だけの、そんな仏教テーマパークを創ろう!
そして、そこには触れ合いが欲しい、でも余計な過干渉はいらない。
強制されるのも嫌だろう。

それを満たしてくこことも、お寺としては考えて行かないといけない。
檀家制度も、先祖を大切にする心から現在まで続いているが、もう
そろそろ厳しい時代に入って来る。
檀家制度の次に来る仕組みを考えて行かなくてはならないだろう。

いろいろ考えていかなくては・・・。


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親鸞聖人のみ教えはブーメランのように

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ブーメランは、ブーメランの意志とは関係なしに、また元の場所に
戻ってくる。

親鸞聖人の教えをたとえたものです。
これは、かなり前にある雑誌に書いてあった言葉。

確か、千葉乗隆氏と映画監督の松林宗恵さんの対談の中の言葉
だったと思います。
松林さんが、親鸞聖人の教えはまるでブーメランのようだと。

教えに懐疑的になったり、遠ざかったりした人生。
でも、厳しい状況のとき、その教えに支えられて乗り切ったことも
あった。
そして歳を重ねて、母親の胎内に戻った様に落ち着いたな。

そんな感じの言葉だったと思います。

これを読んだときは、私はまだ若く、何となく読んだと言った感じで
した。

親鸞聖人の教えは、情と表現されることもありますが、決してそれ
だけではない。
ときに厳しく自分を責め立て、ときにドロドロのように我が心をかき
回し、ときに頼りなく感じる。

でも、ときに懐かしく、気付けばいつもやさしく包み込む。

私のこころも、離れたり近づいたり、でもいつも一緒だったり。
不思議な教えです。

そして、離れると離れただけ、また一気に引き寄せられる。
分かっているかのように、自然に。

冬の日本海に押し寄せる、暗い雲と身を切る冷たい風と雪と荒波。

でも、穏やかに晴れ渡り、青く澄み渡り、光りに輝き、波静かにで
穏やかな日本海もある。

すべてをそこに包み込む海、それが親鸞聖人のおしえかなあ。
生きる私の心の還る場所なのでしょう。

そして、いづれの日にか、浄土へ往くのだ。
そこは本願の海。


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