宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2013年10月

僧侶の日常 ・・・ いつも気を抜けません。

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今年は私のお寺は葬儀が少ない。

例年の1/3以下です。
何となく過疎地では高齢化は進むものの、お年寄りも少なくなっている
様にも感じます。
今までとこれからは違うかもしれないな、その境が今年なのかも知れ
ないな。

まあそれはそれとして、今回研修旅行の計画をしていました。
若輩である私が幹事役を引き受け、その準備をした。
お寺さんの場合、日程調整が難しく、さらには直前のキャンセルがある
ので、チケットの手配や宿の手配、行程などには気をつかうのです。

前日の夜、誰からも連絡がないので今回は予定通りと思って安心して
休みました。
そうすると早朝の5時、お寺の電話が鳴った、お葬式の電話ででした。

普段は何もなくても、何かあるときは連絡が入るものです。
もちろん住職ですから、ご門徒さんの予定が何よりも優先です。
それがお葬儀であれば何をおいても最優先となります。
そこにいなければ住職を勤めている意味もないのです。

すぐに枕経(浄土真宗では臨終勤行と言います)にお参りし、予定を
確認する。
そうすると、何とか朝の出発には間に合い、次の日私だけが早く帰って
くれば、通夜に間に合うことが分かりました。
幹事であり、他の方々は手配内容が分からない。
おまけに列車のチケットも私が持っています。
これはとりあえず行くしかないと急いで出かけました。

次の日は皆さんとは早めにお別れし宿をタクシーで一人出発した。
乗り継ぎなど失敗できないなとの思いもあった。
何と、宿でも朝一番に携帯電話が鳴り、今度は別の方のお葬儀の連絡
があったのです。

今年はあれだけ何もなかったのになあ、不思議なものだな。
そんなことを感じていました、でも旅行中はお葬儀のことがあるので、万
が一何かあってもいけないと細心の注意を払っていました。

そんなこともあって大過なくお寺に戻り、準備をして通夜にお参りできま
した。
これも仏様のおかげかな、なんて感じてもおります。

いろいろ感じることができた2日間でした。

一つ一つ、様々な経験をしながら。
思いで深いものになりました。

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教員のうつ病が多いと言う・・・。

教員のうつ病が深刻だという記事を見た。

特に教員が多いのだそうだが、それには事情があるのでしょう。

私が会社員をしていた10年くらい前、職場でうつ病になっている人が
多かった。
やはり企業にはゆとりが全くなくなってしまっていた。
要求レベルがどんどん大きくなり、政策も日によって変わって行く。
また、顧客の要求や提案も厳しくなりやプレゼンの納期もどんどん短く
なった。
クレームはとにかく相手に責任を押し付けることに専念する。
その頃、派遣法が改正され、職場にも派遣の方が急速に増えて行った。

そして、そこに職場の評価制度が導入されていて、グループやチームは
ただのライバルでしかなくなっていった、決して仲間などではないのです。
つまり同じチームの人間が失敗しても何も感じない、要は自分の成績の
ことしか考えない。
そしてパワハラやセクハラ、コンプライアンスの徹底が厳しく指導される。

その頃、私は管理職でしたので、そのすべての責務を負っていた。
職場では、たとえうつ病であっても、配慮はするが構ってはいられなかった。
そんな余裕はまったくなかったのです。

教員の現場も厳しいでしょう。
なぜなら、採用されるといきなり現場だから。
文科省や教育委員会の要求、そして保護者の要求。
求められるものも多く、おそらく教育現場にはゆとりがない。
ましてある程度真面目に過ごしてきたのですから、ストレス耐性もないので
しょう。
おまけに教員と言う閉鎖的で保守的な世界である。
外部からの校長を持って来てもあまり効果がない様ですね。
それらゆえに悩みの持ってゆき場所がないのではと思う。

うつ病はある程度、潜在的な要素もあるのではないでしょうか。
もちろんこれは誰しも可能性があると言う前提ですが。
ただそれを見分けて行けるかどうかは難しいし、自分自身で感じることも難
しい。
そして、そこには人権や個人情報保護の問題も横たわる。

であるなら、そこにおそらく解決策はありません。
あるとしたなら、それは職場以外のところです。

職場以外でどれだけ人間性を回復できるかが大切なのだと思います。

自分を受けとめてくれる場所であったり、自分の思いを話せる場所。

そして違う価値観を見つけられれば、また仕事に戻って行くことができ

るのではないかとも感じます。

仕事と自分の距離感をつかめたら良い。

そして、熱意を込めながらも、客観的に物事を見ることでしょう。

熱意と客観性は相反する様で、実は相性は悪くないとも思っています。


そんな場所をちゃんと見つけられたらいい。


ただ迷ったときは、変なものに誘われやすいので、気を付けることも。


とにかく現代は、悩みや本音を、職場や友人や家族に話せないのです。


だったら、それをちゃんと受け止めてくれる場所を探しておきましょう。
それだけでも少しは・・・。



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「トップが綴る わが人生の師」に寄稿させていただいた。

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今朝、宅急便が来た。
何かなと思ったら書籍でした。

PHP研究所となっておりましたので、そう言えば以前に寄稿していた本が
出来上がったのだなと思った。

今回の寄稿には、あるご縁がありました。
やはり人生には様々な縁がある、それが今の私の存在を存在足らしめる
ということを痛感するのだ。

本のタイトルは「トップが綴る わが人生の師」です。
各界の経営者やトップの方々が、2ページと言う短い文章の中にそれぞれ
の思いを込められている。
たくさんの方々が寄稿されているので、それぞれに味わいがあり、人生が
あるなと感じさせられます。
道を選ぶとき、悩んでいるとき、人生の指針になることもあるでしょう。

その中にあっては、私は一住職であり若輩ではありますが、会社員時代の
経験を僧侶としての立場で書かせていただきました。
住職であっても、トップはトップなのだと改めて感じることでもありました。

テーマは「私を支えているもの」です。
そこには信頼と信念を書きました、まさに今の私を支えてくれているものです。

会社員時代は上司でした、現在は「み教え」であります。

それを思い、それを聞き続ける。

これからお寺と地域と言う問題に取り組んで行こうと思っている。

そこにもやはり信頼と信念があれば迷うことはない。
たとえ迷ったとしても進むべき道が見えて来るだろう、そう感じています。

このたびのご縁をつないでくださった方に感謝をしております。

そしてまた僕は道を歩み続ける。
それぞれの縁を依りところとして、そしてそれが僕の信念となって。
そしてまたどこかで人に出会う。

縁とはその様なものではないか。

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道を聞き続けるだけ

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葬儀と法事をテーマに、先日の日曜日に連研を開催しました。

身近なテーマでもあり、話し合い法座では皆さん活発な意見が出た
ようです。
内容はやはり個人個人の価値観の違いもあるでしょうから、こうだ
という結論にはならないでしょう。

でもその意味や背景、あとはどうやればいいのか、何が正しいのか
を知りたいと思っていられる方々もいらっしゃった。

葬儀や法事については、宗派・寺院・僧侶・地域によってすべて変わ
るものなので、その内容についてはこれが正しいということはない。
それぞれがそれぞれなのですね。

本願寺派では、たとえば葬儀規範というものがありますが、あくまでも
参考であり、こうでなくてはいけないということはない。
あくまでも各寺院にお任せするしかないのが現状でしょう、ただしみ教
えに反するものは認められないとか、できれば改善して欲しいという
ことはあるでしょうが、それらを一々把握したり確認したりということは
できないのです。

作法や儀式についてはいろいろあるでしょう。
ただその心はやはりそれぞれの宗派のみ教えが根底にあった方が
良いのでしょうか。
少なくとも僧侶側は、その背景が無ければ葬儀をお勤めすることは
できないでしょう。

たとえば浄土真宗では、葬儀や法事等で先祖供養という考え方をし
ないということがあります。
私はそれを主張することで、逆に堅苦しいものになっている様にも感じ
ますが、そうであるなら、親鸞聖人のみ教えを背景に、どうお伝えする
かが大切になります。
そこはやはり僧侶の力量によるでしょう、経験や思いもある、学問だけ
では解決しないし、ご遺族やご門徒の方も納得されないでしょう。
そのあたりのギャップがある様に感じられます、僧侶の一方的な思い
だけになっていないか、浄土真宗はこうだと勝手に思い込んでいないか、
儀式だけやっとけばいいとなっていないか。
儀式だけやっとけばいいという場合、その儀式さえ中途半端なものが
多いでしょう。
浄土真宗はこうだという場合も、勝手な思い込みをしているか、もしく
は不勉強な場合が多いでしょう。
なぜなら親鸞聖人の背景を私たちがすべて知りうることはできないから。
もちろんお釈迦様しかりです。
そのことにさえ考えが及んでいないのです。

やはり道を聞き続けて行くしかない。
それは歳とともに、思いとともに、経験とともに常に変化して行く。
まさに縁起の世界であるのです。

真実の教えはある、それを生涯聞き続けて行く。


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悲しみを越えて・・・納骨法要。

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今日はお寺で納骨法要をお勤めした。
もとは本山の納骨堂にお納めしていた。

家の近くにお寺がある。
お墓にお参りするとき、散歩するとき、いつもお寺の前を通られます。

先祖の分骨されたお骨をお寺の納骨壇に納められることにされた。

納骨は自分だけで決めることができない。
まして先祖のことですから、関係するご親戚に一軒一軒連絡をされたそうです。
そしてご親戚の方々も、とても喜んでくださった。

元の納骨堂からご出骨をされ、ご自宅で還骨のお勤めをしました。
そして今日、お寺にて納骨法要をお勤めされ、納骨をされた。

先ずはご本尊の前にて『正信偈』作法を。
そして納骨壇にて『讃仏偈』。

これからは本堂の納骨壇に納骨となられます。
ご家族の方々もとても喜んでおられた。

今回は様々な縁のつながりによって今日の納骨式を迎えた。
近くに娘さんが帰って来られたとの思いがあったのかも知れません。

すべての思いがつながる。
法要の後、ご家族の方はお墓にお参りされると言う。

悲しみは癒されることはなくとも、思いはつながるのですね。

これから、お寺としても納骨壇をお使いいただく機縁となりました。
今までは積極的にはお勧めしてはいませんでしたから。

そこに思いがあるなら、その思いをしっかりと受け止めて行かなくてはならない。


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お勤めのあと瞑想を・・・ちょっと心を軽くする。

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まだ台風の余波が残っていました。
風はなかったけど雨が残っていた週末の宿坊。

ちょっとお寺でゆっくりしたいと思われたそうです。

50代の僕にとっては、その歳なりに抱えたことってたくさんあります。
でもそれは20代であっても同じかな。
20代は20代としていろいろ考えられることもたくさんあるでしょう。

心と身体をゆっくりと休める。
そしていろんなお話をする。

朝のお勤めの後、瞑想をしてみました。
とても穏やかな表情をされています。

これからもいろんなことが待ち受けているでしょう。
そんなこと受けとめながら歩いて行く。

何かあればまた宿坊に来られたらいい。

そしてまたゆっくりと心と身体を休める。

エネルギーを充電するというよりも、ちょっと心を軽くする。

宿坊もそんな感じです。

瞑想もそう、心の負荷を和らげるのです。

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ゆっくりされたかな。


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生きる

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人には欲があり、欲が生まれれば執着します。

執着とは人を迷わせるもの、仏教では煩悩とも表現します。

たとえば愛。

愛は美しく尊いもの、でもそれが相手の心を自分に振り向かせたい
とか、相手が別の人を向いてしまうとどうでしょうか。

キリスト教では愛を説きますが、私たちが普段使っている愛とは違う
感覚ではないでしょうか。

たとえばお金。

お金は大切なものですが、お金を儲けるために私たちのいのちが
あるのではありません。
あるとき、生きて行くための手段でしかないのです。
でもお金はあればあるだけ有り難いと思ってしまう。
10億円稼ごうと思っていた人が、10億円貯まると今度は100億円
欲しいと思ってしまいます。

この様に人の欲望は限りがない。
これは手段が目的となって、欲望はどんどん膨らんで行きます。

仏教はこの執着を取り除く作業をします。

本当に大切なものだけを見ること。

あなたが生きて行くために本当に必要なものは何でしょうか。

お金も、この世のいのちが尽きれば、どうでしょうか。
残された者たちがそれで争い、ときには殺すことさえあるのです。

地位はどうでしょうか。
その地位を巡って争いが起こることだってあります。

人はあると思えばそれに執着します。

逆にそれを取り除いていったなら、人のこころは何にも囚われること
なく、穏やかな心になって行きます。

お釈迦様もたとえば道元禅師も何も所有しないことを目指されている。
それが人にとって一番心の落ち着く場所であると。

現代の社会においても、それはとても大切であると感じます。

もちろん資本主義経済の中で消費は美徳であったかも知れません。
経済発展と豊かな暮らしが待っていると。
現在の中国がまさにそうだと思います。
日本がかって経験してきたことを、情報社会になって短時間でそれを
繰り返しているのでしょう。

でもそれで人は本当に豊かになったのでしょうか。

日本にはそれを感じるだけの経過を経てきたと思います。

豊かになるためと信じて戦争を繰り返し、豊かになるためと信じて
経済発展を目指し、豊かになるためと思ってバブルを経験する。

結局そこには何もないということに気づくことも大切なのです。

生きるためには仕方ない、でもその仕方ないだけでは人のこころは
落ち着きません。

本当に大切なものをちゃんと知っておくことも必要です。

自分の心の持ち方が大切になって来るのです。

「わかちゃいるけどやめられない」
そんな私たちですが・・・。

仏教はその心の持ち方を教えてくれるものだと思います。


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河原の石で作った「いやし地蔵」・・・オリンピックバージョンも。

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                              (一体用)

河原の石で作った「いやし地蔵」

なぜか心に伝わってきます。
いやしだったり安らぎだったり。

「いやし地蔵」は宿坊の近くの若桜町にお住いの川上巧さんという方が
作られています。
病気になり余命三年と言われたとき、ショックと悔しさで家の中に引き
こもりになられていた。
ふとした出会いから、この石地蔵を作られるようになったと言う。

それからは、とにかく皆さんに心を癒してもらえる様にただ作り続けて
おられる。
被災地など全国各地にも送っておられます。

先日は宿坊で開催した「がん患者の会」に参加された皆さまにも、お土産
としてお渡しすることが出来ました。

心を落ち着けてくれる、何か魅力を感じます。

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                     (オリンピックバージョン)
川上さんとお話ししていて、東京オリンピックが開催されるから、その記念
にオリンピックバージョンを作っていただくことになった。
早速にお作りいただき、宿坊にお持ち下さいました。

五輪の色の関係で、石は河原の小石ではなく白玉の石を使われたそう
です。
とっても可愛く出来上がりました。

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                         (二体用)
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                    (ご家族用・・・希望の人数ができます)
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                    (傘地蔵バージョン)
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              (五百羅漢ならぬ五百地蔵って感じです)

「いやし地蔵」にはいろんなバージョンがあります。

通常、若桜の道の駅でお土産用に売られているのは、お地蔵さんが二体
のものです。

今回、光澤寺の本堂に展示していただいていますので、光澤寺にお越しに
なられたら、いろんなお地蔵さんに出会えます。

お土産用には、お地蔵さんが一体のもの、二体のもの、オリンピックバー
ジョンのものをご用意しています。
値段は一体用が500円、二体のものが1000円、オリンピックが1500円
になっています。
お寺は手数料をいただいていません、その分を支援等に回していただける
ように願っています。
それ以外の、家族用や傘地蔵バージョンは特別注文になるそうで、お時間
をいただければ、ご希望のものをお作りされるそうです。
お値段もそれぞれだそうです。

この「いやし地蔵」をぜひ多くの方々に知っていただきたいと思っています。
お寺や施設等に飾られるのもとっても良いと思います。

何かお問合せや展示等のご依頼等ありましたら、光澤寺のHPからお問い
合わせ下さい。
川上さんに、こちらより責任を持ってお取次ぎさせていただきます。

お問合せはこちらへ ⇒ 光澤寺ホームページ


葬儀や法事は本当に必要ですか・・・連研テーマから。

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今度の日曜日、連研が開催されます。
浄土真宗のご門徒さん向けに本願寺派が推進している研修会。

鳥取因幡組では毎月一回、連続十二回の一年間で修了できるように
開催しています。

今回のテーマは「葬儀や法事って必要ですか?」です。
このテーマは現代のお寺で、寺離れや葬儀離れが言われる中、その
意義を問うという背景があります。

教義ばかりではなく、現在直面している問題を参加者で話合い、また
講義を聞くと言う場になります。
今回私は、急遽ピンチヒッターとして、その問題提起と取りまとめの
法話を担当することになりました。

今回のテーマは、連研では初めての取り組みとなるテーマで、私が
提案したものです。
その担当が回ってくると言うことも何かの縁かも知れません。
今回の内容は、それぞれ個人個人の価値観に負うところも多いので、
決して結論を出すとか、回答を僧侶側から押し付けるものではない。
ただそれぞれの意識の中でどう捉えるのか、先祖供養のためだけでは
ないものを感じ取っていただくことが大切です。

また僧侶側としては、葬儀や法事の意味をしっかりと持っておかないと、
まったく説得力を持たないものになります。

なぜ葬儀や法事が必要なのか、なぜお経を唱えるのか、なぜみ教えを
伝えなくてはならないのか。
僧侶はこのテーマに常に向き合い、自問自答し、自分としての立ち位置
をしっかりと持っておかなくてはなりません。
もしそれを持てないのであれば僧侶をやっている意味が分からなくなり
ます。

問題提起としては、あまりこちらから回答を引き出すようなことはしない。
参加者の皆さんがそれぞれの思いを語っていただくことが大切だと思っ
ています。

今回の会場は、女性の住職です。
また違った感覚の葬儀や法事のとらえ方があるのかも知れません。
それも少し楽しみにしています。

皆さんは、葬儀や法事は何のためにあると思いますか。
そして葬儀や法事は本当に必要でしょうか。

その意味を少し考えてみてはどうでしょうか。


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人生はエンディング活動だ!

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最近、終活がブームです。
以前なら、あまりオープンに語られなかったことですが、最近は余裕が
あるのでしょうか。
長生きできるようになったことも一因だと思います。

リタイヤ後の人生が長くなった、そして皆さん健康志向だから。
個人的な価値観が多様化していて、従来の暗いイメージではなく、自分の
エンディングを演出したいとの思いがあるのかも知れません。

ところで仏教は死を見つめて、今の生を輝かす教えです。
すなわち仏教の教え自体がすでに終活でもあるのです。
決して死後の世界を語るのではありません。

人はこの世に生れたなら、絶対に避けられないものがある。
それは死と言うこと。
そのことを意識したときからエンディング活動が始まるのです。
今生きているこのいのちをどう生きて行くのか。
それが仏教の最大のテーマです。

ですからお寺や僧侶が、終活を支援することって理に適っているのです。

お寺や宿坊でエンディングを語り、そして今のいのちを考える。
そんな場所だとも思っています。

エンディングとは今の生を考えること、そのより所となりサポートする。
あなたのいのちをしっかりと支えることが、私の役割なのだと思っている。

そんなことも思いながら・・・。


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今日は鳥取ライオンズクラブの方々が宿坊に・・・。

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今日は鳥取ライオンズクラブの方々が宿坊においでになられました。

通常の定例会を開催された、わざわざ山の宿坊においでいただくこと、
とても有り難いご縁でした。
クラブのメンバーに同じ本願寺派の方がいらっしゃって提案していただ
いたのです。

メンバーの皆さまも、まさか山の中のお寺で定例会を開催されるとは思
っても見なかったのでは。

今日は気候も丁度よく、暑くもなく寒くもなく、山のお寺の夜は静かに過ぎ
て行きました。
紳士淑女の皆さま、お話しも弾んでたように感じました、さすがに大人の
方々ですね。

料理はイタリアン精進料理のセット、次に盛り合わせの料理。
本日は宿坊特製のブータン料理もお出しいたしました。
皆さまも珍しい料理の数々、興味深そうに召し上がられていました。

たまには街を離れて、こんな定例会も良いかも知れません。
でも車ではこれませんのでバスを貸切ってのお越しです。

本堂にはブータンの写真パネルといやし地蔵を展示していました。
皆さんご覧になられていた、そして「やずブータン村」のことも少しだけご
案内することもできました。

これからいろんな縁がつながって行くかも知れませんね。
普段訪れることのない方々にお寺に来ていただく機会があるのは、やは
り宿坊をしているおかげです。
こうして様々な人たちと縁ができる、直接ではなくても知っていただくだけで
大きな力となるのだ。

最後は皆さんご機嫌でした、料理もたくさん召し上がっていただいておりま
した。
品数が多かったので、もっと残されるかなと思っていました。
本日は本当に有り難うございました。

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色即是空と親鸞聖人の念仏

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色即是空

これは日本でよく唱えられる『般若心経』という経典の中の一節にある
事で有名です。
写経でもこの『般若心経』が一番よく書かれますね。
どちらかというと密教や禅系の宗派でよく唱えられます。
浄土真宗では唱えないということも知られています。

ただ宿坊では写経を体験される方が多いので、『般若心経』を写経します。
写経の前には、書かれる経典を読誦しますから、私も『般若心経』をお唱え
します。

親鸞聖人はその著作である『教行信証』にたくさんの経典を引文されて
いますが『般若経典』からはないのです。
それは『般若心経』が中国色の濃い経典だからでしょうか。
大乗仏教経典の中でも、浄土経典より成立が遅いということ、中国での
新訳の影響が強いと言うことなど、理由はいろいろ考えられます。
親鸞聖人は旧訳の経典を選ばれています、もちろん新訳にも目を通され
ているのは言うまでもありません。
新訳は玄奘三蔵以降ということになります。
玄奘三蔵訳については賛否両論と言った感じでしょうか。
それと、お釈迦様や親鸞聖人が一番望んだ、民衆いわゆる凡夫の救い
が直接説かれているかどうかがポイントなのかも知れません。
浄土経典などと比べて、民衆の救いではなく学問的な内容になっていると
いうこともあるでしょう。

ただ宿坊に来られた方に仏教のお話しをするときは、この『般若心経』が
有り難かったりします。
仏教の立ち位置である「縁起」をお話しするときに、「色即是空」という有名
な一節を元に話すことがあるからです。
キリスト教やイスラームと仏教の違いを説明するときは、先ず「縁起」のこと
をお話しします。
その縁起を説明するときは、皆さんが知っていたり写経されたりするときに
書かれた「色即是空」を使うことが多い。
ただ後半の呪文的な部分は、はっきり言って仏教的ではありません。
意味のないことをお釈迦様は唱えませんから、ヒンドゥー教などの影響かと
思います。

「色即是空 空即是色」

私は私ではない でも私は私である

つまり私と言う実体は移りゆくものであり、私と言う実体はないのだ
でも、その実体のない私と言う存在がその存在そのものでもある

私の存在自体が宇宙であり、その中心は私である
仏は遍在するということになる、仏教は常に私が主題であるのだ。

こんな感じになるのでしょうか。

そこの私と言う枠を取り去る、それが空であるところの心身脱落につながる。
それは禅的な空観でしょうか。

親鸞聖人の仰られる念仏とは、まさにそこに我がはからいを一切排除する。
つまり念仏そのものが悟りの世界なのです。
もちろんそこには仏教的な縁起をしっかりと背景にしています。

その悟りの境地が念仏に体現されるのである。
だから念仏は絶対他力なのです。

禅が求める世界も最終的な段階は他力であるでしょう。
道元禅師の言われる「仏に我が身を投入れる」とはまさにそうだと。
僧侶たる者、すべての執着と欲から身を離すのだと言われている。
だから僧侶は本来は清貧を目指す。
実際はどうなっているかは知るところではありませんが。
なので戒名などに一番こだわってはならない教えとも言えるでしょう。

親鸞聖人は我が身を徹底的に見つめる。
そしてそこにおのれと言うものを見て行かれるのです。
煩悩から離れることのできないわが身、そこに人間と言う存在の本質。
そこに救いを求めて行く。

絶対他力の念仏である。

それは、すでにはたらきとなって私に届けれらている。
阿弥陀如来の本願のはたらきである。

それは過去から、そして今も、これからも・・・、ingなのです。

それに私が気づけるのかどうか。
それは縁による。

その縁は、どこから来るのか。

如来である、そしてそれを媒介する役割の方々である。

そのことにどうぞお気づき下さい。
そんな感じでしょうか。

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こころ休まる場所

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秋の夕暮れ。

本堂灯りが灯る。

お寺が心安らぐ場所であって欲しい、そう願う。

ちょっと疲れたとき、ちょっと寂しいとき、ちょっと悲しいとき。
生きてるとそんなときがある、そんなときちょっと行ってみたい場所が
あると、人のこころは安まるのでしょう。

心はきっと安まる場所を探している。
いつもじゃなくてもいい、人には調子の良いときもあれば、そうじゃない
ときもあります。

それぞれのとき、行ける場所を持っておく。
自分だけのお気に入りの場所。

お寺ってそんな場所になるといい。
宿坊なら、泊まってゆっくりもできる。

夕暮れ時、本堂を見ながらそんなことを思う。

一泊の予定で宿坊に来られた方、そして今日三泊して帰られました。
ゆっくり心も身体も休めて行かれていたら有り難いことです。

本を読まれていました。
そして写経や瞑想の体験も。

理由はなくても、ただゆっくりとして行ってもらえればいい。

そんなことを思いながら、いろんなお話しをしました。

宿坊やお寺に行くのに、特に理由なんかなくても。


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なぜ仏の道を歩むのか

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私たちが仏の道を歩むと言うきっかけは様々である。

そこには何らかの「気づき」があります。

日常を生活しているうえでは、宗教や仏教はあまり関係ないと感じて
いる人が多いであろう。

でも何かに出遇い、そして「気づく」ことがあります。

それは何か?

自分の力ではどうしようもないこと、いのち、無常、苦しみや悲しみ。

そんなときに出遇いがある。

そして「気づく」。

仏教は「気づき」の宗教であると思います。

生きていることに気づき、仏の願いに気づき、見守られているいのちに
気づき、多くの縁に支えられていることに気づく。

たとえば浄土真宗では、自力から他力への転換があります。
それはやはり「気づき」なのだと思う。

そのことに気づいたなら、私の心が変わる、転換して行くのです。

そして仏の道を歩む。

そうすると、そのいのちの意味が変わってきます。

そこに過去からの多くの師の言葉が紡ぎだされている。

それをただ知識として聞いていた自分から、私へと語りかけられていた
言葉となる。
その教えが自分のものとなって行くのだ。

そして私は仏の道を歩み始める。

行き着けるかどうかは問題ではない。

歩み始めると言うことのみが大切なのだと思うのです。

仏の道とは、私が仏となる道です。

誰のためでもない、ただ私の道です。

仏はただ、あなた一人を見つめている。

ただ私一人を見つめていることに気づく。

気づくと言うことは、本当は気づかされると言うことになります。

なぜなら見つめられているのは私の方なのですから。


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仏の願い

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仏さまには願いがある。

仏様はたくさんいらっしゃる、なぜたくさんいらっしゃるのだろうか。

それはそれぞれ仏様によって願いが違うから。

私のお寺の仏さまは阿弥陀如来。

阿弥陀如来がまだ修行の身であり法蔵菩薩という名であったとき、願いを
立てる、それが本願です。

阿弥陀如来の本願、それは四十八願ある。

法蔵菩薩は、すべての人々を救いたいと考えた。

それにはどんな願いを立て、それを成就したなら、それが適うのか。

ですから仏様になるために、懸命に願いを考えるのです。

それが五劫思惟です。

だれか一人でもその願いから漏れることがあってはならない。
それにはどんな願いが必要か。

一人一人、その環境が違えば、悲しみも苦しみもすべて違うのです。

そしてその深さも違う。

そんな一人一人、そのすべての人を救えなくては願いにならない。

仏さまになるためには、その願いを考えそして成就しなくてはならない。

法蔵菩薩は願いを立て、そして成就した。

それは、いつどんなときでも、そしてどこにいようが、誰であっても。

そう今の私のいのちは、すでに阿弥陀如来の願いの中にあるのです。

それがどんな私であったとしても、すでにその願いの中にある。

そしてすでに救われることが約束されている。

そのことを心から信じ、受けとめられるかどうかだ。

それは私のことである、他の誰の事でもない、ただ私のことなのだ。


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今日はお寺で保育士の方々の研修会でした。

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今日は八頭町の保育士の方々の研修会がお寺でありました。
集まられたのはその中の約20人。

研修の内容は人権についてで、宗教や仏教的背景も交えながら様々な
角度から話しをしてみました。

時間は1時間半としっかりあり、内容的には堅くなってしまう傾向になるので、
その時間を退屈せずに聞いていただくにはどうしたら良いか考える。
その背景にあるものや身近な話題を取り混ぜながらの内容としました。

そして雰囲気作り、狭苦しくならないようにゆっくりと座れる場所を確保する。
優しい石地蔵やブータンの写真パネルを展示している近くに設定し、声も張り
あげなくて良い様にマイクを持って話す。
あとはパワーポイントで要点をまとめて説明する、もちろん資料が無くても
良い様に。
資料があれば、資料に気を取られてしまうということがあります。

保育園では毎年花まつりを開催しています。
今日の午前中には近くにやって来たカモたちを見に園児たちがお寺の前を
歩いていました。

やはり地域の方々といろんな活動を通してお寺に来ていただくことは大切です。
通常は檀家としてお寺に行くくらいで、関係ないお寺に足を運ぶことはない。
でも研修などで来ていただけると、お寺がどうなっているのか、どんなことを
やっているのかということが分かっていただけます。
今日も、このお寺がオープンになっていると感じていただけたようです。
ついでに宿坊をやっていることも分かっていただける。

もちろん研修内容にも最大限の努力をする。
その結果として、少しでも参加者の方々に伝わることがあればいい。

お寺をすべての人に開かれたオープンな存在であると知っていただきたい。
そう思っています。
そして来られた方が、何かを感じて帰っていただける様に。
まだまだ先は長いのだ。

来週は鳥取市のライオンズクラブの方々が定例会を宿坊で開催していただ
きます。

10月は第一週の「やずブータン村まつり」から始まって、先週の「宿坊で語ら
うガン患者のつどい」、今週は町内の保育士の方々の研修会、そして来週は
ライオンズクラブの定例会と続きます。
普段はこのお寺とは関係のない方々がたくさん来られる、そしてお寺や宿坊
を見て行かれる。

そして11月からは報恩講のお勤めが始まります。
報恩講が始まるとそろそろ年末が近づいてきたなって感じる。

年末年始には海外の日本人学校の生徒さんたちが宿坊で日本のお正月を
体験されます。

宿坊を始めたことで、様々な縁がつながって行く様になった。
まだ1年半しか経っていないけど、お寺って本当に様々な魅力があるって改め
て感じるのです。

もし全国のお寺がオープンな活動を始めたら、とんでもないことが起こるでしょ
う。
そうなったときお寺の景色も変わり、日本の景色も変わって行くだろう。


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人を不安にさせるもの

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お寺には時々いろんな相談がある。

それがときには仏教的でないものもあります。
だけど、それを仏教的にはどうこうとなんて回答はできません。

なぜなら、その方はそれを不安に思っておられるのですから。
それが霊的なものであったり、何かの予兆的なものであったり。

TV等でも心霊現象的なものをやっているので、写真とか様々な
ものの相談があります。
そして人の感受性には大きく差があります、深層心理まで中々
量りかねますが、ただ真っ向から否定されるべきものでもありま
せんね。

浄土真宗であれば、その様な迷信や心霊現象は関係ありま
せん、気になされずにとか迷わされることなく、などと言うところ
でしょう。
でもそうお応えしても、その方の心の解決になっていなければ
何にもなりません。
その方の迷いを取り除くことが優先であって、僧侶としての紋きり
の回答であれば、相談者はしっくりこない。

ではどうするのか、それには相手の話しを最後までよく聞くことで
ある。
聞き終わるまでは何も答えない、ただ相談者の内容を引き出す
だけに終始する、すなわち途中で話しをしたり否定したりしない
ことが大切だと思います。

そして相談者が不安に思っていることは何かを特定する必要が
あります。その上でどの様に対応して欲しいと思っておられるの
かを聞き出すのです。

もちろん祈祷やお祓いなどは一切しません。
浄土真宗であるし、お釈迦様が否定されているものですし、そして
結果が必ずしも良い方向に行くとは限らないからです。
私たちは心の迷いをどの様に取り除くかを考えるのです。

困ったり不安に思われたりしたことを、とにかく取り除く、それは
その内容や相談者によって対応方法が違ってきます。
もちろん、そのときには仏教や浄土真宗的見地をしっかりと考えて
います。
そのことも考慮に入れながら、その相談者の方の心の不安を取り
除く作業や言葉を選んで行くのです。

ですから決して簡単なことではない。
どの様な内容でも常に真剣に向き合うことが必要です。
お祓いなどしません、なので相談料などいただくことはありません。
何事もお祓いで対応できたなら、これほど楽なことはないでしょう。

ただし必要であれば、しっかりとお経をお勤めすることもあります。
その意味をお伝えした上でです。

最終的には、その方の心の解放につながらなくては意味がないの
です。


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『宿坊で語らうガン患者の集い』を開催致しました。

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                   (真ん中はコーディネーターの宮本さんです)
『宿坊で語らうガン患者の集い』を開催しました。
それも宿坊に一泊して。

何しろ初めての試みですから、周知や案内が難しかったと思います。
対象ががん患者の方々、誰でもと言う訳ではない。

また全国各地にがん患者の会は沢山あるでしょう。
その中にあっては、まったくフリーな会でもある、逆に言えば参加される
方々は、どんな会なのか行ってみないと分からないということでもあります。

今回参加された方々は、少人数であったので、たくさんそしてゆっくりと
語り合うことができたと思います。

また宿坊そしてお寺が会場です、そして周りは自然に囲まれた山里の景色。
皆さんは、その環境と空気の美味しさに結構感動されていました。
夜は露天風呂から星がたくさん見えます。

会場にはブータンの写真パネル、「いやし地蔵」の置き物、そして途中では
近くの仏師の工房の見学も致しました。

参加者の皆さんは、自分の思いとは違った人もいたでしょう。
でも時間が過ぎるとともに、和やかになっていった、そしてそこにはいろんな
思いが生れたのだと思います。

宿坊側としても、皆さんが落ち着いてリラックスしていただける様に最大限
配慮しました、もちろん料理も。
季節の野菜や鳥取の地元の食材を使い、ブータン料理もお出ししましたよ。

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これからも、この会が続いて行けばいいなと思います。
そしてその輪が広がって行きますように、そう願ってます。
今回参加された方々も、また行ってみたいと思っていただけたらいいですね。

スタッフの皆さん、参加者の皆さん、おつかれさまでした、そしてありがとう
ございました。

お寺が新しく進む道、宿坊のひとつのあり方。
そんなことをいっぱい考えた二日間でした。

企画&コーディネーターの宮本さん、今晩はゆっくりお休みください。


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今日は『宿坊で語り合うがん患者の集い』があります。

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今日は宿坊で『宿坊で語り合うがん患者の集い』が開催されます。

同じガン患者の方々が集い、宿坊に宿泊してゆっくりと、それぞれの思い
を語り合うのです。
そして参加者がそれを受けとめて行く。

秋晴れの過ごしやすい日となりそうです。
自然に囲まれた山里、そして心落ち着くお寺と言う環境。
そこで身体と心を休め、穏やかに過ごしていただきたい。

コーディネーターの方もスタッフの方も、同じ経験をされている。
その中で、自分のいのちを見つめ、そしてお互いを見つめる。
そんな会になると思います。

今回は初めての試みです。
できるなら、これからも会を重ねて行きたいと思います。
そして、ガン患者の方々の心のより所となるように。

そう願っています。

今回の参加者の方々は、ほとんどが県外から来られます。
いろんな思いを持っておられるのでしょう。

でも迎える側としては、いつも通り、普段のままにお迎えしたい。
そして宿坊をゆっくり楽しんでいただきたい。

明日は、宿坊近くの仏師の工房を見学していただきます。

そして、「いやし地蔵」をお土産に。


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日本の山里の原風景 ・・・ 秋色を楽しむ。


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今日は暑い一日だった。
今年の十月は高温が続いているそうだ。

まだ普段着は半袖のまま、それでも少し動けばもう汗だくである。
でも朝晩は過ごしやすいので、それほど暑さは気にならない。

今日は近くの山や野に草木を調達に行く。
この季節の草花を本堂の前に活けるのだ。

季節の草木は自然のままがいい、それをそのまま活ける。
それがまた味わいとなる。

暑くても、山里の風景はしっかりと秋色です。

田んぼは稲刈りが終わり、稲が干してある。
柿の実は真っ赤に熟れている。
そしてススキの穂が光輝きながら風にたなびいている。

やずブータン村はそんなところにあります。
日本の四季がそのままにある場所。

日本人が想い描く山里の原風景がそのまま残っている。
ここは季節の色が季節の通りに染まっていくのです。

そんな場所は人のこころを穏やかにし、そして豊かにしてくれる。

日本には実はそんな場所は意外と少ないのです。

でもここにはちゃんと残っている。

特別な風景ではない、ただの田舎の山里の風景。

そんな風景を人は懐かしく想い、安らぎを感じられるのです。
そして人のこころを癒す。

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日本の原風景のなかに身を委ねる旅もいいと思う。
ただ観光地や特別の景色を見るのではなく、ただ自然のままに日本の
四季を楽しむのだ。

ただのそのままの風景。
そんな郷愁に誘われてみてはいかがでしょう。

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ブータンの風を感じに・・・宿坊光澤寺&やずブータン村。

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しあわせな場所創りを提案する「やずブータン村」。

その「やずブータン村」の本拠地は宿坊光澤寺にあります。
先日開催した「やずブータン村まつり」で展示したブータンと八頭の写真
パネルを、宿坊に展示しています。

ブータンの風景、ブータンの人々。
そこにはブータンの表情が写し出されています。

ブータン写真家である関健作氏の撮影によるもので、一枚一枚が渾身の
作品となっております。

ブータンと言う国の名前はよく耳にする様になりました。
でも、本当はどんな国なのかなあって思われている人が多いのでしょう。
先日のイベントでも、ブータンってどんな国かよく分からないと言った声が
多かった。

写真やスライドショー&ビデオを見て、ブータン料理をご賞味いただいた
ときに、皆さん少しだけブータンの風を感じられたと思います。

宿坊光澤寺では写真パネルの展示、そして希望すればブータン料理を
お出しいたします。
宿泊の方、日帰り体験の方、どちらでもブータンの風を感じられますよ。

これから「やずブータン村」の活動が具体的に始まります。

希望すればもちろんどなたでも「やずブータン村」の住民にもなれます。

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一周忌に想う・・・私という存在は。

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人は何によって行動するのでしょうか。

それは自分の意志によってと思っている人が多いのかも知れません。
でも自分の意志と思っていても、よくよく考えると周りによって自分の
行動が決まっているのではないかと思うこともあります。

それは自分の意志ではないのだから、周りに迎合しているかのように
受けとめられるかも知れません。
何か判断するときに、まわりにその判断を委ねているなら、そう思える
かも知れません。

ここでは、たとえ自分が判断していることでも、実は多くの縁によって
その判断が下されているかも知れないということです。
そう、人の行動や人生って、周りの多くの人の縁によって動かされて
いることが多いのだと思います。

私が会社を辞めて僧侶となり寺に戻る。
そして今日、一周忌のご縁によってここにお参りさせていただくこと。
それらは本当に自分の意志だけであろうか。

何かによってそう動かされ、何かによって今の自分がある。
そこには私の意志とは違うものが働いているのです。
生れてきたこともそう、そして死ぬことも自分の意志ではないだろう。

何かに衝き動かされている自分と言う存在がある。

お経を唱えているとき、それはもう自分ではないと感じることがあります。
それを唱えさせているものは何か。

お念仏もそうです。
自分で称えているつもりであるが、実は称えさせられている。
そこに自分の意志はなくなるのです。

禅では心身脱落を説く。
実は浄土真宗の念仏は、すでにそこに我がはからいはないのです。

念仏は仏のはからいであって、自らのはからいではない。

お経を唱えていても、そこには私と言う存在はいない。
ただお経だけがそこにある。
私が唱えていても、それを称えさせているのは私ではない。

そんなことがあります。

すべての縁によって私の存在があり、私の縁によってそべての存在が
その存在たらしめられる。

それは仏教では縁起における「無自性」ということになります。

この世のすべての存在は、縁によって成り立ち、そしてすべての縁によ
って動かされるのです。

その動きを見つめ、そしてそのことを理解する。
そこに自分と言う存在を、その中に融かしこむ。
それが念仏の世界だと思います。

そこにあるのは、仏の思いへの感謝の心になるのだろう。

まさに、「円満得号勧専称」なのです。

そして、これからの縁は、今のあなたが作ってゆくのでしょう。
あなたの行動によって、その縁がどう展開して行くのか。

他力とはそういうものなのかな。


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どこか遠くへ行きたい・・・若桜鉄道と宿坊の旅

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知らない街を歩いてみたい
どこか遠くへ行きたい・・・・

そんな思いに駆られるときがある。
そんなときは八頭がいい。

あまり誰も知らないところ、そして誰もあなたを知らないところ
知っている人に出会うことはない

若桜鉄道に乗ってのんびり風景を眺める
山と田んぼ、田舎の家々

日本の四季がちゃんとそこにあります

そんな場所って意外と少ない
でも観光地じゃないから誰も知らないし来ない

そんなところに宿坊があります

若桜鉄道に揺られ、散策して宿坊に泊まる

どこか遠くへ行きたい ・・・

そこは、あなたをそっとやさしく包みこんでくれるはず

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お寺とイベント

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お寺でイベントを開催する。

たとえばコンサートや落語会など、最近は様々な催しをするお寺が増えて
います。
もともとお寺ってカルチャーセンターの役割をしていたのだから、決して
取ってつけた様なものではないと思う。

ただそんなイベントを開催することにすべての人がもろ手を挙げて賛成して
いる訳ではありません。
眉をひそめる方々もたくさんいらっしゃることを承知もしています。
でも、お寺もこれから変わって行かなくてはなりません。

法要や法座をしていればいい、そんな声も聞こえます。
まして檀家以外の人をお寺にいれることには反対意見が多いのです。

僕も元々は一過性のお寺イベントはあまり賛成ではありません。
ただそこに何か意志があれば、それはつながって行くのではないか、そうも
感じています。

そして今お寺は変わろうとしています。
地方のお寺は過疎化が進みます、その中でお寺の存続を賭けた仕組み作
りが必要なのです。

それは決してイベントが主ではありません。
ただお寺がオープンな存在であると言うことをアピールする場にはなります。
決して閉じられたお寺ではなく、皆誰にでも解放されている場であるということ
も大切なのではないでしょうか。

イザと言うときには間に合わない、そして何をやっていいか分からない。
だから今、何か一歩踏み出して行くしかないのです。
お寺にはすべて違う環境とそれぞれの事情があります。
だから、それぞれのお寺で何かを考えなくてはいけないのだとも思います。

現在は僕のお寺では、「お寺」と「宿坊」と「やずブータン村」という三本の矢で
これから進んで行こうと思っています。
間に合わないかも知れません、でも何かを始めなければ何も変わりません。
自分の生活だけを考えるなら、何もしない方がいい。
余計な出費をしなくて良いですから、そして余計な時間と手間を取られない
から。

ただお寺はそれだけのために存在しているのではなく、僧侶も何のために
僧侶なのかという問いが常にあります。

だから動く、何かに突き動かされる様に行動する。
それは自分の意志であるようで、実は何か別の意志に動かされているよう
でもある。
それは何かわからない、仏の意志か先達の意志か・・・。

それは死ぬまで分りません、ならいのちある限りその道を進むしかない。


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『やずブータン村まつり』、ブータン料理も好評でした。

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ブータンって好きな人多いんだなって感じた。

『やずブータン村まつり』の二日目は、八頭とブータンの写真パネル展。
そしてブータン料理をお出ししました。

開始時刻の前から人が来られていた。
最初のスライドショーには20人以上の人が集まられた。

予想外だったのは、八頭って良い町だなって感じてもらえたこと。

やっぱりブータンと八頭って同じ香りがするのかも知れない。
そう思うと、少しうれしかったりします。

お子さん連れで来られていた方も多くて賑やかでした。

ブータン料理は『ケワダツィ』と『パクシャパ』の二種類。
どちらもブータンの定番料理です。

味の方はとても好評でした、自分でも作ってみたいという方が多かった。
これからは宿坊でも定番料理の一つに加えてみよう。

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やずブータン村は、やっと動き出したばかり、でも確実に始動しました。

メンバーも少なく、まだ何をやるかが明確になっている訳ではない。
でも地域の活性化と地域支援、そしてブータン王国との交流。
これが中心なのは間違いない。

あとはそのときそのときでできること、やらなくちゃならないことを。

今回のイベントで新しい出会いもたくさんありました。
少しづつ、少しづつ広げて行きたいですね。

やっと芽が出たから、そんなことを感じています。


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大須賀ひできwith玉木孝治「たそがれコンサート」に酔いしれた夜。

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10月4日夕方6時、たそがれどきにコンサートが始まります。

『やずブータン村まつり』の初日、オープニングイベントです。
出演はデューク・エイセスの大須賀ひできさん、そしてギターの玉木孝治
さんでした。

大須賀さんの大人の歌声、やさしくそして力強く。
思わずその思いが伝わってきて一曲目から涙が溢れそうでした。

お寺の本堂という空間、そして周りは暗闇に包まれる。
一瞬にして田舎の山の中の異空間が生まれる、大須賀さんのマジックか
と思われた。

そして玉木さんのギター、その音色に私たちも惹きこまれる。

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大須賀さんが好きで前日より宿坊に宿泊されていた女性もいらっしゃい
ました。
金曜日の夕方6時と言うこともあってか客足は鈍かった、でも私の挨拶
が終わる頃には用意した客席がすべて埋まっていました。

今回はオープンなイベントですので、ご門徒さんと一般の方の割合はほぼ
半々くらいかな。
鳥取市からもたくさんご来場いただきました。

照明や機材の設定には鳥取市の養源寺様に大変お世話になりました。
そして石のベンチを設置して下さった方、本堂前の花を活けて下さった方。
スタッフの方、多くの方々のお世話になりました。
ご来場いただいた方々と一緒に、お寺の夜の雰囲気のなかで大須賀さん
の歌声と玉木さんのギターの音色に酔いしれた一日でした。

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コンサート終了後は関係者で懇親会。
心地よい酔いと少しの疲れと、それぞれの思いが交錯した夜。
それぞれの思いの中で・・・。

やはり大須賀さんの歌声はとても魅力的だったなあ。
みなさんもとても大切な時間を共有した雰囲気が伝わってきました。

大須賀さんが言われた言葉。
「歌っていると、それはもう自分ではなくなっている。」

その言葉、僕も心に感じました。
僕もお経を唱えているとき、そんな気持ちになることがある。

そうなんだ、そこにいるのは自分だけじゃない、そこに関わる多くの縁に
よってそこに僕がいる。
そして歌を唄ったりお経を唱えたりしている。

そんな感じがした・・・。

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懇親会後は露天風呂に入り、そして眠りにつく。
宿坊の良いところは、すべて同じ場所で過ごせると言うところ。

コンサートやイベント、懇親会や食事、そしてお風呂と睡眠。
すべて一か所で完結できます、非日常の空間の中で。


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落ち葉集めに人生を想う・・・。

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境内を枯葉が覆っている。

それを箒でかき集める。

柿の葉は散るのが早い、十月になったばかりなのにもうほとんど
散ってしまう。
好天が続いていたせいで落ち葉はパリパリだ。

これからの季節、お寺の境内は落ち葉集めが大変だ。
柿の葉の次は大公孫樹が控えている。
これが散り始めると、延々とその作業が続くのです。
そして雪が降り始めるともうかき集めることはできない。
春までその落ち葉との闘いは続く。

お寺って、草取りと落ち葉との格闘が続く。
それがないのは雪の季節だけ。

何の因果かと思うことさえある。

まあそれもお寺の楽しみであると言ってみたいものだ。
いつかはそんな日がくるのかな。

明日は「やずブータン村まつり」の前日。
本堂と庫裏と境内を順々に掃除して行く。

そんなときに限って、露天風呂のボイラーが故障する。
待ってましたとばかりにである。
点検してもらうと、部品代だけで5万円以上になるそうだ。

落ち葉集めと草取り。
死ぬまで続くのだな、世の中の様々な出来事も死ぬまで続く。
そうなのだ、何をしていてもその悩みは尽きることがない。
そのうち歳を取り病になる、そして死んでゆくだけだ。

そう思うと、今のいのちをどう生かされて行くのか。
そんなことを考えたりもするのです・・・。

生かされて生きて行く。

ただそれだけのいのち、だから尊い。

そうなんだな、きっと・・・。


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親鸞聖人との出遇い ・・・ 岩井窯にて。

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先日、知人の方々を案内することがあった。
岩井温泉に泊まられていたので、宿までお迎えに行く。

予定していたところが天候の都合で、近くの岩井窯に行くことになった。
とても良いカフェがあるという。

僕は宿坊の近くの窯元に行くくらいで、今まではあまり窯元に行ったこと
がない。
車で3分も走るとその岩井窯はあった。

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カフェはとても静かで、センスの良い家具と置き物があった。
この辺りのお寺さんには時々お伺いするが、ここには初めてであった。
こんな近くにこれほどの場所があるとは知らなかった。

とても興味深い。

調度類は僕の好きな物ばかりである。
どんなふうにして集めたのかな、気になるところででもある。
コーヒーもとても美味しい、ますます気になるのだ。

なぜこんなところに、こんな窯元があるのだろう。
カフェの隣では食事もできるのだという。

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少し敷地内を散策する。
秋晴れのとても良い日だ。

建物の赤い瓦がとても日に映えて美しい。
それにしても、この建物の何と美しいことかと改めて思う。
向かいの展示室にはいろんな調度品や陶器が飾ってあった。

そうか、これは町か何かの補助事業で運営されているのだろうか。
そんなふうに一瞬考えたが、それにしてはセンスが良すぎるな。

散策していると、窯元のオーナーとお話しする機会があった。
この場所でもう40年以上やっている、すべてお一人で造られたそうだ。
調度品なのもすべてご自分が気に入った物を集めているのだそうだ。
ちょっと驚きである。

この近くのお寺さんにはよく来ます。
そうお話しすると、その住職をよくご存知だった。
それでますます話しが弾む。

なぜか親鸞聖人のことまで話しが及ぶ。
お母さんが熱心な浄土真宗のご門徒さんだったそうだ。
そこで何と古い『正信念仏偈』を見せていただくことができた。

オーナーのお名前は、「教行」と仰られる。
そう親鸞聖人の著作である『教行信証』からとられているのだ。
思いがけない出会いであった、不思議な感覚に陥るのだ。

俄然興味が湧き、話しが尽きないのだが、ご一緒している方々もいらっ
しゃる。

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話しをしていると、柳宗悦の話しまで及ぶ。
柳宗悦は柳宗理のお父さんで、日本の民藝復興の父である。
棟方志功を見出した人でも有名、親鸞聖人研究家でもある。
その柳宗悦の書まで見せていただいた、なんとまあこれほどかと。
センスの良い部屋に飾ってある、すべてが驚きである。

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陶芸の作品展示を見させていただいた後、おすすめの一品に話しが
及ぶ。
ご飯を炊く窯である、それも三合炊きのもの。
とてもおしゃれな品である。

これで炊くとご飯がとても美味しく炊けるそうだ。
確かに見ているだけでそれが分かる。
都会を中心にとても人気があるのだそう、でも数は多くは造れない。
順番待ちだそうである。
そう言われると欲しくなるのが人情、宿坊のメニューとして次はこの釜で
炊いたご飯だな、そう感じた。

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ちょっと立ち寄っただけなのに、とてもいろんなことを考え話し、そして
見たのだ。

建物の一棟は、僕がお寺の会館として建てたいと考えていたもののイメ
ージにぴったり合った。
そうか、これが僕が考えていた会館だ。

なぜ今日は、そんなものに巡りあうのか。

縁って不思議なものであるとつくづく感じた一日だった。

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帰りに日本海の夕陽を見た。

太陽に輝いて海が光っている。

本願の海かなあ・・・、そんなことを思いながら感慨にふける。

もし機会があれば、ぜひ岩井窯に行かれると面白い。

また次に行ける日が楽しみである。


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カモがゆく!

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お寺の前の川に数日前から鴨がやってきた。
この川に鴨がやってくるのは初めてのこと、ちょっと驚いた。

雄と雌が四羽づつ、八羽の鴨がゆっくりと楽しんでいます。

流れは浅いのでスイスイ泳ぐということはできません、近所の人が関を
作って少しだけ水かさが増えました。

何故ここにやってきたのかな?
川にはエサモスクなさそうです。

坊守はこの鴨たちが気になって仕方がない様子。
時間があれば見物に行っています。

今日はパンの耳を与えていました。
「ずっとここにいたらいいのに・・・」

またどこかに飛んで行くんだろうな。
それまでは無事にここで過ごして欲しい。

どこかで飼われていたのが逃げ出してきたのだろうか。
人に食べられないで欲しいなと思ったり・・・、人間のエゴを感じてもいます。

小悲小慈もなき身にて、という親鸞聖人の言葉を思い浮かべる。

生きているって、やっぱり自分の都合でしかないのだな。

それでも、鴨たち今日も精一杯生きてくれ。
ここでずっと元気に過ごして欲しいものです。

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