宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

心の授業

第二クール、「マインドフルネス講座」が始まりました。

IMG_7930

私は社交ダンスではなくて、マインドフルネスの方。

今日は、第二クール目になるマインドフルネス講座の初日。
2回セットの講座になります。

昨年11月と12月に行い、今回で2回目。
今回は2月と3月の開催となります。

今回の参加者は10名、毎回ほぼ同じくらいの人数になります。
会場の大きさからだと、ちょうど良いくらいかも知れません。

いつも熱心に受講して下さる方ばかり。
そんな面でも、しっかりと指導できるようにと思っています。

IMG_7929

NHK文化センターさんなので、NHKの番組のポスターが貼ってあった。

二つの番組とも、イチオシの番組なのでしょう。

私の講座を開催して下さる限りは、講座を担当して行きたいと思います。

「歎異抄講座」~「正信偈講座」、そして「マインドフルネス講座」と講座は
平行して開催しております。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!




鳥取盲学校で授業しました・・・特別非常勤講師です!

IMG_7134

今日は鳥取盲学校さんに出かけました。

外部講師として「人間と社会」の講義をするためでした。
私も鳥取県教育委員会から特別非常勤講師に任命されてのことになります。

テーマは「地域社会との関わり~人に寄り添って生きる~」。

対象の方は、この学校で資格を取得するための研修を3年間受けておられる方。
視覚に障がいがおありです。

授業は約2時間、担当の先生が在席しますが基本的に一対一での授業になります。
10分の休憩を挟んで前半と後半に分けて話しをします。

お寺や宿坊のこと、様々な事をお話しして行きます。
宿坊での体験のこと、宿泊に来られた方たちのこと。

そして彼女自身のこともずっとお聞きします。
視覚に障がいがある、ハッキリとは見えないそうです。

盲学校で講義をするのは今回が初めてのこと。
できるだけ分かりやすく、そして授業を受ける方の思いを中心に話しを進めました。
事前に聞いていた質問もありました。

とても話しに興味を持っていただいたと感じました。
授業が終わったとき一緒に記念撮影をしていただきました。
笑顔がとても素晴らしいなと思った。

ピースサインは彼女のリクエストでもありました。

写真の掲載は、彼女と学校の許可を得て掲載しています。
鳥取盲学校も、この様な取組みをしていることを知って欲しいとお考えです。
もっともっと多くの人たちに知って欲しい。
私もそう思います。

あと一年研修をされるそうです。
その後に国家資格を取られる。

せっかくつながった縁です、これからもその接点をつないで行きたいと思いました。

とても素晴らしい縁だったこと、授業に参加して下さったことに感謝しています。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!





現代女性にはこの宿坊が必要だ、宿坊で乾いた心を潤せ!

IMG_6789

今回のお客様は、二階客室のご利用です。

二階の部屋は暖かいので、こちらを使っていただきました。

女性お二人の宿坊体験。
たまにはゆっくりと過ごす。

そんなときは宿坊が良い。
なぜならここは一日一組だからだ。

体験も話も食事も本堂深夜バーも自分たちだけ、誰にも気を遣わなくて良いのだ。
それが一番の贅沢だろう。

IMG_6801

夕食も一組だけ、話が弾む。

そしてお風呂の後は、本堂深夜バー。
これも楽しみの一つだ。

今年の冬は底冷えはしないので、ストーブがとても暖かい。
話はずっとずっと進む。

やはり現代社会の女性には、宿坊が必要だと思う。
「住職とゆっくり話せる宿坊」って、ありそうでないのです。
私もずっと付き添います。

そこでは日頃の思いがあふれ出す。
そして自分では気づかないことに出会うのだ。

仏様が見つめてくれてる。

ずっとずっと・・・、癒やされて行く。

乾燥してる心、でも普段はそのことに気づかない。
そして心が次第に潤ってくるのです。

IMG_6807

次の日は、マインドフルネス瞑想を体験です。

瞑想も希望していた体験。

自分を取り戻すこと。

そんな時間が、あなたにも必要じゃないかな?

そんなときは、どうぞこの宿坊をお訪ね下さい。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!










今年最後の講演会!

IMG_6436

今日は鳥取市の河原町の講演会。

講演は「河原町地域住民福祉講演会」。
河原町地域福祉推進協議会さんと河原町支部老人会さんの共催でした。

テーマは「しあわせに生きる」、今年一番多かったテーマ。
会場は広く、壇上に演台がセットしてある。

おーっ!
会場は思ったより結構すごい。

1時半開始だが、1時くらいに到着。
お客さんも既に集まって来ていた。

始まる頃には、100人近くになっていた。

私は河原町の講演に呼ばれることが多いのです。
それはそこに人がいらっしゃるからです。
私を呼んでくださる方がいて、そこから広げてくださっている。

1時間半の講演を休憩なく話す。
やはりプロジェクターを見ながらの方がイメージが湧くし、飽きにくい。
せっかくの時間、皆さんにいろいろと伝えたいことがあります。
ノンストップで話した。

原稿や内容は持って行かない。
そのときの会場や聴衆の雰囲気や反応が内容を決めてくれます。
あとはその流れで話すだけです。

あとは途中で必ず笑いを取ることも必要。
でも如何にもじゃなくて、「そうそう」という反応が笑いにつながる。
思ってることとピッタリだったら、笑いが起きますね。

IMG_6434

今年の講演は今回が最後。
今年もたくさん講演に呼んでいただきました。

今年はこんなことがありました。
1.講演会
2.企業研修会
3.永代供養セミナー・終活セミナー
4.新入社員研修
5.布教(法座)
などなど、こんな感じ。

それに加えて、一番多いのは宿坊の日帰り体験の法話。
数人~50人まで幅広い。
観光バスも入って来ます。

私の話しを聞いてくれるだけでも、ありがたいこと。
お寺に戻って宿坊を始めた頃は、考えられなかった。
さらに、私は決して話は上手くないと思う。

話すことは慣れだと思います。
これはすべて宿坊から始まっていること。
あとは会社員をしていた経験も役立っていると思います。

さて来年はリクエストがあるだろうか?

また皆さんからのご依頼をお待ちしております。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!








澄み切った青空と公孫樹の元、中学校の親子会。

IMG_6133

今日は快晴だった。
晩秋の山里、公孫樹の葉が黄色に染まる。
このコントラストは美しい。

朝方はかなり冷え込んでいたが、昼になるにつれて暖かくなってきた。
そんな中、今日は鳥取市内にある江山中学校2年生の親子会の皆さんが、宿坊
に来られました。

午前中は法話です。
中学2年生の心に届くか、思春期の始まり。
心が揺れ動くときかも知れない。
そして保護者の方も同じくらいいらっしゃいます。

IMG_6136

幹事の方は早くから来られて準備をされていました。
保護者の方も毎回大変だなあと感じる。

社会のことから心のことまで、いろいろとお話ししました。
最後はマインドフルネスで、ストレスの取り除き方を体験していただく。
特に保護者の方がストレスがあるだろう。

日本のこれからを背負って行く世代、ぜひ頑張って欲しいという思い。
エールを送るつもりで話しましたが、ちょっと厳しかったかな。

話しは実践的で現実に沿ったことが分かりやすい。
ありがたいとかっていう話しは通用しない。
私は目の前にあることを話して行きます。

明日も団体さんが来られます。

やはり一回一回が真剣勝負、初めて聞かれる方がほとんどだから。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



NHK文化センター鳥取教室で『正信偈講座』を開講します!

IMG_2006

NHK文化センター鳥取教室『歎異抄講座』

昨年の10月から、半期を二回。
一年間の講座が9月で終了しました。
とにかく無事に一年間を終えられたことに感謝です。

私にとって一年間の連続講座は初めてです。
さらに不特定な方々なので、お寺の法座の様ではありません。
そんな試行錯誤もあった一年間でした。

それでも予想以上の参加者もあり、最高齢は90代の方の参加もありました。
内容的には十分ではなかったと感じています。
参加の皆さんも、よくお付き合いくださり感謝しています。

私もスケジュール調整が難しい面もあり、内容的にも満足いただけたかどうか。
そんな思いもあって、講座はこれで終わりにするつもりでした。

NHK文化センターさんからは、講座を継続してほしいとのリクエストがあり
ました。
お断りするつもりでしたが、そんな意向があるのならと思い、10月からは
また一年間の予定で『正信偈講座』をお受けすることにしました。
できるうち、そして依頼があるのなら、講座を継続することが大切なのかも
知れない。
そう思ったのです。

さらには、11月と12月の二回で、マインドフルネス講座もお受けすること
になりました。

これらは、とてもありがたいことです。
その機会を私に与えてくれるのですから。

IMG_4010

受講をご希望の方は、NHK文化センター鳥取教室にお問い合わせください。

どちらの講座も申し込みがあるので、開講します。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!




ドイツから二人の若者が仏教体験に来た!

IMG_3853

ドイツ人の二人が宿坊にやって来ました!

「いろいろと仏教体験をしたい」というのが、日本の代理人の方からのリク
エストでした。
希望の日程が上手く合わず、一泊二日の旅程となりました。

お二人の実家は、ドイツ南東部にあるニュルンベルグの近くだという。
バイエルン州北部と言った感じでしょうか?
僕はドイツに行ったことがないので、イメージは余り浮かばない。

宿坊に来られてから、いろいろと話が続いた。
話の中心は、仏教と瞑想のこと。
かなり深く考えているのが分かる。

日本の方と仏教について、そこまで深く話をすることは少ないのです。
やはりヨーロッパでは仏教の人気が高まっているのが分かる。

IMG_3853

彼らはお経も唱えたいという。
さらに作法は真面目である。
よほど仏教徒らしいのだ。

彼らに宗教を聞くと、「今は決めていない」という返事だ。
実はこれ、宿坊に来られたキリスト教圏の若者に聞くと、この答えが本当に
多いのです。
ヨーロッパでは予想以上にキリスト教離れが進んでいるのかも知れない。

ドイツは元々神聖ローマ帝国であり、さらには宗教改革にも熱心な国でした。
国内はカソリックとプロテスタントの勢力は拮抗しているという。
そのドイツでもそうなのだ・・・。

そんな中で、仏教が注目を集めているのはそうだろう。
その中心は、禅と瞑想である。
やはり世界的に、心の問題はあるのだ。

IMG_3866

IMG_3868

写経も希望だったので「般若心経」を体験していただく。
外国の方にとって、「般若心経」はなかなかの難関です。

でも彼らは真剣に取り組んだ。
そして立派に書き上げた。
字もかなり上手い。

さすがドイツ人だなと感じた。

これほどまでに仏教に興味を持つのは何故なのか?
そんな考えも、ふと浮かぶほどだ。

IMG_3872

IMG_3883

夜は本堂深夜バーのリクエストもあった。
そこでも様々な話題になった。

彼らはすごく真面目で、話も常に真剣です。

お一人が日本語が堪能でした。
それで話が聞けたのです。
難しい仏教の感覚もかなり理解していた。

こうして一日目は過ぎて行きました。

まだ時差が抜けないという・・・。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!




あなただけの贅沢な時間が、ここにはあります!

IMG_3749

少年野球の合宿が終わり、翌日にはほぼ片付けが終わりました。
その次の日から宿泊が続くからでもあります。

最初は女性の一人旅です。
といっても、この宿坊に来られる方々は旅と言ったイメージからは遠いかも
知れません。
それはこの宿坊に来ることが目的の方が多いからです。

心を整えてまた一歩踏み出す、そんなときこの宿坊を選ばれる方もいる。

ゆっくりと瞑想を体験して行かれました。

瞑想はただ瞑想するだけではない。
心の仕組みを知っておくことがポイントとなります。

心の授業とマインドフルネス瞑想、そこに慈悲の瞑想がセットとなる。
この三つが揃うことが重要です。

IMG_3725

瞑想の前には写経も体験。

写経も心を整えてゆくことになります。
仏様と向き合って、一人でゆっくりできる。
そこがこの宿坊のポイントになります。

無理をせずゆっくりと自分のペースでできる。

IMG_3722

夕方と朝はお勤めもあります。

お経を唱えることも、心が落ち着きます。

たまには自分だけの時間を持つこと。
そして自分のためだけに話しをすること。
それがここでは可能です。

IMG_3745

あなたのためだけの贅沢な時間が、ここにはあります。



宿坊光澤寺のホームページはこちら!






ありのままに・・・救い。

ありのままに救う。

阿弥陀如来の本願である。

煩悩を煩悩のままに・・・。
そこに救いがあるのだと思う。

宗教とは、道徳でもなく法律でもない。
そのいのちを見つめる。

もちろん苦しみから解き放たれるにはどうすれば良いか。
それは四諦八正道に示されている。

それでも、どうしようもない自分がいる。
そこを見つめたときに始めて親鸞聖人の教えがあるのだろう。

自分を受け止められない自分がそこにいるのだ。

西本願寺から年末に通知があった。
ご親教として「私たちのちかい」とある。

これから宗門として、これを皆で唱えるのだという。

その最初の言葉に、こうあった。

「自分の殻に閉じこもることなく・・・云々」
その他、三句目には「自分だけを大切にすることなく・・・云々」

それを見たとき、「えっ!」と感じた。

苦しむ人がこれを読んだとき、どう思うだろうか?

自分の殻に閉じこもっている人は、さらに沈むだろう。
苦しみをさらに苦しめることに気づかないのか?

結果的にそうであったとしても、最初からそれでは解決にならない。
元気な人、自分は苦しんでいない人には当たり前かも知れないが。

これを作った人は、自ら苦しんでいない人だ。

苦しんでいる人、苦しんだ経験のある人は、こんなことは書かない。

苦しみに寄り添うというスローガンだけの世界。

一体どうしたというのだろうか?

アプローチが必要なのだ。
お釈迦様のそれを方便という。

結局は言葉だけだなと思う。
お釈迦様のことも親鸞聖人のことも、ただ学問と教義でしか捉えていないと
こういうことになるのだな・・・。






講演依頼.comって?

あるときネットを見ていて気づいた。

「講演依頼.com」というサイトがある。
内容は、講師派遣サイトといった感じだろう。

普段なら、僕には関係ないなと思っていたと思う。
でもそのときは、サイトを覗いて見ようと感じた。

登録している人を見ると、各界の超名人が並んでいた。
講演料も1回100万円を超える人もいる。

ここに登録しても、講演依頼などないだろう。
でもそのときは、実際に僕でも登録してもらえるのだろうか?
そんな気持ちが起きた。

それで登録申請をしてみることにした。
ここでは今までの講演実績や、どんな内容の講演ができるのかを書きます。

申請を持って一次審査になるようです。
少し時間がありましたが、一次審査が通りましたと案内がありました。

さすがに、ちょっとホッとしたけど、これはおそらくみんな通るのでしょう。

次ぎに、実際の講演している映像を録画して送付することになります。
それが二次審査って感じでしょうか。

今まで講演は数多くしてきましたが、映像を録画することはおろか、写真
でさえあまり撮ったことがない。
さらには撮影機材を持っていない。

たまたま隣町での講演会が近かったので、その講演会を察会することにしま
した。
ちゃんとした機材でなく、録画の映像も乱れている様な状態。
さらには途中で終わっている。

それでもCDにコピーして、送付しました。

そして二次審査の結果は、登録OKとのことでした。

登録講師は、約8千人近くいるそうです。
有名な人か、もしくは専門分野があるとか、それが依頼のある人だろう。

僕は有名でもなく、特別な専門分野があるようなないような。
なので講演依頼があることは、おそらくない。
でも、まあ講師登録されたことで、今回はとりあえず満足なのです。

まあ、これをどなたか読んでおられて、呼んでみようと思われる奇特な
方がいらっしゃれば、それはそれで有り難いのですが。

講演料は、自己申請です。
事務所に所属している方は、事務所の意向だろう。

僕は一番低いラインです。

僕のページはこちらです!
講師依頼.comはこちらから


「心の授業」は、年齢や世代を超える!

IMG_6158

今日、日帰り体験に来られた皆さん。

「かわはら川柳会」の方々です。
10時少し前にお寺に来られ、お茶をお出しして話しをお伺いする。
お寺のことやブータンのことなど、いろいろお話ししながらお墓や日本の
置かれている現状なども。

話題は多岐に渡りましたが、皆さんも意識が高くそれぞれに感想や思いを
話される。
気づいたらもうお昼、食事の準備を席を立つ。

イタリアン精進料理とコーヒー、そして茶菓子をお出しする。
「美味しかった~!」と言われて、皆さん完食。

そして瞑想体験をしていただくのだが、そこでも話しがつづき結局本堂に
移動したのが2時でした。
そこでも瞑想を体験していただいてから、「心の授業」のお話しもする。

私の話しは、常に対話式なので、ご自身でも考えながら思いを重ねる。
つまり自分も授業に参加されているのです。

そこで聞く、心のこと、今までそんな話しは一度も聞いたことがない。
でも話しは、全部単純な心の話し。
思考回路を少し付け加えて行くといった感じ。

全国でも、こんなに簡単で単純で分かりやすい心の話しはないでしょう。
すべてが私が、一対一で向き合ってきた中でできた内容。
100%オリジナルなので、他では絶対に聞いたことがないのです。

実際の話の内容と、仏教の本質を実践的につなげています。
でも、専門用語は使いませんが、使った方が分かりやすいときは、あえて
使います。
そうすると、その言葉はそんな意味だったんだと納得される。

話しに参加していただくために、こちらからいろいろ投げかけます。

この「心の授業」は、10代から80代まで、同じ内容で通じます。
なぜなら、それは心の作用は同じだからです。
そして、どの年代の方の反応も同じ。

「こんな話しは今まで聞いたことがないし、良く分かる」、そんな反応。

今日も、結局話が終わったのは午後4時半。
「こんなに長い時間話しを聞いたことはない、でもとても楽しかったです」
と仰られていました。

お帰りの際は、「一回だけじゃ分からんから、みんなでまた来ます!」
といわれ10月にまた来られるとのこと。

ありがたいコトバです。

お待ちしています。

実は、「心の授業」の影響力は予想外に絶大です。
それも特に20代~上は何歳でも。

そんなことを、今日のお話で感じることができました。


宿坊光澤寺ホームページはこちら!




ミキグループ様講演会・・・「いのちの輝き」を話す!

IMG_3929

とても慌ただしかった一週間、その日曜日。
とりぎん文化ホールでミキグループ様の「鳥取ふれあいセミナー」が
開催されました。
私はそこでメインの講演をさせていただいた。

ミキグループとはミキプルーンで有名な健康栄養食品の会社です。
「講演をお願い出来ませんか」と伝えられたとき、正直少し驚きました。
それは有名な会社からだったからです。

このセミナーでは、以前に日野原先生も講演されたことがあるそうです。
そんな講演を私のような田舎の一住職が勤めることができるのかな。
何より、私でお客様が来られるだろうか。
そんな思いもありました。

もちろん、ご依頼があると私は勤める気持ちになる。

IMG_3918

会場はとりぎん文化ホールの小ホール。
入り口はそれなりにスゴいな・・・。

セミナーの開始時間の午後1時前に会場に入りました。
お客さんが多いか少ないかは、実はあまり心配していませんでした。
鳥取のスタッフの方々が、何度も宿坊にお越しいただいていたから。
そしていつも法話を聞いて行かれていました。
その方々にお応えするためにも、しっかりと話さなくては。
どちらかと言えば、そちらの方をずっと考えていました。
IMG_3922

IMG_3926

講師控え室で会場を写したモニターを見ていると、要してあった座席
は、ほぼ埋まっているようです。

私の講演は80分、テーマは「いのちの輝き」

会場には大きなスクリーンが用意してあって、プロジェクターを見て
いただきながら話しをする。

話し終えたとき、大きな拍手をいただいた。
それで私は良かったと思った。
会場の方々を見ながら話しましたが、みなさん熱心に聞いて下さって
いるのが分かったのです。

IMG_3930

講演を終え、帰るときにホールを通ると、ミキグループ様の関係者の
方々のグループがいらっしゃいました。

ご挨拶をさせていただくと、みなさんが駆け寄って来られ、記念撮影
になりました。
それが集合写真の二枚です。

みなさんが握手を求めて下さって、「えっ、僕で良いのですか?」と
感じるくらい。
氷川きよしさんのレベルではありませんが、ちょっとだけ氷川きよし
さんになった様な気分でした。

ミキグループ様と鳥取のスタッフのみなさんのご努力は大変だったと
思います。
これだけのセミナーの準備、そして集客と当日の会場の準備から接待。
相当のことだと感じます。
それだけに、みなさんに喜んでいただけてうれしかったですね。

ミキグループの方から、「お客様の数は260人でした、予定してい
たよりかなり多くなりました」と伝えられた。
さらにはお隣の島根県での講演の話しもいただきました。
本当にみなさん、お世話になりました。
感謝申し上げます。

とても有り難く尊いご縁となりました。

そして私はただ、精一杯勤める、ただそれだけです。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!




瞑想をしたい・・・赤ちゃんと一緒に

今日の朝、女性が赤ちゃんと一緒に宿坊に来られた。

生後半年くらいかな。

瞑想をしたいです・・・。

昼から会議があったので、お昼過ぎまで話しをしながら瞑想する。
全部で2時間半くらいで、そのうち瞑想は30分。心のことを聞いて行か
ないと、瞑想ってあまり効果がないのです。

なぜストレスが起こるのか、苦しみってどうやって起こるのか、その思い
に届くまで話しをします。
呼吸を感じ集中して整える、その意味を知らないと効果はないのです。
思考ということを知り、心の枠をゆっくり外して行く。

そこに慈悲が加わる、その慈悲の意味も話す。
マインドフルネスではたどり着けないところです。

お布施は赤ちゃんの笑顔で、お母さんが幸せなら子どもも笑顔になる。


そんな日も宿坊にはあります。

名古屋のお寺さんで法話を・・・!

IMG_1666

名古屋市にあるお寺さんの報恩講法要で法話のご縁がありました。

今まで私が法話のご縁をいただいた中で一番遠方になります。
中村区にある林高寺さん、副住職は宿坊に来られたことがあり、この
お寺の機関誌では5回連続でご紹介していただいています。

そんなご縁もあって、今回お招きいただきました。
林高寺さんは、浄土真宗大谷派(東本願寺)のお寺さんです。
昨年までは40年以上、同じ僧侶の方に報恩講の法話を依頼されておら
れたそうです。
すごい伝統だなとおもった・・・。
東海地方では有名な布教使だった様です、その方が昨年亡くなられて、
ご縁のあった私に話があったのです。

こんなこともあるのだな、そう感じた。
法話の依頼があることは、本当に有り難いことです。
さらには、名古屋といえば浄土真宗大谷派の中心地でもある。
浄土真宗の熱心な町なのだ、そこに田舎の僧侶が行って話ができるだ
ろうかという心配もある。
でも、それは是非行きたいという楽しみの方がさらに大きい。

私は大谷派の法要には参列したことがない。
同じ浄土真宗といえど、読経の節や作法には違いがある。
それも感じてみたいと思った。
これも有り難いご縁である。

IMG_1673

朝9時から法要開始。
第一部はお寺を支える女人講の皆さんの法要です。
今回の報恩講も準備をされ食事も作られる。

今回は法要の最初から最後まで参列させていただきました。
でも10時~11時30分までは、私がお話しさせていただくので
すが。
まあ参加してることには変わらないな・・・。

法話は、「心の授業」で。
そんな感じでもあったので、いつも私がお話ししていることを中心
にお話しした。
いつもそうだが、十分自分の話したいことを話せたかどうか。
でも精一杯お取り次ぎさせていただく。

今まで40年間以上、同じ方が話しをされてきたのだ。
それがいきなり「心の授業」では、お参りの方々も驚かれたかも知
れないな。
逆に言えば、全く始めて聞くような法話だっただろうか。

話し終えたとき、期せずして拍手が起こった。
講演会だと拍手なのですが、法話のとき拍手があるのは珍しいこと
だったので、そのお心をいただくことだと有り難い思いでした。

IMG_1669

無題2

法話は一期一会。
これからも、精一杯勤めさせていただく。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



佛教タイムスで、宿坊の「心の授業」が紹介されました!

IMG_1404

IMG_1409

今日、佛教タイムスの新年号が届きました。

先日取材を受けていたのですが、宿坊光澤寺の「心の授業」のことが
掲載されています。

内容は、企業の社員教育に寺院での研修プログラムでストレスのケア
がテーマになっている。

紹介は四つの寺院の取組みで、その中の一つに宿坊光澤寺があった。
他は有名寺院だったりするので、田舎の一時院の取組みが紹介される
のは有り難いことです。
少しでもその取組みを知っていただける機会になります。

実際に企業での研修も行われています。
ただ地方寺院なのでそれほど件数は多くありませんが、心のことを
理解して、ストレスがなぜ起こるのかを知ることが大切です。
そして毎日少し続けるだけでも、ストレスは緩和して行く。
条件や環境にとらわれている心を少しづつ取り除いて行く。

心のことを知る機会は少ない、なのでストレスの取り除き方が分から
ないのは当然です。

研修でその基本を知ることから始まります。

ただ心の問題はそれだけでは解決しない。
一人一人、その心が違うからです。

それは宿坊で一対一で向き合うことで、話しを聞いて行きます。
もちろんお寺ですから、医療ではありません。
だからこそ気軽に来られるということもある、そこがお寺の良さです。
宿坊に泊まる、体験をする、それが先ず最初の出会い。

話しをしたいと思えばできる、もちろんゆっくりとお伺いします。

今まで一対一で向き合ってきた500人以上の方とのお話しの中で、
組み立ててきたものです。

これからも「心の授業」をゆっくりと進めて行きたい。
どこまで行けるか、これは自分にとっても分かりません。

それは宿坊をやって行く上で、私の励みでもあります。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!


雪の日の「心の授業」!

IMG_1032

今年の12月は、例年に比べ寒さが厳しく積雪も多い。

この日も前日から雪が降って、天気予報も暴風雪となっていたり。
そんな日でしたが、朝起きると積雪はそれほどでもなく、無事にお越し
いただきました。
写真にはいらっしゃいませんが、大阪からも来られる方も。

この日の昼食は、手打ちうどんをご希望でした。
昼食後に「心の授業」でしたので、午前中はうどん作りに専念できた。

IMG_1021

この日のセットは、豆腐竹輪セット・塩鯖・玉子焼き・炒め物・お漬け物
に、おにぎり2個とかなりボリュームがありました。

「心の授業」は、70分と指定がありました。

プロジェクターで用意していた写真や言葉を使いながら、お話しさせて
いただきました。

皆様には、とても良かったと仰っていただくことができました。
今回は、来年四月に依頼があった講演の事前プレゼンといったことも含ん
でいました。
せっかく私を推薦して下さったのに、お応えできなければ申し訳ないです
から。

講演依頼とか、お寺の法座の出講、一つずつ積み上げて行くことが大切だ
と思っています。
もちろんすべて上手く行くことはないでしょう。
こちらが良かったと思っていても、聞かれている方々はそうでなかったり。
その逆もあります。

講演に呼んでいただくのは年に5~6回くらいでしょうか、他のお寺の法座
にお呼びいただくのもも同じくらいですね。
両方合わせると年10回以上になるでしょう、できればこれを年間20~30
回くらいになれば良いですね。

さらにお寺の日帰り体験に来られる団体さんから、法話を依頼されることが
多い。
ここには企業研修や学習会等も入って来ますが、こちらは年間50~60回
以上はお話ししていると思います。
話す時間は、60分~90分くらいです。

私は宗派の布教使の資格を持っていますが、地域的なことやお寺の事情もあっ
て、布教使としての活動はしていません。
私は他の布教使とは違うアプローチをしようと決めているからです。
これからは従来の浄土真宗独特の法座は、なくなって行くだろうと思っている。

教義や教え中心の有り難い宗派の法話ではなく、すべての人に通じる話しを
して行こうと決めている。
宗派を問わず、でもそこにはお釈迦様の仏教に必ず通じるものがあります。

いのちと心のこと、それも宿坊やお寺の活動で実際に出会ったことをお話しす
る。
宿坊で一対一出向き合ってきた方々だけでも500人以上になります。
自分の出会ったことを自分の言葉で話す。
だからいつも違う話しになるし、そのとき経験した新しい話しになる。
なのですべてが実践の話しで、誰かの話を落語のように真似して話すことなど
全くありません。

私の法話は、すべて「心の授業」に通じて行きます。

人が生きると言うことは、すべて「いのち」と「こころ」に通じるのです。
それをずっと深めて行くこと、ただそれだけです。

それは結局は、お釈迦様の仏教を追い求めること、阿弥陀如来の願いに通じる
ことになります。

仏教の本質から外れることなく、逆に仏教の本質に出遇える旅でもあります。

これからも様々な出会いと経験があるでしょう。
宿坊ややずブータン村は、そんな場所です。



宿坊光澤寺のホームページはこちら!



「心の授業」の原点・・・河野義行さんの答え。

河野さん

facebookを見ていたとき、3年前の記事が出ていた。

2014年12月、そうかあれから3年経ったのか・・・。

3年前の12月5日、河野義行さんの講演を光澤寺で開催した。
宗派の鳥取因幡組主催の「公開講座」でした。

松本サリン事件から20年目の年、河野さんの話を聞きたいということ
だった。
前の日に宿坊に入られた、そして遅い夕食をご一緒することができた。
遠方から鳥取に入ってくるのは不便である。

3年前の12月は寒い日だった。

夕食では、手打ちうどんもお出しした。
次の日に記帳いただいたものに、「きつねうどん美味しかった」と書い
てありました。

その夕食でのこと、ちょっと二人になる機会があったので、聞いてみた
いことがありました。
その頃宿坊に来られた方の苦しみに、どう応えたら良いのかということ
でした。
いろいろと悩みや苦しみや悲しみに出会うことがあります。
宿坊にはそんな思いを持った方が来られることも多い。

でもその相談は切羽詰まっており、さらにはどうお応えすれば良いのか
分からなかった。
もちろん、その方は宿坊に来られて大きな荷物を下ろされていた。
でもその先はどうなるのだろうか・・・。

短い時間でしたが、河野さんはすぐに応えて下さいました。
「それは簡単だよ・・・」と言われて一言で応えられた。
あまりにも簡単な言葉だったので、それをどうすれば良いのか分からな
かったという記憶がある。
それで良いのか・・・、そんな思いが頭を横切る。

それは・・・、と話しが続いた。

その話しはあっという間に終わりました。

そのときのことを、それからずっと考え続けていた。
お客さんと話しをしながらも、これを話したらどうだろうとか。
自分の中でその糸口をずっと探していた。

その糸口が見えたとき、そこから「心の授業」が始まった。
なので「心の授業」は宿坊に来られた方々の話でできあがっているの
です。
そこから心のことを話すようになった。

もちろん仏教を基盤として、仏教的な見方が中心にあります。
瞑想やテーラワーダ、つまりお釈迦様を中心にしている。
そこに親鸞聖人の教えも通じている。

儀礼や葬儀や法事ではない仏教でなければ仏教ではない。
生きてる人に届かなければ仏教ではないのだ・・・。

河野さん2

次の日、河野さんのお話しを聞きました。

そこには私には到底できないこと、それを淡々と話されていた。
それがとても印象的でした。

だからこそ、河野さんの短い言葉にあった真理を感じることができる。
そう思った。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



「向き合う」・・・『真実明』から。

IMG_9441

『真実明』、名古屋市中村区にある浄土真宗大谷派の寺院、林高寺さん
の機関誌です。

この寺院の副住職が発行されている。

この『真実明』で、光澤寺を5回連続でご紹介いただいている。
そして今回の第8号がその集大成である。

副住職自ら宿坊に来られ、話しを聞いて行かれました。

そのテーマが「向き合う」ということでした。

私がお寺や宿坊で一番大切にしていること、それは「向き合う」という
ことです。

その「向き合う」と言うことを中心に記事にしていただいています。

お寺という場所で、ゆっくりと過ごす。
体験や食事や話しを通じて、自分自身を取り戻して行く。

そんなことができるのはお寺かな、そう感じている。

葬儀や法事だけでなく、生きて行くために存在する場所。
それがお寺の本質だと思っている。

それをどうすれば実現できるのか・・・。
それを考え続けてきた。

その一つの答えが宿坊であった。

檀家制度にとらわれていると、その答えは見つからないだろう。

IMG_9442

それは簡単なことではない。

お寺としても自立して行かなくてはならないから。

ただ過疎がが進む地方寺院、檀家数の激減という現場でもある。

その中で自ら進むべき道を探る。

「現代社会と真宗」というテーマで4回の連載をさせていただいた。

本当に自らを見つめ直す大切な機会をいただきました。

今回のご縁を感謝しています。

林高寺さんには、1月の報恩講でお話しをさせていただくご縁もいただき
ました。

そこで「現代社会と真宗・・・向き合うとは」ということをテーマにお話
しさせていただきます。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!

心にゆっくりとスイッチを入れる、この宿坊はそんな場所。

IMG_9014

これからの自分を思う。

そして心にスイッチを入れる。

ここはそんな場所。

女性の一人旅の方が多い。

それは一日一組だから。

ゆっくりと体験する。

体験でも、やはり写経と瞑想。
瞑想には心の授業を一緒にお話しする。

心を整える。

そしてゆっくりと食事をする。

話をしながら、自分のことを見つめながらスイッチを入れて行く。

IMG_9019

写経をしっかりと書かれている。

一人でゆっくり、自分のペースで書ける。
本堂を一人で独占でき、仏さまと向き合える。

IMG_9025

夕方と朝は、お勤めも一緒にできます。

焼香をして手を合わせる。

そんなことも心を穏やかにしてくれる。

IMG_9030

心の話しと瞑想も、ゆったりと。

マインドフルネスの一番大切なところを感じることができます。
そして家に帰ってからでもできることが大切。

瞑想やマインドフルネスって、自分でもできる方が良い。
そのとき大事なのが、入り方なのです。

なぜそれが大切なのか・・・。
それを知らないと、マインドフルネスも意味がないのです。

IMG_9039

そして、お帰りのときは皆さん笑顔です!

その笑顔に出会えるのが一番楽しみです。

ここの門を出ると、今までとは少し違う日常がそこにある。
心が楽になっている・・・、だから日常に楽に戻れるのです。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!







藤陵会鳥取県支部の皆さんが宿坊に・・・つながる縁。

IMG_7197

先日、定期総会でお話しさせていただいた藤陵会の皆さん。

有志の方々に宿坊を訪ねていただきました。

講話をさせていただいた後においでいただくのは、やはり嬉しいものです。

藤陵会とは、京都女子大学の同窓会のこと。
その鳥取県支部の皆さんです。

さすがに名門女子大だけあって、その結束は固いですね。

イタリアン精進料理を食べてみたいという方がいらっしゃったようです。
それも有り難いことです。

どんな理由であれ、お寺や宿坊においでいただける縁があること。
それが大切なのだと思います。

来られたときに、お寺の居心地の良さを感じてもらえるようにする。

そんな機会と縁を大切にして行くしかないのです。

もちろん思い通りになると言うことはない。
それでもその縁を大切にして行くのだ。

食事の後は少し相談があるとのことで、本堂に移動し1時間くらいお話しを
させていただきました。

話しは私の方から、その途中でご相談をお聞きした。

内容は単純なのだが、解決策は難しいものでした。
その問題について、いろいろ話をしました。

これという解決策がなくても、いろいろとお話しをすることで心は変わる。
どうしようもなくても、周りもそう感じられたなら、その方だけの悩みではなく
なるのです。

ご年配であるが、お元気で様々な活動をされていらっしゃる。
それだけでも立派なことだなと思います。

最後に記念撮影をする。

皆さんの笑顔が良いですね。

皆お元気で、そしてみんな幸せなのだなと思った。

それだけで十分だな、そう感じた。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



宿坊体験を新聞に投稿されています・・・叶茶屋老人会様

IMG_7033
先月、宿坊体験にお越しいただいた叶茶屋老人会の皆様。
そのときお撮りした写真を日本海新聞に投稿されていました。
それが先日掲載されているのを見つけました。
公民館活動や老人会や婦人会の団体の方が、日帰り体験にはよく来られる。
お帰りに際に記念写真をお撮りすることは多い。
今回は、そのときの写真です。
幹事の方は、事前に視察をされるなど熱心でした。
その会の為にしっかりと企画されているのでしょう。
皆様の笑顔にそんな気配りがあるのを感じることができました。
何事にも手を抜かないのでしょう、皆さんもその思いを感じておられる。
当日のご希望は法話でした。
それも「皆が元気になる話し」と言われておられた。
やはり楽しく笑いも交えながら、でも心に届く話し。
そんなことを思いながらお話しした。
その日は盛りだくさんのコースだったようです。
その中で、昼食を1時間、法話を1時間、合計2時間の勝負だったりします。
新聞のコメントにはこんなことが・・・。
「期待通りの楽しい講話に、全員で”静かにグウ”」とありました。
最初に読んだとき、静かにグウとあったから、寝ちゃってたってこと?
と思ってしまった。
でも何となく、ガッツポーズってことかなと分かった。
ということで、ちょっとホッとしたって感じです。
このときは、みなさんと楽しい時間を過ごせました。
新聞にも投稿していただき、有り難いことでした。
宿坊光澤寺のホームページはこちら!

幸せの法話

IMG_5863

春、山門の枝垂れ桜がちょうど満開。

風も穏やかになった日、女性グループの皆さんが日帰り体験に来られた。
以前に鳥取市の公民館で来られた方が、そのお友達を誘われて。

一度来られた方が、またおいで頂けるのは有り難い。
それはこの宿坊が良かったということだと感じられるから。

今日は暖かくなりそう、昼には25度近くになるだろう。
でも朝の本堂はまだひんやりとしていました。

午前中は本堂で法話をご希望です。

お昼までの一時間ちょっとお話しをさせていただいた。

日帰り体験のときは、ほとんどが他宗派の方々です。
もちろん宗派はいろいろだと思うので、浄土真宗の法話ではありません。

浄土真宗や親鸞聖人のお話しも交えますが、お釈迦様や仏教の話しをする
ことが多い。

それだけではなく、心といのちの話しが中心になります。
なので分かりやすく、身近で具体的な話しになる。

みんな今の自分の心を安らかにしたいのです。

家族のこと、仕事のこと、病気のこと、自分の命のこと、人生のこと。
そのことにどれだけ寄り添えるかだと思っています。

「お話しがとても心に染みました」

そう帰り際にお言葉があった。

ブータンのこと、幸せのこと、苦しみとは・・・。

仏教は今を生きている人の心を支える教えだ。
そこから離れての仏教はない。

法話も、ただみ教えを有り難がっているだけでは仕方ない。

どなたの心にも届かなくては意味が無いのです。

私の法話はいつもそのことを一番大切に思っています。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!





宿坊で新学年スタート・・・瑞穂地区公民館の皆さん。

IMG_5331

今日は宿坊に、鳥取市の瑞穂地区公民館の皆さんが来られた。

春休み前の子どもたちの学習会。
小学生のみんなと保護者の方が来られました。

鳥取市の公民館の皆さんは、ほとんど宿坊においでいただきました。
でも子どもの学習会はあまりなかったな。

今日の予定は、午前中は私の話し。
午後は、川上さんのいやし地蔵体験と絵手紙体験です。

お参りに行ったときは年配の方からお子さんまでいらっしゃる。
普段の日帰り体験や講演では、年配の方向けだったり子ども向けだったりしま
すが、両方一緒と言うことはあまりありません。

小学生のみんなには法話という感じは馴染まないな。

どんな話しにしようかな・・・、みんなが到着してその顔をみたとき、そう感じた。
そのときは、内容はまだ具体的には考えていませんでした。

そこで今日は、ブータンという国のことをきっかけに、幸せということと、いのち
ということを話しをすることにしました。

そこに仏様の話や家族の話を加えて行きます。
話し始めると、あっという間の1時間でした。
保護者の方も子どもたちも、真剣に聞いていただいたと感じました。

子どもたちに話しをするときは、こちらから一方的にではなく、問いを投げかけ
たり思いを聞いたりしながら進めるのが良い。

話の内容は、世代が違っても両方に受け止められることが大切だ。

今年度ももう終わり。

もうすぐ新しい学年のスタートです。

ぜひ頑張って欲しいです。

IMG_5328

宿坊光澤寺のホームページはこちら!








自分を見つめると言うこと・・・とは。

IMG_5282

「自分を見つめる」ということ。

これはよく言われることだと思う。

宿坊にも「自分を見つめる」ために来られる方もいる。

ただ、自分って何だろうか。

自分探しという言葉もある。

本当は自分と言うものは無いのです。

だから人は自分と言う存在を確認するために、自分を言う存在を確定する
作業をするのです。

そうしなければいられないのだろう。

そしてもう一つ。

自分という存在を確認するには、自分だけを見つめても自分って見えて
来ない。

なぜなら、自分と言う存在は、周りの存在によって自分と認識できるからだ。
それが自分の確認作業になる。

だから自分をだけを見つめていても、自分って見えてこない。
元々ないものを見ようとしているので、周りの存在を認識していないと自分
と言うものが確認できない。

もちろん一人で自分を見つめることもあるかも知れない。
だけれど、人と話すことで自分の確認作業が出来るのだと思う。

そのときは自分を知らない人と話す方が良い。
なぜなら既成概念に囚われないから。

知ってると、あなたはこんな人というイメージができあがっていて、心の中に
入って行くことができないのだ。

そして自分自身が分からないのだから、地図のない旅をしなくてはならない。
つまり地図などないということも認識してることも大切。

だってどこに導くっていう終着地点があるわけじゃないから。

話すことで、自分と周りとの感覚が構築されてきて、自分と言う存在が認識
出来て行くのだ。

仏教はその感覚を捨て去って、もう一度自分と言う存在の枠を外して行くの
だけれど。

宿坊ってそんな場所でもある。

自分を見つめる。
もちろん初対面の僕と話して行く。

ずっとずっと話して行く。

すると、自分と言うものがどんどん移って行くのです。

行き先のない自分を探す作業もあるのです。

そして、そこに気づきがあります。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!





高齢者学級「みたき大学」でお話しさせていたいたこと。

IMG_5288

昨日は、鳥取市河原町の高齢者学級「みたき大学」に出かけてきました。

一年間の学級の閉講式でお話しをさせていただく機会があったのです。

テーマは「こころの授業」~活き活き生きる~ です。

今年の冬は大雪が続き、3月もなかなか暖かくなりません。
そんな中で、30~40人の方々がいらっしゃいました。

人生の先輩である方々にお話しさせていただくのです。
自分なりに精一杯お話しさせていただく。

話し終わった後、自分ではたとえどんなに上手く話せたと思っても、やはり
反省が先に立ちます。
それは講演や法話ではいつものことです。

決して満足と言うことはない。
また同じ話をしたとしても、話し側と聞く側の思いはいつも違う。

少し前は、プロジェクターをよく利用していましたが、最近は使わない。
プロジェクターを使うことに慣れると、そちらに頼ってしまうような気がする
からです。

もちろん内容によっては、プロジェクターを使った方が良いときもある。

どちらも適度にやっておく方が良いと感じている。

IMG_5287

もっともっと幸せに活き活き生きる様な話が出来れば良いなと思う。
もっともっと生きることを幸せに感じられる社会になれば良い。

それはいつも願っている。

こうしてお呼びいただけることは、とにかく有り難いことです。
自分自身にとって、これからにつながって行く。

今日も感謝の一日でした。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



『心の授業』12・・・今を生きる②・・・未来

IMG_4343

今を生きる。

過去について少し書きました。

それでは未来についてはどうだろうか?

今という瞬間は、結果です。
では、何の結果かというと、過去の原因に対しての結果です。

仏教の縁起は、因果律によって成り立っている。
つまりすべての物事の事象には、必ず原因がある。
その結果が今ということ。

過去が因であり、その果が今である。
つまり今はすべて過去の縁起によって成り立っているのだ。

それに対して、未来はどうだろうか?

未来はまだ来ていない結果です。

ではその結果に対する因はというと、それは今になる。
まだ来ていない未来の原因は今。

そう、今何を思いどう行動するかによって、未来の結果となるということ。

今という時は、過去の結果であるが、未来の因でもあるのだ。

今というとき何をするかで、一秒後、一時間後、一年後には大きな違いと
なって果が現れるということ。

人にとっては、今という瞬間しかありません。

過去は過ぎ去ったものです。
未来はまだ来ていない。

つまり自分と言う存在は、今という時のみを生きている。
常にこの瞬間を生きている。

そうであれば、その瞬間瞬間を生き切ることだ。

それが今を生きると言うこと。

たとえば、東日本大震災や熊本地震。
これらの大災害や事故は日々起きている。

その一瞬まで、そこにいた人たちは自分の命がなくなるとは思っていない。
でもそこでは多くの人々の命がなくなっている。

そう、誰しもがいつその命がなくなるかは分からないのです。

明日という日が必ず来るとは限らないのなら、今という瞬間を生きる。
私たちには、それが大切だと言うことです。

今を生きると言うときに、知っておいた方が良いことがある。

過ぎ去った過去に戻ることはできないと言うこと。
さらには未来はまだ来ていないということも。

当たり前ですが、いつもはそのことを忘れてしまう。

それで過去のことに悩み苦しむ。
そしてまだ来ぬ未来のことに心配ばかりして憂う。

今を生きること。
そして、「過去に囚われることなく、未来を憂うことなく」。

今このときを生き切ること。

それが刹那を生きるということになる。


宿坊光澤寺ホームページはこちら!




『心の授業』11・・・今を生きる①・・・過去

IMG_4299

今を生きる。

これはよく聞く言葉です。

分かっているけれど、何となく聞き流してしまう言葉ではないでしょうか。
聞き流してしまうと言うことは、どういった意味かを自分で感じていない。
つまり実感がないと言うことだと思います。

人は元気なとき、調子の良いときは、自分中心に生きて行けます。
病気や死とは無縁、そのことさえ意識になかったりします。

でもその意味するものをしっかりと感じられると、少し意識が変わるかも知れ
ません。

今とは何か。

それは瞬間。

仏教では、一番短い時間の単位を刹那(せつな)と言います。
これ以上時間を短くできない一瞬、その刹那の連続が命の流れとなります。
そういった意味で、刹那ってはかないといったイメージに使われることが多い。

そして今という刹那は、常に流れているもの。
留まるといういうことはない、これを空と表現することもある。

留まることはないと言うことは、常に変化し続けるものということだ。

仏教で説かれる「生老病死」の四苦は、まさにこのことを言う。
誰も、この四苦から逃れることはできない。

でもその当たり前のことを受け入れられないとき、それは苦しみとなる。

今という刹那のとき、それは命として生まれた瞬間から今までの時間。
それを過去という。

そして今という刹那から先の時間、それを未来という。

今は過去と未来をつなぐ瞬間なのです。

人の記憶は過去にしかないので、過去に囚われてしまう。
過去のことで悩み悔やみ悲しむ。

それは当たり前のことなのです。

でも仏教ではこう考えます。

人はほんの少し前でさえ、過去に戻ることはできない。
つまり、人は過去に帰れないと言うこと。

それは過去は変えられないということになる。

そうであるなら、変えられない過去に囚われることはないということです。

変えられない過去を悔やむことよりも、過去は変わらないものと自分で受け
止めることにする。

過去に悩むことって、実は自分の心の中だけのことだったりします。
周りのことを気にしていたりもしますが、他人はそれほどこちらのことを気に
かけていることはない。

自分の中だけでグルグル回っているだけなのです。

過去を悩んだり苦しんだりするよりも、過去は過去として受け止めることが
大切です。

もちろん反省や経験値とするのは良いが、必要以上に過去で自分を責め
ないことです。

あと、私たちが現実世界だと思っている日常。
その日常では、その過ぎ去った過去を自分と言うのです。

なぜなら自分の意識の中で、自分とは過去にしかない。

本当の自分ってこうなんだって言うけど、それは自分が作り出した意識の
中にしかない。

自分とは、通り過ぎてきた時間であるのです。

その過去を否定すると言うことは、自分を否定することになる。
自己否定は、心を苦しみへと連れて行ってしまう。

もちろん人には、良い記憶だけではない。
消し去りたい記憶がたくさんあるかも知れない。

でもそれが生きると言うことなのだ。

人は誰しもそうなのです。

自分にとって良いことも悪いことも、それがあって初めて今の自分が存在
しているのです。

今そこに自分と言う命が存在するなら、過去は受け止めて行くしかない。

受け止めることで、自分と言う存在が自分に許されるという心の作用が
できるのです。

もうそろそろ、自分と言う存在を受け止めてあげたらどうだろうか・・・。

それでは、未来はどう考えるのか?

それは次の機会にお話しします。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!



『心の授業』10・・・自分だけの苦しみ、だから宿坊光澤寺がある。

IMG_4233

空を厚い雪雲が覆っている。

地表は雪で覆われていて凍り付いている様だ。

苦しみの中にいるとき、心の状態はこんな感じだろうか。

心がこんな状態であるとき、人は他の人のことを考えない。
自分の心の中に入ったままになる。

そんな心のとき、無理をしてはいけない。
無理をして氷の雪の中でもがくと、身動きできなくなります。

氷は溶かして行くのです。

どうしたら溶けるのか、それは何かに触れること。
人でもいい、花でもいい、宇宙でもいい。

でもそれは優しさがあることが大切。

苦しみのとき、人は周りが見えなくなる。
すると、「自分だけが苦しい」のだと感じてしまう。
そうすると余計に苦しさが増したり、孤独感に包まれたりします。

そして、その雪雲がずっとこれからも続くのだと感じる。

雲は流れゆくもの、苦しみだって同じ。
いつまでも続くものではない。

だけど自分でその心の雲を止めてしまうのです。

そうなると先が見えなくなる。

そんなとき、一番大切なことは、自分が帰ることができる場所があることだ。
できれば、自分をそのままに受け止めてくれる場所がいい。

そこはとざされて凍った心を溶かす場所です。
溶かせば、雲も少しづつ流れ出します。

実家や友人ではそれを溶かすことはなかなかできない。
自分に壁を作ってしまうからだ。

宿坊光澤寺は、そんな帰る場所であって欲しいと願っています。

その扉はすべての人に開かれている。

IMG_4193

ここだと自分を飾る必要がない。
それってすごく楽なこと。

あなたはあなたのままでいい・・・。

そうそれだけのことなのです。

日常だけにとらわれて生きるとき、それができないのです。

でもここは日常の思考からゆっくりと離れて行く場所。

もし何かあったとき、ここを訪れてみて下さい。

だからここは一日一組にしています。

一人でも一組。

一対一でゆっくりと向き合うこともできる。

そうすると普段は話せなかったりすることも、自然に口から流れ出す。
それって心の氷が溶け出してるってことなのです。

そんな心の安らぎの場所が人には必要なのです。



宿坊光澤寺のホームページはこちら!






『こころの授業』9・・・心とは何か②、マインドフルネスとは。

DSC_0008

心とは何か・・・。

単純に言えば、ただの思考でしかない。

英語的に言えば、シンキング。

なので仏教はシンキングを手放すことが本質。

自分はこうだとか、こうでなくてはいけない、という思いを手放す。
そうすると、その思いはスッと心からなくなる。
ただそれだけのこと、でもそれが難しいのだけれど。

もちろん何層にも重なった心の状態を仏教では唯識で解き明かす。

ヨーロッパの現代心理学レベルのことは、仏教ではすでに二千年前から説か
れている物ばかり。

なので心理学を研究するなら、仏教を学べばいい。
でもそれは日本の大乗仏教ではありません、お釈迦様の仏教から大乗仏教に
至るまでの系譜になります。

なぜ仏教が良いかというと、お釈迦様がその解決方法を示しているからです。

西洋哲学や心理学にはその解決策が述べられていないことが多い。

でも仏教は心理学や哲学などの学問が目的ではなく、心の解決をすることを
目的としているからです。

まあ難しい話しはこれくらいにして、私たちが日常において心と感じているもの
は、思考レベルでしかないということ。

その思考によって、苦しみが生まれ、悩みや悲しみがあり、現代人のストレスも
ここに存在する。

仏教的に原因と結果という縁起の観点から見ると、ストレスが生じるのは思考
するからであるとなる。

ストレスを取り除くには、答は簡単、思考しない自分になれたら良いのです。

それは思考停止ではなくて、思考から離れられる自分になれば良い。
思考を手放して行くのです。

思考を手放せば、ストレスの原因である思考が無くなる。
すなわちストレスも生まれないということなのですね。

今ブームになっているマインドフルネス、これは東南アジアの仏教である瞑想
がベースにあります。

仏教がベースなので、仏教的理解をしておかないと、ただのエクササイズにしか
なりません。

テレビや雑誌で取り上げられるものは、ほとんどがエクササイズでしかない。
なのでそれほど効果はありません。

仏教って言っても、葬儀や法事をやるのが仏教ではない。

人々の心を解き放つ教えが仏教なのです。
なので、宗教という枠にとらわれる必要が無いものです。

じゃあ今日マインドフルネスをやって、すぐにそうなれるかというと、成れる人も
いるそうではない人もいる。

ただ継続してやって行けば、ストレスは簡単に取り除けるようになります。

その前提として、宿坊光澤寺では瞑想の前に必ず『こころの授業』をやっている
のです。

ここで心の基本的な部分を知った上で、マインドフルネスに入って行く。

そうするとその意味が分かるので、入って行きやすくなります。
意味も分からないでマインドフルネスをやっても、ほとんど効果はありません。
ただ何となくオシャレって感じになれるだけです。

瞑想って本当に気持ち良いです。
確かに東南アジアのミャンマーやスリランカにある瞑想センターで、一生瞑想
だけして過ごせたら幸せかもしれないと思います。

日常のことに煩わされることがないですからね・・・。

でも日本ではそうもいかないので、簡単に瞑想に入るスタートアップと、思考
を簡単に消す作業を体験していただいています。

あとマインドフルネスにはセットになる瞑想があるので、時間があればそちら
も体験していただいている。

これってセットでなければ、本当のマインどフルネスに入って行きません。

全てを丁寧にやれば、やはり2時間~3時間くらいかかってしまいます。

簡単なスタートアップであれば、30分~1時間でも対応できます。
でもそれは、本当のスタートアップだけになってしまいますが。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!










 

『こころの授業』8・・・苦しみの仕組み、そして今を生きるということ。

IMG_4023

苦しみの仕組みってどうなっているか。

ここでの苦しみとは、あくまでも心の作用による苦しみのことで、肉体的な苦しみ
とは違うという前提です。

今までもお話ししてきましたが、「思い通りにならないこと」それが「不満足」となる。
それを苦しみという。

そのときの心の状態を見てみると分かりやすい。

たとえば、あるものが欲しいとする。
その物を手に入れたいという思考、つまり欲しいという心が生まれます。
でも手に入らないときは、その物がないという思考である心も存在する。

欲しいものを手に入れたいという理想の心と、手に入っていないという現実の心。
その二つの心が同時に発生します。

その二つの心に差が生まれます。
その差のことを苦しみと言います。

実は、心の苦しみとはこれしかないのです。
そうかなと思われる方は、ご自分の苦しみを見つめてみてください。
そうすると、それがよく分かります。

この心の差が、「思い通りにならないこと」であり、それが「不満足」となって、心を
作り出していることが理解できると思います。

家が欲しい、でも家が買えない。
お金が欲しい、給料が上がって欲しい、でもお金がない、給料が上がらない。
彼氏が欲しい、でも彼氏がいない。
あの車が欲しい、でも買えたのは別の車だ。
社長になりたい、でも出世できない。
モテたい、でもモテない。
美味しいものが食べたい、でも食べられない。
あの店に行きたい、でも遠くて行けない。
ガンになりたくない、でもガンになった。
いつまでも元気でいたい、でも身体の自由が利かない。
会社のあの人がいなければいいのに、でも会社に行けばあの人がいる。
クレームがなければいいのに、でもクレームがある。
勉強ができたら良いのに、でも成績が悪い。
東京大学に入りたい、でも受験で落ちた。

『無量寿経』にこんなことが書いてあります。

「田なければ田なきことを憂い、田あれば田あることで憂う」

すなわち、人はどんな状況にあっても悩み苦しむということです。

待望の家を買った、そうすれば満足なはずです。
でも家を持った時点で、地震になったらどうしよう、火事になったらどうしようと
考える。
子どもたちの為に買った家だとしても、その子どもたちが家で遊んで壁を壊す
と怒る。
さらには、ローンが払えなかったらどうするか・・・。
そして、時が経つと修繕という作業が待っている。
最後には、子どもたちが一緒に住んでくれると思っていた家から、子どもたち
が出て行ってしまう。
期待していただけに喪失感が大きくなる。

これって、家があるばかりに起こる苦しみなのです。

でもアパートだったら、狭くて物が邪魔になる。
子どもたちが大きくなったら、子ども部屋が欲しい。
庭のある家でバーベキューしたい。
ベランダでくつろぎたい。
広いキッチンがあれば、美味しい料理も作れるのに・・・。
お風呂もゆったりと入りたい。

こんな感じでしょうか・・・。

ここでいう、自分が理想とする心。
それを仏教では執着というのです。

執着とは、現状の不満足によって起こってきます。

日常では、もちろん愛も執着です。

愛する人と巡り合い結婚できたら幸せだと思う。
だけど、その人よりもっと好きな人ができたら不倫となる。
不倫をしている自分よりも、自分の夫が目障りになったりするのです。
ときにはそれがエスカレートして、相手を殺すことでさえあるのです。

満足とは、それを手に入れた瞬間に不満足に転換するものということも知って
おくことが大切ということ。

日常とはそういう世界で出来上がっているのです。
なぜなら、その人の日常とは、その人の思考回路の中にのみ存在する世界
だからです。

価値観がすべてそうでしょう。
価値観はその人の思考回路のクセによって生まれるものです。

その価値観は、すべて一人一人違う。

だから、ある人にとっては大きな苦しみでも、別の人にとってはまったく何でも
なかったりするのです。

たとえば、中国と日本、韓国と日本、アメリカと日本。
見る場所や位置によって、すべての価値観が異なります。

アメリカでは英雄でも、日本では逆の見方であったりします。
それは、原爆を投下したアメリカ軍の兵士ということを考えると分かります。

私たちが何となく自分の心と思っているのは、せいぜいが思考回路でしか
ないのです。
その思考回路がクセによって、それぞれの価値観を作り出している。

実は、その思考回路のクセを自分と表現します。

でもそれって、思考回路でしかないので、自分探しをしても自分って見つか
らないのです。
なぜなら、この根源は思考回路の中にないから。
それだけのことです。

私たちが心ではないかと何となく感じているのは、このレベルのことでしかあり
ません。

なので、日常はそれぞれの思考回路の中にのみ存在し、思考回路でできあが
っているのだから、所詮それぞれの物語でしかないということ。

その物語も、その人のこの世のいのちの終わりを持って、ジ・エンドとなるわけ
です。

みなさんの亡くなられた先祖のことを思ってみてください。
たとえば、お祖父ちゃんだったとします。

そのお祖父ちゃんの人生をすべて分かる人はいますか?
そのお祖父ちゃんの心を知っていますか?
そのお祖父ちゃんの日常って、今ありますか?

すべてNOだと思います。
「お祖父ちゃんはこうだった」と言われる方があるかもしれませんが、それはあく
まであなたが思考するお祖父ちゃん像でしかないのです。

ただそれだけのことなのです・・・。

でも物語であれば、たとえば過ぎ去った過去は変えられない。
でも、これから来るであろう未来は、今の自分によってストーリーを紡いで行く
ことができるということに気づけばよいのです。

なぜなら、仏教の縁起とは、すべての事象は原因と結果があるということ。
つまり過去の原因によって現在が存在する、でも現在は常に未来の原因である
ということでもあるのです。

であれば、今の自分がどう生きるかによって、未来の自分が変わるということ。

ただ、その未来がいつまで続くのかは誰にも分からない。
東日本大震災、熊本大地震、相次ぐ災害や事故や事件。

誰しもが、それに遭遇する直前まで自分が死ぬとは思っていなかった方ばかり。
それも人生なのです。

つまり人生自体が、自分の思い通りにならないということ。

それに気づけば、結局は今をどう生きるかしかないのです。
そして今という時間は、一瞬のうちに過去に流されて行っている。

そういうことなのですね。

この続きは、またどこかで・・・。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!










『こころの授業』7・・・四苦八苦について語る。

IMG_4051

四苦八苦

これは人が逃れられないものです。

日常を生きるとき、すべての人はこれに苦しみ悩む。

四苦はいのちに関わるもの、お釈迦様がこの四苦から人々の心を安めたいと
仏教を説かれたのです。

八苦は心に関わることになる。
心も日常によって引き起こされるものです。

世の中には、いろんな悩みや苦しみや悲しみがある。
でも最後には、すべての苦しみはこの四苦八苦に行きつくのです。

四苦は、「生老病死」。

命あるものは、これから逃れることができません。
でも何とか逃れたいともがく。

その時点でそれが苦しみになって行くのです。

八苦は以下の通り。

愛別離苦・・・愛するものと必ず別れるときが来るという苦しみ。
怨憎会苦・・・憎しみ怨みのあるものと会わなくてはいけない苦しみ。
求不得苦・・・求めたものが手に入らない苦しみ。
五蘊盛苦・・・身体や心、それにまつわるものすべてが苦である。

四苦八苦という言葉はよく知っていても、では一体どういうことかとなると、
実は意外と内容を知っていないという人は多い。

さらにはそれが仏教の教えだとは思っていないのです。

仏教の原点は、この四苦八苦にあるのです。
ここから人の心を安んじ、そして解き放つ教えが仏教なのです。

何も葬儀や法事をすることが仏教はないし、お墓のことなど本来はまったく
関係ないのです。

この「四苦」から、縁起が説かれ空として展開される。
これは宇宙全体を考えても、縁起から外れるものは何一つないということ。

たとえそれが、いのちがあろうとなかろうと・・・。

夜空に輝く星にも寿命があると・・・、と言う歌ではないが、そういうことなの
です。

何も私だけが、ということではない。

でも人はいつも、なぜ私が・・・、と考えるのです。

そこから苦しみの連鎖が始まって行く。

そして周りと自分と比べる。

それはさらに深みにはまって行くのだ。

日常とは、「周りとの比較」・「見返りを求める」、そんな世界です。
その両方ともが、苦しみを生み出している原因なのですが・・・。

たとえば、比較することなく自分のいのちを知る。
そして見返りを求めない生き方をする。

実はそれだけで、生き方が大きく変わって来るのです。
でも日常に囚われている限り、なかなかそこに思いが行かない。
だから苦しいのです。

「四苦」をちょっと考えてみる。

これは、生れたくて生まれてきた人は誰一人いない。
誰もが歳を取りたくないし、ましてや病気にもなりたくない。
そして、いつか死ぬのは分かっているが今は死にたくないとか、元気でいて
ぽっくりと死にたいとか・・・。

でも思った通りにはなりませんね。

そう、この四苦の苦とは、元々仏教では「思い通りにならないこと」という意味
だったのです。

「思い通りにならない」とは、人に不満足の心を起こさせます。

この、「思い通りにならないこと」そして「不満足」のことを苦しみというのです。

なので苦しみは誰もがすべて同じですね。

たとえば、すべてのことが思い通りになっていたら、それは苦しみを生みません。
さらには、あることを全く気に掛けない人は、そのことで苦しむことはない。
なぜなら、そこに思いがないからです。

そういうことなのです。

意外と単純。

でも日常という物語の中が自分の全てと思っていたら、そこから抜け出すことが
できない。

それで人は苦しみます。

だってそうでしょう、日常って思い通りにならないことばかりなのですから。

たとえ望みがかなっても、そこから苦しみが始まっているのです。

なぜなら、人の思考回路には、満足という意識がすぐに上書きされます。
次の意識ではすでに不満足の思考に入っているということ。

満足とは、それを手に入れるまでの瞬間であって、手に入れた瞬間に不満足
の回路に転換します。

なので永遠に不満足の連続でしかないということ。

それをどう捉えれば、心が安らぐのか、悩みや苦しみから逃れられるのか。

その答えは、これからゆっくりと、この授業の中でお話しして行きたいと思い
ます。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!








『こころの授業』6・・・心とは何か①?

IMG_4028

生きる上で大切なもの。

家族・健康・お金・名誉や地位・友達・家・車、恋人・彼女・結婚相手・・・。

みなさんに浮かぶのはこんな感じではないでしょうか?

これに共通するものってなんでしょう。
つまりすべて日常に起因するものということです。

これが現実と思い込んでいる自分という存在を示すものでしょう。
でもここに自分はいません、ただそれだけのことです。

では、これらが大切だと思うのはどこかということです。

それは、自分の心がそう思っているということです。
他人でも誰でもなく、自分自身の心が思っているということです。

では心って何ですか?

と聞かれたときに、心というのはこう言うものです。
とはっきりと応えられる人に、まだ出会ったことはありません。
つまり心がそう思っているのに、その心って何かを知らないままなのです。

人生を生きる上で、知らないことには不安が付きまとう。
さらには、どう対処したらよいか分からない。

なので人は迷い苦しみ、悩み喜ぶ。

でもその根本は何かも分からずにそう感じているということなのです。

生命体は、その誕生から自分たちの子孫を残すことだけを中心に存在して
いるのは間違いない所でしょう。

その為に、多くのDNAがそこに組み込まれて来た。

それは生存競争に勝ち抜くためのDNA。

つまり、他者と自分とを比べる、自分の弱みを知る、弱者を従える。
弱肉強食、適者生存、など様々な試練を掻い潜ってきている。

そんな中で、自分の意志であるかのように、様々な思考回路が走っている
のです。

それが、私たちが心と思っている正体ですね。

そこに、自分が誕生してからの体験や経験が積み重なって、自分という
クセができて行く。

そのクセを自分というのです。

ということは、本当の自分何て何もないということも分かるでしょう。
人は、自分という枠を作る様に思考回路ができている。
自分という枠がないと、心配でしょうがないのです。

でも仏教の目的って、最終的にはこの自分という枠を取り去ることにあります。

自分という枠があるからこそ、その枠の中で自分が苦しんでいるのですから。

でもその枠って一体誰が作ったのでしょう・・・?

自分でしょうか、環境でしょうか、条件でしょうか?

それで作られた自分を、本当に自分というのでしょうか?

でもその肉体は・・・?

その肉体を自分というのでしょうか?

その肉体を自分というのでしたら、その肉体を管理できていますか?
その肉体をコントロールできていますか?

もしできていたなら、病気にもなることはないし、老化することもない。
でも誰もが、生老病死の四苦から離れることはできない。

では肉体を持って自分と言えるのか?

今の自分の地位を自分と言えるのだろうか?
その地位は、誰にとっても同じ価値観を持つものだろうか?
それは虚像でしかないだろう。

さらには、一体いつの自分を自分というのだろうか?

10年前の自分と今の自分は、顕かに違う。
でもどちらも自分なのか?

では幸せって、一体いつが幸せだったら幸せなのか?

死ぬときでしょうか?

願いがかなったときでしょうか?

いのちとは、常に移り変わって行くもの・・・。

そこには何一つ実体はない。

それゆえに、諸行無常 諸法無我 という。

その囚われから、心が解き放たれるとき、さとりという世界がある。

ちょっと今日の話しは、訳が分からなくなったのではないでしょうか?

でも結構重要なポイントでもあります。

心とはと言いながら話しは飛びましたが、心のことをお話しするには、こんな
ことも大切だったりします。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!




『心の授業』5・・・ピーコの生き方、ジコチュウで行こう!

IMG_3984

と言っておりましたら、自己中心派の総元締めがこちらに・・・。

ピーコには新年も何もない、多分いつもおめでたいのではないだろうか。

自己中心派ですから、自分のことで悩むことはないだろうと思う。

そういえば昨年のお盆前、イギリスに単身赴任されている方が親子で宿坊
にやって来られたことがある。

そのとき、「今日本はストレス社会と言われていて、鬱がとても問題になって
いるけど、イギリスもやはりそうですか?」
とお伺いしたことがあります。

するとその方は、「あるのかも知れないけどほとんど聞いたことはないです」
と言われたことを思い出す。

「それはなぜですか?理由があるのですか?」
すると、「いやーだって彼らは自己中心的だから、自分たちのやりたいように
しかやらないよ」。

そうか・・・、自己中心的だから周りに左右されないのだろうな。
「イギリス人は、今でも自分たちが世界で一番偉いって思ってるよ、きっと」

こんな話をしたことがあります。

日本では、自己中心的という言葉はあまり良い意味で捉えられていない。
どちらかというと、「ワガママ」と解釈されているのでは・・・?

なので、自分というものをうまく表現できないという一面がある。
そうなると、心はつい自己否定的になってしまうのです。

自己否定や自己批判は、苦しみにつながります。

ということは、日本社会って自己否定に陥りやすいってことになる。

人って生きてる限り自己中心的なんだってことを知ってれば良い。

ピーコはそんなことさえ考えずに生きてる。

IMG_3985

まあ、それでいいのだろう。

ちょっと自己中心で生きてみる。

今年はそんな感じはどうでしょう。

自分のいのちを生きる。

ただそれだけのことなのです。

ちょっとはピーコの生き方を見習ってみようかな・・・。

IMG_4018



宿坊光澤寺のホームページはこちら!









『心の授業』4・・・今年は、自己中心であるということを感じてみるのも良い。

IMG_3949

自己中心。

この言葉は、日本ではあまり良い意味で使われないことが多い。

でも人って、生きてる限り自己中心なんだけどな・・・。
そんなことを思ったりする。

自己中心でしか生きて行けないのに、ジコチュウではいけないと言われる。

だから苦しんだりするのではないかな。

人はなかなか自分を客観視することができない。
いつも自分自身の視点から物事を見て、判断をしているのです。
判断してるのは自分の思考回路しかない。

ということは、人は常に自己中心であるということなのです。

このときの自己中心は、世間一般でよく言われる「ワガママ」とは、ちょっと
ニュアンスが違います。 

たとえば、私たちがすべてと思い込んでいる日常って何?

日常とは、自己中心的な自分だけの物語。

それが日常というもの。
その人の、この世のいのちが尽きれば、その人の日常は消え去ってしまう。
日常が現実と思っていても、それはその人にとってのことだけ。
つまり思考回路で構成されているとすれば、それが実態ではなくて物語で
しかないということが分かる。

自己中心の物語をどう展開させて行くのか・・・。
それが日常を生きて行く上で重要なことになる。

自己中心でしか生きていない自分の存在をしっかりと見つめる。

自分のことは自分でしか分からない。
でもその自分でさえ、本当の自分のことを知らない。
なので自分探しをしたり、生きる意味を問うたり、自分を変えたい、などと
考えるのでしょう。

私たちが考える自分何てどこにもないのに・・・。

だから、自分というものや、生きる意味などは、自分で決めることでしかない
のです。
それはあくまでも心、つまり思考回路の中の作業でしかないから。

突き詰めると、存在でしかない。

なので日常は、自己中心で良いのです。
人に迷惑を掛けることが、自己中心ということではありません。

自己中心とは、自分のいのちを生きるということだと思っている。
日常とは、いのちの上にのみ存在するもの。
いのちがなければ日常も存在しない。

そのいのちを生き切る。

それが自己中心ということ。

日常は、比較や見返りを求めて行く世界。
そこにとらわれている限り、自己中心ではいけないという反作用が心に起き
てしまう。
それが自分を苦しめることにもなる。

そこから離れてみると、少し楽になったりする。

今年は、自己中心である自分という存在を、感じてみると良いのでは・・・。



宿坊光澤寺のホームページはこちら!

 

『こころの授業』3・・・苦しみはみんな同じ?

IMG_3369

宿坊の日帰り体験には、団体さんが良く来られる。

そのとき皆さんによく言うことがあります。
「今ここに30人の方がいますが、苦しみはみんな同じだと知ってましたか?」

そうすると、「そんなことはない」といった表情でこちらを見られます。
苦しみはそれぞれにあって、みんな違うだろう。

そう思っておられるのだろうと思います。

そこで私は、仏教って何が目的なのかということをお話しします。
それには先ず「生老病死」の四苦のことになる。

四苦八苦というと、誰もが聞いたことがあるのだけれど、「四苦ってなんですか」
と聞くと、意外とその意味は知らないという方が多いのに気づく。
私は当たり前のように話すので、誰もが知ってるだろうと勝手に思っていた所
がありました。

そこで四苦とは「生老病死」のことと話す。

ではなぜ「生老病死」が四苦なのかというと、人間の根源的な苦しみだからです。
普段は日常に目を取られて、この根源的な苦しみではない、他の苦しみを感じて
いるけど、最期は必ずこの苦しみに帰結する。

この命の根源的な「生老病死」がなぜ苦なのか。
それは、生まれることも年老いることも病気になることも、そして死ぬことも、自分
の思い通りにならないからです。

思うとおりにならないということは、すなわち不満足ということ。
仏教で四苦をいうとき、この苦しみはこのことを言います。
「思い通りにならないこと、そしてそれが不満足となること」です。

そのことをお話しした後に、皆さんが抱えている苦しみを考えてもらう。
「これに当てはまっていない苦しみはありますか?」

そう聞くと、皆さん何となく納得される。

お釈迦様は、この四苦から人々を解き放つために仏教を説いたのです。
仏教は基本的にこのことしか説いてはいない。
もちろん葬儀や法事のことなど、お釈迦様が説かれた教えには一切ない。

そうお話しすると、皆さんはちょっと驚かれた様な感じになる。
それはお寺って葬儀と法事くらいでしか用がないと思っているからです。
なので今のお寺や僧侶って、お釈迦様が説かれたことを実践してるのではなく、
ただ自分たちが生活するために、葬儀や法事が本業だと思ってるだけですよ。

そんな話しをします。

もちろん葬儀や法事にだって意味はある。
それは残されたご遺族の心のケア、それは大切なことです。
でも、それを実践している僧侶がどれだけいることか・・・。

お布施のことで苦しんでいる方もいる。
戒名や位牌や塔婆など、仏教には基本的に関係ないもの。

でもそれが大事だと説く僧侶や寺院も多い。

まして加持や祈祷や護摩など、人の迷いを利用して金儲けしているに過ぎない。
これは、お釈迦様の仏教ではあり得ないことだったりします。

話しが逸れてしまいましたが、この四苦をどう捉えるのかが、仏教としての大切
なことであるのです。

苦しみのこと、そしてそこから解き放たれるにはどうすれば良いのか。
それはこれからゆっくりと話して行きたいと思います。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!








『心の授業』2・・・日常ということ

私たちは日常に生きていると思っている。

では日常って何だろうか?

日常を仏教的に定義すると、「自己中心的な、自分だけの物語」である。 
そんな風に書いてある本がありました。

それを自分なりに考えてみる。

ここでのポイントは、自己中心的であるということ。
通常、自己中心的というと、ジコチューとか言われるし、ワガママととらえら
れることが多いので、あまり良い意味に使われないことが多い。

でも人は生きてる限り自己中心的であるということに、気づけばいい。
自己中心的とは決して悪い意味ではないからです。

あくまでも自分から見た見方で、日常というものがで出来上がっているの
ですから、日常とは自己中心的なものであるのです。

それ以外に日常は存在しない。

そして現実と思っている日常は、常にあっという間に過ぎ去って行くもの。
なので基本的には実体というものは存在しない。

だから物語であるということです。

簡単に言うと、亡くなったおじいちゃんのことを考えてみれば分かりやすい。
もうこの世には、おじいちゃんの日常は存在していないのです。
つまり日常には実体がないということが分かります。

では日常とは何で出来上がっているのでしょうか?

それは自分自身の思考回路によってのみ存在しているものです。

なので、苦しみや悲しみ、もちろん喜びもそうですが、ストレスも日常の中
にあるものです。

では非日常と言えば、本当はどういったことなのでしょう。
それは、思考回路から離れて行く自分ということになります。

日常の枠の中に捉えられて、そこから日常だけ見ていると、いろんなもの
がごちゃ混ぜになってしまいます。
さらには苦しみやストレスがあるとき、そこから抜け出すのが難しくなる。

私たちは日常がすべてではない。

日常とは、自分自身の「いのち」の上にのみ存在するものなのです。
結果、「いのち」が亡くなった瞬間に日常と言う物語も一瞬で消え去る。

跡形もなく・・・。

もうどこにもその人の日常は存在しない。

このことからも、「自己中心的な、自分だけの物語」でしかないということが
分かると思います。

つまり、そこにのみ捉われていると、苦しみやストレスから離れることができ
ないということです。

所詮、日常なんてそんなものでしかないということ。

なので何かあったとしても、「それはそれ」でしかないということ。

様々な縁が積み重なって事象が起きている。

「それはそれ」とは、なるようにしかならないということなのです。

日常をみるとき、そういった心を持っておくことも大切になるでしょう。
そうすると、そのことのみに捉われることがなくなるから・・・。

全ての事象は、生まれては消え去って行くもの。

それは、あなたの「いのち」とて例外ではない。

ここでいう「自己中心的」とは、自分の「いのち」を生きる。
ただそれだけ。

日常とは、比較や格差を生み出すものです。
同じ日常の中だけにいると、その判断を誤ってしまう。

このことについても、これから様々な視点で話しをしてみたいと思います。

日常と言うものを客観的に見て行くことに・・・。


宿坊光澤寺のホームページはこちら







 

『心の授業』ってどんなこと? ・・・ 序章

DSC_1910

人は悩み苦しんでいる。

でもそれをどう解決してよいか分からない。
だからその苦しみがずっと続いて行くような気持ちになる。

それで、その苦しみや悩みから抜けないでいる。

私は、お寺に宿坊を開いて4年半が過ぎた。
こんな田舎の有名でもない、山の中にあるお寺に誰か来てくれるとは、とても
思えなかった。

でも始めて見ようと思った。

それは人の心に寄り添う寺にしたいと思ったから。

それで一日一組だけ受入れる宿坊にしようと思った。
当初は誰も来ないのだから、一日一組と言った方が良さそうだなという思い
だった。

でもそれは2~3年と宿坊を続ける上で、確信に変わった。
一人一人と向き合える宿坊でなければ、この宿坊の意味がないと。

そして、体験の内容や時間も、自由に選べるようにしました。

一人一人としっかりと向き合いたい、そんな思いです。

お寺は敷居が高いとか、葬儀や法事つまり先祖供養以外ではお寺には行か
ない。

こんな声は多い。

でも宿坊を始めてから、その意味が分かった。
お寺の敷居を低くと言うけれど、お寺側にその意味が分かっていなかった
だけです。

だから掛け声だけだったんだなと・・・。

元々、葬儀や法事がお寺の本業だと考え、檀家に依存していることさえ気づ
いていないお寺の敷居など低くなるはずがないのです。
そのことに全く気が向いていない。

暇なお寺で、檀家さんさえお参りに来ないお寺だから、進むことができた道
でもある。

そして、悩み苦しみを持つ方々は、一対一で向き合わなければ、その心を
開くことはないということも分かる。

そうして、今まで500人以上の方と一対一で向き合ってきました。

ときには朝方まで話し込むことも、しばしばです。

心のことは、本人さえ気づいていないことが多いのです。

世間話をしながらも、その方の思いを聞いて行く。
その中で、その心にひかかるところがあります。

そこから思いがあふれてくるのです・・・。

こちらから聞き出して行くことはありません。
自然と出てくる心を受け止めて行くのです。

でも聞くだけでは、心は出てこない。
聞きだして行く力はもっと大切なことです。

そんなことをずっと続けてきた。

そして仏教のことも新たに学んで行く。
日本の宗派の教義は、難解になっていて、とても現代人が解釈してゆくのは
難しい。
解釈しているうちに歳を取ってしまうのです。

それでは意味がない。

浄土真宗もそうです。
わざわざ教義をどんどん難しい方向に持って行っている。
そんなことは宗祖である親鸞聖人は望んでいないのは明らかです。
なぜなら「念仏一つで救われる」ことを説かれているのですから。

特に心のことは、お釈迦様の教えに聞いて行くのが良い。
それが原点です。

さらには、お釈迦様は心のことしか説かれていないのです。
死後や葬儀や法事のことなど、何一つ説いていない。

では現在の日本のお寺はどうか?

葬儀や法事で食べているお寺ばかりではないか。
そうではないお寺は、修行寺として敷居は非常に高い。
もしくか観光や祈願寺院で、お釈迦様の教えとは正反対のことをやって
いる寺しかない。

つまり、日本にはお釈迦様の教えを実践している寺は皆無であるという異常
な状態に、一般人はおろか僧侶でさえ気づいていないのです。

そんなことを常に自問自答してきた。

そして昨年の終わりころから、『心の授業』というテーマを始めて見た。

最初はこれと言った感じではなく、今まで話してきたこと。
そこに、一人一人と向き合ってきた内容を加えて行く。

さらには、親鸞聖人の教えとお釈迦様の教え、そして瞑想(マインドフルネス)
のメソッドを取り入れて自分なりにまとめたものです。

ということは、オリジナルなので他のお寺では同じ話は聞けません。
オリジナルと言っても仏教の基本でもあることですから、仏教から外れることは
ありません。

今年の日帰り体験や宿泊の体験では、圧倒的に『心の授業』を希望される方が
多い。

若い方も多いが、日帰り体験は60代~80代の方が中心です。
その方々が、「こんなお話しは初めて聞きます」と仰られるのです。
そして、その方々の心に直接響いているのです。

それは、話しを聞き終わった後の皆さんの表情や感想をお聞きすると分かる。
今年は団体さんが多く、11月だけでも250人以上の方が聞かれているのです。

いろいろ自分で積み重ねてきたもの。

その積み重ねてきたものを、これから少しづつ書いて行こうと思います。

そろそろ、まとめておく時期かなと感じたからです。


宿坊光澤寺のホームページはこちら!








記事検索
プロフィール

sakurasakukoutakuj...

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ