
先日、あるお寺さんからメールをいただいた。
そこに連絡事項とは別に、雑誌の記事の紹介もありました。
お寺や葬儀のことが、いろいろ書いてあり、これから変わって行かざる
を得ない寺院事情、そして葬儀のことが書いてありました。
これらのことは、10年くらい前、私が僧侶の道に進むかどうかを考え
ていたときの内容が、いよいよ現実に迫って来たなと感じた。
でも実際に僧侶の道を歩み始めてからは、僧侶の中に、この問題意識
を持っている人は少なかったのです。
これは私としては意外でした、もっと危機感があっただろうと勝手に思っ
ていたからです。
お寺とか僧侶の世界に居ると、お寺や葬儀、そして法事などは変わら
らないと思っている。
もしくは、変わらないで欲しいとの願望かも知れないが。
最近でも、それほどではなかった。
確かに、僧侶の世界も超保守的な業界です。
お寺と言う存在と、檀家制度と言う努力しなくてもお寺は変わらないと
言った感覚であったと、そして自分一人が変わってもどうしようもない。
そんな感じでしょうか。
ただ、最近はそれが限界に近づいてきたなと感じる。
保守的な業界が変わるときは、劇的に一気に変わって行く可能性が
あります。
それは、僧侶が望む望まないにかかわらず。
変化があるときは、必ずしも良いことばかりではない。
ただ、時代がそれを求めているのでしょう。
たとえば、ソビエト・イラク・エジプトなどの国が変わって行くこともある。
日本でも江戸から明治に代わるとき。
皆はすぐには変わらないと思っている、そして変わった後も、皆が幸せ
とか限らない、今までの方が良かったと言う人も多い。
特に戒名と葬儀のお布施は変わって行かざるを得ないでしょう。
何故なら、そこに仏教的意義を見つけることはできないからです。
ただ、寺院側の都合にすぎないからです。
それが今までは、葬儀と言うことと、家の見栄によって支えられていた。
その家族制度が崩壊し始めている今日、意味や価値を見出せなくては、
崩壊して行かざるを得ない。
そしてお寺や僧侶は、葬儀や法事、戒名や法名、お寺そのものの意義
を本当に問うて行かなくてはならないのです。
すでに変わりつつある寺院や僧侶も多い。
これからは、本当の意義があるものが求められる。
もしくは、現在の日本仏教的な葬儀や檀家制度が崩れて行くか、どちら
かでしょう。
時代は待ってくれない。
寺院も僧侶もそれを感じて行かなくてはならない。
貴方に、お寺に、それだけのお布施を出す意味がどこにあるのかと。
私は、会社員をしていた十年前からずっと、それを問い続けている。
僧侶や寺院に関わらず、仏教と言う存在は、これからも存在し続ける。
何故なら、それは永遠の真理だからだ。
滅ぶなら、今の日本の寺院であるだろう。
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