宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2015年11月

三十三回忌に想う

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三十三回忌をお勤めした。

ご親族がたくさん集まられ、三世代四世代が一ところに集う。

こんな機会は法事をおいては中々他にないでしょう。

これが縁でしょう。

その故人がいらっしゃらなければ、ここにいない人も多いのです。

現在は法事も薄れ、それと同時に家族や親族の縁も薄れて行く。

そう仏事とは、家族のつながりなのですね。

そこに集まることのできる喜びを知ること。

それはまさに仏様から私たちへの贈り物に違いない。

それは名となって私たちに届けられる。

それが南無阿弥陀仏。

私たちへの呼び声である。

私たちが法事をしようと思い立つ、お声が掛りそこに行こうと思う。

それはあくまでも自分の心から湧いた感覚の様に感じるが、実はその前に
ちゃんと仏様からその呼び声が掛っていることに気づかされる。

それが南無阿弥陀仏。

仏様と私たち、彼岸と此岸、悟りと迷い、涅槃と世間。

それが一体となる時と場所。

いのちと心の場である。



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タルチョと本堂

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朝晩の冷え込みが、少しづつ厳しくなってきました。

でも今日は一日天候に恵まれました。

そんな小春日和の昼間、タルチョが陽に輝いています。

昨年秋に取り付けてから1年以上経ったので、タルチョもかなり色褪せてき
て、先の方はほつれて来ています。

でもその分だけ、経文が風に舞って世界に飛んで行ってくれたことでしょう。

世界平和といけとし生けるものの幸せを願う。

世界が平和になる日はまだまだ先かもしれないけれど、それを願い続ける
事は大切なことだと思います。

タルチョにはそんな意味が込められています。

シリアにも届く日があると思っています。

仏教には自分以外の敵と戦うことはありません。

自分自身と言っても、それは心の問題。

自分自身の煩悩を見つめて行くということですね。

人はすべて他の人のために生きると言うことは難しいのですね。

でも自分自身の幸せと同時に、すべてのいけとし生けるものの幸せを願うこ
とも、決して忘れてはいけない。


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厳寒の本堂で写経を体験する!

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今日のはこの冬一番の冷え込み。

暖かかった秋も、冬を目前に一気にその勢いを増してきた。

この山里でも近くの山が、この冬初めて冠雪した。

そんな中、関東から男性一人旅の方が宿坊にやって来られた。

お話しを聞くと、関東からこの近くにある若桜神社を目的に鳥取に来られた
という。

それはすごいと思った。

なぜなら若桜神社は地元でもそれほど知られていない神社だからだ。

たまたま写真を見て、一度行ってみたいと思われていたそうです。

今までも全国中の神社を周っておられる。
やはり周られていて、自分に合う神社や合わない神社があるそうです。

それは常々、私自身も感じていて、お寺や教会でも多々そんな話しをよく
聞きます。

実際に、このお寺に来られる方々からも、その様なお話しがある。
このお寺の空気感はとても優しくて、心が休まると言われます。

それは宗教性云々ではなくて、個人の感覚のなのです。

感覚を受けとめ方は人によって違うが、食べ物にも好き嫌いがある様に、
空気感も人によって受け止め方が違う。

なので宗教施設は、その空気感がとても大切になります。

実はお寺や神社が気を付けることには、この空気感ということがあるのですが、
これには、元々そのエリアが持っている空気感と、作り上げて行く空気感とが
ある。

その二つが合わさったとき、その空間は居心地の良い空間になるのでしょう。

厳寒の本堂での写経も、そこにはいろんな意味があると思います。

今日いろいろお話しをしていて、そんなことを感じました。



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余命を生きる!

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最近、法話でよく話すことがあります。

やはり仏教の始まりは何かというと、お釈迦様が教えを説かれた原点である
四苦を説かなくては仏教は始まらない。

それは実話かどうかは別として、お釈迦様が人つまり、いのちを思うときに
「四門出遊」の物語から始まるからです。

四苦のお話しをするときに、いのちを生き切るとはどう言うことかをお話し
する。

いのちとは思い通りにならないもの、だけれど人にとって一番大切なもの。

そのいのちを感じることがないと、人の命は軽くなってしまう。

いのちを感じるには、死を見つめることである。
それが仏教である。

仏教は、因果で成り立つ縁起観が立ち位置です。

物事にはすべて原因と結果があると見る。
今が結果であるとしたなら、必ず原因があるのです。

その果から因を見つめ返すのが仏教の教えである。

つまり生があるから死がある。

死は生の結果であるから、死から生を見つめ返すことになります。

そうすると生の意味も見えて来るのでしょう。

死を見つめることがなければ、生の輪郭がはっきりと見えてこない。
死を見つめた瞬間に、生の輪郭がはっきりしてくるのです。

つまり、いのちが見えて来るということです。

日本人の平均寿命が延びていて世界一の長寿国になっている。
私たちが子供のころから、長寿が幸せな国と教えられてきたように思う。
これは国の健康施策であろうが、医療界の利益のために誘導された様な感じ
もしなくはない。

現に現在日本で当たり前に行われている延命治療など、世界の国ではほぼ
当たり前でないのです。

高度医療・延命治療、日本はいのちを大切にする国と思っているかも知れま
せんが、実はこれらはいのちを軽ン時ている結果かもしれないのです。

いのちを人がもてあそんでいる様にも見えなくもない。

そこに誰の幸せがあるのだろうか・・・?

話しは元のテーマから逸れましたが、つまり人は何をしようが必ず死ぬのです。

日本人の平均寿命とは、0歳の子どもの平均余命であると言うことなのです。
つまり人は生まれたときから、死に向かって歩いていることになります。

死なない方法が一つだけあります、それは生まれないことですね。

避けられない事であれば、それを全身で受け止めなくてはならない。
受けとめたとき、そこに生が見えて来るのではないでしょうか。

そんな話しから、仏教のお話しをして行きます。


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鳥取市の公民館活動・・・湖山地区公民館の皆様

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昨日の朝方から昼にかけて、徐々に冷え込んできました。

それまでは、十一月にしては暖かい日が続いていた。
昨日から冬型の気圧配置になって寒波が南下して来たのでしょう。

これくらいが普段通りと言えば、まあ仕方のない事かとも思う。

ただ今年の秋は、宿坊の日帰り体験にたくさんの方が来られたので、多少
でも暖かい日が続いたのは助かりました。

その昨日、鳥取市内の湖山地区公民館さんの皆さんが宿坊体験に来られ
ました。

朝方はそれほどでもないかなと思っていましたが、霧雨が舞う天候の中、
法話を始めた11時頃には少し冷え込んできて、終わる頃には少し寒さが
身に沁みる程度にはなっていたでしょうか。

それでも皆さんは1時間と少しの時間、お話しを聞いていただいたことに
感謝しています。

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昨日の法話は、こんな感じで始めて、こんな感じで締めくくりました。

要は、お寺って生きているうちに行けて、楽しく過ごす所。
亡くなった人を供養する場所ではないと言ったことを話してみました。

さて、みなさんはどうお感じになられたでしょうか。

またいつか、感想を聞けたら良いですね。

でも法話の後は、暖かい部屋でイタリアン精進料理とコーヒーと和菓子を
召し上がられました。

それで心も温かくなられるといいですね。


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お寺はこの世で唯一の、生死を超えるテーマパークです!

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今日は朝から雨、お昼に近づくにつれて徐々に気温が下がってきたのが
分かる。

今年の秋はずっと暖かい日が続いていました。

今日は日帰り体験の団体のお客様が来られます。

準備をしながらも霧雨が廊下や本堂の軒下に散って来る。

今日は本堂も冷え込むかもしれないな・・・。

ファンヒーターを2台用意しましたが、これじゃあ足りないかもしれないな。

日帰り体験で団体で来られる方々が増えています。

本堂には椅子を人数分より少し多めに配置する。
そして法話様にプロジェクターとスクリーンを用意。

法話のご希望は1時間から90分くらい。
話していることが分りやすい様に、パワーポイントでキーワードやイメージ
を用意する。

お客様によって、法話の内容は変える様にしている。
聞かれたい内容もまちまちですし、宗派も皆さんバラバラだからです。

漢字も仏教用語だと普段聞きなれていなかったりする。

分からない専門用語は使わない様にしていますが、それでもその言葉や
単語を使った方が良いときもあります。

そんなときには、キーワードをスクリーンに映し出す。

今日の法話の始まりの言葉は、こんな言葉にしてみました。

「お寺は、この世で唯一 生きているときも死んでからも楽しめるテーマ
パークだ!」です。

今朝たまたま資料の見直しをしていて、この言葉がいいかなと感じた。

やっぱりお寺って、生きているうちに楽しめる場所であることが大切。
そうすれば仏様だって暖かく見守ってくれるでしょう。

元々仏教の経典は、お釈迦様が生きている人のために説かれたもの。
決して先祖供養のためではない。

なぜなら、先祖供養の経典など存在しないからです。

お寺は葬儀や法事で来るだけではもったいない。

これから光澤寺は、宿坊も含めて「お寺テーマパーク化宣言」をして行こう
と思っています。

20代から80代まで、まんべんなく来られる。

やっぱりお寺の持つ魅力って、世代を超えるものがあるのでしょう。

これからも光澤寺仏教テーマパークにご期待ください!


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女性お二人の日帰り体験

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3連休の最後の日。

コンサートから始まった連休でしたが、ご宿泊の方や法事もあり。
報恩講のお勤めもあったりでしたが、そのお昼の合間に日帰り体験をお受け
していました。

二十代の女性おふたりです。

私がお参りから帰るのが遅くなりましたが、ゆっくりと写経を体験していただけ
ました。
お二人とも丁寧に書かれていました。

心を整理して、自らの道を歩む。
写経にはそんなお心もあると思います。
自分自身と向き合う時間でもあるのです。

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写経の後は、イタリアン精進料理。
そのあとはコタツに入ってお話しをされていました。

ここは、日帰り体験は基本一日一組です。
周りを気にせずにいられるので、時間をゆっくりと過ごすことができます。

途中から私も話の輪に入って盛り上がりましたが、気づくと法事にお参りする
時間になっていました。

ふとした合間の日帰り体験。

私自身も、ホッと一息つけるときかも知れません。

法事の後は、夜に男性の方が瞑想体験に来られる予定。

この宿坊が、多くの方々の癒しと心の拠り所となってくれるのでしたら、それは
有り難いことです。

宿坊を始めた理由もそこにあるのですから・・・。


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男性も瞑想に来られるのです。

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                        (写真と本文は関係ありません)

宿坊には時々男性が瞑想体験に来られる。

男性の場合は、宿泊や日帰り体験ではなく瞑想だけを体験に来られること
が多い。

もちろんお一人で来られるので、話しをしたり食事をしたりというのが合わ
ない方もいらっしゃるのでしょう。

仕事とか自分自身のことでいろいろ考えられている。

そんな心を整えるために瞑想体験に来られる。

全国的にも瞑想を体験できるお寺は少ない。
もちろん真言宗の阿字観は体験できるでしょうが、これは本質的な瞑想では
ないので、ちょっと違うでしょう。

今日来られた方には、心のことをお話ししたあとでセラピーまでの瞑想を体験
していただきました。

ご自身で瞑想をやってみたことはあるそうですが、やはり自分では理解するこ
とができない部分があります。

ちゃんと指導を受けた方が瞑想は入りやすいですね。
指導を受けないと自分では気づきが生まれないのです。

心の仕組みを聞いた後に始動を受けると、その感覚がつかみやすい。

そんな風に感じます。

男性は、私の都合もあって瞑想が夜になることも多い。

少しでも私でお役に立てるのなら、有り難いことですね。


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宿坊での縁

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昨晩暗くなってから宿坊に到着されました。

遠方からお越しのご夫妻、二度目の宿泊ですがいつも仲良く過ごされます。

大須賀ひできさんのコンサートで宿泊されていた方と同宿になり、ご希望を
お伺いすると、どちらもご一緒に夕食をすることで意見が一致されました。

夕食のときにコンサートの話しや、お互いの趣味のことで話しが盛り上がっ
ておられました。

次の日の朝は一緒にお勤めをされ、朝食後は絵手紙も体験。

そのあとはそれぞれが別行動ですが、午後の養源寺さんで開催される
大須賀ひできさんのコンサートで合流されることになったそうです。

宿坊は一日一組が原則ですが、事情があったりご希望が合えば同宿になる
場合もあります。

そんなときはお客様同志で意気投合されることが多いですね。

一つには、どちらもお寺好きということがありますから・・・。

たまにはこんな旅もいいかも知れません。

記憶に残る旅になります。


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深まりゆく秋の八頭、大須賀ひできさんのコンサートで盛り上がる!

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大須賀ひできさんのコンサートを無事に開催することができました。

光澤寺ではこれで3年連続となります。

毎年素晴らしいコンサートですが、特に今年は素晴らしかったと思います。

もっと多くの方に聞いて欲しいと思いますが、逆に50人くらいのアットホーム
な感じだからこそ素晴らしいとも感じます。

さすがにデューク・エイセスで活躍されているだけあって、心から安心して
楽しめます。

優しく包み込むような歌声、オリジナル曲も本当に聞きごたえがあります。

ギターの玉木孝治さんも美しくて力強い音色を聴かせてくれます。

お二人は本当に信頼関係でつながっている。

いつもコンサートのときは宿坊にお泊りいただきます。
そして夕食のときにお話しをお聞きできるのも、宿坊をやっている役得です。

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大須賀さんは来年還暦になられると言う。

還暦なので全国で60回記念コンサートを考えられているのだとか。

来年も光澤寺でコンサートが開催されます。
でも誕生日前なので、還暦コンサートにはならないそうです。

であれば、来年は還暦前祝コンサートですね。

来年もきっと素晴らしいコンサートになることでしょう。

来年はもっと事前にPRすることにいたしましょう。


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宿坊に外国人旅行者を呼び込めるか?

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コンサート前夜、東京から宿坊に来られた。

彼は早稲田大学の学生ですが、外国人観光客をお寺や神社に触れてもらい
たいという希望を持っている。

その中で、宿坊に外国人を集客する目的で、わざわざ東京から訪ねて来られ
ました。

私と話しをするためだけに来られたので、それはそれですごいなと感じた。

今の大学生は在学中に様々なことを考えているのだなと思う。

やはりそこには、従来の感覚とは全く違ったものがあるのでしょう。
私たちの時代の感覚で捉えることはできない。

実際に、外国人旅行者は都市から地方へと動き出している。

でもまだまだ情報が少ない上に、外国人旅行者の対応できるノウハウがない。

私の宿坊も規模が小さく、さらに外国人の対応も十分ではありません。

そんな中で彼の様な存在は重要かもしれないのです。

現在は、宿坊と言う宿泊のカテゴリーが外国人旅行者向けに注目を浴びて
いると感じています。

日本の田舎に泊まって、さらに日本文化を肌で感じられ、その上仏教体験まで
できるからです。

もちろん町おこしにも十分期待できるところでもあります。

これから彼の活動に期待してみたいと思います。


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明日21日(土)は、大須賀ひできさんのコンサートです!

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明日、11月21日(土)午後1時開場:午後2時開演です(入場無料)。

デューク・エイセスのトップテナー大須賀ひできさんをお迎えしてのコンサート。

ギターの玉木孝治もご一緒です。

こんな山里で、大須賀ひできさんの歌声が聞けるって結構すごいです。

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今日は、山門にコンサートの看板を設置しました。
駐車場入り口には、案内板も設置。

あとは皆さんのご来場を待つだけです。

NHKでもお馴染みの、大人の優しい歌声とギターの音色をごゆっくりと堪能
いただけます。

深まりゆく八頭の山里で、ゆっくりと時間を過ごされてはいかがですか。

どなたでもお気軽にご来場いただけます。

多くの皆様のご来場をお待ちしております。


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臨済宗妙心寺派の安禅寺さんの「沙羅の会」が宿坊に!

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今日は、岡山市郊外にある臨済宗妙心寺派の安禅寺さんの「沙羅の会」の
皆さんが光澤寺にお越しになられました。

2か月ほど前に日帰り体験のご予約をいただきました。

宿坊に日帰り体験で来られる方々は、他宗派の方がほとんどです。
ただ、お寺さんの団体で来られるのは珍しいのです。

今日は大型バスをチャーターして午前中にお越しになられました。

ご住職はとても僧侶としての風格がおありでした。
お会いしたとき、ああお坊さんってこんな人の事を言うのだなあと感じた。

私はそれに比べると、僧侶とは見えないかなあ?

総勢30人で写経を先ず体験されました。
お寺さんのグループだけあって、マイ写経筆をご持参された方が多かった
のに驚きました。

いつも書き馴れている筆が良いでしょう。
みなさん真剣に写経に取り組まれておられました。

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もちろんご住職もご一緒です。

最初にご住職が導師で皆さんと一緒に「般若心経」をお唱えされました。
さすが読経の響きは素晴らしいものでした。

私も写経のときは体験の方と一緒にお唱えしますが、こうして聞く機会は
そういえば今までにありませんでした。
これも私にとっては良い経験でした。

写経の後は、イタリアン精進料理を召し上がっていただいた。
みなさん「美味しかったです!」といっていただき、こちらも感謝です。

食後の午後の時間は、法話をご希望でした。

他宗派の皆さんなので、浄土真宗の話しをしてもどうかと思っていました。
でももしかすると、せかっくなので浄土真宗の法話スタイルの方が良いのか?

そんなことを思いながらも、普段の日帰り体験や講演会でお話しさせていただ
いている話しを中心にしました。

仏教の話しを中心に・・・。

今日は境内に公孫樹の葉がたくさん落ちていた。
この公孫樹の葉を掃いていたときの思いから、周利槃特とレレレのおじさんの
話しからお釈迦様のストーリーへと続けました。

そして縁起と四苦八苦。

仏教の王道のストーリーに、皆さんが知っていることにつなげながら・・・。

ご住職もいらっしゃるので、まさに釈迦に説法状態です。

こんな経験も貴重です。

今日は私自身もいろいろ学ばせていただくことができました。

今回の日帰り体験は、これからの宿坊の展開にとって大きなきっかけだったか
も知れないなと感じています。

それは、この宿坊は同じ様な人やグループが続く傾向にあるからです。

公民館の方々が来られる様になると、公民館のグループが続きます。

そう言ったことを考えると、また来年に向けて新しい取り組みができるかも知れ
ないのです。

宿坊もスタイルは変えませんが、取り組みは新しいものを取り入れて行かなく
ては行けないと思っています。

なぜなら、そうでなければ私自身の成長がないからです。

その成長があれば、また一人一人に向き合う姿勢も深くなって行くことができる。

そこにこの宿坊の大きな意味があると思っています。

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最後に皆さんと記念撮影もさせていただきました。

安禅寺のご住職と「沙羅の会」のみなさま、ありがとうございました。

今度いつか、安禅寺さんにぜひ一度お伺いしてみたいものです。


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先祖供養だけのお寺は必要なくなる、なぜなら仏教は伝道だから!

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お寺に先祖供養は必要ないと言っている訳ではありません。

ただ先祖供養だけでお寺の役割を果たしているということでなら、そのお寺は
これからは必要とされなくなるでしょう。

なぜなら仏教の目的は先祖供養ありきではないからです。

仏教は伝道があって初めて仏教である、伝道なき仏教はもはや仏教ではない。

伝道とは教えを説くこと、そしていのちに寄り添い心の支えとなること。
いろんな意味がそこに含まれている。

もちろん先祖供養も大切な心の支えである。

でもそこに至るまでが大切なことだということ。

お葬式で初めてお会いすることもあります。
だけれども、そこに至るまでの行動が葬儀の場での思いに通じるでしょう。

伝道と言う意識がなければ、ただの儀式になってしまう。
ただの儀式であれば、そこにいる僧侶は衣をつけてお経さえ読めれば誰でも
良いのです。

お寺の格や宗派など、これからはさほど意味を持たなくなる。
さらには戒名や塔婆など不要になるだろう。

そのときそこにあるものは、必要とされるものは・・・。

もしかすると僧侶の存在さえ必要ないかも知れないのです。

檀家制度がこれからも続くと思い、先祖を大切にしろと言っておけば良かった
時代はもう終焉を迎えているのです。

これからはお墓の概念さえ大きく変わろうとしている。

つまり仏教から先祖供養と言う概念が失われつつあるということです。

この前は、読経は伝道だと書きました。

読経だけではない、お寺そして僧侶そのものが伝道を問われている。

それも従来の僧侶の押し付けではない伝道が・・・。

その道を目指すお寺とそうでないお寺の差がこれから一気に出てくるだろう。


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いきいきサロンで活き活きとお寺を楽しむ!

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鳥取市内から、「いきいきサロン」の皆さんが宿坊に来られました。

本当に皆さん、活き活きと活動されています。

公民館の活動とはまたちょっと違うのでしょうか。
楽しく活き活きと生きることを目的としたグループなのでしょう。

日帰り体験のご希望は、写経とイタリアン精進料理と法話です。

皆さん真剣に取り組んでいらっしゃいました。

このサロンは男性も多数参加しておられました。

日帰り体験では、男性の数が少ないのですが、一緒に活動されるのはいい
ですね。

男性も活き活きと活動してもらいたいですから。

そう言った面では、お寺の体験は男性にも十分対応できると思います。
そこには普段お生活とは違った気づきがあると思います。

やっぱりお寺って、生きているうちに楽しむところだと思う。
そして生きているうちに仏教に親しむことは、生きる上で心を豊かにしてくれる
のだと感じます。


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とっとり・おかやま新橋館って知ってますか?

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東京の新橋にある「とっとり・おかやま新橋館」。

鳥取県と岡山県が共同で店舗運営している、アンテナショップ兼観光情報
発信の店舗です。

そのお店の鳥取県を担当されるスタッフのお二人が、宿坊にお越しになら
れました。

実際に現地を見ておくことが大切と、県内の主要な観光地を視察されてい
るのだそうです。

たしかにパンフレットや情報だけでは伝わらないことも多いでしょう。

あいにくの雨模様でしたが、若桜宿を見られた後に宿坊で、イタリアン精進
を召し上がられました。

客室や本堂を見ていただいたり、たまたま来られていた日帰り体験の皆さん
と一緒に瞑想を体験していただきました。

ただの山里にあるお寺ですが、都会の方にとってはまた別の感覚があると
思っています。

また最近は、外国人観光客も日本の田舎を目指していたりします。

そんな時に宿坊はとても魅力的だと思います。

これから宿坊も、さらに次を目指して行く段階かも知れません。

今までやってきたことは、そのまま続けて行くことが大事です。
そこにさらなる体験を充実させ、外国人の方にも対応できるようにして行く
こと。
そして設備も少しづつ調えて行きたいと思っています。

東京の方にこれからもできるかぎり情報発信をして欲しいですね。


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「未来の住職塾」松江クラスの夜は更けて・・・。

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11月16日、松江市の浄土真宗山陰教務所を会場にして「未来の住職塾」の
松江クラスが開講されました。

これで第4期の5回目の講義、残すところはあと1回となりました。

今回の講師は、「お寺の未来」代表の井出氏。
会計財務のプロですね。

井出氏は東京大学出身、大手の金融機関を経てコンサルティング会社勤務
の経験がおありです。

それがなぜか今は、お寺の未来を考えていらっしゃいます。

この未来の住職塾から、若手の僧侶の意識が変わったと言っても過言では
ないでしょう。
お寺の思考が変化してきているのです。

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もしかすると、井出氏は何十年後かにお寺を変えた人として、名を残すかも
知れませんよ。

クールな笑顔ですが心は意外にもホットだ。

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今回のワークには皆も真剣に取り組んでいました。

なぜなら自分のお寺の将来がかかっているのです。

今はまだお寺が変わろうとしているときです。
私は若手でもなく未来のでもありませんが、これから時代がどう変化して行く
のか、若手を見ておこうと言う気持ちもありました。

そのとき、その場にいることの大切さは今までの経験から知っている。

内容がどうであろうとも、その場にいることが大切なのです。

明治維新がそうだったでしょう、たとえ場違いであったとしてもそこに参加する
ことに意味があった。

それが明治と言う時代を創りだしたのです。

その典型が坂本龍馬でしょう。
彼の存在は別にどうでもよかったのですから・・・。

お寺社会にあっては、今は幕末と同じ。

変わらないと思っている保守体制派と何かわからないけど変わると信じている
人たち。

そんなものが渦巻いているのだから・・・。

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こうして松江の夜は過ぎて行く・・・。

このあと鳥取へ向かった私はとんでもないことになるとは予想もしていなか
ったのです・・・。


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読経の一番の目的は伝道であると思う!

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法要や法事で何故に読経が必要なのか?

ただ意味も分からないお経を皆で聞いて、それで良いのだろうか。
それも皆が、退屈そうである。

意味も分からないから退屈、足も痛いし腰も痛い。

僧侶は意味も分からないことで、有り難ぶっているだけではないのだろうか。

ではそもそもお経を唱えることの意味は何であろうか?

若い頃、お寺のことを手伝い始めたときに感じていたこと。

その意味は今もずっと変わらずに問い続けている。

葬儀や法事で、他の僧侶の読経も聞いてきた。
でも、そこからはまったく何も感じなかった。

僧侶や寺は一体どう思っているのだろうか。

仏教を学ぶようになって初めて分ったことは、あまりにも僧侶が勉強して
いないことだった。

お経など、ほとんどの僧侶がその意味を分かっていないのだ。

そんな僧侶の唱えるお経を聞いても何の意味もないのは明白だ。

まさに、名ばかりの僧侶である。
衣さえ身につけて入れば良いのである。

ましてそれぞれの宗派の宗祖の教えなど、適当にしか分かっていない。

よく周りからで耳にした言葉。
「お経は退屈だ、短い方が良い」という言葉。

その意味を私はずっと問い続けてきた。

そのためにどんな状況でも、全身全霊でお経を唱えてきました。
体調が悪かったり声の調子が悪いときもある。

周りの雰囲気が、全くお経に興味がないと言うときも。

そのときそのときが、すべて一期一会の縁であるから。

完全にアウェイ状態の中の読経でも、そこに何かを感じ取って欲しいと思い
唱える。

それが最低限の僧侶の務めだと考えている。

お経は波動となって、人の身体を揺さぶり心に響くものだ。
私は、その信念でお経を唱えている。

そうお経は、その意味が分からなくとも仏教の伝道なのです。

その思い、お経の込められた人々の思いを伝える。

魂を揺さぶるお経を唱えることが大事だ。

それでこそ先祖の思いも伝わると言うものだろう。

声が良いとか大きいとか、そんなものではない。

心の響く読経であることが大切なのだ。

そこに読経の意味があるのだろうと考える。

法要でも法事でも、そこは常に伝道の場であるのだから。


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五宗派の僧侶が読経することって・・・?

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今日は旧町内の戦没者慰霊祭でした。

これは合併後も旧地域毎に行われている様です。
何故かは分りませんが、そこには何かがあるのでしょう。

ところでこの慰霊祭には、毎年町内の五ヶ寺が集まりお勤めをします。
導師は毎年持ち回り、衣体はそれぞれのもの。

今日は導師でもなく、ちょっとゆっくりと周りを観察することができた。

宗派は、真言宗・黄檗宗・浄土宗・曹洞宗、そして浄土真宗。
町内で五ヶ寺とも宗派が違うのは、珍しいかも知れませんね。

作法を事前に確認し、さらには読経する経典の確認がある。
これは導師の宗派に合わせることにあります。

それぞれ宗派によって唱えるお経が違うので、私は馴染みのないもの。
ただ、般若心経は唱えたことがあります。

衣が違い経典が違い、もちろん作法も違います。
今日は木魚もありましたが、浄土真宗では木魚は使わない。

金の打ち方、入退場や焼香のときの歩き方、焼香まですべてが違います。

なるほど、私たちの宗派ではこの様に学んだが、他宗派では違うなあと
いうことに気づかされる。

たとえば足の運び方にしてもそう、浄土真宗の作法では前に進むときは
必ず左足から前に出しますが、他宗派の僧侶は右から出していたとか・・・。

そういった意味では仏事作法は宗派によって違い過ぎるので、どれがどう
ということは言えないのが現状なのです。

宗派ごとに違うのは良いが、そんなことは一般の方には全く関係ないこと
もあるでしょう。

あえて統一する必要もないでしょうが、どちらでも良いと思われる方も多い
はず。

お寺やお墓のことって、いわば顧客不在のサービスなのだと痛感する。

そこのこれからの時代の流れがあるのかも知れないとも・・・。


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市町村合併から学校の統廃合まで・・・。

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今日は、旧八東町の戦没者慰霊祭に出かけた。

これは合併前から続く行事であり、毎年の恒例である。

そこには地域内の5ヶ寺の寺院が法要も執り行う。
導師は毎年持ち回りです。

私たちの出勤が終わり、会場を後にすると昨年度で閉校した八東中学校の
校舎が見えた。

この校舎は私が卒業してからできたもので、私は通ってはいない。
なので校舎自体にはそれほど愛着はない。

ただ今日の式中の話しの中で、小学校と保育所の話しが出ていた。

中学校は平成27年3月31日で合併のため閉校したが、平成29年には小
学校も統合されると言う。
さらには平成31年には保育所も統合されるのだそうだ。

一気に地域から中学校と小学校と保育所が無くなってしまう。

地方創生や町おこしが盛んに言われ、さらには人口減少や過疎化に歯止め
を掛けると言う思いと別に、行政サイドではその掛け声とともに学校の統廃合
が進められているのです。

もしかすると、地方創生って声を大きく上げることで、地域で起きていることか
ら目をそらせるために施策なのかも知れないな。

でもこんなこともある。

児童が少なくなった小学校では部活動ができないと言う現実。
さらには少人数の中で育つので、その影響もあるのだと言う。

市町村合併が過疎化に拍車をかけ、そこに地方創生と言って予算を落す。
基本的にはバブル前からこのやり方は何ら変わっていない。

おそらく予算とはそう言うものなのでしょう。

これは宗派の本山でも同じです。

ただ時代や社会が変わってきていることにも気づかなくてはいけない。

実は過疎化や人口減少になったところで、そこに住む住民にはそれほど影響
はないのです。

ただテレビや行政が煽っているだけということもある。

そう言うことを何十年も見てきました。

たとえば日本列島改造、エコ、IT、介護、震災復興、すべてこれで予算の通過が
簡単になっているのですね。

実際にそれで日本が幸せな国になったかは分からない。

でも国も企業も行政もマスコミも、次を見つけざるを得ないのでしょう。

これが人間の性なのですから・・・。

仏教ではそういうことになります。

そこから距離を置いて、ゆっくりと生きてみることも大切かも知れません。


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光澤寺から見た秋

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秋は色鮮やかである。

空も木々も、そして実りの季節でもある。

さりげない自然もまたいいと思う。

決して遠くに行かなくても、近くで紅葉は十分に見ることができる。

ときとして、その普段の風景に驚かされることもある。

その瞬間その瞬間を目にするだけでも、生きる意味はあるのではなかろうか。

そう感じることさえある。

人生に無理やり意味を見つける必要などないのだ。

なぜなら元々、生きる意味などはないからだ。

無いから見つからない、見つけたと思っても結局は違ったりする。

ただ生きるってことは、その意味を問わざるを得ない。

それが人間の苦を生むことにもなる。

最後はすべてと一体となる、それは宇宙という存在だからだ。

今年の秋も、とても印象深い秋です。


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情報化社会と宗教、そして宗派と・・・。

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現在は情報化社会である。

今までは、宗派内にだけ特化して教えを説いておけばよかった。
でも今は、あらゆるものがオープンになって行く時代です。

それぞれの宗派が、自分たちの中だけで終えられる時代ではない。

まして宗派のやっていることや教義が、お釈迦様と照らし合わせたとき、それ
と全く違うものだったらどうだろう。

それでも仏教の看板を上げておくことができるのか?

もしそうでないとしたなら、宗派の枠だけに納まっていることが僧侶の役割な
のか、それとも大きく仏教の枠へと進むのか?

たとえば真言宗はこうですからとか、浄土真宗はこうあらねばならないと言う。
でも、もしそれがお釈迦様の教えと遠く離れてたとしたらどうだろう?

それでも私の宗派ではこうですから・・・。

でもこれは仏教に限ったことではないですね。

イエ=キリストの教えから遠いのはローマ・カソリックであろう。
そう教義と勢力争いは別の問題。

イエス=キリストの教えはとっくの昔に異端として切り捨てられている。

正しくても勢力が弱ければ、それは異端とされるのが宗教であろう。

現代のなかっでも生き残って行かなくてはならないのだから・・・。

ただ・・・、日本の宗派仏教の枠組みは大きく崩れ去ろうとしている。

なぜなら宗派や本山に昔の様な求心力がないからです。

本山だからと言って通用する時代は過ぎ去ったであろう。

さて、その先にあるものは・・・。


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宿坊の魅力って何・・・「1.宿坊を始めよう!」

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僕がお寺に戻ったのが、今から約5年前になる。

次の年の5月にお寺で継職法要を執り行った。

僕は従来のお寺の在り方にはずっと疑問があった。
それはいつまで経っても、お寺が閉鎖的な空間であることだった。

それは何故か?
答えは簡単である、日本の仏教は宗派仏教であること。
他の宗派のことはまったく関知しないと言ったスタンスである。

そしてお寺は檀家制度で縛られているということ。

いくら敷居を低くといったところで、それは建て前だけということがよく分かる。
お寺にそんな気はないのです。
強いてあげれば檀家さんに向けて敷居を低くと言った感じでしょうか。

ただそのときの僕には、お寺をどうすれば良いかということに対して、明確な
ものはなかった。
ただ何とかしなくてはと、常に考えていたのだが・・・。

そんな中で、お寺に戻って強く感じたこと。
それは、ここままではこのお寺はあと10年も持たないなということだった。

檀家さんがお寺に対して無関心だった。
さらにお布施も安く、過疎化と高齢化や独居化で葬儀や法事が激減していた。
そこで感じたことは、お寺は自助努力ではどうにもならないということだった。

なぜなら先ほど言った様な、保守的な壁に阻まれて、努力しようがないのだ。

これは従来の延長線上ではどうにもならない。
何か新しいことを始めるしかないなと感じた。

僕は45歳まで会社員をしていた、お寺に戻ってまで二足のわらじを履きたく
なかった。
お寺に戻った以上、お寺専業で行くつもりでいた。

田舎のそれも観光地ではない、まして地元でさえ誰も知らない様なお寺だ。

私がそこで考えたのが、宿坊を始めようということだった。

とにかくお寺の収益を上げなくてはいけない。
それ以上に、お寺をもっとオープンな存在にしたいと考えていた。

これから過疎化する周辺地域、そこを支えて行きたいという思いもあった。

宿坊をやればそれが解決できるのか?
それさえも分からなかった。

ただ、その時点で私が考え得る中で一番できそうなことは、宿坊をやってみる
と言うことだったのです。

「もし誰も来なければ・・・」
それに対しては、失うものは何もないし、投資もできるだけ最小限に留めること
で、リスクをそれほど考えなくてもよかった。

一点心配だったことは、それほどこのお寺に時間は残されていないことだった。
若ければ、そしてお寺に多少でも余裕があれば、トライ&エラーを繰り返すこと
はできるだろう。
宿坊を始めたとして、その結果が判断できるには5年くらいかかるかな?
その中でお寺では生活できない事だけは明確だった。

気負いはなかったが、ダメならさっと方向転換するしかない。

宿坊については、ただ全くの白紙状態。
私自身、宿坊を始めようと思っても、実は宿坊と言うものに行ったことがない。
そしてそれは今でもそうだ。

宿坊の紹介誌を取り寄せてみたくらいだった。
施設も食事も体験も全く何も分からなかった。

でもこれは今でも思うことがある。
中途半端なら知らない方がいい、なぜなら何にも囚われなくて済むからです。
自分の思った通りに、自分のスタイルを創って行くのが良いのだ。

とにかくやってみて、ダメなら他のことをすればいい。
何とかなるのなら、そのまま進んで行けば良いのです。

今振り返ると、宿坊を始めてから3年半が過ぎた。
あっという間だったけど、その間にいろんなことがあった。
そして何よりも、いろんな人との出会いがあった。

まだまだ軌道に乗っているとはとても言えないと思う。

何と言っても交通の不便な場所にあるお寺だ。
ちょっとそこまで・・・、と言った感じではないだろう。

でも宿坊を始めて、お寺が変わったのは事実です。
これは私が当初期待していたこと以上の効果があった。

自分でもそのことは驚きでもあります。

そして何より、この3年半の間に、お寺を取り巻く環境が変わり社会が大きく
変わったのだ。

まさに宿坊を始めるタイミングとしては、ドンピシャだった。

もしかすると、この田舎の無住職寺院寸前のこのお寺が、変わるかも知れ
ないな・・・。

これから少しづつ、宿坊の魅力と宿坊を始めたことで何が起こったのか。
そんなことを語ってみたい。



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今日の日帰り体験は、ケーブルテレビの取材がご一緒!

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今日の日帰り体験は、鳥取市の津ノ井地区公民館の皆さんがお越しになら
れました。

本堂の中は少し肌寒い中でしたが、皆さん真剣に写経に取り組まれました。

今日の体験は、鳥取市のケーブルテレビ局NCN(日本海ケーブルネットワ
ーク)の取材もありました。

おそらく公民館活動の取材だったのでしょう。
でも一緒に宿坊をご紹介いただけるのは有り難いですね。

日帰り体験で一番多く来られるのは、何と言っても鳥取市内からです。
少しでも多くの方にご覧いただき、宿坊に興味を持っていただければと思い
ます。

今年は日帰り体験が一年間を通して続いています。
特に9月以降は団体の方も多く来られ、ほぼ毎日でしょうか。

僕が言うのも変だけど、ちょっとしたお寺体験ブームになっているかのよう
です。
それに合わせて、各所から講演の依頼もたくさん来るようになりました。

どちらもブームでしたら、ブームが去るのは早いですね。

ただ一つ、僕が思うのは宿坊で出会った方々とは、一対一で向き合っている
ということです。

それは決してブームなどではないだろう。
宿坊があるからこそ、日帰り体験もその良さが出せるのかなと感じている。

でも日帰り体験が急激に増えると言うことは、そちらからの影響もとても大き
いですね。
特に地元の方々が中心ですから、それも有り難いのです。
地元で受け入れられないものは、やはり長続きしないでしょう。

宿泊と日帰りと、どちらも体験が中心の宿坊です。

やはりお寺は楽しむところ、そしてお寺は心のふる里だということ。
その二つを同時に実践できるのが宿坊の最大の魅力です。

従来のお寺が掛け声だけで終わってきたこと。
それが宿坊を始めると、自然にその実践ができるのです。

そしてたまに、今日の様にケーブルテレビの取材も来られる。

ただのお寺の体験だけだと、こんなふうにはいかないでしょう。

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やってみると、自分自身が思っていた以上の効果がある。

それがいつかお寺全体の魅力につながって行くと言いですね。


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ある法話のホワイトボードから親鸞聖人を思う・・・。

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本堂で法話をしたときのメモがホワイトボードに残っていたので、写真を撮って
みました。

浄土真宗では般若心経を唱えませんが、宿坊に日帰り体験に来られる方々は
他宗派の方が圧倒的に多いのです。

あくまでも仏教体験なので、写経には「般若心経」を書かれる方も多い。
もちろん「重誓偈」も用意しているのだが。

この10月~11月にかけても、日帰り体験の団体さんがとても多い。
1ヶ月ちょっとで、宿坊に来られた日帰り体験の方は、おそらく300人にはなる
と思います。
大阪からもバスツアーが2回入っている。
法話も1時間程度を15回くらいは行っているかも知れません。

そんな中で、それぞれの宗派を確認することなどありません。
ですから宗派ではなく仏教のお話しをするのです。

宗派だって元は仏教なのですから、当たり前のことですね。

そんなときに話すテーマは「般若心経」から入ると話しやすい。
なぜなら皆さんがよくご存知だからです。
いきなり浄土真宗の他力や有り難い話しをしたところで通用しない。

ところでこのホワイトボードに書いていること、これって浄土真宗の僧侶に分かる
だろうか?
仏教の根本であるのですが、もしかするとこの根本がすっぽりと抜け落ちている
かも知れません。

「般若心経」を読まないで、縁起と空を語るなかれ・・・、とは言えません。
ただ阿弥陀如来も親鸞聖人も縁起と空から離れて教えなど説かれていないの
です。
そこを勘違いしてはいけないということです。

さらには「般若経典」も仏説です、親鸞聖人も決して浄土三部経以外を否定は
していないのです。
そこに至る経緯を知らないで語るのはとても微妙なことなのです。

なぜなら絶対他力はこの縁起とその空によって明確に語ることができるからです。
浄土真宗の僧侶の方が話す有り難い法話では、その真理はよく見えない。
ただありがたい・・・、南無阿弥陀仏・・・、では伝わらないのです。

このホワイトボードに書いてある言葉が阿弥陀如来の存在と願い、そして絶対
他力の竟地に通じるお話しなのです。

そうするとスッポリとはまって行く。

なぜなら、親鸞聖人は徹底的にお釈迦様を見つめていらしゃる。

唯識と縁起、それが親鸞聖人の仏教を紐解くひとつの鍵でもあるのです。


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「ひとやすみ」と「ヨガ」

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「ひとやすみ」と「ヨガ」。

それって何って思うかも知れませんね。

実は今週宿坊に日帰り体験に来られたお二人。

お一人は若桜鉄道の八東駅の駅舎に喫茶店「ひとやすみ」を開かれた
野々上真由さん。

もうお一人は同じく八東でヨガのインストラクターをされている、西田麻衣
さんです。

野々上さんとは、「ひとやすみ」に行ったときお会いしている。
でも西田さんとは今回が初対面。

八頭町の中でも、さらに地元の八東で注目の若手のお二人です。

さすがにお二人が揃うと、そこには独特の空気感が流れます。

お二人とも、気負いが全くない、そんな感じ。

この若さでそんな風にできるんだなと、ちょっと興味深い。

本当に最近は田舎にも若い人が活躍されるようになってきた。
八頭町ってそんな町なのです。

これって不思議ですね。

何もなかった町にいろんな人材がいる。

もしかして八頭町って、結構人材の宝庫かも知れませんね。

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コタツに入ってお昼まで話しが弾みました。

イタリアン精進料理を食べていただき、そのあとは本堂で瞑想を少し。

西田さんはヨガのインストラクターだし、野々上さんもヨガをやっておられる。

ヨガって瞑想なので、お二人ともさすがにポーズが決まっていますね。

安定感とゆとりを感じられます。

そして、すっと呼吸に集中して行かれる。

いつも仏教のお話しをさせていただいてから、瞑想に入っていただく。
その方が心のことをイメージしやすいから。

またこらからも、いろいろとお話しをしてみたいですね。

今はお寺でもヨガをやっているところが多い。

瞑想とヨガってもちろん相性がいい。

これから何かコラボができるかも知れません。

リトリートとか・・・。


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報恩講の宅参り、カレンダーをお渡しする

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今年ももう年の瀬が近づいてきた。

浄土真宗のお寺では、この時期に報恩講をお勤めする寺院が多い。

それは親鸞聖人のご命日である1月16日に向けて、お待ち受けをお勤め
するのです。

本来は浄土真宗ではお盆の棚経はしない。
なぜならそこに意味を見出すことができないからです。
でも他宗派がやっているので、浄土真宗でも盆参りをする。

教義には厳しいのだが、やってることにはあまり意味を見出せないのです。

浄土真宗では、宅参りは本来はお盆ではなく報恩講でお参りするのが普通
でしょう。

でも最近は報恩講法要はお寺でだけお勤めして、宅参りはしないお寺が増え
てきている。
年末忙しいからとか、そんな感じでしょうか。

私のお寺では、お盆の棚経はしません。

ただ報恩講には一軒一軒お参りさせていただきます。
なにしろ親鸞聖人のご命日のご縁なのですから。

ご自宅のお仏壇でもちゃんとお勤めしないと、一年が終わらないのです。

そのときに来年のカレンダーをお持ちしています。

他のご寺院がやっておられる方法を教えていただいた。
それからは毎年恒例となっている。

このカレンダーのある家は報恩講をお勤めされたということにもなります。

報恩講では「正信偈」をお勤めいたします。
さらに「阿弥陀経」をと言われる家も多い。

なので一軒に1時間かかります。
でもこのときが各ご家庭の方とゆっくりお話しをする機会となるのです。

今日お参りさせていただいたお宅でも、「ずっと聞きたかったことがあります」
とお話しがあった。

ゆっくりとお伺いし、納得されるまでお話しをすることができました。

それにはちゃんと時間を取ってお参りすることが大切なのです。

たとえお寺にお参りに来られなくても、法事や報恩講ではじっくりとご家庭の
方とお話しをさせていただきます。

そのときそのときに、にこちらも全力を尽くす。

読経にも法話にも。

僧侶としての本分はそこにある。

すべてのお参りが一期一会だ!

こちらの体調が悪いとか、都合がどうのとかは言えない。

ただひたすらに全力を尽くす。

そして真剣に向き合うのです。

それが無ければ、お参りに行く意味がない。
そう思っている。


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四苦八苦と阿弥陀如来

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お釈迦様が教えを説かれようと思われたこと。

それは人が四苦から逃れられないことに気づかれたから。
その四苦を人々の心から解き放つことが目的であった。

四苦とは何であろうか?

これはご存知であろうが、生老病死である。
人は、いのちとして生まれた瞬間から、死へ向かって歩み始める。
成長すると言いながらも、それは死に向かっていることには違いない。

誰も生れたときのままでいることはできないのです。

生れることも自分が決めることはできない、さらには老いることも病気になる
ことも、自分ではどうしようもないのです。

いのちがあるかぎり・・・、その現実から目をそらすことはできない。

では生老病死とは何の苦しみかというと、それはいのち、つまり肉体に関わる
苦しみであることが分かる。

そして私たちに起こる苦しみは、すべて最終的にこの四苦に帰由するのです。
なぜなら、死を持ってこの世のすべてのことは一切関係なくなるからです。

お金をいくら持っていようが、いくら地位が高かろうが、それさえも一瞬で無に
帰してしまうのです。

さらに仏教では、四苦の次に八苦を説く。
八苦とは、生老病死の四苦にあと四つの苦しみを加えるのです。

あとの四つとは、先ず最初に愛別離苦があります。
これは愛するものと必ず別れが来るということ。

愛すれば愛するほど、その喪失感は大きい。
苦しみも深くなるのです。
でもどんなに愛し合っていても、どちらかの死を持って別れはやって来る。

次に怨憎会苦が来ます。
これは、怨みや憎しみ感じる人と会わざるを得ない苦しみです。
会いたくない人に限って会わざるを得ない。
そんなことってあるなあ・・・。

そして次に求不得苦。
これは求めたものが手に入らない苦しみ。
これぞ現代人が、日常で一番直面している苦しみかも知れない。
お金や物、そして地位や名誉も、数限りなく求め続けるのが現代社会だ。

最後は五蘊盛苦。
それらすべてが苦しみである、つまり生きるということはこれらの苦と向き
合って行くことだと教える。

ところで、仏教でいうところの四苦八苦の苦とは何か?
日頃私たちはすべてのことにこの苦しみと言う言葉を使う。
ある意味非常に汎用性の高い言葉です。

肉体的にも精神的にも、どんなことにもこの苦しいという言葉を使うことが
多い。

でも日本に伝わった仏教は、インドの言葉をすべて漢字に置き換えている
ということを知っておかなくてはならない。

当たり前の様に思っていることでも、原典を遡ればその意味が現在使わ
れている言葉とは少しニュアンスが違ったりするのです。

では、仏教で使うこの苦という文字の意味するものは、元々何かというと、
「苦=思い通りにならないこと」であると言われています。

つまり生老病死は、生まれることから死ぬことまで、すべて自分の思い通り
にならないことだということなのです。

生きるということは、思い通りにならない事ということを知っておかなくては
ならない。

そしてもう一つ、「苦=不満足」です。

求めるものが手に入らない、何事も思い通りにならない、だから不満足。

仏教で使われる苦しみとはこう言うことなのです。

でもよく考えてみればそうだ、私たちの苦しみはすべて、思い通りにならない
ことと不満足から発生していると分かる。

思い通りになっていたり、満足すれば何も苦しみがないということになる。

いのちは思い通りにならない。
心は不満足を感じる。

人にとって一番大切なもの、それはいのち。
そして日常の中で大切なのは、心です。

人は、いのちと心によって生きている。
そこから離れることはできない。

その一番大切な、いのちと心が人を苦しめていることになるのです。

では、これと阿弥陀如来がどう関係するのか考えてみる。

阿弥陀如来の阿弥陀という言葉も、元々はインドの言葉である。
元は、アミターユスとアミターバという言葉からこの阿弥陀という漢字が当て
られている。

アミターユスとは、浄土真宗では無量寿として使われている。
無量寿とは、量ることができないいのち、つまり時間的永遠性を示す言葉。

アミターバとは無碍光と訳される。
つまりなにものにも遮られることのない光、つまり空間的無限性を表す言葉。

そこから考えると、阿弥陀如来とはいのちと光の仏様であることが分かる。
それは時間と空間を超えた存在であるということ。

簡単に言えば、いつでもどこにいても、必ず阿弥陀如来の願いである本願が
私たちに届けられているということです。

でも私たちは、心の中の雲によってそれが遮られていて、届けられているこ
とに気づかないでいる。
そこに迷いが生じるのです。

その光は決して雲なんかでは遮られることはない。

なぜなら、その雲は自分の心が造りだしているものだから。

「その心から疑いの蓋を外しなさい」、そう阿弥陀如来は私たちに語りかける。
それが仏の側からの南無阿弥陀仏だということ。

完全に心から疑いの蓋を外したら、そこで私たちの口から漏れ出す南無阿弥
陀仏は感謝の心に包まれているはずです。

なぜなら、ずっと私一人を願い続けて下さっているということに気づかされる
からです。

つまり阿弥陀如来の願いは、私たちが自分ではコントロールできない、いのち
と心を支えてくれている存在ということなのです。

人が一番揺れ動くもの、それを支える存在。
人は何かとつながっていなくてはならない。
日常ではそれが家族だったり友だちだったりする。

でもそれさえも確実なものなんか何もない。

その確実なものが何もない私たちに、絶対的な安心感を与えてくれる存在。
それが阿弥陀如来の存在である。

まさに仏教が説かれた根本的な問題である四苦八苦。
それを根源的に支えている存在が阿弥陀如来だということなのです。

仏様に願い事はするもんじゃないと言われることがある。
それは私たちが願う前に阿弥陀如来の側から願いが起こされ、それが私たち
にすでに届けられているのだから、私たちはその絶対的な願いの中にすでに
あるということに気づかされるだけだということなのです。

人は、この世でいのちと共にある。
そして幸せや苦しみを決めるのは、すべて心である。

そこに気づけば、阿弥陀如来の願いの意味も見えて来るのではないか。

見えて来る、つまり真如の世界から来る存在(=如来)が見えるかどうかだ。

それが浄土真宗で言う信心となるのです。

そこにあるものは、阿弥陀如来の願いが働きとなって今も届けられている。
今でも極楽浄土では阿弥陀如来が教えを説かれているのだ。

それは絶対他力の世界でしかない。

人智など及ばない世界、人智など死を前にすれば何も力を持たないのだ。


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八頭更生保護女性会10周年記念大会でお話しさせていただきました!

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11月4日 地元八頭町の中央公民館に出かけました。

八頭更生保護女性会の10周年記念大会に出席するためです。

今回の大会の記念講演を引き受けていたからです。

更生保護女性会は昭和35年にその前身の団体が設立されているそうです。
今回は合併後10周年を迎えられる。

昭和35年とは、私が生まれた年です。
さらには10年前は私が会社を退職して鳥取に戻った年。

会場の中央公民館は、私が高校時代に友人二人と作った軟式野球部の
練習場で使わせていただいていた野球グランドがあります。

そのすべてに縁がある大会でした。

そこで記念講演をさせていただけるのは、とても有り難いことでした。

役員の方々が何度もお寺に足を運ばれて講演の打合せをされました。

講演のテーマは『心を整え育む』にしました。

そしてレジュメの表紙はブータン王国の国旗です。

最初にワンチュク国王の言葉をお借りした。

心のことをもっと知って欲しいと思ったからです。

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参加されていた方々は約70人くらいだったでしょうか。

開式のときより講演会のときは人が増えていました。

八頭町と若桜町の両町長の祝辞など、会のスケジュールがスムーズに進み
私の講演の時間が予定より45分程度早くなった。

それもあって、当初1時間を予定していた講演を15分程度長くしました。

私の話しの反応は分りませんが、私なりに精一杯お話しさせていただいた。

日頃は更生保護という志の高い活動をされておられる皆さんです。
少しでも心に届いていればよいなと思います。

会長を始めとした役員の皆様のご苦労に感謝するとともに、厚く御礼を申し
あげます。

この度の記念大会と言う重要な節目にお話しさせていただけたこと、とても
有り難いご縁でありました。


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日曜日、夜遅くの町おこしの会議に集まる!

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11月のある日曜日。

夜6時半から、鳥取市内にある会館で会議が開かれた。

秋はイベントが目白押しで、行政や観光関連や町の活性化に取り組む団体
の方々の集まりですから、こんな時間になったのでしょう。

会議は「国道29号沿線広域協働活動準備委員会総会」です。

29号線沿線の2市2町の行政と観光関連や町の活性化の団体が集まった。

具体的な取り組み内容はこれから皆で話し合って行くということ。
とりあえず会を立ち上げて、国道29号沿線の活性化と景観を整えることで、
さびれ行く国道29号沿線に人を呼び込む取り組みです。

私もその沿線に住む住民の一人として、国道29号沿線の景観には興味が
あります。

これからこの景観をどうして行くのかということの行方を見てみようと・・・。

今回はあくまでも準備委員会の設立総会。
具体的な内容はなく関連する団体が集まるということ、役員を選出するという
こと。

さらには誰でも参加できる会にしたいということで、住民参加型のワークショッ
プをこれから各地域で開催して行くことになる。

そのワークショップを開催するための事前体験と言った感じでしょうか。

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最近はこのタイプの参加型ワークショップが多いなと感じる。

まあ参加している人全員が全員で作り上げて行くイメージを演出するという
ことなのでしょう。
どこに行ってもこのパターンになってきた。

それはそれで参加した人は当事者意識を持つことになり、一体感を醸成し
やすいと言ったメリットがあるでしょう。

一方的な話しを聞くだけよりはましかもしれない。

一昔前のタウンミーティングスタイルから参加型へと移行しているのかな?

行政は、とにかく住民参加型で住民からのアイデアを募って行きたいとの
意向も働いている。

従来の行政主導から、あくまでも住民主導への転換を強調するのでしょう。

ワークショップや地域おこし協力隊だったワノクニの平賀氏が行った。

準備委員会の会長には、R29活性化委員会の小山氏が就任。

2時間の総会となりました。

幹事は八頭町観光協会が受け持っており、この会の準備も大変だったろうな
と思ったりします。

そのあとは、夜の9:15分から鳥取市内の居酒屋で懇親会。
日曜日のこの時間の懇親会は珍しいですね。

それでも多くの人が集まっていた。
それもちょっと驚きでした。

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懇親会の写真は、第一陣と第二陣が帰られた後です。

僕にとっては日曜日の夜なので、昼間に二件の法事を済ませてでしたので、
逆に予定が空いていたので参加できました。

幹事の八頭観光協会の岸本事務局長、小山会長、ワークショップを指導された
平賀さん、本当にご苦労様でした。


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忙しい日常と、心落ち着ける宿坊と・・・

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日頃はお子さんの教育や子育て、そしてお仕事に忙しい。

日々の日常ではいろんなことに追われる。

でもそんなときは、たまに心と身体をゆっくりと整えることも大切です。
それにはこの宿坊がちょうど良いかも知れません。

お子さんの秋休みにこの宿坊にお越しいただきました。
宿坊のことは以前から知っておられて、一度行ってみたいと思われていた
そうです。

自然の中で心と身体を休める、そして仏教の話しを聞いてみる。

心に思っていることを、整理しゆっくりと話して行く。

そうすることで、自分自身を見つめ直す。
そんな時間を持ってみること。

お寺のことや仏教のことも知ることができる、それも普段お生活の中では
あまり縁がなかったりする。

それも日常の心から離れる機会になる。

宿坊にはバーもあります。
バーと言っても、寺務所を夜は談話室にするだけ。

でもちょっと雰囲気を変えるには効果があります。

お帰りになられる前の時間を使って、瞑想も体験していただきました。

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次の日は、近くを走るローカル線の若桜鉄道に乗って若桜宿を散策。

それも楽しかったりします。

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一泊二日の大切な時間。

そんなときでも、ここでなら時間をゆっくり使えますね。

秋の八頭・若桜路とローカル線の旅も満喫できる。
旅行気分も・・・。

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心と身体をゆっくり休められた二日間になられたことでしょう。


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自坊の報恩講法要で夢を語る!

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「寂れとったけえなあ・・・」

今日お寺にお参りに来られていたご門徒さんが帰りにぼそっとつぶやかれた。

今日は自坊の報恩講をお勤めしました。

私がこのお寺に戻って5年になる。

それまでの報恩講には、ご門徒さんが10人もお参りされない様になっていた。

お寺も荒れ果てていたのです。

お寺のことを思う方々は、このままお寺がどうなるだろうと思っていたでしょう。

ただ現在のお寺が決して状況が変わった訳ではない。
私がこのお寺に戻ってきたときは、いつ無住職寺院になってもおかしくない状態
だったのです。

このままではお寺は続かない、お寺に戻った瞬間に分った。

でも前住職はおろか、ご門徒さんも誰一人そんなことは考えていなかった。

「有名になってよかったなあ・・・」

そのご門徒さんは、前の言葉に続けてこう言われた。

特に意味はなかったでしょう、ただ思いをそのまま話されたのだと思った。

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今日の法話のテーマは、「これからの光澤寺」でした。

お寺が無くなる!

その危機感は十分にある、明日はどうなるか分からないのだ。

宿坊もいつまでお客様が来てくれるか分からない。

でも話の中心は、夢についてです。

「100年後には光澤寺を世界文化遺産にする!」こと。

でも皆さんは笑いながらも、馬鹿にしてと言うほどでもない反応。

僕は、「100年後には絶対にいきていないので、だから夢なのです」と続けた。

そう夢は死ぬまで見続けること、叶えるためのものではないのです。

叶えたら夢は夢でなくなってしまうから・・・。

時間との闘いである。

間に合わなければ、このお寺は無くなってしまう。

その猶予はあまりない。

でも、このお寺を次の世代へ引き継ぐと自分で決めた。

だから、お寺のことを思って下さる方が一人でもいる限り、このお寺を発展させ
て行こうと思っている。

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宿坊光澤寺のHPはこちら!







八頭町観光協会&サンケイトラベル「イタリアン精進料理と梨狩りツアー」!

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今日は秋晴れの中、八頭町観光協会とサンケイトラベル主催の八頭町モニ
ターツアー「イタリアン精進料理と梨狩り」ご一行、総勢44名の方が宿坊に
お越しになられました。

モニターツアーだけあって、盛りだくさんの内容になっています。
梨2個のプレゼントもついて、とってもお得なツアー。

宿坊では、約1時間の法話とイタリアン精進料理の昼食。
そのあとは、瞑想も体験していただきました。

天候に恵まれたこともあって、昼食後は山里の田園風景を楽しまれていた。

法話も皆さん熱心に聞いていただき、食事も美味しかったと多くの方に言っ
ていただきました。

これでこの秋の大阪からのバスツアーは2回目となりますが、どちらもキャン
セル待ち状態でした。

少しは宿坊光澤寺の存在を大阪の方々が知っていただけると有り難いですね。

この宿坊が、観光協会さんと旅行会社さんに選んでもらえるだけでもすごいこと
だと思っています。

何もないただの普通のお寺、それも無名で檀家さんさえお参りに来ない寺。

それが宿坊を始めることで、何かが変わり始めました。

今週は日帰り体験の方だけで120名の方が宿坊に来られたことになります。
これは一週間の人数としては、もちろん過去最高の人です。

たまたま団体さんが重なったこともありますが、一つにはただお参りに来られた
人は一人もいないということ。

体験をしたり法話を聞いたり相談をされたり、もちろんみなさん食事もされて
行かれるのです。

お寺って楽しいところだな・・・、そう思っていただければ良いのです。

八頭町観光協会の皆さん、サンケイトラベルの皆さん、そしてご参加していただ
いたバスツアーの皆さん、今日はありがとうございました。

十分ではなかったと思いますが、またお越しいただけること心よりお待ちして
おります。


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