宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

2016年02月

西本願寺「ビハーラ活動者養成研修会」でお話しする。

西本願寺には、ビハーラ活動者養成研修会がある。

今年度で第25期になるので、もう30年以上続いているということになる。
始まったころは、1期を2年かけてやっていたこともあるから。

ビハーラとは、元々キリスト教のホスピスに対応する言葉として考えられ
たものです。
その背景から、当初はターミナルケアの要素が強かった。

キリスト教は医療やホスピスの活動が早くから始まっている。
それに対し仏教は、檀家制度の背景から葬式仏教が中心となっている。

それは、仏教の本来の目的から逸脱するとともに、医療の世界からは
遠ざけられてきたのです。

仏教の新しい視点として、ビハーラを実践して行こうということから始まっ
た活動でしょうか。

30年以上前からこの活動をしていると言えば、仏教の宗派では相当に
先進的な取り組みです。

西本願寺では、特養の介護施設、さらには「あそかビハーラ病院」を運営
していたりする。

研修は、ビハーラの実践者として活動者の養成を行っている。
最近は、臨床宗教師という制度もあったりするのだが、ビハーラ活動に
非常に似ている活動ですね。

臨床宗教師は東北大学が主体になっており、ビハーラは西本願寺という
こともあって龍谷大学も関わっていたりします。
その二つの大学のコラボも始まっている様です。

そういった面では、ビハーラ活動者養成研修会もこれから新たな展開に
なって行くかもしれませんね。

ちなみに私はお寺に戻ったときに受講している、第21期でした。

もうあれから5年経った。
その5年だけでも社会は大きく変化した。
さらにはお寺を取り巻く環境も大きく変わったのです。

お寺の活動も急速にスピードアップしてきた。

そのビハーラ活動者養成研修会も、今年度は3月の研修で修了となる。

3月1日に、「寺院ビハーラ論②」という講義があります。
その内容は、寺院の社会的使命と活動報告です。

そこで私が出講し活動報告をお話しさせていただきます。

~宿坊から感じるこれからのお寺~というテーマにしました。

約1時間話しをさせていただき、その後に座長と報告者2人でディスカッ
ションになるそうです。

ビハーラ活動は、これからのお寺にとって活動のベースとなるもの。
とても重要な活動です。

ただそれをどこまで実践できるかどうか。

少しでも私の話しがお役に立てればと思っています。

特に過疎化が進む地方の寺院にとっての、お寺の使命とは何か。
生き残りもかかっているのです。

社会の変化に取り残されないように、ではないのです。
社会の変化に対して、お寺がリーダーシップを取らないといけないとも
感じています。

説明用の資料をパワーポイントで作りましたが、かなりの量になった。
どこかにヒントがあればと思い、さっと流して行くのが良いかなと思って
いる。
何かの内容や言葉に一つでも気づきがあれば・・・、それで良いのじゃ
ないかな。

なぜなら、事例はあくまでも私のお寺にとっての事情であり、お寺は
それぞれにすべて環境と条件と事情が違うのですから。

研修会の後は、中央仏教学院時代にお世話になった先生とお会いす
る予定にしています。

これからの葬儀についてお伺いしたいことがあるのです。
そちらも楽しみですね。

最近は京都に行く機会が減っている。
本山に行く機会が少なくなりました。

宿坊を始めてから、特にこの2年間はお寺のことでいっぱいになって
来たということもあります。

そろそろ、新しい展開に入って行こうと思っています。


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旅にもいろいろある、そして二月が過ぎて行く・・・。

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関東から来られた二人の若者。

有名観光地ではなく、こだわりのある所を周られている。

そういう旅も楽しいだろうなと感じる。

有名観光地だと、そちらに気を取られて、本当の旅の楽しみを忘れることも
あるからだ。

最初から、有名観光地を目指さなければ、違った旅の楽しみがある。

旅のカタチにもいろいろある。

でも、お一人は寒さのせいか風邪をひかれたようです。
昨日は宿坊でゆっくりと休まれた。

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今朝は光が差し込んでいた。

穏やかな一日になりそうな予感。

朝には体調も戻られたよう。
お元気になられていました。

やっぱり若いなあ、と感じる。

宿坊でゆっくりされることで、日頃の疲れも一緒に癒されたかも知れない。
気づかないうちに疲れがたまると、寒さや雨で風邪をひきやすくなる。

風邪で休むのは、身体を休めろというサインでもある。
そんなときは、しんどいけどとにかくゆっくり休む。

できれば栄養も摂ったほうが良いと思う。

また山陰を周ることがれば、宿坊に寄って行って欲しいですね。

今日は、朝からお参りが二件。

お見送りした後、お参りの準備をする。

もうすぐ二月も終わりだな・・・。

今朝の朝日は、冬の太陽ではなかった。


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シェア金沢の功罪

フェイスブックを見ていると、新しいコミュニティー施設シェア金沢の記事
が出ていました。

みなさんが称賛しているのがほとんど。

なぜかというと、そこで生活しているわけではなく、視察で訪れている
からでしょう。

話しを聞いて視察をして、良かったねって感じ。

そりゃあ、多額の助成金をもらって作って、議員さんの視察先としては
適当に面白いでしょう。

こういうコミュニティーを我が町にも作ろう!
視察の報告書にはこの程度の感想、こんな感じでしょうか。

この町の功罪について考えてみた。

こんなのを造れば、地方創生の時代、横並びで作ろうとするところが出
てきてもおかしくない。

でもちょっと考えてほしい。

現在の地方創生や町おこし。

行政がやっていて全く効果が出てきていないこと。

それは住民参加型、そして助成金型、さらには活性化やコミュニティーの
枠組みを行政が作る。

これって、おそらくすべてが失敗している。
でも失敗していることは分かりません。

作ったときは派手に宣伝するが、衰退していることは発表されないから。

シェア金沢もおそらく10年もすれば忘れ去られて、何か別の施設にでも
なっているか倉庫代わりになっているでしょう。

なぜなら、このコミュニティーは人為的に作られたコミュニティーであり、
必然性のないコミュニティーだからです。

レストランやショップ、所詮テナントショップとして集められただけ。

社会福祉法人が主体なので、いづれ介護施設として払い下げられるだけ
の運命です。

コミュニティーの大切さは、そこに何か必然性があること。
もしくは自然に発展すべきものなのです。

最初に枠組みを作って、入ってくださいと言ってもコミュニティーは絶対に
発展しない。

人や店が入れ替わって終わり、ただそれだけです。

視察は、その問題意識がない人がいくらやったって、経費と時間の無駄
使いでしかない。

この程度のコミュニティーを視察して喜んでいる様では、問題の本質は
いつまでたっても分からないでしょう。

さすがに、ファイスブックの記事にコメントを書くことはできないので、ここ
に所感を書いてみました。

あくまでも私の勝手な感想でしかありません。

ただ、最近の地方創生や町おこしを見ていると、どうもおかしいことばかり。

これらに一体どれだけの予算が使われていることだろう。

そんなことで町おこしができるのなら簡単なことだ。

金だけ使って何も残らない。

バブル期の政策と、地方創生は何も変わっていないのかな。






宿坊で知らない者同士のマッチングもあります!

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関東から来られた若者。

ゆっくりと旅を楽しまれている。

今日は、若桜鉄道に乗って若桜の町を歩く。

そして午後は写経を体験され、その後は近くにある、かじや温泉に。

その後は、たまたま立ち寄られた若桜鉄道の山田社長と出会う。

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全く知らない者同士、年齢も違うし仕事も違う。

本来なら、接点のないお二人でしょう。

それがたまたま、宿坊で出会う。

二人の話しも、いろいろな展開をする。

ローカル線のこと、旅行のこと、地方創生のことまで。

別にそれぞれが、さも普通のように話しをする。
そこに私も加わったりしながら話す。

こんなことも面白いものです。

宿坊を始めてから、いろんな人と出会う。

もしやっていなければ、接点がなかっただろう。

何かを始めれば、新しい接点ができる。

いろいろ話しをする、するとそこに新しい回路が出来上がる。
これがとても楽しいのです。

世代や住む場所やすべてを超えて、そこに出会いがある。

人生は長く、でも短い。

そこでの出会いの一つ一つが人生であるのだろう。

であるなら、出会ってみるのも良いものだと思う。


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自己責任ということ・・・

自己責任という言葉が一般的に使われだしたのは、いつ頃から
だろうか。

私が知る限りでは、今から20年くらい前から一般的に使われる
様になったのではと思います。

つまり日本は自己責任の国ではなかったのでしょう。

外国では自己責任が当たり前ですから。

たとえば、自分の身は自分で守るということが前提となっている
社会ということ。

以前に宿坊に来られたお客様と話しをしているとき、自己責任の
話題になった。

その方は、外国に住んでおられて、久しぶりに日本に帰国され
ているとき宿坊に来られた。

その方曰く、外国と日本では自己責任の使われ方が違う。
どうも日本の場合は、本当の自己責任ではないように感じると
言われていた。

私も、日本で使われるときの自己責任には違和感があったので、
話しが合ったのです。

たとえば、自己責任を語るときに、どちらの側から見るかということ。
自分から見るか、周りから見るかということです。

本来の自己責任は、自分のことなので自分から見て使う言葉。
でも日本では、相手や周りに対して使うことが多い。

それが顕著に表れるのが、海外旅行や海外に住むとき。
外国では、自分の身の安全は自分の責任であるということ。

日本人にはあまりそんな感覚がない。

何かあれば、誰が悪い、国が悪い、行政が悪いとなる。
要は自己責任を自分のことだと認識していないということ。

日本で使われだしたとき、それは相手を責めるときに使っていた。
自己責任だからお前が悪い、とか。

自己責任だからお前が責任もってやれ。

と、自己責任を相手に押し付ける。

要は、自分は悪くないと責任回避に使われているのです。

これは自己責任の本末転倒であるでしょう。

安全はお金で買わなくても、国や周りが当然保証してくれるもの
との考え方でしょう。

日本は安全という認識と、ムラ社会であったということもある。

アメリカで銃がなくならないのも、自分の身は自分で守るという
ことの表れでしょうか。

ただ言えることは、自己責任とは決して相手を責めるときに使う
言葉ではなく、あくまでも自分自身に対して考えることなのだと
思います。

ただ安さだけを追求すると、もちろん安全は担保されない。

危険な場所に行くには、事前に危険かどうかを考える必要が
あるということなのだと思う。


日帰り体験に55人の方が来られました!

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今朝はとても冷え込んでいました。

山も田畑も凍てついていた。
ただ、天気予報と違って、晴れ上がった。

雪と冷え込みを心配していましたが、晴れ上がると気温も少し上がってきた。

今日は、地元の船岡ボランティア連絡協議会の皆さん、55人が光澤寺に
来られる。

冬の本堂は寒いし、暖房をつけても中々暖まらない。

冬の間は日帰り体験は多くありませんが、昨年から1月~2月も来られる様
になってきました。

本堂では、少しでも暖かくと思い石油ストーブとファンヒーターをたくさん準備
しました。

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午前中は、法話とプチ瞑想。
心のことを中心に、幸せについていろいろお話しをさせていただきました。

皆さんも熱心に聞いておられたと思います。

日帰りのお寺体験は、宿坊を始めた当初は予定していませんでした。
テレビの宿坊紹介を見られた方から問い合わせがあって、お受けしたのです。
そこからたくさんの方が来られるようになりました。

まさかこれほど多くの方が、お寺に来られるとは思ってもいなかったのです。

お寺も少しだけ今までと違ったことをすると、興味を持ってもらえる所なのだと
改めて感じることができました。

お寺の可能性の一面を感じたところでもある。

法話を依頼されることが多いですが、宗派の布教の様な話しはできません。
宗派も違うし、従来の法話のスタイルを望まれていない方もいらっしゃる。

仏教の教えを基本にしながらも、いのちやこころのことを中心に話して行き
ます。

そこにテレビやネットでみた現代的な問題を絡めて行く。
これが私自身、結構面白かったりします。

これからも、宿坊とともに、日帰り体験も進化させてゆきたいと思います。

お寺の楽しみを十分に感じてもらいたい。
日常の中にあるお寺の存在価値を高めることが重要なテーマです。

もちろん、法話や写経や瞑想などの仏教体験だけではなく、イタリアン精進
料理があることも、日帰り体験に来られる大きなポイントです。

食事もすることで、お寺でゆっくり過ごすことができる。

法事などの仏事の時だけお寺に行くということだけでは、お寺の持つ本来の
魅力は見えて来ないのです。


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人生の最期の医療に思うことは・・・看護師さんに聞く

ネットに朝日デジタルが、看護師さんに実施したアンケートが載っていた。

「最期の医療」について。

一つは、「人生の最終段階で心配なことは」

その回答は・・・
①家族に負担をかけること
②医療や介護に必要なお金
③病気による身体の痛み
④必要な医療サービスが受けられるか
⑤看取ってくれる人がいるか

以上で回答の9割近くを占める。
「最期を迎えるにあたっての心の不安」は数%にしか過ぎない。

以前研修で、ホスピスで傾聴を続けている仏教僧の話しを聞いたこと
がある。

宗教的な心の不安や痛みを訴える人は、20年以上続けてきて、数人
しか出会ったことはない。

もちろん日本人は、死のことを考えることを避けてきた。
さらにはチヤプレンの存在がいなく、ターミナルケアが意識され始めた
のも最近のこと。

僕は僧侶になるとき、ターミナルケアのことを考えた。
葬儀や法事ではなく、生きているときにこそ仏教は必要だと。

現在、臨床宗教師ということが話題になっている。
でも、よく言われることは、ターミナルケアのときのペインは、社会的な
痛み、つまりお金や環境など。
その次には、病気や治療の痛みが占めるということ。

心の痛みも家族に関するものがほとんどである。

その次には心の不安が来るかもしれないが、それも宗教にということ
ではない。

神や仏に救われたいと思う人は、ほとんどいないというのが現実だ。
そもそも、元々宗教に熱心でない方が、死ぬときに宗教に救いは求め
はしないだろう。

特に認知症になれば、宗教心などどこかに行ってしまう。
熱心だった方が、認知症になってまったく変わってしまったという話し
も聞くことがある。

さらには人生経験の少ない若手宗教師では、やはりターミナルケアは
無理なことなのです。
それは私自身が生きてきたこと、さらには世代間のギャプ、死に対する
意識。
それらのことからも感じます。

経験や苦労、同じ境遇、身体のこと。
その年でなければ分からないことが多い。

「その苦しみは、その苦しみを分かる人にしか癒せない」
とお経にもあります。

でも、人は一人では寂しい。
生きているうちに、死のことをもっと考えておくことは大切だと思う。
そして自分の人生を振り返り、見つめることも・・・。

そんな場所が、これからはお寺になって欲しいと思っている。

そしてこんなアンケートもあった。
「人生の最終段階でどんな医療を望みますか」ということ。

回答の9割以上が、緩和治療と医療には頼らないということ。
延命治療を望むのは1%にも満たない。

これらの二つのアンケート結果。
それも近くで見つめてきた看護師さんの回答である。

現代の医療は、身近にこれだけのことを抱えながら、本当に大切なこと
を見捨てているのではと思う。

治療し延命することに全力を挙げる。
患者でなければ儲からないからだろう。

北欧では自然死を前提としているのだそうだ。
ヨーロッパでも延命治療は望まない社会。

でも日本は患者やその家族のことではなく、医療優先の考え方。

もちろん医療はボランティアだけではできない。
収益も大切であろう。

ただ、ヨーロッパでは医療の根幹にキリスト教精神があるのではと思う。
病院にはキリスト教関係の施設も多い。

翻って、日本の医療は明治から、それも戦後が中心。
つまり宗教がそこに関わることがなかった。

宗教的背景のない医療であるから、商業主義になってしまうのでしょう。

現在は、ターミナルケアや仏教ホスピスに力を入れようとしてきている。

そろそろ日本も、死のことをもっと受け止め、生きているうちに考えておく
ことも必要な時代になってきたと思う。

自分の最期の治療や生き方を。

それが豊かに生きるということではないのか。

これからますます、高齢化と独居化が進んで行く。

そこで本当に必要なもの。

そこで本当に望まれているもの。

それは、このアンケート二つを見るだけでも、分かるのでは・・・。

それは医療に期待するとか医療を問題視するのではなく、お寺を始めと
した心のサポートする所が、本来の役割をしてこなかったことに尽きる
かも知れない。

これからは医療とともに、心のサポートをすることがお寺にとって大切な
ことなのだろうと思います。
僧侶が一番望まれることは、これからはそのことだろう。

葬儀や法事のことを解決することがお寺の役割だと思っていたなら、
それは、寄り添うということではないのだ。


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とりあえず、HP(ホームページ)を・・・。

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宿坊を始めるとき、とりあえずHPは必要最低限。

と考えていましたが、どうやって作ればよいか分からない。
1から勉強するのも面倒だし、HP作成ソフトも面倒なうえに出来上がりが素人
っぽくなる。

そんなとき知人から簡単にできるHP作成コンテンツがあると情報を得た。

とにかく、素人っぽさがなくて簡単にアップできそう。
さらにはコストもそれほどかからない。

条件面では、これくらいならできそうと思い、すぐに申し込み、作成しました。

もし本格的なものや、もっと便利なものがあれば変えようかと思ったり。

でもあれから4年経つ。

一旦アップしてしまえば、最初のころは日々更新して行きます。
そんなこんなで、ここまで変えないで続けてきました。

宿坊の場合はショッピングではないので、それほど機能を気にしなくてすみ
ます。

内容を紹介できれば良い。
小規模な宿坊なので、ネット予約システムも難しい。
ということで、電話とHPのお問い合わせで予約を受け付けています。

HPはブログと違って毎日は更新できない。

見られた方が、できるだけ見やすく。
そして興味を持ってもらえるように。

次々に継ぎ足して行くので、ちょっと見にくいところがあるかも知れません。
でも、探す楽しみがあったりするのも良いかなと思います。
いろんな話題を見れるといったところも。

やはり一度アップすると、切り替えは面倒ですね。

そうなると、簡単にできてコストが安いところが良いですね。

私が使っているところは、そのどちらも兼ね備えている様です。


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命といのち

命といのち

同じものの様で、違った感覚を受ける。

命とは、医療の世界で使われる。

医者が見る世界は命。

つまり、治療の対象として見るときに使われる。

生命維持装置や延命治療の名の通り、生きているということ
の命であろう。

仏教、特に浄土真宗では、いのちと表現する。

これは、いま生きているということだけではないもの。

心停止や脳死といった人間的な判断だけではない世界。

それがいのち。

いのちの尊厳といったときには、いのちの方を使うかもしれない。

最近は、医療の世界でも、命だけでなくいのちを考えるということ
も増えてきた。

従来であれば、治療の対象である患者しか見ない。
治療の対象でなくなった瞬間に、患者でなくなる。

そうなると医療は手を放す。

がん難民と呼ばれていたのは、そういうこと。

治療の施しがない、もしくは手術をしないと判断する。
そうすると、医者は患者でないので興味がないといった感じでしょ
うか。

でも今は、ホスピスやターミナルケア、緩和医療への取り組みが
進んできた。

でも最後は、医療は100%敗北するという。

なぜなら、人の命であれば必ず終わる時が来るからだ。

そのとき心ある医者は無力感を味わうでしょう。
心なき医療は、何もそこからは感じない。

患者が一人いなくなったという感覚。

いのちを受け止めるお寺にも、そんな感覚があるかも知れない。

最近、葬式をして檀家が一軒なくなったとかとう話しがある。

医療の世界と近いかも知れない。

そういった意味では、檀家制度というのは、やはり仏教とは馴染ま
ないもののように感じる。

家が続いていれば檀家としてお寺の収入になる。
檀家が減ればお寺はやって行けない。

現実的にはそうであろう。

でもそれは仏教では、やはり違和感を感じる。

何か自分たちの都合だけの世界の中での自己満足の様な気が
するのです。

いのちとは、死んで終わりの世界ではない。

この世のいのちが終わっても、そこから続く世界がある。

いのちは終わらない。





スロー・デス・カフェって何?

スロー・デス・カフェってあるらしい。

宿坊に来られた方から話しをお伺いした。

死を想う〝メメント・モリ”的なものだそう。

そういえば東京で会社員をしていたとき、甲府市で開催された
"メメント・モリ"に行ったことがある。

あれからもう10年以上経ったな。

死について考える、死を想うって感じ。

それなら、いつも僕が話してることと同じ。

死を見つめることで生を知る。

生を感じるってことは、死を見つめることなのです。

今まで、死を語ることはタブーだった時代が長かった。

現代は、どちらかというと、死から目を背け、生を勝ちと考えてきた
社会。

医療の発展が、平均寿命を延ばし、日本人の平均寿命が世界一に
なることが幸せだと疑わなかった。

そういった時代なら、僧侶は葬儀と法事に専念することができた。
なぜなら社会からそれ以上のことを望まれていなかったから。

僧衣で出かけると、「まだ早い!」って言われていた時代。
病院に僧衣で行こうものなら、塩でもまかれかねない。

それが時代が変わってきた。

それによって、生きているうちに死を考えることもタブーではない。

僕が思う宿坊の行く先って、ともに生きるってこと。
それは死まで一緒に歩むということなのです。

それは死を想うってことでもある。

一緒に死を想って生きるのもいいかなって。

そんな場所があったっていいじゃない。

一所懸命生きてきた。

命を賭けて仕事をしてきた。

行き先も見えずに走ってきた人生。

ちょっとゆっくりと生きてみてもいい。

これから何か始まるかも知れません。


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四十九日と年頭法要

今日は、四十九日をお勤めした。

そして午後は、その村の年頭法要。

先祖を大切にしてこられたお婆ちゃん。

お孫さんは、お婆ちゃんのこと好きだったんだなと思った。

お経を唱え、法話をする。

法事はいつもそうです。

でも唱えるお経は同じでも、そのときそのときで、お経は全部違う
のです。

法話もそう、僕はいつもそのときそのとき、行き当たりばったり。
事前に用意した法話をすることはありません。

なぜなら、そのときの法事に来られている方。
その時の天候や空気感によってイメージが変わるから。

同じような話しになることは多いのですが、基本的には全部違う。

四十九日の法要の後の年頭法要。

同じ方もお参りをされていた。

法話なので内容が重なることは当然ある。
でも同じ法話ではない。

なぜなら台本がないから。

そのときの感覚を大切にする。

年頭法要は毎年続いている。

年配の方が多いのですが、やはりこれからも続いてほしいと思います。

今日はお寺のこれからのことも話した。
お寺を次の世代に引き継ぐために・・・。

皆が同じ気持ちになることはないかも知れない。

でも誰か一人でもその思いを持ってくれていたら良い。
もしかして誰も思っていなかったとしても、私が思っていれば、その思い
はまたいつか誰かに伝わるかも知れない。

そして自分にできることでいい。

それでいいんだなと・・・。


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若桜鉄道観光ガイドに想う

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今日は地元の若桜鉄道の観光ガイドでした。

私が高校時代に3年間通った鉄道です。

ローカル線であり、経営状況は厳しい。

でも地元交通として長年親しまれてきた鉄道です。

一昨年の11月から、若桜鉄道の観光ガイドが始まった。
若桜鉄道の活性化のために、社長がアイデアを出し、私も参加することに
なりました。

あれから約1年と半年。

私はボランティアとして参加しているつもりです。

わずかながら手当は出ますが、それをアルバイトとは思っていない。
もしアルバイトという発想なら、私は観光ガイドはやっていません。

幸いにも、ガイドのメンバーは誰も辞めることなく、続いています。

もちろん誰からも評価されるわけではありません。
それどころか、ガイドとしては素人ですから、お客さんからクレームが出る
こともあります。

ガイドが悪いとかうるさいとか・・・。

もちろん、とても喜んでくださる方もいらっしゃいます。

こんな地方のローカル線でも、県外から来られる方も結構いらっしゃいます。
それがすぐに経営改善につながるわけではありません。

でも地道な努力が必要なのだと思います。

なぜか観光ガイドといっても、いつもガイドはアウェー状態の様な感じです。

若桜鉄道の方々が喜んでくれるわけでもなく、周辺住民の方から感謝される
こともない。
もしかすると邪魔だと思っておられるかも知れません。

では何のためにやっているのか。

それは、ただこの若桜鉄道を次の世代に繋いで行きたいという思いだけです。

できるなら、この鉄道を残したい。

もちろん私がやっていることは些細なこと。

役に立っているか立っていないかは、私にさえ分かりません。

でも今、自分にできることをやってい行こうと思っているだけ。

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廃止になってから後悔しても遅い。
できるうちにできることをやっておくこと。

それが後悔しないということだ。

これだけ周辺人口が少ないローカル線が今でも走っている。
これって、ある意味奇跡的なことでもあるのです。

経営のこととか私には分かりません。

でも地元の人間が動かなければ何も起こりはしない。

できることを、地道に行うだけ。

もしよろしければ、一度若桜鉄道に乗りに来てみて下さい。

観光ガイドは、土・日・祝日の鳥取発9:45、もしくは郡家駅発10:07。

私は月2回程度しか乗車することはできませんが・・・。

土日って、お寺の本業が忙しかったりします。

でもおられた方は、ガイドを暖かく見守ってあげて下さい。






「いのちの大切さ」について・・・郡家西小学校保護者教育研修会でお話しさせていただきました。

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2月19日、八頭町にある郡家西小学校で、参観日に行われる保護者教育
研究会で講演をさせていただきました。

テーマは、「いのちの大切さ」についてです。

命の大切さはよく言われますが、では一体、命とは何でしょうか?
なかなか難しいテーマです。

人によって感じ方が違う、つまりいろいろなアプローチがあるということです。

時間は1時間15分。

八頭町内では大きな小学校、会場は参観日の保護者の皆さまと先生方、
100人以上お集まりになられました。

今日は四月上旬並みの気温。
研修会場は暖房も効いていたのでしょう、まったく寒さを感じませんでした。

あらかじめ、パワーポイントで資料を作成しており、資料を配布していただ
いていました。

内容は、いのちのことを考える上で、心のこともお話ししました。

あとは、歌詞を使って気づきについて話したり。

いろいろ話しすぎたかなと、ちょっと反省したりも・・・。

ただ保護者の方向けのお話しなので、家族のことや子どものこともまじえ
ながら。

そして保護者の方ご自身の心のことや、幸せを考えていただくことも。

みなさんの心にどれだけ残ったかは分かりませんが、今までとは違う視点
を持っていただける様に。

違った視点の話しには、気づきが生まれることがある。
もちろん、その時の状態によってですが、何かに悩んでいたりすると、ふと
聞いた言葉に気づかされることがあるのだ。

気づけば思考回路が変わったり、新しくできたりする。

すると悩みが軽くなったり、解決したりすることもある。

今日の話しはどうだったかなあ・・・。

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今回の研究会におよびいただき、ご担当されていた役員の皆さん。
ご丁寧な対応ありがとうございました。

この様な機会をいただきましたこと、感謝しています。


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気づきと思考回路

思考回路にはクセがあると思います。

幼少のころからの体験や経験、そこでカタチ作られる価値観。

何かを感じ取るとき、自分の思考回路のクセから抜け出すのは
簡単ではないかも知れない。

悩みやストレスなどは、この思考回路のクセによって、差が出る
のでしょう。

たとえば、ある人にとってはとてもストレスになることが、別の
人だとまったくストレスにならないこともある。

それは思考回路が違うからでしょう。

ストレスや悩みや苦しみは、思考によって起こされていることが
多いのです。

その思考回路にクセがあれば、何かあったとき、同じパターンに
なってしまう。

その思考回路に変化をもたらすものは、気づきということが一つ
にはあると思います。

気づきとは、今までの思考回路とは違った視点が生まれること。

そのとき、新しい思考回路も作りだされる。

そうすると、その気づいたことについては、今までの回路と新しい
回路を選択することができるようになる。

その気づきが自分にとって大切なものであれば、新しい回路が
優先されるだろう。

悟りのパターンもそれに似たようなところがある。

悟った人は、もう元の感覚に戻ることはないと言われる。

その感覚をしっかりと思考回路が覚えている。
もう変わることはない。

それを不退転の位と表現します。

浄土真宗でも、絶対他力に至る竟地は気づきです。
ただそれを、気づかされるという表現はしますが。

それまでは他力の感覚は分からない。
でも話しを聞き続ける、そして自分が日常の中でそれに出遇う。
そこに気づきがある。

自力と他力って簡単なようで、自力を前提としている人には、他力の
竟地は思考回路がない。
なのでそのことは理解できない、なので難しいのです。

浄土真宗の教義を学んだり教えを聞いていても、そこに至る竟地に
は簡単には至らない。

仏教評論家や仏教学者が、親鸞聖人や浄土真宗の教えをさも知っ
ている様に語っていますが、見当違いなのはこういうところにより
ます。

気づきと思考回路、日常生活から宗教的な思考まで、いろいろと
関連しているのです。


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白と青の世界・・・雪の朝の色

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昨晩は冷え込み、雪が降っていた。

そして朝起きると、空は快晴。

そこには空気が凛と張りつめている。

そこに青空が開放感を与える。

凍った世界に光が差し込んでいる。

二つの両極端が一体となっている世界だ。

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お寺も青空の中にある。

冬の青はとても深い青色をしているの。

夏の青空とは違う青だ。

山門と本堂をこの青が支えてるって感じ。

冷え込んだ空気は、心をすっと引き締める。

そして青空に心が躍る。

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青空の晴は、朝の気温を一気に引き締める。

氷と雪で世界を止める。

そこに光が差し込む。

美しい世界がそこに広がる。

冬の宿坊も捨てがたい。

でもいつもこの景色があるわけじゃない。

雪国に暮らすことの喜びは、実はこんなところにあります。



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働かない働きアリの存在って?

今日ネットを見てると、こんな記事があった。

「働かない働きアリの必要性」といった感じの記事でした。

ちょっと興味があったので読んでみると、北海道大学などの研究チームの
発表だったようです。

働かないアリのいるコロニーと、すべてが働くアリのコロニーの比較。

すべてが働くコロニーがあったとしたら、そのコロニーは滅んでしまうそうだ。
働きアリを研究すると、ある一定の割合で働かないアリがいるそうです。

逆にコンピューターのシミュレーションで、すべてのアリが働いたと仮定する
と、そのコロニーは滅ぶのが早いそうだ。

つまり、ずっと働いてばかりいると、すべてのアリが疲れてしまい一斉に
動けなくなってしまい、子育てができなくなるそう。

働かないアリのいるコロニーでは、周りが働かなると休んでいたアリが働き
だすという。
それでコロニーが保たれて行く。

私は企業に勤めていたので、何となく理解できます。

よく言われていたのは、優秀な社員を集めても必ず3割はできない社員が
出るということです。

全員が同じ働きをすることはないということ。

でも、実績を上げている社員がスランプに陥ると、できなかった社員の実績
が上がるということもある。

意識が変わるといったこともあるのだ。

意外といろんなバランスがあるなということ。

それで社会も成り立っていたりする。

すべてが真面目で、一所懸命な社会はゆとりがなくなるということかも知れ
ない。

社会主義も理想はあっても、そこに人がいて社会の中のシステムであれば、
理想通りには行かないということだろう。

みんなが一律とか平等とか理想はあるけれど、いろんな人がいて社会が
成り立っているということだ。

つまり本当の平等とは、それぞれの存在をその存在のままに認める社会
なのかも知れない。

その中で、その心を整えて行くものが仏教なのだろう。

そんな世界が実現できれば・・・。

でもそれができないのも人間である。

科学や社会システムが進んだとしても、人としての進化は3千年前と変わ
っているのだろうか。





深夜番組ってスゴイ・・・湘南乃風とさだまさしとスガシカオの世界

最近結構テレビの深夜番組を見る。

宿坊も1月~2月はちょっとひと休み。
なので、夜適当に過ごしてると、深夜番組をつい見てしまう。

それが、ときどき滅茶苦茶興味を惹かれる番組に出会うことがある。

今晩もそうだった。

夜中一時過ぎの番組。

関ジャニの番組、そこに湘南乃風の若旦那が出ていた。

さらにスガシカオ。

この二人の世界観を感じながら見ていた。

歌に込められた思い。

そこに関ジャニが結構面白く絡んでくる。

こんな深夜に、心揺さぶられる話しが聞ける。
確かに、ゴールデンタイムじゃこんな番組はできないのだろう。

若旦那の話しは結構感動しながら聞いていた。
さだまさしを師匠だという。
歌にもその影響が出てるのだそうだ。

この話を聞かなければ、湘南乃風とさだまさしは結びつかない。

スガシカオの話しも面白い。
ジャニーズ関係にも提供してる曲が多い。
そしてなんといっても、NHKのプロフェッショナルのテーマ。
こんな話が聞けるのはスゴイ。

芥川賞作家の羽田氏も出て、結構面白い話しをしてる。

先週もたしかこの番組を見てたような気がする。
月曜日の夜って結構暇してるんだな。

なのでこのブログを書けてるってこともある。

鳥取では再放送なので、2か月遅れくらいみたいだ。
他局では日曜の夜11時台の番組。
深夜番組でもないか・・・。

でも、やっぱりテレビって面白いな。

刺激も受けるし、話しに感じることが多い。

こんな普通に、さりげなく話してるけど、話してる内容は深くスゴイ。

ちょっとしたところに、ふと笑い、そして涙したり。

えっ、そうなんや。

そんな感じ。







また季節が過ぎて行く・・・降り積もる雪を見ながら。

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昨日の気温から一気に10℃以上下がった。

三寒四温と言いながらも、さすがにここまで一気に下がるとは、身体もビックリ
するだろう。

周辺の雪もまったくなくなっていたが、真っ白な雪景色に変わった。

中庭の紅梅も雪を被っている。

なかなか春にならないなあ。

そんなことを考えながら、午前中に来られるというお客さんを待っていた。

写経をご希望でした。

今日は本堂も寒いな、と石油ストーブに火を点けた。

お客さんが来られて、お茶をお出ししてコタツで話しをしていた。

なんとなく話しが盛り上がり、話しが続きました。

結局は、写経をする時間が無くなり、お話しをしただけでした。

こんなことも、たまにはいいかな。

いろんなことをお話しさせていただくことで、私自身もまたいろいろ感じる
こともあります。

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お客さんをお見送りした、本堂に雪が舞っていた。

もう2月の中旬、雪も春の雪。
水分をたっぷり含んでいる。

もし積雪となって雪かきが必要だと、雪が重くて一苦労になる。

幸いにも、気温が余り下がっていないせいか、降った雪も溶けながら・・・。

こうして、また季節が過ぎて行くのかな。


NHK鳥取 ラジオ番組「やしろ荘でごにょごにょ」は2月16日放送です!

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先月の24日、日本中が厳寒の中にあった日曜日。

光澤寺では、NHK鳥取放送局のラジオ番組「やしろ荘でごにょごにょ」の収録
が行われました。

放送は、2月16日(火)  夜9:05分~ もちろんNHK鳥取第一放送。
ぜひこの機会に、ラジオを聞いてみて下さい。

天気予報を見ていて、当日は最高気温が氷点下になりそう。
それでなくても冬は寒さが半端ない本堂です。

ラジオ放送なので、電源のあるファンヒーターは使えない。

そこで、他のお寺さんや知り合いから石油ストーブを借りてきました。
本堂内に12個の石油ストーブと1個の火鉢を準備。

当日は本堂内は暖かくなりました。

メインの、マンボウやしろさんは当日に東京から飛行機で来られる予定。
でも全国中、冬の嵐の真っただ中。
何とか鳥取便は飛びました。

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そんなこんなで始まったラジオ収録。

マンボウやしろさんと、田村・上田両アナウンサーの絶妙なトークもあり、途中
は私も入って、話しは盛り上がりました。

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収録はとっても和やか、会場にお越しになられた皆さんも楽しそうでした。

寒い中、でもなぜか全国でも、この八頭町だけは雪が降らなかった。
不思議な一日でした。

沖縄でも雪が降ったとニュースで言ってた。
九州でも各地で積雪があった日です。

こんな貴重なラジオ収録。
ぜひ皆さんもお聞きください。


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信じるチカラ

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生きるということは、思い通りにならないことばかりです。

それが生きるということ、仏教ではそれを苦と表現する。

その根本には、四苦の生老病死が常にある。

思い通りにならないことで、人は悩み苦しみ、そして悲しみが襲う。

それでも人は生きてゆかなくてはなりません。

そこに何か信じるものがあれば、人は救われて行くことができる。

人には、何か信じることができるものが必要なのだと思います。

信じるモノは、人によってそれぞれでしょう。

何も信じるモノがないとき、信じることができないとき、人は弱い存在に
なる。

信じるモノがあれば、苦しみ悩みの中でも前に進めることができる。
たとえときに立ち止まり、身動きできないようになっていても。

それでも人は生きて行ける。
そして一歩踏み出せる時が来る。

信じるモノ、それは感覚であったり気づきであったりするだろう。

信じるチカラ。

それは自分自身を信じるチカラになって帰って来るだろう。

信じるチカラ、それは出会いによっても起こる。

人には信じるチカラが必要なのだと思う。

信じるチカラは生きるチカラになるだろう。

そんなことを、ふと思ったりする。


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臨時執行部会を開催・・・お寺のスタイルを考える。

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宗派の地区の、臨時執行部会を開催した。

地区の宗派の会議では、いつもお世話になっている鳥取市内のお寺さん
での開催でした。

いつもは庫裡の会議室を使わせていただきますが、今回は新築の門徒会館
を使っての会議でした。

さすがに新しい門徒会館は、斬新な作りとなっています。

今、お寺のスタイルが変わろうとしている。
その中でも、大きく変わろうとしているのが、葬儀とお墓。

お寺って、一つ一つがすべて違う。
それぞれのお寺が、それぞれのスタイルを探して行くことになる。

どちらも社会の変化に伴ってのこと。
これからも加速度的に変わって行く可能性があります。

こちらの会館は、通夜対応ができる、本堂での葬儀も併せての対応が可能。
もちろん法事やそのあとの食事の対応も可能になるでしょう。

全国的に、葬儀の対応ができるお寺が増えている。

寺院葬と永代供養墓や納骨堂が、現在のお寺のブームです。

お寺は、これからの進む方向性によって、大きくスタイルに変化が出てくる。
お寺も個性の時代になって行く。

さて、臨時執行部会の方といえば、来期から始まる連研の最終調整。
さらには来期に向けてのスケジュール確認等でした。

もうすぐ年度末でもあり、来期からは執行部が変わることもあって、様々な
確認事項もあります。

スムーズに引き継げる様に・・・。







宿坊で雑誌を読む・・・今日は「旅する二人 キャパとゲルダ」

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街に出たついでに、本屋に立ち寄った。

本屋の名前は定有堂書店という。
街の本屋では、おそらく全国で一番有名な本屋だ。

時間をつぶそうと考えたとき、この本屋にしようかなと思った。

この本屋の特長は、最新の雑誌を並べていないということ。
最新刊でなくても、店の選んだ雑誌があるのだ。

雑誌だけではなく書籍も同じ。

本って、最新刊ばかり読みたいわけではない。
自分の好きな本があれば良いのだと思う。

読みたい本も、その時によって違う。
つまり、何か目的を持って本や雑誌を買いに行くのではなく、そのときの自分
の感性にあった本を手にする。

宿坊のブックスタンドには、そんな雑誌が並んでいる。

仏教書はなかなか書店で買うことはできない。
以前は仏教書を手に入れることは困難だった。
京都や東京の専門店などで探すことが多かった。

今はamazonがあるので、いつでも手に入れることができるようになった。
田舎のお寺に住む者にとっては、やはり有り難い。

ただ、本はこれといった目的がなくても、たまにはそのときの感覚で買いたい
ものでもある。

まして雑誌は、特にその傾向が強い。
特集によっては、最新刊である必要がないのだ。

そういった意味で、この書店の存在は強いなと感じています。

今日、僕の感覚に合った本は、「旅する二人 キャパとゲルダ」。
そして沢木耕太郎。

それぞれにイメージが湧く人物。

それも旅が共通点。

旅って、何か目的があってではないと思う。
旅をすること自体が目的なのではないか。

人生だって旅と同じ。

何か目的があって生きるわけではない、生きること自体が目的なのだろう。
その中に、いろいろなものがある。

出会いがあったり、苦しみや悲しみがあったり。
もちろん、喜びや感動も・・・。

戦場カメラマンとして有名なキャパ、そしてその彼女だったゲルダ。

永遠に旅をし続ける沢木耕太郎。

そこには様々な物語があり、人生がある。

そんな雑誌が宿坊には並んでいます。

お寺や宿坊だからと言っても、仏教の本だけがあるわけではありません。
でも仏教関係の本もたくさんあります。

それ以外にも、自分の気に入った雑誌や本、そしてマンガもあったりする。

宿坊で、ゆっくりと本を読むのも楽しみの一つである。


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ストーカーとDVの初動について!

今回、札幌で痛ましい事件が起きた。

元夫によるDVから逃れるために起きた事件のようである。

ある意味、元夫からのストーカー行為でもある。

この事件では、家族も巻き込まれている。

今回のニュースを聞いて、思うことがあります。

ストーカー行為に対する、警察の初動に問題があったと感じるのです。

同じことが何度も繰り返されている、にも関わらずまた同じような事件
が起きているということです。

何度も同じパターンが繰り返されている。
そして家族が巻き込まれて、悲惨な事件になっているのです。

本人や家族がストーカー行為について警察に相談する。

何度も繰り返されるため、警察がその行為をする人間に対して電話で
警告をする。

そして、警察がその電話をした直後に悲惨な事件が起きているのです。

毎回同じである。

あまりにも、お粗末な感じがして仕方ない。

一番危ない時を見過ごしている。

つまり警察の初動が甘いと言うしかないでしょう。

ストーカー行為をしている者には、常識は通用しない。
相手が警察から連絡があれば、逆上するという前提がないのだろうか。

相手に電話で連絡をするということは、その前提に立って被害者を防御
するという前提が必要ではないのか。

もしくは、被害者側に対してその準備をする警告と、その対処方法を伝え
ておくことが大切だろう。

もちろん加害者側の行動も、ある程度押さえておく必要もある。

その手当がないまま、事件が繰り返される。

もちろん、そこには様々な問題があり、簡単な問題ではないと思います。
だけれど、現状の対応ではまた同じことが繰り返されるだろう。

なぜストーカー事件が繰り返されるのだろうか?

事件の共有をすること、さらにはその対策には専門性も重要だと思う。
薬物捜査もそうだろうが、ストーカー事件にも専門チームが必要だろう。

地方の警察には、そのような専門性がないのだ。
一警察署だけで対応するには荷が重いとも思われる。

また広域に渡ることもあるので、その連携を取りまとめる専門チームが
必要だと感じる。

現状では、どう対応してよいか分からないまま、初動を起こしてしまう。
そして事件が起こる。

ストーカー被害は、逆恨みから殺害に至る事件になってしまうということ
を、もっと認識すべきではないのか。

加害者への対応の方法と、被害者側への防御が必要不可欠である。

現状では、警察に相談することをためらってしまう様な事になってしまう。

もしくはそれで被害が起きてしまうことにもなりかねない。

これからの対策が急務であると思う。

あまりにも被害者側に対してのメンテナンスがない・・・。

もちろん、被害者側にも相当の注意が必要でしょう。
警察に依頼する以上、その対策を打っておかないといけないということに
なります。

もちろん素人でもあるので、その対策には限界があるだろう。

だからと言って、何もしないで警察に頼んでおけばよいということでは
終わらない。

自分たちの側にも、その一端があるということです。

民事でもあり、警察も介入しづらい点もある。
さらには、元彼氏だったり元夫と言う、近い関係もあって甘くなってしまう
ことがあるかも知れません。

でも、そこに落とし穴があることも・・・。




手打ちうどんを食べにお寺にお参りする!

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今日は、久しぶりに手打ちうどん。

定期的に手打ちうどんを食べに来られる方がいらっしゃいます。

出汁は、前の晩から昆布とイリコで水出汁から。

ゆっくりと、粗節とカツオ節を入れて出汁を取って行きます。

そして、返しを準備して、出汁に入れて行く。

麺は、さぬき産100%を使います。

手打ちうどんを作るのは、結構手間暇がかかります。

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麺は、よく踏んでコシを出して行きます。

手打ちうどんを作り始めて、もう丸3年。

3年前の今ころだったと思う。
讃岐まで、手打ちうどんの旅に出かけた。

二日間で10か所の、讃岐の名店を食べ歩いた。

そのときの味のイメージで、あとは自分で作り始めた。

出汁と麺は、ほぼ安定している。

それ以来、外でうどんを食べることはありますが、さすがにおいしい出汁に
出会うことは、ほぼありません。

出汁は自分で作った物の方が美味しい。

手間をかけ、材料にもこだわっているから当然でしょう。
これを商売でやるとなると、採算が合わないだろうなと思う。

これからも手打ちうどんを作り続けると、いつかはオリジナルの手打ちうどん
が完成するかもしれない。

うどんを食べにお寺にお参りする。

そんなお寺があっても良いかなと思ったりしている。


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通り過ぎて行く時間の中で

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時間は一瞬一瞬通り過ぎて行く。

仏教ではその時間を刹那と表現する。

すべての存在は、刹那の連続の中にあるのだ。

その存在ごとに、刹那がある。

その存在がすべて重なり合い、縁を起こしながら・・・。

すべての存在が交差して行く。

その一瞬を切り取ったもの、それを一瞬に写し込むのが写真なのかな。

連続で通り過ぎて行く瞬間を切り取る。

ある意味、刹那の一瞬。

もうその瞬間は二度と戻ってこない。

そうして、ずっと過去から繰り返されてきた時間。

またずっと過去へと巻き取られて行くのだ。

そこに自分と言う存在を、どう見つめて行くのか。


一面の雪に思う・・・冬の一日

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昨晩遅くから雪になったようだ。

朝起きると、一面真っ白。

今年初めての本格的な雪と言ってもいいだろう。
今年はそれだけ雪が降っていない。

冬の普通の景色だけど、今年に限っては驚きの朝です。

雪かきをしなくてもよければ・・・、そう思っていた。

どうも最近、体調があまり芳しくない。
雪かきはきついなあという感じ。

風邪と腰痛、身体がガタついているのだろう。

今年は体調に気を付ける年になりそうだ。

ただ、雪が降ることは悪いことではない。

近くのスキー場も、これでホッと一息ついているだろう。

夏場の水不足や、農業の害虫の問題など、暖冬だと夏場に問題が起き
やすいのだという。

先月には、何十年ぶりの寒波がやってきた。
そして今回の雪、多少は冬らしくなってきたか。

ただ、その間は体調不良で厳しい日でもあったなあ。

休む時はできる限り休む。

それでまた一年間の体力を蓄えるとき。
体調にも周期がありそうだ。

ゆっくりと自分の身体と付き合って行かなくてはとも感じるようになった。

そう考えると、冬もいい。

宿坊は少し暇になる。
法務もどちらかと言えば忙しくない時期。

しっかりと、これから一年の準備をするにはちょうどいいのだ。


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「未来の住職塾」終了、これからのお寺は?

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2月5日  松江市で「未来の住職塾」松江クラスの最終回が開催された。

最終回ということで、井出氏と松本氏、そして松﨑さんの三人が出席。

最終回は、全員の「寺業計画書」の発表です。
10時過ぎから夕方5時くらいまで、14名による計画が発表されていった。

もちろん私も発表するわけですが、最後から2番目の発表でした。

合計6回の出席と、途中の課題提出、そして今回の計画書の発表を持って
卒業が決まることになるようです。

私は年齢的にも決して若くはない、55歳である。
未来のといった感じでもありません。

ただそれでも参加してみようと思ったのは、この「未来の住職塾」に参加して
いる僧侶たちが、次代のお寺を作って行くのだろうと思ったから。

その流れができる過程を見ておくのも悪くない。

みな若いせいもあって、私が感じていることとは差があります。
私にはそれほど時間は残されていません。

なので、これからのことを考えてと言ったことはない。
今何をするかを問われているのだ。

ただ、従来の既成概念にとらわれたくないということだけは、会社員時代から
の私のポリシーだ。

既成概念を取り払う、そして一番大切なものだけを取り出す。

そこに新しいものを加えて行く。
そのポイントは、仏教の本質から外れないこと。

もう一つ、井出氏と松本氏のこれから進んで行くであろう、そんな姿を知って
おくのも楽しみである。

これから日本仏教とお寺の姿が変わって行く、そこにこの二人の姿もあるか
も知れない。

3月8日は、東京の光明寺で卒業式があるそうです。
そのあとは、今までの卒業生も含めての懇親会が開催されるそう。

3月9日は、セミナーも開催される。

それも楽しみである。


カウンセリングにとって大切なことって?

カウンセリングにとって大切なことって何だろう?

私は特に専門的に学んだ訳ではありません。
なので、日々のことから私自身が感じていることなのですが・・・。

よく研修では、クライアントの話を聞くこと。
つまり傾聴が大切だと言われることがあります。

たとえば、「頷き」とか「オウム返し」とか。

でもこれって、それだけではないということを知っていますか。

傾聴とは、力でもあるので、ただ耳を傾けるだけではダメなのです。

要は、聞く力がなければ傾聴にはならないということです。

聞く力とは、経験や感覚、そして数多くの実践がなければつかない。

よく研修などで、施設などでの傾聴ボランティア体験などあります。

でもあれは、お茶のみ相手ってことであって、傾聴ではないと理解
しておく必要があります。

傾聴には、相手の心を引き出す力も大切なことなのだと思う。

なので、カウンセリング力は、学問や研修で身に付くものではない
と感じます。

日本の臨床心理などは、まだ歴史が浅く学問や研究論文などに頼っ
た部分が多いでしょう。

実際に聞く話では、臨床心理や精神科でのカウンセリングはほとんど
実践さえてないという。
ただ薬の処方になっているケースがほとんどだとか。

これでは日本にカウンセリングの蓄積がなされない。
実際に、日本ではカウンセリングがお金にならない社会でもある。
なので、なおさらそうならざるを得ない。

宗教界でも、臨床宗教師なるもの話題になっていたりする。
多くの宗教者が研修に参加しているそうですが、おそらくこれは所詮
研修レベルで終わるでしょう。

なぜならカリキュラムをこなすだけの研修だから。

日本にもチャプレンをということでしょうが、そんなものは必要とされて
いないのだから、あくまでも研修のための研修でしかない。

もっともっと、心のことを知り、多くの方々の話を聞く。

私が悩みや相談を聞くときは、半分は私の方から話します。
相手から苦しみの話が簡単に出てくることはないのです。

世間話しや会社のこと、生活のことや家族のこと。
友達や彼氏のこと、話すことはたくさんある。

ときには全く違うレベルの話し、たとえば宇宙とか世界のこととか、歴史
のこととか。

それと、違う人の悲しみや苦しみだったり。
もちろん個人を特定することはありません。

そんな話の中から糸口を見つけてもらうことも大切なのです。
こちらから糸口を探るのではなく、相手の方に見つけてもらうのです。

そうすると、話しが一気に進む時があります。

苦しんでいる人に、話しを聞き出そうとしてはいけないのです。

ゆっくりと時間をかけなければいけない。

糸口が見つかれば、あとは相手の方の話しを聞いて行く。
そのときにも聞き方ってあるのです。

私が半分話すと言っても、相手にプレッシャーをかけてはいけないし、
必要に応じてアドバイスもしなければいけないのです。

ここで話すことは、ほんの一部ですが、傾聴と言っても多くの実践と社会
経験が必要です。

なぜなら、悩みは仏教の中にあるのではなく、社会の現実の中にあるの
ですから。

なので社会経験のない僧侶が、いくらカウンセリングと言っても、それは
ただの相談されたレベルであって、カウンセリングにはなっていないと言う
ことなのです。

もちろん、相談に仏教の言葉で応えるようなことがあってもダメですね。

私は仏教のこともよく話します。

でもそれは、現実に応用が利かないとダメだということを前提にしています。

方便になっていなければ、仏教の話しをしても意味がない。

そう、先ずは相手の方を全面的に受け止めることから始まります。


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今日一日という日。

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中庭の紅梅。

芽が出るのは早かったが、この数週間の冷え込みで花が咲くのは遅くなって
いたのかもしれない。

そしてまた花が咲き始める。

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本堂には朝日が差していた。

空気感は穏やかだ。

近くの山には山頂付近に雪が降っていた。

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冬と春が交差する一瞬。

もう立春なのだ。

異常気象と言えども、季節は巡る。
そもそも異常気象というのも、ここ数千年の時間の、人間の思い込みでしか
ないということ。

地球の歴史を考えてみる。

宇宙の時間を感じ取る。

地球という存在がなくなれば、今までの地球に存在したものも一緒にすべて
消え去って行くだろう。

では、今と言う存在は何のためにあるのか?

それは、今と言う時間のためだけである。

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池の中をのぞいた。

金魚の稚魚が数十匹、新しいいのちがこの冬の間にも生まれ、そして成長
していた。

この稚魚のいのちと、人のいのちの違いは何か。

今日という日も、すべてが動いている。

それは、それぞれの原因と結果をもとに・・・。

それぞれが、それぞれに動いているのだろう。

そこに意味を見出すのは、自分自身しかいない。

浄土真宗の葬送儀礼の行方・・・鳥取因幡組の総代研修会

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2月2日、鳥取市内にある養源寺さんで、浄土真宗本願寺派鳥取因幡組の
総代会研修会が開催されました。

今日のテーマは、浄土真宗本願寺派の葬送儀礼について。

約50人のご住職や総代さんが集まって、日頃は身近なようで余り知らない
葬儀のことを学びました。

葬儀は宗派によってまったく考え方が違ってきます。
さらに地域性やお寺毎でも違うので、同じ宗派の寺院であっても、かなり違う
ことがあります。

今日は、浄土真宗の葬送儀礼の意義についての講義と、地元の葬祭会館の
方の具体的なお話し、さらには臨終勤行から葬場勤行までに実演をしました。

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このお寺さんは、最近門徒会館を建設されて、通夜から葬儀まで寺院で対応
できるようにされている。

通夜勤行までは、この門徒会館での実演。
葬場勤行は本堂でとなりました。

最近の寺院の傾向は、永代供養墓の建立と寺院葬である。
この二つが、これからのお寺のスタイルといった感さえあります。

未来の住職塾の最後の「寺業計画書」の発表でも、寺院葬が流行りだそうだ。

これから葬儀とお墓が一気に変わって行くという。
そんな中にあって、浄土真宗の葬儀の意味を問うということも大事なことだろ
う。

葬儀料金とお布施の不明瞭さもあったり、そんなことで葬儀離れが起きている
とも言われる。
今までの価値観とは違ったもの、それがこれからの時代なのかも知れない。

その中で、お寺もその方向性を模索している。

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今日の研修で、皆さんはどのようなことを感じられたでしょうか。

ご住職も何人か参加されていました。
ご住職方も、何かを感じられたかも知れない。

この世界、今最先端と思っていても、時代の流れが変われば一気に遅れて
しまうことがあるでしょう。

お墓など、特にそうかも知れません。

次の時代に向かってと言っても、そのとき自分が生きてるかどうかなど分から
ない。

でも、お寺は留まることはできない。

ただ進んでも、それが良いかどうかさえ分からない。

じっくりと取り組んでゆくのが良いでしょう、でもそれだと過疎地の寺院は間に
合わない。

そんなジレンマが交錯する研修でもある。



SMAP × SMAP ・・・ 夜空ノムコウに何かあるか?

今晩はめずらしく夕方からTVを見ていた。

昨日まで、1月も結構ハードだったせいもあって、昨日の日曜日
が疲れのピークだったのでしょう。
体調を崩してしまいました。

そんなこともあって、普段なら寺務所で資料を作ったりPC作業
をしたりしているのだが、 今晩はリビングで過ごした。

身体中のアチコチが痛い。
結構、全体が苦しくて仕方ない。

幸いなことに、今日は何もない一日だったことに救われた。

法務があったりお客さんがいらっしゃったら、苦しかったでしょう。
ご迷惑をかけてもいけないし・・・。

明日は宗派の地区の総代会研修会もある。

そんな訳で、今日はテレビを見ていた。

夜10時からは、「SMAP × SMAP」があった。

年明けから話題のグループ。
先週の番組での事務所の虐待行為?も話題だった。

今日はどんな番組になるだろうと思った。

私がブログで時事問題や芸能問題を書くことは、今までほとんど
なかったと思う。

でも、今日は番組を見て書いておこうと思った。

彼らも決して若くはない、さらに結成20周年だそうだ。
国民のアイドルと言うには、すでに大人のグループだ。

先ず、今晩番組を見て思ったことは、大人のエンターテインメント
のグループだということを再認識したこと。
さすがに、日本にこんなグループは他に存在しない。

同じ事務所の、嵐やTOKIOやV6とは、全く違うレベルのグループ。
支持する年代層や性別も、SMAPに勝るグループはない。
エンターテインメントができるグループなど、他に日本に存在しない。
だからこれほど話題になり、事務所批判が巻き起こったのだろう。

50代の私は、サラリーマンだった30代から40代に知っている歌も
多い。

他のジャニーズ事務所のグループには全くないのに・・・。

私はSMAPのファンではありません。
個人的に好きではないメンバーもいます。
なので今まで興味を持って見たことがなかった。

でも今日は、大人の男が何とかグループを存続させようともがい
ている様に感じた。
それを見ていたら、なぜか涙が溢れてきた。

別に誰にも同情なんかされたくないであろう。

お金だって十分に稼いでいる。

だけど、それでもこのグループを続けることに意味を持たせて。
決してグループ内が和解したと言ったことはないだろう。
今日の番組でもそれは十分に伝わってきた。

それでも、この国民的なグループを自分のプライドを捨ててでも
残そうとしていることに。

特にリーダーと言われていた人には、それを痛感した。

青春の全ページがSMAPなのだろう。
それを失えば、自分の人生がなくなってしまう。

たとえ人気がなくなっても、SMAPとして存在したいのではないか?

それが、アイデンティティーだ。

夜空ノムコウに何があるかは、誰にも分からない。

でもやっぱり、SMAPのままでいて欲しいなと思えた。

彼らの歌う姿を見て、心からそう思った。

おじさん心だろうか?




 

静かに写経する冬の休日

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冬の休日。

今朝は幾分寒さも緩んでいました。

本堂で一人、静かに写経をする。

仏様と向かい合う。

そんな場所が、ここ宿坊光澤寺にはあります。

冬の間は、やはりお客様が少なくなります。

でも冬の宿坊も魅力的なこともあります。

談話室にはコタツを用意しているので、コタツにもぐってのんびりできる。

自宅とかと違って、コタツでゴロゴロしていても全然平気です。

お風呂も昨年秋に改修したので、冬の防寒対策は十分です。

温かい料理を食べて、写経や瞑想を体験してみる。

日常から離れてみるのも、心と身体には大切です。

いつもの通りだと、変化がないまま過ごしてしまうことがあります。

それでは新しい気づきとか、自分を見つめ直す時間とかがないのです。

仏教に触れる、そしていろいろ話をすることで、気づきも生れるのです。

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宿坊光澤寺には、これと言ってルールはありません。

来られた方が、自分が過ごしたい様に過ごせる。

でも体験は、これほどしっかりとできるお寺や宿坊は、全国でもここだけで
しょう。

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他の宿坊でも、ここまで瞑想を体験できる場所はない。

写経でさえ、これだけの空間と環境を独り占めできるお寺はないでしょう。

たまには、冬の宿坊を体験してみるのもいいですよ。


宿坊光澤寺のHPはこちら!


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