宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2014年04月

無所有無所得ということ

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僧侶のとは一体どういう存在なのか。

4月の宿坊とお寺は、何となく慌ただしく過ぎて行きました。
一つ一つこなしながら、それでも過ぎ去って行く。

それは虚しさなのか、充実感だろうか。
でも、どちらでもない様な気がします。

最近少し思うことがある。
やはり僧侶は無所有無所得と言うことが必要なんだなと。
お釈迦様の時代、もしくはそれ以降も僧侶は無所有無所得が原則です。

そうでなければ心を解き放つことはできないし、煩悩を手離すことはできない。
つまり涅槃の竟地に立つことはできない。
やはり出家するとか僧侶になるとは、本来厳しいものだな。

現代の日本で無所有無所得と言うことが可能なのかな。
もちろんお釈迦様の時代でも難しいことであったと思います。
なにしろ、釈迦族の王子であり、多くの民衆を率いて行かなくてはならない。
その上に奥さんもいて子どももいた、それをすべて棄てて出家されたのだから。

そこまでしないといけないのなら、現在では誰も出家できないかも知れない。
出家希望者も激減するでしょう。

法律で国民の義務も決められている、僧侶の本来の生活はその範疇には入らない。

でも理想はそこにある様な気がします。

少なくとも、心は無所有無所得と言うことを理解すると言うことが必要かな。

なぜ無所有無所得でなくてはならないのか。

心に執着を持たないで済むにはどうするのか。

お金も名誉も何もかも棄て去り、身体やいのちさえも・・・。
そのときの心はどんな状態なのだろうか。

いろいろと思いを巡らす。

いつかそんなときが来たらいいな。



そんなことを最近は感じています。




「アップデートする仏教」を読んで感じること・・・仏教3.0 ver.

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藤田一照氏と山下良道氏の対談形式の新刊。
「アップデートする仏教」を読んでみました。

お二人とも基本的には曹洞宗の僧侶でいらっしゃるでしょう。
基本的にはと言ったのは、お二人ともテーラワーダ仏教や瞑想に深く関わっていら
っしゃるからです。
お二人とも兵庫県にある曹洞宗の安泰寺に飛び込んで僧侶となられ、その後渡
米、山下氏はそこからさらにビルマで長く修行を続けておられます。

お寺と言う内部から仏教を見るのではなく、外部から仏教の魅力に惹かれて飛び込
み、そして仏教とは何かをずっと問い続けて来られているという共通点もある。

日本の仏教は大乗の宗派仏教であり、檀家制度が浸透しているため、外部の人間
に対して排他的な面があるでしょう。
決して排他的とは思っていないのですが、結果そうなってしまっている。
教義も自らの宗派内で完結しているため、他宗派のことは基本関係ないスタンス。
ほとんど他宗派のことは学ぶことはありません、もしあっても独学程度。
たとえば他宗派の方が、浄土真宗のことを語るとき、ほとんど要領を得ないで語っ
ていますが、当人はそうお感じでないのです。
仏教であるため、一応お釈迦様は向いていますが、その研究は宗派内の研修等で
は通り一遍のことしか行われていない。
仏教自体もそれほど深く学ばない、ただ宗派内の教義だけ、それでもそこまで学ん
でいれば良いが、それさえ疎かな面も多々あります。

この様な背景のある中、仏教の持つ本当の意味を探し続ける、仏教が目指すもの
は何なのか。
今の日本仏教にはそれがあまり感じられないと言う、ある意味形骸化し、先祖供養
を中心とした寺院や、宗祖の教えを忠実に学ぶことで逆に枠にはまってしまって、そ
の枠から出られない現状。

日本仏教を見ながら、世界の仏教を見てきたお二人の考え。
それは日本仏教には、仏教1.0、仏教2.0、仏教3.0、という段階があるのでは
ということ、つまりバージョンですね。
そしてその仏教3.0がこれからの仏教の展開として必要であると。
これは日本だけではなく、世界的な仏教を背景ともされています。
お釈迦様は最初から仏教3.0なのに、現在は仏教1.0で留まっているとも。

この本を読み込んでんで行くには、ある程度の仏教知識と理解が必要でしょう。
僧侶として宗派の勉強をしていても、それ以外を知らなければ、全く意味が分から
ないのではないかとも感じました。
読んで分かりやすいけど、内容や感覚は難しいと思います。
何しろお二人が30年かかってたどり着かれた竟地ですから。

私は、東京で会社員をしていたとき、週末を使って2年間、東京周辺の仏教講座や
ターミナルケアの講座に通った。
そのときは他宗派の寺院であっても関係なかった、築地本願寺では満たされない
思いで他宗派の講座に通ったのです。
その当時の築地本願寺では、その建物以外に本物の仏教を感じる事は何もなかっ
たのです、現在はかなり変わったかも知れませんが。
最初は築地本願寺に通った、でもその空虚な儀式とありきたりな講座しかなかった。
これでは仏教の中身に触れることはできないと思い、他の場所に求めることにした。
曹洞宗寺院では座禅をし南直哉氏の講座にも、真言宗寺院では写経をし、臨済宗
寺院では仏像を彫り、大谷派の講座で親鸞聖人のみ教えを聞いた、それは高史明
先生と本多弘之先生の講座であった。
テーラワーダの公演にも行き、スマナサーラ長老のヴィッパサナー瞑想の講座にも
行ってみた。
そして僧侶以外では、上田紀行氏の「仏教ルネッサンス塾」に毎回参加した。
そのときの私は、得度は受けていたが仏教のことはまだまだ、僧侶としては何も
知らないと言った感じでした。
でも仏教に魅力を感じることができ、そして従来のままの仏教のあり方だけではな
い道があるとも感じていました。
そんなことから、限られた宗派内だけで仏教を感じることはなかった。

今から思えば、10年前は都内の仏教講座やイベントを探すのにとても苦労した。
ネット検索しても情報があまりなく、いろんなところに行って情報を探し出し出した。
今では本当にたくさんの情報に触れることができるし、「未来の住職塾」の様な講義
まで受けられるのですから。
たしかに現在は仏教ブームですね。

話しを戻して、「アップデートする仏教」は読んでいて、話しておられることはよく分か
ります。
大乗仏教の曹洞宗と言う立場からみられた仏教であり、その展開もなるほどと感じ
ました。
私の運営する宿坊では、お寺は浄土真宗ですが瞑想体験を実践しています。
その背景があるからよく分かりますが、浄土真宗の枠の中にいらっしゃる僧侶だと
読みこなせないかも知れません。
事前に禅のことを少しくらいは知っておかないと難しい、それとともに親鸞聖人の
絶対他力の教えの本質をしっかり押さえておかないと、話されていることの本質に
気づかないでしょう。

そこに書いてあることは、仏教においてかなり核心的なことだと思います。
日本の仏教の中でも、禅と言う視点を通して、今や日本よりかなり進んでいると言
われているアメリカの仏教や、仏教の中心である東南アジアの上座部仏教をも通
して見ているのですから。

その上に、この本を通して観れば、念仏と絶対他力はより明確に見えてきます。
逆に禅の中でおちいりやすいシンキング・マインドについては、逆に絶対他力から
教義にはいっている浄土真宗的感覚から見れば、そんなことは感覚的に既に解決
されていることでもあったりするのです。

私が宿坊で体験していただくヴィッパサナー瞑想の背景を知ると言うことでは、と
ても役に立ちました。
本当に、なるほどと私が感じていたことの裏付けになりました。
それとは逆に、親鸞聖人の絶対他力的な背景も持っていますので、シンキング・
マインドに支配されないという感覚は、私の実践している瞑想法はそれほど悩ま
なくて済んでいるところではあるのです。
他を知って自らを知ると言うこともあります、このお二人も禅的視点ですが、そう
ではない視点から見ると、お話しされていることももっと広がって見えるのかも知
れないなと。
本を読んでいて、なぜそこにそこまでこだわるのかと言うことも多々ありました。
現在の只管打坐を原点としたときの枠が底に横たわっているような感覚。
浄土真宗的な他力との差かも知れないと。

ある意味では誤解を招くかもしれませんが、ヴィッパサナー瞑想には浄土真宗的
な感覚を入れ込む方が、只管打坐より向いているかも知れないのです。
なぜなら、シンキング・マインドは、浄土真宗的感覚で言う自力の行者には中々
棄て去ることが難しい作業なのです、要は平気で数十年と言った修行の先に見え
てくるかもしれないと言った感じ。
現在禅寺で行われている只管打坐の延長では永遠に見えてこないところかも知
れないのですから。
ヴィッパサナーに必要なのは、日本の現在の禅的感覚ではなく、他力的感覚な
のです。
もちろん道元禅師の教えは他力ですが、誰も曹洞宗の方はそう思われてない
のかな・・・。
そこに、ここで言われているシンキング・マインドの難しさがある様に思います。
捉われていることに気づかない、これは浄土真宗でも言えることですね。
何でも絶対他力に結び付ける、そして絶対他力以外を否定する。
そうではないのは、親鸞聖人のお言葉を読めば分かりますね。

仏教1.0の場合、これは現在の日本仏教ですが、曹洞宗とか浄土真宗の方は
それぞれ只管打坐や絶対他力の念仏を枠の中だけでしか見ていない。
逆に見ることを許されていないので、その本質が見えなくなってしまっているの
かなと思いました。
なぜなら最初から教義をそこに求めるので、宗祖の最終的到達点だけを見て、
他をすべて認めないと言った感覚なのだろうと思います。
人間の脳の作業は、それを前提とするとき、それに反するものは受け付けない。
日本の宗派仏教が横展開しない理由、もしくはできない理由がそこにあります。
現在若手僧侶が展開している超宗派の活動は、教義にはお互いに立ち入らな
いと言った前提で進められているのだと思います。
ただ別のテーマを見出して、仏教の魅力を皆で伝えよう!ってことで進められ
ているのでしょう、だから超宗派の活動が可能なのです。
それぞれがそれぞれの立場で語る、だから教義的なものはとりあえず置いて
おくと言うことです。

だから外部の方や在家から仏教に入られた方の方が、その教えがよく見える
のでしょう。
なぜなら求めるものが違うからです、お寺を継ぐために僧侶になろうと思って入
ったか、それとも仏教を求めて入ったか、発心や菩提心の立ち位置が違う。

この様に、この本を読んでみて、親鸞聖人の教えがはっきり見ることができる。
たとえば自力と他力、親鸞聖人と道元禅師、大乗仏教と上座部仏教、禅と念仏。
それの対比も非常に分かりやすくなります。

私も、仏教3.0という考え方はあるだろうと思います。
というよりも、その様に考えたらいいのだなと素直に感じることができました。
実際にこれからの仏教と言うことで、僧侶の側にその意識が必要と言うことです。
ただここで言う、仏教1.0の枠の中だけを見ている方だと、おそらくこの本に書い
てあることは感じることはできないかも知れません。

従来の枠に捉われていると、本当の仏教は見えてこない。
宗派仏教や宗派教義の枠を外してみると、逆にその宗祖が言わんとされていた
ことや、見つめておられたことが、見えて来るところも多いのではとも思うのです。

でも、そこには仏教の本当の意味があるのかも知れません。
私の宗派、浄土真宗でも仏教を離れての浄土真宗はないのですから。
その本質を知るにはとても参考になる本だと思います。

正しいと思うか、そんなことはないと思うか。
ただ非常に参考になるお話しです、でも浄土真宗的に見たときは、あまり関係
無いと思う方がほとんどでしょうか。
なぜなら、浄土真宗がアップデートするには、その枠から一歩出ないとできない
からです。
現状の教義からだとやはりこれからも内向きにしかなれない。
書いてあることは浄土真宗の方々が読まれても、仏教としてとても参考になる。
ただいかんせん、浄土真宗は世界的には広がりはないということです。

禅や瞑想に比べると影響力は宗派内だけです、これは教義の問題ではない
と思います。
おそらくアップデートする必要がないか、するつもりがないのだと思います。
それを誰も望まれていないからです、そしてそれ以外に広めようとも思ってい
ないから。
だから宗派内でしか活躍する布教使しかいない、と言うことにもつながります。
これは他宗派も似た様なものでしょう。


あとはそれぞれの感覚です・・・。




宿坊光澤寺で瞑想リトリートを開催します。

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                         (写真は宿坊光澤寺の瞑想風景)

瞑想って今とても人気が高い。
でも世の中にはたくさんの瞑想があります、そしてどれがいいのか分からない。
瞑想ってそんな感じでもあるでしょう。

宿坊光澤寺に来られる方にも瞑想は人気があります。
体験では、やはり写経と瞑想を希望される方が多いですね。

瞑想ってやはり心を調えて行くものだと思います。
坐禅ともよく似ていますが、坐禅は中国で大成されたもの。
瞑想は仏教がスリランカやミャンマーへと伝えられたときのものです。
ですから瞑想の中心は、やはりスリランカやミャンマーになります。

欧米の仏教ブームの大きな流れは、この瞑想にあると言っても良いでしょう。
決して望みをかなえるとかそんなものではありません、あくまでも心を調えて
行くものです。
その最高の状態が、お釈迦様が悟りを開かれたときでしょう。
瞑想の中心にあるのがヴィッパサナーという瞑想です。
これがやはり欧米で行われている瞑想になります。

瞑想の良いところは入口がトレーニングの様になっていうことでしょうか。
初心者でも入りやすいところがあります、でも奥は深い。
ヨガに通じる部分も多く、宿坊に来られる方もヨガをやっておられる方もいらっ
しゃいます。

仏教のお話しと瞑想でヨガの感覚が深まって行くようなことも感じられる。
そんなこともあるようです。

そんな瞑想のリトリートを宿坊光澤寺で開催する予定です。

一泊二日という限られた時間ですが、東南アジアの瞑想の中心の一つである
スリランカの僧侶の直接指導を受けることができます。
それも宿坊に泊まってゆっくりと体験できます、日本語の通訳もいらっしゃいま
すので、そちらも安心です。

まだ正式な日程は決まっていませんが、6月下旬から7月上旬あたりを考えて
います。
詳細が決まりましたらご案内を差し上げますので、瞑想に興味のある方はぜひ
この機会に参加して見られてはどうでしょうか。

会場の関係もあり、募集人員は8名限定。
男性でも女性でも、どちらでも参加可能です。
お部屋は男女別ですが、相部屋となります。

お問合せはこちらのHPから。
      
宿坊光澤寺のHPはこちら!


八頭町観光協会ってあります。

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先日、八頭観光協会の方々が宿坊にやって来られました。

この4月から新しく入られた、フレッシュな女性お二人です。
観光協会なので、お寺の方ではなく宿坊になります、宿坊光澤寺は八頭観光協会
に加盟しておりますので。

特にメリットを考えてと言う訳ではありませんが、これからは地域との共生と、従来
の枠組みを超えた取り組みがお寺にも必要だと考えたから。
特に地元の自治体や関係団体とのネットワーク作りは大切な作業の一つです。

お寺は宗教法人なので、行政や関係団体との取り組みは双方向にはなりません。
特に檀家のある寺院は、その枠でしか動くことができませんから。
そのときの窓口となるのが、宿坊光澤寺であったり「やずブータン村」であったりす
るのです。
これからのお寺にはそんな窓口もあった方が便利です。

もちろんそれだけではありません、本当の意味でお寺が地域と共生して行くための
一つの手段だと思っています。
枠を超えて、その地域の大切な存在となることを目指すから。
お寺や僧侶は檀家さんだけを向いて本分を語ってることがほとんどです。
当然と言えば当然ですが、それ以外のことは基本的に関係ないでしょう。
コンサートやイベントの開催や幼稚園の運営など、地域に広がっている展開はあり
ますが、最終的にはお寺中心なのだと思います。

でもやっぱり、地域に光澤寺があって良かったと思ってもらえる方がいい。
そこに過疎地の地域に生きるお寺の存在が見直されることもあるのではとも感じる。

社会と接点を持つと言うことが仏教にとって大切なことだとも思っています。
社会性のなくなった仏教は衰退して行きます、たとえば過去のインドの様に。

ただお寺として直接ではなくても、様々な活動はして行けると思います。
お寺って元々はNPOの元祖みたいな存在なのですから。
檀家制度によって支えて来られたお寺なら、これからはそれを社会に還元して行く
事も必要何だと思う。

そう言った面では地域性とか信頼性、そして歴史的に見てもいい。

地域の活動に参加して行く、それが宿坊光澤寺が八頭観光協会に加わっている
ことの最初の意味です。
そして宿坊光澤寺や「やずブータン村」で地域おこしに積極的に関わって行きたい
と考えている。

八頭観光協会のお二人には、ぜひ新しい視点での町おこしをして欲しいですね。


宿坊光澤寺のHPはこちら!




現在の日本の仏教を見る。

現在の日本の仏教を見てみるとこんな感じでしょうか。

鎌倉時代前後までに成立した、大乗仏教と言われる伝統仏教。
もちろんこの伝統仏教の中でも大きく分かれますが、宗派仏教とも言える。
ここは観光寺院か檀家制度に依存した寺院かにほぼ分けられる。
この仏教には日本を代表する僧侶はあまりいません、なぜなら宗派と言う
枠組みの中で語られることが多いからでしょう。

そこに、ここ十年くらいで日本に急速に入ってきた上座部仏教。
これは昔に小乗仏教と言われていましたが、それはすでに大乗仏教の学問
上だけの呼称となりました。
東南アジアを中心として発展した仏教です。
世界的に見て仏教と言えばこの上座部仏教のことになります。
こちらには世界的に活躍しておられる僧はたくさんいらっしゃる。
もうひとつは日本には真言宗があるので、勢力自体はありませんが、世界的
に有名なダライ=ラマ14世のチベット仏教も世界的には支持されています。

そして戦後に発生し急速な展開を遂げている新興系の仏教。
代表格は創価学会や立正佼成会が挙げられるのではと思います。

そんな中で、現在は仏教ブームになっているそうです。
今までお寺にあまり縁のなかった方々や若者が、仏教に興味を持っている方
が増えているのだと言う。
そんな方々は、寺院などで開催されるイベントに参加されることが多い。
また寺院での体験に行かれるが、決して既存の寺院にお参りに行かれる事
は少ない。
ということは行き場所を探しておられると言うことにもなります。

伝統仏教は、現在でも宗派の教義至上主義である。
そこを離れては一切語ることはない、ただし新しい動きも模索している。
それは、お寺離れ葬儀離れと言われて久しく、何とか手を打とうとしているか
らでしょう。
でも各宗派ともこれと言った決め手はないのが現実であり、個々の寺院の
自助努力しかないのが現状です。

教義至上主義であるため、古いスタイルを踏襲して行かなくてはならない、
たとえば浄土真宗では、法座なのでの聴聞が大切だと言われます。
でもその聴聞に来られる方々が減ってきた、そして若い人が来ないと言う。
確かにコアな方々は必ずいらっしゃる、そしてその数も決して少なくはない。
でも大概は同じ顔ぶれなのです、そこに新しい顔はほとんどいません。
つまり世代間のギャップが大きく存在していると言うことです。
次の世代に引き継がれていないと言うことは、減少して行くのは必至。
ましてや少子化ですから、確実に減るのは間違いありません。

これは今まで一生懸命やってきた結果がこうなのですから、これから先に
急激に変わることはないだろうなとも感じます。

仏教に興味を持たれている方々は、あまり従来のお寺に興味はないので
はと思う。
つまり本来の仏教の持つ魅力や、心を安らげてくれる体験などに興味が
あるのです。

従来の思考の方々は、僧侶の本分だとかお寺の本分だとかを口にします。
でも従来のやり方が、本当に仏教として正しいのだろうかと言う疑問があり
ます。
自分たちだけがそう思い込んできたのではないかと。

大体、現在の日本には仏教本来の出家と言うシステムは崩壊しています。
お寺も檀家制度によって成り立っていて、やっていることはお寺の本分でも
何でもありません。
要は言っている人はただ自分の知っている世界が常に正しいと思っている
だけなのでは。
ただそれだけのこと、そこに気づかなければ、お寺は変わりません。

現在の檀家制度は、おそらく次世代にはほぼ崩壊しているでしょう。
理由はあります、それは檀家制度は家、つまり家系が継続して存在すると
言う原則によって成り立っているシステムだからです。
現在は墓でもお寺でも、次の世代に世話をかけたくない人が増えている。
であるならお寺との付き合いは、現在中心となっている世代で終了する家
が増えると言うことだからです。

ではお寺自体が無くなるのかと言うとそうではない。
必要とされるお寺であれば、逆に現在よりもお寺に来る人が増えるでしょう。
そこで問題になるのが必要とされるお寺とは、どんなお寺なのかと言うこと。

それが次の時代の僧侶の本分、寺の本分になる。
宗派や寺院として、教義は絶対に必要です。
僧侶の本分はそこにも必ずある、でもそれだけではない。
仏教の本来の意味をしっかりと見つめて行かなくてはならない。
宗祖と釈尊をつなげてこそ、その教義に展開力が生まれているのだと思う。

他の方もそんな発言をされていた。
道元禅師は釈尊をしっかりと見つめていると、でも現在の宗門は道元禅師
だけしか見ていないと。
これは浄土真宗でも私も感じていたことです。
親鸞聖人を学べば、釈尊をじっと見据えているのを感じました。
でも確かに宗門では親鸞聖人で止まっている、つまり教行信証からの展開
はないのです。
仏教であるならば、それは僧侶の本分でもお寺の本分でもないでしょう。

宗祖お二人の共通点がある、それは自らが宗派を立てるという意志がなか
ったということなのです。

今にとらわれることなく、先を見つめて行かなくてはと、心に思うこの頃です。

必要とされるお寺を求めて行く、その道は自らが探すしかない。

移りゆく世を見て行く、社会や環境変化は、お寺だけ例外ということはない
でしょう。




大学の研究室の皆さんがお寺で仏教体験を、そしてイタリアン精進料理も。

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今日は宿坊光澤寺に、鳥取環境大学浅川研究室の皆さんが研修においでになり
ました。

そのあと研究室の歓迎の懇親会も開催され、皆さん楽しく談笑されて、イタリアン
精進料理を召し上がられました。
若い方々の評価も気になるところですが、すべて残さず召し上がられていました。

宿坊に若い方々が来られるのは、お寺にとってもエネルギー充電になります。
そしてそれがまた他の方々を呼び込むチカラにもなるのだとも感じています。
お寺ってそんなものだろうとも思うのです、エネルギーって他の方に伝播して行く。

今日の体験の一番のテーマは仏教のお話しと「やずブータン村」のお話し。
そして瞑想をしっかりと体験していただきました。

瞑想は若い方には今とても人気があります。
心を整え軽くして行く、それには心のトレーニング的な要素もあります。
全員で本堂に座り、静かに瞑想に入る。

今日は初めての方ばかりなので、入門編ではありますが、皆さん集中しておられ
ました。
体験は他に、写経や読経、作法や仏教講座などなど。
学生の皆さんには興味があるのかな、どうかなとも思ったり。

でもアメリカやヨーロッパでは静かに仏教ブームが起こっています。
その中でも、特に瞑想や禅は人気が高い。

集中力をアップし頭の回転をクリアにして行くのではないかと思います。
そして自分を客観的に見つめ、心を軽くして行きます。

宿坊や「やずブータン村」も、学生の方々と協業できるようになれば面白いなと
考えています。
まだまだこれからですが、いづれ何か見つかるでしょう。

鳥取環境大学は、環境マインドを持った人材を社会に送り出すと言うミッション
があります。
それが直接環境に関わっていなくても、建築であったり経営であったり、そこに
環境的視野を入れ込むことは、これからの社会にとって重要なことであります。

もちろん「やずブータン村」や仏教的な目的とも共通するところがある。

「やずブータン村」をひとつの研究テーマとして、環境との共生や、自然を生か
した視点から山間部の新しいカタチをデザインすることができるのではとも
考えています。
ただの紋切り型の町おこしではなく、新しいカタチを生み出す力になる。

これからもこうした縁を大切にして行きたいと思うのです。

こんな縁ができるのも、宿坊を始めたから生まれたこと、やはりお寺にとって
宿坊とは可能性を広げることにつながります。

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鳥取環境大学の浅川研究室の皆さん、本日は楽しい時間ありがとうございまし
た。


宿坊光澤寺のHPはこちら!





お寺のこれから

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宿坊に若いお二人がやって来られました。
お二人はこれからお寺をどうやって行こうかと考えておられます。

現在はお寺を取巻く環境の変化がまさに起ころうとしているときです。
もちろんお寺だけで十分にやって行ける寺院は、環境の変化などない方がいいと
思われているでしょう。
新しい動きを歓迎することなどない、もしくはこれからも変わることはないと。

でも社会はそれだけでは終わらないでしょう。
環境が大きく変わりつつある、世代によって考え方や価値観が大きく変わってくる
のだと思います。
そして地方の疲弊感と少子高齢化、さらには過疎化のスピードアップ。
お寺の周辺はお一人暮らしのお年寄りが多い。

であるなら、今の環境変化にどう対応して行くかが求められている。

檀家数が多いか少ないかが、お寺の価値である訳はなく、ましてやそこにいる僧侶
の価値である訳がない。

教団は、大寺院の意見によって動かざるを得ない、だから改革は遅々として進まな
い。
もちろん教団職員はほぼ縁故採用であるのだから、それはそうでしょう。
地方の弱小寺院はたまったものではありません、すべては自助努力しかないから。

待っていてもお寺は何も変わりません、その間にも社会環境は変わって行きます。
であるなら今から何かを始めないと遅いのです。

宗教やお寺に関しても、約8割の人はサイレントピープルです。
積極的な発言をする人や、批判をする人、そして熱心な信徒さんはせいぜい2割。
あとの8割の方々は無関心だけど、社会に流れに乗られる方々でしょう。

ならお寺はその方々にも大きく門戸を開かなくてはならない。
現在の檀家さんをしっかり支えて行くためには、そうしなくてはならないのです。
2割の方々だけの話しを聞いていたのでは見えてこないものがあります。

それにはお寺毎のやり方がある、そして周辺環境がある。
だからそこにはマニュアルはない、自分で徹底的に考えるのです。

最終的なお寺と住職の目的は何なのか、どこなのか。
今の現状はどうなのか、そして何から始めて行けば良いのか。
ただしその根底には仏教と各宗派の教義理解があることは必然です。
その上で何をすればいいのかを考える。

お寺や本堂その物から、人員体制、金銭的な問題、生活、檀家の状況、これからの
見通し。
その上での優先順位を考える、地方寺院ではいきなり大きなことはできないし、
他のお寺を真似してもしょうがない、それぞれ独自のやり方がある。
これは町おこしでも一緒だろう、すべて物真似の世界では・・・。
成功体験の共有と言いながら、すべて横にならえの方式だ。
それでは決して成功しない、独自に積み上げてきたところが成功しているのです。

そして檀家さんには頼れない。

だから一歩一歩ゆっくりでもいいから始めてみる。
そうすれば3年や5年経ったとき必ず変化がある、お寺は急には変われないし、変
わらない部分も大切なことだから。
その見極めをしておくことも重要なことになります。

これから若いお二人はお寺をどの方向に向けて行かれるのでしょう。
楽しみにしたいですね。

現在のお寺の弱点は、実は変わるには強みになることも十分にあります。
0だと思えば、何も怖くはありません。
あるものが減って行くのは心配ですが、なければ逆に強みになることだってあります。

やり方によっては、お寺はとっても有望な業界なのです。
宗教法人はとても優遇された業界でもあります、それを有効にそして社会のために
還元して行かなくてはなりません。

古い感覚や檀家制度にしがみついていても、お寺は何も変わりません。

お二人にお会いして、自分自身を振り返る良い機会となりました。
お寺にいるとつい周りが見えなくなってくる、時には悲観的な考えにもなる。

でも今動かなくてどうするのかと自分に問いかけている。
さあ何から始めようか!

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お二人には見えているものがきっとあるはず。

何しろ若さという一番の強みがあるし、二人と言う心強さがある。
それだけあれば十分ですね。

僕自身がそうですが、お寺の改革は年齢との闘いでもあります。
僕がお寺に精力を傾けられるのは、長くてあと17年だと思っています。


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宿坊光澤寺のパンフレットを作る・・・お寺の次の一歩を踏み出す。

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宿坊を始めてから、ときどきパンフレットはありますかと聞かれます。

うちではまだ作ってないですよ、とお答えしていました。

最近来られた方にもそう聞かれた、そう言えばそろそろパンフレットを作ってもいい
かなと思い立つ。
まあ予算のない宿坊ですから、とりあえずは手作りです。
今まで撮りためた写真から適当なものを選択、そして宿坊の内容の紹介を考える。

表紙はできるだけシンプルにイメージする、裏面は内容をちょっと細かく。
住職と坊守の紹介も入れておきました、やはり来られる方は多少は気にされるかも
しれないから。

でも意外と写真選びが難航、いざというときにこれといった一枚がなかなか見つか
らないのです。
それでも何とか選び出してレイアウトを決めて行く。
それをPDFに落として終了、あとはネットで安い印刷屋さんに発注するだけです。

お寺のパンフレットもこれから作る予定。
寺院葬やお寺の案内など。

今までは観光寺院でなければパンフレット等はあまり作っていないと思います。
お寺にはパンフレット等は必要ないと思うかもしれません。
今までのお寺だったらそうかも知れません、でもこれからのお寺はアピールする
事も大切になってくる。
このお寺ではどんなことを考えているのか、どういうお寺なのか。

檀家さんだけを向いていては、これからのお寺の運営は厳しいものになると思う。
それはそれでよいのだが、次の世代へとお寺を引き継いで行くのなら、新しい展開
も考えて行かなくてはなりません。
お寺が変わらなくて良いと思っているのは、今のお寺で十分食べて行けるお寺だけ
でしょう。

少子高齢化と独居化が進む地方の寺院では、同じことをやっていたのではお寺は
確実に衰退しなくなって行くのを待つだけになります。

さあ次の一歩をどう踏み出すのか、今はそれが問われている時代になりました。
私のお寺も例外ではなく、まさにその真っただ中にいます。


宿坊光澤寺のHPはこちら!






「トゥイーの日記」・・・ベトナム軍女性医師の記録。

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今日はあるご夫妻と夕食をともにした。

奥様はベトナム語の通訳や翻訳をしておられる高橋和泉さん。

今日はその高橋さんが翻訳をされたベトナムのベストセラーとなった本をご紹介
したいと思います。

ちなみに、ご主人はその奥様が翻訳された本のベトナム映画の日本語字幕版を
製作することにご尽力されています。

この本は、トゥイ―さんがベトナム軍の医師として従軍していたときの日記です。

彼女の死後35年を経て、その日記がアメリカ軍兵士から母親の元へ届けられた。
彼女は敵国の兵士の銃弾を受けて死んだ、そのとき別の兵士が彼女の日記を
見つけたのです。

敵国であるアメリカ軍兵士は大切にその日記を保管していた。
いつか彼女の家族にその日記を返したいと願い。

そしてそれが何故35年の時を超えて戻されたのか。

ベトナムで50万部のベストセラーとなった、この数字はベトナムにおいては凄い
数字だと思います。

そして読んだ皆が涙した・・・。

今ベトナムは経済発展を遂げ、そして日本人に人気の旅行先となっている。
でもそこには様々な思いの過去の歴史がある。

その歴史の一端を知り、そして考えるには大切な一冊だと思います。

今日はお二人との出会いに感謝する一日となりました。
とても素敵なお二人でした。

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お寺にうどんを食べに来んさい!

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お寺で手打ちうどんを作る。

特別なことではないけど、お参りに来られたときや体験に来られた時の楽しみの
一つとして、今年から試作を繰り返してる。

うどんを作るなら、やはり美味しい方がいい。
できれば鳥取一美味しいうどんを作ってみようと思い立つ。

現在はイタリアン精進料理をお出ししていますが、そこにうどんも加わります。
2月にはうどんの本場、讃岐にうどん巡礼に行って来た。

一回や二回食べただけでは分からないが、店の雰囲気やうどんの具合を間近に
見ることができた。

うどんのもう一つの本場である大阪にも食べに出かけた。

それぞれに特長があるのが分った。

うどんの名前は「光澤寺うどん」、お寺の名前をそのままにした。
お寺の名前を付ける以上、いい加減な味ではダメだなと言う決意みたいなものが
ある。

写真はきつねうどんです。

昆布とイリコと粗節とカツオ節の出汁、そして麺は国産のうどん粉作る。
アゲも前の晩からあっさりとしてほのかに甘いアゲを作ります。

思ったようには行きませんが、先ずは一年間作りつづけてみよう。
そこからまた試行錯誤が続くでしょう。

でも、「あのお寺にお参りしたら、美味しいうどんが食べられる」と言ってもらえたら
いい。
お参りに行くにも少しは楽しみがあってもいい、それには美味しい食べ物はどうで
しょう。

何故うどんかと言えば、子どもからお年寄りまで、男性も女性もうどんは食べられ
る、そして何となくお寺に似合うかなと思ったから。

現在、過疎が進む地域のお寺はこれからどんどん厳しさが増してくる。
お寺にだって差別化が必要です。

やはりその地域の方々に元気でいてもらいたい。
寂しくなったらお寺にうどんを食べに行こうと・・・。

宿坊に泊まりに来られた方にも、ご希望があればうどんをお出しします。

今年は宿坊光澤寺にうどんを食べに来られませんか。

実はこれ、「光澤寺」というお寺のブランド化戦略の一つです。
お寺を次世代に残して行くための一つの方法、10年やれば何かが見えて来るかな?
地域と一体になって、必要とされるお寺になること。

高齢化と独居化にどう対応できるのか、見えないところを少しづつ進んでみる。



宿坊光澤寺のHPはこちら!


お寺で本をゆっくり読む楽しみ。

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僕は本屋にいることが好きです。

ゆっくりと気になる本を探してはめくってみる。
そんなことをするのに、丁度良い本屋が鳥取にはあります。
そこはかの有名な「定有堂書店」。

街の本屋としては、全国的に有名な本屋です。
でも外見も古く何の変哲もない本屋、店員の方もまったく愛想が無い。
ええっ、こんなところに本屋さんがあったの?
というくらいの本屋です。

でもそこには気になる本や雑誌が置いてあります。
その本の選択と陳列の妙に、本屋好きを唸らせるポイントがあるようです。

今日は浄土真宗の鳥取ブロックの執行部会が鳥取の街のお寺さんでありました。
その会の後は必ずこの本屋さんに寄って時間をつぶします、ちょっと至福のとき。

そろそろ宿坊の書棚に新しい雑誌と本を入れようかなと考えた。
この本屋の仏教や宗教のコーナーは、ちょっと宿坊の書棚に通じるところがある
なあと思っています。
そして時々はここで本や雑誌を補充するのです。

宿坊で本や雑誌をめくる感覚、本屋で椅子に座って立ち読み(?)してるって感じ
もあって、妙に楽しかったりする。
宿坊にはそんな楽しみもあったりします。

今日は雑誌を二誌と書籍を二冊買ってきました。
もちろん自分が気になる本しか買いません。
この本屋は少し前の雑誌でも、店の方が気に入っていれば数年は置いています。
ですからいつでも気になる本に出会えると言う訳です。

まずは自分で読んでみて、そして書棚に陳列して行きます。
書棚のレイアウトも随時やっています。

これも僕の楽しみの一つなのです。

やっぱり宿坊をするには、自分の趣味でなければ楽しくありません。
自分の好きなことを好きなようにやる。

それがいい、そしてお客さんと一緒になって僕も楽しんでいます。

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                               宿坊の書棚①

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                                宿坊の書棚②


宿坊のHPはこちら!


宿坊光澤寺の仏教講座を全科目修了されました。

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ある男性から宿坊に予約の電話があった、そのとき「全講座を修了すると修了証が
もらえると書いてありましたが、もらえますか」と聞かれた。

そういえばホームページには書いていないので、宿坊研究会の案内を見られたよう
です。

宿坊では仏教体験や仏教講座をご用意しています、宿泊の方は希望すれば無料で
受講することができる。
今までにもたくさんの方が受講されましたが、そう言えば修了証をお渡ししたことは
ありませんでした。

全講座とは、「写経」「瞑想」「仏教講座」「浄土真宗講座」「読経・作法」「絵手紙」の
六講座です。
全てを体験するとなると12時間程度必要です、一泊二日の日程では受講は無理
だと思います。

二泊三日で何とか修了できるかなって感じです、でもスケジュールは厳しい。
今回の方は二泊三日ですべて受講されました、と言う訳で修了証授与第一号にな
りました。

修了者には、修了証と記念品を授与しています。
ちなみに今回は、経本と布製の経本カバー。

もしかして、今まで全講座を受講された方で、ご希望がございましたら遅くなりまし
たが授与させていただきますので、ご連絡をお願いします。
ホームページには書いてなかったので、お気づきになられていないということもある
と思います。
今までにも数名いらっしゃる様な気がします。

二泊三日で様々な体験ができるので、とってもお得、そんな場所は全国を探しても、
おそらくここでしか体験できないと思います。

仏教三昧に浸りたい方は、一度宿坊光澤寺においで下さい。

これからはホームページでもしっかりとご案内差し上げます。

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宿坊光澤寺のHPはこちら!

真空管アンプで聞く、レコードコンサートin光澤寺が開催されます!

宿坊渡り廊下

5月18日(日)に宿坊光澤寺で、レコードコンサートが開催されることになりました。

日曜日の午後1:30~3:30まで。

昭和の名曲を、アナログレコードと真空管アンプで聞くコンサートです。

懐かしいEP版45回転にこだわったコンサート、それも本堂で聞くことができます。

選曲はたとえばこんな感じに・・・。

野口五郎の「私鉄沿線」、我々の若桜鉄道の応援歌でもあります。

因幡晃の「別涙(わかれ)」とか、天地真理の「若葉のささやき」。

お寺だったらゴダイゴの「ガンダーラ」や喜太郎の「シルクロードのテーマ」。

もちろん洋楽もビートルズからカーペンターズまで。

全20曲を休憩をはさんで2時間お届けします。

50代以上の方々には感涙ものですよ、逆に若い方々には新鮮に感じると思い
ます。

今までは公民館等で活動しておられた、ミュージックフレンド45の皆さんが主催
です。
ちょっとお寺の空間は見逃せないと、今回の光澤寺での開催となりました。

日曜日の午後、ちょっと八頭町へ足を運んでみませんか?

きっとそこは穏やかで懐かしい場所になるはずです。


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宿坊で過ごすご夫婦の休日・・・今の時間を大切にする。

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ご夫婦で宿坊にいらっしゃいました。

お二人でごゆっくりとお過ごしになられる姿は、とても穏やかです。

宿坊にはときどきご夫婦でいらっしゃる方もおられる。

おつとめをご一緒し、仏様のお話をする。

ご夫婦で来られるのもいいなと思います。

お食事のときもコタツに入っておらるるときも、お二人の時間を大切に
過ごされていることがすごく伝わってきます。

宿坊には様々な方が来られる。

20代~80代、一人旅からグループまで、男性も女性も。

目的もいろいろですね、でも共通しているのはゆっくり穏やかに過ごさ
れる方が多いと言うこと。

お勤めをしたり、お話しをしたり、料理を楽しまれたり、体験をしたり。
思い思いの休日を過ごす。

一組なので、時間も気にすることなく、それぞれの思いで。
ときには本を読んでみたり、お茶を飲んだり。

そして自然の中に包まれる。

お二人の姿を見ていると、僕たちもそんなふうになれたらいいなと思う。

いろんなときを一緒に過ごし、喜びや悲しみもあったことでしょう。
でもいま過ごす時間を大切にする。

またお会いできるといいですね。

宿坊を続けていると、きっとまたお会いできる縁があるでしょう。
それもまた宿坊の楽しみです。


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少し生き方を変えてみる

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それまでの仕事や環境から生き方を変えることもある。

私も22年間続けていた会社員生活に区切りを付け、僧侶になったこともあります。

それまでの仕事や環境を変えるにはエネルギーが必要です。
でも変えなければそのまま定年を迎える、そのときはすでに60~65歳くらいになる。
そうなると人生の主要な時期はほぼ終了と言うことになり、あとはセカンドライフだ。

もちろん現代はセカンドライフの期間は長く、楽しみも多いでしょう。
様々な活動をしておられる方々も多い。

でもときには途中で方向転換することもある。
それはそれで一度きりの人生をどう生きるかと言うことにつながります。
それまでの生活から離れ、自分で方向を決める、そして自分の生き方をできるのです。

リスクがないとは言えませんが、挑戦してみる価値はあると思う。

イザとなれば、生きて行くくらいなら何とかなる。
もちろん家族やお金の問題があるので、誰でもと言う訳には行かないだろう。

釈尊は29歳で家族を棄て出家している。
生きて行くだけなら何とかなるのだろう。

そんなあるとき、一人の女性が宿坊を訪ねて来られた。
「新しいことにチャレンジするつもりです」、そう仰られていた。

ある出会いからそれを考えるようになったと。

人が何か始めるときにはキッカケがある、そして出会いがある。

そのとき勇気を出してチャレンジしたなら、後悔はないだろう。

その方といろんな話しをしました。

瞑想も体験され、写経もしっかりと書かれていた。

瞑想はとても気になられていた様です、すぐに集中されていた。
写経も丁寧に時間をかけて書かれていた。

そこにはある決意が見えた様な気がした。

そこに願いを込める、それは自分自身への決意だと感じました。

ぜひ頑張って欲しいと思った。

なぜならこの宿坊は、女性のスタートやチャレンジにはふさわしい場所だから。
そしてその支えとなる場所。

なぜかこの宿坊には、そんな女性の方が多く訪れる。

そんな空気がこの宿坊とお寺には流れているのだと思う。


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お寺の奥さんの呼び方

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先日、合併前の旧町内の寺院五ヶ寺が集まって今年度の行事打合せ
をしました。

今年度からは私の寺院が幹事を務めるので、皆さんに光澤寺に集まっ
ていただきました。

5月には旧町内の保育所の花まつりがありますので、その打合せが
メインです。

旧町内といっても、五ヶ寺はすべて宗派が違います。
これって珍しいのではないかと思います。
真言宗・浄土宗・黄檗宗・曹洞宗、そして浄土真宗です。

それはそれで面白いですね、お互いの事情が似ている所もあれば違
うところもある。
毎年顔をあわせていても、お互いの事情はよく知らなかったりする。

私は一度聞いてみたかった事があったので、今回確認してみました。
それはお寺の奥さんのことを各宗派では何と読んでいるのかということ
です。

浄土真宗の寺院では坊守(ぼうもり)と呼びます。
これは本山で坊守式を受けることが必要で、坊守式があります。
なので、僧侶側からも門徒さん側からも坊守さんと呼ばれます。

以前、日蓮宗は寺庭婦人との呼び方があることを知りました。
やっぱり宗派によって違うのだなと思っていたのです。

ところが浄土真宗以外の宗派の方々は、すべて寺庭婦人という呼び方
をするのだそうです。
ある意味、日本のお寺の奥さんは寺庭婦人が一般的なのだそうです。
ただ、この寺庭婦人はお寺の奥さんのことではありますが、役割みたい
なものなので呼称ではないと言うことでした。
呼ぶときは、奥さんと言うのが普通だそうです、浄土宗では大黒さんとも
呼ぶそうです。

寺庭婦人の会とかでは使われるが、呼称では使わない。

なるほど・・・、そう言うことですか。

ある宗派では、あまりこの名称はよくないのではとの意見もあるそうです。
庭にいるようですから・・・。
あまりお寺の本堂や庫裏にはそぐわないといったことが背景にあるのか
もしれませんね。

ただ、浄土真宗以外は明治になるまでは結婚が認められていなかった。
なのでお寺の婦人という概念がそれまではなかったのです。

浄土真宗だけは妻帯していましたので、坊守という立場が宗門全体に行き
届いていたのですね。
式章も坊守専用の式章がありますから。

なるほどと思った次第です。



今のいのちを輝かせる!

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仏教では四苦を説きます。

それは「生~老~病~死」のこと。

人は、いのちあるものは、その四苦から逃れることはできないということ。
それを受けとめて行かなくてはならないのです。

結局人の苦しみはこの四苦に必ず帰結することになる。

ならばそこから考えてみてはどうか。

死から生を見つめ、そのいのちの有り難さに気づく。

気づいたなら、その限りあるいのちをどう生きて行こうかと考えるのだ。

限りあると思ったとき、そのいのちは愛おしい。

そして尊いのだ。

そして残りのいのちを精一杯生き切ろうと思う。

自分に残された時間を・・・。

でもこれってすべての人に当てはまるのです。

生れそして生きていることに感謝をし、すべての縁を受けとめる。
そうすると心の置き場所が少しづつ変化してきます。

ターミナルケアの研修のとき、講師であった先生に問いかけた。
ガンの患者さんのお話しをしていた。

「では先生が死ぬとしたら何で死ぬのが良いですか?」

先生は少し考えられた、そして「僕はガンが良いかも知れません」と。

もちろんガンにもいろいろありますから簡単には言えませんと前置きされ
たうえで、「ガンには時間があります」と仰られた。

家族や知人にちゃんと別れが言えます。
そしてその最後の大切な時間を精一杯生きるという目的が明確だ。
延命措置で生きるなら、ガンで精一杯生き切りたい。

そんなお話しだったと思います。

全ての方ではありませんし、ガンで苦しんでおられる方はたくさんいらっし
ゃいます。

ただ私が出会った方は、ガンと宣告されてから、いのちを真剣に考えられ
ている、そして今と言うときを全力で生きておられるのです。

たとえガンであっても、いやガンだからこそ輝くいのちがあるのかも知れない。

そして、どんないのちだって、輝くことができるのだ。

私のいのちは、明日のことは分りません、なら今をどう生きるかなのですね。



ある葬儀の弔辞・・・大好きだったおじいちゃんへ。

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葬儀を執り行う前、葬祭会館の方と次第を確認する。

「今日は弔辞がございます」と会館の方。

そう葬儀式には弔辞があるときとないときがあります。

「お孫さんお二人が弔辞を読まれます」と言われた。

葬儀の前の晩、通夜勤行の法話では、大好きだったお爺ちゃんの死に、
お孫さんの気持ちを伝えるお話しをしたところだったのです。

「ああ、そうですか」とお答えした。
それでは導師焼香と表白のあと、読経に入る前に弔辞を読んでいただ
くことにしました。

「大好きだったおじいちゃんへ・・・」
お二人の弔辞はそんな言葉から始まった。

お孫さんと言っても、もう二十歳を過ぎておられる、女性のお二人でした。
それぞれが思いを話された。

料理が好きだった、いつも弁当を作ってくれた、反抗期のときもいつも
ご飯を用意してくれていた。
都会に出て帰省するたびに弁当を持たせてくれたこと・・・。

何かあっても必ずお爺ちゃんがいてくれたことが心の支えとなっていた。
そんなことがよく分かる弔辞でした。

前の晩の通夜の法話と重なった。
良かったなと思えた。

やはり人には、いつも見守ってくれる、そして支えてくれる存在があった
方がいい。
その思いがあるだけで、苦しいときも悲しいときも乗り越えて行ける。

ただいつもいてくれると言う思いが大切なのです。

そんなことをあらためて強く感じることができました。

本当に尊いご縁となりました、葬儀と言うことの大切さも・・・。

おじいさんが仏となるその意味もお話しさせていただいた。

これからは浄土から皆さんをしっかりと見守ってくださるでしょう。

                                         合掌

鳥取環境大学研究室ブログ・・・宿坊光澤寺が紹介されています。

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鳥取環境大学で、寺院建築を研究をされている研究室があります。

ブータンやチベットそして上座部仏教も研究されています。
自然との共生と言う意味では、仏教も深く関わっていますね。

鳥取環境大学にはこんな研究室もあるのかと思いました。
その方々が先日、光澤寺においでになられました。

光澤寺の本堂はそれほど古くはありませんが、開放感のある空間と感じて
下さったようです。
他の寺院はよく分かりませんが、この明るくて解放感があるのが女性にと
ても良い感覚なのかも知れません。

とても女性に優しい空間となっています。

もちろん男性にも居心地が良いと思いますが、どちらかと言えば男性は理
論で女性は感性優先というイメージがあるので、女性がその空気感を先に
感じられるのかも知れません。

そんな宿坊光澤寺を研究室のブログでご紹介いただきました。
おいでになられた研究室の学生さんが書かれたのでしょうか。

客観的な視点で分かりやすく丁寧に書いてくださっています。

皆さんも一度ご覧ください、光澤寺や宿坊光澤寺のことがよく分かると思い
ます。

鳥取環境大学の浅川先生の研究室のブログはコチラからどうぞ。


http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-597.html


これからも何か一緒にできたら面白いなと思っています。


おばあちゃんの思い・・・一緒にお経を唱えたいんだ。

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おばあちゃん元気です。

今日はお寺に女性三人様がいらっしゃった。

八十過ぎのおばあちゃんとその娘さん、そしてそのお連れさん。
娘さんは僕より少しお若いかな・・・。

隣町のお寺のご門徒さんです。
たまには他のお寺に行ってみるのも楽しいものですよ。

10時くらいにお寺に来られてゆっくりと過ごされる。
おばあちゃんは足が悪くて杖をついても介添えなしでは歩けない。
お二人が両側で支えながら門をくぐってたどり着かれた。

よう来て下しました、まさにそんな感じです。
おトイレも早め早めにお二人が気をつかわれていたくらい。

同じことを何度も僕に話してくださいます。
娘さんは僕を気遣ってか、「さっき話したよ」と何度も言われてた。

でもそんな姿がいい感じです。

お互いにお互いを気遣ってる、おばあちゃんはおばあちゃんなりに、娘さんは
娘さんなりに、そして連れの方は連れの方なりに。

お昼はイタリアン精進料理。
ゆっくりと食べられて、そのあとはコーヒーと和菓子。
部屋の外へ皆さんの笑い声が聞こえてきます。

お昼を食べた後、娘さんに本堂にお参りしますかと問う。
おばあちゃんは足が悪いので、私だけ参りますと言われた。
娘さんは亡くしたお兄さんのこともあり、お経を唱えたいと仰っておられた。
お連れの方は宗派が違うし、ご一緒されただけかなと思い、娘さんと二人で
本堂へ。

何を唱えましょうか、長いとしんどいかなとも思いましたが、『正信偈』で決まり。
その方もそれが良かった様でした。

二人で唱え始める、その方も大きな声で唱えられていた。

すると唱え始めて5分くらい経った頃でしょうか、おばあちゃんと連れの方が
本堂に入って来られたのが分った。

一緒に唱えておられるかなと思って、ゆっくりゆっくり唱える。

唱え終わって皆さんを方を振り返ると、おばあちゃんが、嬉しそうにそして有り
難いといった感じで手を合わされていた。

お連れの方が、「お経が始まったら本堂に行くと言って、止めてもどんどん歩い
て行かれたんです。階段も普段は一人では上がれないのに、一段一段を一歩
づつで上がられたんです。」とビックリされたように話された。
本当に驚きました・・・と。

その話しを聞かれて娘さんも嬉しそうでした。
おばあちゃんは聴聞とお経を唱えるのが好きでした、兄も本当に好きだったの
です。

お経ってやっぱりすごい力があるなって感じました。
普段は身体が動かなくたって、急に元気になるし歩けだってするのです。
もちろんそれはその方が生きてきた証であるのでしょう。
別に奇跡ではなく、その方が持っている力、思いがそうさせたのでしょうね。

おばあちゃんは本当に嬉しそうだった。

ああ、大きな声で丁寧に唱えていて良かったなと思った。

それじゃあもう少し、『讃仏偈』を一緒に唱えましょう。
そして経本をお渡しして、一緒に唱えることに。
もちろん覚えておられるでしょうが、そのお心に。

最後に恩徳讃さんをみんなで唱えた。

枝垂れ桜が満開の中、帰りの車では窓を開けてずっと手を振ってくださった。

こんな日帰り体験は滅多にないけど、こんな思いができるなら、やっぱり日帰
り体験もしてて良かったと心から思えた一日でした。

                                           合掌


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今晩の通夜法話

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今日はお通夜でした。

通夜勤行をお勤めしますが、その内容は同じ宗派でも、寺院や僧侶に
よって違いがあります。

たとえ同じであっても、そこにはそれぞれの僧侶としての差があります。
その中でも、読経と法話がやはり中心になる。

読経と法話は次第は同じでも中身はまったく変わってくるところ、そこに
僧侶としての思いが込められる。

今日のお通夜は生前を知らない方、それでもその方の年齢やご遺族の
方々との話の中でその方に合った法話を考えます。

80歳を過ぎられていた、そこにいのちをテーマにお話しをする。
今日のお通夜をご縁に、故人からのメッセージを窺うのだ。

普段お経を聞いていてもあまりなにも感じなくても、今晩は少し違った感
覚を持たれたのではないか、それはこの場がいのちの場だからだ。
私たちが一番大事なものは何かと聞かれたら、健康だったりします、でも
実はお金だったりとか、でもよくよく考えれば一番大切なものは、いのちだ
と言うことに気づきます。
なぜなら健康やお金の価値は、いのちあることを前提としているからです。
いのちが無ければそんなものは必要なくなります。
でも、いのちのことを考えているかと言うと、意外と私たちは考えていない
のではないでしょうか。

こんなお話しがあります、おじいちゃんのことが大好きだった、お孫さんの
お話しです。

なぜおじいちゃんは死んでしまったのかよく分からない、大好きだったのに。
それでお爺ちゃんが亡くなった病院でお医者さんに尋ねた、「なぜおじい
ちゃんは死んだの?」。
するとお医者さんは、「おじいちゃんは最後まで頑張ったけど、ガンで死ん
だんだよ」と答えた。
そこのもしお釈迦様がいて、子どもが同じことを聞いたならどう答えたでし
ょうか。
お釈迦様は、「おじいちゃんは、生まれたから死んだんだよ。人はね生まれ
たら誰もが死ぬんだよ」。

これは私たちにいのちと言うものを改めて気づかさせてくれます。
そう、いのちは生と死の両方で始めて一体となる、死のない生はないのだ
ということを。
そのとき死を見つめて、私たちは生と言うことの意味を知る。
そして限られたいのちを今生きていると言うことに気づくのです。
そのとき、私のいのちは今までとは違った意味を持つのだ。

もうひとつ、お子さんには聞きたいことがあった。
それは何か、「おじいちゃんはどこに行ったの?」ということ。

これには皆さんどう答えるのでしょうか。
もし答えが曖昧なら、あなた自身死んだらどこに行くのか分っていないと
いうことになります。
死んだらしまい、でもここにはまだ死んだ方はいません、となるとその先
のことは誰にも分からないということになります。

いのちとして生と死を持った存在なら、その無常であるいのちをしっかり
と支えてくれる存在が必要であり、依り所となる場所が必要なのです。
これがあるかないかで、いのちの存在が安心できるかどうかと言うこと。

そこに阿弥陀如来の本願のはたらきがある。
南無阿弥陀仏が私たちに届けられるのです。

無常であり、苦しみ深く、悲しみ深い、そんな存在。
そのいのちをしっかりと支えてくれるものがあれば、そのいのちも輝きを
増すでしょう。
その願いを届けてるために仏と言う存在があるのなら、私たちはその届
けられた願いに感謝をするでしょう。
その思いがまた、南無阿弥陀仏となって私の口から称えられるのです。

故人の思いをしっかりと受け止められましたか?

そこに仏様の心がある。

そのようなことを本日の通夜をご縁として受けとめさせていただきました。

今日の通夜での法話こんな感じでした。
通夜のときは10分間と決めています、参列者やご遺族のことを配慮し
ますから。

もちろんこの内容だけではなく、そこに自分の体験やみ教えなどを織り交
ぜていますが、骨組みはこんな感じだったでしょうか。

参列者の方々に、いのちと仏様の意味を考えて欲しかったのです。

法話のあとは、直接みなさんの感想を聞くことはありません。
なのでいつも自分自身で反省の日々です。

桜街道を抜けて・・・母娘さんの休日。

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今年の桜は意外と長持ちしています。
播州桜街道を抜けて因幡に来られるという、そのとき「桜はどうですか?」との
連絡をいただいた。

ちょっと散り始めているかも知れませんね、とお答えしていたのだが、ちょうど満
開だったそうです。
一日早めて来られたのが良かったのかも知れませんね。

山門の前で写真を撮らせていただいたが、枝垂れ桜もまさに満開です。
心配しておりましたが、天候にも恵まれてドライブ日和でした。

お母さんと娘さん、お二人で桜を追って関西方面から宿坊に来られました。
とても仲良さそうな雰囲気で、お二人でゆっくりされていました。
朝は肌寒かったのですが、お勤めもご一緒され、少しお話しもさせていただきま
した。

宿坊の良さはこんなところにもあると思います。
ゆっくりとしていただくことができますし、夕方と朝にお勤めがあるので、本堂に
お参りしていただくこともできます。
少し心を安らげてみるのです、そして穏やかな心になる。
ちょっとした体験って感じがします。

お二人のお姿をみていると、うらやましくも感じました。

女性は親子でも一緒に旅行に行かれるし、グループでもそうです。
ご年齢に関係なく、女性同士でいろいろ出かけられるのです。

では男性はと言うと、男性の親子での旅行はあまり見かけません。
もちろん男性グループでもそうです。

そうすると、これからの社会では女性が楽しめるのかも知れませんね。
男性は歳を取ると女性とセットで動くことが多くなります、そうなると男性は孤独に
なる可能性が高いかも知れません。

男性も女性を見習っていろいろ興味を持っておいた方が良いですよ。
せめて奥さんと共通の趣味を持っておいた方が・・・、何てことを思ったり。

そんなことを感じた、素敵なお二人でした。
枝垂れ桜にもよくお似合いですね。

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宿坊光澤寺のHPはこちら!




鳥取環境大学の方々と・・・仏教をテーマに広がる世界がある。

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今日は鳥取環境大学の先生と研究室の学生さんたちが光澤寺に来られました。

鳥取環境大学は、「人と社会と自然との共生」を目指して!、をテーマにしている
大学で、環境マインドを持った学生を社会に送り出すことを目指しています。

環境と言っても様々な分野に及びますが、建築のなかでも寺社建築を研究テーマ
にしておられるそうです。
昨年はみなさんでブータンに10日間程度行かれたそうです。

寺院の莫高窟等の研究ということで、私も興味を感じているテーマでもありました。

様々な研究を通して環境を考えて行くのも面白いと思います。

近くにある大学でも普段はあまり縁がありません。
でも様々な面で関係することもあるなと、あらためて感じます。

これから宿坊ややずブータン村構想の中で、いろいろ連携ができたら面白い。
そんなことを感じた一日でした。

大谷探検隊や鳩摩羅什のことまで話しが及びました。
先生も仏教文化や歴史にとても造詣が深い方でした。

仏教については、その教えだけでなくその周辺、歴史や文化や民族など研究テーマ
がたくさんあります。

それも仏教の魅力の一つですね。

今日は瞑想などの修行についてもお話しを聞くことができました。
また他宗教との違いなどもお話しした。

その中で、日本と外国の仏教は違うけど、同じってことを感じることが多いですね。

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No Worry! No Hurry! Eat curry!

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インド人に行ったとき、初めて乗ったインド人の運転手がこういったと言う。

これは、前NY本願寺の住職がインドに行ったときのことを書かれた本に書い
てありました。
その本は「ニューヨーク坊主、インドを歩く」でした。

私たち日本人は大変几帳面です。
列車やバスの運行はおそらく世界で一番遅れがないでしょう。
思い通りにならないと日本人は怒ります。

たとえば東京の電車に乗っているとき、人身事故があったとする。
皆仕事で急いでいるのは分る、でもそこで聞こえるのは人身事故のことでは
なく、この電車一体いつになったら動くんだということ。

自分の思い通りになると言うことは、逆に少しでも思い通りにならないと怒っ
てしまうのだ。

それって心にストレスを与える社会でもあると言うことです。
ゆとりや余裕はない。
心のゆとりとは、ある意味許すところから始まるのかも知れません。
そして人間の力、自分の力では遠く及ばないものがあると言う世界観。

今の日本人には眼の前にあると思っている存在だけが頼りになっている。
お金やモノ、そして自分。

お金もモノにも実体はない、そして自分と言うものにも実体はないにも関わら
ずに。
宗教もそう、自分に都合よく解釈している。

これは日本人の性格と戦後のアメリカの実験とが成し遂げた成功例かも知
れません。
行く着くところまで行ってみた、平均寿命も世界一を経験した、経済もほぼ世
界一を経験した。
欲しいものもあまりなくなった、つまりモノは行き渡った。

そして日本人は幸せになったのか。

日本人に刷り込まれた価値観は幸せとは言っていない。
介護や高度医療が充実してもさらに不幸になる。

高度医療になると必要以上に医療に頼り、人間の尊厳が無くなってしまう。
そして不必要な延命措置、なぜなら医療は人が生きていて、手術をして、投
薬をして成り立っているから。
手術をしない、薬も必要ない人はもはや患者ではないのだ。
介護も充実すれば、始めから介護施設行が当たり前になってくる。
物やサービスへの要求は留まるところを知らない。

日本のサービスは世界一丁寧である、それでもまだ足りないのだ。
エコとエコと騒ぐが、日本の食品包装の過剰さは半端じゃない、エコバッグ
どころの騒ぎではない。
でも日本人はそうじゃなきゃ買わないのです。

そんなとき、No Worry! No Hurry! Eat curry!とインドのタクシードライ
バーが言う。
もちろん日本人ならイラつくだろう、なぜ分からないのかと。
そしてインド人はまともに仕事をしないとか、文句ばかり言うとか。

「心配するな!」「あわてるな(急ぐな)!」、まあ「カレーでも食べろ!」

これはタクシードライバーの言い訳でもあるでしょう。
でも仕方のないこともたくあんある、急がなくてもいいじゃないか。
これからのこと、どうしようもないことを心配しても仕方ない。
先ずはカレーでも食べてみよう、そうすれば落ち着くってもんだ。

てな感じでしょうか。

すべてが思い通りになると思っているとこんな言葉は出てこないのかも知れ
ません。

でもそうじゃないこともたくさんある・・・、そう思っていると許せることもあるか
も知れません。

そんなこと考えてると、この言葉って深いのかなと思えてくる。

そう言えばこの本の帯にはこんな言葉も・・・。

「犬が、人を食べる自由もあり、・・・」こうなるとすごいな。
(ちなみに、この言葉は著者ではなく出版社が広告用に書いたもの)

さすがにそこまでだとやりすぎでしょうが、日本人の思っている価値観だけで
は量れない世界があるってことでしょうか。

日本人のその勤勉さや几帳面さは世界に誇れるものだと思います。
他の国では真似できないものでしょう。
でもそれが当たり前になると、そうでないものを許せないということにもなる。

近代化と経済発展の中で置き忘れてきたもの。

その忘れ物とのバランスを取ることがこれから求められてくるのでしょうか。



「第二回やずブータン村まつり」企画・・・しあわせについて語ろう!。

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やずブータン村を発足してから1年半が経つ。

2012年11月に「やずブータンまつり設立記念イベント」を開催した。
このときは、記念イベントとして宿坊研究会の堀内克彦氏をお招きし、寺社コンと
村おこし記念講演会を開催した。

そして2013年10月には「第一回やずブータン村まつり」を開催。
一日目は夕方からデューク・エイセスの大須賀ひでき氏のコンサート、二日
目はブータンのビデオ上映とブータン写真家の関健作氏の写真パネル展、そして
ブータン料理を皆様に振る舞った。
パクシャパとケワダチィの2種類のブータン料理でしたが、今回ブータンの方々が
宿坊に来られたときもお出ししてみました。
すると、ケワダチィはブータンと同じ味だと言って下さいました。

今年は「第二回やずブータンまつり」を開催する予定にはしていましたが、できるか
なと心配していました。
何をすればよいかと考えていたのです。

今回ブータンの方々が宿坊においでになられたのを縁に、是非これからも続けて
行きたいと思ったし、「やずブータン村」を発展させて行きたいと心から思った。

大学の先生ともお話しをしていて、「しあわせ」ってどういうことなのかを今まで以上
に考えるようになった。

それで今年のテーマは「しあわせについて語ろう!inやずブータン村」というテーマ
で行こうと決めました。

「しあわせ」は一人一人が違う思いを持っている。
ならそれぞれが思う幸せを語りあったらいいじゃないか、そうすればまた幸せを考え
る機会になるのではないか。

パネリストの方々をお呼びし、トークショーと会場に集まった方々が一緒に語り合う
場としたいと思っています。
そのときのお一人には、ブータン写真家の関健作氏をお招きしようと考えている。

ぜひ興味を持たれた方は、企画がまとまり次第ご案内を差し上げますので、ご来場
をお待ちしています。

夜まで座談会になるかも知れません、宿坊なので本堂もあるから寝袋で皆で星を
見ながら眠るのも良いかな、ブータンスタイルですね。

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やずブータン村のHPはこちら!

ブータンの方が宿坊に来られました。

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幸せの国ブータンの方お二人と日本の大学の先生が宿坊にいらっしゃいました。

ブータンと日本の交流と視察を兼ねて日本へお越しになられています。

お一人は国の官僚の方、そしてもう一人は大学の先生です。

「やずブータン村構想」を掲げていますが、これからの方向性を考えていたときで
もあるので、私としてもとても有り難いご縁でありました。

ブータンはGNH(Gross National Happiness)という独自の指標を掲げて世界的
に注目されている国です。
そして国王夫妻も新婚旅行で日本の大震災の被災地をお見舞いされて、とても
話題になりました。

宿坊を始めるとともに、八頭町と言う町を活性化させて行きたいと考えていました。
それにはお寺だけでなく、NPOとしてお寺の枠の外へ出て行く必要がある。
そしてコミュニティーの中心として宿坊が役に立てるのではないかとも考えた。
やはり拠点としての宿泊施設や食事を出せると言うことも重要なポイントであると
も考えました。

どちらかと言うとイメージ先行型ですが、実際に檀家さんの家にお参りに行くと、
予想以上に高齢化と独居化が進んでいるのが分った。
過疎化のスピードも速いなと感じたのです、それはお寺も一緒、どちらも待ったなし
の状態にある、なら一緒に流れを作ればよいではないか。
それが「やずブータン村」を始めようと思ったきっかけです。

構想から2年経つが、NPO化はまだできていません。
「しあわせの町創り」という感覚はありますが、ではそのしあわせって一体何なのか。
まだまだそのテーマがこなせていないからです。

今回、ブータンの方が来られたのも良い機会であったと思います。
やはりこの活動はこれからも継続してやって行かなくてはならない、そう感じること
ができたからです。

ブータンに関しては、ときどきこんなご縁があります。
最初はまだ僕が30代半ばくらいのとき、親戚にあたる人が勤めている会社を辞め
海外青年協力隊に入ると言う。
30歳を過ぎて、それも務めている有名企業を退職してのこと、当時の私にはその
行動が理解しがたいものでした。
そして彼が赴任したのがブータン王国でした、通信施設の構築だったそうです。

そして住職になり、お寺の将来と仏教の持つ力を少しでも広めたいと考えていた。
その年の3月に東北大震災が起こったのです。
私はその頃、住職継職の法要準備の真っ最中でした。
ブータン国王夫妻が被災地を訪問されている姿をTVで見て、ブータンと言う国を
改めて見ることとなった。
GNHや幸せの国と言うイメージは以前からあったが、具体的な問題として私も考え
るようになったのです。

そして次の年に宿坊を始めたのだが、同時に「やずブータン村構想」もスタートさ
せ、ホームページに「やずブータン村構想」を掲載していた。
その縁で、JICAの方が宿坊を訪ねて来られました。
その方は来週ブータンに赴任されると言う、現在のJICAブータン日本事務所所長
の朝熊氏でありました。

これから3年間くらいブータン駐在される、これも何かのご縁だと思い「やずブータン
村」を立ち上げなくてはとの思いも強くなりました。
帰って来られるまでに具体化しておきたい、そしてその間にブータンにも行ってお
きたいと。

NPO申請を具体化させるため、「やずブータン村発足記念イベント」を11月に開催
し、そして次の年には「第一回やずブータンまつり」も開催した。

ブータンまつりのときは、地元の大学の先生にもご縁ができた。
元々前職の大学で独自研究としてブータンの研究をされるグループにいらっしゃっ
たそうです。
なかなか進まない「やずブータン村」ですが、ときとしてこの様なご縁がある。
今回ブータンの方が宿坊に来られたのも、その大学の先生が交流をされてのご縁
でした。

ブータンの方がチェックアウトのとき、朝熊さんにちっちゃな小物を渡していただく
様にお願いしました。

大学の先生もこの3月にブータンに10日間ほど視察に行かれており、その際には
朝熊さんにもお会いされたそうです。

現在の日本を見ていると、安心して暮らせる、そして幸せを感じることができる場所
が必要だと思っています。

それが、しあわせあるところ「やずブータン村」であったらいいなと思っています。

今回の尊いご縁、導きと思いこれからの活動をより発展させて行きたいと思ってい
ます。
ただブータンの方は焦らないのだそう、それならじっくりと取り組むことも必要だ。

4月8日はお釈迦様の誕生日、ブータンはチベット仏教の信仰の篤い国。
これも仏様の大きな導きかも知れない・・・。

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「やずブータン村構想」のHPはこちらへ!





桜の季節に「さくら会」・・・春のイタリアン精進料理。

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桜の季節、山門の枝垂れ桜も花を咲かせている。

昨日、「さくら会」の皆さんが光澤寺においでになりました。

「さくら会」は、浄土真宗本願寺派鳥取因幡組の10年前の仏教婦人会の役員の
皆さんと坊守さんの集まりです。
その後も年に一回、桜の季節に集まられるのだそうです。

とても楽しみにしておられる会で、皆さんがとても楽しそうに談笑されているのが
印象的でした。

先ずはご本堂で『讃仏偈』をお唱え致しました。
その後は、イタリアン精進料理、そしてコーヒーと和菓子。

日曜日は厳しい冷え込みでしたが、一転して春の陽気になりました。
まさに「さくら会」にふさわしい一日。

私が中学校時代にお世話になった先生で、あるお寺の前坊守さんもいらっしゃって、
お久しぶりにお会いできたご縁もありました。
もう40年ぶり近くになるり、最初は分からなかったのですが、お話しをしていて気づ
きました。
先生は最初から分かっていたと仰られていました、失礼しました。

山門を入られるとき枝垂れ桜の前でお写真をお撮りしておいて良かったです。

本堂前で記念撮影をしたときの皆さんの優しい笑顔が素敵です。
参加者全員に手編みのストールを持って来られていたので、それを羽織っての撮影
です。

平均年齢38歳よ!

そうですすか、もっと若いかと思っていました。

そんな話題でした。



『ブータン、これでいいのだ』・・・幸せの考え方。

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今週宿坊にブータンの大学の先生がお二人お越しになられる。
数日間の予定で日本の農村などを周られ視察をされるのだ。

僕は「やずブータン村」の構想を掲げています、それはそこに暮らす人々
が幸せと思える場所を創りたいとの思いからスタートした。

やずブータン祭りなどのイベント程度しか実際には活動できていませが、
まあゆっくりと取り組んで行けばそのうち賛同される方々も出てくる
かなあと気長に考えています、これもブータン流?

先日大学の先生からブータンの本を数冊借りてきています。
実際にブータンにはまだ行ったことがなく、そしてブータンの方にもお会
いしたことはないのです。

ちょっと事前に本を読んでおこうと思った。

そこで選んだのが、ブータンで首相フェローをお努めされた御手洗瑞子
さんの書かれた『ブータン、これでいいのだ』です。

読んでみるとブータンのことがよく分かって面白い。
また日本人の視点からブータンを見ているのも、結構役に立ちます。

「幸せの国」としての印象が強いブータン。
特に最近は日本でもブータン人気が高まっています。

この本に書かれていることを読むと、日本人とブータン人の考え方の違
いがよく分かります。
あとはチベット仏教が、その精神的バックボーンとなっていることも。

なるほど、と唸ってしまうこともたくさんあります。

決して裕福な国ではない、そして格差や若者の都会への流出、農山村
地域における問題など、様々なことも実際におこっている。
でもみんな幸せなのだと感じている。

本の最後に、ブータンの官僚の方が幸せについて語っているところが
とても参考になったので、ちょっと書いておきます。

「幸せになろうと思ったらね、自分の幸せを願ってはいけないんだ。
自分の幸せを探しだしたら、どんどん、幸せから遠ざかってしまうよ。」

「幸せを願うのなら、自分の幸せでなく周囲の人たちの幸せを願わなく
てはいけない。家族とか友人とか、自分の身近な大切な人たち。
そして周りの人たちが幸せになる様にできる限りのことをするんだ。」

「幸せになりたかったら、先ず周りの人たちの幸せを願って、そのために
何かすることが大切なんだ。自分の幸せを探し出したら幸せは見つから
ないんだよ。ブータン人はそれをよく分かっているんだ。」

とこんなことが書いてあった。

とても気になった文章でした。
これを読んで何となくブータンの方々が幸せと感じている背景が少し
分かったような気がした。

これってまさに仏様のことみたいじゃないか・・・。

僕はいつも周りの人の幸せを願っているようで、結局は自分の幸せを追
い求めているのかも知れないな。

「やずブータン村」の幸せはこんな風が良いな、そう感じた。

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とても面白い本でした。
ブータンを知る入門編としては最適だと思います。

仏教婦人会の法座のご縁でした。

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今日は雪の舞い散る寒い4月の休日となった。
山は八合目まで冠雪していた。

今日は午前中、お寺の近くのお宅で七回忌のお勤めを済ませて、午後からは
隣町のお寺さんの仏教婦人会の法座にご縁をただき、お話しをしてきました。

午前中は仏教婦人会の総会で、午後からの法座に間に合うように出かけた。
二十数名の方々が参加されており、熱心に活動をしておられる。
私のお寺では仏教婦人会の活動がないので、お話しをさせていただきながらも、
いろいろと私自身が参考になります。

法座なので、ご法義のとこをお話しするのですが、あまり堅い話しだとみなさん
もお疲れです。
なので前半と後半をそれぞれ話題を変えながら皆さんの反応を確かめます。

やはり身近な話しに興味がありますから、宿坊のことや体験のこと。
そしてブータンの幸せの考え方などをお話ししてみました。

これからお寺もいろんなことがあります、でも仏教婦人会がしっかりしているお寺
さんは基盤が強いと思う。
そんなことも感じながら・・・。


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お世話になったお寺さんは、若桜鉄道の起点である若桜駅から歩いてすぐの
ところにあります。
寺通りとして、宿場町である若桜の町おこしで周辺を散策される人もいます。

中庭には綺麗なお庭もあるので、庭を見ながらのお寺cafeにはとても良い場所
ですね。
これからそんなことも考えて行かれるのでしょうか、楽しみです。

明日は、宿坊に鳥取因幡組の坊守さんや仏教婦人会の方々がお見えになりま
す。
その準備をしていますが、明日は良い天気になればいいですね、遠くからも
来られる方がいらっしゃいます。




歌は心に響く・・・今日は鳥取で「やなせななさん」のコンサートでした。

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今日は鳥取市にあるセレモニーホールで、やなせななさんのコンサートがありま
した。
朝10時からとコンサートにしては早い時間でしたが、知人の方をお誘いして会場
に出かけました。

今日は1時間と少し時間、じっくりとやなせさんの歌声を堪能いたしました。

今から3年半前、2010年11月の光澤寺にやなせさんをお招きしてコンサートを
開催したことがあります。
そのときはまだ大震災の前でした。

あれから3年半を経て今日のコンサート、その時と今日ではイメージが違うなって
感じました。

その間にたくさんのことがあった、やなせさんは復興支援に力を入れられていた。
1ヶ月に27回コンサートがあったこともあるそうです、ほぼ毎日です。

いろんな声も聞こえたり、喉の調子を落とされたりしたとも聞きました。
でもその間ずっと人々の心に寄り添い、ずっとうたい続けて来られた。

その思いが今日のイメージになったのかな。

何かふっきれたというか覚悟ができたといった印象を受けました。

様々な思いを経て、そして多くの人に寄り添い、自分とも向き合ってこられたので
しょう。

それが今日の言葉のひとことひとことに込められている。
そしてその歌にも。

同じ歌を聞いていても、以前と今日では曲が全く違った。
もちろんCDとも全然違う。

一つ一つ、一曲一曲、一回一回、積み上げて来られたんだな。

そして多くの人に勇気を与えて来られただろう。
歌ってやっぱり力があるなと改めて感じることができました。

細い身体に力強いパワーを秘めているのだろう。

これからも身体に気をつけて歌い続けて欲しい。
そしてまたいつかその歌を聞いたとき、また今日とは違った印象になるだろう。

そのときが楽しみです。

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最後、知人の方がCDを買いたいと仰られました。
知人お方は車椅子だったこともあり、お願いして最後にしていただきました。

でもそのおかげでちゃっかりと一緒に写真を撮っていただきました。

やなせさん、ありがとうございました。
これからもご活躍お祈りしております。

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「明日あると思う心のあだ桜・・・」、今年の春はそんな感じに。

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「明日あるとおもう心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」

この句は親鸞聖人が九歳の得度のときに詠まれた句とされています。
数えですから満八歳の頃です。

得度の地であるとされる京の青蓮院には幼少の頃の若松丸の像とこの句の碑が
建てられています。
どちらかと言えば、この句を親鸞聖人がお詠みになられたかどうかではなく、その
お心をいただくということなのでしょう。

今年の春はまさにこの句の様な天候になりました。
昨日までは天候に恵まれ、鳥取地方も桜が満開になっていました。
明日からの週末が桜の花見にはちょうど良い頃だったのです。
それが昨晩からの大風と雨で桜の花が一気に散ってしまいました。

昔は天気予報もないですから明日のことなど分からなかったでしょう。
あす花見をしようと思っていたら、夜のうちに嵐になってしまった。
それを人のいのちの無常さに重ね合わせた。

日本人は本当に桜が好きなので、この句を誰かが詠まれた。
そしてこの句を誰に詠んでもらいたいか、もしくは誰のお心として受け止めたいか、
それが親鸞聖人となったのでしょう。

もう一句、桜の句として有名なもの。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

この句は良寛和尚の辞世の句とされています。
もちろんこれも上の句と同じで、作者は誰かは分かっていません。
それを良寛和尚に重ね合わせたいとのお心ですね。

今年の季節も移り変わり、昨晩はまさに親鸞聖人の句をあらわしていた。
でも今日は良寛和尚の句を味わうものになりました。

どちらも仏教の無常観、そして日本人の心を表現しているのでしょうね。

幸せって何だろうか?

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今日は鳥取市内にある大学に出かけてきました。

気温も上がり途中の道沿いは桜が満開に近くなっていた。
大学ももうすぐ入学式、昔に比べると時期が早くなった。

現在の大学は休講と言うことがないそうです。
休講のときには必ず別に振替え講義をしなくてはいけないのだそう。
そんなこともあって入学式を早めたり夏休みを短くしたり。
僕の学生時代と違って、大学も厳しくなってきてるんだろうな。

ところでなぜ大学に行ったかと言うと、最近ブータンに研究旅行をされた先生が
いらっしゃって、そのお話しをお伺いするためと、来週ブータンの方々が宿坊に
泊まられるので、その打合せを兼ねてでした。

先生は「しあわせについて」の研究をされています。
こちらの大学に来られる前から、ブータン研究をされていたそうです。
専門と言う訳ではないでしょうが、日本の農山村のこれからの生活と、ブータン
のGNH(国民総幸福量)という国の指標について検証されているといった感じで
しょうか。
先日までブータンに10日間程度行かれていた。

所得水準は日本と比べようもないが、逆に日々の生活費はとても安い。
そのあたりが国民の幸せの感覚に反映しているのかも知れません。
僕の周りのおばあちゃんに聞くと、昔は良かったという。
お金はなかったけどみんな幸せだったと・・・。

物が豊富になり、そして便利になり、生活も豊かになった気がする。
でもそれで本当に心も幸せになったのでしょうか。
人の幸せって何だろうか。

「やずブータン村構想」をずっと考えている、これは町おこしとはちょっと違います。
そこに住む人、そこに関わる人が幸せになること。
そしてその幸せは決して物質的な幸せではないことを考えている。
NPO化を検討していますが、具体的な活動になかなか結び付かないので、まだ
申請にまではいたっていない。

ただ焦っても仕方ないので、少しづつ実現に向けて進んで行けばいい。
そのうちに見えて来るものがあるだろう。
これからも先生にお話しを聞きながら、自分の目指す幸せの村つくりをして行こう。
日本人が幸せとあまり感じられないのは、歳を取ったときに幸せと感じることがな
いせいかも知れません。

もちろん幸せとは、それぞれの心が決めるものなので、皆が同じ幸せを感じると
いうことはないのですが。

今の僕は、リタイヤ後の方々が暮らしたいと思う村が理想だと考えている。

高齢化や独居化が進む中で、そんな場所があってもいい。
心豊かに暮らせる場所。

さてこれからどうなるかな。

先生からブータンの本をたくさん借りてきました。
これからもっと勉強しなくては。

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自分だけの心の置き場所を見つける・・・宿坊ってそんな場所。

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先日、大学を卒業される思い出に宿坊に来られた方から便りが届いた。

山里の宿坊に来られる方は、その節目に来られる方が多いのです。
新たな自分の旅立ちのときや今の自分を少し前に進めようとするとき
など。

やはり心を落ち着けて、仏さまに包まれながら写経や瞑想をする。
いつもの生活と少し距離を置いてゆっくりと過ごす。
自分だけのとても貴重な時間、そんなときがある。

お寺や宿坊って、日常から非日常へと心を移すことが簡単にできます。

普段は唱えることのないお経も心に響き、凛とした空間で心もスッキリ
します。

その方は新入社員研修を終えられ今日から社会人第一歩となる。
研修ではプレッシャーもあったりだったそうですが、お念仏や瞑想で心
を落ち着かせるそうです。

学生や社会人や主婦の方など、どこか自分だけの心の置き場所があっ
たらいいと思います。
それだけで心がやすまるし、何かあれば行くこともできる。

それって本当はすごい大事なことだと思います。

そんな場所にお寺や宿坊がなってくれればよいと思っています。
何しろ宿坊光澤寺は女性にとってとても優しくて力をくれる場所なのです、
そしてときにはちょっと背中を押してくれたりとか・・・。

もちろん女性に優しい場所は男性にも居心地良い場所でもあります。

どうぞ自分だけの心の置き場所を見つけに来てください。

今日から社会人スタート、頑張ってほしいですね。
何かあったらいつでもお待ちしていますよ。


宿坊光澤寺のHPはこちら!


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