宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2014年06月

三回忌のご縁・・・お経を受けとめる

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今日は三回忌の法要でした。

朝、先ずお墓に皆さんとお参りし、「讃仏偈」と「重誓偈」をお唱えする。
そしてご自宅に戻り、「無量寿経」「阿弥陀経」「正信偈」を唱える。

頼りにしていた息子さんを亡くされている、なかなかその心は癒されること
はない。

いつものことではあるが、読経は心を込めて一心に唱える。
仏さまからの思いを受けとめさせていただく、大切な言葉であるのだから。

ご両親もいつも一緒にお唱えされている。
法話を終え、御文章を読み、最後に「しんらんさま」を皆で歌います。
この「しんらんさま」のとき、涙が出てくるとご主人が話されていた。

今日の法話は、この三回忌のご縁についての話しをしました。
癒えることのないこの悲しみを、どう受けとめさせていただくのか。
言葉だけで通じるものではないが、一回一回の法要を終えて行くことで、
心に通じるものが少しでもあればいいと思う。

今日、お経を唱えるとき。
リズムが良い人の読経について行くときは、とても唱えやすいものだ。

もちろん私が読経するのであるが、今日は仏様が私をリードしてくれて
いると感じたのです。
だから私が唱えていても、もう私ではないなと感じていた。

あくまでも仏さまからの導きであったのだ。
そしてそのお経を受けとめる。

お参りのみなさんにも、その思いはきっと通じたはずだ。
そのお話をすると、皆さんも頷いておられた。

ご主人も久しぶりにお酒を少しだけ飲まれた。
「うまいなあ!」と呟かれていた。

心がそう思えないと、いくら飲んでも味がしないものだ。

少しだけ、三回お注ぎした。
「三回忌ですから・・・」と、僕が言う。

少しづつ、少しづつ、生きる意味を感じて行くのだと思った。


光澤寺のHPはこちら!

子どもたちの笑顔・・・今日は小学生の体験でした。

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大学生の体験もありますが、今日は小学生のお寺体験でした。

これは地元の社会福祉協議会主催の、子ども体験塾の「ふなぱち優愛塾」です。

今回は光澤寺での体験学習、仏様のお話しや瞑想体験、そして宿坊の見学を
しました。

もちろん難しいお話しはできませんが、みんなお寺に行ったことがあるって子が
意外と多かったですね。
座禅体験をしたことがあるっていう子も多かったです。
みんなお寺が身近なのかも知れません。

大学生の方とは違った感覚、お寺では小学生の体験もときどきあるのですが、
やはり、そのときそのとき真剣に対応しなくてはと、汗だくになるな。

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こうして子どものときに、お寺に縁があるって良いなと思う。

今日は最初に、「みんなは今しあわせですか?」って聞いてみた。

それぞれの反応が面白かったのと、少しづつ話しをしてるうちに、ほとんどの子
が、しあわせだって手を挙げた。

ブータンの子どもたちの話しもした後、みんなで願いをしました。

「わたしが、しあわせでありますように」
「みんなも、しあわせでありますように」

この二つを、心から願ってもらいました。

みんなに思いは通じたのかな。

楽しい時間を一緒に過ごしました。

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宿坊光澤寺のホームページをリニューアル中!

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ここ数日、宿坊光澤寺のホームページを一所懸命リニューアルしています。

最初に作ってからメンテナンスはしていたが、継ぎ足しになっていたりしていた
のと、内容もちょっと分りづらいかなと感じる様になっていた。

でもイザ、なおそうと思うと記事や写真を全部入れ替えないといけないので、結
構大変な作業になります。
元々、あまり得意な方ではない上に、写真などの管理もバラバラなので、こんな
とき困ってしまうのだ。
もっと整理上手にならないといけないなと思うのだが、今さらできないかと開き
直ったりといったところでもある。

最初に思ってたよりも作業が大変で、中々終了しません。
現在もまだ作業中ですが、なんとかレイアウトができたので、あとは内容と写真
を選択して入れ込む。
でもこの写真選びが一苦労ですね。

でも宿坊においでいただく方は、このホームページから探して来られる方がほと
んどです。
ですから体験を希望される方が多い、なので分かりやすく、そして気軽に行って
みようと思えるようなページがいい。
もちろん本格的な方にも十分対応できなくてはいけないとも思っています。

お寺のホームページは楽しいものは少ないです。
それは、基本的にお寺は檀家さんにアピールすることが中心だから、なのでホー
ムページを持っているお寺自体がとても少ないのだ。
おそらく1割もないのではと思います。
確かに通常の法務中心であれば、あってもあまり意味がないし、お寺に関係が
深い方はインターネットを使う世代ではないから、なおさらですね。
寺報で十分、というより寺報をだしていることでさえ大変なのです。

私の場合は、田舎のお寺で宿坊を始めると言うキッカケがあった。
そして、やずブータン村の発信もして行こうと考えた、それがお寺の魅力につな
がって行けばいいと考えている。

あまり手を広げ過ぎてもいけないが、関連性があってどれもが重要で、相乗効果
があるものなら、手間はかかるがいつかそれが一体になるときが来ると思ってい
ます。

ではやっぱり、ホームページのリニューアル頑張らなくてはいけませんね。

皆さまもぜひ一度ご覧ください。


宿坊光澤寺のホームページ
検索は、宿坊光澤寺なら一発で出てきます。
予約は直接、宿坊光澤寺にお願いいたします ⇒ 電話かメールにて(HPから)
http://www.koutakuji.com/index.html



今はもう人生を語ろう・・・レコードコンサートでの出会い。

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今日は光澤寺本堂で、ご門徒さん向けのレコードコンサートを開催した。

本堂では先日に続いて2回目のレコードコンサートです。
これは「ミュージック・フレンド45」というお二人がボランティアで開催されている
のですが、とても味わいがあっていい。

お一人が曲の紹介と解説をされ、もう一人がシングル盤レコードを1枚1枚掛け
変えて行かれます。
45回転のEPレコード、今はとても懐かしい曲が次々にかかって行きます。

システムも、プレーヤーに真空管アンプ、そしてJBLのスピーカー。
その音は波動となって心に響いてきます。

でもこのレコードコンサートで一番のポイントは、何と言っても田中さんの解説。
曲を掛ける前にいろんなエピソードや曲にまつわる話しをされます。
それが何とも言えない味わいがあって、それを聞くのが僕の一番の楽しみにな
りました。

田中さんは、お話しの中でご自身が7年前に、7時間意識不明の状態になった
と語られていた。
そのときから、今まで40年間聞き続けてこられたJAZZをもう聞けなくなったと
いうことです。
たくさん持っておられたLPレコードやCDをすべて処分され、それ以降はシング
ル盤レコードのみを集めておられるそうだ、すでに6000枚まで集められている。

その中で、そのときの雰囲気に合った曲を選んで掛けるのです。
光澤寺での一番最初の曲はゴダイゴの「ガンダーラ」です。
「誰もみな行きたがるが、遙かな世界、その国はガンダーラ、心にあるユートピ
ア」・・・と続いて行きます。

田中節の最初は、「もしみなさんより先に私が往ったなら、ガンダーラでお待ちし
ています、そこで待ち合わせましょう」と言う言葉から始まる。

いつもこう感じる、「私の法話よりも仏さんに近いなあ・・・」。
ご自身の体験を交えての話し、僕の様に何となく生きてきた人間では出せない
と思うのだ。

田中さんは、いつもそれをさりげなく人生を語る。
人生って重々しく語るのじゃなくて、さりげなく語るのがいいな。
そう思えてくるのです。

次回のレコードコンサートは7月13日(日)の13:30~、光澤寺本堂で。

ぜひ田中節を聞きにおいで下さい、さりげなく人生を語っておられるでしょう。

ちなみに今日のシステムはこんな感じです。
マニアの方には分りますでしょうか、田中さんのこだわりの逸品ばかりです。

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宿坊では、今年も採れたて夏野菜が・・・。

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宿坊では、今年も夏野菜を作っています。

昨年からお寺の前にある土地を借りて、少しだけ夏野菜を栽培しています。
今年も、トマト・プチトマト・キュウリ・ナスと長唐辛子を植えました。

それと、手打ちうどん様に青ネギも作ってみました。
こちらは見た限りでは、かなり厳しそうな感じですが。

野菜って自分で作ると楽しそうですが、草取りなど世話が結構大変だったりします。
それに夏は、蚊が発生するので、あっという間に数カ所刺される。

僕の場合はほとんど放置系で、昨年は畑が草でいっぱいでしたが、それでも野菜
はできていました。
でもまるで草むらの中に野菜が生ってるって感じ、とても野菜作りをしてるようには
見えなかったでしょうね。
その分、野菜を採りに行くときはやぶ蚊との格闘でした。

それでも完全無農薬で、その場で採れた野菜をすぐに食べることができる。
都会ではまず完全無農薬の野菜は手にすることができないでしょう。
完全無農薬は自分で作るしかないな、実際はどうか誰も分からないから。
オーガニックと言ってもまったく使っていない訳じゃないですし。

それと野菜作りは水も重要ですね、綺麗な水を使うのがいい。
この畑は横を水路が通っているので、すぐに水を汲めるのもいい。

夏はやっぱり野菜のシーズン、宿坊に来られたら採れたて野菜を食べることがで
きます。
でもあまり作っていないので、その日に必ずあるかどうか分からないのすが。

夏に宿坊に来られる楽しみの一つでもあります。

都会から来た小学生は、普段はナス嫌いだそうですが、ここでは好きな肉よりナス
が一番美味しかったと言ってたのを思い出します。

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宿坊の夏準備・・・剪定と草取りと整備に専念する。

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                                                                     (作業終了 6月24日)
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                              (作業前 6月9日)

6月に入って少し時間が取れたので、本格的な夏が来る前のまだ涼しさがある
うちに、境内の整備をしようと重い腰を上げることにした。

木々も鬱蒼とし、境内には草も目立つようになっていました。
宿泊や日帰り体験の方々も来られますので、夏はやはり境内も涼しげがいい。

私のお寺は、木々の剪定も草取りも、すべて住職である私と坊守の二人でやり
ます。
檀家さんにはお声掛けをすることはありません。
今までその様な習慣がないので、申し訳ないということもあります。
それと、やはり境内は自分の思いにして行きたいと言うことも。
苔の処理とか、木々の剪定とかはやはり個人差が出ます、私の場合、思い切り
派なのです。
あと夏場は苔が乾燥して剥がれやすくなっているので、草と一緒に取り除いて
しまうことにもなるので、それに気を遣いながらの作業でもあります。

最初は見栄えが良くなればいいかという程度の思いでしたが、やり始めるともっ
とやろうと思ってしまうのです。
結局空いた時間を使って、2週間がかりでの作業となった。
まだ真夏ほど気温が上がらないのがまだ幸いでしたが、雨も降ったり途中から
は蚊も発生したり。

あと暑い中汗をかきながらやっていると、思いがけず足元がふらつくことがあり
ます。
知らず知らずのうちに熱中症のような状態になっているのかも知れません。
剪定は上をずっと見ながらの作業なので、脚立とかを使っていると結構事故が
多いのです。

最後の方は、蚊もかなり出てきました。
刺されるのは嫌ですね、いつも夏場の草取りは蚊との闘いでもあったりします。
でも今回は、刺されるがままにしていました。
今日の午前中で作業を終了しましたが、すぐに十カ所くらい刺されます。

それを刺されるがままに放置するのです、まるで修練の様でもある。

やっと今日で延べ2週間に渡った作業は終了しました。

この夏、宿坊に来られる皆さんを涼しくお迎えすることができます。


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喪失感について感じたこと・・・。

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最近たまたま同じような話しがあった。
それぞれ男性と女性ですが、内容が何となく似ているなと感じたのです。

それは人生の喪失感によるものなのかと思った。
共通点は、お二人ともとても人柄がよく、誰からも好かれるということ。
そして真面目に仕事をされ出世もし、周りから見たら申し分ないという人だ。

家庭にも恵まれ、仕事も順調、人柄も良く、何不自由なく暮らしている。
そんな方ですから、家族からも愛されていたのは言うまでもないでしょう。

そんな方が、仕事を辞めた途端に沈み込んでしまう。
そしてそれが自らが命を絶つという行為にまで至るということもある。
周りの方は突然のことなので驚いてしまう、そして何があったのか理解でき
ない。

それは何故かなと考えさせられた。
同じような方でも、仕事を辞めてからも普通に楽しく暮らされている人は多い。

それはあまりにも、良い人柄で、その結果、何事も問題なく人生を過ごされた
て来られたからだろうか。
たとえば家族からの愛情、学生時代、受験、大学生活、恋愛と結婚、家庭、
子育て、仕事の充実感と出世など・・・。

人生には様々なことがある、そこで苦しんだり悲しんだり、挫折もするし思う様
に行かないことだらけだ。
でも、あまりにも人生が順調に行きすぎていた、そんなとき子どもが離れて行っ
たり、仕事を辞めたとき、今までの流れが変わってしまうのかも知れない。

あくまでも仕事上での自分は、本当の自分ではないのだ。
私も会社員をしていたが、それは上司や周囲を見ているとよく分かった。
それを見ていたから、定年退職は僕はしたくないと考えていた。
45歳の働き盛りで、周りから不思議がられながら退職し僧侶になったのも、
そんな心がどこかにあったからだと思います。

自分の本来の姿ではない自分に、退職までその姿でいると、あたかもそれが
自分自身であると錯覚してしまうのかも知れません、それがまして出世したな
ら尚更だと思います。

ある日会社や勤務先を辞めたとき、本来の自分であると思っていたものが、
急になくなるのです。
そしてそれをどうしても心が受け入れられないのでしょう。
周囲もまったく気づかない、というか気づきようがない、なぜなら周りは何も全
く変わっていないからだ。

仕事を離れると、今までの自分とは違う生活が待っている。
今まで周囲にいた人たちも、遠ざかって行く様に思えるかも知れない。

そして急に喪失感に襲われる。

周りは何も変わっていない、でも本人はそう感じられないのではないか。

その喪失感は、おそらく何事でも埋められないのかも知れない。
充実し、満足してきた人生だけに、それを埋めると言うことは逆に並大抵のこと
ではない。

これはあくまでも僕の想像でしかない。
人の心は分からない、それは周りからは、そして自分自身でも。

その方々がどの様に感じておられたのか思いを馳せる。

真面目で人柄も良い、と周囲は勝手にその人のイメージを作り上げる。
本人もそれを裏切らないようにする、するとそれがあたかも自分自身だと思い
込んでしまう。
そうすることが当たり前になり、自分の理想像を作り上げる。
そうすると、その理想としている自分とのギャップができたとき、もしくはギャップ
を感じたときに、人の心はすべてを喪失してしまったかのように感じるのではな
いか。

何も変わっていない、周りはそう思い続けている。

でも自分は自分を受け入れられなくなる。

それはとても苦しい事でしょう、周りからは何故って思われるので余計に。

人生は思い通りに行かないものだ。
僕の人生はまさにそうだった、でも世の中にはごく稀だと思うが、自分の描いて
いる理想の通りに進む人がいるのでしょう。

そうだとしたなら、それは要注意かも知れません。

そんな人がいたら、早目に手を打っておくことも必要です。

あるイギリスの人の臨終の際の言葉に、こんなのがあった。
そのイギリスの紳士は、とても信望が厚く、申し分ない人生だった。
周りはさぞ豊かで幸せな人生だっただろうと想像し、ベッドに横たわる
その紳士に尋ねた。

「あなたはとても幸せな人生を歩んで来られた、何か思い残すことはあります
か」、尋ねた人は、おそらく満足だったと答えが返ってくると思っていた。

でもその紳士は、「もっと適当に生きられたら、真面目な人生ではなくもっとい
い加減な人生を送れたら良かったのに、それが心残りだ」。

そう、周りが思っていることと、その人が思っていることは違うのだ。
そして、周りが期待していることの通りに生きてきたとき、その人は自分の人生
を生きてきたと思っていただけに、そのギャップが生まれる。

そんなとき、喪失感に襲われるのかも知れない。

その人の心の声を聞いてみることができたら・・・。

常識の枠だけで捉えることは、絶対に避けなくてはならないと思う。
その常識が、自分で自分を苦しめることになったりする。

周りが作った自分と言う虚像に、自分自身が染まらない様に。

なぜなら人に、もしくは人の心に絶対こうだと言うものなど、本来は存在しない
のです。

そのことを考えるときもあった方がいい。

第二の人生は長い、でもその第二の人生の方が本当の自分の姿なのです。
そのことに早く気づき、その準備をできれば40代から始めておいた方がいい。

そんなことを考えたりしています。

ゆっくりと一人で宿坊に来てみるのも、いいものですよ。

八頭町を往く・・・用呂は静かに時を待つ。

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八頭の見所を僕は個人的に探して行く。

それぞれに興味深く面白い場所を発見して行き、その点と点を結び付け
いづれは自然を楽しむ散策やドライブコースにして行くと言う楽しみがあ
るのです。

今日は、地元にあるNPOの代表の方にご案内いただき、鳥取環境大学
の先生と3人で、八頭町用呂に出かけてきた。

用呂は、宿坊のある若桜鉄道丹比駅と終点の若桜駅のちょうど中間地点
に位置する村です。
国道から八東川を挟んだ場所にあり、ほとんどその村の方以外はあまり
誰も行かないところです。
ですから、八頭町の方々もほとんど今日行くところは知っていないでしょう。

今日の一番の目的は神社です。
村の中にある神社ではなく、山の中腹に今では誰も行かない神社がある
と言う。
それも大きな岩の下の社が建っているというのです。
鳥取県には岩屋堂文化があり、その最たるものが三徳山三仏寺の投入
堂です。

前日からの雨でぬかるんだ小雨降る中、3人で黙々と山道を歩き続ける。
1時間くらい歩いただろうか、鬱蒼とした木々の奥に岩が見えてきた。
そこに岩谷神社があった。
そのいわれはよく分かっていないが、今では村の人もほとんど寄り付かな
いのだそうです。

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そこでお弁当を広げ、ゆっくりと昼食を食べた。
周辺を見て周るが、大きな岩があり足許はおぼつかない。

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近くに大きな岩があり、もしかしてさざれ石かも知れないなと話した。

そのあとは用呂の村中を少し案内していただいた。
名水があったり、清流が村の中を流れていたり、蛍の名所があったり。
そして何より重要文化財の矢部家住宅がある。

立派な茅葺の母屋が現存し、周りの造りも風格があった。
ただ残念なことに、ここは内部拝観を一切していないそうです。
もし内部拝観ができれば、結構人が訪れるだろうなと感じた。

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最後に、近くの採石場跡地を見学に行った。
少し前まで砕石を行っていた場所だが、今はもう跡地の様になっている。
現代の工事現場遺産って感じでしょうか。

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今日行った用呂のそれぞれのスポットは、八頭町内でさえほとんど知られて
いない場所です。
まして外部の方はまったく知らない場所なのです。
ルート的には、宿坊のある若桜鉄道丹比駅から終点の若桜駅の丁度中間
地点にあり、散策ルートとしては3時間コースくらいでしょう。

丹比駅で降りて若桜駅まで散策する。
こんなコースをいくつか作って案内すれば、若桜鉄道も活性化するのではと
考えたりした。


ブログのタイトルを「宿坊光澤寺日記」に変えました。

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ブログを始めて2年と半年が過ぎました。

宿坊を始めるのに、やはり情報発信が必要と考えて始めたのです。
書いてきたブログも1,000件を超えた。

最初はお寺や仏教のこと、そして浄土真宗のことなどが中心でした。
でも今は、もちろん仏教のことやお寺のことも書いていますが、宿坊
のことや、地域コミュニティーである「やずブータン村」のことも増え
てきた。

そうすると「住職独話」となっていたタイトルが、それだけじゃないな
と感じたのです。

住職(僧侶)でもあり、宿坊の管理者でもあり、やずブータン村の代表
でもあるなと・・・。

それで、お寺と宿坊とやずブータン村をカバーするタイトルにしようと
思い、「宿坊光澤寺日記」とすることにしました。

本当はそれぞれにブログを作ればいいのですが、一つを更新するだ
けでも大変です。
なのですべてに共通したブログを、一つだけでも継続して行きたいと
思っています。

現在の私の構想は、宗教法人であるお寺と、地域コミュニティーであ
る「やずブータン村」、そしてそれらをつなぐものが、宿坊光澤寺とな
ります。
これは地域活性化も含めたトライアングル構想で、その三つは、そ
れぞれ別の運営体でもでもあるし、お互いに連携もすることができる。
そしてそれぞれが、すべての方に対してオープンになり、行事やイベ
ントも、それぞれの特性を生かして実施しています。

私にとっては、これが「お寺の新しいカタチ」なのです。

このブログを読んでくださっているみなさん、いつもありがとうござい
ます。
そしてこれからも変わらずに、よろしくお願い致します。


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宿坊でインドとアーユルヴェーダについてお話しする。

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今日は、ゆっくりとお一人で宿坊の体験に。

インドから一時帰国されているのとお聞きしました、インドにはご主人のお仕事
の関係だそうです。

写経を体験してみたいとのご希望でした。
ただインドではヨガやアーユルヴェーダを学んでおられるそうなので、いろんな
ことをお伺いしてみました。

僕も一度はインドに行ってみたいなと思っています。
もちろん仏教遺跡を周ってみたいのですが、それ以外にもインドには興味があ
ることがたくさん。

ヨガのことやアーユルヴェーダのことを聞いていると、とても良さそうだと感じた。
特にアーユルヴェーダは、一度真剣に勉強してみたい。
宿坊の新しい展開があるかもしれないなと感じた。

ただ、ヨガにしてもアーユルヴェーダにしても、インドと日本ではかなりイメージ
が違うのだそうです。
どちらかというと日本では、エクササイズや癒し系エステのイメージがあります
が、インドではそうではないのだそうです。

インドに行かれてからは体調がとても良いのだそうだ。
空気感なのか、身体に合うのか、精神的にリラックスできるのか、おそらく周り
の方々も驚いていることでしょう。

インドの話しもたくさんお伺いし、僕は宗教的なことや仏教のことなどを中心に
お話しさせていただいのだが、仏教のことも含めてとてもよくご存知でした。

年内にはもう一度帰国されるということなので、そのときはアーユルヴェーダや
ヨガのことをたくさん聞いてみたいと思った。

短い時間でしたので、お話しをしていて写経をする時間が少なくなりました。
ちょっと申し訳なくも感じましたが、私としてはインドの話しが聞けたので、有り
難かった。

ここで聞いた話を、さも自分が行ってきたかのように、皆さんにお話ししますよ。


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或る夏の日の記憶・・・青春18きっぷ

東京で会社員をしていた頃、40代前半くらい。

仕事が忙しく、毎日何時に終われるか分からなかった。
管理職だったこともあるが、夕方営業が会社に戻ってくると、新規案
件や対応案件が一気に出てきた。
そのから社内調整が始まるので、他部署との交渉や上部への報告
など、友人と待ち合わせて飲みに行くなどはとても考えられなかった。
得意先も社内も時間との勝負なのです。

そんな或る夏の日。
青春18切符が売り出されるのをJR飯田橋駅で知った。
春と夏の二回売り出されるのだが、ムーンライト号という普通扱いの
特急列車も運行されるのだ。

このムーンライトに乗るには指定券が必要だった。
この指定券は早く売り切れてしまう。

毎年夏には、信州にムーンライトに乗って行っていた。
早速にムーンライトの指定席を購入する。

深夜0時頃に新宿駅を出発し、白馬が終点だっただろうか。
移動での列車だと、長い時間が苦痛だったりする、でも列車に乗る
ことも旅の一部だと、それも楽しみだったりする。
ときには上高地に行ったり安曇野を周ったり、ひとりで何も考えずに
歩く。

そして最後は松本にある神宮寺というお寺に行っていた。
このお寺は、高橋卓司さんという有名なご住職がいらっしゃったお寺
で、尋常浅間学校というイベントを開いておられた。
100回まで開催するという前提で始められたもので、僕が行ってい
た頃は90回目前後くらいではなかったか。

お寺の近くの日帰り温泉に入って疲れを落し、夕方からのイベントに
行くのです。

毎回いろんなゲストが来られていた。
よくぞこれだけ人を呼べるものだなと感じていました。

僕がもしお寺に戻ったときは、どんなことができるかなと考えていた。

もう10年近く前になるかな。
時の過ぎるのは早いものです。
今はお寺に帰ってきて住職をし、宿坊を始めた。

自分の目指すものは、はっきり見えているようで、まだまだ先は見え
ないな。

夏の日の遠い記憶をたどりつつ、先も見据えながら進んで行く。
そんな感じなのだろう。


ハートストーンがあること。

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ハートストーンと僕が言っている境内の踏み石。

その石の周りに白い小石を敷いてみました。
ハート型だと思っていましたが、白い小石を置くとクッキリとハート型に浮き出て
きました。

この石は、僕がお寺に入ったときは、草と土に埋もれていて姿かたちも見えませ
んでした。
境内を整備し、草をすべて取り払い、土を整備していると踏み石があった。
それらを掘り起こしたり、他の場所にあった石を持って来て、踏み石を置き直し
ているときに、偶然見つけました。

何となく気になったので、この石は元の場所のまま、土を取り除いて見えるよう
にしていたのです。

お寺っていうところは、掃除や整備がなされていると清らかな場所になる。
でも反対に汚かったり整備されていないと、逆に行きたくない場所にもなってし
まう。

お寺に入ったときは、本堂も庫裡も境内も中庭も、すべて汚くてかなり悲惨な
状況にありました。
ご門徒さんもほとんどお寺に参って来られることもない。

お寺に入ってほぼ4年が経とうとしていますが、その間はずっと整備の連続です。
それはおそらく、このお寺を誰かに引き継ぐまで続くことになる。
それが住職の役割の一つ、お寺を存続させるために私がいるのだと感じている。

国宝でもなんでもない、過疎地の山里にあるお寺。
でも綺麗にして整備し、宿坊を始めるとそこに人が来られるようになった。
宿泊の方が来られ、日帰り体験の方もたくさん来られるようになった。
毎年夏休みには大阪の少年野球のチームも合宿をされます。

そうするとご門徒さんのお参りも増えてきたのです。
婦人会や老人会の方々も来られ、保育所の園児も散歩の途中に立ち寄る様に
なりました。

それからは、公民館活動や小学生や中学生の現地研修、大学生の研究室の方、
保護者会や他の寺院の仏教婦人会、図書館活動など様々なグループが研修を
兼ねてお寺に来られるようになった。

宗教や宗派に関係なくこのお寺に人が来られる、田舎のお寺では珍しいのでは
ないかと思います。

女性にとって、この宿坊とお寺はとても気持ちが落ち着く場所だと、よく言われま
す。
女性にとって優しい場所は、とても居心地の良い場所で空気感が良いということ。

久しぶりにお寺に来られた方は、とても同じお寺には思えないと言われます。

古いお寺であっても、特別なお寺でなくても、整備をして綺麗にすると、そこは特
べつな場所へと変わるのでしょう。
どんなお寺でもきっとそうだと思います。

きっとこれからもハートストーンは、このお寺を支えて行ってくれるでしょう。

宿坊がいろんな方の心の依り所となりますように・・・。


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枝垂れ桜にサクランボ

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坊守の声が聞こえた。

「ちょっと、サクランボが生ってるよ」

何所にサクランボができるのかと思ってたら、何と山門脇の枝垂れ桜でした。

梅や桃や桜、それぞれに実ができるけど、枝垂れ桜にもサクランボができるんだな
と思って、ちょっとビックリした。

「これって食べれるのかな?」と坊守。
何やそっちか・・・、と。

やはり桜だから、実ができて種から種の保存を目指すということは、あたりまえなの
かも知れません。

今までは見たことがなかったのか、気づかなかっただけなのか。
サクランボは食べるもの、つまり食用だと勝手に思ってたけど、美味しそうに実を
つけることで、鳥に種を運んでもらうんだろうな。

なんともまあ可愛らしい実でした。

山門の枝垂れ桜もかなり大きくなってきました。

僕が死ぬ頃には、一体どこまで大きくなっているのかな、と一人思う。


50人で瞑想する・・・心を軽くする瞑想。

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瞑想って心のエクササイズだと思っています。

身体のエクササイズはあるけど、心のエクササイズってあまり聞かない。
でも瞑想って十分に心にいいです。
そう「心をスッと軽くしてくれる」効果があります。

今日は学生さんたち50人で瞑想しました。
50人で行う瞑想って、なかなかありません。

対象は新入学生の方々ですが、親元を離れこれからいろんなことを経験
する。
そしていろんなものに出会って行くでしょう。
そのときに仏教の基本的なことを知っていたり、瞑想を体験しておくことは、
これからの人生にとても役立つと思います。

あまり宗教的なお話しではなく、仏教の持つ意味や心のエクササイズなの
で、それほど抵抗はなかったのかなと感じました。

宗教的な勧誘もあるし、瞑想も様々なものが溢れています。
今回の瞑想は仏教の一番スタンダードな瞑想なので、他のものと比較を
することができます。
そのとき、これはちょっとおかしいとか、お金がかかり過ぎるとか感じること
ができるのです。

もちろん山里の自然のなか、そして仏教の縁起を学ぶことで、自然との関
係を感じることもできる。

そして何より、心を調えて軽くするという具体的なメソッドが手に入ります。

先生にあとでお伺いすると、「心が洗われた」と言われた方がいらっしゃっ
たとのことでした。
そんな言葉を聞くと、少し嬉しかったりします。

僕も社会人を経験し、様々な局面に出会ったことがある。
そんなとき、少し心を休めそして整えて行くことの重要性は十分に分かっ
ている。
そして様々な誘惑も多いのです。

今日のことが少しでも、これからの人生の役に立つことを願っています。

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                                                            (瞑想前の準備)


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光澤寺で環境学フィールドワーク!

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今日は鳥取環境大学の新入学生の方々、約50名が光澤寺で環境学のフィールド
ワーク研修に来られました。

私が講師を勤め、仏教の基本や瞑想についてお話しさせていただいた。

1時間少々と言う時間の中で、少しでも興味を持っていただける様にお話しをした
つもりのですが、実際はどう感じていただけたでしょうか。

50名の写経は経験ありますが、瞑想は初めてだったので皆さんにどう伝えようか
考えていましたが、皆さん熱心で真面目な方ばかり。
こちらもその雰囲気の中でお話しさせていただくことができました。

瞑想の体験はその意味と流れを一通り。
これからいろんなものと出会って行かれるでしょう、その中で少しでも経験していた
だけたら良いなと思います。

お寺に10代の方が50名も集まるということは珍しいことです。
そんな機会を与えて下さった、鳥取環境大学の関係者の方々には感謝しています。

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今日はA班の方でしたが、来週と再来週にはB班とC班の方々が来られます。
一期一会、そのときそのときの出会いを大切にして、お話しさせていただくつもり
です。

これからのお寺や宿坊の一つの方向性だと感じています。
もちろんそれに応えられるお寺にならなければと、あらためて感じる機会でもあ
りました。

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変わるお寺と変わらないお寺

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変わろうとしているお寺と変わらないことを目指すお寺。

この二つはまったく違う様で、実は共通だったりすると思います。
それは何故かと言うと、そこにある思いが同じだろうと言うことです。
ただ、どの視点から見るかということ、そして置かれた環境によって表現
の仕方が変わるということではないか。

変わろうとしているお寺は、現状が厳しい状態にあるのかも知れません。
必然的に変わらなければ存続できない、だから変わると言う表現をする。

変わらないことを目指すお寺は、現状はお寺の運営がまだ比較的スム―
ズに行っているのかも知れません。
なので今まで続いてきたものを大切にして行きたいと言った感覚なのだ
と思います。

お寺を変えようとしている所も、本当は変えないで済むのであればそれに
越したことはないのです。
ただ現状では、どうしようもなく立ち行かなくなることが見えているので、今
までのお寺のやり方や考え方ではいけないと言う立場になる。

今まで檀家さんと一体感を持ち、お寺と言う存在が依り所となっている
ならば、あえて変える必要が無いので変わらないことが大切だと説く。

どちらも、お寺の本来持つ意義を問うていった先に出てきた言葉ではない
のか。
だからその相反する様に聞こえる二つの言葉が、実は共通するというの
はそう言うことです。

ただ変わらないことを目指すと言っても、現在の日本のお寺が本来の仏教
的立場から見て逸脱しているのは否めない。
組織としては良いが、本当にそれだけで良いのだろうかと言う疑問はある。

変わらないということが、お寺の本来の意義に帰るということであれば、そ
の意味は分かるが、現状のままで良いと言うのであれば、少し意味合いが
違ってくるかもしれない。

これだけ宗派の意義が薄れてきている現在の日本仏教の中で、その先に
あるものを目指して行くことも、一つの指針なのではないかと思う。

そう言った面では、私の表現は変わるお寺を目指すことになるでしょう。
たとえば今までのお寺のやり方が良くないのであれば、そのやり方に対し
て変えて行くと言うこと。
ただその目指す先は、あくまでも仏教と言うものに回帰して行くことである
のは明確です。

そう言った意味では変わらないとなるのです。



何気ない山里の風景がいい。

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豪雨や止んだら西の空が少し明るくなった。
少しひんやりするくらいの空気だ。

その夕焼けが田植えが終わり水をたたえた田んぼに映る。

何気ない普通の山里の風景。

でもこの何気ない風景がいいなと感じます。

宿坊やお寺の周りの景色はいつもこんな感じです。
でも四季の微妙な空気をしっかりと映し出す。

夜になると一斉にカエルが鳴き出します。
それもこの田舎の雰囲気に合っていてうるさいとは感じない。

これから田舎も人が少なくなるし、高齢化も進む。

でもこれからは、この景色を求めて来られる人も増えるだろう。

この何気ない普通の景色。

田舎に特別なものは必要ない、子どもの頃に遊んだ風景がそこにあればいい。

やずブータン村ってそんなところです。


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宿坊パンフレット出来上がりました!

宿坊チラシ写真

宿坊のパンフレットが出来上がった。

原版を作製していて印刷に出すだけだけだったのですが、急ぎではないのでそのままに。
ところが、宿坊研究会の堀内氏より6月17日に六本木のミッドタウンで「宿坊トークライブ」が開催
されるとの連絡があった。

その際に宿坊のパンフレットがあれば紹介しますとのこと。
せっかく作るのですから間に合わせるために急遽発注しました。
両面印刷のフルカラーでも結構安い、自分でカラーコピーするより安く上がるのではと思うほど。
逆に言えば、印刷業界も厳しいのでしょうが、新たな需要を生み出すと言うことにもつながるでしょ
う。
「やずブータン村まつり」のポスターもこの方法で作成しています。

基本は撮りためていた写真から選択をし、レイアウトを考え、言葉をつけ添えます。
私はいつもEXCELでさくせいしていますが、それをPDFに保存し、インターネットで印刷に出しま
す。
他では印刷を頼んだことが無いのですが、、田舎に住んでいる私としては非常に助かります。
自分で作れば製作費自体はかかりません。

できるだけ写真を中心にして、表はシンプルに、裏は宿坊の内容を書きました。

ときどきお客様から「パンフレットはありませんか?」と聞かれることがありました。
昨年より研修会を頼まれることも多くなっています。
そんなときパンフレットがあればいいなと思っていた。

これから寺院葬のパンフレットや寺報もこのパターンでもいいかなと思ったりしています。
年に4回、季刊で発行すれば皆さんにも、お寺のことを分かってもらいやすいですから。


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環境学フィールドワークでお寺に!

地元の鳥取環境大学の新入学生の方々が、お寺にやって来られます。

150名以上の新入学生の方々が、来週より3回に分けてお寺にフィー
ルドワークに来られます。

浅川研究室の方々が宿坊に来られたご縁で、フィールドワークを今年は
宿坊光澤寺で実施していただけることになりました。

中心は瞑想修行体験です。
やはり今の時代、瞑想って若い方を中心にとても人気が高いですね。

瞑想ってやはり心のエクササイズ、知っておくと良いと思います。
宗教的な感覚ではなく、心を軽くする方法って感じでもある。

社会に出ると、いろんな厳しい局面に出会うこともあるでしょう。
また宗教的な勧誘なども多い。

そんな中で基本を知っているだけでも、それぞれの対処が変わってくる。

心に少しは免疫力をつけてた方が何かと良いと思います。

研修内容はいたってシンプルなので、学生の方には向いていると思いま
す。

修行体験は1時間くらいなので、しっかりと準備をしなくては。
あっという間に1時間くらいは過ぎてしまいます。

少しでも心に何かを持って帰っていただきたいですから。


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瞑想について・・・瞑想とは2. 「心のエクササイズ」

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瞑想って仏教の修行方法であり、本来は悟りを求めるものでしょう。

人が悩んだり苦しんだりするのは、心によって起こされるもの。

その心を「ありのままに見る」とうことで、その迷いを取り去るというこ
とが仏教の目的でもある。

ただ「ありのままに見る」、つまり仏教的に言えば「正見」ということは
なかなかできることではない。
なので、瞑想と言う方法を使ってその竟地に至る道があるということ
でしょう。

でも本当に悟りを目指すのかと言えば、それだけではない。
瞑想は十分に心のエクササイズになり得ると感じています。

たとえばお寺でヨガをすることと、お寺で瞑想することはそれほど違い
はない。
ヨガが身体のエクササイズであるなら、瞑想は心のエクササイズと
言えると思います。

悩んだり苦しんだりする心を、ときには解き放ち、軽くしてあげること
ってとても大切です。
そんなとき瞑想をすると、心が楽になります。

なぜなら瞑想は禅と違ってメソッドがあるからです。
禅はそのものが悟りであると言う前提なので、坐ること以外は何もあ
りません。
それはそれですごいことなのですが、いきなりその竟地と言われても
難しい事でしょう。
でも瞑想はそれ自体が修行なので、メソッドが用意されている。
そのメソッドは、心を軽くしてくれる流れになっています。

「顔を毎日洗うように、心を毎日綺麗にしてあげる」

「悩んでいっぱいいっぱいになっている心を、ふっと軽くしてあげる」

瞑想ってそんな心のエクササイズであると思っています。

でも根本はお釈迦様の仏教に由来していますから、それはとても深遠
なものでもあります。

気軽に始められるし、しっかりと感じることもできる。

そんなことから、宿坊でも瞑想体験をしています。

社会には厳しい現実があります、でもそれは自分がそう感じてしまって
いるからなのかも知れません。

そんなときは心を休めてあげることが大切なのです。

山里の自然の中のお寺で、ゆっくりと瞑想してみることもたまにはいい。

ゆっくりと心を調えたなら、少しだけ心の持ち方が変わって来るでしょう。
そこから、周りに左右されない本当の自分の生き方が見えてくるかも知
れません。


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宿坊に来られる方々。

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                           (境内にあるハート形の石)

宿坊にはいろんな人が様々な目的で来られます。

一番多いのは、一人旅の女性です。
自分にスイッチを入れにという方が多いのです、そしてほとんどの方が
体験も希望される。
主婦の方もときどきお一人で来られる方もいらっしゃいます、ちょっと
心と身体を休められるときが必要なのでしょう。

女性グループやご家族、ご夫婦で来られる方もいらっしゃったりと、年代
も性別も様々で、団体の方も利用されることもあります。
最近は男性一人旅の方も増えてきました、セカンドライフに興味がある
とか、仕事の事だったりとか。
お寺関係の方々も意外と多いし、僧侶の方で勉強されたいという方も。

日常を離れて心を落ち着ける、そんな方も多い。
とにかく一日一組がほとんどなので、ゆっくりとして行かれる。

仏教に興味のある方や、悩みの相談をされる方も。
おひとりお一人とお話しをする機会が多いので、こちらとしても非常に
有り難かったり、興味深いお話しを聞かせていただくこともあります。

仕事に疲れたとき、これからの方向を考えるとき、心に何か思いがあ
るとき。

それぞれの方に、それぞれの過ごし方があるのが、この宿坊です。

そして何より、ここでは一人で過ごせるけど、一人だけじゃないってこ
とも重要だと考えています。
一人旅だって、誰かと話したいってときもあります。
そんなときは私たちがいますから、ゆっくりと話して行かれる方もいら
っしゃる。

ここに来られる方は、観光で来られるのではなく、この宿坊を目当て
に来られる方が多いのも、この宿坊の特長でしょうか。

旅館やホテルでは味わえないことがたくさんあります。

観光地でもない山里の宿坊ですから、決して多くの方が来られること
はありません。
でもこの宿坊を始めるときに考えていた通りに進んできたかなと思う。

おひとりお一人の心の依り所となる場所を作りたい。
それが僕の願いでした、そしてお寺や仏教に気軽に触れていただけ
ることも。

どうぞ心をゆっくりと解いて行ってください。

これからも、あなたが来られるのをずっとお待ちしています。


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お寺のお仕事・・・今日の作務はかなり重労働かな。

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                              (作業前)

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                               (作業途中)

お寺の中庭、宿坊の客室から眺められ、前にある山が借景となってくれる場所。

その中庭の木々がかなり生い茂っています。
梅の木も相当に伸び放題、さつきやキャラボクも相当に繁々となっておりました。

聞いたところによると、「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉があるそうだ。
ありゃ、そろそろ梅の木も切っておかなくては。

今日は久しぶりに一日空いていたので、気を引き締めて中庭の剪定と整備をす
ることにしました。
坊守からも、「庭の木がだいぶんのびたねえ」と言われてもおりました。

でも実はこれが結構な重労働です。
なぜなら服装は重装備でなくてはいけません、枝なのでケガをすることもあるし、
目に気をつけないといけないので作業用のグラスを掛けます。
もちろん長袖にGパンに首にはタオルを巻きます。

暑いし蚊も出てくるし、道具がそろっていないので、高い枝を切るのに脚立や木
に昇ったりで、もし足を滑らすとかなり危険でもあります。

お寺さんによっては、定期的に植木屋さんに入ってもらったり、檀家さんがやって
くれたりするのでしょうが、私のお寺は境内の草取りからすべて自分たちでやり
ます。
なので、境内や中庭は現在はまったく人の手が入っていない、逆に言えば私の
腕次第と言うことにもなりますが、あくまでもただの素人ですから・・・。

刃が効かなくなった剪定バサミで、先ずは梅の木から、次にツツジとサツキを、
そして紅葉も伸びた枝を切り落とし、キャラボクを剪定します。

途中電話も入ったりで、作業をかなり中断しなくてはならなかったのですが、夕方
には一区切り。
でもやはり明日いっぱいはかかりそうだな・・・。

本格的な梅雨と夏の到来の前に中庭を整備しておきます。

畑づくりと境内の整備、これが結構お寺の作務としてはしんどいかも知れません。
もちろん本堂や庫裏の掃除もかなり大変です。

あまり知られていないと思いますが、意外とお寺さんって重労働もあるのですよ。
この庭でも業者さんに入ってもらうと、かなりかかると思います。

でも苦労はあるけど、自分で境内や庭を整備して行く楽しみもあるのです。
これもお寺を作り上げて行くことにつながるかも知れません。

何事にも喜びを見つけて行くところに、生きる楽しみがあります。




瞑想について考える・・・瞑想とは、その1.

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                                                         (宿坊光澤寺の瞑想体験の風景)

今回は瞑想について考えてみます。

瞑想は、元々は悟りを開くための修行方法の一つであったのでしょう。

ただし日本仏教には禅があったので、瞑想はあまり広まっていなかった。
真言宗では阿字観と呼ばれる瞑想方法がありますが、禅に比べるとメジャーで
はないですね。

瞑想は、インドからスリランカやミャンマーに伝えられた仏教、つまりテーラワー
ダという仏教における修行方法として、とてもポピュラーです。

テーラワーダ仏教とは、日本では以前は小乗仏教と呼ばれていて、大乗中心の
日本仏教からはほとんど取り上げて来られなかった。
でも小乗とは正式な名称ではなく、あくまでも大乗の立場の側からの蔑称でした
ので、現在は大乗における学問の場でしか使われていません。

日本名では、上座部仏教とか長老派とか言われたりしているのだと思います。

瞑想は長らく日本では実践される場所が少なく、逆に言えば何か怪しい感じも
伴っていたりしたのかも知れません。

ただこの10年くらいの間に、スリランカやミャンマーの僧が積極的に日本で活動
されたことや、日本の社会が心の安らぎを求めるといったこともあって、現在では
この瞑想が非常にブームになりつつあります。

世界において、仏教とは決して大乗仏教を指しません。
欧米においては、仏教とはテーラワーダ仏教を指すことがほとんどです。
大乗はどちらかと言えば、釈尊の教えから遠いと考えられています。
そしてアメリカやヨーロッパでは、この瞑想がかなり以前より研究されていて、とて
も人気が高いのです。
逆に言えば、欧米の先進的な仏教者はたくさんいて、日本仏教よりもかなり先に
進んでいるのが現状だと言うことです。

日本では宗派仏教の枠に留まっていて、約800年前から何も実践が行われず、
進歩もしていませんね。
800年前の鎌倉仏教の枠の中でしか仏教を語れないと言う、不思議な仏教とな
っているのです。
それはもちろん、江戸時代に施行された檀家制度と寺請制度によって、仏教が
骨抜きにされたからということもあります。
仏教の躍動感が全くなくなってしまっているのです。
そう言った面では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康へとつながった対宗教政策が
権力者側から見ると功を奏したと言えるでしょう。
自分達の権力の枠の中に宗教を押さえることができたからです。

ここに来て、社会や時代の変化から、否応なしに檀家制度が崩壊に向かってい
ます。
これは数多くのお寺は衰退するかもしれませんが、逆に仏教はその躍動感を取
り戻す可能性があると言うことも考えられるのです。

そんな中で、現在日本の仏教で、若い僧侶を中心に超宗派の仏教活動が起こ
りつつありますし、瞑想を始めとしたテーラワーダ仏教がかなり浸透してきていま
す。

日本人の僧侶にも、禅と瞑想をMIXしたスタイルが、新たな仏教スタイルとして
若者に人気があります。
従来の日本仏教に対しては興味を持てなかった方々が、新しいスタイルの仏教
に興味を持ちつつあるように感じます。

書店の新刊コーナーの仏教関係に本には、その様な関連の書籍が目立つよう
になりました。
その中でも有名な方には、小池龍之介氏や山下良道氏がいらっしゃいます。
このお二人も、禅と瞑想のMIXバージョンですね。

でも時代の仏教は、この様なスタイルを望まれている方々も非常に多いと言うこ
とです。

宿坊にも瞑想を体験されに来られる方が非常に多いです。
宿坊を始めた2年前はここまでではなかったと思いますが、この2年間の間に急
速に注目度が上がったと言う感じがします。

仏教である以上、何らかの実践や、今の心を安らげたいという要求があるので
しょう。
それに答えてくれるものを探しておられる方は、たくさんいらっしゃると思います。

そこに対して仏教は非常に興味のある対象となっているのです。
これが仏教ブームの背景にあるものではないでしょうか、何か自分を導いてくれ
るもの、自分に答えを出してくれる存在として。

これは以前の日本では考えられなかった。
たとえば少し前に新興宗教にエリートの若者たちが救いを求めて行った。
そこに手を差し伸べたり、それを評価することが当時の日本仏教ではできなかっ
た。
だから答えを求めている人は、そこに向かわざるを得なかったという実状があっ
たのではないかと思います。
そのとき日本仏教は何もできなかったと言う方が正解かも知れません。

でも今は、様々な取り組みが生まれ、そして実践も行われています。
伝統仏教のお寺と言う存在は、そう言った意味ではとても信頼性が高いのです。
昔からそこにあり、これからもそこにあり続ける、地域と密着しているので、その
安心感はあります。

だからこそ、伝統仏教がその枠にのみとらわれずに、様々な人々の要求に応え
る場となることが必要なのだと思います。
そこになら、不安なくそして心配なく行くことができるのです。

私のお寺そして宿坊が、日本の伝統仏教教団に属していることも、ここに来られ
る方々には信頼性があるのだと感じています。
そしてその宿坊では、決して宗派や宗教にとらわれることなく、仏教の体験がで
きるように対応しています。

安心感と信頼性のあるなかで、本当の仏教に触れることのできる場所を、これ
からも作り続けて行きたいものです。

今回は、現在の仏教における瞑想の立場について考えてみました。
次には、瞑想について具体的に話しみたいと思います。


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お寺という存在を考える。

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今日は婦人会の方々が宿坊を訪れた。

今回は光澤寺のご門徒さんばかりです。

そのときこんなお話しをされた方がいた。

「光澤寺がTVで紹介されていて、とてもうれしかった」と言っていた人が
いましたよ。

その方は実家を離れられている方でした。
遠くにいても自分の実家を思い出す、そのときお寺のことがきっかけに
なることがあるのでしょう。

私がお寺のことで考えているのは、仕事や学校そして結婚をされて故郷
を離れていても、お寺があることを支えにしてもらえたらいいなということ。

お寺のある風景、そしてそのお寺が話題になれば、その方たちも自分の
事の様に喜んで下さるのです。

有名寺院でもなければ、お寺のことを知ってもらえることは難しい。
まして山里の名もないお寺なら尚更です。
でも昔からそこにあって今もこれからもずっとそこにある。

お寺への信頼感はそのことが一番大きいのではないかと思います。
思い出の場所、たとえお寺に来る機会が少なくても、お寺があったという
ことが心の支えになることもある。

私はそのことをいつも考えています。
だからこそ、このお寺を何とかして行かなければと思うのです。
たとえ檀家さんが一軒になったとしても、多くの方々の思いがたくさん詰ま
っているのだから、何とか残して行きたいと思うのです。

これからはますます過疎地のお寺には厳しい時代が来ます。
なくなったり無住になったりするお寺が一気に増えて行くでしょう。
そんな中で、僧侶として考えることは、檀家に依存しているだけではだめ
だと言うこと。
檀家が減る、生活して行けない・・・。

そんなことは寺院であり僧侶であったなら、あたりまえのことなのですから。

そこで僧侶としての本当の資質であったり力量が問われるのだ。

今あなたのお寺の檀家が0軒になったとしたなら、あなたはそのお寺を離
れますか。

離れないとしたなら、そのときあなたはどうしますか?

そんなことを問われているのではないか。

そしていつも自分にそう問い続けているのです。

檀家制度は仏教やお寺の本質ではないのだから、そろそろ本来の姿を
思い描くときなのではないでしょうか。

今までの状態が普通ではないのです、日本のお寺は今までが異常な姿
であったのだと・・・。

今の状態に安住することなく、そして悲観することもなく。

夏野菜畑を作る・・・宿坊の楽しみ。

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今日は遅くなっていた夏野菜畑の作業をしました。

本当なら5月に終わっているのですが、何かと忙しく今日までずれ込んでしまい
ました。

友人が掘り起こしてくれていた畑に、先ず畝を作って行きます。
土を柔らかくするのと、水はけを良くし根腐れしないためのものだと思います。

次に昨日ホームセンターで買ってきた野菜の苗を植えて行きます、さすがに種か
ら育てるのは手間がかかるのです。

野菜は、トマトとプチトマト、キュウリに茄子に長唐辛子、これで夏野菜の定番が
揃います。
ただ同時期にたくさんできるのがちょっとした悩みですね、適量づつには成長し
てくれませんから。

完全無農薬で放置しっぱなし、でもこの時期ですと良い土と水さえあれば十分に
育ちます。
今日も土を掘ってると大きなミミズがたくさんいました、これって土が豊かってこと
ですよ。

宿坊に来られたら、夏の日差しを十分に浴びた採れたて野菜が食べられます。
これってどんな健康食品にも勝るでしょう、やはり旬の野菜を取ることが身体に
いちばんです。
身体が喜ぶのが分りますよ、都会の方でしたら家族連れで来られたら、自分たち
で収穫した野菜をその日の料理で食べられます。

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野菜を植えたら、ツルの伸びるキュウリやトマトは棚を作ってやります。
それとまだ苗が弱いので支えを作って、紐でくくる、そうすると風で倒れたりしなく
てすみます。

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畑作用は何となく自然と生きてるって感じが湧いています。
結構重労働ですが、病み付きになってしまうところもあります。

早く収穫できないかな。


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瞑想について考える・・・禅について思うこと。

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瞑想について少し考えてみたいと思います。

瞑想には、テーラワーダ仏教の瞑想と禅とが世界の主流となっています。

そして日本には禅が伝わっています。
伝わっていると言うのは、禅は日本オリジナルではないからです。
禅はインドから瞑想のスタイルとして伝わり、中国でほぼ集大成されたものです。

それを栄西禅師・道元禅師が中国に渡って仕入れてきたもの。
もう一派である黄檗宗も中国の隠元禅師が日本に渡ってきて、広めたものです
ね。

一方、瞑想とはインドからスリランカ~ミャンマーへ伝えられた、釈尊の悟りの
スタイルです。

どちらも釈尊の悟りをイメージしていますが、根本的に違います。
それはなぜかと言うと、禅は大乗仏教であり、瞑想はテーラワーダに伝えられて
いるものだからです。

大乗とテーラワーダ(昔日本では小乗と言われていた)は、悟りに至る考え方が
違います。
なので必然的に禅と瞑想はその考え方が根本的に違うのです。
見た目はよく似ていますが・・・。

簡単に譬えると、お釈迦様が菩提樹の下で悟られたときを考えてみる。
いわゆる成道ということです。
悟ったあとのスタイルを禅、これから悟りに入られようとするとき坐られたときの
スタイルが瞑想と言ったイメージになるのではと思います。
もちろんそのときの心はそんなことは考えていないと言う前提ですが。
ある意味では、このスタイルの違いが大乗仏教とテーラワーダ仏教の違いかも
知れません。

なので禅は坐るということが、すでに悟りと言うことになります。
もし修行で禅を体験されたいと思われていたのなら、その時点ですでに禅では
ないと言うことも理解しておかなくてはなりません。

禅は修行ではない、つまりエクセサイズとはなり得ないのです。
あくまでも仏教でいう悟りそのものと言うことになりますが、その感覚に至るには
やはり非常に難しいものがあるでしょう。
「ただ坐ればいい」ということは簡単に思えますが、その竟地はとても常人が坐っ
て感じられるものではないでしょう。
まあこれは禅宗の僧侶でも理解しておられない方もいらっしゃいます。
それぞれのお寺に参禅してみると、それが分ります。
ちゃんと教えてくれるところもあるし、そうでないところも・・・。

要は禅のスタイルであれば、坐ると言うこと以外に何も付け加えることができない、
つまりメソッドはないということになります。
なのでその竟地を教義で細かく説明して行かなければ、一般の方には理解できな
いと言うのが現状でしょう。
そうすると禅の本質から離れてしまうと言った面もあるのだろうと思います、それ
ぞれの人によって問題意識が違いますから。
永平寺で1年から3年過ごせばいいと思っていたなら、勘違いすることもあるでし
ょう。
そして修行は大変だったねと言われれば本人も満足してしまう。
実際に地方では、坐りつづけていらっしゃる僧侶の話しはあまり聞きません。

実は浄土真宗もこれと似たところを感じます、それは絶対他力と言うことです。
他力のはたらきである南無阿弥陀仏を理解するとき、これと同じ様な面がある
のです。
本来悟りの世界である南無阿弥陀仏を、迷いの世界の人間である私たちがそれ
を理解しようとすることはとても難しい。
なので必然教義を徹底的に学ぶことになります。
どちらもいわゆるシンキングの世界に入ってしまうのです。

禅でも念仏で言えることは、すべてを手離す、つまりリリースすること。
逆にどちらも教義によってガチガチに握りしめてしまっている傾向があると言うこと
です。
でもそうでもしなければ私たちは理解できない、そしてそこに教義論争がおこる。
そこがなかなか難しいですね、お釈迦様も親鸞聖人も道元禅師もいらっしゃらない
のですから。

絶対他力の本質は、自分と言うもののはからいをすべて捨て去ることにあります。
これは禅の只管打坐と同じでしょう。
本質はどちらも絶対他力と言うことです。

ただし回向する側は、禅では自らですし、念仏では仏からと言われる。
そこが自力と他力と解釈されるところでしょうか。
でも縁起であるなら、本来はすべて仏のはからいであるでしょう。
仏教では諸法無我ですから。
我と言うものはないということであるなら、自力を捨て去ったときです。

その感覚に至ったとき、やっと禅の竟地に入って行けるのかも知れません。

大乗仏教の入りやすさと奥行きの深さが、この辺りにあるのかなあ・・・。
なのでこの世で悟りを得ようとは思われない方が良いのかも知れません。
やはり釈尊には遠く及ばないこの身であるなら。

ただその道を歩むということでしょうか、「犀の角の如く・・・」。
ただひたすらまっすぐに、そしてその角にはシンキングはない。

やはり最後は、「法灯明 自灯明」ですね。



友人からの電話。

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友人から電話があった。

今京都に向かっていると言う。
本山である西本願寺では、明日は法灯継承式が執り行われる。
新門様が、宗祖である親鸞聖人から数えて二十五世となられるのだ。

友人は在家から僧侶の道を歩んでいる。
私が会社を退職し、京都にある中央仏教学院に入ったとき、入学式のときに
初めて知り合った。
彼も会社を退職して実家の仕事を手伝いながら、お母さんの看病をしていた
という。
そんな縁もあり、そして歳も学院の中では近いということもあって、京都では
大変お世話になった。

実家は京都でも老舗のお寺専門の仏壇屋さんで、そこはお兄さんが家業を
継がれていたが、彼もその会社の手伝いをしていたことがある。

私は一年で鳥取に戻ったが、宗学院や安居に行くときは、ご自宅が西本願寺
から近い事もあってよく泊めていただいたものです。
それも有り難いご縁であった。
その彼も中央仏教学院で出会った方と一緒になり、その奥様のお寺に入寺し
住職となっている。

今日の電話は、彼のお兄さんが少し前に亡くなったとのことであった。
年齢は47歳だったと言う。
私もお世話になったことがあったので、突然のことで驚いた。
体格も良くお元気そうで、バリバリ働いておられたと言った印象です。
老舗の仏壇屋さんであり、京都の職人さんたちの伝統を引き継いでいる。
浄土真宗でも有力なご寺院や本山関係の仕事をされているのです。

私がお寺に帰ってすぐ、親鸞聖人の750回大遠忌法要があった。
お寺の親鸞聖人の御影を安置している厨子の修繕をお兄さんに無理言って
お願いしたこともあります。
そのことが私の思い出になってしまった。

世の中って分からないものだなと思う。
またいつかお会いするだろうくらいしか考えていなかった。

一瞬、仏壇屋さんのことや残された家族の方、そして友人のこれからのことが
頭をよぎった。
何とかなるか、なる様にしかならないのか、私が考えても仕方ないのだが・・・。

厨子を修繕のため引き取りに来られたとき、お一人で担がれて車に載せてお
られたことを思い出します。

                                           合掌

仏教婦人会の方々が宿坊に・・・。

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今日は同じ鳥取因幡組にあるご寺院の仏教婦人会の方々が宿坊に来られま
した。

イタリアン精進料理に興味がおありだったと思いますが、午前中は『正信偈』の
お勤めと、法話を1時間お話ししました。

宿坊なので、日帰り体験は宗派は様々ですので、来られた方々によってお話し
の内容は変えています。
今日は浄土真宗の方々ですから、親鸞聖人のみ教えを中心にお話ししました。

テーマは「縁起」における「空」と「絶対他力」についてです。
浄土真宗ではあまり縁起や空についてお話しすることはあまりまりません。
そこで「空」というイメージをお話しした上で、他力へと話しを進めました。

分りやすくお話ししたつもりですが、どうだったのでしょうか。
でも仏教婦人会の方々は熱心ですし、皆さんとても楽しそうに時間を過ごされ
ました。

食事中の笑い声が絶えません。

男性陣もやはりいろんな楽しみ方をもっと勉強された方がいいと思います。
何しろこれからは超高齢化社会になりますから。

会社を退職してからの時間がとても長くなります。
もっともっと仏教やお寺に興味を持たれても良いのかなとも感じます。

仏教に出会ったなら、それはずっと一生涯学び続けることができるのですから。

帰られる際、皆さんが境内の草取りをしてくださいました。
日頃手が行き届かないところがあり、今日は皆さんが来られる前に草取りを
しておこうと思ったのですが、間に合わなかったのです。
皆さまの心遣いに感謝しています。

浄土真宗の方は元より、他宗の方々の仏教婦人会の方々においでいただけ
ると有り難いですね。

いろんなお寺に行ってみると言う楽しみもこれからはあるのだと感じています。
もちろん男性陣もお待ちしています。


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ここは女性のエネルギー充電の場所になる。

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東京から女性が一人旅で宿坊に来られました。

この宿坊は女性一人旅の方がよく来られます。
何となくだと思いますが、女性にとって何か感じられるものがあるのだと思い
ます。
遠くから来られる方も多いのです。

仕事のことやこれからのこと、生き方とかいろいろ考えるとき、心を落ち着け
て、ゆっくりとするのがいい。
そして仏教や体験に触れることで心を調えて行きます。

自然を感じ、そしていのちを感じる。
そんな場所がこの宿坊なのだと思っています。

この宿坊に来られる方は、いろんな目的でいろんな方が来られます。
女性の方は、自分にスイッチを入れると言うイメージで来られる方が多いで
すね。
そんなとき、この宿坊に行き着くのでしょう。

そうするとこの宿坊にもそんな空気の流れができてきます。
女性にとってこの場所が、エネルギー充電の場所になっているのです。
それは居心地の良い空間になり、静けさの中で満たされて行きます。

エネルギーを充電するには、一度今残っているものをリセットします。
そして新たなエネルギーを充電して行きます。

仏教はすべての思いを受けとめてくれます、そして感覚を呼び覚ます。
そんな感じでしょうか。
それにはこの宿坊がすごく良いのでしょう。

心と身体を楽にして、ゆっくりと過ごす場所、無理をしなくていい。

朝のお勤めのとき、それはお一人のために読経をするのです。

今朝は『阿弥陀経』でした。

本堂の中にお経が響く、それはお一人のために、そしてすべての人のた
めでもあります。
そんな空間と体験ができる場所は他にありません。

ここで過ごされた時間、そんな時間の中でも自分が少し変わったことを感
じることができる。

一度宿坊を訪ねて見られては・・・。

いつでもお待ちしています。

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宿坊の楽しみ・・・季節を味わう。

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宿坊を訪れる楽しみ、それは季節を味わえると言うことです。

日本の四季がそのままにある鳥取の山里の自然。
そして季節の実りがそのまま採れたてを味わえること。

野菜も魚も肉も、できるかぎり地元鳥取産をその日に仕入れます。
野菜や魚は朝採れだったりするのは普通なのです。
お肉も鳥取産の和牛限定だったり、食材にはすごく気配りしています。

なぜなら宿坊光澤寺は、「心と体に栄養を・・・」を謳っているのです。

今日は坊守が、採れたてのラッキョウを一所懸命仕込んでいました。
鳥取の名産砂丘ラッキョウ、これは北条砂丘産です。

いろいろ季節の野菜を旬に食べたり仕込んだり、これが本当に身体にいい
です。
いちばん野菜が元気で、栄養も一番高いときだから。

ラッキョウはあと2週間くらいで食べられます、宿坊に来られたら味わえます。

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この前はサクランボをサワー漬けにしてた。
サクランボも食用にはちょっと小粒のものを使います。

こちらも、これからの暑い季節に丁度いい感じになります。

これからもいろんな季節を味わえるように準備しています。


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お寺は多くの人たちを迎え入れることに慣れていない。

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タイトルを見た限りでは、なんじゃそれ!
と思われる方も多いのではないかと思います。

お寺って、とにかく人がたくさん来るではないか、そう思われたのでは。

たしかにお寺にはたくさん人が来られます。
法要や法座へのお参り、法事やお葬儀のとき、行事のとき。
たくさん来られています。

でも、それは能動的に来られているのではなく、受動的に来られている
のではないでしょうか。
法事だからとか、行事だし役だからと言った感じではないでしょうか。

あくまでもお寺中心であって、檀家さんかその関係者がほとんどだと思
います。
そのときはお寺が動かなくても、周りがいろいろと段取りをしてくれたり、
ご意見番が周りを動かせてくれたりします。

それ以外の方は来られないか、来られても対応していないのではとも
思います。

私がお寺に入ったとき、お寺はお参りが極端に少ないお寺でした。
ましてや檀家さん以外の方がお参りに来られることなどなかった。

お参りが少ないお寺なら、逆にオープンにして誰でも来られる寺にした
いと考えた。
元々僕の思いは、お寺って誰でも気軽に来られる場所だということが
自分の思いとしてあったのです。

宿坊を始めて、先ずは宿泊の方、テレビや新聞の取材の方、婦人会や
老人会の方。
最近は、保育所から小学生や中学生、大学生まで研修などに来られる
様になった。
もちろん日帰り仏教体験には年に数百人の方々が来られています。
図書館活動やお寺関係の方など、来られる方々は年代も性別も、あり
とあらゆる層の方が来られます。
それも他宗派の方が圧倒的に多い、要は宗教や宗派に関係なく。

そこにいろんな方々とのつながりも出来てきた。

宿坊であることも、宿泊に来られた一人一人の方とコミュニケーション
が取れることも魅力です。
中には悩み相談もあるし世間話もあるし、仕事やセカンドライフの話し
まで・・・。
もちろん仏教のこともみなさん興味を持っていらっしゃる。

最近は、男性一人旅の方も増え、外国の方々も7か国おいでになった。

その一回一回、お一人お一人が全部事情も背景も違う。
お寺や宿坊に求めておられることも違います。

だからお一人お一人、こちらも対応がすべて変わります。
これが他のお寺と違い、また他の宿坊や旅館と違うところです。

そのときそのとき、こちらもすべてを考えながら対応しています。
だからノウハウも一回一回積み重ねていると言った感じでしょうか。

このお寺、この宿坊でしか感じられないことがある。
それがこのお寺の特長であり、空気になって行くのだと思っている。

これからも、ずっとそうだと思います。
宿泊も日帰り体験も、一日一組にこだわっている理由がそこにあります。

それはお一人お一人と接点を持っていたいからです。
ただの通過や、ただの宿泊ではなく、お寺や仏教の魅力を感じて欲しい
から、そして本当に心と身体を休めて欲しいから。
だから行き着くところはない、常に新しいものとの出会いの連続だから。


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シンガポール学生・・・八頭を行く!

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シンガポールの学生をホームステイにお迎えしました。

現在日本がアジアを中心とした諸国との交流を促進しています。
日本は海外に対して、その情報発信力が弱いと言われます。

でも本当の強さは、人と人との交流によって生まれるものだと思う。
JENESIS2.0で多くのアジア諸国の学生が日本を訪れている。
いづれはその国で活躍する若者たちである。

ホームステイは日本の姿を知ってもらうには良い機会でしょう。
私もできる限りできることであれば協力をしたいと思っています。

今回はシンガポールの学生さんです。
お寺に来ていただくと言うこともありますが、一般の家庭に来ていただくので、
特に変わったことはしない。
ただシンガポールは大都会ですし、アジアでもトップクラスの経済国でもあり
ます。
なので今回は、八頭の田舎の自然を満喫してもらうことにしました。
そして日本の食文化を味わってもらうように・・・。

お寺に着いたとき、カエルの大合唱でした。
周辺では田植えが終わっていた。

彼らは実はカエルの鳴き声は聞いたことがなかったのです。
最初に、カエルだよと言っても意味が通じなかった。
夕食のとき改めて、カエルのことを話すと、やっとわかったようです。
シンガポールではコオロギの鳴き声くらいだそう、「シンガポールには田んぼ
がないから」と言ってました。

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宿坊で瞑想体験と書道を体験してもらいました。

その後はランチを食べに新しくできたHOME8823(ホームはやぶさ)へ。
そして若桜鉄道周辺で楽しんだあと、大江の郷自然牧場へ。
ここのカフェでパンケーキを食べた。

結構、こうしてみると八頭は楽しめる場所が多く、一日でも足りないくらい。
見所満載です、それに一番いいのは観光コースではなく、いろいろ楽しめる
ところ。
自分たちで思い思いのコースを作れるってことです、ありきたりの観光はもは
や時代遅れ、観光ではなく自らがコーディネートするコース設定が可能です。

シンガポールの若者たちは、とても楽しんでいました。
そしてゆっくりと八頭の自然と食を楽しんだ様です、「とってもゆっくりできまし
た」と笑っていた。

皆さんも、こんな八頭に来てみませんか。

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自然と野生と・・・鹿がお寺周辺の田んぼに!

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今日の午後、お寺に帰る途中、お寺の近くの田んぼの中に鹿がいた。

ちょっと驚きです!

近くの山には鹿がたくさんいます、山の周辺では農作物を鹿に食べられるので、
鹿の防御ネットが張られていたり。
でもお寺周辺は山から距離があり、まして夜行性の鹿が昼間の田んぼにいる
とは思ってもいませんでした。

さすがにビックリしてカメラを取り出して撮ろうとすると、田んぼの中を飛んで逃げ
て行きました。

なんとなく複雑な心境でした。

これから、このあたりまで進出してきたのなら、農作物がやられちゃうかも知れな
いなと・・・。
このあたりは高齢者の方々が、熱中症の心配をしながらも毎日畑を手入れして
おられます。

このあたりまで鹿が、それも昼間に出没するとは、そうとう繁殖をしているのだと
思います。
僕が子どもの頃には、この周辺の山には鹿がいませんでした。
でもこの10年くらいで鳥取県東部の山林は鹿の繁殖で大変です。

自然との共生、でもそれはただ聞こえの良い言葉だけなのかも知れません。
なぜなら、日本の山に鹿の天敵はもはやいないのですから。

自然の中で生きて行くには、様々なものとのせめぎ合いもあります。
過疎化と高齢化が進む山間地域を、さらに厳しい環境へと追いこんで行きます。
農作物が作れなくなると、さらに過疎化がスピードアップし、田畑が荒れ果てる
ことにもなります。

県もジビエで村おこしなど手は打っていますが、それはあくまでも建て前。

そろそろ抜本的な対策も必要なのかも知れません。

それとも自然のままに任せるのか・・・。

都会の方にも覚悟が必要です、日本の農山村を守るのかどうかという。


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