宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

浄土真宗本願寺派の僧侶になるには・・

僧侶になるには・・・ときどき宿坊に来られます。

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昨日のこと、「永代供養勉強会」が終わった頃、奈良から二人の男性が
来られました。

宿坊に来られた目的は、お一人が僧侶になりたいというご相談でした。
そのためにわざわざ奈良から日帰りで来られたのです。

この日で予定されていたので、夕方遅くからの相談になりました。

いろいろとお話しを聞いて行く。
この宿坊には、ときどきそんな相談に来られる方がいます。
ブログで、「浄土真宗の僧侶になるには」というテーマで記事を書いて
いることもあるのでしょう。

正直言って、僧侶になるメリットはあまりないと思う。
僧侶になっても生活できるわけではないからです。

お寺があっても生活に苦労されている僧侶は多い。
兼業も当たり前、家族がいると中々踏み出すのは難しい。

僧侶になるためには、どの様な方法があるか。
そしてなぜ僧侶になりたいのか。
私の僧侶としての経験や、現状のお寺やこれからのお寺のことなどを、
お話しする。

在家の方が僧侶になるとき、正確な情報を仕入れるのは難しいのかも
知れない。
ただ、現在はネットで調べると数限りなく情報が得られる。
情報が多すぎて、取捨選択するのが逆に難しいのかも知れないですが。

道は厳しいが、もし自分が僧侶になろうと思われたのなら、ぜひその
道を進まれたら良いと思います。
僧侶って、面白いと僕は思うから。

お寺があればあるなりに、お寺がないならないなりに。
それぞれにやり方はあるでしょう。

ただ思っていたのとは違うということも多いでしょうから、希望的な
話しをすることはありません。
あくまでも厳しさを前提とした話しです。

本気でやる気があるのなら、それはその道を進むようにお話しする。
あとは、宗派によって僧侶になる方法が違うので、そこは私には分かり
ませんが・・・。

一度しかない今の人生、それなら思いがあるのなら、その道を進むのだ。
もし困ったことがあれば、またここに来れば良い。
お金はないけど、お話しできることや相談にはいくらでも乗ることがで
きます。





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もし光澤寺で後継者の僧侶を募集するとしたら!

本堂

あくまでも現時点でということが前提ですが、もし私が後継者を募集する
としたら、こんな感じになるということを書いてみました。

私は現在57歳です。
自分の住職の定年は70歳と考えている。

するとあと13年と言うことになります。
それまでにお寺の後継者を見つけなくてはいけない。
簡単には見つからないでしょうから、来年くらいからそろそろ探そうかなと
思っています。

そこで光澤寺に入っていただきたい方はどんな僧侶だろうと考えてみた。

先ず年齢は、13年後の段階で25歳以上40歳くらいの方。
そうすると現在12歳~27歳くらいの方になります。
ただ年齢は絶対ではないので多生前後しても構わないと思います。
基本的に夫婦で入っていただきたい、ただ若い方はその限りではありません。

僧侶としては、浄土真宗本願寺派の僧侶であること。
入寺するときは基本的に教師資格を取得できる状態にあること。
龍谷大学である必要はありませんが、最低中央仏教学院の本科を修了して
いること。
もちろん社会経験がある人の方が良いです。
国籍は問いませんが、日本語が流暢に話せること。
できれば英語も話せる方が良いですね。

現在光澤寺は、宿坊とやずブータン村を運営しています。
お寺の活動は元より、その二つの活動の継続に理解があり積極的に展開でき
る人でなくてはならない。
これは絶対に必要なことになります。

あとは僧侶としての心構えがしっかりしていて、お寺の展開に志がある方が
良いですね。

ここまで条件を付けると、なかなか難しいかも知れませんが、今から探して
おいた方が良いと思っています。

お寺に入られるときは、私たちはお寺を出て行く予定にしています。

もしそんな志のある方がいらっしゃれば、どうぞ自薦他薦含めて光澤寺に
お問い合せ下さい。


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「伝道力再生が課題」というコメントに思うこと。

今日facebookを見てると、こんな記事が目についた。


タイトルが「伝道力再生が課題」。
浄土真宗本願寺派の石上総長の言葉だった。

それを多分、中外日報が記事にしていたのでしょう。
ちょっと新聞名は分かりませんでしたが。

宗派の定例宗会の冒頭での演説だったそう。

記事にはこんなコメントも掲載してあった。

「弥陀の本願と本願成就という浄土真宗の核心を成す教説を現代人に
伝え理解を得るということは、至難の業となっている」

と言うような感じである。

上記は新聞記事の抜粋なので、本当にこう話されたかどうかは分かり
ません。
また全体の話しが分からないので、この部分だけを切り取るのもどうか
とは思う。

もうすこし前後があるが、それも含めての思いを書いてみたいと思う。

まずこのポイントの問題点は、教説を現代人に伝え理解を得る、という
点である。

浄土真宗本願寺派(西本願寺)の伝道スタイルの典型がここの集約さ
れているのです。

教義中心で教義から社会を見つめていると言うこと。
あくまでも教えを説いていると言う立場だ。

教義を通して社会を見るから相手に伝わらないのだ。
伝道のテクニックを学んだところで、そんなものでは伝わるわけはない。

問題はどこにあるのか、苦しみはどこにあるのか、悲しみはどこにある
のか、そこから始めなければただの法話で終わってしまう。

教義ばかりから見るのが現在の本願寺派の特徴である。
教義に問題があるのではない、社会に問題があるのだ。
自分の側からからしか見ていないから伝わらない。

そんな当たり前のことにも気づかないのだろうか。

教義からではなく、今そこにある苦しみから話しをすることが大切なの
です。
だから応用も利かなければ教義に縛られたままだ。

そんなものは、法座に来続けているマニアの方向けの法話。
一般人に通用するわけはないでしょう。

まあ浄土真宗にはマニアの方が他宗派より圧倒的に多いので、この世界
だけでも十分に成り立つ。

そんなこともあったのかも知れない。

仏教や真宗の教えは何のためにあるのかを考えれば簡単なことだ。

まず最初に教えがあったわけではない。
最初にそこに苦しみがあったのだ。

その苦しみにどう向き合うのか、それが仏教になった。

僧侶が先にいたわけではない、迷いが先にあったのです。

苦しみがあったからこそ教えが説かれた。

教えがあって苦しみにアプローチしたのではない。

だから内向きだけに通用する伝道になってしまうのだ。

教義ばかりに気を取られているのだろう。

伝道にばかり気を取られている人に、社会の苦しみは見えてこないだ
ろう。
教義と話しのテクニックだけのことになってしまう。

それは内側の人にだけしか通用しないだろう。

立ち位置を変えてみることから始めることが必要だと思う。


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浄土真宗の僧侶になるには・・・第二弾を書いてみる。

このブログを書き始めた頃。

今から5年前の1月26日のブログ。

そのとき書いたのが、「浄土真宗の僧侶になるには・・・その一」でした。

もうあれから5年も経つのか・・・。

早いものですね。

それからこのテーマで14くらいまで書いたと思います。
そのテーマを読んでいただくケースも多いし、そのブログを読んで訪ねて
来て下さった方も何人かいらっしゃいます。

14を書いてからも、それ以外の内容で書いているものもあるが、どちらに
しても最後にこのテーマで書いてから2年以上経っている。

実はこの2年間に僧侶を取り巻く環境が大きく変わった。

本当にものすごいスピードアップをしている。

以前に書いたものは久しく読んでいないが、それがどうだったのか検証
してみるのも面白いかなと考える。

そして、第二弾の「僧侶になるにはⅡ」をもう一度書いてみても良いかなと
思っています。


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お寺が無くなる!・・・山陰中央新報のリポートから。

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11月23日の山陰中央新報の記事、「後継者難で増える無住」というテーマの
記者リポートが掲載されていました。

山陰地方は経済が弱く過疎化が進む地域です。
特に島根県は、横に長い県でもあり過疎化の進展が早い。

同じ山陰でも市街地と山間部や沿岸部では事情がかなり違うのだが、山間部
の過疎化のスピードはかなり早い。

鳥取県も例外ではない。
私がお寺に戻った4年前と比べると、その衰退ぶりに拍車がかかっている。

独り暮らし、高齢者だけの世帯、後継者のいない世帯、この割合が相当高い
のです。

従来であったら、それでも後継ぎを家に残そうとしていましたが、最近はそれを
早々とあきらめる傾向が強い。
無理に残しても、とにかく仕事がない、そして合併により学校や保育所が次々
と無くなっている。

下手をするとスーパーやガソリンスタンドもやめてしまう。

町が衰退すると同時にお寺も衰退している。

せいぜいが、あと10年~20年持つかどうかというお寺が多いでしょう。
そうなると、お寺でも後継者を残すことが難しい。
元々兼業で生活を支えて行くお寺が多いのだが、最近は兼業しようにも仕事
がない上に、お寺と言うことで仕事が選べなくなっているのです。

島根県の場合には、住職が兼務する寺院が増えているという。
全国にお寺が7万あるとよく言われるが、この中でお寺だけで生活できる割合
は、あくまでも想像ですがおそらく3割程度ではないかと思います。

その実情にやっとお寺側も気づきはじめたくらいです。
以前は、お寺にお参りが少なくなったと言われていた、ところが今は、お寺その
ものが無くなってしまうかも知れないのです。
お寺の世代交代のときに、それがハッキリと分かるでしょう。

お寺と言っても何の保証もない、檀家さんも自分の生活が精一杯であれば、寺
ばかりに構ってはいられません。

私のお寺は、すでに運営するのが数年前から厳しくなっています。
でも檀家さんに危機感はあまりありません、気づいたときには遅いでしょう。
私がお寺に入ったときから、その状況は分っていました。

前住職は自分が食べて行くには困らなかった、なので何も手は打っていません。
と言うよりも、檀家さんとの距離ができていることにさえ気づいていなかった。
要は社会と現実を見ようとしない、お寺は大丈夫と勝手に思っていたり。
住職としてプライドだけ高かったり・・・。

お参りしてみるとよく分かるのだが、檀家さんの家でさえ厳しい状況がある。

こんなときどうなるかというと、「気づくのが遅かった、でも仕方ない」となる。
そしてお寺から住職が離れて行き、他の寺院の住職が兼務する。
そうなると、お寺の管理もできなくなり修繕もできず、朽ち果てて行くしかない。

そんなときが、もうそこまで来ている。

現在は、実はもう最後の賭けの段階に入っているのだ。
ただ、その賭けも活路の見えない賭けのようでもある。

国や県や地方自治体でさえその活路は見出せない、お寺では本山も何も打つ
手はありません。

今は、各寺院が10年後に生き残っているかどうかの、瀬戸際のときなのです。

でも、そんな時代や社会の変化のときが、別の見方をすると面白いときでも
あるのです。

変わらないと思っていたことが、一気に変わるときでもあるからです。

さて新しく生まれて来るものは何か?




浄土真宗って体験はダメなの?

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浄土真宗は他力の教えなので、自力的な体験をすることはない。

ただ私の寺院は宿坊も兼ねているので、仏教体験も行っています。
そう言った意味では、浄土真宗の寺院としては珍しいかも知れません。

現在は、浄土真宗の寺院で写経をする寺院も増えてきましたが、以前は写経
でさえあまりなかった様です。

仏教である以上は、やはり根本はお釈迦様にあるべきだとも考える。
たとえばお釈迦様は瞑想をされている、これはブッダの像からも顕かです。
ではそれさえ否定されるのであれば、もはやそれは仏教ではなくなるのではな
いでしょうか。

日本の伝統仏教においても、それぞれの宗祖は様々な修行の上に、それぞれ
の教えにたどり着かれているのでしょう。

であるのなら、体験としての仏教であれば特に目くじらを立てるものではない。

現在の宗派仏教は、江戸時代の檀家制度によって、個ではなく家の宗教とな
っているのは否めない。
つまり宗派の選択の自由が狭められている。

さらには、それぞれの宗派によっても、本来の教えとは違っている面が多々ある。
そんなことを言えばキリがないでしょう。

その宗派の教えにたどり着く方法としても、宗派の教義だけでなく、いろんな方
向からアプローチすることで、その教えが見やすくなるということもあります。

まして、これから仏教に親しもうとされる方にとっては、これと言ったことではなく、
いろんな体験やお話しを聞いてみるのも良いと考えます。

実は私がお寺の戻ろうと決めて会社を辞めるまでの約2年間、東京近辺で行わ
れていた仏教講座に宗派を問わずに出かけたことがあります。

真言宗・曹洞宗・臨済宗・浄土宗など様々な宗派の講座に行ってみました。
その中には、スマナサーラ長老のテーラワーダ仏教もありました。
そして上田紀行氏の「仏教ルネッサンス塾」にも足繁く通った。
本願寺派ではなく大谷派の、高史明先生や本多弘之先生の講座にも毎月通い
ました。
禅も組み、瞑想もし、写経も体験しました。
クリスマス・イヴにはカソリックとプロテスタントの教会も梯子した。
海外に行く機会があれば、必ずその国の宗教施設に立ち寄ります。

まだ仏教と言うものを真剣に勉強していない時期でしたので、それはとても良い
経験ができました。
その当時のことは、今の私にも大きな影響を与えています。

その中で浄土真宗と言うものを、自分自身の中で見つめるきっかけにもなった
と思います。

会社を辞めてからは、浄土真宗の教えを基礎から学びたいと考え、中央仏教
学院に行き、宗学院別科と安居の専修科で学び、布教使資格と学階も取得し
ました。

ただ宿坊をする上では、浄土真宗だけの教えではやはり足りません。
他宗派のことはもとより、テーラワーダ仏教や、ブッダのことを知っておく必要
があります。

さらにはキリスト教やイスラームのことも知っておいた方がいい。
その方が、仏教を多角的に語れ、浄土真宗も他宗派と比較することで、その
教えを際立たせることができるのです。

もし浄土真宗の教義だけしか知らなければ、そんな話しはできません。

そして体験も一通りできた方が、より仏教を理解しやすいですね。

瞑想などは仏教体験と言うよりも、心理療法やセラピーに使われることが今
のアメリカでは主流になっている。
ヨガをお寺で教えることよりかは、はるかに仏教的ではるかに効果的です。
瞑想がいかんというのでしたら、現在様々なお寺でやっている教室や講座な
どは全くけしからんと言うことになるでしょう。

たとえば浄土真宗ではなぜ「般若心経」を唱えないのか、と言う問いに対して
「般若心経」というものを知らなければ、その説明は不十分なものになり、ただ
否定するだけに終始するでしょう。
実際にそんな僧侶は多い、でもそれではだめだと思います。

もちろん浄土真宗の寺院である以上、法要やお勤め、そして教えは親鸞聖人
のみ教えに添ったものだけです。
そして教義も基本をしっかりと押さえていなければ、その中心を外れてしまい
ます。

逆に基本を押さえておくことで、他宗派のお話しができるのです。

これからは先祖崇拝教ではない、本当の仏教を伝えて行かなくてはなりませ
ん。

仏教もこれからは家の宗派ではなく、個の教えという傾向が強くなってくる。
そのときに仏教が、そして浄土真宗がどう取り組むのか、その試行錯誤は、
自分自身の問題でもあります。

これからもその問いはずっと続いて行きます。


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「現代と親鸞」が送られてきました。

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浄土真宗において教義の大きな流れは、本願寺派と大谷派であるでしょう。
それぞれ大学を持ち、学寮からの流れが連綿と続いている。

昨日「現代と親鸞」が送られてきました。
大谷派の親鸞仏教センターが発行しているもので、本多弘之先生が中心となっ
て編集されています。

私が東京で会社員をしていた頃、マンションから自転車で行ける距離にあったの
で、一度行って見たことがありました。
まだ事務所ができたばかりでした、これから大谷派が首都圏で布教に力を入れ
て行くための拠点といった感じだったでしょうか。

なので、この「現代と親鸞」は創刊号から最新の第28号まで全部そろっています。

なかなか内容的には難しかったり骨のある特集なので、いつも全部読むことはで
来ていませんが、それでも本願寺派だけではなく大谷派の教義の流れも知って
おいた方が良いと思い定期購読しています。

本多先生の講義は東京国際フォーラムで開催されていたと思います。
大谷派の首都圏布教の中心に立っておられる。

様々な点から、本願寺派と大谷派の違いを感じることがあります。
もちろん教義に対するスタンスも違います。

どちらもそれぞれのやり方なのですが、違う立場から見ると自分が良く見えるのと
一緒で、教義も理解が深まると言うことがあります。

そんなことを想いながら、パラパラとめくってみたりしている。

鳥取因幡組定例組会から・・・そこから見えてくる問題点。

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昨日は、鳥取因幡組の定例組会でした。

組内の各寺院住職と総代、そして各教化団体の代表が勢ぞろいする、年一回
の会合です。

会は順調に進み、問題もなく終了しました。
それはそれで一段落、これで昨年度のことは終了し、今年度に取りかかること
ができます。

ただその中で大きな問題が実はあるのです。
それは鳥取因幡組の会計が今年度でほぼ立ち行かなくなるということです。

もちろん公的な組織ですから借入等がある訳ではないのですが、ただ活動して
いる教化団体への助成ができなくなると言うことです。
鳥取因幡組は山陰地区でも活動が盛んな組織ですが、教化団体も助成金がな
くなれば衰退して行かざるを得ないでしょう。

なぜこうなったのか、私なりに考えてみました。

その一番目は、本山の賦課金のシステムによります。
要は旧態然のやり方なので、現状に即したシステムになっていないと言うこと。
しかし変更する予定はないと言うことなので、各組の活動が衰退しても構わな
いと言うことなのでしょう。

二番目は、本山の活動が多岐にわたり過ぎて収拾がつかなくなっているという
ことです。
次から次へと活動や組織が肥大して実体にそぐわなくなっていても、それを整
理すると言うことができていないので、活動組織ばかりが増えて行きます。
結局教化団体ばかり増えて、予算が膨らんできたと言う経緯があります。

三番目は、それぞれの教化団体の活動が形式だけで推移しているということ
でしょう。
具体的な目的や活動を考えるのではなく、やらざるを得ないからやっていると
言った感がしないでもありません。
これからは、ただ予算消化だけの活動では助成は難しくなります。

これらは時代の流れ的にも衰退して行かざるを得ない、諸行無常です。

各教化団体の活動は、できる限り自主運営を前提にしてきました。
でもこれからはそうはいかないでしょう。
難しい舵取りが必要ですが、本当に必要な活動かどうか、組の活動実態に即
しているのか総点検をしてスリム化するしかなさそうです。
そうなると、本当に必要な組織は2~3団体でしょう。
あとは自主運営組織に変更して、何かイベントがあるときのみ助成すると言っ
た流れが良いのではとも考えます。

要は本山から降りてくる推進活動を精査して、取り組む必要が無ければあえて
参加する必要はないと言うことだと思います。

そろそろ本山も、スリム化の徹底と活動の精査をして行く時期だと思うのですが。


鳥取因幡組定例組会の準備です!

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今月の28日は、浄土真宗鳥取因幡組の定例組会(総会)が開催されます。

各寺院住職と総代、そして各教化団体が一堂に集まる年一回の会合です。
今日はその最終打ち合わせと資料準備で、鳥取市内のお寺さんに出かけました。

無事に会が終わるように、結構念入りに準備致します。

ご門徒さんも、連続研修や仏教婦人会などを始めとして、活動が盛んな組です
から、その活動を停滞させないようにしなくてはなりません。

今回の私の役割は、全体の議事進行と会計報告と研修報告になります。
重要な役割であるので、皆さんに分かりやすく説明をできるように心がけたいで
すね。

会の後は、出席者の方々と懇親会も用意しています。
なかなか全員で集まって懇親を深める機会は少ないので、こちらも貴重な時間
となります。

私のお寺は、活動が全く盛んではありません、その中で副組長として鳥取因幡組
の活動に注力する。
自分のお寺のことを優先した方が良いのでしょうが、やはり宗派の活動に関わっ
て行くことは大切なことだと感じています。
それは自分のお寺だけに関わっていると、周りが見えなくなってしまう。
また、他の寺院のご門徒さんと触れ合う中で、自分のお寺のことを考えることも
できるのです。

そして活動を通して、自らの学ぶ場となることも感じています。
その上でしっかりと自分のお寺を見つめ直す機会となりますし、他のお寺さんの
事がよく分かるのも助かっています。

さあ、明後日の会に向けて、気持ちを引き締めて行こう!



西本願寺の連研について

今日、西本願寺が発行している本願寺新報が届いた。

今日の一面のトップは、連研についての記事でした。
連研とは連続研修会の略称で、全国各地で独自にそれぞれ開催されて
います。

各地でと言いましたが、本願寺派(西本願寺)の各地区の寺院の単位は、
組(そ)と言う単位になっていて、その組単位で連研が開催されています。
それぞれの運営方法やテーマや内容は、それぞれが決めて行きます。
そして各地域の連研を修了された方は、本山で中央教修を受講すること
ができるのです。
中央教修を受けると、門徒推進員となり、所属寺院や組において門徒の
中心として活動することになります。

これは浄土真宗に熱心な地域やご門徒さんが多い地域とそうでない地域
とで温度差があるのでしょう。
私が所属する鳥取因幡組は連研を継続して開催しており、昨年の十二月
で第七期を修了したところです。
これから第八期の準備にかかるところで、予定では7月~来年の6月まで
毎月連続の十二回の開催となります。

その連研の内容については、本山で準備をしている冊子があります。
それが来期に向けて新しく改訂されるのだと言う。
その新しく改訂される連研ノートの内容が、本願寺新報に掲載されていた
のです。

実は第七期を準備しているとき、どの様なテーマで開催するかを検討して
いました。
内容は、やはり組の住職や門徒推進員、そして参加者の意識レベルに
よっても多少は調整が必要ですが、ただやはり本山の方向性にも合わせ
ておかなくてはなりません。
それで、今回改訂される内容を事前に聞いていたので、第七期にはそれ
を多少意識したテーマ選定にしていました。

鳥取因幡組でも新しい取り組みでしたのですが、終了してみると皆さん熱
心に聴講されていた様に感じました。

2月は第八期の検討会があります。
十二個のテーマを決めて行かなければなりません。
本山の内容を少しアレンジして行かなくてはならないと思っています。

第八期に向けては、やはりさらに一歩進めて、さらに社会との接点を考え
て行くことが必要かな。
でもその根底には、仏教として、浄土真宗としてのみ教えが必要です。

また執行部と門徒推進員の方々との話し合いで決められて行きます。

浄土真宗の各教化団体を横でつなぐ糸の役割も、この連研は果たして
いると思います。
もっともっと縦の糸と横の糸がつながりあって、浄土真宗のみ教えは相続
されて行くのです。

お寺離れや葬儀離れが言われる今日、大切な活動となってきています。

浄土真宗の僧侶になるには14・・・僧侶になるためのルート選択

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一月も中旬になった。
この時期は今後の進路を決める時期でもある。

僧侶になることも視野に入れておられる方もいるかも知れない。

そんなとき浄土真宗の僧侶なら簡単になれるのではと考えておられる方が
いらっしゃるかも知れません。

でも一概に僧侶になると言っても、様々な僧侶がいます。

もし僧侶になりたいとお思いであれば、そのときにどんな僧侶になりたいか
を考えてから進路を決めた方が良い。
でなければ、必ずあとで後悔することとなります。

現在、浄土真宗の本願寺派(通称:西本願寺)の僧侶のハードルは高くなり
つつあります。
そして本願寺派には様々な資格があるので、その資格を取得して行くことも
大変な作業になります。
これから数年のうちにさらにそのハードルは高くなるでしょう。

たとえば、高校を卒業して、もしくは一般の大学を卒業して僧侶の道を目指
すとする。
もしその目指す目標が高いとすると、相当な年数とそれにかかわるお金も
かなりの金額になります。

もしあなたが浄土真宗の僧侶になろうと考えるなら、以下のルートがある。

①龍谷大学に進学し、仏教学科や真宗学科に入る。
②中央仏教学院に進む。
③行信教校に進む。
④広島仏教学院や東京仏教学院に進む。
⑤中央仏教学院の通信教育で専修課程を受講する。

以上が一般的なルートですね。
もちろんそれ以外にもありますが、本格的な僧侶を目指すのでしたら、この
いづれかのルートを選択することになります。

それぞれに得意分野があったり、学費や年数に違いがあるので、どこが良い
かはそれぞれの状況に寄ります。

もし費用的な問題であれば、④のうちの広島仏教学院が良いと思います。
この広島には真宗学寮もあるので、徹底的に浄土真宗の教義が学べるうえ
に、費用的な面では一番安いのではないかと思います。
ただ本当に勉強するつもりがなければ、かなりしんどいとは思いますが。

それ以外にも様々なクリアしておくべき問題がありますので、もし浄土真宗の
僧侶になりたいのでしたら、たくさん情報を集めて進路をしっかりと見据えて
置いた方が絶対に良いですね。

僧侶は決してもうかるものではありません。
そして決して楽な道でもないと思います。

もしご相談等があれば下記のHPからお問合せいただければ、私の分かる
範囲でお答えいたします。

光澤寺のHPはこちら!


求道会館・・・若き情熱と。

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                         (求道会館ポストカードより)

先日宿坊に来られた方と浄土真宗のお話しをしていた。

そのとき、ふと会社員時代によく通っていた浄土真宗の教会の話し
をしました。
その方も、そんな場所があるのなら是非行ってみたいと仰っていま
した。

私は東京で会社員をしていたとき、仏教を中心に様々な講座に通っ
ていた。
その中でも、当時求道会館で毎月一回開かれていた、高史明先生
の「歎異抄講座」には、退職して鳥取に帰るまでの一年間通い続けた。

求道会館は当時は知る人ぞ知るといった感じで、あまり知られては
いなかった。
今はコンサートやイベントが開催されるなど、多少は知られているの
だろうか。
ある意味、浄土真宗の聖地でもあると思うのですが、浄土真宗関係
の人は知らない方が多い。

明治時代、真宗大谷派の若き学僧たちは東京進出を目指す。
その筆頭は、清沢満之である。「歎異抄」を道筋に親鸞聖人のみ教え
を広く世に問う活動をする。東京に真宗大学を設立するのだ。

そして近角常観は求道会館を建設する。
本当にこれが日本の明治時代の建築かと思うほどの建物です。
こじんまりとしているが、その趣きは素晴らしく譬えようもない。
建物内の中心には阿弥陀如来がいらっしゃり、まるで古き教会の
中に迷い込んだような感じである。

明治時代、特に真宗大谷派には高名な学僧が輩出する。
篤き情熱に燃えた真宗僧侶たちであったろう。
その時代を過ぎて、昭和には暁烏敏という怪僧の出現によってその
幕を閉じるのです。
それ以降の浄土真宗の僧侶には、若者の心を駆り立てる僧侶は
出ていない。
真宗大谷派の僧侶たちの東京進出は夢と消える。
もし当時、本格的に進出していたなら、東京は真宗大谷派の一大
拠点となっていたであろう。

現代、本願寺派は東京にある築地本願寺を拠点に、東京進出を
本格化させる。
真宗大谷派の学僧たちが果たせなかった夢を、今度は本願寺派が
追うのだ、もちろんその志は違うけど。

求道会館にはそんなロマンを感じる。

何故か浄土真宗関係者はあまり知らないけど、浄土真宗の現代の
聖地の一つであると思う。

築地本願寺と求道会館。

築地本願寺は、佃島門徒の力によって江戸前の海を埋め立てて
建てられた。
求道会館は、大谷派の志ある学僧たちの熱き思いが伝わってくる。

どちらも東京の浄土真宗の聖地である。

私が高史明先生の講義を聞く最後のとき、先生に話しかけた。
快く私の話しを聞いてくださり、鳥取に帰って僧侶になると言うこと
に、励ましの言葉をいただいた。

そのときが私が僧侶としてスタートする原点だと今でも思っている。
そして共に歩む同行の世界がある。

そのときの心を忘れずにいたい・・・。





浄土真宗ともしびの会 「・・・いのちをいっしょに・・・」 を設立する。

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人には、人それぞれの人生がある。

特に現代社会は、孤独との闘いでもあるかも知れない。
何故なら、核家族化から始まり、少子高齢化、過疎化、不景気。

これだけの条件が重なれば、人は一人で生きて行くことにならざるを
得ないだろう。

そこには生活苦もあるし、病気や介護の問題もある。
独居化に対してどのように対応して行くのか。
これは都会なら都会なりの、田舎なら田舎なりの苦しみがそこにある。

終活という言葉を最近よく聞くが、本当の苦しみがあればそれどころ
ではない。
また、自分で道を切り拓ければよいが、そうはいかないことも多々ある。

私はこれから、「浄土真宗ともしびの会」を立ち上げます。

理念は、「・・・いのちをいっしょに・・・」

浄土真宗とは、釈尊の仏教的理念を背景にして、親鸞聖人のみ教え
を実践する会です。
もちろん僧侶が中心となるが、広く一般にも呼びかけて行く。

宗派や本山組織、地域などの垣根を超えたものです。
エリアを限定せずに、賛同者を集めて行きます。

そして、今ある苦に寄り添う。
そして、生と死を考えて行きます。

もちろん、生に関わること、いのちに関わること、を一緒に考える。
そして死後のことも一緒に考える。

強制など何もなく、ただゆるやかな会としたいと思っています。

あなたの苦しみを我が苦しみとし、あなたの喜びを我が喜びとする。

生も死も、すべていっしょに。

だから、「いのちをいっしょに」なのです。

宿坊を昨年から始めた、今年は地域活性化のNPOを立ち上げる。
そして、寺院や組織、団体や地域を超えた「浄土真宗ともしびの会」を
立ち上げる。

この三つが一体となったとき、これからの僧侶に求められるものが
見えてくるだろう。
そして、従来の檀家制度に変わる、日本仏教の仕組みができる。
そう信じています。

それが志に燃える僧侶を支えて行くことにもつながって行く。

さあ、従来の枠を超えて社会に僧侶が出て行くときです。
自由にはばたき、そして社会に貢献する、真の僧侶を目ざそう。


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志のある僧侶を育てて行かなくてはいけない。

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寺院の力の尺度は何かというと、所属する僧侶の能力ではありません。

現在は、寺院の力は経済力、すなわち檀家数で決まっていると言っても
過言ではない。

たとえば、本願寺派の寺院は全国に1万ヶ寺以上あります。
そのうち檀家数が300軒以上ある寺院が何ヶ寺あるでしょうか。

過疎地の寺院は檀家数が漸減しています。
いくら優秀な僧侶がいても、檀家数だけはいかんともしがたい。
というか、優秀であれば逆に教えに忠実であろうとするので、経済的に
めぐまれなければ厳しい寺院経営がそこにあります。

もちろん、本山である西本願寺や各地にある教務所が手を差し伸べる
何て事はまったくありません。
そこに宗派として何とかしようということは考えていません。
有力寺院の顔色を伺いながら、適当にお茶を濁しているだけでしょう。

となると、当然の如く、住職がいない寺院や廃寺が一気に増えるのは
間違いありません。
臨済宗などは、定年退職した僧侶で、資金的に余裕のある人たちを
集めて無住化したお寺に入寺してもらおうと企画していると言う。

でもそんなことでは、本来の意欲ある若い僧侶を育てることはできません。
本山にいる職員は、そんな志のある人は少ないし、縦社会の中でサラリ
ーマン化せざるを得ない状況でしょう。

私は、若いやる気のある僧侶を育成してゆくシステムが必要であると
思っています。
それに経済的に苦しい寺院などもそうです。
そこに何らかの策を打たねば、宗派全体が衰退して行くでしょう。
何故なら、もう二十年もすれば檀家制度自体が疲弊し、消滅する運命
にあるからです。
現在、檀家数の多い寺は、逆に努力しなくても食べて行けるが、将来は
そういう時代ではない。

ちょっとそんな仕組みを考えています。

それは、寺院や本堂が無くても、志があり能力ある僧侶が報われる
仕組みを作る。

時代は待ってくれないので、何とか早く作り出さないといけません。

地域や寺院、本山の縦割り社会から解き放つ、新しいネットワークです。

志ある僧侶が集まって欲しいと思っています。


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檀家制度について。

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今日、七回忌をおつとめしました。

元々、他宗派の方ですが、縁あって私のお寺で法要をされた。
ご夫婦それぞれ宗派が違うそうですが、私のお寺はそのどちらでも
ない。

都会では、近くに自分の宗派の寺院が少なかったりすると、その様
なこともあるでしょう。
菩提寺がなくて、葬儀社に紹介してもらったりと。
特に浄土真宗の寺院は関東に少ないので、その様なこともあるの
でしょう。

現在の寺院の多くは、江戸時代から続く檀家制度によって存続する
ことができた。
今までの習慣や先祖によって守られてきていたのです。
それがときには意にそぐわない場合でも。

今日の法要では、浄土真宗の経典を唱える。
経典なので、お釈迦様の教えですから、基本的には問題ない。
たどり着く先は同じですから。

宗派の教えであれば、仏教的見地からは各論の様なものですから、
宗派独自のものは、今日は唱えません。

仏教は、家の宗教的な部分があります。
でもこれからは、自分に合った教え、自分に合った寺、自分に合っ
た僧侶を選択することが増えて行くかも知れません。

今までの家の宗派にこだわらないと言ったことも。
もちろん、お布施によっても変化があるかも知れません。

意味も良く分からないけど、お布施は高額であるとか、代々の家の
戒名だからと言った理由で高額な戒名を付けるとか。
そういったことには非常にシビアになって来るかも知れません。

お布施は、それぞれのお気持ちですが、決してそうばかりではない。
であれば、自分で選択する様になって来るかも知れない。
あとは、子どもに負担を掛けたくないと言った声が増えています。

これは、お布施や戒名だけでなく、お墓や納骨のついても同じです。

そのときは、檀家制度に守られた寺院が変化して行くときでしょう。

もちろん安ければいいと言うものでもありません。
要は、しっかりと教えを伝え、しっかりと儀礼もお勤めする。

そこにまた、+α の魅力があればと思います。
それで、お布施も決して高額ではないと言ったことも、これからは
重要な要因となるかも知れません。
それが第一義ではないでしょうが。

何故なら、昔と違って、情報が伝わりやすくなっている。
特に、お寺へのお布施は寺院によっても、宗派によっても大きく
違いますが、あまり語られない世界だった。

でも、これからは変わって行かざるを得なくなるのでは。
そして、本当に良いもの、本当に必要なものが見えて来る時代。

私のお寺は、お布施はまったく高くありません。
逆に言えば、その時代の準備はできているのかも知れないと、最近
は少し考えるようになってきました。

体制を整えることができたなら、やはりそれを知らしめることも必要
かも知れません。

ただ、心持ちは常に最高のものを心がけています。
なぜなら、それは釈尊の教えであり、親鸞聖人の教えだからです。
やはり、そこだけは外せないのです。


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住職の健康管理、そして花粉症の季節。

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花粉症の季節がやってきた。
僕は毎年、花粉症に悩まされるのだ。
それもかなり重症なので、本当は心が軽くなる季節は、憂鬱でもある。

一年のうちの三か月くらいは、苦しいときです。
暑い夏と、寒い冬を加えると、何か一年中良い季節が少ないようだ。
せいぜい10月くらいであろうか。
何と日本も暮らしにくい国になったものだと感じてしまうのです。

ところで、住職であれば、各寺院に一人しかいない。
まして、僕のお寺の様にそれほど大きくないお寺だと、代わりがいない。

寺の住職は、有休がない、そして法務は待ったなしです。
夜中でも電話がかかってきます、夜9時以降の電話は、どなたか亡くな
られたのかなと考えたりします。
違えば少しホッとしたり。

たとえば旅行に行っている間に、連絡が入りこともあります。
いつもそんな感じで準備をしておかなくてはなりません。

代わりがきかないと言うことでは、健康管理も注意しなくてはいけません。
風邪やインフルエンザもでも、お参りには行けなくなってしまいます。
まして病気で入院ともなれば、かなり困ってしまう。

ただ、健康管理に注意はしていても、やはり人間なので、どうなるかは
分りません。
それでも、注意をするしかない。

喉についても、声がでないとお経を唱えられないので、気になるところ。
声は喉の調子によって、日々変わります。
後は、葬儀や法事の途中で中座する訳にはいなかいので、お腹の調子
も注意します、それと水分の摂らないようにとか。
僕は、胃腸の調子があまり良くないので、こちらも大変だったりします。

こんな感じで、結構僧侶は身体に気を遣っているのです。
ただ花粉症だけは如何ともしがたい。

それで、今年は新商品を試してみることにしました。
どちらもネットやTVで紹介されているもの。
一つは、花粉対策用メガネ、これで花粉が目に入るのを防ぎます。
もう一つは、ウィルス対策用のシート。
これを首からぶら下げていると、ウィルスを除去してくれるのだそうです。
現在は試している最中、花粉も本番はこれからなので、まだ効果は分り
ませんが、重度の花粉症の私としては、できるなら藁にもすがりたいと
言ったところなので、ぜひ効果があって欲しいものですね。

花粉症のシーズン明けに、またそのご報告を致します。


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これからの僧侶に必要なもの・・・もし僕が18歳なら。

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これからの僧侶に必要なもの。
浄土真宗的にという前提で、あくまでも独断と偏見で・・・。

社会経験・・・社会的なバランス感覚、できれば仕事をしてた方がいい。

情報通信スキル・・・PCやネットを使って自由に情報を操作できる。

仏教・・・できるだけ広範囲に、そしてインド原始仏教に精通する。

浄土真宗・・・教義と儀礼(作法・勤行・声明)に通じること。
        学階は取るにこしたことはない。

布教使であること・・・別に絶対ではないが、ある方がよい。

特別法務員・・・これも絶対ではない、余裕があれば。

良い師に出遇う・・・有名でなくても、大学の先生でなくてもよい。
            偏っていなくて信頼できる師。

学校に行くなら・・・大学に行くなら、全く関係ないところ。
           社会経験を積んだら、中央仏教学院がいい。

旅をする・・・日本の寺社、そして世界の宗教施設や聖地を巡る。

他宗派を経験する・・・たとえば禅、修行など、できるだけ深く。
              もちろん教義も学ぶにこしたことはない。
              瞑想など、東南アジアの仏教も大切です。

ブログ・・・自分の感じたまま、そして体験を、とにかく書き綴る。

カメラ・・・写真を撮る、とにかく撮りまくる。

20代で、もしこれだけのことができたなら、僧侶として十分に食って
いけます。
相当な情報発信ができるし、誰にも情報で負けないでしょう。

もちろん、New Typeの僧侶として活躍できる。

もし僕があと30歳若ければ・・・。

お寺、そして僧侶の存在意義が問われている。

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地方都市というか、山間部の田舎町でも葬儀会館が増えている。

特にこの10年の増加ぶりはかなりすごい。
田舎で新築の目立つ建造物は、老人介護施設と葬儀会館かな。
不景気でも新築できるのは、この二つの業種でしょうか。
これは日本の人口構成と社会環境、もちろん福祉産業の隆盛によって。

僧侶の立場で考えると、約10年前は、仏教やお寺、そして僧侶としてでき
ることは何か。
求められているものは何か、そんなことを会社員をしながら考えていた。
その頃から考えても、一気に社会環境が変化しました。

お寺として取り組むものに、介護やターミナルケア、福祉分野などが考え
られたが、今ではそんなところにお寺が入り込む余地などない。
と言うより、お寺が入り込む意味が見いだせなくなったのです。
あれだけボランティアグループの草分の人たちが頑張って、介護の発展に
力を注いでいた時代とは違う。
利権によってビジネスになり、予算の投入によって一気に進んだのです。

葬儀会館ができることで、葬儀も自宅から会館へと変わった。
僧侶としては会館の方が楽です、汗もかかず職員が丁重な対応をする。
でも、葬儀での僧侶の役割も少なくなっているのではないでしょうか。
結婚式が一気に華やかになって、ショー的になって衰退した。
それが今は葬儀がショー化してきている。
そうなると、本来の意味が失われて行くのでしょう。

最近聞くところによると、葬祭会館も過剰になってきたことと、不景気も
相まって、厳しい経営になってきていると。
そうなると、葬儀の簡略化が始まり、僧侶の存在意義も薄れてくる。
ただお経を唱えるだけ、あとは何も必要ない。
都会だけだと思っていたら、田舎でも直葬が増えてきていると言う。

そこで僧侶の意味が改めて問われて行く時代になるでしょう。
何のための葬儀か、誰のための葬儀か、葬儀の持つ意味は。
そして僧侶が葬儀を執り行うことの本当の意味。
この延長線には、もちろん年忌法要や納骨にも関わってきます。

今はネット社会です。
情報もあっという間に広がって行くきます。
今まで閉鎖的だったお寺や葬儀が、オープンになってくる。
ネットでは、家族葬などの安価なプランが目白押しです。
お布施は別にして、20万円前後のプランが増えてきました。
地域社会の葬儀から家族だけの葬儀へ。
もちろんそうなれば、葬儀のお布施も多くすると言うことはないでしょう。

さて、葬儀に僧侶が必要かと言う議論になったとき、それに応えられること
ができるのでしょうか。
おそらく、多くのお寺が、うちの寺は大丈夫と思っているのかな。

僕のお寺も、いろんな問題を抱えています。
僕がお寺に入る前は、人もあまり来ず、庫裡も本堂も境内も荒れていま
した。
もちろん檀家さんも減少の一途。

今は、そんなお寺の再生を目指している途中。
時代の流れに巻き込まれながら、暗闇に光を目指してもがいている。
たどりつく島を求めて。

でも、お寺って捨てたもんじゃないと感じています。
こんな時代だからこそ、求められ必要とされるものがあると・・・。
いつか、その答えが見つかると信じて。

それは、通り過ぎたときに気づくのかも知れませんね。


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浄土真宗の僧侶になるには・・13(その可能性に賭ける)。

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僧侶になるとき、日本ではどこかの宗派に属することが必要になる。
単立寺院と言って、どこの宗派にも属さない寺院もありますが、作法や教義
など、中心となるものが必要です。
それと原点である、釈尊の教えは絶対必須になります。

釈尊の教えは、実は日本の各宗派ではあまり勉強しないのではないでしょう
か。
なので、仏教の基本をまず知ることから始めるのが、仏教に親しむ第一歩
だと感じます。
そうすると、日本の各宗派の教えに対しての、自分の立ち位置が分りやすい。
そして、自分が選んだ宗派を勉強して行く。
好きな道、自分で選んだ道であれば、後悔しない。
その中で、よい師に巡り合うと言うこともあるでしょう。

もし、日本の宗派になかったなら、テーラワーダ(上座部)という東南アジアに
広がる宗派もあります。
これは日本では小乗仏教と呼ばれていたものですが、世界的にはこちらの
宗派の方が有名です。
あとはチベットやブータンに伝わる、密教ですね。
まあ密教は、日本にも真言宗がそうですが、伝わっているものは微妙に違い
ます。

どうすれば良いか、何を選んだらよいか分からなかったら、自分で歩いてみる
しかありません。
若くて時間があれば、日本の寺を歩いてみればよいでしょう。
ホームページからたどれば、いろんなお寺がある、そこで行って見たいお寺を
探してみればよい。
そして世界の仏教国を旅してみるのも面白い。

東京なら、いろんな仏教講座や仏教行事がたくさんあります。
私も会社員だったころ、毎週仏教講座や医療関係の講座を探しては、通って
いました。

とにかくいろんな話しを聞いてみる、そして自分の眼で確かめる。
そのうち、自分の進むべき道が見えて来るのではないでしょうか。
そして、そこにはいろんなネットワークができていることでしょう。

切磋琢磨し、そして支え合う仲間がそこにはいるでしょう。
宗派が違った方が面白かったりもします。
同じ仏教でも宗派によって全く違うことが分りますよ。
そのとき釈尊の教えを基本に置いておくことの意味が分かります。

そこからは自分の目指す道を歩いて行く。
僧侶には、自分次第でいろんな事が開けてくるという可能性がある。
今の時代は、僧侶って魅力的な存在かも知れません。

新しい流れを切り拓くという、壮大なフィールドが待ったいるのです。
もちろん道は険しい、だけど今はノマドと言う新しいスタイルがある。
その仏教版をいち早くネットワークすることができる。

もちろん浄土真宗でのことなら、知り得る限りはお教えいたします。


浄土真宗の僧侶になるには・・12(お寺を作ろう)。

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全国の伝統仏教の寺院は、どちらかというと守り中心です。
これは、檀家制度の延長線上にあるから、やむを得ない。

でも、そんな時代も、大きく環境の変化によって、変わって行くだろう。
伝統仏教の寺院も、そろそろ本格的に攻めの時代になって行かなくては、
時代に取り残されて行く。

攻めには、まずマーケティング、そして古き伝統と、新しい価値観の融合。
これなどは、新興系の宗教団体が得意とするところでしょう。

ただ、同じようなことをやっても意味がない。
伝統仏教教団であるからできること、それを徹底してアピールするのだ。

それも、新しい方法で。

寺院だって、今までの様な、お寺にこだわる必要はない。
もっと身軽に、そして、もっと身近に。
そして、情報発信力のある寺院。

それほどお金を掛けなくても、展開は図れると思う。

だから、新しいお寺を作ろう。
それは、寺を持たない、若くて優秀な僧侶の受け皿にも、なり得る。
経済状況の厳しい、寺院の活性化につながる。
そして、今ある寺院を維持して行くことも可能なのだ。

きっかけさえつかめれば、全国へ連携して行くこともできる。

先ずは、10年後を見据えて、取り組んでみればいい。
きっと、新しいカタチが見えるだろう。

そうすれば、新しい魅力的な僧侶も育つ。

そうだ、新しいお寺を作ろう。
そこは、今までとは違ったお寺になるだろう。

そんなイメージを持っている。


浄土真宗の僧侶になるには?・・その11(僧侶の魅力とは)

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世間では、坊主丸儲けと言われることがあるようです。

でも実際はそんなことはないなと思う。
寺に戻る前からそれは分かっていたが、住職となってからは余計にそう感じる。

確かに、僧侶は何もしないでお布施だけもらっていると考えれば、そう見える。
でも実際には、それまでに多くの時間と、お金を費やしているのです。

葬式仏教と言われるが、実際に僧侶は葬儀に立ち会う。
と言うより、葬儀を執り行うのです。

死と言うものは様々である。
大往生と世間で言われるようなケースは少ないと感じる。
たとえ高齢であっても、そこにはいろんな思いやいろんな出来事が横たわって
いる。
そこに立ち会うのである。

葬儀屋からの依頼で読経だけというなら、そこまで考えないかも知れないが、
やはり、ご遺族や弔問客、親戚、ご近所、その方たちに対してしっかりと伝え
なくてはいけないことがあるのです。

まして僧侶が感情に流されることはない。
その方の死が、どの様なものであっても。
それが、大震災で遺体が行方不明の方の葬儀であっても。

ただ仏の思いを伝えることに専念する。

ときには無力感に襲われることもある。
ときには自己嫌悪で眠れないこともある。

それでも葬儀や法要には、また何事もなかったようにお勤めする。
中には、その感情のコントロールができない僧侶もいる。
そうなると、僧侶と言う職業は非常に厳しいものとなる。

その代償がお布施だとは思っていない。
できるなら僧侶に専念したいと思っている方もたくさんいる。
でも食べて行くために、他の仕事をせざるを得ない。

まして田舎の過疎地の寺は深刻なのです。
かと言って、檀家を増やすと言うことは難しい現実も横たわっている。
もちろん、都会のお寺に都会のお寺で、宗教離れといった問題もある。
コミュニティーの崩壊といった現実も。

僧侶にはいろんな壁が立ちふさがっているのだ。
宗派の壁、教団の壁、教義の壁、檀家の壁、社会の壁、経済の壁、まだまだ・・・。

それを一つ一つ乗り越えて行く。
壁があると言うことは、自分にまだしなければならないことが残っていると言う
ことなのだろう。

10年後、20年後には日本のお寺はどうなっているのだろうか。
何事もなく、ただ現状の先にあるのか。
それとも大きく変わっているのか。

それを自分の手で確かめると言うことができる。
だから今、僧侶は面白い。
衰退して行く世界か、大きく変革する世界か。

それは、僧侶になればそこに自分が関わることができる。
そんな魅力が、お寺や僧侶にはあるのだ。

もちろん、死ぬまでかかってもたどりつくことはない真理もある。
一生かかって追い求めるものがあると言うことも・・・。

浄土真宗の僧侶になるには?・・その十(僧侶で食っていけるか?)

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これから僧侶を目指そうという人にこう聞かれたら。

僧侶で食っていけるか?

と聞かれれば、それは非常にリスクが高い・・・という回答になるでしょう。
投資金額とその期間が必要な分、その回収だけでも半端ない。
まして途中で挫折したら、その長い期間が水泡に帰す。

檀家数が多いと言われる浄土真宗の寺院でさえ、寺院だけの収入で食べられ
る寺は3割程度とも言われています。
あとはボランティア的に僧侶をこなしながら、他に仕事を持ってやっているのが
あとの7割の寺院の現状だと思います。
世襲制があるので、何とか住職が続いているって感じでもあります。
もしそうでなければ、とっくに無住寺院になってる寺は多いでしょう。
坊主丸儲けなんて、どこかの遠い世界。
ある一部の寺院のことを大袈裟に取り上げてるだけでしょう。

僧侶の収入として考えられるのは・・・
①実家の寺に帰って僧侶となる。
②どこかの寺に婿養子もしくは嫁に行って僧侶になる。
③どこかのお寺に法務員として入る。
④自分で寺を立ち上げる。
⑤どこかの葬儀会社と提携し、葬儀などのお布施をいただく。
⑥宗門関係の大学を卒業して、本山関係の職員になる。
⑦いろいろイベントや情報発信をして、それで収入を得る。
 たとえばネット関連とか、ポータルサイト運営とかも。
⑧布教使として講師料をいただく。
⑨僧侶としての新しいスタイルを確立して、新たな収入の道を目指す。
⑩他の仕事で生活の糧を得て、僧侶としての道を歩む。
⑪空いたお寺に入って復興させる。

以上の様なことが考えられますが、目的があって僧侶の道を目指されるのであ
れば別ですが、基盤がないと僧侶として生計を立てるのは非常に難しいですね。
どの道に縁があったとしても、その道は楽じゃないです。
僧侶の方も鬱を患う方はとっても多いのです。

ただ、宗教法人として墓地とか納骨堂とか、葬儀とかを主体に事業化を考えて
おられて成功されている方もいらっしゃるでしょう。
収入の方法はともかく、個人の努力や企画力、もちろん僧侶としての力量が
あれば、どんな世界でも食べていけるのでしょう。

もちろん自分で宗教法人を立ち上げることもできるし、単立での寺院運営も可能
です。

要は、どこの世界も、どこの業界も楽じゃないし簡単じゃない。
でも、意志と気力と体力があれば乗り越えて行ける可能性はあります。

ただ、僧侶になりたいといわれたら・・・
UOOOOM、その人によるかな?

どなたでも賛成はしますが、僧侶で食べて行こうとは思わないことが大切かも。
ただ、仏の道を歩んで行くのだ、といった感じがいいですね。

でも本当は、僧侶の道に進んで、日本の仏教をもっともっと活性化して欲しいと
いうのが本当の願いではあります。
勇気を持って進むことを願う・・・。

浄土真宗の僧侶になるには?・・その九(リタイア後の生き方)

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会社や仕事をリタイアしたあと、僧侶の道を目指す。
意外とこんな方は多くいらっしゃいます。

高度経済成長期、とにかく仕事することが生き甲斐だった。
いつまでもその成長が続くと思っていた。
家のローンもなくなり、年金と貯金で暮らせる優雅な日々。
そして有名な会社の株も持ってる。
もしかしてゴルフ三昧の日々、会社に向かう人々を尻目にゴルフ場へ。
暇があれば散策、旅行、読書を思う存分に楽しめる。
働いているときはそれが最高の人生だと思っていた。
もちろん自分が死ぬなんて思ってもみなかった。

ところがどうだ、息子や娘の就職先が無い。
オマケに会話も何もない。
社会も不安定になってきた。
年金もあまり期待できない。
家のローンは終わったけど、周りとの付き合いはなく、おまけに不便な場所。
ゴルフだって、仕事してた時は楽しかったけど、いまはそんなに興味もない。
持ってた会員権は今や紙くず。
そう言や株も下がりっぱなし。
会社の知り合いも、仕事を離れるともう関係なくなった。
妻は自分のしたいことをしていて、自分には目も向けない。
俺の生きてきた人生って何のための人生だったのか?
最近では周りの友人で亡くなる人もポツポツと・・・。

まあここまでとはいかないまでも、がむしゃらに生きてきたつもりの人生。
せめて、あと残された人生で何をして行こうか?

そんなとき、ふと僧侶というものに目が留まる。
そう言えば、仏教や僧侶って葬儀か親戚の法事くらいでしか関係なかった。
でもいざというと、何も知らなかったことに気付く。
新聞で五木寛之の書いた親鸞も少し読んだけど、あまりよく読まなかったなあ。

いろいろ書きましたが、リタイア後に僧侶を目指す人たちがいらっしゃるのも
事実です。
私が会社を辞めて浄土真宗の勉強をしていたとき、周りには60代、70代の
方々もたくさんいらっしゃいました。
試験などは勉強してたら別ですが、決して易しくはないのです。
それでも熱心に勉強されていました。
80歳くらいの女性の方が布教使を目指されていたことを覚えています。
これは、人に教えを伝えると言うよりも、自分がその教えに近づきたいという
ことだろうと思います。

仏教や浄土真宗の教えを学ぶと言うことは、どんなに勉強しても先は限りなく
奥深い。
死ぬときまでその教えを学ぶことができるということがあります。
そして、自分を見つめ、いのちを見つめ、自分の生きる意味を問う。
そんなこともあるでしょう。

まして仏教は、歳を重ねることでしか実感できないことが多いのです。
仏教の道を歩くのは、60歳過ぎてからが本番という気もします。
そこで新たな出会いもあるでしょう。

西本願寺では、いろんな講座や資格があります。
それに挑戦するのだって面白い。
人生経験があるだけに、僧侶の道は結構面白い。

私が通信会社に勤めていたとき、その当時の会社の名誉会長は稲盛和夫
さんでした。
この方の出身は鹿児島で、ご先祖は薩摩藩が浄土真宗禁制のとき、隠れ
念仏の信者さんだっと本に書かれていました。
実家は浄土真宗でしたが、65歳の頃に僧侶の道を進まれています。
その得度の前の検査で癌が見つかります。
その回復を待って、京都の臨済宗妙心寺で得度をされました。
まだ経営者としての自力の道の途中だったのでしょうか(笑)?

会社では、稲盛さんの説くフィロソフィーをよく学んだものです。
会社の理念は、「利他の心」というような感じで、サブタイトルには「動機善
なりや私心なかりしか」だったと思います。
社内には結構アレルギーもあったのですが、僧侶であった私は意外とすん
なり受け入れられたものです。
JALの改革には目覚ましいものがありますね、いろいろ批判もありますが、
批判する方々はこのアレルギー系の方々。
つまり権利は主張すれど、責任は取ってこられなかった方々でしょう。
そんな批判には世間は聞く耳を持たないのでは?

話しは逸れましたが、稲盛さんは若い僧侶に混じって修行されます。
会社や世間の地位や名誉は関係ありません。
その様な経験も大きかったと書かれていました。

そんなことも仏道に入ることで気付かされます。
いろんな意味がそこにはあるでしょう。
でも、僧侶の道に進まれるときは、やはり鎌倉時代までの日本に伝わる仏教
の道に進まれるのが良いように思います。
なぜならそこには無理がないから、そして連綿と受け継がれてきた伝統が
あるから。
その伝統を打ち破ることができるのも、その伝統があってこそです。
そしてその様な仏教には強制がない、あくまでも自分の道を進むためのも
の。
そう仏教は自分自身の道を歩んで行くための実践方法なのです。
決して何かを強制されるものではないということ。

浄土真宗の西本願寺はそのような方々にも広く門戸は開かれている。
いろんなカリキュラムが用意されているのです。
基幹運動推進員からビハーラ活動など多岐にわたっています。

そしてこれからの高齢化社会の当事者が、その新たな道筋を切り拓いて
行くことも大切ではないでしょうか。
経験している方にしか分からないことがある。

『無量寿経』にはこのような言葉も・・・
「その悲しみは、その悲しみを経験したものにしか癒せない・・・」と。


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浄土真宗の僧侶になるには?・・その八(記事訂正と学階)


28-2

浄土真宗の僧侶になるには?
をいろいろ書いてきましたが、内容に違う部分があると指摘がありました。
ちょっと勘違いをしてましたので、訂正を致します。
その部分は私が経験していない部分で、伝聞で書いてしまいました。

それは、教師教修を受けるための教師検定のことです。
私は安易に1週間くらいで取れますと書きましたが、実際にはこの教師検定は、
試験が最終の二日間。その前に事前講習が二週間あるそうです。
合計16日間の期間がかかることになります。
どちらにしても詳しくは西本願寺に聞くのがよさそうですね。
電話すれば教えてくれます、当然本願寺派僧侶なのですから。
教師検定なのでそのくらい当然と言えば当然ですが。

得度を受ける為の得度考査と違い、教師教修を受けるための教師検定は少し
厳しいですね。
その中でも、勤行はおそらく事前講習でやったくらいでは間に合わないと思い
ますよ、事前に練習は相当やられていた方がいいと思います。
あとは、やはり仕事をしながらではこれほどの休みを取ることはできませんね。
僧侶やいろいろな資格を取るのに、費用以外に期間がかかることもあります。
サラリーマンでは中々対応しずらいですね。
私もこれにはちょっと苦労しました。

私は、この教師検定と言う仕組みを教師を受けるまで知らなかったのです。
なので会社員時代は、教師の準備で中央仏教学院の通信教育を受講しました。
転勤族だったのと、仕事も忙しかったので1回目は途中で失効。
まあ僧侶にはならなくてもいいかと、でもまた気を取り直して東京本社に転勤
になったのを機に2回目の通信教育に挑戦。
この1回目と2回目で、教材はテープからCDに変更になっていました。
東京では、築地本願寺で、東京地区学習会が開催されていますので、他の
地区に比べると、とても恵まれています。
習礼もできるし情報も収集できますから。

そして通信教育の専修科が3年目に突入した頃、会社を退職することになり、
今度は中央仏教学院に入学、その春に3年目のスクーリングがあったので、
結局、中央仏教学院は学院本科と通信教育の専修科の両方の卒業生となる
ことになりました。
こんな人は私だけかも・・・、無駄って言えば無駄でした。

中央仏教学院卒業後に宗学院の別科に入学、と同時に夏は安居の専修科に
も行きました。
布教使になる伝道院は年齢制限が45歳なので、私は伝道院に行くことはでき
なかったので、布教使補に登録し試験を受けることに。
この布教使補研修で試験に1回で通ると言うことは難しく、講習も含めると約
一週間、費用は宿泊と交通費合わせて約10万円(遠ければもっと)。
是は是で結構大変だったりします。
普通で3回は受験しなければ通らない様です。
何事も京都なので、京都から遠いととにかく費用が掛かってしまいます。

宗学院別科は修了試験に合格すれば1年間ですみますが、ここは修了しても
何年も通われている方が多く、70歳代の方も結構いらっしゃいます。
ここを修了すれば学階を授与される殿試(でんし)を受けることができます。
また、安居専修科に二期行って試験に合格して修了しても殿試を受けること
ができます。
まあ鳥取からですから、宗学院までは1年以上通うのは金銭的にも時間的に
も厳しいので、私は1年で終了することにしました。
安居専修科もとりあえず二期を修了して、まあどちらの資格でも殿試を受ける
ことができました(安居は14日間)。
これもどちらか一つでいいのですが・・・。

殿試とは、学階を授与されるための試験です。
基本は浄土真宗の「安心論題」です。
この論題である17論題をすべて「題意」「出拠」「釈名」「義相」「結び」と全部
覚えなくてはなりません。
漢文を暗記するとか、意味を理解した上で、尚且つ同じようなものがあるので、
ちょっと面倒と言えば面倒です。
この殿試にパスすると、学階が授与されるのですが、私は一般からの試験で
すので、最初の「得業」と言う学階になります。
学階は「得業」「助教」「輔教」「司教」「勧学」の五段階。
このうち「司教」と「勧学」には、それなりのルートを通らないとなれないでしょう。
というのは「輔教」と「司教」は立場が所化と能化で、全く違うからです。

浄土真宗の僧侶になるには?・・その7(教師のあとは)

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浄土真宗本願寺派の寺院は全国に1万か寺。
その数以上の教師が存在するし、僧侶に至っては3万5千人くらいはいるので
はないでしょうか。
ですから僧侶になったり教師をとっても、そのこと自体でどうってことありません。
ただその方の意志によって可能性も無限大になります。

布教使資格を取るとか、勤式指導所にいって作法や勤行に精通するとか。
学階(がっかい)を取得して教義の道に進むとか。
後は自分の目指す道があれば、その方向に進むことができます。
ただ、これらの道に進むには、もう一段受験資格を得ることに時間がかかった
り、勤式指導所では約1年間京都近辺に暮らしていないと難しい。
定期的に西本願寺の朝の勤行の準備をしないといけないからです。
もちろん指導所にも通わなくてはなりませんし。
前・後期と分かれていて、成績が悪ければ希望しても後期には行けません。
ただこの勤式は後期に行かなくてはあまり意味がないので、真剣について行く
ことが必要になります。
声明が下手だったりすると微妙です、あとは雅楽の演奏も講義に入ってきます。
後期に行って修了しなければ特別法務員の資格がもらえませんし、再入学は
できないからです。要は前期で終わったらそれでお終い。
なので、中央仏教学院に1年間通ってから、勤式に行かれる方は多いです。
基本を習得していないと、勤式は難しいですから。
布教使の場合は、その受験資格は全寮制の伝道院に入って勉強するか、布教
使補に登録して、年数回の研修と試験を受けるかのどちらかになります。
こちらは試験システムが変更されることもあるので、西本願寺に確認すれば良
いですね。どちらにしろ、教師まで取られているということが前提なので、その
頃には十分に情報を得ることができていると思います。

学階は、浄土真宗の教義を勉強する場となります。
段階が五段階に分かれているので、先をめざすこともできますが、上位の二段
階は普通にやって行くのなら難しいでしょうね。
大学院を出て研究生となり、本山の勧学寮というところで研究員的な作業をし
ていることが前提となるでしょう。
外部から入るにはちょっと難しいのでしょうね、京都大学とか行かれてても、龍
谷大学の大学院に行くなどしておられると思います。
よほど時間とお金と研究熱心さがなければ・・・。
この学階を取得すれば、毎年7月に西本願寺で行われる安居に参加すること
ができます。
この期間は二週間ですが、毎朝7時から始まりますので、全国からホテルを予
約して皆さん来られています。
まあこれが楽しみという方もいらっしゃるようです、この安居では勧学の指示の
下に、参加者による問答(浄土真宗では、もんたつと読みます)が繰り広げられ
るのです。
要は、親鸞聖人の教義をどこまで究めているかが問われることになります。
皆さんは約一年間、次の出題テーマに沿って勉強してこられるので、何を聞か
れるか分からないのです。
問答で固まっておられる方も多々、ある意味厳しさもありますね。

以上の道を進むことができますが、別になくても僧侶としては全く問題ありませ
んね、忙しい僧侶の方はとてもそんな時間がありませんし、ある意味自己満足
的な面も多々ありますから。

浄土真宗の僧侶になるには?・・その6(中央仏教学院)

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私が会社を辞めたのが45歳、大手通信会社の本社で営業マネージャーを
していました。
退職して僧侶になると伝えたときはさすがに周りは驚きました。
年収も満足できるもので、会社までは徒歩12分くらいのマンションに住んで
いましたし、人事のラインも周りは自分の知っている上司が中心になってい
ました。
会社を辞めて、田舎の寺に帰るとおそらく年収は下手すれば1/3以下ににな
るだろうなとも・・・。

会社を辞めて寺に帰ると考えたときに、仏教の勉強は興味があったので独
学をしていましたが、一般人としては仏教の知識はあったでしょうが、僧侶
としては、はなはだ疑問。まして作法や勤行などは全く知りません。

そこで私は、京都にある本願寺派の僧侶養成機関である中央仏教学院に
行くことにしました。
他宗の人は、なぜ浄土真宗の学校が中央仏教という名前なの?
と思うこともあるそうですが、まあそれは先につけたからだけの話でしょう。

ここには高校卒業したばかりから定年退職された方まで、かなりの年齢幅
がありますが皆同じ講義になります。
お寺に関係なく僧侶になろうとされていらっしゃる方もいますが、メインは寺
のお子さんたち。
龍谷大学の卒業生も結構います、大学では仏教は学問なので、より実践
的な講義と勤行、作法を学びにやってきます。
外部から見たら、何じゃこりゃって言う様な感覚。こんなんで僧侶になるん
かい!といった雰囲気も。
私もさすがに最初は驚きましたが、中にはすごく真面目な方もいます。

ただ全員が浄土真宗に関係している人たちばかりなので、まあお寺関係
の方々にしてみると、こんな居心地のよい空間はないかも知れません。

私は年齢的にも一番少ない40代(いわゆる働き盛りなので)でしたし、目
的があるので、周りは関係なくできるだけ吸収して帰ろうと。
客観的に見ると、とても勉強できる環境にあります。
先ずは、その講師陣に素晴らしい先生が多いこと。またこの先生はほと
んどボランティア的に熱心な講義をされます。
一年間しっかり聞くとかなりの知識を得ることができますし、その講義資料
やノートは今でもそしてこれからも一生活用できます。
それくらいたくさんの情報が得られるのです、それもあらゆる方面の。
本願寺派では他宗派や釈尊の仏教についても学びますよ。
決して浄土真宗だけの勉強ではないので、そこも魅力ですね。
自分たちの研究だけでは、自分の立ち位置が確認できませんから。
あとは作法も真剣にやれば一通りマスターできますし、お経もしっかりやれ
ば既に普通の僧侶以上になります。
大学との違いはここでしょう、やはり僧侶は勤行で始まるわけですから。
とにかく思想的にも人間的にも偏った面のない、非常に熱心な講師陣が
いらっしゃることが特長ですね。

あとは、龍谷大学の図書館に、登録すれば通うことができるのも魅力。
私も一年間、西本願寺境内にある図書館に通い続けました。
仏教書は高いですし、絶版のものも多くいのですが、まあここには専門の
ものがそろっていますから、これを使わない手はないですね。
今や龍谷大学の規模は大きくなったので、仏教研究にも力をいれている
のが分かります。
やはり規模と予算も重要なので、このあたりがこれから他宗派と大きな
違いになってくるように感じます。
私は行ってませんが、龍谷学園グループは今や日本でも一大学園グル―
プになりました。規模的には仏教系・宗教系では他の追随を許さないと言
った感もあります。何しろ大学だけでも5つあるのですから。

中央仏教学院は寮もあり、作法・勤行をマスターするには寮がいいですね。
でも自由がきかないので、私は途中まで寮生活、その後は龍谷大学と学
院の間のアパートを借りました。

あとは課外活動で、雅楽クラブや勤式クラブもあって、こちらも東京で学べ
ばすごく高くつく市民講座ですが、これも魅力的です。
私のお勧めは、勤式クラブ(正式名称は忘れました)、本願寺派でもこの
先生しかいないと言われる声明の先生が教えてくれます。
これを教えて頂くだけでもここに来る価値があります、声明は僧侶の命で
すから。雅楽もお寺に帰ってから続けられるので、お勧めですね。
この二つのセットがあれば怖い者なしかも。
私は楽器が苦手なので雅楽に挑戦しましたが挫折。
そういえば、やっておくといいのが念珠編クラブ。結構本格的に教えてく
れるので、お寺に帰って役立ちます。
紐さえあれば、自分や檀家さんの念珠を修理できるし、子ども会・婦人会
ではとても人気のあるイベントですから。

内容は、本科が1年間、そして専修科が1年間。
合計2年間学べますし、別に本科だけでも十分でしょう。
お婿さんを募集の方も意外といらっしゃいますし、それ以外の僧侶の人脈
作りや、卒業後も先生とコンタクト取れるのが強みになります。

この様に、中央仏教学院は目的意識があれば非常に有効な学院です、と
ても自由でその気さえあれば徹底的に仏教と浄土真宗が学べます。
そう言えば、他宗派や奈良の大寺院の僧侶の方が結構龍谷大学で仏教
を学ぶ人も多いとか、学問に関しては仏教の内容が充実しているような。
これも大谷探検隊のDNAを受け継いでいるのでしょうか?

中央仏教学院に行くと、夏休みには得度できますし、3月には教師教修に
行くことができますし、もちろん事前考査はすべてパスできます。
1年間と言う時間とその費用があれば、ここに行けば、京都という空間と
仏教と浄土真宗と勤式作法と声明の基礎を身につけることができるのだ
作法も中仏を出ている僧侶は、どこでも立派なものです(勉強した人は)。
まあ来てもほとんど寝てる人や聞いてない学生も多いのですが・・・。
社会人出身で退職金で学費と生活費を出していた私としては、勿体ない
と感じたものです、これだけの先生に学べることはもうないのですが・・・。

浄土真宗の僧侶になるには・・・その五(教師になる)


11

得度を終えると次は教師です。

教師を取るには教師教修に行かなくてはなりません。
これは得度と同じように10日間の合宿があります。
また、申請費用や研修費用は得度のときとさほど変わりません。
もう僧侶になっておられる方なので、衣等も揃っていると思います。
合宿は得度のときより内容はもちろん厳しくなりますが、得度を経験している
ことと、似たような方もそれなりにいらっしゃるので、逆に情報交流の場にも
なります。

ただし、こちらも所属寺院の承認が前提と言うことになります。
でなければ申請を上げようがないので・・・。
得度と違って教師資格は住職になれることもあるので、寺院によっては認めな
いと言うことも十分に考えられます。

次に教師教修を受ける教師検定をパスしなくてはなりません。
得度と同じように、宗門関係の大学や仏教学院の課程を修了すると免除にな
りますが、時間と費用がとってもかかります。
仕事をしている方なら、そんな時間はありません。
そんなときは、中央仏教学院に通信教育があるので、その専修課程を修了し
ても免除されます。
ただしこちらの課程は3年間と長帳場ですね、それと年1回の1泊2日のスク
ーリングは必須です。

あともう一つ手段があります。
それは教師教修検定試験と言われるもので、運転免許の一発試験みたいな
ものでしょうか?
これには希望者には4日間程度の講習会がセットになっているので、講習会
を受けた後に受験することができます。
これなら一週間もかからずに済みます。
教師教修は教義もそうですが、実技がやはり難しくなるので、実技をみっちり
練習している方なら良いかと思います。
ただ普段の法要では滅多に勤めないものなので、CDを買って3か月間くらい
はしっかりと練習すれば良いかと。
ただ拍の取り方や律(音階のようなもの)が慣れていないと難しいのですが。
こちらの場合は、所属寺院が何をどうすればよいか教えてくれるでしょう。

とにかく教師教修を受けるには、おそらく上記のいづれかの方法を取るしか
ありません。
もちろん特別免除はありませんから、自分にできそうなものを選ぶのが良い
と思います。

教師を取れば、本願寺派では次の資格を目指すスタートラインに立てるので、
僧侶を目指すのであれば、是非この教師を前提にしておいた方がいいですね。

尚、東京では通信教育を受講している人向けに独自の勉強会を実施している
グループがあります。
私が行ったときは、秋から春にかけて日曜日に月3回程度実施していたと思い
ます。
会社員の方も来ていて、情報収集の場にはなると思います。
会場は築地本願寺ですので、東京の方は聞いて見られたら良いと思います。

まあとにかく宗門関係校を出ていなくて、一念発起して僧侶の道を目指すとな
ると、時間がかかるしお金もそれなりにかかります。
やはり僧侶の道も中途半端では厳しいものになります。

浄土真宗の僧侶になるには・・・その四(得度のあと)

5

得度の最後に頭を剃髪にし、本願寺でご門主よりお剃刀を受けます。
これでいよいよ、浄土真宗本願寺派の僧侶となることが決まります。
お剃刀(おかみそり)を受けるときは、親鸞聖人の故事にならい、夕方に
堂内をロウソクの灯りだけにして受けます。
それはそれで、得度習礼中の苦しみも忘れて、あらたな決意が生まれた
りします。
得度後は、晴れて僧侶の道を歩むわけですが、ここからの道は本当に千
差万別。寺に帰って僧侶となる人、また普通の生活に戻る人、どこかの寺
の衆徒となって法務に携わる人、等々。
僧侶になったからと言って、今の時代何も生活の保障はないですし、目的
が無ければ、自分が僧侶であると言った認識以外、何も以前と変わること
はありません。

ただ僧侶であることは事実なので、それにふさわしい言動に留意すること
が大切となります。
また、得度に行って僧侶の実態を多少感じると、逆に失望することがある
かも知れませんね、すべての僧侶が志があってきているわけではないで
すから。
西本願寺はビハーラ研修を始めとして、さまざまな研修会もあります。

浄土真宗は形がないので、入りやすい面がありますが、逆に形が無いの
で難しい面があります。それは特に僧侶となってからが、どの様な道を歩
むかで大きく変わってきます。
他宗は修行が厳しい分、修行後は逆に楽だったりすることがあると聞いた
ことがありますが、浄土真宗は教えを聞くことが第一なので、ご門徒さんが
とてもよく勉強していらっしゃいます。
僧侶でない分、教えに純粋でいらっしゃる場合が多いのです。
なので中途半端な知識では太刀打ちできませんし、逆に知識を前面に出
すと、相手にされないこともあるでしょう。
特に関西や北陸、広島や山口、福岡の方々はご熱心な方がいますから。
得度したくらいでは知識レベルはまだ1段階くらいのものです。
ここからが本当の勉強や努力が必要になってきます。修行は必要ないと
言っても、教えに近づく努力はしなくてはなりません。
そして自分の経験や自分の言葉でしゃべらないと、言葉は素通りして行き
ます。要は勉強と経験と志と、血と冷や汗をどれだけかいたか。
ただ、今までの僧侶にはない独自の視点であれば、それは面白いかも知
れません。

僧侶になろうと決意をされてから、龍谷大学や大学院、中央仏教学院、
大阪にある行信教校など、自分に合った勉学の場に進まれる方もいます。
ですから仕事を退職したり、途中で辞めたりして来られる方も。
僧侶資格を取って、葬祭会館の御用達となったりする方もいらっしゃいま
すが、これからの時代はもうそんな生活は待っていないでしょう。
葬祭会館と言えども、教えをちゃんと知っていて、遺族のケアができない
僧侶は淘汰されますし、それ以前に葬儀のあり方自体が変わってくるでし
ょう。今や全国の寺院は大きく変わろうとしています。
その中で本当に求められる僧侶とは、本物ということになると思います。

本物の僧侶とは定義が非常に難しいですが、その宗派の教義や作法に
精通していて、伝道布教力があり、さらには志もしくは社会経験が豊富。
もちろん社会常識があるということも、これからの僧侶には必要。
これは今までの僧侶は社会とかけ離れている人も多かったので。
まあ、ここまで言えば、今の僧侶にそんな人いるの?ってことですが、こ
れからの時代、僧侶になって食べて行こうと思うならそれくらいの覚悟が
必要の様な気がします、特に外部から僧侶を目指すなら。
こんな僧侶がいらっしゃれば、どこでも食べるのに苦労はしないでしょう。
若くて独身なら、お寺のお婿さん候補として十分な資質と言えるでしょう。
また、跡取りのいない寺院では養子の依頼があるかも知れません。
いろんな寺院より、その寺の衆徒(法務員)としての依頼もあります。
まあこれらには年齢がある程度若いということが必要かも知れませんが。
東京周辺では、都市開教が重点項目ですから、自らが新しい寺を作って
行くこともできるし、ネットなので新しい僧侶のスタイルを打ち出すことも
できるでしょう。
地方で実際に0から寺院を立ち上げて多くの人を惹きつけているお寺も
あるし、僧侶として様々な情報発信をしている方もいます。

もちろん僧侶になるからと言って、何かをしないといけないと言うわけで
はありません。自分の生活や精神的な支えとして、仏の道を歩むとい
う方もたくさんいらっしゃいます。
また仏教を勉強したいという純粋な気持ちの方もいらっしゃるでしょう。

浄土真宗本願寺派には、得度の後には教師と言う資格があります。
教師を取れば、望めば教義を修める「学階」の道に進むこともできますし、
これにはたくさんの段階が用意されています。
伝道布教には布教使という資格、勤行や作法には勤式という場所が用意
されていて、前期・後期を終了すると特別法務員資格が与えられます。
本願寺で勤行するには、この特別法務員資格が必要。
そこで学べば、それぞれの資格が与えられますが、そこに至る時間と費用
は並大抵ではありません。
私は会社を辞めてから4年の歳月と退職金をかなり注ぎ込みました・・・。
金額は総額で300~400万円くらいかなあ?これには寮費やその研修期
間の生活費、交通費や申請料や京都のホテル代や書籍代も含めてですが。
これは、中央仏教学院、教師、宗学院別科、安居専修科二期、布教使、
学階の取得までですし、期間中には他の事をしながらの期間も含まれます。
それでも、まだまだだなあと日々苦悶の連続です。
でも全国の住職や僧侶がそれを持っているかと言うと、逆にほとんどの僧
侶はそこまで持っていると言うことはありませんのでご安心を。
資格によって違いますが、それぞれ全僧侶の5%~10%くらい。
因みに、お寺の住職は、取あえず教師と言う資格があれば就任すること
ができます。
資格があっても何も保障されませんが、それだけ先があるということです。

なので、興味と時間があれば先は尽きることなく続きます。
それは人生が何度あっても足りないくらいかなあ?
浄土に行けば、そこでは今でも阿弥陀如来が法を説いておられると経典
には書いてありますから、それはこの世が終わっても尽きることなく・・・。

浄土真宗の僧侶になるには・・・その3(得度・とくど)

22

浄土真宗本願寺派の組織は、本山である西本願寺の下に、本山直轄の
教務所が全国各地にあります。
教務所が教区と言われるエリアを管理しているイメージ、会社で言えば、
支社と言った感じでしょうか。その教区の中にそれぞれ組(そ)と呼ばれる
エリアがあり、組はそのエリアにある寺院によって構成されています。

寺院は元々、それぞれが独立した宗教法人であり、自分たちの意志でそ
れぞれの本山に所属しているのです。
江戸時代までは檀家制度の下で、必ずどこかに所属する必要がありまし
たが、現在では本山から離れ単立となる寺院も少なくありません。

とにかく僧侶になろうと決意し、得度を受けるためには、寺院⇒組⇒教務
所⇒本山と申請を上げてもらわなければなりません。
なので所属寺院を先ず決める必要があるのですが、どうやって所属寺院
を探すかと言うと、それぞれのやり方ですね。
たとえば自分が浄土真宗であれば、自分のお寺に聞くのが手っ取り早い。
あとは寺院や宗派が開催している行事に行って縁をつなぐ。
あとは教務所に聞いて、対応してくれる寺院を教えてもらう等々。今はネッ
トがあるので、気に入った寺院を自分で探して直接聞いてみることもでき
ます。東京なら築地本願寺(東京別院)、大阪なら北御堂(大阪別院)にあ
ります。
極端ですが、お婿さんを探しているお寺があれば、そこのお寺のお婿さん
になれば、自然にその道は拓けますが・。宗派によってはそんな縁を取り
持つこともあったりします。
ただ寺院側も、所属する僧侶の責任を問われるし、所属する僧侶の冥加
金(みょうがきん)を本山に毎年納めなくてはならないので、誰でも受け付
けてくれるわけではありません、心構えと素性、目的が分からなければ、
とても承認はしてくれないと思います。
ただ注意することは、本山への冥加金の他に、その寺独自で費用が必要
な場合があるかも知れませんので、事前に十分注意をしておくことです。

所属寺が決まれば、その寺院の住職があとはいろいろ教えてくれるでしょ
うが、得度するためには、先ず得度考査を受けなくてはなりません。
これは得度をする条件に合うかどうかですが、先ず第一に宗門校の大学
や中央仏教学院に行って所定の講義を受講すれば、この考査は免除され
ます。中央仏教学院には通信教育もあるので、それも一つの方法です。
東京や広島にも本願寺派の仏教学院がありますから、そこでもOK。
あとは所属する寺院で基礎知識を教えてもらい、教務所に直接行って考
査を受けることもできます。この場合、寺院からの承認があるのでほぼ合
格するようです。

得度考査をパスすればいよいよ得度ですが、その得度用の衣や念珠など
を一通りそろえなくてはなりません。これは一からそろえると10万~20万
円かかります。そして得度の申請や受講に20万~30万円必要になります
から、とりあえず50万円くらいの費用がかかると思っていた方がよいです。
もちろん得度の会場は京都にしかありませんので、交通費や前後の宿泊
費は別途必要になります。
得度の期間は11日間、完全に合宿で朝5時半までに起床、正座も一日数
時間はする覚悟で。スリムな方が膝への負担は減ります。
男性は剃髪、女性は茶髪はダメ、あくまでも僧侶になるためのものですか
ら、その心構えが大切でしょう。
ただ事情により正座ができない方や髪の色が元々茶の方なら、事前確認
をしておけば大丈夫です。
浄土真宗といえども得度で剃髪を拒否する様な方は、元々得度を受けな
い方がよいかと思います。

得度期間中、外にも出れませんし携帯ももちろん不可、途中棄権は無効
になり、最初からもう一度受けなおす必要があるので、お金がかかります。
インフルエンザでの途中棄権もそうです。
なので、体調管理を十分にして自分に合った時期を選ぶのも大切です。
他の宗派に比べると、浄土真宗は格段に期間が短いと思いますし、入り
易いと感じる面が多々あると思います。
ただ、浄土真宗の場合は僧侶になってからが本当の修行とも言われます
ので、入り易いかどうかではなく、自分の目指す道かどうかが重要かなと。

親鸞聖人が得度されたときに詠まれたとされる歌は・・・
「明日あると おもう心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
九歳(数え)のときの歌と言われています。

仏法に明日と言うことはない、今なのだということ・・・。

浄土真宗の僧侶になるには・・・その二。(所属寺を決める)

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さすがに、まだ寺に戻る気はないけど、僧侶にはなっておかな
いと、と言う気持ちにはなりました。
多分よくは分からないけど、多分僧侶になるには得度を受ける
となれるのでは・・・?

そのときは本当にどうすれば良いか分からなかったのですが、
さすがに今では、どうすれば良いかある程度分かります。

【浄土真宗本願寺派の僧侶になるには!・・・の第一歩】
先ず、得度を受けて本願寺派の僧籍に入ること。
僧籍に入れば、取あえず僧侶としての肩書は付きます。
つまり、法事やお参りに行っても偽坊主ではないってこと。

では、どうすれば得度を受けられるか?
それには先ず、自分が僧侶として所属することになる本願寺派
の寺院に承認してもらわなくてはなりません。
基本的には本願寺派に所属している寺院であれば、どこでも
大丈夫ですが、これが無くては得度はできないのです。
私はとりあえず実家がお寺なので、この問題はありませんでし
たが、もし何も無い状態ならある意味ここが一番難しいかも知
れませんね。
そして僧侶になった後、自分が目指す道がもしあるのなら、こ
こで安易に流されると、その後の道が開けない場合があります。

僧侶になるだけならいいのですが、その後の道を進むために
は、まだまだ先の段階があるのです。
寺によっては、得度以上受け付けないってことも普通にありま
すし、一度その寺に所属すると住職の許可なく他の寺院へ所
属を変わることができません。
実際、この問題で苦しんでいる僧侶の方を知っています。
たとえば、いつか住職になりたいとか、布教使として名をなした
いとか。でも僧籍に入っただけでは、この様な職種につくことは
できないのです。
その為には教師と言う資格を持っておかなくてはなりませんが、
教師資格は条件が整えば住職になることができる資格でもあ
ります。
なので、寺の家族以外は教師資格を取らせないという事もある
し、得度もそうですが教師はさらに寺役員の方々が認めないと
いけないという事があります。
この点で、まあできるだけ対応して頂けるお寺がいいでしょうね。
なので、僧侶になろうとする方がいらっしゃれば、自分の目的
や目標を将来に渡って考えておくことが必要になります。
最初は僧侶になるだけでもいいと思っていても、歳を重ねたと
きとか、周りの僧侶と話をしていると、いろいろな事に挑戦して
みたくなるので、よーく考えましょう。
つまり僧侶になるだけでいいなら、得度を受け僧籍に入るまで。
そこからいろんな資格を取ったり、次に目指すものがあるなら
教師資格を取らなくてはならない。
つまり、本願寺派では教師になることが僧侶としてのプラット
ホームのようなものです。プラットホームに乗らなければ、次の
段階への列車に乗ることはできません。
たとえば寺の住職、布教使、本願寺で働く衣を着た職員。
この様な方はすべて教師資格を持っておられます。

とりあえず今回は、僧侶になろうと思ったときのことまで・・・。

浄土真宗の僧侶になるには・・・その一。

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浄土真宗は修行が無いから入りやすい。
僧侶にもなりやすいって、時々聞くことがあります。

でも僧侶になるには、どうしたらいいの?
お寺に生まれていない方は、どうしたらいいのか分からない
のでは・・・?
そこで「浄土真宗の僧侶になるには」ということを何回かに分
けてお伝えしようと思います。

私は、お寺に生まれましたが二男だったことから、お経も称えず
教えも聞かずに育ちました。
知っていることと言えば、お寺が浄土真宗だと言うことと、親鸞
聖人の名前くらいのものでした。
今から思えば、逆に不思議なくらい何も知らないでいました。
門前の小僧と言いますが、誰でもと言う訳ではないのですよ。

では浄土真宗で僧侶になるには、どうすればいいのか?
実は、お寺の子弟の場合、生まれてからある程度レールが敷か
れているので、あまり意識していないのではないかと感じます。
知らない内に、当たり前の様にそうなるものと・・・発心もなく。
本願寺派には宗門校があって、大学は龍谷大学がありますね。
その他、京都女子大学・相愛大学・武蔵野大学なども宗門校で
すが、そこに行けば僧侶となる資格考査を免除されるコースを
受講できると思います、たとえば教員コースのような。
でも簡単に見えるようで僧侶の道は、実は結構奥が深いのです。

私の場合、寺を継がせようと言う親の意志もなく、私も一般の
大学に進み会社に就職しました。
あるとき実家に帰ったとき、お寺の総代さんが私に「寺に戻って
欲しい」と言われたのです。
兄が寺を継ぐ気が無いのだと・・・。
もう30歳を過ぎていたと思います。
そのときは、それほど真剣に考えていませんでした。
お経も読んだことが無く、知識もなく、宗門校にも行っていない、
ましてサラリーマンだし。

後に僧侶となる習礼を受けに行ったとき、浄土真宗の方々なら
誰でも知っているであろう、『正信偈』という存在を初めて知った
くらいなのです。
このときは、さすがに周りの方から驚かれました。
そのときの言葉は「そんなんでよくここに来れたなあ!」。
そのときは何も知らないので、恥ずかしいと言う感覚さえありま
せんでした、「へえ、そうなの」。
何しろ『正信偈』とは浄土真宗で一番称えられるものですから。
檀家さんでも毎日称えられる方も多いのです。
要は全く何も知らない状態という事です。
『浄土三部経』という存在も、そのときはじめて知りました。

私は、僧侶には寺に生まれたら適当になれるもの、住職も時
が来れば、継げるもの程度にしか考えていませんでした。
まして浄土真宗だし!なんか感覚的に楽そうって感じ。

でもいざとなると、周りに僧侶の友人もいないし、僧侶のなり方
を教えてくれる人もいないし。
私は、住職の父の姿がとにかく嫌いでしたから、父に聞くなどと
は全く考えてもいませんでした。
会社で仏教や寺の話をしようもんなら、こいつには気をつけろ!
と言った様な風潮もあったと思います。
無宗教であることが、一番安心って感覚の時代ですね。
時は高度成長期の真っただ中、バブルも弾けようかとしていた
時代。
約20年前、寺院も僧侶もあまり考えなくても、一番儲かってい
た頃かも知れません。

それからは、その総代さんの言葉が僕の頭の中から離れない
様になりました。

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