自分の手に持っている、泥水。

自分の手に持っている、キレイな水。



自分でキレイな水の中に泥水を入れて飲んで



「この水は汚れている」



と嘆き、苦しんでいる。




そして、一生キレイな水を飲むことは

出来ないんじゃないかと




絶望を感じたり悲観したり。






本当はキレイな水を飲めるのを、僕は知っている。






だけど、泥水を捨てるのは、貰った人に申し訳ないから




少しでも飲もうと自分は努力してしまう。






泥水であっても貰った人は自分の大切な人だから。








泥水を捨てたら、その人が悲しむんじゃないか。








そんな事を思って、僕はいつまでも泥水を大切に持っている。









だけど、その泥水を捨てたところで

その人が悲しまない事も知っている。








本当はその泥水を捨てる事で




その事を忘れてしまう事が、僕は一番怖いのかもしれない。








その時の事を忘れないように、いつまでも大切に持っている。









だけど、キレイな水を飲むには、泥水を捨てる必要がある。







泥水を捨てたとしても、全てを捨てる事には

ならない事を知っているのに。





泥水を捨てたときに初めて気づいたまばゆい光を放ったグラス。



泥水が入っていた時は気づかなかったグラスの輝き。




そこにキレイな水を注いで飲めばそれもまた素敵。






泥水を捨てる事ばかり考えすぎてわからなかった


そのキレイなグラスを受け取る事が


僕にとってもその人にとっても、本当に大切な事なんだろう。










ひとつひとつ大切なものが増えていくほどに手放す恐怖。


ひとつひとつ大切なものが増えていくほどに増す喜び。





全ての中に内在する真実を知った時、本当の意味での喜びを


手に入れる事が出来る事を知っていても



今はまだ、旅の途中。




あーだ、こーだ、言いながらも




人と関われる喜びを感じて今日も生きている。







僕と関わってくれている全ての人に。










ありがとう。

















今日もあなたにとってたくさんの幸せと豊かさが降り注ぎます。











感謝










合掌