宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2013年06月

その悲しみを知る人にしか、その悲しみは癒せない。

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「その悲しみを知る人にしか、その悲しみは癒せない」


私はその言葉を理解している、そう思っていました。
でもこの言葉は、その現実に直面した人でなければ本当の意味を
知ることはできない。

あるときには当事者だけど、あるときのは第三者であったり。
そのときそのときによって、人はその思いが変わるのでしょう。

分かっているようで、でもそのことを忘れてしまう。

知らないでしてしまうこと、これは自分でも気づきません。

昨日、ある僧侶が宿坊を訪ねて来られた。
その方はガンであるという、そして癌の方々を支援する活動もして
おられる。

いのちを精一杯生きる、今を生きているって感じがしました。

そして自分でやらなくてはいけないことがあるとも。
残された時間の中で・・・。

宿坊で、ガンの方々のつどいをやりたい。
そんな話しもありました。

宿坊なら、ゆっくりと語り合える。
帰る心配もない、そして医療の場所でもない。
そこで、皆と語り合う場にしたい。

宿坊がそんな場所になるのなら、私はぜひ協力したい。
西本願寺が推進しているビハーラ活動の一環でもあります。

私がその方々を癒せる訳ではありません、でもその場を作り、皆さん
と一緒にいることはできる。

ガンの方々、精神的な面で苦しんでおられる方々。
その方々が心置きなく、そして同じ立場で話しができる場所を作りたい。

その僧侶の方から話しを聞いたとき、宿坊の新しい取り組みができる
かも知れないと思った。

同じ苦しみを持つ方々が、気をつかわずに集まれる場所。
そんな会を、宿坊が中心となって作る。
そこに僧侶がいる、ただ空気の様な存在でもいい。

何とか9月には、ガンの方々のためのつどいを持ちたい。


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宿坊には「ハート石」があります。

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宿坊には「ハート石」があります。

たぶんずっと前からお寺の境内にあったのだろう。
僕がお寺に戻ったとき、お寺の境内は荒れていました。

草は生え放題、ゴミは散乱し、ゴミの焼け跡だらけ。
お寺に来られたご門徒さんは、さぞがっかりしたことだろう。
もう来たくないなと思われていたのかな。

先ずは本堂、庫裡と掃除とゴミや不要物の処分。
そして境内の掃除と、まあキリがないくらいだった。
先が見えないことでも、少しづつやって行けば、いつかは片付く。
そんなことを身を持って体験した。

境内の掃除のとき、土を払って行くとこの石が出てきた。
カタチと色がハート型に見えた、それで僕が「ハート石」と名づけた。

光澤寺復興のシンボルでもある。

世の中は縁結びが盛んです。
恋愛成就、そして祈願。

仏教では、愛は執着と見なされることも。
周りが見えなくなったり、自分の方を向かせたいと言う欲望。
そして独占したい、離したくないという執着、そして愛欲。

修行の障害になるので、元々は出家者は結婚しない。

でも生きてると異性が気になるのは本能かな。
その本能を無視して、いのちのつながりはない。

それなら、その縁をつないで行くのは仏教的には良いことでは。
元々、縁の始まりは仏教の縁起に由来しているのだから、それは
避けて通るべきものではないでしょう。

仏様の元で縁を結んで行くのは、有り難いな。
いづれは光澤寺でも仏前結婚式を挙げて行きたいと思っている。
仏の導きによって・・・。

昨年秋には、「寺社コン」も中四国九州で最初に開催もした。

そんなことのきっかけとなる様な石です。

幸せを願い、お互いに敬いあう。
そんな阿弥陀様であるでしょう。

宿坊に来られたら、探してみて下さい。
宿坊雑誌でも紹介されたので、ときどき「どこにありますか」と聞か
れることもあります。


心と身体を安らかにして願う思いは・・・。



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お寺の居心地を考える。

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やすらぎの空間を作るために、僕にとって椅子が大きな要素となります。

昔から椅子が好きで、宿坊やお寺には椅子がたくさんある。

椅子も本当に良いものは高いので、何とか安い椅子を探してるけど
今ではそれが楽しみになってる。

そんなとき、物置にずっと放置されていたソファーがあった。
僕には元々記憶にない物、いつどうやってお寺に来たのか分からな
い、多分ご門徒さんの中古、お寺に来た時から古かったのだと思う。
坊守からも、何とかしてほしいと要望が・・・。

ソファーとか家具って、買うときはいいけど処分するときが大変。
なので、これから購入する物は処分をしない物だけにする。
そしてどうしようか迷うときは買わないこと。

このソファーも処分するかなって考えてたけど、運んでる最中に、こ
れって修繕したら使えるかも?
と言うことで、早速ソファーを丸洗いして、木製のフレームをサンド
ペーパーで磨いて、塗装してあとは乾燥させる。

座面のクッションは外せないので、そのままにしてカバーを掛ける
ことにしました。
仕上がったのが上の写真です、そしてこの写真が修繕前。

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見た目はかなり変わりました。

こんな感じで少しづつ、宿坊とお寺を居心地良くしてる。
でもこの居心地良さはあくまでも私にとってですね。

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ついでに和室の談話室のソファーも模様替えしました。
落ち着きがあって、気軽に座れるように、これもかなりお買い得で入手。
木曜日ならお買い得品がさらに20%off、数千円台で。
ソファーカバーとクッションカバーも両方で千円でした。
ついでに豚の蚊取り線香の置き物も。

ちょっとだけ夏らしく。

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元々ここにあったソファーは二階の客室に移動。
何か、それぞれがこの方が良さそうです。

家具とか椅子って、それぞれ場所によって輝きが違ってきます。
置き物もそうですね、似合う場所に置いてあげることが大切。

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本堂の前の縁もこんな感じになりました。

宿坊にはまだまだたくさんの椅子やソファー、テーブルがあります。
宿坊に来られたら、ぜひお気に入りの椅子を探してください。

ついでに宿坊の椅子を載せてみます。

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これは渡り廊下の椅子。
夏は風が心地よい、金魚をゆっくり眺めながら・・・。

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客室にある談話室のソファー、ここでくつろがれる方も多いですね。
BGMやコーヒーで。

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客室前の椅子。
中庭や借景の山が見えます。

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これはお風呂のドレッシングルーム。
洗面台もあるしエアコンも取り付けました。

でも一番くつろげるのは露天風呂かな。
お二人でも足をのばしてゆっくり浸かれます。

青空・夕陽・星空の下でのお風呂はいい。

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せっかくおいでいただいたのなら、とにかく心と身体を休める。

それから仏教にふれてみる、またそれもいい。


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あと何年したら僕の人生は終わるのか。

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自分に残された時間はどのくらいだろうか。

考えているようで考えていない、50代くらいでもまだ先の話しと思うで
しょう。
まあ80歳くらいまで生きたらいいかな・・・。

 いま世間ではエンディングノートがブームです。
自分の死までを自分で決めておく、残りの人生をどう生きて行こうか。
 エンディングノートを作るのは、早ければ早いほどいい。
でもそのときのノートは、今を生きるためのノートになる。
自分の人生をたとえば75歳とする。であればあと何年生きて行けるのか。
僕だとあと23年になる。
ではその23年間で何をどうしたいのか、到達点を決めます。
そしてそのためには今何をするべきか。

「死」ということを考えるとき、今さんざん悩んでいることはほとんど関係なく
なる。
そのことを皆は知っているのかな。
知らないからこそ高齢者向けの医療保険が売れるのでしょう。

もちろん病気もするし、老いもする。それは当然ですね、それも含めて考え
ておいたらいい。
 「死」とうことを頭に入れておけば、あとの残りの人生をどう生きて行こうか
と思う。たとえば今から買おうとしている物だって、本当に必要なものかどう
かを考える。
今していることだって、残りの人生を考えたとき、それでいいのかどうかを
考える。

僕の人生は70歳を一つの区切りにしている。
ある程度身体が動いてくれるであろう年齢。
僧侶であるので、多少無理すれば仕事的には問題ない。 だとしたら、あと
17年間が僕に許された時間です。僕がこのお寺を次の僧侶に引き継ぐと
決めている時間。
 17年後を目標に僕の人生がスタートしています。自分の人生を組み立て
るときは、まずは「死」から逆算して行けばいいかも知れません。

これがシンプルかつ有意義に生きる方法かも知れない。
少しだけ覚悟もできるかも。

 これって仏教的な思考でもあります。

「名ばかりの門徒、形だけの僧侶」

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                           (西本願寺 御影堂)

西本願寺関係の研修会などで、よく使われる言葉があります。

「名ばかりの門徒、形だけの僧侶」

これは宗派や教団として、その行動や心構えについて話しをする
ときに使われることが多い。

あるときは僧侶が自嘲的に使ったりすることもありますね。

自らの行動を常に顧みるべし、ということでしょうか。

先日研修会に参加をしていて、この様な話しがありました。
実はこの言葉は、同時に言われたことではなく、別の機会に違う
御門主が話されたことです、そしてそのときの言葉も違うのだと。

実際には、「門徒もまた、形だけの門徒にとどまらず・・・」
そして「名ばかりの門徒」。
どちらも、ご門徒さんに対しての言葉だったようです。

それがいつしか、今の様に使われる様になっていったのだそうです。
私はこの言葉があまり好きではありませんでした。
一体誰にどの様なお心で話しをされていたのか分からないから。
そこに、その主体となっているご自身も、そう感じて言われているのか
と思えたからです。
どうも上から目線って感じがしないでもなかった。
では一体、御膝元である本山はどうなのかという疑問が先にあるで
しょう。
実はこれ、この話しをする講師の方への思いだったかも知れません。
そして私自身も、自分のこととして受け止めるほどの度量もありませ
んでした。

では、ご門徒さんばかりに厳しい言葉を使われていたのか、と言うと
決してそうではありません。
僧侶に対しては、ご門徒さんの前にこの様にあります。

「僧侶は教化をみずからの使命と自覚し自信教人信の実践に徹す
るべきであり・・・」

この言葉無くして、それに続く言葉だけではやはり不十分ですね。

つまり、形だけの門徒、名ばかりの門徒は、その責任は僧侶の側
にあると言うことでしょう。
それは私自身に対しての言葉であると言うことです。
反発するのもいいけど、反発するときは自分と言う存在を抜きにし
ていることが多いのだな・・・反省。

そして現在の寺院や僧侶に求められているものとして、この様に述
べられている。

「一層創意工夫をこらした活動」
「歴史を顧みて、受け継ぐ伝統を確かめ、創造的な活動を育てて行く」

寺院がおかれた厳しい環境に対して、現状のままではいけない。
これからは、創意工夫が必要で創造的な活動をして行かなくてはいけ
ないということ。

これはご門主自らが唱えられていることです。

それが現在の本願寺派の重点プロジェクト、そしてその実践運動へと
繋がっているのでしょう。

実践とは、寺院の外へ向けての活動ということ。
社会へ出て行かなくてはならないと。

今までの継続だけでは、寺院は存続できなくなる。
それは社会環境の変化も相まって、いかんともし難いのです。

だからそれをいつやるのか。
それは今でしょ!

と言うことなのだと思います。

寺院の崩壊はすでにかなり以前から始まっている。
現場にいる僧侶が気づいていなかっただけかも知れません。

自家製野菜で作る ・・・ 夏の料理。

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お寺の山門前の畑で採れた野菜。

今年生まれて初めて自分で野菜を作ってみた。
もちろん農薬は一切使わずに、自然のまま。
それでも順調に育っています、キュウリはもうツルが伸びる場所がないくら
いになった。

今日は採れたて野菜を使って料理をしよう!

今日の採れたて野菜は、胡瓜・甘長唐辛子・茄子。
カタチは均一じゃないけど、これが自然のまま何もしていない。

今日の料理は、僕の好きな「夏野菜のせ素麺」。
これが旨い、食欲増進にもいい。

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先ずは素麺を茹でて、その上にキュウリを切ってのせる。
キュウリは好みによって下味をつけておきます。

僕は軽く岩塩で・・・。


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次に、野菜と肉を炒める。
今日は豚肉のこま切れを一緒に。

ニンニクをサッと炒め、豚肉、ナス、唐辛子を炒める。
味付けは、醤油と豆板醤くらい。

味噌やお酒で味付けしてもいい。

夏本番や辛いのが好きなら、鷹の爪を入れると美味しい。

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最後にトッピング。

夏はやっぱり薬味が美味しい季節。
血液サラサラ、食欲増進には欠かせません。

今日はネギとミョウガを細長く切る。
そしてサニーレタスをちぎって混ぜ合わせてトッピング。

いつもは、シソの葉を切って入れたり。
好みによって、大量にのせる。

あとは市販のめんつゆを、薄めずにそのままサッとかけるとできあがり。

ビールでも焼酎でもよく合います。


素麺はどの素麺を使ってもいいです。

今回は違いますが、僕の一番のお奨めは何といっても半田そうめん。

この太さとコシの強さが、完全にこの料理にマッチングします。
今年も半田そうめんを仕入れなきゃ。


宿坊に来られたら、ご要望に応じてお昼の食事にお出しします。
でも採れたて自家製野菜は、その日の収穫しだいですが・・・。


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こんなお寺にしたい。

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ふらっと訪ねて、ゆっくり過ごせる場所。

そんなお寺があったらいい。

そんなことをかれこれ10年以上思い続けています。

そこにはみ教えがあり、仏教の体験ができるところ。
やはりそれが基本。

僕自身がそんなお寺を求めていたから。

大寺院にはそれに近いところもありますが、逆に大きすぎて自分を
見失うことになりかねません。
僕も様々な寺院を訪ねましたが、居心地が良いと感じたことはあま
りなかった。
そこでは個と言うものが大切に扱われると言うことを期待できない。

僕も、なぜかいつもどこかで疎外感を感じていた。
お寺や講座って、そんな感じを持つことが多いと思っていた。
僧侶もなぜかそんな・・・。

距離感で言えば、やはり適度な大きさがいいですね。

ごろ寝をして本を読む、テーブルに座って誰かと話しながらコーヒー
を飲む。

法話や仏教の講座も聞ける。

写経や瞑想もできる。

読経もできるし作法もできる。

それぞれの思いに応えることのできるお寺。

規模の大きくないお寺で、奥行きのある空間。
奥行きとは広さではなく、コンテンツやソフトのこと。

やはりお寺として安らぎとともに、深さも欲しい。
それとともに、教えに真摯に向き合うお寺でもありたい。

でなければ、お寺としての意味がなくなってしまう。

ここに来たら、周りのこと日常のことから離れる。

人間としての心と身体を休める場所。

ついでに泊まることもできる。

食事も皆と一緒に食べる。

悩みや相談があれば、話しを聞いてもらえる。
それはたとえどんなことでもいい。

みんな自分のこと、分からなかったり、話せなかったり。

そこにはやっぱり僧侶がいた方がいい。

間を取り持つ存在がいること。
それは余計なことはしないけど、いつも声を掛けられる場所にいる。

そんな思いもあって、宿坊を始めました。

まだまだ自分の追い求めているものにはならない。

でも時間も必要です、それにそこに来られる方々の思いを積み重ね
ることも必要かな。

作り上げて行く作業は、いのち尽きるまで、もしくは住職を次に引き
継ぐまで続いてゆく。



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鳥取ブロック実践運動推進僧侶研修会でした。

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本日は鳥取ブロックの実践運動推進僧侶研修会でした。

会場は鳥取市鹿野町にあるお寺さんでした、平日でしたがご門徒
さんが10人以上お手伝いに来られていた。
熱心なご門徒さん方には頭が下がる思いです。
境内や本堂、庫裡もきれいに整備されていました。
昨年に住職を継職されているのですが、前住職ともの心配りがとて
も感じられる会場でした。

研修のテーマは、現在浄土真宗本願寺派で推進している重点プロ
ジェクトの実践運動について。
昨年から始まったプロジェクトですが、一体何をどうしたいのか、従
来の推進運動ととう関連づけられるのか、曖昧なままのスタートした
と言った感は否めなかった。
今日の研修で、その内容が初めて皆さんの前で明らかになったと言
う感じでした。
本日の講師の方からは、明確な説明があった。

当初は、やろうとしていることは何となく分かるのですが、その推進
方法はちょっといただけないと感じていた。
結局は掛け声だけになってしまうのではないかと。
鳥取因幡組としては、それでも推進して行かなくてはならない。

現在の寺院や僧侶が置かれている状況を考えて、どうしても内向き
になっていた推進を、社会に向けた実践運動にして行きたいという
ことでした。

それは取り組んでいる寺院は、もうすでにやっている。
でも宗派としても危機感を持っている。
であるなら、そこをもっと事前にもっと説明しておくべきだったと感じ
ます。
寺院毎に事情が違うので、それを全体で推進すると言うことは難し
い面があるでしょう。
要は、それぞれのお寺がそれぞれの推進をして行けばよいと言う
ことかな。

内容もよく分からず、そしてその推進体制も曖昧なままでしたので、
意識のある寺院や僧侶の方々はジレンマを感じておられたのでは
と・・・。

そう言った意味では、今日の研修は皆さんとても有意義に感じてお
られました。
会場寺院の心配り、そして研修の内容、それぞれ得られるものが
あった。
帰りには僧侶の皆さんも結構スッキリして帰られておりました。

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会場をお手伝いしていただいたみなさん、ありがとうございました。
私の今日の一番の感動は、ここに尽きます。






仏さまと向き合う・・・心穏やかに。

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                                                                                    (写経風景)

たまには仏様とゆっくり向き合うのもいい。

心を落ち着かせたい、そして心穏やかに。

仏さまと向き合うときは、そんなときもある。

いつも心は揺れ動く、でもゆっくり向き合うことで、波を静める。

悩み、苦しみ、悲しみ、その心をどうすれば良いのか。

仏さまと向き合っても、何も解決にならないと思うかも知れない。

でも、まず心を落ち着かせ、受け止めてもうらうことが必要です。

落ち着いてゆっくりと向き合い、そして落ち着いた心で物事を考える。

そうして、また一歩踏み出すのです。

日常生活の中で、そんなときがたまにあってもいい。

精一杯生きているのだから、心も休めてあげないと・・・。


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西の空に極楽を想う ・・・ そして自らに問いかける。

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「汝今可説、宣知、是時、発起悦可一切大衆。菩薩聞己、修行此法、
 縁致満足無量大願。」

「なんじ、いま説くべし。よろしく知るべし、これ時なり。一切の大衆を
 発起し悦可せしめよ。菩薩聞き終わりて、この法を修行し縁として、
 無量の大願を満足することを致さん」と。

【無量寿経 法蔵発願 思惟摂取】

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「説我得仏、国有地獄・餓鬼・畜生者、不取正覚。

「たとえわれ仏を得たらんに、国に地獄や餓鬼・畜生があるなら、正覚
 を取らじ。」

【無量寿経 法蔵発願 四十八願 第一願】

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「従是西方、過十萬億仏土、有世界、名曰極楽。其土有仏、號阿弥陀。
 今現在説法。」

「彼土何故、名為極楽。其国衆生、無有衆苦、但受諸楽、故名極楽。」

「ここから西方に、十万億の過ぎて世界あり、名づけて極楽という。その
 土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法をときたもう。」

「かの土を何が故に名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦
 あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆえに極楽と名づく。」

【仏説阿弥陀経】



あなたのいのちが、極楽浄土に生まれ往くいのちであるなら、
あなたはそのいのちを、限りあるそのいのちをどう生きて行か
れるのか。

そう自分に問うてみる。



「親鸞・・・完結編」 五木寛之の小説

7月1日から五木寛之氏の小説、「親鸞・・・完結編」の新聞連載が
始まると記事になっていた。

「親鸞」・「親鸞・・・激動編」に続く、親鸞三部作の最後です。
もしかすると番外編ができるかも知れませんが・・・。

もし番外編ができるのなら、善鸞と唯円を描いて欲しいと、個人的
には思います。

完結篇は、親鸞聖人が関東から京都へ戻ってからのことだそうです。
この時代は、親鸞聖人が著述に力を入れられていたころ。
それを五木氏は躍動的な親鸞を描くのだと言う。

あくまでもフィクションであって、ノンフィクションではない。
そうも言われていた。

五木氏は四十代のとき龍谷大学に通われていた。
といっても大学院の講義に出ていただけですが、毎週関東から通わ
れていたのでしょう。
おそらくその頃から、親鸞をテーマに小説をいつか書こうと思われて
いたのかも知れません。
作家にとっては親鸞は非常に魅力的な人物なのでしょう、今までにも
たくさんの小説家がそのテーマにしている。

その内面を見つめて行ったとき、そこに親鸞聖人の言葉が響いてくる
のかも知れません。
いろんな宗派や宗教がある中で、新聞の連載小説がある宗派の宗祖
をテーマにすると言うのは珍しいのではないか。
親鸞聖人には現代に人を惹きつける魅力があるのでしょう。

実は私は、五木氏の親鸞はあまり読んでいません。
新聞連載は読まないし、小説もまだ激動編は読んでいない。
ただ、いつか読むときが来るだろうと思っている。
だからあえて読んでいない。

そのうちゆっくりと読めたらいい。
人それぞれの親鸞聖人がいらっしゃるのでしょう。
作家としての晩年に親鸞を書く、またその魅力に触れることができる。
私もその歳になってくると・・・。

晩年の親鸞聖人を五木氏がどの様に描かれるのか、興味のあるとこ
ろですね。









梅雨のころ ・・・ 雨もまた良し。

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昨晩は強風。

そして今日は梅雨景色です。

ユスラウメの赤い実に雫が溜っている。

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紫陽花の葉にも雨。

やっぱり紫陽花には雨がよく似合う。

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そして池の蓮にも雨。

蓮の葉は雨だれをハジク。

雫は珠になって葉をころげ落ちるよう。

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今ごろは、梅も実をつけます。

ちょっと熟れすぎかな。


梅雨の時期、雨もまた良し。



卍とハーケンクロイツは、宗教者にとって必読の書ですね。

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卍とハーケンクロイツ(卍に隠された十字架と聖徳の光)

ニューヨーク本願寺前住職である、中垣顕實氏の最新著作を読んで
みました。

本当は街の本屋さんで買いたかったのですが、何分山の中のお寺な
ので注文して取りに行くのも一苦労。
なのでamazonで購入いたしました。

値段は少々高いですが、内容は読みごたえ十分です。

卍と言うから仏教的な本と思われるかも知れませんが、ハーケンクロ
イツですから、どんな展開かと思わせられます。

僕にとって、宗教における仏教の位置づけを別の角度から推考できた。
ちょっと自分で分からなかった部分を、かなり補うことが出来ました。

また最近、仏教を中心にキリスト教やユダヤ教、そしてイスラームのこと
などを質問を受けることがありましたが、それに対しての自分自身の考
えの裏付けにもなりました。
現代の宗教学に対して楔を打ち込む書でもあります。

私たちは、戦後に教えられたこと、聞いたことが全部正しいと思っている。
でもそうじゃないと言うことがたくさんある、それをまざまざと見せつけら
れたと言った感じ。

ひいては、キリスト教が神学として成立するために、どの様な行動をとっ
てきたのか、ユダヤ人への欧米人の対応がよく分かる。
そして、ヨーロッパ人の宗教学は、意外と19世紀以降に成り立った学説
によって、それが定説の様になってきた経過がよく分かります。
それを私たちはさも当たり前の様に記憶していることが多い。
その中途半端な知識が、自分たちの目を曇らせてしまう。
宗教や仏教は、時代が進むとともに、新しい発見や事実が積み重なって
まったく違うものになっているので、注意が必要ですね。

ユダヤ人の大虐殺は、実は当時のアメリカおよびヨーロッパの社会が
それを許した側面もあると言うことも、本書を読んで行くうちに私は感じ
ました。
それとともに、聖なる印であった卍が、欧米社会から抹殺される。
卍は、すべての宗教において、第二次世界大戦までは聖なる印であっ
たのです。
卍に罪を押し付けることによって、キリスト教は十字架を守った。
本来、ナチスのハーケンクロイツは十字架そしてイエスを意味してした
かも知れない。

そして、ナチスの主義であったアーリア人主義の背景も漠然としていた
ものが、かなりはっきりと理解できた。

中垣氏の論は、私が上記に書いたものとまったく違うのかも知れません。
ただ、従来の私の宗教的、そして仏教的理解の上に、氏の内容を重ね
ると、その様なことも感じられたのです。

仏教者そして宗教者にとっては、必読の書であると思います。
従来とは違う視点で、卍や仏教、そして世界の宗教を見ることができます。

是非読んでいただきたい一冊ですね。

臨終一念の夕べ・・・

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往生し仏と成るのはいつか。

この解釈が浄土真宗の各宗派や学説によって変わることがある。

この前も学習会で、この世で仏となれるので有り難いと仰っていた
方がいらっしゃった。

確かに、阿弥陀如来の願いである本願は、今私たちに届けられる。
でも現世は、正定聚の位に住すということ、仏になることでありませ
んね。

何故変わるのか、それは時代によって、もしくは人々の要請に
依ってかも知れません。


「臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。」

と親鸞聖人は説かれています。


この世の命をと終えたなら、阿弥陀仏の極楽浄土に往生する。
往生するとすぐに仏となるのです。

そこに迷いはない。

仏となることを、この世のことであるかのように話す。

それは親鸞聖人の教えではない。

今の社会は、生きているうちにすべてを求める。

それは迷いの世界でしかない、なのに果だけを求めるのだ。

迷いから脱却した世界、それは私たちの現生ではありえない。

だから現生では、仏となる道を歩むのでしょう。

それが仏教だと言えるのでは。

迷いのない世界があることを私たちに知らせる。

そこに私たちが必ず往ける道があると指し示す。

衆生に救いの道が開かれる。

お釈迦様の教えは、衆生に説かれるためもので、僧侶の修行
のためのものではない。

だからお釈迦様は、伝道に一人で行かせたのだ、一人でも多く
の迷える衆生に教えを伝えるために。

そこに私たち衆生に、救いの手が差し伸べられるのです。

鎌倉以前、もしくは親鸞聖人までの日本仏教にはその根本が
抜け落ちていた。

そんなにあせらなくとも、とっておきのものは、臨終のときにとって
おけばよい。

私たちは、その願いによって、今のいのちを生き切るのだ。



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紫陽花の頃・・・季節を楽しむ

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空梅雨だけど、草花は季節を忘れていませんね。

今年も庭に紫陽花が咲きました。

ここに咲く紫陽花は、毎年真っ白な花を咲かせます。

紫陽花は梅雨の頃、雨が似合う花。

梅雨が明けるころには、花が枯れて美しさはなくなって行きます。

きっと紫陽花も雨を待ってるかな。

明日から明後日にかけて雨模様です。

紫陽花もまた輝きをますでしょう。

お寺の境内は、季節ごとに様々な花が咲きます。

紅葉までだと、3月~11月末までは何かを楽しむことができる。

12月~2月までは、やっぱり雪景色かな。

でも花は山茶花が咲きますね。

お寺は一年中、花が絶えることがありません。

日本の四季も、最近はだいぶ様変わりしてきました。

暑さが半端ではなくなった、そして冬は寒く大雪だったり。
雨も集中豪雨になったりで、二十四節句を味わう感覚が薄れて
来ている。

でもその中でも季節感をゆっくり味わいたい。

お寺の周りには、まだしっかりと二十四節句が残っているな。

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夏のイタリアン精進料理。

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今日は研修で5名の方がお寺に来られました。

最近は暑さがすごいですが、お寺はまだこの季節、風が通って
涼しい。
今日来られた方々も、風が気持ちいいのでエアコンはいらないと
言われていました。

ご希望は、イタリアン精進料理。
ちょっと夏ヴァージョンにしてみた。

スープとパスタを冷製に。
ちょっと冷たくて食べやすいかな。

皆さんには好評で、すべて完食いただきました。

今日は午前中、仏教や浄土真宗、作法や仏事についてお話し。
食事の後は、コーヒーと和菓子を。

午後はNHKの紹介していただいたビデオを鑑賞していただき、
後はゆっくりとお話しをされていました。

休日の一日を心落ち着かせて、ゆっくりと過ごしていただきたい。

そしてプチ仏教体験もしていただく。

何となく充実した一日だと感じていただけたなら、僕もそれが喜び
になります。

特に決まっていませんが、ご要望があれば都合のつく限りお受け
しています。

もちろん、どなたでも大丈夫です。

イタリアン精進料理とコーヒーと和菓子セット。
瞑想や写経、法話などは希望すればお受けしています。

費用はすべて込みで、お一人千五百円くらいです。


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生前葬をどうですか・・・お寺の魅力発見。

正面

先日ある方と葬儀のこと話してた。

その方は、誰も見てくれる人がいないので、納骨後もしっかりと
面倒見てくれるお寺がいいと仰っていた。

これからはそんな方が増えるだろうなと思っている。

そして先日、お寺の本堂で葬儀用の飾りをしたときの写真を見て
いただきました。

花が豪華に生けてあるのを見られて、こう言われた。

「これだったら生前葬をしたいね。」

光澤寺様C


自分の葬儀を自分で見えないのは寂しい。
こんなにきれいに飾ってもらえるのなら、生前葬がいいわね。

そんなことを仰っておられた。

今は終活が人気です、自分のことを自分で決めておきたい。
そこには、お子さんがいないとか、お子さんたちに面倒を掛けた
くないという人が多くなったということでしょう。

「いいですね、生前葬も考えてみましょうか。」

ご親族やご友人を招いて、宿坊で泊まって生前葬をしたらどうですか。
そうお応えした。

自分の為ですし、自分が見ることができる。
そして親しい方々のお話しも聞けるし、自分の思いを伝えることが
できる。

お寺としてもしっかりと準備をさせていただきますよ。

生前葬は、葬儀式のあとに皆で食事をすることができます。
もちろん本人も喪主さんも一緒に、そんなことってあるかな。

飲んで騒いで、カラオケまで歌うことができる、そして宿坊に皆さんで
泊まってゆっくりできます。
もちろんゆっくり語り合うこともできる。

これなら結婚式より面白いかも知れません。

香典も必要か必要ないか、自分で決められます。
会費制にしたっていい。

本当に来ていただきたい人に招待状を送ることができます。
それも漏れなく、そのときにしか会えない人にも。

そして本人が皆さんをお見送りするのだ。

本当の葬儀のときはしめやかに、お寺側で責任を持って執り行わせ
せていただきます。
そのときはゆっくりと故人をお見送りすることができる。

納骨もその後の法要も心配いりません。

これなら生前葬もいいかな。

お寺の新たな魅力発掘です。

なんたって仏教は、今生きてる人の為の教えでもあるのですから。

今を楽しく、よりよく生きる、これっていいですね。

そして思い残すことなく。

皆さん、生前葬を一度考えてみませんか。

光澤寺様通夜



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奇跡のチビ金魚物語。

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お寺の中庭にある池。

そこには金魚が10匹 + チビ1匹がいます。

実はこのチビ金魚、その存在にまったく気づかれていなかった。

それは青い鉢の中にずっと一冬中生きていたのです。

たまたま春になった頃、鉢の中にチョコチョコ動くものがいる。
何か虫かなって思っていたら、あるとき金魚の稚魚だと気づいた。
身体がちょっとだけ赤い。

まだ春先は0.5cmくらい、冬の雪の中、あの鉢の中で生き続けて
いたのかな。

池の水も減ったときは、鉢の水も少なかったりしたはず。
だいたい何故、鉢の中に稚魚が住んでいたんだろう。
それもあまりに小さい。

疑問は増すばかりです。

鉢の中にいると、水が無くなったりして死ぬかもしれないと思って
ある日、鉢から出してやろうと考えた。

でも、小さすぎて大きな池ではすぐ死ぬか、他の大きな金魚に食べ
られちゃうかな。

でもいつか出してやらないといけないなと、鉢から出すことを決断。
手で掬って池に放してやった。

最初はピッ・ピッと泳いでいた。
でも次の日から姿が見えなくなりました。

一週間しても姿も形も見えない。
やっぱりダメだったか、死骸もないので大きな金魚に食べられたか、
ちょっとショック。

どの金魚か分かんない、弱肉強食の世界を我をなぐさめても、大き
な金魚を少し恨んだりもした。

それから一か月くらいしたあと、突然チビ金魚が姿を現した。

オーッ!

思わず声を上げる、すべてがすくわれたと感じた瞬間でした。

“いったいお前はどこにいたんだ!”

思わず、他の金魚も一緒に褒め称えたくなった。

相変わらず、わがままな僕だったりします。

それから少しづつ大きくなった。

今ではカメラでもとらえられるほどに。

よくぞ、元気に生きていてくれたものだ・・・泣き。

そんな感傷にひたっておりました。

こんなことにさえ感動するのです、単純だな・・・。

空梅雨の雨の朝、睡蓮が一輪咲きました。

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今日は空梅雨の中、久々の雨でした。

池を見ると、水連の花が一輪咲いていた。

今まで咲く様子もなかったのに、今日の雨で一気に花開いた。

水連と書いたけど、本当は睡蓮と書くのかな。

どちらでもいいのでしょうか。

モネの絵は睡蓮が有名です。

今日、雨が降ってなかったら水連は花を咲かせてなかったかも。

夏もちょっとした楽しみがありますね。

池には蓮もあるけど、蓮の方は花はまだ一度も咲いてない。

やっぱり植え替えしたりして土をちゃんとやらないとダメかな。

僕が浄土に生まれるまでには、一度はこの池の蓮の華を見て
みたいものだ。


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明日は、掃除をしてきます。

明日はある方のところへ出かけて大掃除をする予定。

坊守も一緒に手伝います。

鳥取は空梅雨だけど、もう気温は真夏に近い。

部屋もなかなか一人では片づけるのが大変なのです。

そこで僕たちがお手伝いに行きます。

ボランティアでも何でもない。

ただ地方では、独り暮らしの方が増えている。
これは地方だけじゃなくて都会でもそうかな。

いろんな支援活動があるけど、なかなか難しい問題もあります。

以前にお話ししていたとき、困ってそうな感じでした。
やはり気軽には頼めないし、業者や支援団体など知らない方には
やはり頼みづらいのではと感じました。

そこで僕たちが手伝うと言うことになった。

エアコンから普段はお一人ではできない場所を中心に掃除する。

今日は掃除道具の準備をして、かなり完璧に掃除をしてくるつもり。

さてどれだけお役にたてるでしょうか。

さあ、夏本番に備えて、ピカピカにしてきます!


完全無農薬の野菜を、自分で採って食す。

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完全無農薬の野菜です。
自分で作るとまったく農薬を使いません。
ただ自然のまま、まだ田んぼにも農薬散布していないので、本当に
完全無農薬野菜なのです。

都会ではまず手に入ることはありませんね。

今年、お寺の近くの畑を借りて、初め野菜つくりをしています。

作り方も分からないので、とりあえず見よう見まね。

でも農薬は一切使っていないので、完全無農薬野菜です。

夏野菜はエネルギッシュ、力がありますね。
野菜の持つ本来の力を感じます。

夏バテには、夏野菜がやっぱり効果的です。

空梅雨だけど、元気に育ってくれています。

今日初めての収穫。

キュウリ1本だけだけど、そのキュウリも採れたてもぎたて。

トゲもしっかりついてます、キュウリにはトゲがありますよ。
でもお店に並ぶ頃にはもうありません。

綺麗な野菜は、何もしないでは作れません。
都会の人は、キレイな野菜でないと買わない。
結局は農薬のキツイ野菜を自らが選んで食べているのです。
農家の方は別に自家用の農薬の少ない野菜を別に作ります。
カタチや見栄えにはこだわりませんから。

宿坊に来られたら、自分で採ってその日の夕食に食べることができ
ます。

無農薬の採れたて野菜を一度食べてみて下さい。
野菜の持つ本当の旨味が分かるのでは。

昨年少年野球の子どもたちが来たとき、一番おいしかったのは肉
でもなく焼き鳥でもなく、ナスだったと言ってた。

お母さんも普段家ではナスは食べないのにって驚いていました。

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      収穫第一号のキュウリ、トゲもしっかりとあります。


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少欲知足に和顔愛語 ・・・ 人としての生き方。

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不可思議の兆載永劫において、菩薩の無量の徳行を積植して、

欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。
欲想・瞋想・害想を起さず。
色・声・香・味・触・法に着せず。

忍力成就して衆苦を計らず。
少欲知足にして染・恚・痴なし。

三昧常寂にして智慧無碍なり。
虚偽・諂曲の心あることなし。

和顔愛語にして、意を先にして承問す。
勇猛精進にして志願倦むことなし。

・・・・・云々。

これは、『仏説無量寿経』の巻上、法蔵修行の段です。

この段は、阿弥陀如来になられる前のある法蔵菩薩の修行の姿
を通して、人としての生き方を説く場面。

私たちは日々の生活の中で、なかなか思う様に生きられません。
そして悩み・苦悩し・そして迷います。

ただそれでも、それらの原因を知り、どの様に生きたら良いのか
という指針があれば、その方向に心を持ってゆくことができる。

また、正しい行いとはどういうことか、心の持ち方はどうしたら良い
のかを知っておくことは大切なのです。

でなければ、自分がいつもどの方向に向いているのか分からない。
何所をめざせば良いのかも分からないままだ。
苦しみはその苦しみの解決するところがない。

仏教は、人の生き方の指針でもあるのです。

たとえその通りにならなくても、知っていればいつかその意味を問う
ことがあります。
そのときが、その言葉を一番理解できるときなのでしょうね。

その縁がなければ、ただ素通りして行きます。



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祥月命日。

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祥月命日、それは年一回の命日のこと。

今日は朝10時に祥月命日にお参りする。

年配の女性、息子さんの命日だ。

お勤めの前に少しお話しする、「今年は雨が降りませんね」。

すると、こう言われた。

「息子が亡くなったのは六月十一日のこと、ちょうど今頃
電話がかかってきたんですよ。」

「そして30分くらいしてから、亡くなったと連絡があった。」

そう言って黙られた。

今日のお勤めは「阿弥陀経」と「正信偈」ですと告げた。

お経の時間は、お母さんが連絡を受けた時間から亡くなられ
るまでの時間だと考えた。
それにはこの二つがいい。

今日はその時間をお経でたどるのだと決めた。

一心不乱に、そのときのお母さんと息子さんの思いをお経に
託す。

お経を終えて、御文章を唱え、「しんらんさま」を一緒に歌う。

すべてが終わって、座布団を下りてご挨拶をする。

頭をあげると、お母さんは泣いておられた。

何年経ったって思いはつのるのだ。

でも、仏様に会えることでその悲しみを癒し、出会えた喜びに
するのだ。

お経にはそんな力があると信じる。

唱える側も一体となり溶け込む。

「私ももう何年も生きられへん。」

「そうですね、人に生れましたからね、でもまた会えますね。」



お寺に戻ったら、年配の女子会の方々がお待ちになられていた。

女性はいい、いつでも何歳になっても女子会ができるから。

法話とイタリアン精進料理で・・・。


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食事の言葉について考える、西と東では。

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西本願寺には、食事の言葉があります。

食前の言葉と、そして食後の言葉。
食に対しての感謝の心と、その意味を伝えるものですね。

あるとき東本願寺の僧侶の方と話していて、一緒に食事をする
機会があった。
そのときは、私のお寺でしたので、西本願寺の食事の言葉を唱え
たのだが、東本願寺ではどの様に唱えるのか気になった。
それで東本願寺の食事の言葉を聞いてみました。

それぞれの食事の言葉を並べてみると、現在のそれぞれの宗派
の特徴が出ているような気がするので、面白いかも知れません。

本願寺派(西本願寺)
【食前のことば】
多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれ
ました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。
【食後のことば】
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげで、ごちそうさまでした。

大谷派(東本願寺)
【食前のことば】
み光のもと、われ今幸いに、この浄き食をうく
いただきます
【食後のことば】
われ今、この浄き食を終わりて、心豊かに力身に満つ
ごちそうさま

こんな具合です。
言わんとするところは多分同じでしょう、でも表現はかなり違います。
東西本願寺のそれぞれの朝のお勤め(御晨朝)、そして食事のことば、
それぞれにとって一番基本的なものだけに、その違いが分かりやすい。

西本願寺の方は、数年前に改訂されたばかり。
実は私は、この改訂された食事のことばが好きではない。
食後の言葉の方は特に、「おいしくいただき、ますます御恩報謝に
つとめます」といった部分は、ちょっと微妙な感じ。
なぜこんな言葉にしたのかな。
分かりやすいけど、食後にこの表現を使うのだろう。

一方、東本願寺のものはシンプルでいい、いかにも僧侶らしい。
でもやっぱり僧侶中心のことばと言った感じ、そこにご門徒さんや子
どもたちの姿が見えてこない。
そうだな、朝のお勤めでもそんな感じがしました。
東本願寺は、朝のお勤めのお参りが少ないそうだ。

食事のことばを見るだけでも、両派の違いがあります。

食事の言葉と、朝のお勤め、そこからだけでも見えて来るものがある。
それぞれに問題を抱えてそうだなあ、そう思わされるお話しです。

ただそれでも他宗派よりは開かれた宗派かも知れませんね。
それは親鸞聖人のみ教えがあるからだと思います。

それぞれが、過去の遺産の上に成り立ってるんだな、でもその先が
見えてこない。

日帰り、プチ仏教体験はどうでしょう。

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日帰り仏教体験ってどうですか。

宿坊には時々、イタリアン精進料理を食べに来られるグループの
方々がいらっしゃいます。
それと婦人会や老人会の方も来られる。

特に案内はしていないけど、TVや新聞を見られた方が時々予約を
されます。

決まったパターンはないけど、せっかくだから「日帰り仏教体験」を
やってみようかなって思った。

時間は午前10時~午後2時くらいまで。

体験は、写経や瞑想、仏教講座や浄土真宗講座から自由に選択。
お勤めの後、法話をして、1時間半くらいの体験。

一応、私は本願寺派の布教使なので、しっかりと法話を致します。

お昼はイタリアン精進料理をお出しして、後は和菓子とコーヒー。

食後は自由におしゃべりをしてもらう。
希望すれば作法や質問、相談のお受けいたします。

ご希望の方は、露天風呂も入れる。

費用はすべて含めて、お一人千五百円。

お二人からお受けいたします。

たまには、プチ仏教体験をイタリアン精進料理付きでどうでしょう。

とまあこんな感じで、ただいま検討中。

もちろん、今でも予約があれば受け付けています。
今は決まったコースがないので、ご要望に応じて。







宿坊の露天風呂に想う ・・・ 

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室内風呂のようでもあり、露天風呂のようでもあり。

この風呂を見た人は、一瞬驚く。

最近は家庭の風呂でタイル貼りの浴槽は珍しい。

でも入ったら、風が吹き抜けるし景色も見える。

月の無い夜は、星空も広がる。

自分で作っておきながら、自分でも不思議な風呂だと思う。

掃除も外なので大変だったり、何故かこのお風呂の掃除担当は
僕に決まっているみたい。
タワシでタイルを磨くのだ。

露天風呂を造ろうと考えたときとは全くイメージの違う風呂になった。

なぜこんなことになるんだろう。

でも出来上がりには結構満足してる。

出来上がった後は、修理と掃除との付き合いが始まる。

汚くなるのか味わいになるのか、それは後のメンテナンス次第。

20年後も入っていたい。

そろそろ風呂の名前でも考えようかな。



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地元紙の読者の声に、イタリアン精進料理宿坊体験が載ってました。

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今日、地元紙である日本海新聞の読者の声欄に、宿坊の体験記
が載っていました。

メールで知らせて下さった方がいました。

先日、宿坊を訪ねて来られた方が書かれています。
写経の体験やイタリアン精進料理を食べらたことが書いてあった。

これは記事ではなく、読者の声としての投稿ですが、かなり詳しく
紹介してくださっていた。
この様にまったく思いがけずに紹介していただけるとは、有り難い
ことですね。
寺院名はなかったのですが、すぐに分かりました。
というのも他にこんなことやっている寺院はないから。

宿坊もお寺も、口コミで広がって行くのもいいですね。

宣伝にはお金をかけることができないので助かります。
やっぱり地元の方々に知って欲しいとの思いもあります。
もちろん、TVや雑誌、新聞などの効果も大きいですし、それらすべ
てが重なり合って認識されるのでしょう。

これからもっと、体験や宿坊の設備を充実させて行こう。
そう思えた読者の声でした。

今日は、その新聞を見られての問い合わせもありました。
お昼だけの体験ですが、やっぱりお寺に来ていただけるのは嬉しい
ものです。


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大いなるいのちの時間と空間が、いまのいのちと交錯するとき。

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時間と空間が交錯する。

宗教的感覚のなかで、そんな感じを受けることがある。
現実の空間と時間ではない、何か別の場所。

それは葬儀であったり、法事であったり。
そして、予期しないときに何かを感じたとき。

その時間と空間は、大いなるいのちの流れであるのです。
現実世界からは見ることはできないが、いのちの流れがある。

その、大いなるいのちの流れと現実とが交錯するのだ。

それは時間的存在でもあり、空間的存在でもある。
その両方が交錯する。

阿弥陀という存在、それは時間的永遠性と空間的無限性を意味
する。
その時間的空間的な存在の中で、交わって行く。
それは、過去のいのちと現在のいのち、そして未来のいのち。
それを媒介するのは仏と言う存在である。

たとえば、法事の場がいのちの交流点となる。
その感覚が、ときに非常に明確に伝わってくることがある。

それは、いつとかどこでとか限らない。
私たちは、本当はそのいのちの流れには死の瞬間にしか自覚でき
ないのでしょう。

それが今のいのちと交錯することがある。
そのとき、私たちの心は思いを受けとめる、そして心が解き放た
れるのです。

その存在は何か、僕にも分からない。
でもそれは仏様としか考え及ばないのです。

間違いなく、その感覚を受けとめるときがあるのです。
とても不思議な感覚です。

私たちの悲しみを、私たちの苦しみを、私たちの迷いを、それはまる
で癒すかのように・・・。


そんなことを感じることがある。












週刊プレイボーイの全国修行体験MAPに・・・。

プレイボーイ1

週刊プレイボーイの今週号はAKB総選挙特集です。

現在話題の中心でもあり、コンビニに行っても売り切れてました。
なぜ買いに行ったかと言うと、知人から今週号に光澤寺が載って
るって連絡をいただいたから。

載ってる理由が分からないままなので、取あえず買いに行こう。
悪い記事じゃなかろうと信じて・・・。

コンビニにはなかったので、市内に出かけたときに大型書店に
行くとまだ数冊残っていました。
週刊プレイボーイは男性の若者に絶対的な人気のある雑誌。

そこには「体も心も整える本当に正しい修行」という特集も片隅に
載っていました。
購入して中を見ると、結構ページを割いて修行体験特集が組まれて
いた。
なんでAKB総選挙と修行体験なの?

アイドルと修行、意外といい組合せなのかも知れませんね。
もしくは堅い記事も必要と考えたか。

そこには数々の修行体験が掲載され、そして最後に「全国オススメ
修行場MAP」が。
全国の名だたる寺院や神社30カ所が紹介されていたが、なんと
そこに光澤寺の名前があるではないか。

横には延暦寺や永平寺。
悠久の時を経た寺院、そこに昨年宿坊を始めた寺院が。
あまりにも違い過ぎるが、それでもあると言う存在を知っていただい
たということ。

なぜなら、浄土真宗の寺院の修行体験は光澤寺しかないから。
BARやCAFEでは載っていますが、他宗派の独占する修行体験場
に浄土真宗寺院が入る。
もしかしてかって例のないことかもしれないのです。
実はそんなインパクトもあるのです。

プレイボーイ2

大きく取り上げられている訳ではないが、オススメの修行場に名を
連ねているだけでも有り難いことだ。

紹介分には「自由な宿坊体験を標榜し、精進料理も山陰風から
イタリアンまでオシャレ、ひとりでの借り切りもOK」と。
たしかに宿坊の売りをまとめたらこんな感じです。

宿坊を始めてからの縁がつながって、今回の紹介になったのでしょう。
宿坊を始めてまだ一年余り、でも従来の宿坊とは一線を画すもの
だと思っています。

体験ともう一つ、心を落ち着ける場所の提供。
仏教にひたり、仏さまと向き合う、そして心を解き放つ。
ここなら、何でも話しができるように。

確かに最近は、若い方も年配の方も相談が増えてきました。
中には僧侶や僧侶を目指す方々も多い。

これからどんな宿坊になるか、様々の人と出会い、様々な縁を紡ぎ、
そしてまた新たな縁が生まれる。

そんな場所になればいい、そんなことを記事を見ながら感じた。

ご縁をいただいた方に感謝します。


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本願寺派と大谷派、その違いが面白い。

最近、大谷派の僧侶の方とじっくり話す機会があった。

本願寺は、日本の伝統仏教の中で唯一の血縁で続く本山である。
それは親鸞聖人から連綿と続く系譜である。
途中、相続争いで分かれた東本願寺も同じである。

ちなみに、寺院の正式名称は、西本願寺は本願寺。
東本願寺は真宗本廟と言う。
宗派は、西本願寺は本願寺派、東本願寺は大谷派である。

教義の原点はまったく同じです、なぜなら相続争いで別れる前、つ
まり十一代目までは同じなのですから。
ただ、分かれてからは、作法や声明、仏具や荘厳はそれぞれ違う
流れになって行きます。

こっちがするならあっちはダメ、こっちがこうならあっちはこう。
まあ、せいぜいがそんなレベルの違いだったのでしょう。
現在でも特に交流があるということはありません、ただ特別仲が
悪いと言ったこともなさそうです。
お互いがそれぞれで、関知せずって感じの様な気がします。

ただ、その歴史の中で、それぞれの宗派の特徴が出てきます。
その違いは、朝のお勤めにそれぞれ行ってみると感じます。

そして、教義の解釈にも違いが出てくる。
それで、それぞれの宗派の雰囲気が変わる。

話していて感じたのは、基本的なものは変わらないので、通常の
法話レベルでは、それほど違和感は感じないでしょう。
でも、教義を突き詰めて行くと、根本的な違いがありますね。
どうしてこうなったのか・・・。
ある基本的な部分で、大きな違いを感じました。

それは、それぞれのたどってきた教義の歴史にあるようですね。
明治以降、東本願寺は有力な学僧を輩出した。
それぞれの学僧には特徴があり、その教義解釈に大きく影響を
受けるという背景があるように感じる。

逆に西本願寺は、教義を勝手に解釈することは許されない。
あくまでも本典を中心とした親鸞聖人の教義に忠実であろうとする。
つまり、ある枠組みから外れるとこがないように努める。

こういうと、東本願寺は自由な教義と言った感じで、西本願寺は
窮屈な教義といったイメージを受けるかも知れない。

ところが話しをしていると、案外逆かもしれないなとも感じた。
西本願寺の場合、基本を押さえればかなり自由な感じを受ける。

東本願寺は独自解釈をしながらも、その解釈に引きずられると
いった面もあるかも知れないと。
あるときは破門されたり、その後でまた中心となったり。
その中心が揺れ動くのかな。

東本願寺は、教義の中を向いている。
西本願寺は、教義は大切だけれど、でも外を向こうとしている。
ただ、外を向こうとする上で大切なものを見落としてるって感じが
しないでもない。

ただ、これはあくまでも私の感じた感覚であって、本当はまったく
違うかも知れません。

教義や作法、荘厳など、東西本願寺は、外見的にはあまり変わら
ないように見えて、その中身はかなり違っています。
そして、その流れがそれぞれの本願寺の雰囲気や宗派のイメージ
に関わって来るので、宗派のカラーは正反対と言った感じでもある。

どちらがどうとは言えませんが、両派の法要や法座などに出かけて
みられたら、その違いを実感できるかも知れません。

それも浄土真宗を知るうえでの楽しみの一つでしょうか。

今回様々な、そしてかなり深い話しをしてみた上での、私の感想
です。

たまには宗派を超えた、真剣な交流も楽しいものです。
ただ、お互いのレべルが違い過ぎると、そこまで感じないかも知れ
ませんが。

ただ、親鸞聖人の教義と言う共通点があるので、それぞれの違い
は感じながらも、日本仏教における浄土真宗の立ち位置とか、様々
な問題点等は共有することができます。

さっきまでは、こうだああだとお互いが主張しながらも、違う話題に
なると、お互いが一緒に考えることができる。
これも、お互いが浄土真宗と言う共通観念をもっているからでしょう。

あらたな発見もたくさんありましたよ。







「ハート美人になれる宿坊」特集です。

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今月、「ハート美人になれる宿坊」ガイドブックが出ました。

昨年4月に宿坊を開業してから1年と2ヶ月。
その間、宿坊ガイドブックが2冊発行され、今回のガイドブックで掲載が
3冊目となりました。

始めたときは、うちの宿坊もガイドブックに出してもらえないかなと思っ
ていたのですが、最近は宿坊ガイドも人気があるようですね。
これでやっと、宿坊光澤寺も全国の宿坊の仲間に入れていただけた様
な気がします。

というのも、始めたころは素人ですから、本当にこれでいいのって感じ。
何事も初めてのことばかりだったので、手探りって感じでした。
とても自分たちでは宿坊をやってるって感じがしなかったのです。

1年経って、やっと少しだけ宿坊かなって思えるようになった。

その間、宿坊ガイドブックも少しづつ変わって行ったように感じます。
若者もターゲットにしてきたかなと思えます。
実際に宿坊光澤寺に来られる方々は、10代~80代までと幅広くて、
特に20代~40代の女性が多いのです。

でも男性も一人旅だったり、グループだったりといろいろです。

今回は特集が、「ハート美人になれる宿坊」です。
体験や料理に特長のある宿坊の特集になっています。

宿坊光澤寺もしっかり載せていただいております。

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浄土真宗の宿坊は、西本願寺の聞法会館、つまり一般寺院ではここ
宿坊光澤寺だけ、それもいろいろ体験できる宿坊のページです。

浄土真宗の寺院で、いろいろ体験できるって実は珍しいのですよ。
料理でも、家庭料理からイタリアン精進料理までご用意しています。

観光地でもなく、有名寺院でもない、ただの山里の宿坊。
だからこそ逆にゆっくり落ち着けるのです。

何もしないで、でも何でも体験して、そして心を解き放つ。

そんな場所にこれからもして行きたいですね。

みなさん、本当にたくさんお話しして行かれます。

誰にも気を遣わなくていいですからね・・・。



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最近読んだ仏教の本を二冊 ・・・ 今、仏教が面白い。

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今日は最近読んだ仏教関係の本を二冊を。

先ず一冊目は、天野和公さんの「ミャンマーで尼になりました」です。

尼さんだからもちろん女性です、まだ35歳とお若いですが3児の母。
そして、自らが僧侶でもあり、ご主人と一緒に立ち上げた「みんなの寺」
の坊守さんでもあります。
テーラワーダ(上座部)仏教に傾倒されていて、瞑想も深く学ばれていま
すね、今や女性僧侶としてとても有名な方です。

本の内容はすべて四コマ漫画なので、とっても読みやすい。
仏教はテーラワーダですが、まあ基本は仏教は一緒なので、仏教の
入門書としても最適です。
ただし入門書と言っても書いてあることは深いので、とても面白く読めた。
さすがって感じでした。


さてもう一冊は、彼岸寺の「小さな心から抜け出す お坊さんの1日1分
説法」です。

彼岸寺とは、インターネット寺院としては日本で一番影響力のあるお寺。
現在の日本仏教界では、圧倒的な影響力を持つ若手僧侶グループです。
基本的に僧侶で彼岸寺を知らない人はいないくらいと言っても・・・。
僧侶として日本の最先端を行くって感じだと僕は理解しています。

そこには6人の僧侶が、それぞれ1分で読める法話をたくさん書いている。
仏教の基本的な教えに基づいているので、こちらも仏教がどんなこと言っ
てるのかなってことがよく分かります。

昨年の光澤寺の報恩講においでいただいた、英月さんも書いています。
この中で唯一の女性僧侶なので、女性僧侶の視点も面白かったり。
恋の考え方なんて、ご自分自身のことも含めて書いてあるので、興味
深く読ませていただきました。


とにかく、仏教もこんな本がたくさんあると、面白くなりますね。
仏教評論家などが書いた中途半端な本より、圧倒的に面白く仏教のこと
よく分かりますよ。

なぜって、ここに書いてる人たちは全員僧侶で、心から仏教を愛している
人たちだから真剣に教えに向き合っています。
ただ無責任に書いている人たちとは全然違うから。


もうひとつは、過疎地の農山村にいても、amazonがあるのでこんな本も
買えるってことですね。
LOWSONもできたので、支払いも楽になりました。
昔なら、仏教書籍は街の本屋でも置いてないことが多かったから。

でも街の本屋さんも厳しいかも。
便利っていいけど、大切なものも失うってことにもなりますね。
街の本屋も好きだから。

チャナンデ! ・・・ 「1・2、チャナンデ」走ろう、明日へ向かって。

昨晩、やずブータン村の集会をやっていた。

昨晩のメンバーは兵庫県の三人を含めて九人。
八頭町に住むメンバーは、僕を入れて3人だけ。

遅れて参加したメンバーが、明日は中国地区の消防訓練だという。
その練習中のときのことを話していた。

皆が隊列を組んで走る練習をしていたときのこと。
走り方の指導をしていた人が、こう言った。

腕を振りながら、1(イチ)・2(ニ)、と全員で声を揃えて走るように。
その見本を見せながら、「1・2チャナンデ、やってくれ」と言う。
そうすると参加者は、走りながら、「1・2、チャナンデ」、「1・2、チャ
ナンデ」と一斉に声を出す。

その話しを聞きながら、チャナンデっていったいどういうこと?
と誰もが感じた。

僕は地元に生れて育ったので、チャナンンデって知ってるから、話し
を聞きながら、「何じゃそりゃ」と・・・。

要は、「チャナンデ」とは、「こんなふうに」とか「この様に」と言った意味。
指導者は、1・2と皆で声を揃えて腕を振りながら走ってくれと、身振りを
交えて指導していたのでしょう。
それを聞いた訓練の参加者は、言われたとおりに、「1・2チャナンデ」、
と言って練習したのだ。

その話しを聞いて、みんなは大笑いした。

チャナンデって言葉も初めて聞いた人が多かった。
だから最初は何のことかさっぱり分からない。
その言葉の語感も何となく面白い、「チャランデ」って聞き違えてる人。

話しを聞きながら、皆で「1・2、チャランデ!」と皆でポーズ。
ちゃうちゃう、「1・2、チャナンデ!」だ。

「チャナンデ」って言葉、なんか久しぶりに聞いたなあ。

よし、やずブータン村の合言葉は「チャナンデ!」にしよう。

「やずブータン村 チャナンデ!」

もう何のことか分からないなあ、まあそれでいいか・・・。


こんな話で、ブータン村の夜は更けていきました。







満点の星の下で ・・・ 心を解き放つ。

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GW前に完成した宿坊の露天風呂。

昨日まで、たくさんの方々に体験していただいた。

中には一時間くらいずっと入られている方も数組。

昼間は青空の下で開放的な気持ちになる。

夕方は、沈む行く夕陽に心を癒される。

夜はロウソクの灯りの中で、すこし心を穏やかに。

星空がひろがり、月の無い夜は、満点の星空になる。

やっぱり、外の空気に触れながらの風呂は気持ちいい。

たまには、お風呂に入って、こころを解き放つのがいい。

露天風呂って言っても、屋根がないだけ。

でもそれがいいのだ。


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宿坊光澤寺のHPはこちら!

NPOをやってみよう ・・・ やずブータン村から。

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やずブータン村、NPO設立前集会を開催しました。

昨日は夕方から私も含めて9名が、設立集会に参加しました。
集会と言っても、初めての方もいたりで、顔合わせを兼ねたものです。

先ずは、それぞれの思い描いているイメージ。
色やカタチ、活動の方向性など、思い思いに。

そして夜には懇親会と露天風呂体験です。

話しは深夜まで続きました。

参加者は、意気込みのある方はいません。
それぞれがそれぞれに、自分のいま置かれている環境があります。

それぞれができることをやる、ただそれだけです。
共通するのは、「そこに関わる人が幸せになりますように」。

決まったことは何もない、だからこそ自由に絵が描けます。

何物にも縛られない自由なNPO、それが「やずブータン村」です。

自分のやりたいことを探そう。
それが合言葉。

でも僕の目標は、とにかく日本で一番有名なNPOにすること。

なぜって、それは一人でも多くの人に幸せになって欲しいから。


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