平和教育

2013年11月20日

ガラパゴス

少子化で学校規模が小さくなり、学校に1人や、学年に1人しかその教科の教諭がいてないことがあります。日々の仕事に追われ、気がつけば教科指導についてガラパゴス化していると感じることがあります。
また、学校という特殊な状況の中でもガラパゴス化しているとおもいます。自分が教科について生徒はこの位知っているだろうと思い込んでいることとのズレ、社会一般からのズレ、また、学校だからこそズレているべきことがわからなくなる。自ら研修してアンテナを高く建ててガラパゴス化しないように、鎖国化しないようにしなければ、生徒のパワーに押し潰されてしまうかも…です。

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2011年10月04日

「平和教育」と「ゲーム理論」

最近ゲーム理論にはまってしまった。

大ブタさんと小ブタさんの駆け引き。
鳥(チキンレース)さんの駆け引き。とお肉屋さんのようなお話もある。

ゲーム理論が生まれたきっかけは冷戦時代の作戦。
そう考えると平和教育・平和学習と数学はとても密接な関係と言える。


T「来週中に抜き打ちテストをします。」
S「抜き打ちというからには、もし予測できたら、テストは中止しますか?」
T「はいそうしましょう。」

という会話の後、件の生徒、
「もし、週末の金曜日にするのなら、木曜日までしていないので、バレてしまう。
ということで金曜日にはありえない。同じ理由で、木曜日もありえない。ということが月曜日まであるので、
来週は抜き打ちテストはない!」
とクラス中に大見得をきって帰った。

翌週の月曜日の朝、教師から「では、本日抜き打ちテストをします。」と告げられた。
クラスはどよめく。そして、件の生徒が彼の理屈を述べる。

そこで教師。「素晴らしい論理です。そこで、みんなが今日はテストがないと予測しただろうと思って今日テストすることにしました。」

生徒「ずる〜い!」

これは、予測したらだろうと予測して行動を決する。裏の裏をかく事でしょうか。
「孫子の兵法」戦わずして勝つ。
いかに力でなく人的、金銭的損を少なくして実利を得るのか。
合理的に、また、相手の立場をおもんぱかって行動を決められるか。

さて、抜き打ちテストのクラス・・・。この先生なんと金曜日にも抜き打ちテストをします。
生徒の反応は「え〜?!」
教師「一度だけする。とは言っていません。月曜日にテストしたからもう今週はないだろうと予測していましたね。だから今日テストするのです。」

抜き打ちテストが準備してかかるテストより効果があるとは言い切れませんが、ゲーム理論を体感できる身近な例ですね。

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2010年11月13日

いじめとホロコースト1

昨日テレビで見た。(CS)
途中からだったのを言い訳にします。

ある女性の証言です。
ユダヤ人の夫婦が使用人としておいてほしい。夫を地下室に隠してほしい。と頼んできた。見殺しにもできないが、隠しているのが見つかれば自分だけでなく一族郎党捕まってしまうということで2日で出ていってほしい。と伝えると3日目の朝、寝室を丁寧に片付けて居なくなっていた。あとから聞き伝えで、連行された事を知る。
 そのあと、その女性は、「ヒトラーのせいで、殺人に加担させられた。」と言っていた。

 ところで、今いじめと言われる事象で、加害者はどれだけ罪の意識があるんだろうか。
 ニュースに「同級生の描いた学級の昼食時の状況」という絵を見た時、これを描いた子に自分が加担していたという自覚は無いのか?と思った。流石に取材した方は「あなたも加担していたという事ですね。」なんて事を言えないだろう。取材に応じてくれたし、描いてくれたのにそんな事は言えるわけがない。
 しかし、それを見ている人の中に、「この同級生もいじめに加担していたとみてもいいんじゃないか」と思う人もいるんじゃないか。

 自分を守るため断るが、そのあとにどんな事が起こるのか想像できるため、彼女は一生殺人に加担したと自分を責め続けるのです。

 想像力と愛、これの欠乏がいじめになり、ケンカになり、戦争になる。
「戦争」まで話を広げると「おおげさや〜」と言う生徒もいるが、「嘘つきは泥棒の始まり」と同様に同じ路線に乗っている。想像力と責任。これらを育てなくては。

 しかし、テレビ番組で、人をばかにしたり、困ったり嫌がったりしているのを喜んだりする番組を垂れ流しているのは、遠因とはいえないのか。自分たちにも少しは非があるのではとも思わずに結果だけを見て「アイツが悪い、コイツが悪い」と指さしているようで耐えられない。




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2010年09月06日

ソフィーの選択1

無題

3xと6は約分できる。…と(x−2)/2
2と6は約分できる。…と(3x−1)/3

なんて事をしてはいけません。

6に対して分
3xと−2の2つです。

母は子に対して、平等に扱わなくてはなりません。

その時ふと思い出したのが「ソフィーの選択」という映画。

母であるソフィーの回想の中で、第2次大戦でユダヤ人を搬送する時ソフィーの連れていた2人の子どもがいた。多分兄と妹だったと思うのだが、ソフィー対して「どちらかの子どもだけ助けてやろう」という申し出を受ける。
よく覚えていないのだが、「一人ならなんとか救えるから…。」という申し出ではなく、選択に苦悩する姿を見たいという人間性のない感覚からの申し出だったと思う。
その申し出に対して「このこをつれてって!」とソフィーは悲痛に叫ぶ。

分母6はソフィー。3xは兄、−2は妹。母ソフィーはどちらかの子どもだけを選択してしまうのである。

何と残酷な…。

という話をしても暑いし、実感できない状況だし、ボーっとしている生徒たちでした。

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