
2014年が終わろうとしています。
今晩は除夜の鐘、近所の方々が鐘を撞きに来られる。
今日は午後から雪模様、雪の大晦日から新年になりそうです。
宿坊においでいただいた皆さん。
やずブータン村のイベントに参加していただいた方々。
そして光澤寺にご縁のあった方。
今年もたくさんの出会いがあり、多くの支援もいただきました。
仏教は縁起で成り立っています。
縁起とは、「空」つまり無常と、「無自性」である関係性。
この二つのものから離れて、この世の存在は成立しないということ。
日々、移り変わるいのちをみつめ、多くの関わりを感謝する。
それが仏教の根本にあります。
それ以外のことは、実は仏教にはありません。
その二つを見つめるとき、その心の状態を問うのが仏教です。
年末年始も、言ってみれば、ただ時間の経過の中にあるもの。
本来は特別な意味をそこには求めません。
でも、人として多くの事象と関わって行く中で、その意味を人は問う。
そして、心にけじめをつけて行くのです。
新年と言っても、キリスト教の西暦なので、本来は仏教は関係ない。
もちろんイスラームにとっても、かんけいないのでしょう。
今年一年、皆さま本当にお世話になりました。
皆さまのお心に感謝致します。
さあ、これから私は、除夜の鐘の準備に入ります。
今年一年間の御礼を申し上げます。
光澤寺山門も、明日の新年には真っ白になっていることでしょう。
光澤寺住職&宿坊光澤寺主&やずブータン村代表
宗元英敏
2014年12月

来年3月で、宿坊を始めて3年が経つ。
自分が予想いていた以上に、宿坊はたくさんの人たちの人たちの心の
拠り所となったと感じる。
お一人で来られる方、ご家族やご夫婦で来られる方、そしてグループで
来られる方。
遠くから、そして、ときには外国から来られる方もいます。
今月は、アメリカからご夫婦で来られた。
来月は、ロシアとブラジルの方が、それぞれ交流で来られる予定です。
来年に向けて、宿坊もさらに進化させて行こうと考えている。
一つには、やはりその中心である、体験の充実を図る。
写経ももう少しこだわりを持って取り組む。
瞑想も、さらに深く体験したい方向けに、ヴァージョンをアップする。
絵手紙もできるが、来年は、写仏や消しゴムハンコで、仏様を彫ってみる
体験も加える行きたい。
宿坊は、日常から、すんなりと非日常の空間に入って行けます。
そのときには、作務衣に着替えると、気分も盛り上がる。
年末に、たくさんの作務衣を仕入れました。
来年は、多少はお客様に選んでもらうことができそうです。
現在は、合計で30枚くらいになったが、季節やサイズがあるので、なか
なか揃えるのは大変だったりします。
でも、これは宿坊光澤寺のこだわりですね。
あと、グループで来られる方や、二組でも対応ができる様に、二階の
客室にベッドを置くことにしました。
現在は、グループの方のときは、フトンを敷いていたのです。
ベッドの方がお客様も楽だし、準備をする私たちも、機動力がアップす
るのです。

体験内容の充実を図り、設備も少しづつではあるが、整えて行く。
より過ごしやすく、安らげる場となる様に。
そして、そこからさらに先へと進化する。
少しづつ、自分たちも楽しみながら、自分たちのできる範囲で、無理をせず
に。
それくらいが、良さそうです。
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今年の冬は、寒波が早かった。
12月には、もう池の水が凍っていた。
そんなとき、金魚は氷の下でじっとしている。
ここ2~3日は寒さも少し緩み、池の氷も溶けて、金魚もちょっとのんびりして
いるようだ。
今年、赤色から白色へと変わった金魚も、元気そうに泳いでいる。

最近は寒かったので、池をゆっくりと見ることはなかったのだが、ふと目をやる
と、小さな稚魚がたくさんいた。
この大きさだと、春ではなく秋に孵化したのだろう。
金魚って5月くらいに生れて来る。
でも秋に生れてくるのもいるのだな。
そう言えば、春先にまだちっさい金魚がいた。
いつ生まれたのかな、と思ったものです。
またこの池に、新しい命が芽生えた。
ちょっと見ただけでも、20匹~30匹くらいは、いそうです。
こんなに小さいのに、冬の寒さの中で耐えられるのかな、と思ったりもする。
でも、金魚は寒さに強いな。
何とか、寒い冬を乗り越えて行くだろう。

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休日をお寺で過ごす。
これって意外な感じがするかもしれませんね。
お寺って堅苦しいところというイメージがあるかも知れない、それか法事や
葬儀でしか用の無いところ。
もしくは、そのお寺の檀家さんしか行かないところ。
でもそんなお寺ばかりではありません。
たまの休日を過ごす、それも少し日常から離れて。
誰にも邪魔されずに、一人で、もしくは家族と過ごすことができる。
家族そろって体験してみるのも楽しいものです。
優しい空間の中で、心を安らげる。
写経をしてみる、瞑想もいい、お子さんがいるなら絵手紙も。
そんな自由に過ごせるお寺があります。
それは、お寺の庫裡を宿坊にしているからです。
日々の忙しさの中で忘れていたこと、置き忘れていたこと。
そんな心を、ゆっくりと戻して行く時間。
そんなとき、宿坊光澤寺を訪ねてみるといい。
そこでは、普段とは違う時間が過ぎて行きます。
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しあわせって、人によって違う。
それも、同じ人でも環境や年代によって変わる。
それでは、幸せになるには、人それぞれなのだから、幸せになる
方法ってバラバラじゃないかと思うでしょう。
でも、そうではありません。
誰もが幸せになれる方法、それはまったく同じなのです。
では、幸せって何でしょうか?
それは、その人自身の心が幸せと感じるかどうか。
それしかありません。
つまり、幸せとはその人の心が決めるということなのです。
いくらお金を持っていても、心が幸せと思っていなければ、その人は
幸せではありません。
いくら大会社の社長だろうが、どこかの国の大統領だろうが、幸せと
思っていなければ、その人は幸せではありません。
宝くじ当ったばっかりに、家族の関係が悪くなり、近所とも付き合えな
くなった人はたくさんいます。
最初の頃に考える幸せとは、お金だったり地位だったりします。
でも、その地位やお金を手に入れた瞬間に、それが幸せではないこ
とに気づく。
それは何故か・・・、それは、もっと違うものを求めるからです。
人間の思考回路はその様にできているのです。
常に満足しないように、手に入れた物だけでは満足できないように
なっているのです。
その事に気づけばいい。
そして、今の自分を見て、不幸だとは思わないことが大切なのです。
自分は幸せなんだと感じる事、それがすべての人に当てはまる、幸せ
になる唯一の方法です。
生きていると、別れや悲しみがある、苦悩し、年老い、病気にもなる。
そんなことは、あたりまえのことなのです。
そでれも自分は幸せだと思うことなのです。
この世に奇跡的な生を授かり、多くの人と出会う。
これだけでも、人は本当に幸せなのです。
後のことは、せいぜいひとときの快楽にしかすぎません。
どんなに喜んでも、どんなに悲しんでも、どんなにつらい別れがあっても。
人の時は過ぎ去って行くものだ。
愛すれば愛するほど、別れはつらくなる。
憎めば憎むほど、その存在は大きくなる。
求めれば求めるだけ、きりがなくなって行く。
それもただの心の持ち方にしか、過ぎないと言うことなのです。
それでは、今の自分を見つめ直しましょう。
ただ生きている、あなたの存在はそれだけで十分だということに気づく。
あとは、ただの付け足しだったのですね。
では、今から自分は幸せであると思うこと。
幸せって、実はそんなことで適ってしまうのです。
朝起きて鏡を見たら、「私が幸せであります様に」、ただそれを心に願う。
それだけで、人は幸せになって行くのです。
人の心は、本来素直なものです。
そう願っていれば、自然に心がそう感じる様になるのです。
自分が幸せと感じられたら、それから周りの人たちの幸せをしっかりと
願う。
なぜなら、人は独りでは生きて行くことができないからです。
すべてのものがつながっているのなら、すべての存在の幸せを願う。
それだけでいいのです。
そこにあるのは、感謝と言う心になります。
簡単に話しましたが、仏教が求めているものは、実はこんなところです。
縁起であり、他力に身をまかせるとき、人の心は安らかになるのです。
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クリスマスも終わり年末が近づくと、お参りが少なくなる。
何となく気分が気忙しくなるのでしょう。
昨晩は雪も降って、また周辺は白くなっていた。
普段は、おばあちゃんの一人暮らし、もう90歳が近い。
お参りすると、缶コーヒーを温めて出してくださった。
まだ温かいうちにと、お経の前に缶コーヒーをいただく。
すると、おばあちゃんが写真を出して来られる。
20年以上前に、本山参拝したときの写真だ。
20人くらい写っている、年齢としては60代の方が中心だろう。
「みんな、おらんようになった」 そう、おばあちゃんはつぶやいた。
写真には、見覚えのある人も、ない人も。
でも、今も生きておられるのは、おそらく2~3人だ。
今は地方とお寺は急激に変わろうとしている。
20年前の写真を見ながら、20年後を想う。
ほとんどが高齢者だけの家になり、そしてお一人暮らしも多い。
20年後は、周辺の家は半分以下、もしくは1/3以下になるでしょう。
当然、お寺の檀家も半分以下になるということ。
今だかって、日本はそんな経験はしていない。
とにかく高度成長期時代、人口は増えるものだと信じていた。
ヨーロッパやアメリカの経済によって、日本の高度成長があった。
今はそれが、韓国から中国、そしてアジアに変わっただけのこと。
アメリカで日本製品ボイコットの過激な運動があったのも、まだ記憶に新しい
のです。
さすがに、自分たちが経験してきたことだけに、韓国や中国製品のボイコット
にはなりませんね。
と言うよりも、日本のメーカーでもほとんどがアジアのどこかの国で作られた
ものだからか。
まさに、この世は無常だな。
でも、この世のいのちは一回、もしくは記憶としてあるのは一回。
なので人は同じことを繰り返して行く。 まさに世間は虚仮ということは、こうい
うことだろうか。
私もまた、その無常を生きる身であるのです。
そんなことを考えたことありますか。
いのちって目に見えません。
だから、なんだかよく分からないでしょう。
人は、目に見えるものを現実として受け止め、目に見えないものを
大切にしません。
お金は大切だけど、心は大切にしていないかも知れない。
名誉や地位は大切だけど、いのちは大切にしていないかも知れない。
それが迷い、つまり煩悩。
でも、本当は目に見えないものが大切なんですね。
「いのち」、「こころ」、「ほとけさま」
全て目に見えない存在です。
それを感じている人は、いのちの輝きが違ってきます。
では、いのちって何でしょう。
それは光です。
光りは流れて行きます、通り過ぎて行きます。
宇宙の時間からすれば、人の一生はあっという間に通り過ぎる。
一瞬の光のような存在。
存在と言うよりも現象ですね。
私のいのちは、現象に過ぎない。
でも、その現象の集合体が宇宙そのものなのです。
だから、仏教では中心がどこかと尋ねられたら、「私」となるのです。
常に私がその中心なのです。
そして宇宙は、一つの光や一つの現象では成り立ちません。
全ての集合体でなければ存在し得ないのです。
これってお釈迦様の縁起のことですよ。
「色即是空」 「空即是色」ってよく言うけど、現象とまでは捉えていない。
一瞬の光だからこそ、いまのいのちを輝かすのです。
一瞬にすべてを託すのです。
それが生きる意味。
そんなことを思っています。
いのちは、その肉体を離れたとしても、宇宙に存在しています。
それが仏と言うこと。
だから肉体は実体ではありません。
それを捨て去る、捨てきったそのときが、悟りとなります。
それが絶対他力の竟地。
人は肉体を持っているときは、その竟地には中々至れません。
でもそれが人って言う存在でもあるのでしょう。
それを否定することもありません。
親鸞聖人が、この世では仏となることはできないと言われたのは、
そんなことではないでしょうか。
でも、それとほぼ同じ心の状態になることは、できるとも言われている。
そのことを現生正定聚というのです。
仏となることが約束されている心の状態、でもまだ仏ではないという
ことですね。
肉体がある限り、人は迷いから離れられないから。
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あるお客様から、贈り物をいただいた。
贈り物と言っても、物ではなく言葉でした。
お客様をお見送りし、客室を片付けようとしたら、書置きが目に留まる。
何と書かれているのかなと思って読んでみる。
そこには、こんな言葉がありました。
「このたびは あたたかいもてなしと おいしいお食事をありがとうございました。
ここでのお食事は 訪れた人々の心をふんわりと包んでくれる あるいは受け
とめてくれる空間を醸し出すものでした。
他ではマネのしようもない 大変すばらしいものです。
移りゆくものの変化の中にあって、直観をはたらかせつつ(受けとめつつ)
・・・頭は直観を現象化させることに使われると良いようです・・・
宿坊を人々の心の活性化に 人々のつながりの調和に活かせられます
ように。
すばらしいお二人に出会えましたことに感謝いたします。」
このお寺や宿坊のことも、とても喜んでいただけました。
今、私たちが行っていることを、とても評価して下さり、励まして下さいました。
そして、このお寺自体が、そのことを喜んでいますとも仰られていました。
素直で謙虚である限り、目に見えないサポートが得られるとも。
とても感性が豊かな方、直観力がとても強いとも感じました。
普段は中々、感想をお伺いすることができないので、今回のことは私たちにとっ
て、有り難いことでした。
試行錯誤の連続、そして先が見えない中でもがいている。
そんなことを、いつも感じていました。
でも、今回いろんなお話しをさせていただき、様々なヒントもありました。
今やっていることの、自分たちの進む方向が間違っていなかったという思いと。
今年は、お客様からいろんな贈り物があった。
それは、思いだったり、言葉だったり。
そして何よりも、多くの出会いがある。
それぞれに感謝をする。
ありがとうございました。
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今朝の日本海新聞、コラムの「潮流」に3回目が掲載されている。
今回のテーマは、「宿坊を始めよう!」です。
私が寺に戻り、宿坊を始めるまでの経緯と、始めてからの流れをまとめたもの
です。
この「潮流」は、毎月何人かが執筆をしていて、一人月一回で12回連続となり
ます。
12回あるので、様々な視点から書けるのがとても有り難いですね。
私の1回目は、今年の10月から始まったので、来年の9月まで掲載される予定。
1回目のテーマは「心の置き場所」、2回目は「週末に仏教に出遇う」でした。
実は来月掲載分の原稿はすでに送っています。
内容は若桜鉄道に関するもの、ちょっと違った角度から若桜鉄道を眺めます。
そう言えば、今日「本願寺新報」が送られてきましたが、今回のテーマは「65歳
仏教に出遇う」でした。


何と私の先月のテーマとまったく同じでした。
もちろん真似したわけではないでしょうが、使っている文字まで一緒なので・・・。
私の方が1ヶ月前なので、良かったと思います。
私の方が遅かったら、それこそ真似たと言われるでしょうから。
浄土真宗では、仏法には、出遇うと書きますね。
たまたま遇うって感じです、でもそこには必然性も含まれています。
まあこれも、たまたまということで・・・。
そう言う訳ではないでしょうが、明日は東本願寺で宿坊の公開講座が開催され
るようです。
東本願寺の会館(同朋会館)を造りかえるにあたって、宿坊にするということです。
そこで、2年前に宿坊光澤寺で講演していただいた、堀内克彦氏が講師として
そのセミナーに出席されます。
こんなこともあって、西本願寺や東本願寺とは規模もレベルも違いますが、内容
は常に先んじてるかなと思ったりしています。
本当は、明日の東本願寺の公開セミナーには参加したかったのですが、急な法
務が入って行けなくなりました。
堀内氏目線の浄土真宗を外から見たイメージの話しを聞いてみたかったのです
が。
まあいつか時間が取れたら、堀内氏にゆっくりと話しを聞いてみたいと思います。
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今朝もかなり冷え込んでいる。
雪の予報だったが、一日晴れ間が覗いていた。
今年は寒さは厳しいが、TVで他の地域の大雪に比べると、それほど多くは
ない。
でもこれだけ12月に寒波が来ると、1月~2月は暖冬かも知れない。
そんな都合の良いことを考えてしまう。
本堂と庫裏の間の中庭にある池、そこには金魚が50匹くらいいます。
一番古いので4年前の金魚、ホームセンターで稚魚を買ってきて放していた。
それが今では三世代くらい、毎年卵から孵化している。
冬になるとエサはほとんど食べなくなり、氷の下でジッとして動かない。
寒いからか、体力の消耗を抑えているのか。
でも寒さで死んでしまう金魚はいません。
お寺に現在いる、金魚やメダカや鯉は寒さには強い。
渡り廊下から、ひび割れた氷の合間から見える金魚は、それでも寒そうだな。
水温はほぼ0℃くらいだろう、ほぼ冬眠状態になっているのかも知れない。
人間も遠い昔は、寒さの中でも生きていた。
その頃は寒さに対する抵抗力もあったのだろう。
文明が進むにつれて、その抵抗力は衰えて行く。
感覚もそうかな、五感をフルに働かせるということはない。
視覚や聴覚などの五感は、相当鈍っているはずだ。
抗菌ブームで人間の免疫力が落ちているのもそう。
感覚は鈍り免疫力は下がる。
瞑想の効果は、その感覚を呼び覚ますところにもあります。
自分を客観的に見つめることで、五感にまとわりついているものを削ぎ落す。
徐々に囚われを解き放ってゆくことで、その五感も元の状態に近づく。
そして自分自身を観察することで、自分を取り戻して行くのです。
瞑想にはそんなこともある。
でも人間って進化したり発達することで、感覚は衰え心は迷いが増える。
これってどういうことなのだろうか、良かったのか悪かったのか。
医療の発展もそうかもしれないな。
もちろんすべてがそうだということではないが、延命治療に関してはそう言える
のではないだろうか。

寒波襲来の中、雪の宿坊に来られました。
アメリカのカリフォルニアから、ご夫妻で日本を旅行されている。
相当に冷え込んだのですが、和室でコタツに入って、たくさんお話しをさせて
いただきました。
でも、本をゆっくりとたくさん読まれているお姿も印象的でした。
アメリカはもう30年以上になられるそうです。
日本はやはり四季があるのがいい、日本人の繊細さはこの四季の影響が
大きいだろうとも仰られていました。
アメリカに30年いらっしゃれば、英語発音の日本語になられるのかなと思っ
ていましたが、ハッキリとした日本語だったのにも少し驚きました。
「家では全部日本語だから」と言うことだそうです。
お子さん方もそれぞれ手を離れて、ゆっくりと日本を楽しまれている。
ご主人は、奥様に本当に感謝されているのが、すごく伝わってきました。
手打ちうどんも召し上がっていただいたのですが、坊守の料理に「とても美味
いです」と何度も仰っていただいた。
奥様には、料理のこと宿坊のこと、そしてお寺のことを、たくさんアドバイスを
いただきました。
とても感性が豊かな方で、話しをさせていただいていると、なるほどと思うこと
がたくさんありました。
その言葉をこれからも支えとして、やって行けると良いですね。
「自然にサポートが集まって来ますよ」、ただし素直さと謙虚さが大切とも。

行きも帰りも、若桜鉄道をご利用されました。
雪の若桜鉄道の丹比駅。
お見送りするのは、少しさびしい感じがしますが、列車が見えなくなるまで
手を振りました。
またいつかお会いできるだろう、そう思って。
様々な気付きをいただき、そして感謝の言葉もいただいた。
宿坊をやっていて出会える縁は、本当にかけがえのないものだと感じます。

どうぞ良い旅を・・・。
今回の出会いは、もしかして仏さまから届られたプレゼントだったのかなあ。
そんなことも感じた。
そんな出会いもたくさんある。
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昨日、「鉄道ファン」のという雑誌の2月号が送られてきました。
「そう言えば若桜鉄道の記事が載ると言ってたなあ」と何となく思い出しました。
鉄道ファンと言う雑誌は、鉄道ファンに絶大な人気と信頼があります。
最近TVでも鉄っちゃんの番組がありますが、やはりその人気は根強いですね。
今回は、その中のレポートに若桜鉄道が取り上げられているのです。
ローカル線の中でも、若桜鉄道はどちらかかと言うと地味な存在で、あまり目立
たないといった印象でしたが、この9月に社長が変わってから、その注目度は
一気に高まりました。

その記事の中で、私のガイドしている写真が掲載されているので、雑誌が
送られてきたという訳ですね。
これだけのものなのですが、その思いに感謝しております。
若桜鉄道の注目とともに、観光ガイドも一緒に注目を集めると言う効果も
ありますね。
最近は私も、このガイドで取り上げられる事が多くなりました。
これで私も、鉄道ファンの仲間入りか?
と言った感じですが、この本を読んでみると、かなり専門的な記事なっている。
とても私の入り込める余地などありません。
鉄道ファンの方は、この雑誌を隅々まで読みこなしているのでしょう。
それも何十年にもわたって。
それでも若桜鉄道に少しでも協力できたと思うと、うれしいですね。
年末から年始にかけても、観光ガイド列車に乗る予定です。
もっとガイドに磨きをかけ、若桜鉄道の魅力と楽しさをアピールして行きます。

宿坊を始めたときから、作務衣を用意しています。
それは、宿坊に来られたときに、気持ちを整えていただくため。
山門をくぐったときに気持ちが変わります、日常とは違うと言った感覚。
そして作務衣に着替える。
そうするともう一段階、気分が変わってくる。
宿坊に似合う服装と言えば、やはり作務衣がいいと思った。
ホテルや旅館、そして他の宿坊では寝間着は用意してあるでしょう。
たまに浴衣をご用意、と言った旅館もあります。
でも作務衣を用意している所はない、宿坊でもあまり聞いたことはありません。
作務衣に着替えると、気分だけでなく、動きやすいと言った特長もあります。
元々が、お寺の作務用に作られているのですから。
瞑想や写経などの時にも、やはり都合がいい。
少しづつ買い足してはいますが、来年に向けて作務衣を大幅に増やしてい。
作務衣はサイズもあり、季節によっても変わるので、結構揃えるのが大変です
が、宿坊光澤寺のスタイルでもあるので、お客様に選んでもらえるようにしたい
と思っています。
今回は、冬用も数点含めて十枚以上増やしました。
これで作務衣は20枚以上になります。
宿坊に来られたら、ぜひ作務衣に着替えて、気分も一新して下さい。
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昨晩は大寒波襲来でした。
朝起きると一面真っ白、「来たなあ!」って感じです。
でも雪景色の早朝はとても美しい。
この気分も、雪国でしか味わえない。
でもさすがに、よほど寒かったのかお風呂のボイラーが動きません。
水道管かシャワーの水が凍っていて、水が循環しないようです。
今日はアメリカからのお客さんが来られる予定。
この雪で来られるのかなあと、ちょっと心配です。
午前中、お寺で予定していた法事も雪で延期となりました。
この時間を使って、早速雪かきに精を出しました。
除雪機もないので自分で雪かきをしなくてはなりません。

とにかく車を出せるようにしておくことが大切です。
いつ急なお参りが入るか分りません。
幸いにも、積雪は25cmくらいでお寺の前の道は、早朝の新聞配達の車の
轍が残っていて、何とか除雪をせずに村の通りまで車を出すことができました。
ここを除雪するとなると、100mくらい自力で除雪しなくてはなりません。
これは結構骨の折れる作業になります。
おかげで今日の除雪作業は1時間くらいで済みました。

タルチョも雪の中、風に舞っています。
雪の日も世界中の経典を運んでくれている、有り難いなあ。

雪景色も宿坊の楽しみなのです。
お昼過ぎには、アメリカからのお客様も無事到着。
心配したお風呂のボイラーも、お湯が無事に出て、こちらも一件落着。
こうして大寒波襲来の宿坊も一日が過ぎて行きました。
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宿坊も12月になると寒くなる。
この辺りは鳥取でも雪の多い地方です。
雪が降り始めると、2月いっぱいは雪景色が続く、ただ最近は雪も少なくなっ
て、雪景色が見えないこともあります。
宿坊を始めて3回目の冬、今年は12月も宿泊の方がボチボチいらっしゃる。
12月も本格的な寒波が来るまでは、それほど寒さは厳しくはない。
皆さん、本堂で写経をされています。
ところが、昨日より日本列島を寒波が襲っている。
宿坊もかなり寒い、昼間でも今日は0℃くらいだったようです。
それでも宿坊の部屋は冬仕様にして、お客様をお迎えする。
ベッドのフトンも温かくし、客室にはファンヒーターとエアコンを準備している。

冬の間は、和室の談話室にコタツとファンヒーターを置いている。
ここでゆっくりとされる方が多い、お茶を飲みながら本を読んだり、一緒にお話
しをしたりと言った感じです。
冬は都会から来られる方は、雪が見たいと仰られる方も多いのです。
でも宿坊には、寒さから身を守る秘密のものがあります。

そう湯たんぽです。
これを寝る少し前に布団の中に入れておく。
そうすると、フトンに入ったとき温かいのです。
宿坊を始めたときからですが、やっぱり自然の温もりがいいという方が多い
です。
今まで来られた日本人の方はもちろん、外国の方もこれには大喜びです。
これで布団の中は、朝まで温かです。
ただ宿坊と言うこともあって、最初から寒いのは覚悟で来ました、という方も
中にはいらっしゃいます。
でもまあ、暖かいにこしたことないでしょう。
でも朝晩のお勤めのときは、本堂はヤッパリ寒いですよ。
ストーブもありますが、そのときは少し凛とした気分になります。
それも、冬の宿坊の楽しみかも知れません。
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日本列島が数年に一度の大寒波に見舞われている。
各地で被害が相次いでいるようだ。
この宿坊のある鳥取県東部は、大雪になると言われながらも、今日の夕方まで
は、雪が全くありませんでした。
このまま雪が降らなければいいけど・・・。
そう思っていましたが、やはりそう簡単には行きません。
夜半から風が止み雪が降り出した。
気温が低いので、粉雪で融けずにそのまま積もる。
あっという間に辺り一面が真っ白になった。

幸い、本堂には客室から直接行くことができる。
明日は午前中に法事がある。
そしてお昼からはアメリカからご夫妻が泊まりに来られる予定です。
連絡が入っていないので、大丈夫かなと少し心配しています。
最近宿坊へは、若桜鉄道に乗って来られる方が多い。
明日も宿坊まで歩いて来られるというので、おそらく若桜鉄道でしょう。
ご連絡をいただけるとお迎えに行けるのですが・・・。
今日から明日にかけては、昼間もほぼ0℃くらい。
宿坊の部屋は暖かくして、談話室にはコタツとファンヒーターをご用意
しています。
無事に宿坊にたどり着けますように、そう願っている。
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親鸞聖人の『教行信証』の「方便化真土文類」の中にこうあります。
「慶ばしいかな 心を弘誓の仏地に樹て 念(おもい)を難思の法海に流す。」
本願寺派の浄土真宗聖典からみると、こうあります。
「深く如来の矜哀(こうあい)を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。
慶喜いよいよ至り、至考いよいよ重し。
これによって真宗の詮を鈔し、浄土の要を摭(ひろ)ぶ。
ただ仏恩の深きことを念ふて、人倫の嘲りを恥ぢず。
もしこの書を見聞せんもの、信順を因とし、疑謗(ぎほう)を縁として、
信楽に願力を彰(あらわ)し、妙果を安養に顕さんと。」
とあります。
現代語訳だと、どうしてもその心は伝わりにくいのですが、本願寺派の現代語訳
も載せておきます。
「まことによろこばしいことである。心を本願の大地にうちたて、思いを不可思議
の大海に流す。
深く如来の慈悲のおこころを知り、まことに師の師の厚いご恩を仰ぐ。
よろこびの思いはいよいよ増し、敬いの思いはますます深まっていく。
そこで、いまここに浄土真実の教えをあらわす文を抜き出し、往生浄土のかなめ
となる文を集めたのである。
ただ仏の恩の深いことを思うのみであり、世の人のあざけりも恥とはしない。
この書を読むものは、信順すればそれが因となり、疑い謗ってもそれが縁となり、
本願のはたらきによって真実の信を得て、浄土においてすぐれたさとりを得るで
あろう。」
こんな感じになります。
親鸞聖人の原文はもちろん漢文、そして白文である。
「慶哉樹心弘誓佛地流念難思法海。
深知如來矜哀良仰師教恩厚。慶喜彌至、至孝彌重。
因茲鈔眞宗詮、摭淨土要。唯念佛恩深、不恥人倫嘲。
若見聞斯書者、信順爲因、疑謗爲縁、信楽彰於願力、妙果顯於安養矣」
であります。
ここでは、親鸞聖人のこの言葉の意味をうかがって行きたいのですが、原文を
訳し、さらにそれを現代文に訳すと、何と味気なくなるものか、ということも分っ
てきます。
お経は何が書いてあるか分からない、そう言われて現代文を読んだり歌をうた
ったりされることもある。
でも、それではそこに込められた本当のお心が分からないと言うことでもあるの
です。
それが悪い訳ではありません、あくまでもそう認識しておくと言うことなのです。
現代文はあくまでも参考でしかない、なぜなら親鸞聖人の言葉ではもうないから
です。
実はこれは「歎異抄」にも言えることです。
唯円という弟子が書いているのですが、それがまるで親鸞聖人の言葉の様に
使われている。
これもあえて言えば、他人の眼を通したものであって、あくまでも参考文献でし
かない、ということもお分かりいただけるのではないでしょうか。
僧侶であるなら、真宗の教義を学ぶと言うことは、本来は原文でしか為し得ない
ということなのです。
でも伝わらなければ意味がない、としたならば、それは伝える僧侶の力量であっ
たり心持ちであったりするのだと思います。
中途半端な迎合が、本当の意味を分からなくするということも、理解しておいた
方が良いでしょう。
お涙ちょうだいや、ありがたいばかりの話しばかりでは、真宗の意味がはきちが
えられるということも。
そう言う方々は、きまって浄土真宗はこうでなければならない、とかって言います。
論語読みの論語知らず、柳宗悦さん的に言えば「茶ニテアレ 茶ニテナカレ」と
言うことでしょうか。
十方衆生、迷いの凡夫であるという自覚、そして私こそが機であるということ。
そこに誓願がなされるということを。
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これからの町おこしには、やっぱり物語が必要だと感じた。
物語があると、そこに行ってみたくなる。
それには、若桜鉄道を舞台にした物語、それも恋の物語がいい。
この駅舎の待合室を見るだけでも、そこに物語があるような気がする。
ずっとずっと80年前からこのままなのだろう、それだけでも多くの恋物語を
この駅舎は見てきただろう。
どんな物語がいいかなと考えてみる。
タイトルは「若桜鉄道恋物語」がいい。
そのまま映画のタイトルにもなりそうだ。
やはり女性が主人公の方がいいかな。
それも大人の女性がいい、お酒も少しは飲める方がいいかな。
そこに曲もイメージして行く。
どんな恋物語になるかな。
でもただの恋物語ではない、そこには深い心が欲しい。
どんな展開になるのか、ちょっと自分でも楽しみです。

先週の土曜日、若桜駅から若桜鉄道に乗り鳥取へ向かった。
雪の若桜の町、若桜鉄道観光号の観光ガイドを務めるためでした。
若桜鉄道の山田社長と乗り合わせ、いろいろ話しをしながら。
その途中で一駅ごとに変わって行く車窓の景色を眺めていた。

わずか20kmの営業区間しかない若桜鉄道だが、一駅一駅で景色が変わっ
て行くのが分る。
若桜谷の特徴でもあるのだが、こんな鉄道も珍しいのではないだろうか。

その日の観光ガイドをするのに、僕は駅と列車の歌詞のある歌を準備して
いました。
駅や列車やホームには、別れの歌や悲しい歌が多いことに気づきます。
人は、出会いや縁結びや楽しみばかりではないということです。
別れや悲しみや、振り切れない思いが人にはある、そして悩みを心に抱える
人もいる。
駅は、そんな人たちの心の思い出の場所だったりするのだろう。
今日の北のはずれの不便な場所にある大原が、女性に人気があるのか。
それは恋に破れた女性がそこに行くから。
四国八十八カ所の巡礼も、様々な思いを持った人たちが行くのです。
人にはそんな情(思い)を流して行く場所が必要。
でも、それはどこでもいい訳じゃない。
ふさわしい場所が必要なのだと思います、新幹線や電車ではないのだ。
駅とか列車の歌で、どんな歌を思い浮かべるだろうか。
僕に浮かんだ曲はこんな歌だった。
ちあきなおみさんの喝采。
それも分かれとスタートの歌である。
「あれは三年前 止めるあなた駅に残し 動き始めた汽車に
ひとりとび乗った・・・」
奥村チヨさんの「終着駅」という曲も、歌詞を見るとすごい内容です。
「落ち葉の舞い散る停車場は 悲しい女のふきだまり
そして今日も一人 明日も一人 過去から逃げて来る
真冬に裸足は冷たかろう 大きな荷物は重たかろ
なのに今日も一人明日も一人 過去から逃げて来る
最終列車が着くたびに よくにた女が降りてくる
そして今日も一人明日も一人 過去から逃げて来る」
イルカさんの有名な曲、「なごり雪」も駅のホームのシーンです。
「汽車を待つ君の横で僕は 時計をきにしてる
季節外れの雪が降ってる 東京でみる雪はこれが最後ねと
寂しそうに君がつぶやく・・・
動き始めた汽車の窓に顔をつけて 君は何か言おうとしている
君の口びるが「さようなら」と動くことが こわくて下を向いてた
君が去ったホームに残り 落ちてはとける雪を見ていた」
古い曲だけど僕の思い出に残っている歌。
猫というグループが歌った「各駅停車」
「あの女ともう二度と旅をすることもない 窓に頬よせて
サヨナラと言った
各駅停車の汽車は今 思い出の町を出る
僕の微笑が歪んでいるのは 降り出した雨のせいじゃない
鉄橋が見えて来る あの町が消えて行く
あの女の住む町が 黄昏ににじむ
各駅停車の汽車だけが 振り返ることもない
僕の微笑が震えているのは 消えそうな思い出のせいじゃない
この駅は淋しくて訪れる人もない
なのにただ一人 悲しみのさなか
各駅停車の汽車を降り 口唇かみしめる
僕の微笑が凍りつくのは 降り出した雪のせいじゃない」
そして、駅というその名の通りの、竹内まりやさんの「駅」。
これは一番有名な曲かも知れませんね。
「見おぼえのあるレインコート 黄昏の駅で胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく 昔愛してた あの人なのね
二年の時が変えたものは 彼のまなざしと私のこの髪
それぞれの待つ人のもとへ 戻って行くのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り うつむく横顔を見てたら
思わず涙があふれてきそう
ラッシュの人波にのまれて 消えて行く後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には 雨もやみかけた この町に
ありふれた夜がやってくる」
これも古い曲、石橋正次さんが歌った「夜明けの停車場」です。
「夜明けの停車場に ふる雨は冷たい
涙をかみしめて サヨナラを告げる
きらいでもないのに なぜか 別れたくないのに なぜか
一人で旅に出る 俺は悪い奴
一駅すぎるたび 悲しみは深まる
こんなに愛してて さびしいことさ
嫌いでもないのに なぜか 別れたくないのに なぜか
しあわせ捨てて行く 俺がわからない」
景色が変わって行く様に、一駅一駅立ち止まり振り返る、そして思いを流して
行く。
若桜鉄道はそんな場所にふさわしい場所です。
途中の駅の近くには宿坊光澤寺がある。
様々な思いを持った方が来られる、そして心を整えて行かれるのです。
新たなスタートをするには、心を整えるということが、とても重要です。
そんな場所でもあります。
私の若桜鉄道のイメージは、「若桜鉄道こころの旅」とか、「若桜鉄道心の巡礼
地」といった感じです。
そんな心を癒す場所になって欲しいと思っています。
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今日は衆議院選挙の日でした。
あいにくの雪模様、選挙の出足にも影響したでしょうか。
ただ鳥取の第1選挙区は石破大臣ですから、当落にはまったく影響なし。
全国的には大物議員の落選もあったりで、綱渡りの方も多かったでしょう。
宿坊には前日からの宿泊のグループの方がいらっしゃっていた。
宿坊を始めてから、毎年の暮れにはお越しになられ、忘年会をご一緒している。
毎年の恒例行事の様になっています。
本来にならゆっくりしていただく予定でしたが、私の方が慌ただしくなってしまい
ました。
朝のお勤めを、宿泊の方と一緒に。
10時前には日帰り体験の女性グループの方がお越しになられる。
近くの婦人会の皆さんです。
お部屋を片付け、写経の準備をしてお迎えします。
今日のお客様は、私のお世話になった先輩の奥様や同級生、また同級生の
奥様だったりで、本当はゆっくりと話しに花を咲かせたかったのですが・・・。
ちょっと残念でした。
今朝は相当冷え込んでいました、本堂もストーブを2個用意していますが、かな
り寒かった様です。
10時から法事が入っていたので、写経の前にお経をお唱えして出かけました。
ご法事でも、本当はゆっくりとお食事をご一緒する予定でしたが、葬儀が急遽
入ったので、こちらもご法話を終えると、次の葬儀会場へ向かうことに。
今日は友引ですが、浄土真宗では六曜は考慮しませんね。
元々中国の民間の伝承の暦であり、仏教にはまったく関係ないので、友引とか
仏滅とかは一切関係ない。
いつもそう言っているので、今回は忙しいと言って、友引だからと月曜日にとは
さすがに言えない。
お寺周辺は雪がほとんどなかったのですが、鳥取市内の葬儀会場に近づくに
つれて雪が多くなっていった。
今回の雪は、まだ里雪の様だ。
葬儀を終えると火葬場まで同行し火屋勤行をお勤めする。
その後、葬儀が急遽入った影響で、時間をずらしていただいていた六七日の逮
夜にお参りする。
こちらのお宅は、お参りの方が多いので、あらかじめ時間を変更していただいて
いました。
こちらも読経と法話を終えると、次も時間を変更していただいていた、報恩講の
お参りに行く。
そこを終えると、葬儀の方が還骨のお参りにお寺に待っておられた。
寒い寒い本堂で還骨勤行と初七日の法要を終え、今度は庫裡で精進落しの
食事会です。
年末の週末、特に日曜日は様々なことが集中してきます。
そこに葬儀が入ると、あれやこれやと調整が入り、スケジュールも分単位にな
ってきます。
宿坊もお客さんあってのこと、お寺のこともお参りの方がいらっしゃる。
それぞれにご迷惑を掛けることの無いように最善を尽くし、それぞれに心を込め
るのです。
さすがに今日は、私も綱渡りの様な一日でした。
ご宿泊の方と日帰り体験の方々には、最後ゆっくりとご挨拶ができず申し訳なく
感じておりますが、またぜひお越しいただきたいですね。
そのときには、宿泊の方とも日帰り体験の方とも、ゆっくりと過ごしたい。
肉体的には完全燃焼ですが、心的にはそれぞれにもっとじっくりと取り組めたら
良かったですね。
最近は葬儀も本当に少なくなったので、いつもはスケジュール通りに進んで行く
のですが・・・。
今年の師走はいつになく忙しいですね。
何事も思う通りには行かない、そういつも言ってるのは私でした・・・。
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![10313548_746737492072152_7951006752674980525_n[1]](https://livedoor.blogimg.jp/sakurasakukoutakuji/imgs/a/1/a1aa4049.jpg)
(若桜鉄道 山田社長撮影)
昨晩からの冷え込みで、今朝は一面真っ白。
今日は若桜鉄道観光ガイドの日です。
寒いしお客さんも少ないかも知れません。
でも、若桜鉄道はこの雪景色も楽しみの一つなのです。
先ずは若桜駅に行き、列車に乗り込みます。
そこで山田社長と出会ったので、鳥取駅に着くまでいろんなお話しをしました。
その列車が折り返しで、9:45分発の「若桜鉄道観光号」になります。
出発して郡家駅まではJR西日本の区間。
その間は、乗っておられるお客様に話しかける。
どこまで行かれるのか、ちょっとした目的などを、失礼のないようお伺いします。
東京からこの観光列車に乗るために来られた方、若桜にお兄さんの六七日の
法要に行かれる方など、それぞれに人生があります。
今日のガイドを務める上で、私は昨晩から考えていたことがあります。
駅と列車を人生になぞらえ、そこに歌をはさんでガイドをしてみようと。
選んだ曲は以下の通り。
①竹内まりや ・・・ 「駅」
②奥村チヨ ・・・ 「終着駅」
③イルカ ・・・ 「なごり雪」
④猫 ・・・ 「各駅停車」
⑤太田裕美 ・・・ 「さらばシベリア鉄道」
駅の間で、それぞれの歌詞を読んだり、思いを語ったり。
実は駅にまつわる歌は、寂しかったり悲しかったり、別れの歌が多いのです。
駅には人生がある、そして別れがあるけど、それは出発の歌でもあったり
するのです。
情を流して行く場所が人には必要だ。
そしてまた、一歩踏み出して行く。
そんな場所にぴったりなのが若桜鉄道だと感じる。
人生は旅、それも鉄道の旅だ。
一駅毎にそれぞれの出来事があり、そして駅に止まる毎に振り返ったり、
立ち止まったり、そしてまた歩きはじめる。
そんな旅には汽車がいい。
電車や新幹線ではないのです。
若桜鉄道にはそんな魅力がある。

今年は行事やイベントが多かった。
その中で、様々なことを経験し、多くの方と出会い、そして支援もあった。
お寺でのイベントにも様々なものがあるが、やはり何でもいいと言うもの
ではないと思う。
お寺に置いている書籍やマンガもそうであるが、自分の意志に適うもの
という前提です。
ただ自分の意志だけでなく、仏教や地域活性化、そして文化的なもの、
それらを含めて考えている。
その目的としては、先ずはお寺に多くの人に来てもらいたいと言うこと。
お寺や宿坊を知っていただくこと、そこからが始まりです。
次には、様々な情報発信をして行くこと。
お寺ってこんなこともやってるの?、という意外性もあるし、その上で、
自分自身の経験やノウハウの蓄積にもなる。
出会いの中で生まれてくる感覚があるし、お寺も空気感が少しづつ変化
して行く。
それが結構楽しみだったりもします。
自分ではその変化に気づかなくても、時間が経てば変化していることが
分かる。
外見は変わってないように見えても、あきらかに何かが変わっている。
たとえば宿坊でも、最初に来た時と二回目に来た時では、何となく違い
がある様に感じてもらうこと。
変わっていないのに、変わっている。
お寺にも宿坊にも、やはり進化が必要です。
進化と言うよりも、深みが増して行くといったことでしょうか。
宿坊を始めてからは、少しでも多くの方々に来ていただくことが主眼で
あった。
来年以降もそのスタンスは変わりませんが、少し外側にも眼を向けて行こ
うと考えています。
自分でできることをやって来ました、それには今までの蓄積が役に立って
いると思います。
でも、これからさらに進んで行くには、それだけでは足りないようにも感じ
ます。
たとえば仏教でも、最近は若い世代の活躍が目立つ。
私の感覚とは全く違う視点で、仏教やお寺をみているでしょう。
自分が若いときはいいけど、そうでなくなった今、その世代の考えている
ことを感じ取ることも大切だと思います。
と言うわけで、仏教・浄土真宗、宿坊、体験、地域活性化、コミュニティー
作り、などのキーワードがあるところには積極的に出かけてみることにし
ています。
早速に、今月のクリスマス・イヴの日、宿坊研究会の堀内克彦氏が東本
願寺で宿坊に着いて講演される。
年明けの1月20日には、大阪の應典院で「ニッポン宗教と再生」という
イベントがある。
どちらも現在の私にとって、とても重要なポイントとなります。
更には、来年には山陰で松本紹圭氏が主宰している「未来の住職塾」が
開かれるという。
私は未来のって感じでもない歳ですが、松本氏のお誘いもありましたが、
それでは若手僧侶の話しを聞いてみようと思い立つ。
変わらないという強さとともに、変わって行くことに眼を向けて行くことも
大切だと感じる。
できれば、いよいよブータンにも足を運んでみたい。
そこから、また見えて来るものがあるだろう。
そう信じて・・・。
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浄土真宗では、救いとか信心と言う言葉をよく使います。
救いと言うと、何かに救われているという感覚がありますが、それでは
一体救いとは具体的にどういうことなのでしょうか。
今回は、それを仏教的な見地から見て行きたいと思います。
すると浄土真宗の内側からだけ見ているよりも分りやすかったりします。
初心者に方には、こちらの方が分りやすいかも。
仏教の目的はただ一つです。
登山ルートはいくつもある、それはブッダが入滅されたなら、その解釈
が違ってくるのは仕方のない事。
でも仏教である限り、その頂上はすべて一緒じゃないと困りますね。
では頂上とは何か、というと、それは悟り以外にはない。
つまり悟りを目指すのでなければ、それはもはや仏教ではないでしょう。
なぜなら、お釈迦様はブッダとなられたのですから・・・。
その悟りへ至る道がそれぞれの仏教となり宗派となる。
たとえば、それが浄土真宗的に言うと、自力と他力とに分かれると言う
解釈になります。
悟りとは心の平安である、その竟地を涅槃とも表現する。
迷いや苦しみを作り出す三毒の煩悩、貪欲・瞋恚・愚痴、それを実体で
はないと見ること。
そのとき心は解き放たれて、迷いの世間から解脱する。
他力とは、その迷いを断ち切ることは、自力ではできないとする。
なぜなら、人は命として誕生したと同時に、身体と言うものを持ってし
まうからです。
それと同時に、人は心というものも持ってしまった。
その時点で、人はこの三毒の煩悩を取り去ることは困難となる。
ブッダは人の世は苦だと見る。
身体を持つことによって、人は四苦(生・老・病・死)から離れられない。
さらに心を持つことによって八苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊
盛苦)に囚われる。
つまり人間が命を持つことで、四苦と八苦が生まれてくるのだ。
その苦しみを取り去るにはどうすれば良いのか。
仏教のテーマは実はこれしかないと言うことに気づく。
ブッダはその迷いから人々を解き放ちたいと出家する。
もちろんそれは、ブッダ自身のことでもあったのです。
八苦は心から生まれてくる。
ではその心をどう保てばよいのか。
次に命の根本である四苦になる。
これは、避けられないものを避けたいと言う心から苦しみが始まると考え
る。
そうすると、そこに人は、この世の事象をありのままに見つめる正見が
必要であるとするのです。
ありのまま、そう生あるものは必ず滅すると言う真理、つまり縁起。
仏教の根底にある縁起を理解することである。
でも人の心は弱く揺れ動くもの。
そして自力では絶対に解決できない問題が横たわっていることに気づく。
そのとき他力に出遇うのですね。
ですから大乗仏教の悟りはやはり他力であると言うことになるのです。
なぜなら、大乗仏教運動は、元々が在家者仏教運動が中心であるから。
そこに救いを求めたのです。
そして観音菩薩や阿弥陀如来、大日如来や薬師如来が誕生する。
東南アジアに伝わるテーラワーダ仏教は違います。
あくまでも自力で悟りに至る、釈尊がそのモデルとなっています。
でも実際にはそう簡単にと言うか、悟りと言うものに届かない現実があ
るのも事実。
ただし、そこには悟りに至るためのメソッドがあるのです。
大乗仏教の仏には、実在した釈尊をそのまま仏として本尊にしている
教えはない。
釈迦牟尼仏がいらっしゃるではないかと思うかも知れないが、よく聞いて
みると、実在した釈尊ではないことが分かります。
そこにテーラワーダ仏教と大乗仏教の根本的な違いがあるのです。
そこに中途半端に自力や出家と言うスタイルを取り入れているので、
日本の仏教はややこしくなるのですね。
さらには、護摩やら祈祷だの、釈尊が否定したものまで取り入れて、迷い
を深める行為まであるのですが、実際にその根拠を、釈尊に求めること
はできません。
それは僧侶であれば誰しもが分っていることでしょう。
なので日本仏教は、宗派の教義のみで成り立っているから、仏教自体を
本格的に学ぶ機会は少ない。
話しは逸れましたが、では浄土真宗の救いとは?
浄土真宗はその迷いの行為を否定して行きます。
護摩・祈祷・まじない・吉凶・霊魂など、本来の仏教では問わないものを。
そして、「いのち」の平等を見て行くのです。
ただ仏教は、心のあり方を問うものですが、インドや中国やチベットなど、
様々な国や民族の土着の宗教と混ざり合って行ったという経緯もありま
すね。
さらに信心とは疑う心を捨て去ることであり、迷いを解き放つと言うこと。
それは自力と言う概念を捨て去って、すべて他力に任せる。
そこに自らのはからいを捨て去ると言う行為があるという、立ち位置を見
出して行く。
そこにすべての存在とつながっている、私と言う存在に気づかされて行く。
南無阿弥陀仏に導かれ、南無阿弥陀仏になって行く私と言う存在である。
その結果は、ありのままに受け止める、つまり正見ということにつながっ
てゆく道筋が見えて来るのでしょう。
そのとき、人は命から「いのち」へと転換して行く。
それを日常の生活の中に見出して行く。
正見に至ることで、人の心は落ち着きを持つ。
そこに謙虚さと感謝の念を育む要素がある。
ただし、この身体や心が存在している限り、ブッダとなることは難しい。
そんなことができるとしたならば、それは釈尊と言う存在でしかないだろ
うと言うことです。
心はブッダに近づくことはできる、でも生きているうちにブッダとなることは
できない。
ただ、世間から去るとき、同時に身体と心を手放すことができる。
そのとき人はブッダとなることができるのです。
そこにブッダとなる意味を見出し、釈尊が悟りを開かれた後の45年間を
立ちあがって伝道に尽くした姿を見出す。
つまり仏となったならば、人びとを導くことにすべてを尽す。
つまり仏となったならば、そこで安穏とはできない、この世に戻り有縁の
人々を迷いから悟りの道へと導くという、大切な役割があると言うことです。
浄土真宗は、そう言った点であくまでも心の持ち方をテーマにした教えで
あり、釈尊の教えに近づいて行くということにもなります。
ただし、これはあくまでも浄土真宗から見た立場であり、それぞれの宗派
にはそれぞれの観点があるということです。
それも私の私見でしかありませんので、その点をご考慮下さい。
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最近、五十代の方々が宿坊に来られる。
今週も、それぞれ二泊された方が続きました。
過ごされ方は本当にそれぞれでした、お一人はゆっくりと本堂に座って過ごさ
れ、もうお一人はたくさんお話しをして行かれました。
同じなのは、お二人とも浄土真宗のご門徒さんであると言うこと。
おそらくそれぞれに、何か心に抱えておられるのだろうと感じました。
ただ、何か言われない限り、こちらから聞き出すようなことはありません。
何か話されるときは、そのお話しに耳を傾ける。
初夏から秋にかけては、30歳前後の女性の方がとても多い。
秋から冬にかけては、50歳前後の女性の方が増えました。
体験を希望されるということは同じ、写経や瞑想、ときには絵手紙とか。
読経や作法はご一緒されます。
もし、悩みや相談があるときは、お話しをします。
仏教や浄土真宗のことについて尋ねられるときは、分りやすい様に。
人生には、ちょっと変化があるときがあります。
たとえば30歳前後だと、仕事や結婚、出産やこれからのこと、一旦心を調える
のでしょう。
そこからまた、自分の人生をスタートさせる。
リセットすると言うよりもスイッチを入れ直すって感じかも知れません。
50歳代であれば、夫婦のことや家族のこと、体調の変化もあるし、周りの方の
死と向き合うこともある。
また、これからの人生をどうして行こうかと考える
私は現在54歳です。
30歳を会社員として通過している、会社や仕事や結婚、人間関係のことも経験
している。
僧侶であるので、様々な死の場面にも立ち会ってきた。
そして自分自身が50歳代を今生きている。
そう言った意味では、悲しみや苦しみ、そしてそれに関わる相談事を、自らの経
験や思いから話しを聞くことができます。
さらには、様々な宗教や宗派を自分なりに学んできた。
お話しされることを自分なりに思うことができる。
そして、様々な方のお話しを聞くことで、そのいろんな状況を考えることができる。
会社員を経験して、僧侶になり、様々な話しを聞く機会がある。
それらのことが一つになって、現在の宿坊があります。
「幸せ」とか「生きる意味」とかって言う、答えが出しにくいテーマでも、その方の
生き方を通してお応えすることができる。
宿坊をやっていると、すべての世代方々にそれぞれの考えがあり価値観があり、
様々な苦悩と向き合っている方のお話しが聞けるのです。
今回は、現在直面している問題に加えて、「生きる意味」から「いのち」そして仏教
や浄土真宗のことをたくさんお話ししました。
二泊とも、夜遅くまで話しが及んだ。
新聞や雑誌など、宿坊や私が紹介されている記事や、仏教や浄土真宗に関する
書籍などについても、ご紹介させていただいた。
そのとき考える事、それは、ここを心の依り所と思っていただく。
そして必ずつながっている場所や人がいると言う心を持っていただくこと。
それをいつも心にかけています。
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雪の若桜鉄道もいい。
この前降った雪も消えたけど、これからは雪の若桜鉄道も楽しみの一つ。
車窓から見る若桜谷の雪景色、これから本番ですね。
私が今度、若桜鉄道のガイドを務めるのは12月13日の土曜日。
明日からまた冷え込みが厳しくなり、13日は雪の予報。
これからは少しづつ法話も取り入れて行こうかなと思っています。
若桜鉄道沿線の風景と心温まる法話のセットで、癒しの空間にできたらいい
ですね。
来年も観光ガイド列車は走るそうです。
若桜鉄道や沿線の魅力を紹介しながら、また法話を入れ込んだりしながら、
個性ある観光ガイドをして行けたらいいなと思っています。
いつか、この若桜鉄道観光ガイドが名物となって、それだけでも人を呼び
込めるくらいになったらいいと思っている。

宿坊では、日帰り体験や宿泊の方のご希望で、イタリアン精進料理をお出し
しています。
今年は、お寺にふさわしいものを、増やしてみようと思い立つ。
そこで、子どもから年配者の方まで食べられる、うどんに挑戦してみました。
2月末に坊守と一緒に讃岐にうどんを食べに行く。
一泊二日で、10軒くらいの讃岐うどんの名店を巡った。
うどん巡礼である。
また大阪には、きつねうどんの発祥の店に行き、肉うどんの名店も周った。
それぞれの特徴がある、でもそのどちらも合わせた出汁にすることに。
昆布とイリコと粗節とカツオ節を入れることにした。
麺はノド越しにこだわり、さぬきの夢と言う、讃岐産の国産100%の小麦粉
にすることにした。
春から作り始め、あれから何回うどんを打ったことだろう。
ただ、うどんはどこでも食べられるので、うどんを頼まれる方は少ない。
それでも試食会と称してうどんを作りました。
昨日、河野義行さんが宿坊に泊まられることになり、夕食を準備。
その際に、手打ちうどんをお出ししました。
何故か分りませんが、ワインとともにうどんを食べていただいた。
あとでご一緒したご住職に、「河野さんはうどんがお好きです」と聞いた。
その河野さんが、「ご住職のうどん、おいしかったです」と書置きをして下さ
っていた。
うどん好きの河野さんの言葉だけに、とても嬉しかったです。
来年には、さらに美味しいうどんをお出しできるように、やる気が出てき
ました。
いつか光澤寺名物となって、若桜鉄道とお寺の活性化になれば・・・。

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昨日は、今年初めての本格的な雪景色でした。
そんな中、宿坊に来られました。
今朝は晴れ上がり、朝方はとても冷え込みました。
そんな凛とした空気の中で、写経を体験していただく。
今日の写経は、浄土真宗で称えられる「重誓偈」という経です。
「般若心経」の方が多いのですが、浄土真宗の方はこちらを選ばれる方も
いらっしゃる。
先ずは、これから書くお経を一緒に唱え、墨をすって心を調える。
そして阿弥陀如来の教えに出遇ってゆく。
阿弥陀如来が修行の身であったとき願いを立てる。
その願いを必ず成就すると、重ねて誓うシーンのお経です。
だから「重誓偈」なのです。
その願いの苦労に思いを馳せ、こころで書くと言った感じでしょうか。
「庫裡と本堂とどちらがいいですか?」とお伺いすると、「本堂で!」とお応
えが。
やはり仏様と向き合うのがいいのでしょう。

墨をゆっくりとすって行く。
心が少しづつ落ち着いてきます。
本堂は寒いのですが、晴れているので気分がいい。

今日は私も、朝一件お参りをすませた後は、久々に予定が入っていません。
体験とお話しにゆっくりと向き合える冬の一日です。
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降りそうで降らなかった雪、今朝起きると一面が真っ白になっていた。
いよいよお寺も本格的な冬に突入したな。
寒さも厳しくなってきました。
今年は宿坊やお寺で様々なイベントや行事が続きました。
自分から仕掛けたことも多いのですが、その行事が全部終わるのを待って
いたかのように雪になりました。
やはり雪があるのとないのとでは、大きく違うので助かりました。
忙しかったり苦労したりの連続でしたが、その分様々な経験ができ、出会い
もたくさんあったことは、とても収穫が大きかったと思う。
やはり、何か始める事、そして続けることの重要性を感じた年でもあった。
その結果は来年出るとは思いませんが、10年後には何かにつながっている
かも知れません。
もしかすると、私の次の代かも知れない、でもそれでいいのだと感じています。

今年まだ処理できていないことも多い、そして来年への準備もあります。
でも今週も、日帰り体験と宿泊が続きますので、まだまだ気を緩めることは
できません。
厳冬に向かう季節、身を引き締めてもう一度スタートするつもりでいる。
開業して3年経つ宿坊、さらに進化させなくてはいけないとも感じる。
それには、情報収集も重要な課題です。
この年末から来年一年間は、私自身の充電期間でもあります。
お寺の原点を見つめながら、宿坊をさらに充実させる。
そのためには私自身が進化しなくてはならないのです。
さあ、来年一年が次の10年のスタートの年になります!
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- お寺プロデュース

昨晩、松本サリン事件の河野義行さんが宿坊に来られました。
今日の公開講座にご出席いただくためです。
この研修会を企画プロデュースされた、鳥取市の養源寺様のおはからいも
あって、夕食をご一緒させていただく縁がありました。
夜になっての移動もあってお疲れだと思いましたが、それでもゆっくりとお話し
を聞くことができました。
河野さんのことは当時のニュースの状況や、その後のことなど興味深いこと
が多く、でも思った様には話しが出てきません。
趣味の話しや日常のお話しをお伺いしすると、河野さんの人となりが何となく
分かるような気がします。
でもあの松本サリン事件の裁判を戦い抜いた面影も、その言葉の端々に感じ
られます。
笑顔の中にあるその思いとは何か、でもそんなことを考える余裕もなく、河野
さんのお話しに乗ってしまっていたり。
宿坊のことをお話ししたときのこと、今年は悲しみや苦しみを持って宿坊に来
られる方々がたくさんいらっしゃいます、とお話しした。
そのときのお話しの中での河野さんの言葉が忘れられない。
簡単な言葉の中に、思いが込められている。
その言葉に私は驚き、そして気づかされる。
誰でもそう感じることなのかも知れない、だけどそれを簡単に言い切ることは
できない。
笑顔で簡単に言い切ってしまう、相当のことが無い限り、そうは言えない。
私にはとても言えないなと感じた。
でも、そのことに気づくことによって、私にその感覚が生まれてくる。
次はもう普通のお話し。
宿坊に来られる人を迎える中で、大切な言葉であり感覚でした。
生き方さえ変わるくらいです。
こんな山の中の宿坊においでいただいたこと、有り難いご縁でした。
そしてその縁をつないでくださった養源寺様には感謝しております。
私も少し生きて行く勇気をいただきました。
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午前中の報恩講参りを終え、夜の研修会の準備と、次の日の公開講座の
準備をしているときのこと。
「ごめんください!」と玄関で声が聞こえた。
「はーい」と応え玄関に出てみると、なんと久しくお会いしていないご住職が
立っておられた。
ちょっと不思議な感覚がしたのだが、間違いない。
「いやー、忙しいと思って連絡しないで来ました」と仰られていた。
お会いするのは何年振りだろうか、気に掛けていただいているのが有り難
いのです。
人生の大先輩でもあり、危なっかしい私を見守ってくださっている。
このブログも読んでいただいている様です、「ちょっと危なっかしいなあ!」
と仰られていた。
教義と言うよりも、枠にはまっていることが大切な宗派のことを案じてのこと
でしょうか。
宿坊を始めてから、自由に体験できることを特長にしています。
でもそれは宿坊のことであって、通常のお寺の法務ではありません。
お勤めや法務は逆に、他の寺院よりも浄土真宗のみ教えを大切にし、読経
も中途半端なことはしていないのです。
布教使も取得し、学階もいただいている、それは浄土真宗の基本を押さえ
ておくことが大切だと思っているからです。
でなければ、基本軸を失っては他の仏教を学ぶことは難しい。
確かに宿坊には、最近いかにも浄土真宗の関係の方から、非通知の電話
がかかって来ることがある。
特にこれと言ったこともないのだが、浄土真宗だって仏教の中にあるもの。
浄土真宗だけが仏教の教えではありません。
では、浄土真宗以外の仏教を学んでいる人はどうするのか?
勧学と言われる方々も、他宗派の勉強をされていらっしゃる、それと何ら変
わりはないのです。
ましてお寺でヨガ教室や他の文化的な活動をされているのでしたら、それと
何ら変わりはありません。
さらには浄土真宗のお寺でコンサートやイベントをすることの方が問題あり
でしょう。
なぜなら仏教とは関係ないからです。
その方が仰られる様に、少しでも目立てば叩かれると言ったことがあるのか
も知れません。
でも実際に宿坊で行っていることは、ビハーラ活動や実践運動、そしてキッ
ズサンガそのものの活動なのです。
人々の苦に寄り添い、人々の依り所となること。
全ての人たちにオープンになる、それが現代の社会にとってどれだけ大切
なことであろうか。
この宿坊に来られた方には、仏教にすくわれ、浄土真宗にすくわれる方々
も多いのです。
そして、他の宗派から見ることで浄土真宗が際立つことも多々あります。
今回、そのご住職が訪ねて下さったのは有り難い、そしてその方の言わん
とされていることもよく分かります。
そのお気遣いに感謝しています、なぜなら同門の方々の意見を直接聞く
機会は少ないからです。
宿坊光澤寺という存在が、同じ宗派の方々からどう見られているかという
ことを知ることができると言うこともあります。
我が道を往くだけではダメだと思います。
何でもお寺が生き残ればいいと言うことではありません、ただ世の中に必要
とされるお寺にならなければ、これから存在して行くことは難しいかも知れ
ません。
今回は、岡山県のお寺に布教に行かれる途中に、わざわざ鳥取までおいで
下さいました。
できれば今度はゆっくりおいでいただき、お話しできたらいいなと思った。
人の話しを聞くことの大切さを感じています。
少し私自身も気を引き締めて行かなくてはならないと感じました。
今年は、宿坊やお寺、そしてやずブータン村関連で、たくさんの人をお招き
し、そして行事やイベントをたくさん開催できました。
それによってつながる縁もたくさんあった。
実は、来年は少し外に出てみようと思っている。
外部の情報を直接聞き、自らの感覚との摺り合わせをして行く。
仏教が大きく変わろうとしている、その11年間を自分自身で感じてきた。
それがさらに大きなうねりになろうとしている。
宿坊を始めた頃、浄土真宗の鳥取因幡組の副組長となり、連研も担当する
ことにもなった。
今年からは山陰教区のビハーラの役員も担当している。
そういった面では、宗派の活動と宿坊とに追われることにもなった。
でもそれぞれが貴重な体験になっている。
来年は、「未来の住職塾」が山陰で開催されます。
松本紹圭氏が、今年宿坊においでいただいたご縁で、未来でもないのです
が私も参加することにしました。
もしかして最年長かも知れません、でもだからこそ参加する意味があるかも
知れないとも感じた。
年末には、宿坊研究会の堀内克彦氏が東本願寺で講師をされる。
また、年明けには大阪の應典院での「ニッポン宗教の死と再生」がある。
このどちらにも参加予定です。
お寺に帰る前、東京での会社員時代、様々な宗派の講座や体験に参加し
たことがある。
その思いの原点を見つめながら、これからのお寺の10年の礎にしたい。
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昨日、女性記者の方が宿坊においで下さいました。
宿坊光澤寺に興味を持っていただいた様です、有り難いことですね。
若桜鉄道の観光ガイドでのご縁だと思います、縁はつながって行くんですよね。
宿坊のことや私自身のこと、宿坊に来られる方々のこと、やずブータン村のこと、
いろんなお話しをしました。
いろいろ話していると、あっという間に三時間経っていました。
ちょっと調子に乗って話し過ぎたかなと反省しております。
もしかすると、もっと聞きたいことがあったのではないかと思うのです。
余計なことを話し過ぎたのでしょう。
最近ちょっと、調子に乗って話し過ぎることがあるので、反省しなくてはなりま
せん。
でも逆に言えば、聞き上手だったのかも。
言わなくていいことまで言ってたりして・・・。
それでも、この宿坊のことをもっと広めたいと思っているので、自分の思いを
語ってしまいます。
これからどうするか、お寺の行く末や後継者のこと。
気になることはたくさんあります。
納骨堂やお墓の準備、寺院葬のこと、そして最終的には仏教センターの設立。
夢や希望や目標は多い、もちろん全部が思い通りに行くはずもない。
途中で挫折しようが、それはそれである。
自分が楽しければそれでいい。
残された時間はそれほど多くない。
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宿坊には様々な人がやってくる。
体験を希望される方が多いが、最近はお話しや相談の方も増えた。
元々、体験に来られる方でも、いつしか相談になっていることもよくある。
中には、悲しみや苦悩を抱えておられる方もいらっしゃる。
生きると言うことは、そういうことと向き合って行くということなのか。
もちろん相談した方と言って、問題そのものが解決する訳ではない。
ただ、自分の思いを話すことによって、心が軽くなって行く。
さらに、心の置き場所ができて、見方が少しでも変われば、悩みや悲しみ
が変化して行きます。
それはすべて心の現象だからです。
悩みや悲しみは、心の問題なのです。
心が不安定になっている、そんなときは話すことが一番効果的です。
でも、日本ではそれを話す場所があまりない。
心療内科や精神科では、医療になってしまう。
それはそれでよいとしても、あくまでも医者と患者と言う関係です。
もっと普通に、もっと気楽に行ける場所。
日常の中で、自分の心を解き放つことも大切だと感じています。
悲しみや苦しみは心にとても負荷をかけて行きます。
それを少しでも楽にすること、さらには負荷を少しづつ取り除くこと。
そんなところが必要なのだけど、そんな場所はあまりないのが現状でしょう。
悲しみを悲しみのままに受け止めてくれる。
苦しみを苦しみのままに・・・。
そんな場所が人には必要なのだと思う。
そこにはいつでも行ける、そこに行けば必ずある。
それが人に安心感をもたらす。
宿坊光澤寺はそんな場所だと思う。
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八頭町名産の花御所柿が実る秋空の中、11月30日に「若桜鉄道レール&
ウォーク」が開催されました。
当日は雨が心配されていましたが、朝から秋晴れの天気になり、鳥取駅から
若桜鉄道観光号に乗って、若桜の町へ。
若桜の町中を散策された後、丹比駅まで来られて、お昼に光澤寺に到着され
ました。
私は朝から研修に出かけていて、午後からは法事が入っていました。
時間が少しだけできたので、15分だけお寺に戻り、お話しをすることができ
ました。
宿坊のことや、やずブータン村のこと、そして若桜鉄道のことなどをお話しを
した。
最近ときどきお話しする若桜鉄道の山田社長ネタで、皆さん笑っておられま
した。
昼食を光澤寺でお食べいただき、次の乗車駅である徳丸駅に出発して行か
れた。
昨年に引き続きのイベントでしたが、光澤寺においでいただくことは、有り難い
ことですね。
お寺においでいただき、宿坊のことを知っていただく。
来年は宿坊光澤寺の体験や食事をセットした、若桜鉄道体験プランも検討し
て行こうかなと思っています。
来年はさらに若桜鉄道は盛り上がりそうですね。

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