宿坊光澤寺日記・・ひとりばなしのつづき。

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

歎異抄に聞く

『歎異抄』第十条・・・「念仏は義なきを義とす」。

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「念仏は義なきを義とす」

歎異抄の第十条はこう始まっています。
第九条までは、弟子である唯円が聖人のおそばで見聞きしたことを
書き記されている。

聖人がいらっしゃったときには、信をひとつにし、思いを浄土によせて
いらした人々。
イザとなれば、親鸞聖人にお伺いすることができた。

「そもそもかの御在生のむかし、おなじくこころざしをして、
あゆみ遼遠の洛陽にはげまし、信をひとつにして心を当来の報土に
かけしともがらは、同時に御意趣をうけたまわりしかども・・云々」
という一節からも読み取れる。

ただ近来は念仏を申される人々が多くなりましたが、その中には聖人
のみ教えではない、異議を唱えておられる人がいらっしゃると聞く。
それらの異議を一つ一つ、これから詳しく述べて参りましょう。

『歎異抄』は第一条から第九条までは、親鸞聖人のお姿やみ教えを、
その近くで見聞きされた唯円房が、できるだけ忠実に記している。
つまり、私がうかがった親鸞聖人はこうでしたよ、と伝えているのです。

そして第十条からが、『歎異抄』の本題に入るのです。
つまり『歎異抄』とは、親鸞聖人のみ教えとは違うこと、つまり異議を
歎き、正しいみ教えを伝えようとする唯円の心の書なのです。

やはり親鸞聖人のお近くに長年付き添われていた唯円だからこそ
記すことができた、もしくは記さざるを得なかった書であるでしょう。

そして第九条までのお話しと、これからは私が親鸞聖人から伺った
み教えと、世間でとなえられる異議とを、一つ一つ正して行こうとさ
れるのです。
それが第十条なのでしょう。

「念仏は無疑をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと
仰せ候ひき。」

念仏は疑なきを義とす、それは阿弥陀如来のはからいは、不可称
不可説不可思議であるのだから・・・。」

他力の念仏は、自らのはからいなきことをその教えとする。
なぜなら念仏とは、私たちのはからいを超えたものであり、たとえる
ことも、説くことも、思い尽くすこともできないから・・・。

そう親鸞聖人は仰られている。

人は、目に見えるもの、実体がある様に思っているもの、自分が想像
できるもの、それにしがみついているのでしょう。
でも、阿弥陀如来の絶対他力の念仏は、そのような自力の思いをはる
かに超えたものであるということ。
私たちの考え得ることでは、そのいのちを見守ってゆくことはできない
でしょう。
自力には限界がある、だから私たちが頼りにするのは、他力の教え
なんだということでしょう。
だから宗教があり、仏教があり、浄土真宗がある。

私たちには、そのいのちを見守り導く存在が必要であり、その存在を
知ることで、すくわれていくいのちがあるのです。


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唯円と阿難の存在・・・『歎異抄』第九条におもう。

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「念仏を申せども、心から湧き上がる様な喜びを感じることもありませ
ん、まして、急いで浄土に往生したいという心にもなりません。この様
なことはどの様に考えたら良いのでしょうか。」

そう唯円は親鸞聖人にお尋ねになる。

文面からみると、切羽詰まった感じの思いではない。
たとえば第二条の関東の門弟のように、決死の覚悟ではない。

み教えは師である親鸞聖人の間近でいつも聞いている。
言われていることもある程度分かる、でも心からそう願っている訳では
なさそうだということでしょう。

 親鸞聖人も、弟子である唯円に厳しくあたることもありません。
私もそなた(唯円房)と同じじゃ、そう仰られている。
まあそれも煩悩のなせる業、それこそ煩悩具足の凡夫なればこそ。
ならば、いよいよ阿弥陀如来の大悲は、その様な私のためであると思え
ることです。
 と言った感じになるのでしょうか。

 「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれ
ざる安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候
ふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしておは
るときに、かの土へまゐるべきなり。」
という親鸞聖人のお言葉を引いておられます。

何となく、親鸞聖人と唯円の関係は、お釈迦様と阿難の関係にも似てい
るのかなと思ったり。
他の弟子には、教えをしっかり伝える。でも阿難にはお釈迦様は優しい
のだ。
結構、阿難のわがままも聞いておられる。

今回の唯円の問いに対しても、穏やかに応えられている。
まあ心配せずとも好い、そんな感じ。
だからこそ、弥陀の大悲の願いは頼もしく、揺るぎないと言うことを、ゆっ
くり説かれているのです。
さぞや唯円も安心されたでしょう。 だからこそ、この『歎異抄』を書くことが
できた。

ここで仮に、親鸞聖人が叱っていたなら、唯円はこの『歎異抄』を書くこと
を後にためらわれたかも知れない。
思う存分に、親鸞聖人のみ教えを聞くことができたのでしょう、それも素直
に。

阿難も、釈尊の弟子の中では、悟るのが遅かった。
でも、釈尊の入滅後、経典の編纂には阿難の存在がなくてはならなかった
のです。 どちらも、仏教や浄土真宗の教えを伝えて行く上で、欠かせない
存在となられている。

素朴な質問、それは一般民衆の思いの代弁者であるかのようです。
でも、仏教の意味は、その一般民衆のすくいにあるのですから、なくてはな
らない存在なのですね。

釈尊が弟子に教えを説く、それは人々への伝道のため。少しでも多くの人々
へ、という信念だと思います。
だから、お釈迦様は弟子を一人で伝道に行かせたのでしょう。 救いを必要
としている人々にその教えを届けるために。


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天と地獄・・・南無阿弥陀仏は。

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人は六道を輪廻するといわれる。

六道とは、「地獄」・「餓鬼」・「畜生」・「修羅」・「人」・「天」のこと。
これは、すべて迷いの道といわれる。

仏教は、この迷いの道からの解脱を説く教えでもある。
要は、いわれのない迷信や、とらわれからの心の解放を説く。

仏教では、この六道の「天」も迷いの場所なのです。
天の最上位を、「有頂天」といいます。
有頂天になっていると、地獄にまっさかさまに落ちるよ、とも言われますね。
私たち人間も、調子がいいとすぐに有頂天になります。

有頂天に昇っても、さらにまだ上があるように思う。
もしくは自分こそがすべてだ、と感じてしまう心が生まれるのです。

そして「地獄」がある。
地獄に仏のたとえもありますが、阿弥陀如来が法蔵菩薩という、修行の身
であったときに、衆生を救うために願いを立てる。
その願いを「四十八願」といいますが、その四十八願の最初、一番目の願
には、私が極楽という浄土を建てたなら、その浄土には「地獄」・「餓鬼」「畜生」
という世界はないのだ、と宣言されるのです。

たとえ私が迷いの身であり、とてもそこから抜け出せるようなものは、何一つ
ない。でも、そんな私に阿弥陀如来の願いが立てられていたのだということ。

『歎異抄』にはこのようにあります。
親鸞聖人のお言葉を、弟子の唯円が記したことば。
「たとえ法然上人に私がダマされて、念仏して地獄に堕ちたとしても、決して
後悔などしない・・・。」
さらに続いて、「(自力の道ならば)いづれの行も及ばない私と言うものは、どう
あっても、間違いなく地獄にしか行けない身なのだ。」

と仰っておられる。
これは、阿弥陀如来の誓願(本願)を信じ、往生させていただく、他力の道を
進まれる決意の表白であるように思います。
そこには、けっして地獄に行くことなどないという、真実の教えがあるからで
しょう。

では、私たちが称える『南無阿弥陀仏』の念仏はどういうはたらきがあるので
しょう。

ひとつには、「有頂天」なった自分に、謙虚さを取り戻させるはたらき。
もうひとつには、「地獄」にしか行けないわが身であっても、間違いなくそこに、
阿弥陀如来の大悲の光は届けられるということ。

調子の良いときに、その心に謙虚さを。
そして、不遇な時であっても、私に生きる力を与えるもの。

それが、念仏のはたらきではないかと感じます。
もちろん、念仏にはたくさんの意味が込められている。

ただ、私を迷いの道から救いだし、私に生きる勇気を与え、心に安心をもた
らし、いのちの尊さに気づくことを教える。
そして、私にいつも「かたじけなさ」という謙虚さと、「ありがたい」という感謝の
こころをを与えるもの。

その思いは、どなたにも平等に与えられるものです。
そのことに気づくとき、その気づきは、私への導きであったと感じる。
そのときにこそ、阿弥陀如来のはたらきである、他力に出遇うのです。

阿弥陀如来のはたらきであるからこそ、「絶対他力」なのです。
私の側、人間の側には絶対と言えるものはない。

私の力の及ばぬところ、「死」というものに対しては、絶対でなくてはなりませ
んね。

合掌


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『歎異抄』に聞く・・・第八条、念仏は自らのはからいにあらず。

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『歎異抄』第八条はみじかい。

「念仏は行者のために非行・非善なり。」
つきつめると、このことだけが説かれている。

「念仏は、それを称える者にとって、行でもない、善でもない。」
シンプルで、念仏を称えるという行為の意味を簡潔に言いあらわしている。
もちろん、全方面からではなく、行者の側の意味においてであります。

通常は、功徳を衆生の側から回向すると言う感覚がある。
もしくは、善行を自らの功徳として、往生の助けとするとか・・・。
供養ということも、私が先祖を供養するという意味合いになるのでしょうか。
でも、第八条は、一切その様なことを否定するのです。

あまりにも、簡単に言い切るところに、この第八条の意味はあるのでしょう。
中途半端な教えや、私がそれでもと思う心の思いを断ち切るのだ。

念仏は自らのはからいにあらず。

ただ、阿弥陀仏の本願のはたらきのみ。
自力を離れるからこそ、行者にとっては、行でもなく善でもない。

親鸞聖人の著作に、『教行信証』というご書物がある。
ここには行という文字がつかわれている。

では、この行は何か、これは衆生の側の行を言っているのではありません。
これは阿弥陀如来が成就された行なのである。

だからこそ他力であり、他力であるからこそ絶対なのです。
なぜかというと、私という人間に絶対などあり得ない。
私の功徳が役に立つほど、私にはその様な力などない。
その思いも、いつも一緒ではない。
もし私の功徳なり行であったならば、これほどいい加減なものはないのです。
それだと本当に救われるかどうかなんて、不安でしょうがないのです。
そして念仏にもきりがなくなる。
1回なのか百回なのか、百万遍なのか。
ここが自力の限界です。

この第八条は、きっぱり言い切られているだけに、もはや反論の余地を
残さない。

あとは、信じるも信じないも、あなた次第なのですね。

念仏者は無碍の一道なり・・・『歎異抄』第七条に聞く。

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『歎異抄』第七条にはこのようにあります。

「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、
天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感じることもあたわず、諸善もおよぶことなくゆえに云々。」

ここでは、「念仏者は無碍の一道なり。」のひとことに尽きる。

この道を迷わず進めということであろうか。
その道は、何者によってもさえぎられることはない。

南无阿彌陀佛に出遇ったならば、迷わずにその道を進むが良い。
その道を歩むものには、天の神も地の神も、魔界のものも、違う道を歩む
ものも、すべてが敬い、ひれ伏すであろう。

今のあなたのままで、その道を歩むことができる。
何もおそれる必要などないのです。
いくら迷いの中にある存在で、とてもそこから抜け出すことがでいない様な
わが身であっても、仏に向かって一直線の道がある。

その道を歩むものは、何にも邪魔をされることはない、他の道に迷うことも
ない。

疑いなく、迷わず進んで行けばよい。

何とも大胆な、言葉であると思う。
そして念仏の道を歩むものに、これ以上の勇気を与える言葉は無い。

それは自分自身の決意でもなく、力でもない。
そう私が呼びかけられているのです、だからこそ心強い。

自分の宣言なら、何と傲慢な態度かと思うかもしれない。
でも、これは呼び声なのですね。

さあ、歩いて行こうではないか。
今のあなたのままで・・・。


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親鸞は弟子一人ももたず候ふ・・・。

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これは『歎異抄』第六条で説かれている言葉です。

この、「弟子一人ももたず候ふ」という言葉は、親鸞聖人の立ち位置を、よく
顕しているのかも知れません。

親鸞聖人には、関東を中心に多くの門弟がおられたのは事実。

ただ、ここではあくまでも、他力信心であるから、自らのはからいにあらずと

言うことでしょう。

念仏者は、あくまでも阿弥陀如来のはからいによってのみ、その道を歩む。
仏弟子であって、誰かの弟子ということはないのだ。

法然門下で論争となった、法然上人の信心も、我が信心も同じと説かれた
意味にもつながって行くのでしょう。

あくまでも、阿弥陀如来より賜ったものであるならば、その信心に差はない。
そう親鸞聖人は主張される。

他の兄弟子は、とんでもないということになる。

この辺りが、自力と他力の境目なのかも知れません。

つまり、念仏を我がものにしてはいけないのだ、そして自らの功徳に代えては
いけないと。
法然上人も、おそらく同じ考えだったでしょう。

ただ、そこは自力の仏教から抜け切れなかった、兄弟子たちには理解し難い
ところ。
それが、浄土宗と浄土真宗の違いにもなってくるところでしょう。

いくら教えを聞いても、その一線には壁がある。
その壁を取り払わないと、他力の道には進みにくいのかな。


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歎異抄に聞く・・其12 第五条「父母の孝養のためとて・・」

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親鸞聖人は、父母の孝養のために、一返でも念仏をしたことはない。

そう仰っている。

ここで言う「父母の孝養のため」とは、追善供養と言われています。

浄土真宗では、追善供養はしない、とよく言われる。
この文章をもって、そう言われているのではないと思いますが。

この文章で始まるので、じゃあ浄土真宗は、供養しないのか。
じゃあ浄土真宗の法事は一体何のために勤めるのか。
それじゃあ、法事をする意味がないじゃないか。

そんなこと、よく聞きます。

でもよくよく見てみると、ここでは供養のことを語っているのではありません。
何を語っているかと言えば、ただ「念仏」のことなのです。

念仏の意味をあらためて問うているのだと分ります。
それを供養とごちゃ混ぜにするから、ややこしくなります。

私の称える「念仏」は、その様なものではないと仰っている。
ごもっともなことでしょう。

「念仏」とは呼び声である。
それは誰の?

それは「弥陀の呼び声」である。
それが、亡き父母のご縁によって、私に届けられている。
そのことに私が気づいたなら、気づかせていただいたなら、それは私の
功徳である追善供養ではないのでしょう。

亡き父母が仏となられる意味が、そこにあるのではないでしょうか。
見守られ、導かれ、すくわれていく、私の姿がそこにある。

仏となったなら、迷いの世界で苦しんでいる、有縁の方々を自由自在に
すくうことができるのだと。

私の側に、善を積み功徳とする力など、当てにならないのだと。
ならば、すべてお任せしてみたらよい。
すると、そこにあらたな心が生まれてくる。

迷いの中にいる自分、必死にもがいている自分、傲慢な自分。
そんな自分が、感謝をする自分になる。

そんな気づきがあったなら、生き方が違ってくると言うのでしょう。
こころが変われば生き方も変わってくる。

自力で調子に乗っていた自分や、自力でもがいていた自分。
その自分が、周りに支えられていたことに気づく。

そして自力から他力へと、変換して行くのでしょう。

易行道へは、最初は簡単には割り切れない。
そんな方々のために・・・。

「念仏」とはそういうものなのだ、と言うことです。

ここでは、唯円は「念仏」の意義をただしているのです。

供養はしますよ、浄土真宗でも。
当たり前です。
でも、その意味を、ちゃんと問うてくださいね、そんなことかな。

歎異抄に聞く・・其10  慈悲にかわりめあり。

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                              (五月の夕陽)
歎異抄の第四条においては、慈悲の違いを顕かにする。

その慈悲には、聖道と浄土の慈悲があると言う。
聖道とは、自力の世界であり、浄土とは他力の世界である。

ここでは、聖道の慈悲を小悲とし、浄土の慈悲を大悲としている。
小悲だから尊くないと言っているのではない。

あくまでも、小悲は、この世で私たちが思う慈悲なのです。
でも大悲は、生死の境を超えたところにある慈悲なのだ。

この世で、いくら愛おしいとか、不憫であるとか感じたとしても、思い通りに
助けるということは、中々かなわない。

だから何もしなくても良いと言う訳ではありません、ただ自分のできることを
すればよいのです。
たとえ、それが適わなかったとしても、致し方ないこと。
だからと言って、自力が悪いわけではありません。
ただ、いつも自力には限界があると言うことを、知っておくことです。

浄土の慈悲には、限界がない。
だからこそ、衆生を思うとおりに、利益することができるのです。
だから、この慈悲を大悲という。

「聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども
おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。」

ここの一節は、私たちの現実の世界のことを語っている。
だから悲しみなのだ、これだけで終わるなら、私たちへのすくいにならない。

「浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、
おほふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。」

ここに、私たちの本当のすくいが完結するのです。
それが、仏のこころであり、私たちが仏とならせていただく本当の意味なの
でしょう。

仏となることが、私の利益、つまり自利。
そして、仏となって、有情の方々を思うがごとく利益する、これが利他。
ここに浄土の、自利と利他が円満となる。

この境地のことを、この四条では、語られている。

ちなみに、ヴィッパサナー瞑想に通じる、慈悲の瞑想は、このことを願う
瞑想ですね。
非常に良く似た感覚です。

もちろん瞑想なので、それが直接すくいになる訳ではありません。
ただ、この現実世界の中で、自分の心を綺麗にして行くことができます。

これは、すなわち念仏に通じる道でもあります。
そんなことを、この四条からも感じる。

親鸞聖人の教えを、他の仏教的思想から見れば、本当に共通点があるのと、
理解の手助けになります。

たとえば、中観・唯識、そして初期仏教。
ここに非常に近い、逆に日本の大乗諸派とは、一線を画す様にも思う。
その中道・平等性・縁起など。
そこには、自らのはからいなどないのです。

これは、親鸞聖人のお考えが、釈尊や仏教本来の持つ意味に、非常に近い
からでしょう。
やはり、その教えは大乗の至極なのでしょうか。

歎異抄に聞く・・其9  「第三条」の条文は。

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<第三条>
善人なおもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねに
いはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。この条、一旦その
いはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。
そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたる
あひだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、
真実報土の往生をとぐるなり。
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべから
ざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、
他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。
                            「浄土真宗註釈版聖典」

この三条を読むと、一見難しいことは書いていない様に思う。
ただ、これが「悪人正機」という表現になると、俄然注目をあびるのです。
浄土真宗的には、ただ普通のことが書いてあるようにしか見えないが。

単純に見ると、煩悩具足の身である私と言う存在は、どの様な行をしよ
うが、悟りをひらくことはできない身である。
その他力をたのむしかない私自身が悪人であり、弥陀の本願が立てられ
た訳は、その悪人こそが目当てであるということなのです。

つまり弥陀の本願が立てられた理由を聞き開き、自分自身を省みたなら
ば、おのずと言わんとしていることが、分かるのではないか。

要は、他力信心をただ説いただけの様に、思えるのですが。
ならば、「悪人正機」の悪人というのは、ただ本願に誓われた、十方衆生。
つまり、私たち、ひいては私のこと。

そう思えるかどうかだけの様に思います。

ただ、そう素直に思えない人が多いのでしょうか。
現代社会の闇が広がる理由は、そのあたりにあるのかも知れません。
自力と自己中心、そして自己責任。

結局逃げ場のない世界。
そして、自分こそは善人であるという自覚における、無自覚さでしょうか。

歎異抄に聞く・・其8 「悪人正機」のつづき。

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自分は悪人ではない、世の中にはもっとひどい悪人がいる。
そう感じた瞬間に、この悪人こそがすくわれる、という言葉に疑問を感じる。

でも、もしかして、その瞬間に自分が悪人だったとしたらどうなるでしょう。
悪人の判断基準は、自分にしかないものなのです。

周りがどんなに悪人だと思っていても、自分が悪人と思っていなければ、
その人は悪人でなくなってしまう。

悪人は、重大犯罪を犯した人。
善人は、自分。
では、なぜ善人である私より、悪人の方がすくわれるのか?

そんな感覚が、この第三条を取巻いているのかもしれない。

そんな判断基準ではない。

ただ、この浄土真宗のすくいも、人によっていろいろと解釈される。

因果にはいろいろある。
最後には、自力では解決できないことが、待ち受けている。
それは、どなたも同じである。

決して、自分の力だけでは、どうしようもないこともある。
誰もが、そうしたくて、そうなったばかりではない。
すべてのものが、関わりあって、今がある。
そして、あなたという存在があるのだ。

あなたのそのいのちを、誰に預けるのか。
そんなことを、この悪人正機では説いているのではないか。

念仏に込められた思いであると。

自分の力に頼るとき、そこには自己中心の自分がいる。
人間である以上、自己中心である。
では、すべてがそうかと言えば、それは違う。

そこには阿弥陀如来の願いがある。
その願いの意味は一体何なのか。
誰のための願いなのか。
そして、なぜその願いが立てられたのか。

救いとはいったいなんなのか、そのことを問う。

それは自力ではたどり着けない境地であろう。

脳の回路の転換を行うのだ。
一般的な常識をくつがえす、常識にとらわれた心を解き放つ。

宗教とは、脳の回路を作って行くことでもある。
というより、眠った脳の回路をつなぐ作業か。

でも、それが良い回路ばかりではないとうこともある。

それは「面々の御はからひなりと云々」なのだ。

ただそこには、こうも記されている。
「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の教説虚言なるべからず」と。

歎異抄に聞く・・其7 いはんや悪人をや「悪人正機」。

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                                  (京都 六角堂)
善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、
「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。

第三条の始めの言葉である。

『歎異抄』を歎異抄ならしめているともいえる、とても有名な一節である。
親鸞聖人はもとより、唯円を知らなくても、この言葉だけは聞いたことがある、
という方が多いのではないか。

浄土真宗の教えの三本柱をとなえる学者がいる。
その三本柱とは、他力本願、悪人正機、往生浄土であるとする。
これが適切かどうかは、私には分りませんが・・。

この一節は、まさにこの、悪人正機を具現化する言葉として、使われるのです。
ただし、『歎異抄』にも、親鸞聖人の言葉にも、悪人正機という直接的な表現は
ない。

いわゆる、世の中の常識をひっくり返す、そんな言葉である。
それが現代において、親鸞聖人の魅力をより引き出しているのか。

この第三条にも、この様な一節がある。
「いづれの行にても生死をはなるることあるべからずを・・・。」
第二条にも、「いづれの行もおよびがたき身んれば、」とあった。

阿弥陀如来の本願を信じ、念仏申す、その私という人間。
その私の存在が、先の言葉なのでしょう。

その自覚の上に、覚悟ができる。
それが第二条の、「とても地獄は一定すみかぞかし」に通じる。

この『歎異抄』とは、親鸞聖人が亡くなられてから、その教えが正しく伝わって
いないことを歎き、その異を正すために書き著されたものである。

であるならば、この第三条は、どの様な異に対しての言葉であろうか。
それは、あくまでも自力作善の人に対してであろう。

自分が善人と思っている人、それが自力作善の人であろう。
それは、阿弥陀如来の本願の救いの対象ではないよ、ということ。

救いの対象 = 機 である。
悪人に正に機があるとする。

ただここで、皆が勘違いすることが大きく分けて二つあります。

一つには、自分は悪人だと思っていない事。
もう一つには、どんな悪人でも救われるのなら、悪いことをしても関係ない。

こんな感じでしょうか。

普遍宗教、仏教、そして浄土真宗。
どれとっても、救いもしくは、悟りの対象は、自分自身である。
つまり、教えは自分にとっての教えなのである。
他人のことではない、つまり他人が悪人であろうが善人であろうが、すくい
には関係しない。
自分を悪人ととらえられるかどうかが、大切な要因である。

もう一点、あくまでも、ここでの救いは、浄土に往生する、悟りを開くための
ことであって、現実世界の善悪を言っているのではない。

犯罪者や世に言う悪人のことを悪人と言っているのではないと言うこと。
これは他力にもあてはあまる。
つまり、普通の生活の中で、他力本願で行けと言っているのではないのだ。

『歎異抄』においては、自分を第三者的立場に置いてみたら、その内容に
は疑問があるかも知れない。
いざ自分にとっての問題となったとき、その教えが浮かび上がってくるの
でしょう。

今回は、取あえず表面的な部分を探ってみました。

歎異抄に聞く・・其六 唯円はどこの人か?

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現代で、浄土真宗そして、親鸞聖人のみ教えに一番親しむ機会が多いのは、
『歎異抄』という書物によってではないでしょうか。

その『歎異抄』の著者といえば、唯円であると言うことが、すでに定説となって
いる。

ただ、過去には違う作者であると、言われたこともあるのです。
そのくらい、唯円の研究は進んでいません。
まあ、明治時代には、親鸞聖人ご自身が、実在ではなかったと言う説が、
真剣に論議されたことさえあるのですから、それも致し方ないかも。

ですから、その唯円という人物の素性も、定かではありません。
関東の人、という意見が主流ですが、都人と言う説も根強くあるのです。

宗門においては、そのことには言及することは、あまりありません。
『歎異抄』の書物の研究はなされますが、唯円その人について、子細は語ら
れることはない様に思います。
教えには関係ないからと、言えばそれまでですが・・・。

親鸞聖人と恵信尼の子に、覚信尼という方がいらっしゃいます。
その覚信尼の夫である、小野宮禅念とに、唯善という子がいました。
その唯善の腹違いの兄が、唯円であると言う説もあります。
これは、江戸時代に書かれた『大谷遺蹟録』という書物に記載されている
ものです。
唯善の兄弟子とも言われますが、どちらにしても唯という名から、関係の深い
方であったでしょう。
でもこのラインは、後の本願寺の相続では出てきません。
唯と言う字も、あまり使われていない様にさえ思います。
覚信尼公には、最初の夫のお子さんがいらっしゃいましたし。

ただ、本願寺三代目の覚如上人は、この親鸞聖人面授の弟子である、唯円
に教えを受けたと言うことは、記録に残っていることです。

こうなれば、唯円は関東での門弟ではなく、親鸞聖人が京に戻られてからの
弟子と言うことになります。
『大谷遺蹟録』では、唯円十九歳のとき、六十八歳になられていた、親鸞聖人
の弟子になられたとされています。

そして、後に親鸞聖人の命を受けて、常陸の国の河和田に行くことになる。
それは、関東の門弟たちの動揺をおさめるため、高齢の親鸞聖人に代わって
関東に行かれたとされているのです。

そうなると、第二条は、唯円が関東の門弟の一人ではなく、親鸞聖人の面授
の弟子として、近くにおられたことになります。

皆さんは、第二条を読まれて、はたして唯円房は、関東の門弟側に立っておら
れたか、それとも親鸞聖人の近くにおられたか、どちらに感じられるでしょう。

そして、私が約8年前に訪れた、奈良吉野、下市の立興寺の唯円房のお墓は、
本当は、一体誰のお墓なのでしょうか。

教義ではありませんが、そんなことを考えながら『歎異抄』を読んでみれば、
また違った味わいもあるのでは・・・。

どちらであっても『歎異抄』の書物としての価値が変わるものではあり
ませんし、その説かれた教えが、変わるものでもありません。

ただ、歴史の中で、その名前だけが有名な、真宗の学僧である唯円の人と
なりに、少しだけでも思いを馳せてみたいなと思うのです。

宗門では、その著作と名前だけが有名な、唯円と言う人に会ってみたいのです。
そんな、どうでもいい様なことを、つらつらと感じたり。

歎異抄に聞く・・其五 「とても地獄は一定すみかぞかし。」

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歎異抄の第二条。

この二条は多少長い文章である。
その中で、有名な言葉と言えば、この「地獄は一定すみかぞかし。」でしょうか。

親鸞聖人の念仏に対する覚悟であろうか、そんな思いがある言葉です。

親鸞聖人を、関東の門弟が、京の都まで訪ねてくる。
ときは千二百年代、まさに命がけのことであった。
それでも、念仏の意味を問わずにはおれない、その思いだけである。
一刻も早く、聞きたい。

自らの信心と、そのいのちの行き先を訪ねて。

そのときの親鸞聖人のお言葉。
「親鸞聖人におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、
よきひと(法然上人)の仰せをかぶりて信じるほかに別の子細なきなり。」
その応えられている。

このときの思いが、「地獄は一定すみかぞかし」なのでしょう。

それは、「いづれの行も及び難き身」なのです。
そう自らが受け取れないと、この思いには至らない。

実は、浄土真宗の信心の厳しさでもある様に感じます。
人は、少しでも自分が修行したと言う気持ちになりたい。
少しでも自分の功徳を役立てたい。
そう願う気持ちから、抜けきることは難しい様に思います。

でも、浄土真宗では、それは一部も入らない。
なぜなら、弥陀の本願を疑うことになるから。

すべてをお任せすることの、精神的解放。
でも、自力のはからいを混ぜてしまう、心の弱さ。

ここが自力と他力のさかいめなのでしょうか。

親鸞聖人が「地獄は一定すみかぞかし」と言われた背景。
それは、絶対的救いの境地にいると言う、信心がそこにある。

不確定な心持ちでは、この言葉は絶対に出てこない言葉である。

それを、この『歎異抄』の著者である唯円は、間近で聞いたのである。
ということは、唯円はこの関東から訪ねてきた、門弟の一人である。
その状況を踏まえて、唯円が関東の人であると言う説が、中心となっている。

この第二条は、その場にいなければ書けない。
人づてに聞いたのでは、ここまで臨場感は伝わって来ない。
そういった見方が主流です。

親鸞聖人の覚悟を、門弟たちは聞く。
ここまで、ハッキリ言ってもらわなければ、気持ちも落ち着かなかったでしょう。

「地獄に落ちる様なことは、絶対ないのだ。」という言葉の裏返しである。

ただ、それを信じるか信じないかは、「面々の御はからひなりと云々」。

歎異抄に聞く・・其4 『唯信鈔』と『唯信鈔文意』。

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『歎異抄』の背景をどこに求めて行くか。

それは、その著者であるとされる、唯円の師である、親鸞聖人しかいない。

長命であるがゆえに、たくさんの著作を残されている。
その中に『唯信鈔文意』がある。
実は、親鸞聖人の教えは、90歳と言う、当時では特別な長命であったこと。
そして、その晩年まで、その教えを書き記されたことが大きく意味を持つ。
だからこそ、すべての年代の人の心に響くのだ。
その教えも、成熟してゆき、自然法爾の境地まで至る。
だからこそ、私たちは、その生涯すべてに、出遇えるのです。

この著作には、親鸞聖人の言葉が、鋭く述べられている。
この著作の元になったものが、法然門下の兄弟子である、聖覚法印の著作
である『唯信鈔』。

この『唯信鈔』と『唯信鈔文意』を開いてみる。
そして、これを読み解いたのちに、『歎異抄』を読み解く。

そんなふうに、『歎異抄』を読み解いてみるのも、面白い。
そして『歎異抄』の、より深い理解につながると思う。
そこには親鸞聖人、自らの言葉があるのだ。

『唯信鈔』~『唯信鈔文意』~『歎異抄』、それが、それぞれの著作の書かれ
た年代順である。

『唯信鈔文意』の最後に、親鸞聖人がこれを書き記した、言葉が述べてある。

「ゐなかのひとびとの、文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆ
ゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことをたびたびとりかえしとりかえし
書きつけたり。こころあらんひとはをかしくおもふべし、あざけりをなすべし。
しかれども、おほかたのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるものをここ
ろえやすからんとてしるせるなり。」

これが、親鸞聖人の御こころである。
おそらく、そのままの、何もかざりない。

『唯信鈔文意』を最後に書き写されたのは、八十五歳のとき。
前年に、息子善鸞を義絶している、その翌歳。

私は、今これを読んでも、こころが痛い。

歎異抄に聞く・・其3 「第一条・・②」

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『歎異抄』の第一条にはまだ続きがある。

「弥陀の本願には、老少・善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆゑは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なくゆゑ
に。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。」

このように続いている。
ここにも浄土真宗の教えの根本が説かれている。
この一条が、浄土真宗の教えの極致なのだとさえ感じる。

この一条をどのように受け止めるかで、二条以降の言葉の受け取り方が違う。
そして、この一条によって、すくわれる人々がいる。

その心をとらえて離さないのだ。

弥陀の本願にまさる善などない、また、弥陀の本願をさまたげるほどの悪などない。
すごい言葉である。
親鸞聖人のお考えであろうが、逆に親鸞聖人であったならば、ここまで強烈な言い
方ができたのであろうか。
傍でずっと、その教えを聞いてきた唯円だからこそ発せられた言葉ではなかろうか。

当時、念仏は旧仏教界から相当な弾圧を受けていた。
死罪になった僧もいたのである、親鸞聖人は生涯そのことを忘れていない。
『教行信証』の「化真土文類」にはそのことが明確に記されている。
相当強烈な言葉である、日本が戦時中には、その言葉が『教行信証』から削り
取られていたほどである。
「主上臣下・・・云々」という言葉があったからである、つまり天皇批判とも受け取ら
れかねない言葉だったのです、実際はそうではないのですが。
日本の歴史の中で、僧侶がその教義によって死罪になったのは、後にも先にも
この承元の法難のときだけだという。

その結果、法然と親鸞は流罪に遭う、そして浄土宗と浄土真宗と言う二つの教え
が生まれる要因ともなっている。
親鸞聖人は、法然の弟子の中でも遅く入ったので、決して序列は上ではなかった。
でも親鸞聖人も、法然上人と同罪くらいの遠流なのだった。
そこには親鸞聖人が、法然門下でも際立つ存在であったことをうかがわせる。
もし、このことがなかったならば、その後の浄土宗はどうなっていただろうか?
そんなことも感じずにはおれない。

現代でも、その言葉には驚きを隠せないほどの衝撃があるが、当時であれば反逆
者と呼ばれかねない言葉なのである。

八代目の蓮如上人は、この『歎異抄』を門外不出として、本願寺の奥深くにしまわ
れたほでであるのだ。
そこには、外部のものはもちろん、内部の者にでさえ危険極まりない。
そう思わせる言葉が並べられているのです。

弥陀の本願のすくいの対象。
それは、老少や善悪を問わないとある。
やはり、十方衆生、すべての衆生が対象である。

逆に言えば、悪人と称せられる、罪悪深重・煩悩熾盛の迷いの中にいる、自分から
抜け出すことのできない人こそが目当てなのだと。

ただ、このことから、悪いことをした人間の方が真っ先に救われるという、造悪無碍
という間違った教えが伝えられることにもなる。
だから悪いことをしても構わない、悪いことをしろと言っているのだ。などと・・・。
唯円は、そのことを正したかったのでしょう。

悪人のとらえ方が重要なのである。
そのことが第三条へとつながって行くのだ。

歎異抄に聞く・・其2 「第一条」

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「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏
申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけした
まふなり。・・・云々」

これは歎異抄の第一条の最初の言葉である。

唯円は最初に、浄土真宗の教えの根本を伝えておられる。

【意訳】
阿弥陀如来の本願に出遇い、そしてその本願によって私はすくわれて往生させ
ていただくということを疑うことなく信じ、その思いをうけとるとき、そのありがたさ、
かたじけなさの思いの心から、私の口から念仏が称えられる。そのとき私はすで
に阿弥陀如来のすくいの手の中にある。
そのとき私はすでに浄土に往生が定まり、この世の迷いの中に戻ることはない。

このことが、浄土真宗の信心のすべてである。
これ以外に信心はない。

この言葉のみで、私が感じることができたのなら、もう他は必要ないのである。
余計なことを考えないのなら、ここにすべてが納まるのです。

でも、なかなかこれだけを聞いてすべてが分かるほど、人間は純粋ではない。
あれもこれも考える。

このときはどうだ、あんなことをしたらどうだ・・・。
考え出すときりがない、それほど私たちの迷いは深いのだ。

ときには、自分なりに解釈して、きっとこのときは違うだろう。
さすがにこんなことではすくわれない、いやすくわれたらおかしい。
何のために私はこれだけ頑張っているのか。
あんな奴がすくわれるなんて、そんな教えはおかしい。

誰でもそんなふうに考えてしまう。

真理は単純であったりする、でもそのまま受け入れられなくて、複雑にして
いるのが人間なのです。
真理を解釈して行くと、そこには迷路が待ち受けている。

だから唯円が『歎異抄』を著す必要があったのでしょう。
そんなことは親鸞聖人は仰られていないと・・・。

私(唯円)が、親鸞聖人からお伺いした教えは、このような教えです。
ただ、そこには純粋ではあるが、唯円という人格を通すフィルターが存在する
のも事実ではあるでしょう。
『歎異抄』 = 親鸞聖人の教えではなく、『歎異抄』 ≒ 親鸞聖人の教え
なのだと思います。

唯円が、私たちに親鸞聖人の教えを分りやすく説いてくださる。
その分かりやすさを、親鸞聖人のお言葉へ帰る作業をする。
そうすると、唯円が説かれた教えが、親鸞聖人の教えとなって、私たちの前に
ヴィジュアルとなって広がってくる、つまり教えが具現化してくるのです。
それが、この『歎異抄』という本の最大の魅力である。

逆に、親鸞聖人の教えに帰すことができなかったならば、それは親鸞聖人の
教えではなく、唯円の解釈になってしまうことでしょう。

唯円は、寸分たがわず、そして自分の解釈を入れず、親鸞聖人から聞かれた
ことだけを伝えようとされている、そのことが伝わってくる。

親鸞聖人が浄土真宗の言葉を使った意味は、法然上人の教えを正しく伝える
と言う意味でのみ、この浄土真宗と言う言葉を使われているのです。

でも結果として、その後に浄土真宗と言う宗派ができる。

浄土宗は法然上人の教えを正確に伝えていないかも知れない。
でもそれは、現在の本願寺教団にも言えることかもしれない。

少なくとも、三代の覚如上人以降大きく変わったことは確かである。
ただそこから教団としての構築が始まっているのも事実。
それがなければ現在の教団は存在しない。
それは、どの宗派も同じ問題を抱えている。

仏教しかり、キリスト教しかり、イスラム教しかり、そこから派生する各宗派し
かり。

この問題を内包しながら、その溝を埋めて行く努力をしている。
それが、現在の各宗教や宗派の共通認識なのだろうか。


歎異抄に聞く・・其1 「序」 

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『歎異抄』はとても有名な宗教書です。
これを解説すると言うことは困難な作業となります。

一つには、とても有名過ぎると言うこと。
過去にとても多くの方々が解説をしておられる。
学者、宗教者、宗門関係者、作家まで。
それぞれ独自の視点で鋭く解説されています。

二つには、浄土真宗関係者にとって扱いが難しいと言うこと。
要は有名である分、避けては通れない道。
ただ、著者が親鸞聖人ではないということから、この著作を依り所とはできない。
たとえば布教使の試験では、この『歎異抄』からテーマを引くと言うことはできな
いのです。
その点で、このテーマを語るときは親鸞聖人の言葉を、その著作から引いてくる
という作業が発生します。
『歎異抄』だけで語ることができないと言うことにもなります。

ただ今回は、難しく考えないで自分なりにこの『歎異抄』を味わうことにしよう。
この本は何回読んでも、多分その度に違う思いが出てきます。
年代、立場、経験、自分の精神状態etc・・・。


その逆説的な表現方法が、いつまでも人々に親鸞聖人を追い求めさせている
のかも知れない。

『歎異抄』は日本で一番有名な宗教書であることは、誰もが認めるところでしょう。
世界中の有名図書館には、必ずその蔵書があるという。

ただし、その解釈もたくさん。
どれかに引きずられてはいけないので、ただ自分自身として向き合って行く。
でも10年後はまた別の解釈になっているかもしれない、というより絶対違う
だろうと感じます。

今回は、51歳の私の『歎異抄』ということになります。

この本の著者は正式には不明。
ただ唯円であるということは、ほぼ誰もが認めているところ。
この唯円の生涯も正確には分かっていない。
これも人によって変わる。
宗門(本願寺派)では、そこはあまり語られないところでもあります。

これだけの有名人の生涯があまり知られていないのも不思議である。
奈良吉野の立興寺には唯円のお墓がある。
ただこれも本当に唯円の墓と認定されているわけではない。
小さなお寺です、近くには蓮如上人の所縁の立派な寺院があります。

お墓も小っちゃい、忘れられたような感じのお墓です。
東京で会社員をしていたとき、鳥取へ帰省の途中に寄ったことがある。
でも、そのお墓はとても味わいのあるお墓でした。

本当の唯円のお墓であるとされていたら、参拝は絶えないであろう。
そんな感じがしますが、そんなところも唯円らしいと言った感がある。

親鸞聖人に付き従った方。
その傍でずっと教えを直接聞かれた方である。
釈尊にとっての阿難の様でもある。

だから余計にその教えがリアルに人々の心に届くのであろう。
決して親鸞聖人からは聞けない、傍に付き従った人であるから出てくる
言葉なのでしょう。

だからこそ、その親鸞聖人の教えが違った方向へ進むことは許せない。
そうじゃないんだと・・・。

『歎異抄』は唯円の心の叫びでもある。
それは親鸞聖人のお心にも必ず通じる言葉なのでしょう。

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