宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2014年05月

ひとりばなしのつづき・・・。

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ブログを書いたりHPに写真を載せたり。

でもよくよく考え見ると自分の写真はほとんど撮ったことがありません。

今回、依頼があったのですが、あらためて見ても私の写ってる写真はありません
でした。

それでは自分の写った写真を撮らねばと、坊守に頼んで写真を撮ってみました。
坊守は面倒くさそうでしたが。

新聞や雑誌の取材のときは、相手もプロなのでやはり上手く撮っておられます。
笑顔を上手く引き出したりとか・・・。

これが素人だとそう簡単には行きません。
これでも何度も撮り直しをしたのです。
笑顔でもないし。

でもキリがないので、この辺でいいかということに。
坊守もいい加減疲れてました。

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とまあこんな具合に、あらためて自分の写真を撮る機会ができました。
何かきっかけがなければ、こんなことはないだろうな。

葬儀のときに、写真が無いと言うことがあるそうですが、それもそうだなと思った
り。
他の人が撮ってくれた物はあるのでしょうが、私の手元になかったり、数人で写
ってたりで。

周りから自分がどんなふうに見えているのかも、これで少しは分ります。

ただ写真の様に、真剣な表情をしていることは少ないかも知れませんね。

たまには自分の写真を撮っておくものだなと感じました。



シンガポールから・・・。

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今日はシンガポールから3人の学生さんが来られた。

これはJICEが行っている国の交流事業の一環で、鳥取県もそれを支援してい
ます。

私たちもできることは協力したいと思い、ホームステイもできる限り受け入れを
しています。
ホームステイの受け入れは今回で2回目となります。

宿坊に来られた外国の方々もこれで7か国目となりました。

来られた順番で、韓国・ニュージーランド・コロンビア・モンゴル・ブータン・アメ
リカ、そしてシンガポールです。
いづれは多国籍の宿坊としたいなとの夢があるので、目標は100か国くらいで
しょうか。

近々スリランカの方も来られる予定があるので、夢は広がります。

そうかと言っても、私が英語ができないので今日もコミュニケーションに苦戦し
ました。

でも生きて行けない訳じゃないし、何とかなると思っています。
英語もそろそろ勉強しなくてはと思っていますが、本当に50の手習いだな・・・。

明日はゆっくりと自然を楽しみながら鳥取県の東部を周る予定です。
シンガポールは大都会なので、田舎の自然の方がいいかなと思っています。

夕食のとき、田んぼでカエルが一斉に鳴いていました。
シンガポールにはカエルがいないそうで、声を聞いたことはないそうです。
カエルだと言ったら、最初は意味が分からなかった様ですが、カエルの鳴き声
だと分かると驚いていました。
シンガポールではコオロギの鳴き声くらいだそうです。

今日の鳥取は暑かったけど、さすがに気にならなかったと言ってた。
シンガポールはいつも夏だそうです。

そういえば年末年始に来られたコロンビアの学生さんは、いつも春だと言ってた。
世界も所変わればですね。


「現代と親鸞」が送られてきました。

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浄土真宗において教義の大きな流れは、本願寺派と大谷派であるでしょう。
それぞれ大学を持ち、学寮からの流れが連綿と続いている。

昨日「現代と親鸞」が送られてきました。
大谷派の親鸞仏教センターが発行しているもので、本多弘之先生が中心となっ
て編集されています。

私が東京で会社員をしていた頃、マンションから自転車で行ける距離にあったの
で、一度行って見たことがありました。
まだ事務所ができたばかりでした、これから大谷派が首都圏で布教に力を入れ
て行くための拠点といった感じだったでしょうか。

なので、この「現代と親鸞」は創刊号から最新の第28号まで全部そろっています。

なかなか内容的には難しかったり骨のある特集なので、いつも全部読むことはで
来ていませんが、それでも本願寺派だけではなく大谷派の教義の流れも知って
おいた方が良いと思い定期購読しています。

本多先生の講義は東京国際フォーラムで開催されていたと思います。
大谷派の首都圏布教の中心に立っておられる。

様々な点から、本願寺派と大谷派の違いを感じることがあります。
もちろん教義に対するスタンスも違います。

どちらもそれぞれのやり方なのですが、違う立場から見ると自分が良く見えるのと
一緒で、教義も理解が深まると言うことがあります。

そんなことを想いながら、パラパラとめくってみたりしている。

鳥取因幡組定例組会から・・・そこから見えてくる問題点。

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昨日は、鳥取因幡組の定例組会でした。

組内の各寺院住職と総代、そして各教化団体の代表が勢ぞろいする、年一回
の会合です。

会は順調に進み、問題もなく終了しました。
それはそれで一段落、これで昨年度のことは終了し、今年度に取りかかること
ができます。

ただその中で大きな問題が実はあるのです。
それは鳥取因幡組の会計が今年度でほぼ立ち行かなくなるということです。

もちろん公的な組織ですから借入等がある訳ではないのですが、ただ活動して
いる教化団体への助成ができなくなると言うことです。
鳥取因幡組は山陰地区でも活動が盛んな組織ですが、教化団体も助成金がな
くなれば衰退して行かざるを得ないでしょう。

なぜこうなったのか、私なりに考えてみました。

その一番目は、本山の賦課金のシステムによります。
要は旧態然のやり方なので、現状に即したシステムになっていないと言うこと。
しかし変更する予定はないと言うことなので、各組の活動が衰退しても構わな
いと言うことなのでしょう。

二番目は、本山の活動が多岐にわたり過ぎて収拾がつかなくなっているという
ことです。
次から次へと活動や組織が肥大して実体にそぐわなくなっていても、それを整
理すると言うことができていないので、活動組織ばかりが増えて行きます。
結局教化団体ばかり増えて、予算が膨らんできたと言う経緯があります。

三番目は、それぞれの教化団体の活動が形式だけで推移しているということ
でしょう。
具体的な目的や活動を考えるのではなく、やらざるを得ないからやっていると
言った感がしないでもありません。
これからは、ただ予算消化だけの活動では助成は難しくなります。

これらは時代の流れ的にも衰退して行かざるを得ない、諸行無常です。

各教化団体の活動は、できる限り自主運営を前提にしてきました。
でもこれからはそうはいかないでしょう。
難しい舵取りが必要ですが、本当に必要な活動かどうか、組の活動実態に即
しているのか総点検をしてスリム化するしかなさそうです。
そうなると、本当に必要な組織は2~3団体でしょう。
あとは自主運営組織に変更して、何かイベントがあるときのみ助成すると言っ
た流れが良いのではとも考えます。

要は本山から降りてくる推進活動を精査して、取り組む必要が無ければあえて
参加する必要はないと言うことだと思います。

そろそろ本山も、スリム化の徹底と活動の精査をして行く時期だと思うのですが。


お寺で、手打ちうどんとレコードコンサート!

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今は田舎は田植えでいそがしい。

でも田植えが終わったら、お寺でゆっくり楽しもう。

そんな光澤寺ご門徒さん限定企画を準備中です。

住職特製の手打ちうどんと、アナログ盤シングルレコードで聴く昭和の名曲。
もちろん『正信偈』のおつとめと住職の法話もついてます(あれっ?)。

手打ちうどんは、讃岐産小麦粉100%でイリコとカツオの効いた特製出汁。
レコードコンサートは、シングル盤6千枚と真空管アンプとJBL特製スピーカーで
、それも本堂で聴く特別な時間。
40年のときを一気に遡ることができる不思議な時間です。

そんなひとときを光澤寺のご門徒さんと一緒に過ごします。

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今回は光澤寺のご門徒さん限定です。

でもいづれはオープンな集まりにしたいと思っています。

でもこの企画、光澤寺の毎年の名物企画にして行きたいですね。

田植え後の身体をお寺でゆっくりと休める、それも楽しみになりますように。



光澤寺のHPはこちら!

鳥取因幡組定例組会の準備です!

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今月の28日は、浄土真宗鳥取因幡組の定例組会(総会)が開催されます。

各寺院住職と総代、そして各教化団体が一堂に集まる年一回の会合です。
今日はその最終打ち合わせと資料準備で、鳥取市内のお寺さんに出かけました。

無事に会が終わるように、結構念入りに準備致します。

ご門徒さんも、連続研修や仏教婦人会などを始めとして、活動が盛んな組です
から、その活動を停滞させないようにしなくてはなりません。

今回の私の役割は、全体の議事進行と会計報告と研修報告になります。
重要な役割であるので、皆さんに分かりやすく説明をできるように心がけたいで
すね。

会の後は、出席者の方々と懇親会も用意しています。
なかなか全員で集まって懇親を深める機会は少ないので、こちらも貴重な時間
となります。

私のお寺は、活動が全く盛んではありません、その中で副組長として鳥取因幡組
の活動に注力する。
自分のお寺のことを優先した方が良いのでしょうが、やはり宗派の活動に関わっ
て行くことは大切なことだと感じています。
それは自分のお寺だけに関わっていると、周りが見えなくなってしまう。
また、他の寺院のご門徒さんと触れ合う中で、自分のお寺のことを考えることも
できるのです。

そして活動を通して、自らの学ぶ場となることも感じています。
その上でしっかりと自分のお寺を見つめ直す機会となりますし、他のお寺さんの
事がよく分かるのも助かっています。

さあ、明後日の会に向けて、気持ちを引き締めて行こう!



言葉におきかえられないもの・・・

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言葉におきかえられないもの、それは、お念仏だと思います。

阿弥陀如来の存在は、「不可称・不可思議・不可説」と言われる。
つまり、言葉にあらわすことも、心に思うことも、その存在をこうだと
説明することもできないと言うことです。

そうだな・・・、なんでも見えるものや理解できるものしか信じず、そし
て説明責任が求められる現代社会。
本当に大切なものが見えなくなっているのかな。

たとえばお葬儀にお参りに行く。
大切な方を亡くされていたなら、その悲しみは量り知れない。

そこでは、どんなに言葉を尽しても、言葉はその方の心には届かな
いことがあります。

周りからの励ましの声も、それが逆に心につらいこともある。
立ちあがることもできないときに、言葉は重荷になったりします。

そんなとき、心に届くものは何か。

それは、お念仏であったり、お経であったりします。
それだけが、その方の心を癒すのだ。

そのとき心に響くものがある、それは阿弥陀如来のはたらきである
のでしょう。

それは言葉ではとても言い表せないのです。
でも、そのときに感じられる思いがあるのです。

そのとき心に聞こえて来るものがある。

それが聴聞と言うことではないか。

僧侶の有り難い話しを聞くことが、決して聴聞ではないと思います。
そんなことは決して心に響くわけではない。

心に響くのは、その方の心が阿弥陀如来のはたらきと一つになる
ときなのだとおもう。

誰でも、いつかそんなときがあるのではないだろうか。

それは僧侶の力でも何でもない、僧侶の言葉からそれを感じること
があったなら、それはただそこに南無阿弥陀仏がはたらいているの
だということでしょう。

阿弥陀如来の存在を受けとめ、そのはたらきである南無阿弥陀仏
を感じるとき。
それが聴聞であると思うのです。

それは決して言葉ではないのです。

そして、それを感じたとき、そこに信じると言う心が生まれる。

そこにこそ救いがあるのだ。

ただ教義の中で、信心と言う言葉に振り回されてはいけない。
思考が先にたつと信心は遠くなります。

これは禅についても言えますね。
禅も思考からはいると、すでにそれは只管打坐ではありません。

思考を超えたものが、大乗仏教のさとりの竟地なのですから。

でも今の日本の宗派仏教は、その大乗のさとりをすべて思考で
解決しようとしているような気がします。
そうすると、宗祖の教えから遠くなるように思うのです。

感覚を大切にすることも必要かも知れません。
もちろんその感覚は教義のうえでのことになります。


光澤寺のHPはこちら!

自分のお寺以外のお寺に行ってみよう!

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観光寺院は別として、檀家のある寺院には行くことはあるでしょうか。
自分の菩提寺であるお寺以外には、あまり行く機会が少ないと思うのです。

でも行けるなら、いろんなお寺に行ってみたい方は意外と多いのではないかと
思います。

私のお寺では、宗派関係なく来られる方々はどなたでもお受けしています。
それは宿坊を始めたからです。
宿坊であれば宗派や檀家は関係なく、予約さえすればどなたでも来られます。
そして希望により仏教体験もできるし、昼食でイタリアン精進料理をご提供して
います。
宿坊と言うことで、誰でも行きやすい環境になっていると思う。

今日も、鳥取市内の方々が公民館活動の一環として来られました。
写経を体験され、お昼はイタリアン精進料理で、ゆっくりとお時間を過ごされて
いました。
皆さんが真剣に写経をされていたお姿が印象に残っています。

日帰り仏教体験で希望の多い順は、先ずは何といっても写経です。
次いで多いのは、お話しです。
「やずブータン村」などの町おこしがテーマだったり、仏教のお話しだったり法話
だったりします。

その次は瞑想で、次いで読経でしょうか。

本当に気軽においでいただけたらありがたい。

他のお寺に行ってみると、自分のお寺とは違った雰囲気を味わえ、お話しも
聴けます。
そして仏教のこともより広く知ることができます。

日本は宗派仏教で、それぞれの教義が大切ですが、それでは檀家さんは今ま
で教えでその宗派を選択してきたのでしょうか。
そうではなく、ただ家や先祖の宗教というだけで、特に教義に惹かれてという
事では無いと思います。
お寺を変わると言うことではなく、いろんなお寺を見ることで、自分のお寺の為
にもなるということです。
たまにはお寺さんに提案をしてみることも、良いかも知れません。
お寺さんも実は同じことを考えていても、なかなか言えないってこともあるかも
しれませんから。

お寺や僧侶は周りから見ていると皆同じように見えますが、実際はそれぞれが
まったく違います。
なのでいろんな寺院に行き、いろんな僧侶に会ってみるのも面白いです。
新しい発見があるかも知れません。

いつかはお墓と同じように、お寺や僧侶も自分のお気に入りを見つける時代が
来るかも知れませんね。
人ですから相性もあるでしょうし、スタイルにも好き嫌いがあるでしょう。

宿坊光澤寺では、日帰り仏教体験で体験とイタリアン精進料理を提供していま
す。
思いがけないことでしたが、昨年から意外にも好評いただいています。
これはTVを見た方から要望があってたまたま始めたことですが、口コミで広が
りました。

宿坊には県外の方が泊まりに来られるが、近くの方は来られないだろうなと思
っていたのです。
でも、次から次へと伝えていただいているようです、ときには新聞の声欄に投書
していただいたり、これも思いがけない効果でした。

お寺が変われば、たくさんの方に来ていただける様になる、と言うことを実感し
ています。

これからも、いろんな企画をして、いろんな方においでいただける様に準備を
しています。

たまにはこんなお寺があってもいいかなって感じ。

やっぱりこれからは、お寺が面白いですよ。


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グリーンツーリズム鳥取がブレークしそうな予感!

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宿坊光澤寺は、グリーンツーリズム鳥取に加盟している。

グリーンツーリズムとは、村おこしの様なものでしょうか。
自然や農業体験を通じて、その村を活性化させる。
特産品や農家民泊など、田舎と農家を元気にして、村おこしをする。
そんなイメージでしょうか。

ではなんで宿坊がグリーンツーリズムなの?
ってこともあるでしょうが、宿坊も自然を大切にし、近くの農家の方
が作った旬の野菜を使って料理をする。
癒しに通じるし、「やずブータン村」で村おこしもやっています。

なので宿坊は村の新しいコミュニティー作りにも関わっているのです。

実際に宿坊には、心と身体を休めに来られる方々が多いのです。
これぞグリーンツーリズムって感じでもありますよ。

グリーンツーリズムは九州の大分がその発祥で、全国にその展開を
しています。
鳥取県の東部地域は、一部進んだ村もありますが、全体的にはあま
り活発ではない地域でした。

昨日はその総会があったので、松江市でのビハーラ山陰の総会を
途中で退席し、夕方4時からの総会と懇親会に参加しました。

今回の総会で感じたことは、今までとは違う空気感です。
鳥取県東部に様々な魅力的なコンテンツが数多く育っていると言う
ことです。
もしかすると鳥取県東部はブレーク寸前と言った感まであります。

たとえば「砂丘でヨガ」を展開していたり、ハングライダーをやってたり、
氷ノ山ではトレッキングの動きがあったりで、総合的な自然体験ゾー
ンが出来上がっている。
これって、どこか有力なコンテンツがあってと言うより、一つ一つが点
として活動していたものが、知らない内に魅力的なコンテンツとなって
それが線となり、そしてアメーバ的にくっついてきはじめた。
最初からこうしようと思っていないところがいい、この展開が一番地域
の活性化につながるのだと思います。
どこかが強いと、そこの流れに乗るしかなくて、それぞれの持ち味が
消されてしまいます。

「やずブータン村」もその中に入って、これからは横の連携が進んで行
きそうです。

もしかすると、一気にニューツーリズムのトップに鳥取県東部が行くか
も知れませんよ。

今回の総会ではそんな予感がしました。


宿坊光澤寺のHPはこちら!



ビハーラ山陰の総会に行く。

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                      (西本願寺第21期ビハーラ研修にて)

ビハーラとは、元々キリスト教のホスピスに対して仏教であてはまる
言葉を探して、その活動やイメージをビハーラと名づけられています。

現在、西本願寺では、このビハーラ活動を積極的に推進している。
毎年、西本願寺の介護施設であるビハーラ本願寺を中心に研修も
行っています。
そして全国でビハーラ活動の展開がなされている。

ただビハーラと言う概念がよく分からなかったり、介護施設訪問活動
がビハーラ活動だと認識されていたりで、その活動や考え方は様々
ですから、なかなか全国で統一した動きになっていないと言った面も
感じられます。
またお寺や僧侶が、あまり活動に関わっていないということもあります。

でもお寺本来の活動がビハーラであると言っても過言ではないのです。
「いのちに寄り添うこと」がビハーラの原点でしょう。
ただそこには仏教的な視点が必要だと思います、なぜなら活動だけを
見るとき、一般の方で同じような活動をしているグループはとても多い
からです。

無理やり教えに結び付ける必要はない、でもそのマインドは仏教的な
マインドが必要なのだと思います。
そこにビハーラの意味があるでしょう。

宿坊で年二回開催している「ガン患者の集い」もビハーラ活動です。
また宿坊に来られる方々といろんなお話しをすることも、ビハーラにな
ると思います。

枠にはまることなく活動することが大切ですね、でもだからこそまとまる
ことが難しいのでしょう。

ビハーラ山陰の総会でもそんなことを感じた。
具体的な活動と言えば公開講座の講演会くらいで、あとはそれぞれと
言った感じです。
一部を除きほとんどのブロックで、活動はなされていない。

実は私も研修は受けたものの、活動は個人的にやって行けばいいか
なとも思っていました。

今回、たまたま話しの展開で、鳥取ブロックの理事を務めることになっ
た。
何も活動しなくても良い、でも何か始めてもいい。
鳥取ブロックではまだ具体的な活動はしていないのです。

さてこれからどうするか。
一人では何もできないし、そして予算も一切ない。

先ずはビハーラ研修を修了された方々のお話しを聞いてみましょう。
もしかすると、何か始まるかも知れないから。

「またいつか、おいでください」

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今日は五月雨の少し肌寒い日となりました。

お昼の時間に女性3人のグループが宿坊においでになられた。

先日からスピーカーが置いてあるので、やなせななさんのCDを掛けて、音楽を
聴いていただいた。
そのあとは、ブータンの写真や癒し地蔵をご覧になられていました。

やはりここは、ゆっくりと時間が流れて行く場所です。

皆さんもゆっくりとして行かれた。

少し体験について質問があったので、つい長い話しになってしまいました。
でも何となく話が弾み、興味を持っていただけたかも知れません。
でもそれは私自身の思い込みかも知れない。

とても落ち着かれた方々でしたが、宿坊を気に行っていただけたかな。
そんなことを思いながら、お見送りした。

宿泊の方や日帰り体験の方、いつもお見送りするときはそう思っているのです。

自分ではできる限りのことをしたと思っていても、それぞれの思いがあるでしょう。
それをその都度確認はできないのです。

一回一回、やはり一期一会の出会いなので、そのとき精一杯対応させていただく
しかないな。

どなたが帰られるときでも、お見送りのときは、心の中で「またいつか、おいで下
さい」と伝えています。

そしてそのときは、今とはまた違う宿坊を感じていただける様に。
やっぱりアップデートしないと・・・。


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中学生からの手紙・・・そこから未来へとつながる。

先日、地元の中学生が地域学習の一環としてお寺にやって来た。

地元で活動している人を訪ねて、その内容を聞くと言うこと。
それを自分たちでまとめて、発表するのだそうです。

現在は、小学生から大学生まで、地域の活動に熱心に取り組もうと
されています。

そして、そのとき来られた皆さんから御礼の手紙が届いた。
丁寧に書かれていて、先生の指導があったのだと感じましたが、それ
でもそれぞれの思いを書いてくれたのかなと感じます。

私が話したのは、「やずブータン村」の活動のこと、宿坊光澤寺のこと、
そしてお寺がこれから地域に果たす役割のことなどでした。

それぞれの思いを受けとめてくれていたのかな、と手紙を読んでそう
思ったのです。

たとえそれが御礼としての言葉であったとしても、それを書くと言う気
持ちがあったのは間違いないし、それを書くことで自分の心に残る。

少しでもそんな気持ちを持ってくれていたのなら、うれしいですね。

自分たちの町のことを知って、その町のために自分たちに何ができ
るかを考える。

中学生のときからそう感じることができたなら、これからの八頭町も
少しづつ変わって行くだろう。

みんなの幸せを考えること、そこからつながる未来がある。



アメリカの方に仏教体験を・・・。

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昨日までの、「ガン患者の集い」と「レコードコンサート」が終わり、今日は予定の
ない一日でした。

資料確認や書類作成等の所用をこなしながらも、ゆっくりしていると知人からの
メッセージが入りました。
「これからアメリカの方をお二人、そちらにお連れしてよいですか」と言った内容。

午後は空いていたので、快く了承しました。

3時過ぎに宿坊に来られた。
クリスさんとサビーナさんのお二人です。

たまにはカタコトの英語で話すのも面白い感覚でした。
お茶を飲みながらお二人のお話しを聞いていました。

せっかくなので本堂にご案内したが、外国の方はお寺そして本堂にとても興味
を持たれます。
そして聖なる空間なので、とても喜ばれることが多いですね。

昨日のレコードコンサートで使ったスピーカーが置いてあるので、数曲かけてみ
ました。
本堂で聴く音楽、特別仕様のJBLのスピーカーも相まって、とても驚いていた。
まるでそこで演奏しているような雰囲気だったようです。

本堂の扉を開け放って空気の流れを入れる。
その空間と空気の流れを感じて、とても気持ちよさそうでした。

音楽を掛け直して、瞑想をおすすめした。
お二人とも興味津々、ゆっくりと瞑想用の曲が流れる。
それは身体に心地よい感覚を呼び覚ます。

最初は仏教のお話しを少し。
お釈迦様の教えであり、仏教の基本的な立ち位置である「縁起」をカタコトの英語
を使ってお話しする。
サビーナさんは理解されていて頷いておられた、それをクリスに伝える。
そうするとクリスも頷く。

瞑想は英語で、Insight meditationという。
ボストン・ニューヨーク・カリフォルニアではとても人気が高い。
逆に日本よりアメリカの方が進んでいたりします。
でもここの本堂での瞑想はまた格別です。
本当に入りやすい環境なのです。

瞑想も解説をしながら、ゆっくりと入って行く。
瞑想をするときは、仏教の基本的な概念を知ってから行った方がいい。

今日は音楽を聞きながら静かに瞑想する。
呼吸を説明して瞑想に入る。

サビーナはすぐに瞑想に入られた。
おそらく瞑想をした経験があるのでしょう。
ゆったりと座っておられる、そしてそこを空気が流て行く。

スピーカーから流れてくる音楽も瞑想にぴったりです。

そのあと、『阿弥陀経』を私がお唱えした。

最後にコーヒーを飲みながらの雑談。

とても楽しい時間を過ごすことができました。

お二人もとても楽しそうでした。

お見送りしながら、またいつかお会いしましょうと声を掛ける。

また、いつかどこかで・・・。

縁起における無常と関係性、今日した仏教お話しです。


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脳の錯覚・・・成功体験の難しさから仏教を見る。

人の心を迷わせるもの、それは成功体験かも知れません。

成功体験は人の心に棲みついてしまう。
そうするとそれがあたかも本来の自分だと錯覚してしまうのです。

でもそれは自分が作りだしているもの。
そしてそれが本来の自分だと思い込ませる。

脳は錯覚を起こし続ける様にできている。
それが人の生きるエネルギー源の様に思わせているのです。

そこでは負の要素を見せないように見せないように、錯覚を起こし続ける
ようプログラムされている。

仏教はそれを知るということになります。
その原理を知り、ありのままに見て行く作業をします。

本当はそこに何もないことに気づくと言う作業です。

浄土系で言えば「念仏」であったり、曹洞禅であれば「只管打坐」、臨済禅
なら「公案」、上座部であれば「瞑想」などがその作業になるのでしょうか。

浄土真宗では、そこに絶対他力という到達点があります。
ただし大乗仏教の場合、そこは直接ダイレクトにつながる部分。
修行は要求されません、たとえば坐禅も修行ではないのです。

それが大乗系と上座部系ではそのアプローチ方法と到達に対する概念
の違いになってきますが、目指してるものは同じです。

アプローチは別として、もとめるところをしっかりと見て行けるかどうか、そ
れが大切なことになります。

でも分かっていてもなかなかできません。

自分と言うものを捨て去ることは難しい。

自分と言う主体があると思っているので、その枠から出ることができない
のです。

仏教では、諸行無常、諸法無我を説きます。

でもその教えを説いている僧侶自身がその枠から出ることができないの
ですから。

もう一つは、日本(世界)の社会システムが、そこから出ることを許さないと
いったこともあるのかも知れません。

本当に難しいことです。
でもそう言う世界があるという価値観を心に持っておくことが大切なのかも
知れません。

無常観であったり、無我ということを。

それを知っていると、少なくとも何かあったときに、心を落ち着かせること
になるでしょう。

自分がダメだと思ったときに、心を支えてくれるものです。

元々何もないと思えば、それは苦にはならないからです。

あると思っていた物が崩れ去るから苦になる。

手に入れたいと思っていた物が手に入らないから苦になるのです。

そんなとき心を転換させるはたらきが必要なのです。

仏教では「諦」ということになる。
「諦」とはあきらめです、あきらめるということの本当の意味は、真実を知
るということ。

つまり諸行無常、諸法無我ということに気づくと言うことです。

失敗体験は人を成長させることができる、でも成功体験は人を勘違い
させるものかも知れませんね。

でも分かってはいるが、人は成功体験に酔っていたいものです。
それが幸せだったり、快楽だったり感じる様に、脳が一生懸命に錯覚を
起こさせているからです。

今回ニュースで報道されていたことから・・・、難しいですね。

人の心は弱いので、耐えられなくなると何かに頼ってしまう。
たとえばそれが薬だったりするのです。

これは、ありのままに見るのではなく、錯覚を麻痺させてしまうもの。
つまり現実逃避。

つらいですね・・・。






優しさと温かさと強さと・・・お寺でレコードコンサートの不思議な感覚。

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今日はお寺でレコードコンサートを開催した。

特別仕様のJBLのスピーカー、真空管アンプ、ラックスのプレーヤー。
アナログにこだわり、そしてシングル盤EPレコードにこだわったコンサート。

すべての機材の設置から調整まで職人の技とこだわりが入っている。

CDが発売されたのは1982年、それまでのレコードから市場は一気に変わった。
つまりアナログレコードは1982年までしかないのです。
でも50代以上の方は、すべてアナログレコードで青春時代を過ごしてきた。

ただ懐かしさだけではない、置き忘れていた記憶、遠く輝いていた思い出が一瞬
にして心に甦るのだ。

なんとEPシングルレコードの在庫は6千枚。
40年間JAZZだけを聞き続けてきた人だ、それが一気に変わったのだそうです。
数千枚のCDやLPレコードはすべて処分したそうです。
それほどこだわっている。

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今回はレコードのジャケットをスクリーンに映し出した。
その写真を見ながら、一気に30年から50年間、時間を駆け上る。

スピーカーから流れる音は、古さを全く感じさせない。
と言うよりも、現在ではこんな高音質で綺麗な音楽を聴くことはまったくない。
音はCDよりもアナログレコードの方が圧倒的に良い、そして音の幅と奥行き
が全然比べ物にならないのだ。
その音は、心に波動として伝わってくる。

もちろん歌や演奏も古さを全く感じさせない音が出る。
心に一気に何かが溢れだすと言った感覚、優しさと温かさと力強さが一つに
なったもの。

それが本堂の空間に響き流れる。
本堂で聴く音は、ゆっくりと流れて行くのだそうだ。
天井が高く、区間が広い、そしてそこを音が流れる。
こんな音響空間は、今までで初めてだそうです。

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一曲一曲、ジャケットを見ながら解説を入れて行きます。
この解説がまた面白く、豊富な知識とオヤジギャグとペーソスと・・・。
なぜか引き込まれて行く、さらには曲の紹介の後、スクリーンのジャケットの画像
を変えるのをいつも忘れて行く。

あっと、みんながそこでも微笑む。

曲の歌詞をゆっくり味わう。
昔聴いたときとは全然違って聴こえる。
それは驚くくらい。

えっ、こんな詩だったの。
若い頃は何となくバカにして聞かなかった曲でも、今聴くとすごい内容だったりす
るのだ。
涙があふれ出すくらい。

今日来られた方は、青春時代に心が戻っていたでしょう。
そして時間をゆっくり過ごす。
音楽はゆっくりと流れて行く。

本当に特別なときを過ごすことができました。

10月にもレコードコンサートを開催します。
そのときはまた今日とは違う選曲です。

ちなみに今日は、天地真理・野口五郎・大塚博堂・荒井由美・サイモン&ガーファ
ンクル・喜太郎・ゴダイゴ・谷村新司・ビートルズ・永井龍雲・ローリングストーンズ・
因幡晃・井上陽水・コスモス・ニニ=ロッソ・カーペンターズなど二十曲とアンコール
二曲を掛けました。

多くの方にご案内していないので、10名~20名の方々のゆっくりしたコンサート。
企画の方々によると、あまり多くない方が良いそうです。

これからも誰かが倒れるまで続けて行くことになるでしょう。
いつか機会があればおいで下さい。

そのときには、あなたの時間が一気戻りますよ、本当に不思議な感覚です。

やずブータン村の名物企画になりそうです。

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第二回ガン患者の集いin宿坊光澤寺

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5月17日~18日、宿坊光澤寺で「第二回ガン患者の集い」を開催しました。

コーディネーターは、大阪北野病院の薬剤師であり僧侶でもある、宮本直治さん
です。
二回目は少人数での開催となりましたが、参加者の方々はたくさん思いを話すこ
とができたようです。

5月の宿坊、周りは自然と田植えの準備が進む山里です。
心もゆっくりと、そして時もゆったりと過ぎる。

そのなかで、いのちを見つめ、そして自らを振り返る。
そんなときが持てたらいい。

ガンの支援の会は全国にたくさんあると思います。
でもときどきはゆっくりと自分のことを語りたいときもあるのではと思います。

そんな思いから、この企画はスタートしています。

私たち宿坊側は、参加された方々をさりげなくもてなしたい。
そう考えている。

またお寺でもあるので、お勤めや体験など、希望があればそちらの対応も致し
ます。

そしてもしできることがあれば、皆さんにもご提供できたらと考えている。

今回は、アナログレコードのシングル盤のコンサートも開催しました。
そして、近くに工房を構えておられる仏師の矢山彫刻さんを訪ねた。

全ての方がいつかそのいのちを終えるときがくる。
でも、そのときまで、そのいのちを生き切る。

そんな思いのとき、少しだけでもゆっくり話しがしたい。
そのとき訪ねてみたいと思っていただける様に、準備をしています。

ガン患者の集いは、まだまだ知られた存在ではありません。
参加者は少なくても、これからも継続して開催して行くことを宮本さんと話しあ
っています。

次回は秋、10月18日~19日を予定しています。
そのときには、またレコードコンサートも企画しています。

機会がありましたら、どうぞ参加ください。

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               前日の貸切レコードコンサートinガン患者の集い


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宿坊に少しづつ手を入れて行く楽しみ

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                             (今回白く塗った天井です)

宿坊を始めてから丸2年が経ちました。

宿坊を始める前、私が住職を継職したのが3年前ですが、その頃から
お寺の庫裡に少しづつ手を入れています。

ですから3年前と比べると庫裡の中はほとんど他の家のようです。
でも大がかりな改装は二階だけで、一階は大がかりには手を加えて
いません。

ただ少しづつ少しづつ手を加えています。
電灯を変えたり壁を塗ってもらったり、気に入った椅子があれば買って
きておいたり。
家は少しづつ手を入れることで、だんだんと自分の感覚に合ってきます。

その少しづつが実は楽しみだったりするのです。
お金をかけて大がかりに改修すれば早い、でもじっくりと少しづつ、その
ときの状況に応じてやって行くのも長く楽しめます。
もしかすると死ぬまでやり続けているかも知れませんね。

趣味が家のことだと、趣味で使うお金が家のことに使えるのです。
たとえばゴルフに行けばお金がかかりますが、家の改修が趣味なら、そ
れが材料費になるのです。

古い家の良さはそんなところにもあります。
テレビでビフォー・アフターって番組がありましたが、あそこまで一気にや
ると一瞬楽しみはありますが、長くは楽しめません。
もう改修するところが無くなるからです。

部分部分を少しづつやって行くのがいいと今は感じています。

今年もどこを変えて行こうかな、3年と言うときを経ると、また自分自身
の感覚も違ってくるのです。
なので急がない事を大切にしています。

今回リビング兼食堂の天井を白く塗っていただいた。
今までは古い天井材でシミがたくさんついていました、そこを白く塗って
もらうだけでかなり明るくなりました。

そして次は玄関を変えて行く予定。
今の玄関とは全く違うカタチになります。
玄関の扉は赤をイメージしています、これからどんなふうになるかが楽し
みです。

お金はかけられないので、イメージと手作業で勝負することになる。
それもまた楽しみだったりするのです。
逆にお金をかけない方がゆっくりと長く楽しめますね。

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                                   (塗ってる途中)






瞑想について思うこと

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                         (瞑想の入門にお奨めの本です)

宿坊では仏教体験として瞑想を取り入れています。

お釈迦様のスタイルでもある瞑想を仏教体験に取り入れることに、
私はあまり抵抗はありません。

浄土真宗では修行や体験を求めないので、逆に否定している様に
も感じられますが、そこにこだわり過ぎるのもどうかと感じています。

本来、宗派の教義はあるにしても、それは、悟りを得るための道で
あるはずです。
普段の日常生活において、心を休めたり、身体を解き放つことは
現代社会においてとても重要なことです。
何も、瞑想によって悟りを得ようとすることではないのですから。

あくまでも心のトレーニングであったり、心と身体を解き放つためで
あったりします。
ある面ではヨガと共通する部分も多いのです、特に呼吸法などは
ヨガに通じます。
仏教的思考と呼吸によって、ヨガは瞑想によって深まると言うことは、
宿坊に来られた方の実感として、よく話題になります。

最近お寺でもヨガ教室をよくやっています、浄土真宗のお寺さんでも
盛んですね。
ではヨガはよくて瞑想はダメと言うことはないでしょうね。
お寺もこれからは文化の発信地として重要な役割があるのですから。
どちらも心と身体のエクササイズです。

たとえば仕事や対人関係で疲れていたとします。
そのとき瞑想を気軽にできる場所があれば、現代人は助かります。
それが伝統仏教の寺院であれば、なおさら安心感が増します。
瞑想やヨガ教室はたくさんあって、どこが良いかわからないし、とき
にはあまりよろしくないところもあるかも知れません。
伝統仏教のお寺であれば、それは安心感が全然違います。
変な勧誘など心配する必要がまったくありません。

たとえば念仏は、その概念が実は非常に難しく、一見入りやすそうで
難しかったりします。
この感覚が浄土真宗の僧侶の方に分かるかどうかは微妙ですが。
念仏だけ称えれば、の念仏だけと言う感覚は非常に難しい竟地でも
あるのです。
これは、念仏を思考から入ると、その念仏の本質を感じないままに、
思考してしまうからです。
禅でも同じことが言えます、禅の本質を見ないで、カタチや思考優先
だと、一向に禅に近づくことはできないでしょう、ただ禅のカタチに見
えるだけ。
要は枠から出られない、人間の脳の仕組みはそうなっていますから。
「論語読みの論語知らず」、仏教では「月指の譬え」。
月指の譬えとは、お釈迦様は月を見なさいと言われているのに、月
ではなくその月の方向を示す指ばかり見つめているということ。
月が見えていなくて指ばかり見つめてばかりだと、本質が見えていな
いのに議論していると言うことになります。
ただそこに入っている人は自分がそうだと認識していないので、余計
にややこしくなってしまいます。
禅も念仏も、思考ではなく感覚が大切だと思っています。
その先にある思考であれば良いのですが。
禅の公案は、その点では本来思考を棄てさせる役割があると思う。
でもその思考に捉われがちですが。

まったく馴染みのない方が、いきなり念仏の世界に入って行くのは難
しいでしょう。
子どものころから聞かされてたなら、思考ではなく感覚が身について
います。
現代で浄土真宗の家に生れないで、浄土真宗を信仰される方がどの
くらいいらっしゃるでしょうか。
そして禅宗の檀家さんで、どのくらいの方がちゃんと禅をされている
でしょうか。

それよりももっと楽に仏教に出会いたい方は、現代にはとても多いと
感じます。

疲れた現代人、それには瞑想はとてもいい。
必要以上にカタチにとらわれないところもまた楽でいいのです。
読経や写経、そして瞑想には共通点がたくさんあります。
それらが重なり合うと、心がとても落ち着きます。

イベントなどよりも、お寺で瞑想って仏教の本来的な意義もあります。
瞑想はうまくつきあえば、心の置き場所にもなります。

浄土真宗的に言えば、瞑想の先にあるものを感じるのに、絶対他力
の感覚はとても役に立ちます。
逆に他の宗派、とくに禅系ではその竟地にいたるのは、実は困難で
あったりするのです。
浄土真宗には絶対他力の概念があるので、非常に入りやすいのも
瞑想の特長だったりします。

せっかくお釈迦様が用意して下さっているものを、使わない手はあり
ません。
ただそれぞれの宗派の教義や概念をしっかりと持ったうえで、瞑想を
しなければ、お寺自体が本末転倒になってしまうこともあります。
ですから、やればいいってものでは決してありません。
その線引きができない限りは、絶対にやってはいけないとさえ思いま
す。

そこのところは重要なポイントですので、十分に注意が必要です。

仏教にはたくさんの魅力があります。
それを宗派が違うからと言って知らないままであれば、それはとても
もったいないことでもあります。

ときにはお釈迦様を訪ねて、様々なことを学ぶこともこれからの日本
仏教は求められて行くと思います。
なぜなら今の日本仏教は世界の仏教から大きく後れを取っているの
ですから。

そのことにも僧侶は気づかなければなりません。
今や仏教先進国はアメリカだったり東南アジアだったりします。
様々な宗教の混じり合う中で、その存在感を際立たせているのです。

また僧侶で世界に通じるのは、チベット仏教のダライ=ラマ氏であります。
日本仏教も負けてはいられません、その悟りの世界はやはり大乗仏教
の大きな魅力でもあるのですから。

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こちらは、仏教的知識がなければ少し難しいですが、瞑想と禅の感覚の違
いを知ることには非常に分かりやすい本です。
最近は日本の仏教書もやっとここまで来たかと言った感もあります。

その点、この本は私は自分自身の瞑想をトレースするのに役立ちました。
日本とアメリカとミャンマーの仏教を、それぞれ知るにも最適な本であると思
います。
すべての面でと言うことはありませんが(僧侶であればその部分を分かるか
が重要なのですが)、久々に興味深く読みました。

でも僧侶で、ここに書いてあることを理解するのは微妙に難しい。
でも分からなければ人にも話せません。
既成概念の枠に入っていたなら、理解できない事ばかりだと思います。
でも本当は、違う角度から見ると自分の宗派の教義理解にはとても役立つ
のだけれど。

あなたは本当に禅の本質を理解していますか、それを試すには格好の本か
も知れませんね。

でも実は、浄土真宗の方にも十分に面白い本だったりします。


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やずブータン村「しあわせについて語ろう」、パネリストの4名の方が決定!

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                       (小林先生とブータン王国の方々)

平成26年9月27日(土)の午後、「第二回やずブータン村まつりin光澤寺」の
メインのイベントの開催が決定いたしました。

テーマは「しあわせについて語ろう」で、4名のパネリストの方々に「しあわせ」
について語っていただきます。
参加者の方々も巻き込んで、一緒に「しあわせについて」考えて行きたいと思
います。

そして、パネルディスカッションのあとは、宿坊光澤寺でパネリストの方々を囲
んで、座学を開催したいと思います。
楽しくて有意義な会になると思います、また豪華な4名のパネリストの方々の
面白いお話しがたくさん聞けると思いますので、ぜひ多くの方々の参加をお待
ちいたしております。

【パネリストのご紹介】
①小林愼太郎氏
  現在、鳥取環境大学の副学長をお努めで、元京都大学大学院地球環境学
  堂長でもおありです。
  ブータン王国の研究もされており、「しあわせの指標」についても様々なお話
  しをお聞かせ願えると思います。

②二神恭一氏
  現在、荒川区自治総合研究所所長
  荒川区は「区民を幸せにする」、をテーマに「幸せリーグ」を主宰しています。
  全国の自治体への展開で多くの自治体が参加しています。
  これからは市町村が真剣に住民の幸せを考えて行かなくてはいけない時代
  になっています。
  先進的な住民モデルとして、貴重なご意見をお伺いできると思います。
  鳥取県でもどこかの自治体に、ぜひ参加して欲しいものですね。

③松本紹圭氏
  東京大学文学部哲学科を卒業して僧侶となられた方で、その仏教における、
  先進的な取り組みは、日本仏教界におけるニューリーダー的存在となって
  おられます。
  いち早く「彼岸寺」という超宗派のnet寺院活動を展開され、全国で「未来の
  住職塾」を展開し、僧侶のニューリーダー育成活動をされ、「一般社団法人
  お寺の未来」の代表もされています。
  2013年には、世界経済フォーラム(ダボス会議)が、「ヤング・グローバル・
  リーダース2013」で、世界の100名に選出しています。
  僧侶として、そして世界のニュー・リーダーとしてその体験からのお話しが聞
  けると思います。

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                                  (松本紹圭氏)

④関健作氏
  ブータン写真家
  順天堂大学を卒業後、ブータン王国に海外青年協力隊として派遣、体育教
  師を通してブータンの幸せを見つめて来られています。
  現在はプロの写真家としての活動や、ブータンとの交流を通して様々な講
  演活動をされており、ブータン・ビレッジ構想も手がけられています。
  昨年の「やずブータン村まつり」では、写真パネル展での写真をお借りさせ
  ていただきました。
  若い目で見たブータン王国について、いろんなお話しが聞けると思います。

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                           (関健作氏 facebookより)
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以上の4名の豪華な顔ぶれで、みんなでしあわせについて語り、しあわせにつ
いて考える会としたいと思います。
パネルディスカッションのコーディネイトは、私が務めさせていただきます。

スケジュールはまだ確定はしていませんが、下記の内容で進めて行きたいと考
えております。

9月27日(土)
①午後2時~午後4時・・・パネルディスカッション(途中30分休憩)
②午後4時~午後4時30分・・・みんなで語る場
③午後5時~午後7時・・・座学(食べて飲んで語る場)

尚、①と②は参加費は無料、③の座学は参加費3千円(飲食代込)を予定。
③の座学は定員20名程度を予定していますので、予約制になると思います。

今回のパネリストの方々は、お一人お一人とても素晴らしい方々にご出席して
いただけることになりました。
「やずブータン村」を運営して行く私としても、参加を快諾していただいたパネリ
ストの方々に深く感謝しております。

住民参加型のイベントとして、有意義で楽しい会にして行きたいと思っています。

当日は、駐車場も多数準備する予定ですが、沿線を走る「若桜鉄道」の活性化
に協力すべく、若桜鉄道に乗ってのご来場も大歓迎です。

会場となる光澤寺&宿坊光澤寺は、若桜鉄道丹比駅から徒歩10分です。

【郡家駅方面から】
鳥取駅発 12:21(郡家駅乗換)
郡家駅発 12:37
丹比駅着 13:01

【若桜駅方面から】
若桜駅発 13:18
丹比駅着 13:26


この件に関してのお問い合わせは下記からどうぞ。
やずブータン村&宿坊光澤寺のHPはこちら!








日帰りプチ仏教体験でイタリアン精進料理をいただく。

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昨晩から強風が吹いている。

そんな平日の宿坊、今日は女性お二人が、日帰りプチ仏教体験に来られました。

できるだけゆっくり過ごしていただける様、ペースはお客様にお任せしています。
時間などこちらから押し付けることはまったくしていません。

お昼の食事の時間を先に決めていただくと、あとは要望に応じて時間を組みます。

体験は、写経・瞑想・おつとめ(読経と作法)・法話・仏教講座・絵手紙などから自
由に選んでいただいています。
ただお話しするだけでも良いし、食事だけであとは自由にお過ごしいただくことも
できます。

お食事は、現在は季節のイタリアン精進料理をお出ししています。
地元の採れたて野菜やキノコを使っているので、身体にもいいですね。

今日の方は、こられてからゆっくりとお話しをして、それから瞑想をご希望でした。
本堂でゆっくりと瞑想の姿勢や呼吸をゆっくりと整えて行きます。

30分程度でしたが、とても落ち着かれていたのが印象的です。

瞑想はやはり最初はゆっくりと指導を受けながらやると、スムーズに入って行ける。
現在ではアメリカでとても人気が高くなっています。
アメリカでは瞑想のことを、インサイト・メディテーションと呼ぶそうである。

気づきの瞑想(サティ)と慈悲の瞑想(サマタ)をベースにしています。

このプチ仏教体験は、元々はお客様の要望によって始まったものです。
宿泊の方に体験はしていましたが、実は日帰りで体験されたいという方の問合せ
がありました。
やはりお寺や仏教に親しんでいただきたいとの思いで、気軽にお受けしたのです。
それからは毎週多くの方々が訪れていただいています。

イタリアン精進料理ということもありますが、皆さんが体験もして行かれます。

お寺や仏教って人気があるんだなと感じます。
ただそれがお寺側と皆さんとではマッチングしていないと言う面も多々あったので
しょう。
ほとんどの方が他宗派で、もちろん私のお寺の檀家(門徒)さんでない方々です。
今では檀家さんより、それ以外の方々の方がお寺に来られる人数は圧倒的に多く
なりました。

これって、これからのお寺にとっては実はとっても重要なことなのです。

体験料は食事やコーヒー和菓子も含めて、お一人1,500円とさせていただいて
おります。
これは一人でも多くの方々に体験していただきたいからです。
お寺なので、利益のことは考えていません。
お寺も社会への接点と還元が重要な時代なのだと感じています。

心は、日本の仏教を大切にする、ただそれだけの思いです。


宿坊光澤寺のHPはこちら!


阿弥陀の願い・・・四十八願を聞く1.

弥陀の本願といわれる。

本来は阿弥陀の本願であるが、ときとして弥陀と呼ばれる。
もちろんこの本願は、浄土真宗を浄土真宗たらしめるもの、この本願
からすべてが始まるのです。

本願は、四十八願で構成されています。
それは、阿弥陀如来の修行時代、まだその名前を法蔵菩薩といって
いたときに立てられる。

なぜ四十八願なのか。
それはすべての人々を必ず救うという誓いを適えるためでしょう。
この願は、『仏説無量寿経』で語られます。
でも元々は四十八願でなかったのです。
時代や翻訳によって違う、徐々にその願が増えて行ったのです。

浄土真宗では、私たちに修行を求めない。
では何が必要かというと「聞く」ということ。

何を「聞く」のか。

というと、それは「仏願の生起本末」となります。

なぜその願が起こされる必要があったのか、そしてその結果どうなった
のか。

本願とか、本願力とか、本願のはたらき、とかいろいろたとえられます。

でもその内容については、意外と知られていない方も多いのではないか。

そんなわけで、これからその本願である四十八願を、少し学んでみたい
と思います。


「しあわせについて語ろう!」・・・今年の「やずブータン村」企画

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                       (写真は鳥取環境大学)

今年の「やずブータン村」の企画はどうしようか。

一昨年は「やずブータン村設立決起大会」
内容は、婚活と町おこし講演会でした。
メインゲストは、宿坊研究会の堀内克彦氏。

昨年は「第一回やずブータン村まつり」
内容は「たそがれコンサート」&ブータン写真展とブータン料理を食べる。
コンサートはデューク・エイセスの大須賀ひできさんと玉木孝二さん。

今年で3年目に入るので、ちょっと企画を検討しています。

そこで・・・、ブータンは幸せの国です。
そこにはGNH(国民総幸福)という国の指標があります。

では「しあわせ」って何でしょうか?

これからの日本、少子高齢化が一段と加速します。
2040年には1800ある自治体の約半数が消滅危機に陥るという発表も
ありました。

そんな中で、「やずブータン村」でしあわせについて語ろう!
と言う企画を現在進めています。

一人一人の幸せの感じ方は違います、それを無理に一緒にする必要は
ない。
でもみんなが幸せと思えることを共有することはできるのでは、とも思い
ます。

今回は、パネルディスカッション方式で、パネリストの方々にしあわせに
ついて語っていただこうと思っています。
もちろん参加者の方々とも一緒に考え、一緒に語り合う場です。

ぜひ皆さんも、「やずブータン村」に来て、一緒にしあわせについて語り
あいませんか。
パネルディスカッションのあとは、宿坊光澤寺でパネリストの皆さんと、
参加者の皆さんとで、ゆっくり座学も準備致します。

ブータン料理と八頭の地元料理でおもてなしします。
こちらの座学は参加費が必要ですが、パネリストの皆さんと話せる機会
をお作り致します。
座学の定員は16名限定となりますので、要予約となります。

宿泊も、相部屋になりますが若干ご用意する予定です。

パネリストの皆さんは4名を候補に、現在調整中。
その顔ぶれには皆さんもちょっとビックリされるかも知れません。

当日は駐車場を60台分くらいは用意する予定、たくさんの方に来てい
ただける様に準備致します。

どうぞお楽しみに!


やずブータン村はこちら!



お寺のある日の朝・・・お寺の空気の流れを感じて。

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GW明けの平日の朝。

今日は朝から穏やかな日となりました。
お泊りの方と朝のお勤め、『正信偈』を唱えました。
最初に一通り、節と音程の上げ下げをご説明し、一緒に唱えます。

今朝は、地元の中学生がお寺に来られます。
地元学習で、普段の活動とかどんなことを考えているかなど、いろんな質問が
あって、それに私の考えをお話しして行きます。

続いて、これも地元の保育所の園児さんたちが先生に連れられてお寺にやっ
て来られました。
最近は、散歩コースにお寺を組み込んでいただいているようです。
境内や本堂で遊んでいる様子を見ると、とても心が和みます。

お寺に来ていただけるのは本当に有り難いことです。

小学生も学習会の会場としてお寺を使っていただいたりしています。

みんなに来ていただきやすい様に、お寺の雰囲気作りをしたいと思っています。
特に、子どもたちが入りやすい、そして安心できるお寺の空気を作って行く。
そうすると、人の流れができてきます。

お寺って、雰囲気によってどちらにも感じられる。

楽しかったり落ち着いたりする場所、もしくは暗くて怖い場所。

だから誰にでも扉を開き、気軽に入って来られる空気の流れを作るのです。

そうすると、どんどんお寺には新しい空気が入ってきます。

新しい空気の流れができると、誰もがそこで安らげるのでしょう。





休息を取り心を安らげる場所を

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私がいつも考えていること。

それはビジネスマンやOL、たとえば医療関係や学校関係。
そこにいらっしゃる方々が休息を取り、心を安らげる場所を創りたいと言
うことです。

心が疲れたとき、たとえば休暇を取ったとき、少しの間そこに行けば心が
休まる様な場所。

そしていつでも何かあればそこに行けると言う安心感。
そんなところがあればいいと思う。

私も会社員をしていたが、そんな場所があれば行っていただろう。

1日~1ヶ月間くらいゆっくりと過ごせる場所。
海外のリゾートや南の島も良いけれど、あまりにも環境が違い過ぎると、
それは身体のリフレッシュにはなるけど、心の安らぎにはならない。

国内にあって、大都市からでも無理しなくても行ける場所。
普通の自然と普通の田舎って感じが丁度いいくらい。

そこでは仏教を中心として、様々な体験ができる。
そしてそれほどは費用がかからないこと。

そこには全国から様々な人がやって来る。
そして僧侶も学びと指導にやって来る。

そんな仏教センターがあればいいと思っています。

そしてそこでは、いろんな人と話しができる。
共通したものを感じられる人もいるでしょう、人と話すことで心も安らぐ。
そしてそこではすべてを受けとめてくれるような場所であって欲しい。

宿坊を始めたのは、いつかそんな場所を創りたいと思ったから。

お寺に国宝や歴史はそれほど必要はない、ただそこが本当に安らげる
場所であったらいい。
そして心を調えて、そしてまた日常へと戻って行ける場所。

過疎地の町を活性化することもできます。

安らぎの場所ですから。

そんな夢をずっと見続けている。






休日は家族で仏教体験・・・宿坊で過ごす楽しみ。

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GWの休日。

ご家族で宿坊にお越しになられた。
二泊三日、宿坊でゆっくりされ、そして仏教体験も。

宿坊光澤寺の特長は、一日一組でお迎えさせていただくと言うこと。
他の人のことを気にすることもなく、思い思いの休日を過ごすことができるという
ことです。
ご家族だと、ずっと一緒に過ごすことができます。
日頃は忙しかったりで、なかなか家族が同じ場所で一緒の時間をすごすことは
難しいかも知れません。

あちこち行くと余計に疲れたり費用もかかったりします。
でも宿坊なら、ゆっくりしながらも非日常の空間を満喫できます。
なぜならそこはお寺だから、そして実家に帰ったような、親戚の家に言った様な、
友人のところに遊びに行ったような感覚、すべてが合わさり、そしてどれでもない。

時間の過ごし方も思いのまま。
仏教体験も自由に、写経や瞑想に仏教講座、絵手紙を書いたり、お経を唱えた
りと、お子さんに仏教の基本をお伝えすることができます。
と言いながらも、お父さんやお母さんも、十分に楽しまるし仏教も学べます。

いろんな体験をしながらも、宿泊料金以外はかかりません。
つまり一旦宿坊に来られたら、帰るまで宿泊料金以外は必要ないってことです。
いろんな所を周ったりすると、予想外に出費がかさむことがあります。

料理も選べるし、好き嫌いもお伺いしています。

こんなに濃い家族の休日はなかなか味わえません。

心と身体を休め、旬の食材の料理を食べ、本を読んだり話しをしたり、そして
近くを散策したり。
田舎の自然にも浸れます。

たまにはご家族で宿坊に出かけてみてはいかがでしょう。

こんな家族の休日の過ごし方もあります。

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宿坊光澤寺のHPはこちら!


その先にあるもの

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現在お寺の活動が盛んです。

お寺と言うよりも、僧侶と言った方が良いかも知れません。
確かにお寺が会場となっていますが、それをプロデュースしているのは、
若い世代の僧侶たちです。

僧侶でも、20代~30代と、それ以上ではかなり考え方が違うのでしょう。
40代以上であれば、どちらかと言えば前の世代の価値観を引きずって
いる様に感じられます。
それが30代より若い世代は、新しい価値観を持って動こうとしている様
に感じるのです。

ただイベントだとか様々な手立てでアプローチしているが、もう一つ大切
なことは、仏教の本質にどこまで迫れるかと言うことだと思います。

魅力的な僧侶が増えて、お寺にたくさんの方が訪れる様になったのは、
それは素晴らしい。

ただ外見だけでなく本当に仏教の魅力を伝えられるかどうか。
それがこれからの活動の意味になって来るかも知れません。

なぜ仏教が必要なのか。
なぜお寺が必要なのか。

これがやはり最大のテーマだと思います。

幸いにも若い方たちの行動の影響もあって、若い人たちも仏教に関心
が高くなった。

そして、その先に何があるのか。

今は誰もその先のことはあまり気にしてい無いかも知れない。
でも実は、その先には何かがあるのでは、と思っているのかも知れない。
そのときに引き込めるだけのものが用意されているかどうか。

結局、ただ葬儀や法要だけだったなら、外部だけ変わって中身は何も
変わっていないと言うことになります。

実は最近、仏教を求めておられる方が多いと感じます。
従来のお寺の活動ではなく、仏教って何なんだろうということ。
そこに何かがあると期待されているのです。
そこに宗派はあまり関係ないなということもあります。

でも僧侶の発言を聞いていると、僧侶側は相変わらずだったりします。
僧侶って従来の価値観や観念から離れることはできないのでしょう。
そこに社会との大きなギャップがあることに気づかない。

葬儀や法事がある限り問題ないと思っている。
お寺の活動もまだ人が来てくれる。
お寺はお寺のことだけやっていればいい、檀家さんがいるのだから。

でももう流れは起きています。
そしてそれは徐々に大きくなっている。
それは僧侶側と言うよりも、社会の方の動きの方が中心です。

檀家制度は檀家制度でいい、ただ自分は違う道を行くだけのこと。

では、お寺を変えて行くにはどうすればいいのか。
それには何も日本のお寺全体を動かし、変えて行く必要はない。

ただ自分が変わり、そしてお寺を変えて行けばよいだけです。
求めている人たちは真剣にその場所を探しておられるのです。

であれば自分のお寺が、その方々が求めるお寺になっていればいい。
それだけですね。
宗派全体を変えるとか、全国のお寺を変えるとか、そんな大それた事
は全く必要ないのです。

ただ自分が変わればいいだけ。
それでどなたも訪ねて来られないなら、それはまだ自分自身の力不足
なだけでしょう。

私もまだまだ先を見て行かなくてはと考えています。
まだスタートしたばかりだから。

その先を私自身も求めています。

最近自分の中でも、また少し変化が出てきました。

もっともっと先に進まなくてはいけない。

先に進むには基本ができていないと進めない。

それは同時進行。

仏教と宗派の教えを見つめることがなくては、ただの空回りになる。
しっかりと見つめた上で、その先にあるものを見つけるのだ。

そう自分に言い聞かせる。

お釈迦様の八万四千の教えと、阿弥陀様の四十八願。

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お釈迦様は35歳のとき悟りを開かれてブッダとなられた。
それから80歳で入滅されるまでの45年間は伝道の日々である。

その教えは「八万四千の法門」とも言われる。
生涯でそれだけの教えを説かれたという、それはなぜか。

それはお釈迦様の伝道スタイルからいただくのなら、一人一人と向き合われた結果
であるのだ。
人は一人一人悩みや悲しみが違う、そして心も違えば環境も違うのだ。
それに同じ教えを説いても通じない、ものごとの真理を直接説いても伝わらなけれ
ば、その方の救いにならないのです。

だから一人一人、対機説法と言われる伝え方をされている。
そして、そのとき真理に導きいれるための手段を方便と言うのです。

お釈迦様が出会い、そして教えを説かれたのが八万四千の方々であったなら。
それだけ多くの悩みや苦しみや悲しみが人々の元にあるということでしょう。
お釈迦様はそのことを自らの実践のなかで、そして自ら教えを説かれる。
それはブッダであるから。

人の悲しみや迷いは深く限りない。

それは阿弥陀如来の誕生にも深く関わる。
阿弥陀如来となる前の姿である法蔵菩薩、そのときの修行の姿はお釈迦様をイメ
ージしているのです。
多くの人々の苦脳に出会い、それをすべて救いたいと願う。
でもあまりにその深さゆえに、そして一人一人が違うために、そのすべてを救いとる
ための願いとは、どんな願いを立てればよいのか。

そこから法蔵菩薩の五劫という思惟が始まるのです。
とてつもなく長い時間、それだけ多くの苦悩が、人々の苦しみがあるということです。
それに一つ一つ向き合う、そして願いを決めて行かれるのです。

そしてその願いは四十八願となって成就され、阿弥陀如来となられる。

お釈迦様の願いは阿弥陀如来の願いとなって、今私たちに「南無阿弥陀仏」となっ
て届けられ、そしていまもその救いは継続されています。
だから「南無阿弥陀仏」は、はたらきと言われているし、動詞でもあると言われるの
です、そう今も私の元ではたらき続けているのです。







導き



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今日お参りしていたときのことです。

お参りしたあとで、住職さん実は・・・。
とある女性の方がお話しに来られました。

その方は、法事をお勤めした故人の娘さんでした。

実はお経を唱えていたときのことです。
「私の前にお母さんがやって来ました、そして私の前をずっと回っていました」
驚いて隣の方にその話しをすると、「まだ迎えは早いは」と言われたそうです。

ご年配の方ですが、今までそんなことはまったくなかったそうです。
突然のことでとても驚かれたと仰られていました。

「これってどんなことなのでしょう」

私は聞きました、「お母さんはどんな感じだったのですか」

すると、「母はよう参ってくださった、ありがとうと喜んでいました」と言われる。

「そうですか、それは良かったですね」

「仏さまは早く来いって迎えに来られた訳ではありませんよ、あなたを見守っている
ということを伝えられたかったのですね」

「仏様は迷うことはありませんよ、霊じゃありませんから」とお伝えした。

そうするとその方はとても喜んでおられました。

仏さまは見守り導く存在です、いつもいつもあなたを。

今日お唱えした『阿弥陀経』の和讃にこうあります。

「南無阿弥陀仏をとなふれば 十方無量の諸仏は 百重千十囲繞して よろこ
び守りたまふなり」

南無阿弥陀仏のあるところには、たくさんの仏さまがいらっしゃっている。
そして私たちを取り囲んで、喜んでいらっしゃるのです。

その方の心がそう感じられたと言うことなのだと思います。
実は私がお経を唱えるとき、その様なことがよくあります。

別にそれを感じたからとか、感じないとかを言っている訳ではありません。
ただお経は波動となってその方の心に通じるのです。
その派動が心に共振するタイミングがあるのだと思います。

お経を唱えるとき、私は常に集中する。
三奉請を唱えるとき、心から仏様を敬いお迎えします。
そしてその法事の意味を心に感じながら、真剣にお経を唱える。
私のいのちがあるなかで、お唱えする最後のお経であると、その都度そう思っ
て唱える。

そのことを常に心がけている、でなければ法事やご命日のときにお経を唱える
意味がないからです。

そしてお経とはすごい力を持っていると感じます。

お経は短い方がいいとか、退屈だと思われる方もいらっしゃるでしょう。
だからこそ、心からお唱えするのです。
そのときどんなご縁が生まれるかも知れません。

私には霊感はありません、でもお経を唱えていると、仏様の存在を感じることは
しょっちゅうあります。

お経を唱えている私のところに降り注いでくると言った感覚でしょうか。

だからそんなこともあると思っています。


心を解き放つもの

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今朝早く、お勤めに出かけた。

お墓のあったところの作業をされるので、お経をいただきたいとの申し出
があった。

古いお墓の場所には、それなりの空気の流れを感じることがあります。
だから、その場の思いを受けとめたいと思う。

そして一気にその思いを解き放つ。

そんな思いで読経をする。

するとやはり、その場の空気が軽くなるのです。

参列された方々の心も安心されるでしょう。

皆がそこに思いを寄せる。

そして一緒に思いを解き放つ。

そんなことをときどき感じます、今日はまさにそんな感覚がありました。

私が唱えることに功徳がある訳ではありません。

皆が思いを同じくして、そこにある思いを受けとめて、そして共に慶ぶ。

そんな思いが大切なのだと思います。

永代供養墓とか墓所とか納骨堂が現在数多く造られている。

でもそこには思いが大切なのだと思います。

思いがなければ逆効果にさえなってしまう。

その思いをともに受けとめる。

それが慶びとなる。

そんな場所に誰もが行きたいと思える様な場所。

ただ供養しただけではだめなのだと思います。
安置するだけではないのです、その思いを解き放てる場所でなければ。

いのちの場でもあるのですから。

四国八十八カ所と宿坊巡りの旅

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連休の途中、宿坊に男性が来られました。

車で来られたので、どちらからですかとお聞きすると、なんと関東からでした。
休みを利用して四国八十八カ所の高知県を周って、帰りに宿坊光澤寺に寄られた
そうです。

「すごい長距離ですね、車だと大変だと思うのですが」、とはそれは私の思いです。

彼は、車の運転は好きなので全く苦にならないと仰られた。

そうだ!
好きなことだったら苦にならないのです。

僧侶って仕事(?)も好きならお参りしても苦にならないが、もし嫌いだったらこれほ
ど嫌な仕事もないかも知れないな。

彼は宿坊にもたくさん泊まられているので、いろんなお話しをお伺いすることができ
ました。
共通の方を知っていたので、そちらでも話しが盛り上がる。
さすが落ち着いてらっしゃいます。

実は私は、他の宿坊に泊まったことがない。
宿坊を始める前に、宿坊雑誌を買って読んでみましたが、どこも歴史と格式のある
宿坊が多くて、私のお寺とは全然イメージが違います。
私が始める宿坊はこんな感じじゃないな、なら他の宿坊に行くのは当面やめとこうと
思ったのです。
先入観を入れずに自分独自の色を出した方がいいから。
そしてあくまでも、誰でも心を休めることができ、体験も自由にできるところにしたい
と考えた。

3年くらい経って、自分なりのイメージができたら、他の宿坊にも行ってみたいと思っ
ています。

食事をしながらゆっくりと話しをして、露天風呂にお入りいただく。
旅の疲れを落として欲しい。

次の日は朝のお勤め、これも日常にはない空気と空間です。
雨上がり、心がすっきりとする朝でした。
ご自宅は他宗派とのことでしたが、せっかくなので浄土真宗の『正信偈』を一緒に
お唱えしていただきました。
いろんなお経を唱えたり聞けたりするのも宿坊の楽しみの一つです。

そして仏教のお話しをさせていただいた。
世界の仏教と日本の仏教の比較、日本の宗派のこと、いろいろ話していたらとっく
にお昼を過ぎていた。
今日は京都の宿坊にお泊りになられるそうです。

その方曰く、「宿坊に泊まったら、やはりもうビジネスホテルには泊まれませんね」。

それはそうだな、僕もそう思います。
何といっても開放感が違うし非日常の空間に身を置けます。
そして希望すれば夕方と朝のお勤めにも参加できるし、体験もできる。
話しだってできるので一人にはなりません。

まあこれはどこの宿坊でもってことではないですが、少なくとも宿坊光澤寺ではそう。
宿坊はそれぞれに個性がると思うので、その違いも面白いでしょう。

またいつかご縁があればお会いできるでしょう、そのときの楽しみも宿坊にはある。

宿坊をやっている楽しみは、出会いがあるということですね。

「お客さんと話しをされるのも大変じゃないですか?」と聞かれた。
「いえいえ全然、なぜかというとそれが楽しみだから何時間でも平気です」と答えた。
もちろん静かにされたい方には、そっとして必要な時だけお声掛けをします。

やっぱり好きなことって大変じゃないんですよね。

お帰りに写真を撮りました、「ブログとかHPに載せることがあってもいいですか?」
と写真をお撮りした方にはお伺いします。
写真をお撮りしない方がいいかなと感じたら、写真は撮らないようにしている。
お撮りするときは必ずお伺いするようにしています、写真って個人によって全然感じ
方がちがいますから。

「いいですよ!」と言っていただけると、機会を見てブログやHPに載させていただい
たりしています。
「どんどん載せて下さい」て方も結構いらっしゃいます。
まあ照れくさいってこともあったりするでしょうし。
でも、もちろん個人的な内容は書きませんよ。


宿坊光澤寺のHPはこちら!





学生が見た宿坊光澤寺修行体験記をどうぞ。

2014042800062143c[1]
     (この写真は浅川研究室のブログからお借りしました)

鳥取環境大学の学生さんたちが見た宿坊光澤寺。

先日、宿坊光澤寺に来られた浅川研究室の皆さん。
そのときの様子を研究室ブログにアップされています。
学生さんたちの見た宿坊光澤寺をぜひ一度ご覧ください。

浅川研究室ブログはコチラからどうぞ!

鳥取環境大学は宿坊から車で20分程度、一番近くにある大学です。
寺社建築などを研究しておられ、近くは鳥取にある摩尼寺や倉吉の
長谷寺などの建築を調査されたり、遠くはブータンのチベット仏教寺院
までその研究の足を延ばされている。

環境と言ってもその範囲は広い。
様々な分野で今や環境に関わらない分野はない、そこに環境マインド
を持った学生を送り出すと言う使命も大学にはあるのでしょう。

たとえば八頭と言う地域、自然が残る山間地域であるが、環境を考え
た自然との共生を目指した町創りをして行けば、何年後かには美しい
自然の郷となるでしょう、何もしなければただ衰退して行く過疎地にな
るだけだ。
建築も含めた環境デザインをやって行くのもこれから期待される分野で
しょう。
そこに環境マインドを持った環境デザイナーがいれば、町は生き返る。

そんなことも思ったりしています。

宿坊に来られて、今は無住寺院になっている摩尼寺の庫裡の復興も
検討されるそうです。

何かお役に立てることがあれば、何でもどうぞ。



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