宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2013年11月

湯たんぽから日本の幸せを考えた。

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鳥取の山里の紅葉もそろそろ終わりです。

この山にも紅葉が終わる頃には冠雪があります。
皆さんが冬支度を始める頃ですね。

昨日宿坊にお泊りになられた女性の方には、今シーズン初めて湯たんぽ
をお出ししました。
朝晩は少し冷え込んできましたが、お泊りになる部屋には、エアコンと加
湿器そしてファンヒーターも置いています。
布団と毛布は暖かいタイプのものをご用意していますから、湯たんぽが
あれば朝まで快適にお休みになれます。

お寺や宿坊は寒そうなイメージがありますから、少しでも快適に過ごして
いただける様に準備しています。

ところで、年末年始にはコロンビアの方々が宿泊に来られますが、コロン
ビアの首都ボゴタは赤道直下でありながら標高が2700mなので、常春
の町なのだそうです。
だから花の国なのかと思った次第。

でもその方曰く、常春ってすごくすごしやすいけど、やっぱり四季がある方
がいいって言われていました。
鳥取の様に冬に雪が降る場所に住んでいると、常春って言葉に憧れます
が、ずっと春の様な気候だとやはり変化が欲しいのだそうです。

それなら雪のある冬を楽しめる方法を考える方がいいなって思った。
最近の老人介護施設は年中室温が一定に保たれている。
ある意味とても快適なのです。
私が何度か研修でお邪魔しましたが、確かにいつも同じ様な感覚です。

一方、高齢者でも家でお一人で暮らされている方の家は、結構寒かったり
します。
暖房費を抑えているのだと思いますが、昔からの習慣で寒さに耐える様に
暮らしておられるのかも知れない。
現代人は暑さ寒さにやっぱり弱いのでしょう。
その年配の方々は、小さなストーブだけで過ごされていたりする。
そうすると、あまり快適ばかりを追い求めている現代人には抵抗力が無く
なっているのだろうなと思う。
介護施設の充実は良いことではあるが、あまりに手を尽し過ぎると、それが
当たり前になり、そして感覚が鈍くなってくるのではと感じた。

人の喜びって何なんだろうかなって改めて考えさせられますね。

これからの日本の幸せを考えるとき、そんなことも大切かなって思ったり。

役割もなく、一年中同じ室温の中で安全に暮らすこと。
倒れて骨折でもしたら危ないってなっている現状は、逆にすべての力や
エネルギーを取り去っている様にも思えるのだが。

そんなところにも、何か次のステージを考えて行かなくてはならないなって
思ったりするのです。



すべての人たちの幸せのために・・・。

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今日、報恩講のお参りをしたときのこと。

その家はお母さんと息子さんのお二人暮らし。
息子さんと言っても50代で、現在はほぼ寝たきりの息子さんを、
そのお母さんが介護をしておられる。
そのお母さんも体調はすぐれず、足腰の状態もかなり悪いようです。

報恩講で『正信偈』、先祖のお経で『阿弥陀経』をお唱えする。
今日は息子さんも隣の部屋のベッドの中で聞かれていたでしょう。
ゆっくりと、静かに、そしてしっかりとお経を唱えた。

親子が逆の立場の場合も多いですが、どちらにしろ田舎の山間部
ではこのようなご家庭が多いのです。

仕事がない、結婚されない、親の介護をしている。
若い方は都会や町に出て行く。
日本の田舎の実情はどこも同じでしょう。

でもやはり都会は魅力的な方がいいと思います。
弱者切り捨てとの批判も多いですが、やはり日本の国に国力が無い
と、この地方もどんどん切り捨てられるでしょう。

このとき国力と言うのは様々な判断基準があります。
日本の良さは田舎にあると言う一面もある。
魅力的な都会があるからこそ、癒しの田舎が必要なのです。
日本経済が順調であれば、過疎地域への支援もあるのでしょう。

ただそれだけで良いわけではない、過疎地や山間部の地域が自ら
その幸せの仕組みを作りだす必要があります。
そのときの幸せって何だろうかと考えるのです。

決して物質的な幸せではない、いざというとき支えてくれるものがあれ
ば良いのです。

しっかりと心を支えてくれるもの。

そんな仕組みを作っておかなくてはいけない。
いつか日本経済が悪くなったとしても、その仕組みを作っていれば安心
して暮らして行けるのだ。

その基本理念を元に生れたのが「やずブータン村」です。
お参りに行ったとき、いつもいろんなことを考えさせられるのです。
そんなことはできないでしょう、でもその思いは。

すべての人々の幸せのために・・・。



12月鳥取因幡組公開講座は生命倫理「いのちについて考える」・・・早島理先生です。

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鳥取因幡組では現在第7期の連研講座を開催しています。

一か月に一回、十二回連続の講座になる。
今回は一月から始まったので、次回の十二月が最終講座となります。
出席時間数が36時間を超えている人には、修了証が授与されます。
今回も参加のほとんどの方が終了される、これだけの期間を開催して
いるのですから皆さん熱心です。

これを修了したと言っても、浄土真宗や仏教の一端に触れただけです。
そこからはこれを機縁として自らが深めて行くことになります。
そんな中で、鳥取因幡組も様々な研修会を開催して、そのみ教えに触
れられる機会を作っています。

たとえば、今回の連研の最終の講座は記念法話の時間となっています
が、今回は外部講師を招いての公開講座となります。
ご門徒さんを始めとして多くの方々に門戸が開くように。

今回のご講師は、龍谷大学文学部真宗学科教授の早島理先生です。
専門は仏教哲学と生命倫理になられます。

現代の医療や科学、たとえば脳死の問題、臓器移植、ips細胞など多く
テーマがあります。
海外では、この様な問題には宗教者の意見が必ず求められる。
しかし日本ではその様な会議の場に宗教者が参加することはないので
す。
各宗派においても、この様な問題に対しては積極的に発言をしてこなか
った経緯もあります。
なので日本では仏教がいのちの現場に立っていないとの反省がいつも
語られている。

そんな問題を、仏教や浄土真宗的な見地から考えるとどうなるのかと言
うことをテーマにしています。

今回はあくまでも、仏教や浄土真宗のみ教えの立場に立ってということ。
そんな機会も大切なのだろうと思います。

公開講座は、12月22日13:00~。
会場は鳥取市鹿野町の光輪寺さんです。

当日は100名以上の参加者になられることでしょう。
12月22日なので雪の心配はないと思いますが、鳥取ですから油断は
できません。

本堂に暖房はありますが、念のため暖かい服装をご用意されていた方
が良いと思います。




ある納骨から思うこと・・・幸せで魅力ある場所に。

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先日、ある方の納骨を行いました。

お墓への納骨は済まされており、一周忌の法要を待って、分骨を
お寺の納骨壇に納められた。

私のお寺では、分骨を西本願寺の大谷本廟へ納めるのが従来の
慣習でした。
やはり親鸞聖人の御廟所の納めるのが有り難いとの思いからです。

今回は、ご家族の方に、遠くへ納骨して離れるのがつらいとの思い
がありました。
それで家から近いお寺の納骨壇に納められることになったのです。

お寺だと毎日お経が唱えられる。
そして近いのでいつでもお参りができる、お墓とはまた違った感覚で
お参りができるのです。
そして雪が積もってもお寺ならお参りができる。
お寺で行事や法要があったときは、一緒に見守ってくださっていると
言う思い、そしてその方へ思いを届けてあげたいという気持ちにも
なるのです。

これからは、お墓ではなく納骨堂が主流となるでしょう。
管理も楽で、ご家族の方も安心できるから。

光澤寺も納骨壇の拡充の準備をしています。
葬儀から納骨、そして法事まですべてお寺でできる様に。
そうすれば都会からでも、山里の自然にあふれたお寺に納骨をされ
る方も増えて来るでしょう。

そのときに宿坊が魅力的であれば良いと考えています。

費用的にも、都会でお墓を建てるより、はるかに安くできます。
でも内容的には田舎の方がとても手厚くできます。

納骨のスタイルもこれからは変わって来るでしょう。

そのときに魅力的な納骨をご提案して行きたいと思っています。

なので、早くからお墓を準備する必要はないのです。

どんな魅力があるのか、終活でゆっくりとご検討されたら良い。

光澤寺はご一緒に終活をして行ける場所でありたいと思っています。

教えを聞き、体験をし、自然の中でゆっくりと過ごす。

お葬式も法事も、お墓参りもゆっくりと。

そんなお寺ですよ。

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親鸞聖人と道元禅師・・・念仏と禅を考える、その一。

浄土真宗の宗祖は親鸞聖人ですね、曹洞宗は道元禅師です。

ほぼ同時代に生きた鎌倉仏教のそれぞれの開祖です。
生れは親鸞聖人の方が早いですが、亡くなったのは道元禅師の方が
先でした。

現在私は道元禅師の本を読むことが多いです。
ただその教えに傾倒していると言う訳ではありません、それは親鸞聖人
のみ教えを知るには、同時代の僧の教えも学んでおくべきだと言うこと
からです。

たとえば、浄土真宗の親鸞聖人のみ教えを学ぶ近道は、竜樹の中観
で説かれた縁起と、天親(世親)の説いた唯識からその教えを見ると
とても分かりやすいと言うこともあります。
同時代の僧である道元禅師の教えから見ると、親鸞聖人の説かれた
絶対他力の念仏の教えというものが浮あがって来るようにも感じる
ところがあります。

念仏と禅という全く異質に見える教えは実際はどうなのかということです。

禅と念仏の比較や研究はたくさんの方がされています。
ただどちらかと言うと、鈴木大拙のように第三者的に学問として、もしく
は、五木寛之氏と立松和平氏のように文学的な立場から論ぜられる事
が多いと思います。

親鸞聖人と道元禅師を研究するときは「教行信証」と「正法眼蔵」という、
それぞれの著作があります。
結局、他の人の意見を通して聞いていたのでは、やはりその本質には
迫れないのでしょう。
なので、その著作に自らが接することが一番の聞法だと思います。
ただ、この二人に共通することは、その従者の著作が有名と言うことです。
親鸞聖人には唯円の書いた「歎異抄」があり、道元禅師については、
懐奘の著した「正法眼蔵随聞記」があります。
どちらかと言えば、宗祖の著したものは難しいので、一般的にはその
従者が書いた本の方がよく読まれていたりします。

お二人を比較すると、禅と念仏の違いこそあれ、表現の違いはあっても
同じことを説いている部分がかなりあります。
ただ立ち位置としてまったく違う部分もあります。
そのあたりの比較が面白かったりします。

そんなみ教えの比較をこれから少しずつやってみようかなと思います。

2014年カレンダー ・・・ 今年の場合。

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11月はご門徒さん宅へ報恩講のお参りがあります。

そのときに来年のカレンダーをお持ちしています。
ここ3年間くらいは探究社というところが出している「ほのぼのカレンダー」
を取り寄せています。

これは、あるお寺さんから教えていただいたもの。
それにお寺のネームと年忌法要のスケジュールを印刷して、自分で貼り
つけています。
こうすると確かに自前で製作したみたいになりますね、これもそのお寺さん
から教えていただきました。
これだと手間が多少かかりますが、納期の心配をしなくて良い。

A4版で紙も厚くしっかりしている、何と言っても日付欄に予定を書き込め
るようにスペースがあるのがいい。
そうすると実際に使ってもらいやすくなります。
絵柄も優しく色もきれい、そして言葉も分かりやすいですね。

仏教関係のカレンダーは言葉が分りにくいものが意外とある。
最近は難しい言葉は誰も分からなくなっています、なので教えていただいて
からはこのカレンダーにしています。

ご門徒さんにも評判がいいです。

出かける前の日、お寺のネームを貼りつけて準備します。
お参り先と件数を確認しながらやって行くので、心の準備もできる。

ただ多めに部数を取るので、余ることもあります。
カレンダーなので余ったときは使いようがありません。

なので、報恩講のお参りをしていただける様に努力をしなくてはなりませんね。
毎年少なくなっていますが、これからは逆に増やして行きたいと思っています。

浄土真宗では一番大切な法要ですから。




縁起を見る・・・仏の道を歩む。

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宗教を考えるとき、それぞれの宗教の立ち位置をしっかりと押さえて
おく必要があります。

その立ち位置とは、存在を存在足らしめるもの。

たとえば私と言う存在を存在させるもの。

仏教は縁起です。

この世のすべての存在は縁起によってのみ成り立つ。
ここに例外は一つもない。

縁起とはもちろん仏教の基本。

仏教であれば、すべてこの縁起に依っていることが大前提です。
もし縁起に依っていない教えがあるなら、それは仏教ではないという
ことになります。

縁起を紐解くなら、一つには、「この世のすべての存在は、関わりに
依ってのみ存在する。」
すなわち、その存在が単独で存在するものなどないということです。

仏教的な存在は関係性のみよって成り立つものです。
周りの物に目をやったとき、その物が単独で存在している物がある
でしょうか。
周りの物すべてと関係を持たないで存在しているものがあるとしたな
ら、縁起は真理ではないと言うことになります。

そしてもう一つには、「この世の存在で、永遠に変化しないものなど
何一つない」ということ。
つまり無常であると言うことです。

すべてのものは縁によって起こる、そしてその存在は常に変化して
いるのだ。
人として生を受けたなら、その生は確実に死に向かっているのだと
いうこと。

そしてその真理を自らが受け止めておくことが大切なのだと。

その真理に目覚めたのなら、あなたはその限りあるいのちをどう生
きて行くのか、と問うのが仏教です。

それが発心であったり菩提心であったり、気づいたとき、あなたは
仏の道を歩きはじめるのです。

そのとき仏教は、自らが仏となる道を歩むことなのだと気づきます。

そこに転換があるのです。

さて、あなたは仏の道を歩まれるのだろうか。


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「宗教って何?」・・・そして神とは、鳥取因幡組連研。

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今日は鳥取因幡組の連研、第11回目です。
第七期も残すところ12月のみになりました。

会場は鳥取市にあるお寺さん、街中ですが駐車場も完備され、会場も
エアコン完備で設備の整ったお寺さんです。
納骨堂も新築され、今度は通夜用の会館も建てられます。
いよいよ鳥取市内にもオールマイティーの寺院が誕生ですね。
時代に必要とされるお寺の先端を行かれています。
私のお寺とは環境が違いますが、目指している方向性は似ています。
ただ山の中のお寺ですから同じことはできない、自分に合った方向性を
目指すしかありません。

さて連研は、実際の講義は今日が最終となり、12月は皆さまのお一人
ずつのお話しと、修了証書授与、そして記念講座となります。

記念講座は、龍谷大学教授の早島理先生です。
仏教哲学と生命倫理がご専門、現代の医療の最先端を仏教的見地から
お話しいただきます。

今日のテーマは、問題提起が「宗教って何?」でした。
午後の講義は「神とは」。

日本人って宗教が苦手です。
でも宗教って本来人間にとって必要なものです。

その中で、宗教や仏教、そして神の問題を皆で話し合います。
それぞれの概念は幅広く深い、とても一回の講義で説明できるものでは
ありませんが、参加者の皆さんが改めて考える場となれば良いなと思って
います。

浄土真宗にとって、身近な問題としては「神棚」や「靖國問題」などがありま
すが、それぞれの思いや考えがあるので、簡単ではないですね。

ただ最後に行き着くところは、私にとって本当に必要なものは何か。
と言うことに尽きると思います。

さて参加者の皆さんはどの様にお考えになられたでしょうか。



若桜鉄道レール&ウォーク in 宿坊光澤寺

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鳥取県の東部、八頭町を若桜鉄道は走っています。

この若桜鉄道は有形文化財に指定されていて、ファンが多い鉄道です。

のどかな山里を走る小さな鉄道ですが、今この若桜鉄道が町おこしの
中心となっています。

そんな若桜鉄道が、11月23日に「レール&ウォーク」を開催しました。

若桜鉄道沿線を鉄道に乗ったり歩いたり、楽しいツアーです。
当日は鳥取市を中心に30名の方々が参加、秋の山里をてくてくと。

そんなツアーが、昼食に宿坊光澤寺においで下さいました。

昼食のときに住職のお話しを・・・。
と言うことでしたが、午前中は一周忌の法要が入っていました。
法要が終わって、お昼の膳に着くまでの20分間を使ってお寺に戻り、
食事中の皆さんに、宿坊のことや「やずブータン村」のこと、お寺の歴史
などをお話ししました。

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食事に準備は坊守やスタッフの方々が手伝って下さいました。

せっかくのツアー、ゆっくりと昼食を楽しんでもらいたいと思って準備しま
した。
豚汁と炊き込みご飯、ニンジンサラダと卵焼きと昆布、あとはおかずの
セットぼ昼食。
ボリュームは満点だったと思います、豚汁や炊き込みご飯はお変わりも
あったりで、好評だったようです。

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なんと豚汁は、わたくし住職特製であります。
野菜の皮むきからすべて一人で黙々と約40人分を作りました、野菜たっ
ぷりであったかでしたよ。
味は自分としては満足だったのですが、お参りのため感想は聞けず。

当日は天気も秋晴れの好天に恵まれ、参加者の皆さんも笑顔。

食後は境内や宿坊をゆっくり見学をされる方もいらっしゃいました。
TVや新聞で紹介されたのをご存知の方も多く、興味を持っていただいた
様です。

これからも地域活性化のお手伝いが出来たらいいですね。

若桜鉄道沿線活性化協議会のスタッフの皆さま、お疲れ様でした。

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とっとりNOWの取材でした・・・イタリアン精進料理を。

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今日はお昼から、鳥取の情報誌「とっとりNOW」のスタッフの方々が
取材に訪れました。

八頭町の若桜鉄道沿線紹介の特集で、宿坊光澤寺を紹介していた
だけるそうです。

「とっとりNOW」は季刊誌で、結構本格的な内容になっています。
特集もしっかりとしたものが多いですね。

イタリアン精進料理の撮影が終了し、皆さんでお食事をされているとこ
ろを写真撮影させていただいた。

宿坊光澤寺は、若桜鉄道沿線の活性化にも取り組みたいと考えていま
す。
宿坊に来られる方々も、若桜鉄道には興味津々な方もいらっしゃる。

今回のご縁をさらに進めて行けたらいいなと思っています。

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今回のイタリアン精進料理はこんな感じでした。
これに地元の和菓子とコーヒーをお付けしています。

日帰り体験の方でしたら、写経や瞑想とのセットで、お一人1500円で
提供させていただいております。

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季刊誌ですので、今回の取材は来年の3月1日号での紹介になるよう
です。

皆さんぜひご覧ください。


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紅葉の宿坊光澤寺 ・・・ 自然のままに輝く。

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光澤寺は特に紅葉の名所ではありませんが、やはりこの時期は境内の
木々が色づきます。

特にお寺のシンボルツリーである公孫樹は空に大きく広がり、その葉が
夕陽に映えて黄金色に輝きます。

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空は青く、空気は澄み渡る。
柿の木は赤く、雲は白色に。

青色青光 赤色赤光 黄色黄光 白色白光

『阿弥陀経』の一節ですが、自然のままにその色がその色のままに輝く
世界がそこにある。

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山里の豊かな自然の中にお寺はあります。
それ以外には何もありません。
でもそれだけで十分だなと感じる様になってきた。

いのちに余計なものを取り去って行くとき、そこに本当の輝きがあるのだ
ろう。

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ただ紅葉の時期もまた短い。

もう冬の厳しさはそこまできている。
でも冬には冬の良さがあるのです。

そして厳しい冬があるからこそ、春が待ち遠しく、春の訪れに敏感になる
のですね。

その季節をその季節のままに楽しみ愛すこと。

それがいいのかな。


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たまには一人でゆっくりと・・・心をやすらかに整える。

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たまには休日を一人でゆっくり過ごしてみるのもいい。

今回宿坊に来られた方とそんな話しをした。

たまには心の疲れをゆっくりと取り除く。
そして心を安らかにして整える。

そんな休日があった方がいい。

読経をしてみる。
瞑想や写経をしてみる。
仏教の基礎を学んでみる。

どれもできそうで、日常の生活ではなかなかできない。

そしてどれもちゃんとやってみる。

それには宿坊がちょうどいいと思う。

日常的ですが、やはり非日常の空間に自分を置いてみる。

仏教の基礎をちゃんと知る。
そして読経をしてその教えに触れる。
瞑想で心の負荷を取り除く。
そして写経で心を整えて行くのです。

これが一泊の間に無理なく体験できます。

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現代の社会は、情報が氾濫し、何かとストレスが多い。
知らず知らずのうちに心に負荷をかけている。

ときには心の負荷を取り除いてあげて、自分の心を安らかにしてあげた
方がいい。
身体なら病気やケガは分かるけど、心は自分でメンテナンスしにくいので
す。

主婦の方も、たまには一日くらい日常から離れてみるのもお勧めです。

そしてまた日常に戻る。
でもそのときには、それまでと違った思いが生まれる。
自分を支えてくれている存在を、再認識することもできるかも知れない。

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今回のお客様とお話ししながら、そんなことを感じた。

心を安らかにして自分をしっかりと受け止める。
そしてそれを今度は周りの方々へとつなげて行くのだ。

安らぎを広げて行くこともときには大切なのでしょう。

でも普段の生活では、気づかないしどうしてよいか分からない。
そんなときは宿坊を訪ねてみるといい。

新たなものに出会い、そして気づく。
そのときまた、いのちが輝くのかな。

自分の残りの人生をどう生きて行こうかな。


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秋の味覚をいただきました。

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昨晩は、ご門徒さんからラ・フランスをいただきました。
よく熟れたものはとても甘い香りがします。

お知り合いから毎年届くそうです。
その中から、おすそ分けをいただきました。

食べごろまではもう少しかな。
でも早く食べたい。

そんなところを写真に撮ってみました。

そして今日は、漁港の方々がご門徒さんにいらっしゃるお寺さんへ。
報恩講の出勤です。

そこでは、お寺にカニを持って来られていた方がいらした。
帰り際に、「光澤寺さん親ガニ持って帰ってください」とのお声が。

「それでは遠慮なく・・・」

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実は鳥取の人は、この親ガニが一番美味しいことを知っています。
それも生きていないといけないのです。
いたみが早いし、美味しいダシがでないから。

鳥取でカニ汁と言えば、この親ガニのカニ汁です。
それ以外のカニの汁とは全く違います。

カニのダシが濃厚で、とっても美味。
鳥取に来られてカニを食べるなら、この親ガニのカニ汁。
大根とニンジンを入れて、仕上げに味噌。
あとはネギを、それだけ。

鳥取の冬の味覚は、実はこの親ガニのカニ汁なんですよ。

でもやっぱり鮮度が一番大切なので、鳥取でしか美味しいものは
食べられないかも。

二日続けて、秋の味覚を堪能しています。

宿坊ではお希望に応じてお出しすることもできますが、親ガ二がある
と言うことが前提です。
それとお値段も意外と高いので、できれば別メニューかなあ・・・。

報恩講参り

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私のお寺では、毎年11月から年始にかけてお門徒さん宅へのお参りが
ある。
最近は連絡のないお宅も増えてきましたが、浄土真宗のご門徒さんに
とっては一年で一番大切なお勤めである。

何しろ宗祖である親鸞聖人のご命日をご縁にした法要であるのだから。
これをお勤めせずして浄土真宗とは言えないくらいのものです。
でも、自分の家が浄土真宗だと認識はされていても、親鸞聖人にことに
まったく興味がない方もいらっしゃいます。

報恩講のお勤めは寺院によって変わりますが、昔から続く習わしが連綿
と続いているお寺さんもあります。
本山では親鸞聖人の御命日を含めて一週間法要が勤まります。
つまり毎年1月9日~1月16日、極寒の京都ですがたくさんのお参りがあ
ります。

私のお寺では、ご門徒さん宅を一軒一軒周ります。
一軒のお宅に1時間づつくらいは滞在するので、結構な時間になる。
報恩講のお勤めは、『正信偈 六首引』を唱えます。
同時に先祖経といってそのお宅の先祖に感謝するお経を唱えることもあ
ったりで、お経だけでも40分程度はかかります。
そのときは『阿弥陀経』もお勤めしています。
どちらもフルで唱えますので、その家の方々もじっと座っておられる。
結構大変だったりします。

多い日は10軒近くお参りする日もありますので、正座のしすぎで足や膝
の痛みがとれなくなり、最後には感覚が麻痺する感じでしょうか。
報恩講が終わっても、一か月くらいは足に痛みが残ります。

でも一軒一軒お参りするし、ゆっくりお話しをする機会なので、私はこの
ご縁を大切にしています。
皆さんがいろんなお話しをされるので、その話を聞くのも楽しみ。
ご年配の方は、報恩講が終わらないと年末が来ないといったこともよく
聞きます。

時代や社会は変わって行くけれど、このお参りのときのお経も全力です。
逆にこの時が私にとって一番お経を唱える機会となるので、節回しや唱え
方など一軒一軒考えながら唱えて行きます。
そのときそのときで、唱えるお経も違ってきます、どれが良いとかって分か
らないのですが、とにかく心を込めて一語一語味わいながら唱える。
次第に声が大きくなり集中して行くのが分かる、その先はもう自分でも
どう唱えているのか分からなくなってきます。

そしてお勤めや読経の意味を自分自身に問う良い機会でもあるのです。
ご門徒さんのお言葉を聞きながら、いろいろ考えて行く。

そしていつも自分で思うこと、「これが私にとって最後の読経である」と・・・。
そうして今年も報恩講参りが始まりました。


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年末年始は、コロンビアの方が宿坊に。

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(コロンビアは花の国、日本のカーネーションの8割はコロンビアから
 だそうです。)

先日テレビを見てると、南米のコロンビアの特集をやっていた。

とても綺麗な国でリゾートもあり、街も住みやすそうでした。
赤道直下の国ですから暑いのでしょうが、美人の国でもありますね。

そんなコロンビアから、年末年始を宿坊で過ごしたいと連絡があり
ました。
日本語学校の生徒さんたちが、毎年日本に来られているそうですが、
今年は年末年始を宿坊でということでした。
日本のお正月を体験したいと言うことだと思います。

連絡をとって、いろんな体験をしていただける様に準備中です。
生徒さんはほとんどが10代の方々です。

先ずはお正月の準備や清掃から始まります、大晦日はお寺で除夜の
鐘を撞きます。
元旦会のお勤めもあり、書初め、石地蔵を描いてみる体験や、お茶、
初詣、近くの仏師の工房見学、わらべ館など現在検討中で、瞑想も
体験していただく予定。

除夜の鐘のときはカウントダウンも計画しなくては・・・。

お雑煮やおせち料理など、日本らしい料理も。

それぞれの文化に触れると言うことは良いことですよね。
それには宗教施設っていいです、日本ならお寺が面白い。
日本の文化と仏教に触れる、初詣も行きますから神道も。
本当の日本を知るには、都会だけじゃなく田舎体験もいいですね。

赤道直下の国、寒さには弱いと言うことですから、寒さ対策もしなくて
はなりません。
エアコンとファンヒーターを客室には用意、あとはコタツも二つ。
お布団も暖かくして、湯たんぽもあります。

6人ともコロンビアの方たちですから、とにかく暖かく、そして美味しく、
田舎の日本のお寺を体験していただきたいと思っております。

と言う訳で宿坊の年末年始は、12月29日~1月3日までいっぱいに
なっております。

ちょっと忙しいお正月になりそうです。

やずブータン村も国際交流に貢献しないと。


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報恩講はギター布教使小泉信了さんです。

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11月12日は光澤寺の報恩講でした。

報恩講は浄土真宗で一番大切な法要。
宗祖親鸞聖人の御恩を感謝するのです。

今日は私の法話も、ご講師さんの法話も何故か『恩徳讃』がテーマでした。
昨日お参りしたおばあちゃんとも『恩徳讃』のこと話してた。
そのおばあちゃんも、今日お参りしてくださいました。

昨日より寒さが厳しくなり、そのうえ氷雨の降る日となりました。
この季節、天候で大きく変わります。

今日はお参りが少ないかな。

今年の報恩講のご講師は、ギター布教使で有名な小泉信了さんにお願い
しました。

11月のお忙しい中を無理言ってのお願いです。
私がお寺に帰る前、布教会でご一緒したことがご縁でした。

小泉さんは当時は布教使としては変わったスタイルでした。
5年前にも一度、報恩講にお願いしたことがあります。

そのとき、もう一度聞きたいと言うご要望が多かったのですが、その方たち
の中にはもうお浄土に往かれた方もいらっしゃる。
でもこのご縁、きっと見守り喜んでいらっしゃるかなと思いながら・・・。

そうか、小泉さんも私も、あれから5歳としを取ったのだな。

さあ、あと何年生きられるのかな・・・。

以前来られた時とは、アンプスピーカーが変わっています。
すべて機材は車に積んで、セッティングも。

小泉さんの特徴は、あくまでも布教が中心にあると言うことでしょうか。

今回は歌は4曲。
そのうち2曲は、「恩徳讃」と「しんらんさま」。
あとの2曲がオリジナル。
それも、いのちとか浄土真宗的な要素が含まれています。

寒い中、おばあちゃんも来られてた。

そのうちのお一人が帰り際に「もう今年で最後になるわ・・・。」と言われてた。

みんなはそんなことはないと言いながら、「私も分からないな・・・。」そう感じる。

だから報恩講も一年一年がもう最後のつもりで。

皆さんをお見送りするとき、そんなことを考えてた。

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最後は皆さんと記念撮影をしました。

みなさんこれからもずっとずっと長生きしてくださいね。

でもいつかここにいるみんな、いなくなるときが来るよね。

そのときはまた浄土で笑ってお会いしているかな・・・。


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週末の宿坊・・・日帰り体験と交流会と研修会と宿泊と。

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週末の土日は、宿坊への来客が続きました。

土曜日は昼間に日帰り体験の方々が来られた。
女性四人さんで二度目の来訪でしたが、写経と秋のイタリアン精進料理を
食され、ゆっくりと秋の休日を楽しまれていました。
紅葉には少し早かったのですが、それでも八頭の山里の景色に癒される
って感じでした。
今年は(と言っても二年目ですが)夏から秋にかけて日帰り体験の方が多
かった。
先週は三組16名の方々にお越しいただきました。
こちらは少しでもお寺の雰囲気を味わってもらうために、気軽においでいた
だくためのものです。
写経や瞑想、仏教講座や法話などお好きな体験と、イタリアン精進料理、
コーヒーと和菓子でお一人1,500円で承っております。

その方々が帰られると、夕方には八頭町が交流している大阪の住吉区の
グループの方々宿坊に。
その日は八頭町でリンゴ狩りを楽しまれ、近くの温泉に入り、宿坊に宿泊
されます。
八頭町役場の主催で交流が続いており、夕食にはカニをとの要望が。
カニの解禁後すぐですから、カニ鍋と松葉ガニ、そして親ガニのカニ汁。
旬のカレイとヒラマサのお刺身などを準備。
15名の宴は最初から絶好調、カニも十分に堪能されたようです。
さすが大阪の方、ノリが良くって手拍子で歌が始まる。
そのまま宿泊なので皆さんゆっくりとされていた。
朝は7時からお勤め、こちらは自由参加で始まるときは誰もいませんでした。
私一人で『正信偈』をお唱えしていた、すると知らない内に皆さんが後ろの
椅子に座ってお勤めされていました。

日曜日には、朝10時よりこちらも八頭町主催の研修会がお寺の本堂で。
高校生や大学生をお持ちの保護者の方々へのお話ししました。
八頭町のこと仏教のこと、若者のことなど織り交ぜて。
その後は、こちらも季節のイタリアン精進料理を。

そして午後には三重の方が親子で宿泊に来られます。
少しいろんなお話しをさせていただきました。
夜は家庭料理でごゆっくり。

報恩講の宅参りも入っていましたが、それぞれのスケジュールを無理なく
こなすことが出来ました。

やっぱり宿坊ってコミュニティーの中心にあるといいと改めて感じた。

体験ができて研修もできる、そして懇親の場となる。

今回の段取りで私たちも少しづつ経験ができて行きます。
何かをこなせば、それはできるという感覚になります、そうすると次は何と
かなると思える。
そしてその場の雰囲気や流れもつかめてきます。

来られた方が無理なくゆっくりくつろげる空間を提供する。
それぞれの目的の方が、それぞれに気持ちよく充実した時間をお過ごし
いただける様に。

お寺や宿坊をそんな場所にして行きたい。
その空間に皆さんの思いが伝わり、宿坊やお寺の空気を作りだして行く。
そこにしかない味わい。
それは人と時間によって醸し出されて行くものだと感じる。

数か月経つと、また行ってみたいと思えるような場所がいい。
檀家さんも一般の方も気兼ねなく訪れることができる場所。
様々な空気を入れ込むことによってその雰囲気ができるのだ。


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お寺のプラットホームを考えよう!

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お寺で何かを始めたい。

従来のスタイルだけでは物足りない。

檀家数が減ってきた、そしてお寺へのお参りも少ない。

等々、現在お寺の方々はいろんな問題に直面しています。

そこで何かを始めないとと考える、他のお寺さんの成功事例とか。

本山から、やれキッズサンガだの何やかやと・・・。

でもやっぱり最後は自分で考えるしかない。

人の真似したって同じことなどできません、環境も違えば、あなた自身が
違うのですから。

お寺で何かを始めるとき、プラットホームを考えます。

自分のお寺のプラットホームは何にしたらよいか。

たとえばイベントとかコンサートとか、料理教室とか。

もちろん何か始めるのことは良いことだと思います。

でも一過性であったり、それだけになってしまったりする。

それはなぜか、僧侶や宗教やお寺に必然性が無いからです。
必然性がないものは、結局そのときだけの人集めになる。

プラットホームとは、そこからいろんなものが派生して行きます。
枝葉となり、それがやがて幹となることもあります。

たとえコンサートをするにしても、そこに何か目的が必要なのです。
ただお寺に人がたくさん来た! だけではやはりもったいない。

お寺の本業中の本業である、教義やお勤め、葬儀や法事、檀家さん
との交流や行事はすべてのお寺に共通です。
それ以外のもののプラットホームを考えましょう。

私がお寺に帰って考えたこと、それが宿坊でした。

それはお寺の本業から離れていない、そして人々の心の依りところ
となること。
そしてすべての人々に門を開くことになります。

そこから芽生えて来る物がある。
たとえば、町おこしのNPO「やずブータン村」のコミュニティーとなる。
今年はそのイベントも開催し、コンサートもやりました。

過疎化や高齢化対応では、お寺に泊まって葬儀や法事ができる。

この前は、宿坊で「ガン患者のつどい」を開催した。

日帰り体験でも多くの方々が来られる様になりました。
普通、田舎では檀家以外のお寺に行くことなどありません。
でも今はたくさん来られます。

駆け込み寺的な要素もあります、以前には自殺志願者の方が最後に
とたずねて来られたこともあります。

行く行くは、都会に住まれている方々を檀家にして行きたいと思う。
お寺が田舎にあってもいいじゃないかってこと、だって先祖がいらっしゃ
らない団塊の世代の方々はたくさんいらっしゃる。
一年に一度、宿坊に泊まって、お経を唱え写経をし瞑想をする。
こんな優雅な生活はいいですね。

もちろん、そのあとは葬儀やお墓、納骨もしていただける。

宿坊と言うプラットホームが、お寺と言う枠を逸脱せずにこれだけ広がり
を持つことができるのです。

そう考えるだけで楽しみがお寺にはいっぱいあります。

キーワードは、エンディングすべてに対応できる寺。

そしてお寺はそこから動かないしなくなることもない。
つまり存在としての信用度は抜群なのです。
そして箱物はずっとありますから、行政だけでなくお寺も箱物を有効利用
しなくてはなりません。

お寺が元気なら、檀家さんもお喜びになります。
納骨される方々も、お寺がテレビで紹介されたら嬉しいと仰られる。
先祖様もお喜びである。
なぜなら自分の所にたくさんの人々が来られ手を合わせるのだから。
これが仏としての最大の喜びであるでしょう。

ということで、今回は自分のお寺のプラットホーム作りのお話しでした。

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ひそかな人気・・・宿坊光澤寺の紹介が「山陰中央新報」に。

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11月7日の「山陰中央新報」に宿坊光澤寺が紹介されました。

タイトルは、ひそかな人気とあります。

宣伝もしていなくて、HPだけから始まった宿坊。
それでも少しずつ訪れる方々がいます。

新しく開業した宿坊ということが珍しかったのでしょう、そして時代が求めて
いたと言うこともあると思います。

新聞や雑誌、そしてTVでも紹介してくれました。

今はお寺も変わりつつあります、もちろん変わらないお寺もあるけど、やっと
お寺も若者を中心に変わろうとしてきました。

元々お寺には競争原理が働かない世界でした。
宗教と言う枠が先ず最初にあります。
そして日本の仏教は檀家制度という過去の遺産にすがっているので、努力
しなくても檀家はそれほど変わらなかった。
もう一つは、外の世界からはよく分からないと言うことでしょう。
特に主体となる葬儀は人生でそう何度もある訳ではない。
となるとお寺に頼るしかない、まして葬儀をしないと言うことは考えられない。

こんな感じでお寺の世界は守られてきたのです。

ただ時代が大きく変わってきました、その社会の変化にお寺だけが関係ない
と言っておれなくなった。
ネットでは様々な情報が飛び交う、お寺のこともそう。

そして先祖代々からのお寺やお墓を守ると言うことも徐々に変わってきている。
家から個人へとその価値観が移っているのです。

葬儀や法事に対する意味も、お寺は十分に伝えてきてはいない。
ただ従来通りのものを繰り返しているだけ、教えも体験も対して活動していない。
本来の仏教、お釈迦様やそれぞれの宗祖の教えと乖離していても何ら気にしな
い。

でも、もうそろそろお寺も自ら変わって行く必要があると思う。
そして社会に目を向けて行くことが重要になる。

もちろん、葬儀や法事は大切です。
その上で、お寺の本来の役割をどう担って行くのか。

これからは本物が求められる時代。
もう待ったなしなのです。


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これからはお寺がクール!

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今日は、女性グループの方々が宿坊にプチ体験に来られました。

今回は二度目のお越しですが、前回は台風で帰られるときは、ちょっと
本格的になってたけど、本堂内は何事もなく写経を・・・。

でも今日は秋晴れの快晴です。

写経を楽しまれた後は、イタリアン精進料理。
現在は秋バージョンです。
イタリアン精進料理は季節毎に内容を変えています。

体験は、写経や瞑想、仏教講座や法話など、ご要望に応じて。

お寺って意外とクール。

女性は時代の先取りの感性が強いと思う。

これからはお寺に行くことが、女性にとっての先端だったりする。

でも、それは通常のことではない。

自分を休めるため、自分を高めるため。

そして自分を客観的に見つめるため。

そして食事をして、楽しんで。

それには自分の好きなお寺を探すこと。

そして自分の好きな僧侶を探すこと。

あとは自分の好きな仏様を探すこと。

早くお寺に行ってみる。

新しい自分に出会えるかも知れません。

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町おこしって何? ・・・ 新たな魅力を求めて。

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今週は宿坊に、団塊の世代の方が何人かいらっしゃいました。
それも男性です。
その方々といろんなお話しをしました、結構興味深いお話しでした。
そんな中で、「やずブータン村」のことを考えた。

町おこしは全国の自治体すべての目標です。

つまりみんなが同じことを目指しています。

少し前は、特産品。
ちょっと前は、B級グルメ。
そして今は、ゆるキャラ。

すべてが横へ習え。

農業体験、自然体験、Iターン、Jターン。
若者を田舎に呼ぼう。

都市部を除いたすべての町で同じことをやっています。

それはなぜかというと、国が補助金を出しているからです。

コンクリートからITへ、次は介護で今は地方支援。

町おこしの成功事例があれば、みんながそれをやってみようと旗を振る。

これってお寺でも同じだったりするなあ。

子ども会を開催しよう。

若者にお寺に来てもらおう。

ただ違うのは、お寺には補助金が出ないってこと。

でも、お寺も町も、それぞれがみんな違うってことです。

環境も違えば条件も違う。

まして働き口がないのに若者が田舎に来てもしょうがない。
都会から来た若者が一人いたなら、その数十倍の人が都会に出て
行ってます。
農業で食べれるのなら、みんなとっくにやっています。

日本中の町のすべてが町おこしに成功することなんてない。
というか、成功するのはごく少数の条件に合った町だけでしょう。
要は、その補助金を目指してお金が動き、それに人が集まるだけ。
研修会や講演会って皆そうだと思います。

私が「やずブータン村」で考えるのは、リタイヤ組以上の世代が楽し
める町作りです。
田舎に若者を呼び込むって発想はちょっと違うと思います。
若者は都会で頑張ったっていいです、でも歳を取ってからゆっくり楽し
める場所があった方がいい。

都会暮らしの方々が楽しめる場所。
団塊の世代を中心とした、高度成長期にはたらいていた方々。
その人たちが求めるものは何かです。

幸いにも僕は企業に勤めているとき、その団塊の世代の方々に一番
お世話になった世代です。
なぜかその世代の方々のことが分かる世代でもあります。

その世代の方々が集まる場所になら、自然に若者が集まってきます。
なぜならそこに仕事ができるから。

そこには、特産品もB級グルメもゆるキャラも必要ありません。
逆にそれらは、安らぎを阻害することにさえなりかねないとも感じる。

何もない幸せを追求する。
だけどそこには求めれば本物がある、そんな場所。
本ものって、人が意識して作りだしたものではないってことだと思う。

今までやってきたことって、たぶん何も生み出していないと思います。
これからもきっとそうかな。

なら、今までと違うことをやってみたらいいのかも知れない。

僕が考えることは、人生のエンディングの30年を思いのままに過ごせ
る町作りです。
町自体がエンディングなのです、つまりターミナルタウン。
そしてそこが終の棲家でもある。

もちろんすべての人にってことではありません。
ある一定の価値観を共有できることが必要かも知れませんね。


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誰がお経を唱えるのか。

自分だと思っていて、自分ではない。

そんなことを感じます。

それはお経を唱えるとき。

ではいったい、それは誰が唱えているのか。

それもはっきりとは分かりません。

私でもあり、仏様であったり、ご先祖であったり。

ただそこにお経があり、その言葉が発せられる。

お釈迦様であったり、親鸞聖人の言葉。

それは言葉と言うよりも、確かに発露である様な気がする。

思いがそこにある、願いがそこにある、教えと言うよりも感覚である。

ときにその感覚は言葉よりも強烈である。

それを衝き動かされる様に唱えるのだ。

それは私であって私ではない。

お経の持つ力であろうか。

仏の願いなのか。

そこに私と言う存在はなくなって行く。

お経の中に、念仏の中に融けこんで行くような感覚です。

やはり実体と言うものはないのかも知れない。

阿弥陀如来は、不可称・不可思議・不可説であるという。

その大いなるものに融けこんで行くのかも知れない。

特に、法事での読経はそんな感じになります。

「我も仏もなかりけり」、ただ念仏のみがそこにあると言われた、一遍上人。

南無阿弥陀仏の不思議である。

縁を紡ぐ ・・・ 元上司との再会

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いつかまた会いましょう。

そんな言葉はあるけど、実際には中々お会いすることができないものです。
どちらか、もしくは両方にその意志があって、なおかつ条件が整わなくては
会うことが難しい。

昨日、宿坊に元勤務先であるKDDIの頃の上司が、ご夫婦でお越しにな
られました。

とても人を大切にされる方で、鹿児島ご出身ということもあり、西郷隆盛と
KDDIの会長でもあった稲盛和夫さんの思いを伝えられていたことを思い
出します。

私がまだ30代だった頃、中国支店の支店長と営業リーダーの関係でした。
私が落ち込んでいたとき救っていただいたという縁もあります。
その分、私は営業に注力していたのです。
広島の大手企業とのタイアップに成功し、上司は取締役になられ、私は
地方の支店長に抜擢していただいたことも、とても印象深い。

東京本社に私が異動したときは、関西支社長をされていましたが、お寺に
戻ると言う決断をするときは、同じ東京で直属の本部長をされていました。

これも縁だなと思っていた、最後はこの方に報告して会社を辞めようと。
その後、私はお寺に戻り、現在は住職をしています。

上司であったその方は、現在では退任され宮崎にお住まいになられている。
今回はわざわざ宮崎から鳥取の宿坊までおいでいただきました。

会社を辞めるときは、「もう少し頑張ってみないか。」と声を掛けていただい
た。
ただご事情も知っておられたので、最後は旧知のメンバーを集めて盛大な
送別会も開いていただきました。

中国支店長から取締役になられたときには、送別コンペを開催し、そのとき
は私が幹事でした。

様々なご縁をいただき、そして今もその縁を大切にされる。
そんな方です。

私も最近になって、その縁をつなぐことの大切さが、やっと分かってきました。
そのときそのとき、私に伝えていただいていた言葉の意味を。

そして今回も、大切なご縁をいただいたのです。

縁を大切にすること、そして感謝、それが浄土真宗の基本でもある。

中々人間って、分かってるようで気付かないものです。

でも師がいるなら、いつかはそれに気づくときがある。
そんなことなのかなあと思う一晩でありました。

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ご夫婦で一緒に、よく旅行に行かれるそうです。
また今度、ぜひご一緒できる日を楽しみにしています。


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葬儀と法事と先祖供養と。

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葬儀は何のためにあるのか。

お経は参列者にとってどの様な意味があるのか。

昨晩と今晩、お通夜が続いた。

もちろんお勤めは常に一期一会である。
その方のお通夜も葬儀も一度きり、そこに参列される方々もだ。
そこに僧侶がいる、僧侶は一体何ができるのか。
何を伝えることができるのか。

常に自問自答、それは僧侶になるかどうか考えていた頃からの僕の
重要なテーマの一つである。

葬儀や法事の意味、お経を唱える意味、それを今も問い続けている。

それは常に変化しているが、少しづつ確信になりつつある。
もちろん生涯かかってもたどりつくことはないのだが、それでもその道
を歩いて行く先にある様に感じるのです。

それを葬儀の一連の流れの中で、参列者の方々にお伝えする。

法話だけではない、作法や儀式の所作の一つ一つに思いを込める。

私は、その故人をあまり知らない場合も多い。
住職となってから一度もお会いしたことのない方もいらっしゃる。
病院や施設に入っていらっしゃるとか、違う場所に住んでおられるとか。

でも思いは伝わってくる。

すべてのいのちが往く場所、老若男女どなたも。
ただ、それぞれのいのちはある。
そのいのちの生まれる場所がある。

様々な縁をつないでくださった方、それはもちろんお会いしていなくて、
僕にも縁を与えてくれるのだ。

であるなら、心を込めてお見送りする、読経にも作法にもすべてを集中
するのだ。

そのときにはまた違う世界が見えて来る。
何も感じていなければ、それは感じないままだ。

でも感じると、参列者の方々に響くこともあります。

それが円満となって響くのだ。

そこには仏の願いがあり、はたらきとなって私たちに届けられる。
私たちはそれを感謝の思いで受け止める。

そのとき故人となられた方から「ありがとう・・・」との思いが届くのだ。

故人と残された私たち、両方の思いが一つになる。
そこにはもう何もさえぎるものはない。

「円満得号勧専称」

南無阿弥陀仏がそこにある、やはり生死の境を超えるものだと思う。

すべての思いがそこに結実するのだ。

それは先祖供養という、私たちの側からだけではない感覚。
でも他力と言ってもそれは仏側からだけでもないのだ。

両方から思いが寄せられるのです。

もちろん縁は仏さまから寄せられたとしても、私たちの側の思いも
あるでしょう。

そのときは私にはもう感謝しかないのです。
供養すると思っていた私たちが見守られ導かれていたのだった。
そう気づくとき、先祖は喜びとなる。
仏の喜びとなる。

葬儀でも法事でも、その先祖の思いが伝わってくる。
それを皆さんにも共有していただきたいなと思う。

お経は先祖から私たちへの贈り物である。
それを心から受けとめる。
それを皆にも感じていただきたい。

そこに僧侶の役割があるのだと。
もし僧侶にその心が無ければ、もちろん何も伝わらないだろう。


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