
親鸞聖人の和讃の正像末の三時を説いた和讃、「正像末和讃」。
その中に、「悲歎述懐讃」がある。
これは、親鸞聖人の心の叫びとでもいえるような和讃。
自らの心を見つめるとき、とても清らかな心などない自分に気づかされる。
告白と言うには、あまりに厳しい言葉の連続である。
その最初の和讃
「浄土真宗に帰すれども
真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし」
ここでの浄土真宗とは、浄土の真実の教えであり、法然上人の教えとも
言えるのではないか。
常にこの言葉でわが身を振り返るのでしょう。
中にはこの様な和讃も
「悪性さらにやめがたし
こころは蛇蠍のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる」
このような私にとっては、修善でさえ、ただの雑毒でしかない、ただの
虚仮の行なのだ。
この悲歎述懐讃は、中途半端に詠んでしまうと、火傷しそうなくらい。
そんな言葉が並んでいる。
でも親鸞聖人は、この和讃を詠まずにはおれなかったのでしょう。
そのお心は、まだ私には届かないな。





