
今日は葬儀だった。
一昨日のこと、県外のお寺さんから電話が入った。
そのお寺のご門徒さんのご家族が鳥取にいらっしゃるとのこと。
その方がもう長くないとのこと、お寺さんを探しているのだが親戚の方は鳥取
を知らないので、どうすれば良いかという相談でした。
「私でよろしければお参りさせていただきます」、とお応えした。
私のお寺は郡部にあるので、葬儀社から葬儀の依頼があることは、今までに
一度もありません。
あるとすれば、檀家さんの親戚だったり知り合いだったりということです。
今回も葬儀社ではなくお寺さんからの依頼です。
たまたまネットでこのお寺を知ったので、ご連絡をいただいたのです。
こんなこともあるのだなと・・・、これもご縁です。
そのお寺さんのことは直接は知りません、でも困っておられるだろうと思い、連絡
があればお参りさせていただくことにしました。
そして昨日が通夜で今日が葬儀、スケジュールは対応できるものでした。
いつものことですが、すべてに全力を尽くす。
葬儀でご遺族に寄り添うと言う話しをする僧侶は多い。
でも根本的に勘違いしている人も多いのだ。
寄り添うとは、僧侶が全力で儀式を執り行うということなのです。
派手でなくても参列者が多くなくても、すべてに全力を尽くす。
読経は下手ではいけません、やはり読経が故人を癒やしご遺族の心を癒やす
のだから。
そして作法や所作や衣体もしっかりとしていることが大切だ。
その上に、心は常に故人とともにあり、ご遺族を優しさで包み込むことだ。
お経は意味が分からないと言うけど、やはり仏様と故人とご遺族の心にはしっ
かりと届きます。
そこが中途半端だと、本当はもう葬儀にはなりません。
いくら三奉請を唱えても、仏様はいらっしゃらないのです。
そして、私は葬儀のときは、必ず剃髪をします。
いくらとやかく言っても、僧侶は剃髪しているに限ります。
なので浄土真宗の葬儀は中途半端に感じることが多い。
さらには読経が下手な僧侶も多く、作法もケジメが付いていないことが多い。
これは修行がないので、見よう見まねでやっているからです。
儀式を執り行うのが僧侶の役割であるなら、これは最低限必要なことです。
苦手なら精一杯練習しないと、と思います。
優しく包み込むのは、やはり法話が一番大切です。
今回は、通夜と葬儀と還骨のとき三回法話をしました。
それぞれに、12分・3分・10分です。
この時間は重要です、悲しみと疲れなど、様々な状況があるから。
通夜は最初の法話であるため、その入りとしてしっかりと話す。
葬儀は、一番大切なことをコンパクトに。
還骨法要は、疲れておられるが、最期の締めでもある。
それぞれの法話に流れがあることも大切です。
今回は、往生浄土とその意味、最後にそこから法名のことをお話しする。
法名には釋が付きます。
この釋の意味をしっかりと話せる僧侶は少ない。
ただ釈尊の仏弟子となって・・・、レベルでしかないのだ。
それではこの釋の意味にならないのです。
みなさん結構適当なのです。
今回の法名は親鸞聖人の和讃、「いちいちの花」からいただいていることを
お話しした。
「いのち」
「願い・・・本願」
「仏となる意味」
「南無阿弥陀仏」
「往還二回向」
「極楽浄土の存在」
「釋とは」
「和讃・・・いちいちの花、法名のこと」
以上が今回の法話の流れです。
もちろん南無阿弥陀仏以外は仏教用語は使いません。
内容は覚えておられないでしょう。
でもそのとき感じられたら良いのだと思っています。
そしてそのとき思いを受け止められたら。
故人には生前お会いしたことはない。
ご遺族の方々ともお会いしたことはない、そしてこれからももうお会いする
ことはないかも知れません。
でもこのときに思いが伝われば良い。
そして十分に伝わるのです。
私は布教使資格を持っている。
持っているから法話ができる訳ではないが、取得するにはそれなりのハー
ドルがあります。
少なくともそれはクリアしているし、そこからは自分自身の問題なのだと思い
ます。
葬儀の重要さは、しっかりと見送ること、そして心にケジメをつけられること。
そして故人に思いを伝えること。
下手な読経では、それは伝わらないのです。
仏様が悲しんでいる。
しっかりとした読経には、仏様がそこにいらっしゃるのです。
下手な読経には、仏様に届きません。
そんなことも分からなくて読経している僧侶は多い。
グリーフケアとよく言われるが、その前に僧侶の本分を丁寧に全力で務める。
もちろん自己満足にならないことが一番大切。
実はそんな僧侶には滅多にお目かかったことはないのです。
そして、視点がずれたところの話題に終始している。
特に若い僧侶の方は、僧侶の本分を徹底的に追求することだ。
そこからしか本当の見送りは見えてこない。
表面だけに囚われていると、方向性を間違えます。
もちろん、いつも思い通りになることはない。
というよりもそうでないことの方が多いかも知れません。
ご遺族の気持ちも様々ですから。
でも僧侶として葬儀を執り行う以上、そこに思いがあるのです。
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