光澤寺日記:宿坊と永代供養とやずブータン村

光澤寺&宿坊光澤寺&やずブータン村。 山里のお寺で繰り広げる「こころのふる里」作りとお寺復興プロジェクトや、宿坊に来られた方々との出会いも語ります。

寺院葬を考える

子ども寺子屋を開催 ・・・ 子どもの目線

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今日も朝から暑かった。

猛暑になるのが分かる。

そんな朝の8時30から近所の子どもたちが集まって、子ども寺子屋を
開催しました。

最初は、日本海テレビで光澤寺を紹介していただいたビデオを鑑賞し
た、そしてそのあとは瞑想をみんなで体験します。

みんな静かに目を閉じて瞑想を・・・。
予想以上にみんな集中してる、やっぱり子どもって体験してみるのが
いいんだな、素直に受け入れることができるからかな。

こんなとき、ちょっと大人目線になってる自分をを反省します。
子ども目線って大切ですね、つい忘れがちです。
私自身に素直な心が無ければ子どもたちを向き合えないな。

あとは恒例の絵手紙です。

この夏休みの思い出を手紙に書く。

結構子どもたちは楽しそうです。

夏休みもあと少し。

お寺に子どもたちが集まるのっていいな。


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生前葬をどうですか・・・お寺の魅力発見。

正面

先日ある方と葬儀のこと話してた。

その方は、誰も見てくれる人がいないので、納骨後もしっかりと
面倒見てくれるお寺がいいと仰っていた。

これからはそんな方が増えるだろうなと思っている。

そして先日、お寺の本堂で葬儀用の飾りをしたときの写真を見て
いただきました。

花が豪華に生けてあるのを見られて、こう言われた。

「これだったら生前葬をしたいね。」

光澤寺様C


自分の葬儀を自分で見えないのは寂しい。
こんなにきれいに飾ってもらえるのなら、生前葬がいいわね。

そんなことを仰っておられた。

今は終活が人気です、自分のことを自分で決めておきたい。
そこには、お子さんがいないとか、お子さんたちに面倒を掛けた
くないという人が多くなったということでしょう。

「いいですね、生前葬も考えてみましょうか。」

ご親族やご友人を招いて、宿坊で泊まって生前葬をしたらどうですか。
そうお応えした。

自分の為ですし、自分が見ることができる。
そして親しい方々のお話しも聞けるし、自分の思いを伝えることが
できる。

お寺としてもしっかりと準備をさせていただきますよ。

生前葬は、葬儀式のあとに皆で食事をすることができます。
もちろん本人も喪主さんも一緒に、そんなことってあるかな。

飲んで騒いで、カラオケまで歌うことができる、そして宿坊に皆さんで
泊まってゆっくりできます。
もちろんゆっくり語り合うこともできる。

これなら結婚式より面白いかも知れません。

香典も必要か必要ないか、自分で決められます。
会費制にしたっていい。

本当に来ていただきたい人に招待状を送ることができます。
それも漏れなく、そのときにしか会えない人にも。

そして本人が皆さんをお見送りするのだ。

本当の葬儀のときはしめやかに、お寺側で責任を持って執り行わせ
せていただきます。
そのときはゆっくりと故人をお見送りすることができる。

納骨もその後の法要も心配いりません。

これなら生前葬もいいかな。

お寺の新たな魅力発掘です。

なんたって仏教は、今生きてる人の為の教えでもあるのですから。

今を楽しく、よりよく生きる、これっていいですね。

そして思い残すことなく。

皆さん、生前葬を一度考えてみませんか。

光澤寺様通夜



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寺院葬 ・・・ その究極のものを考える。

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葬儀は必要ない、だからお金をかけたくない。
とりあえず人目があるから、形式だけでもしておこう。

そう思われている方には、このメッセージは見ても意味がないで
しょう。

大切な方を、できるだけ心を込めて、そしてゆっくり見送りたいと
思われている方なら、読まれる意味があるかも知れません。

葬式仏教とは寺院や僧侶を批判するときによく使われる。
でも、葬式とは大切な方を見送り儀式である。
それが本当に執り行われているなら、それは素晴らしいこと。

ただ葬式仏教ということに、まともに見送ることもできない寺院
や僧侶と言った批判の意味があるのかも知れません。

僧侶は、本当の見送り、そして本当の葬儀とは、それを見つめて
行くことが求められていると思います。

死とは、その方の生きてきた人生の完成のときでもあります。
その人生の完成のときを残された皆で、しっかりと感謝を込め
て見送ること。
それが葬儀である、そしてその無常のいのちに出会い、残され
た方々が、一人ひとり、自分の残された生をしっかりと生きる、
そう受けとめさせていただく縁なのです。

見送る側と見送られる側の思いが一つにつながる、それが
円満なのです。

私が寺院葬を行おうと考えたのは、その思いをしっかりとお届け
したいから。
本物の仏教の教え、そして親鸞聖人の教えによって、お見送り
するのです。

それには寺院葬がいい。
最高の場所で、最高の作法で、最高の言葉で、お見送りすること
ができる。
ご遺族は、様々なことに手を煩わされることなく、ゆっくりそして
しっかりとお見送りすることができるのです。

臨終のときから、還骨のときまで、ゆっくり故人に寄り添えます。
そんな準備をお寺では整えておくことができる。

悲しみの中で疲れた心と身体を、お寺と宿坊で落ち着けることが
できます。
何も心配されなくても、すべてお寺でご用意させていただく。

あとは、とにかくしっかりと心おきなくお見送りしていただくだけ。

お通夜から葬儀まで、寺院の荘厳の中で。

仏さまに見守られながら故人の言葉をゆっくり聞いて行くのです。
たくさんお話しをして欲しい。

そんなご要望がある方へ、こらから少しづつ寺院葬をご案内して
行きます。


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