久々の森見登美彦は、ますます想像力豊かで可視的。鮮烈なイメージでした。
それだけに、コミックとしても刊行されている小説であることにも頷けます。
この種の奇譚、もしくはファンタジーは頭が混乱して、僕はちょっと苦手かな・・・。
taste:★★★☆☆
森見登美彦(2016/2019)小学館文庫
十年前、同じ英会話スクールに通う僕たち六人の仲間は、連れだって鞍馬の火祭を見物に出かけ、その夜、長谷川さんは姿を消した。十年ぶりに火祭に出かけることになったのは、誰ひとり彼女を忘れられなかったからだ。夜は、雨とともに更けてゆき、それぞれが旅先で出会った不思議な出来事を語り始める。尾道、奥飛驒、津軽、天竜峡。全員が道中で岸田道夫という銅版画作家が描いた「夜行」という連作絵画を目にしていた。その絵は、永遠に続く夜を思わせた―。果たして、長谷川さんに再会できるだろうか。怪談✕青春✕ファンタジー、かつてない物語。
(小学館文庫 内容紹介)
僕が最初に森見登美彦に出会ったのは十数年前、『太陽の塔』という作品でした。続けて読んだのは、『夜は短し歩けよ乙女』、そして『【新釈】走れメロス 他四編』など。文章の巧みなリズムとコメディータッチがうまくマッチして、文学としての評価はどうあれ、僕はこの作家は新しい境地を開く人だな、と思いました。声を上げて笑いたくなるような作品もありました。僕は個人的に、そんな文章が好きなんです。
書店で平積みになっていたこの『夜行』を手にして、およそ10年ぶりに森見登美彦の作品を読みました。森見さんの想像力は、ますます豊かになったような気がしました。この作品に「笑い」はありません(それは内容紹介からも推測できました)。怪談、奇譚。ファンタジー。で、いったい何が起きていたの? なぜこんなことになるの? ・・・そんな疑問に答を求めるのは、この種の作品に対してはタブーでしょう。それは読者の想像にお任せ、といったところでしょうか。作者と読者の想像力が競い合うような、そんなところにこの種のファンタジー小説の楽しみがあるのかもしれません。
僕が得意な、あるいは好きなジャンルの小説ではありませんでした。でも僕は、自分なりの解釈で小説を読む、という楽しみ方を、この小説に教わったような気がします。ただただ作者の意味不明の想像だけでなく、なるほど、人間の心の奥底にはこんな複雑さが潜んでいるのかもね、なんていう、妙な納得感もあるような気がしました。確かにこの作品、コミックで直接視覚に訴えるならば、そんな納得感がもっとリアルに浮かび上がるかもしれません。
物語は「鞍馬の火祭」をきっかけにして始まります。Wikipedia:「鞍馬の火祭」によれば、平安時代、鞍馬の住民にが始めたことに起源を持つ歴史あるお祭りで、「京都三大奇祭」の一つとされているとのこと。神々しい、重みのあるお祭りなのでしょう。見てみたいような気がしますけど、「鞍馬集落が狭隘なため、収容できる人数は物理的に限られている。また、集落内は立ち止まって見学することが難しい場所もあり、特に鞍馬寺山門前は見学者が立ち止まることを禁止されるため、神輿が下るシーンなどをよく見える場所で見学することは難しい」のだそうです。
最近、似たような話を聞いたことを思い出しました。秋田竿燈まつり。これも一種の「火祭」かな。広くない場所に、あの竿燈がひしめき合うように林立するそうです。見物客は130万人を超える規模で、これもよく見える場所であの竿燈の美技を見学することは難しいとのこと。見てみたいな・・・。
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