国鉄分割民営化の後、どん底の赤字からはい上がったJR九州。
著者の唐池さんは鉄道のみならず、そこで多方面の事業に関わりました。
読みやすく、感動の中にも笑いあり。これ、れっきとしたビジネス書です。


taste:★★★★★

鉄客商売
唐池 恒二
PHP研究所
2016-05-25


唐池恒二(2016)PHP研究所

「ななつ星」はなぜ成功したのか
笑いと涙と感動。こんな”ビジネス書”見たことない
難局にも逃げずに真正面から立ち向かうと、必ず解決するのだ。
いやな仕事から逃げたり、やっかいな仕事を直視しなかったり
後回しにしたりすると、余計に問題が大きくなって
取り返しのつかなくなることがよくある。
「逃げずに真正面からぶつかっていく」
この言葉は、永久に削除されない座右の銘となった。
(PHP研究所単行本の帯より)

僕が、生まれ育った九州を離れたのは18歳の時、1980年のことです。以降、九州には時々、帰省や仕事で足を運ぶ機会がありました。ある時、九州を走る在来線特急列車の本数が、ずいぶん増えているのに気付きました。乗ってみると、とても日本の列車とは思えないような内装や座席。これ、本当に自由席なんだろうか、間違えてグリーン車に乗っていないだろうかと、何度も確認したくなるようなスマートさでした。

九州の特急列車は、大きく変わりました。かつて九州を走っていたのは、「有明」「にちりん」「かもめ」「みどり」くらいで、いずれも名称は日本語の短い単語。今ではあらゆるルートで特急列車が走っていて、その名も「ハウステンボス」や「ソニック」「にちりんシーガイア」、それに観光列車(JR九州ではデザイン&ストーリー列車、「D&S列車」と呼ぶそうです)の「ななつ星」や「ゆふいんの森」、そして「指宿のたまて箱」や「はやとの風」なども加わりました。ルートも名称も、実にバラエティ豊かに変身しています。名前を見ているだけでワクワクしますよね。乗ってみたくなりますよね。

九州旅客鉄道株式会社 JR九州の列車たち

ここまで持ってくるには、たいへんな苦労があったに違いありません。何せ、国鉄分割民営化後のJR九州は大赤字。お金がないことにはこんな大改革は不可能です。JR九州の幹部社員で、今では会長を務める著者は、まずは旧国鉄時代から引き継いだ沈滞ムードや無責任体質を変え、社員の士気を高めることに努めました。そして船舶や外食などの非鉄道事業も含めた総合力で、収益性を徐々に上げていきました。その結果、鉄道事業に、このような抜本的な拡大路線をひた走ることを可能にしました。

その過程で著者が取り組んできた経営改革の様子が、手に取るようなわかりやすさで、ぎっしりと盛り込まれています。列車のネーミングも、決して思い付きやおふざけではありません。それにはしっかりとしたコンセプトがあり、経営者の深い思いが込められていました。特急列車の本数やルートを増やす戦略も、行き当たりばったりでは散財につながりかねません。そこにもコンセプトがあり、勝算あっての事業拡大でした。

小難しいことは一切、書かれていません。著者自身が思ったこと、こうしなければならないと考えたことを中心に、サクサクと読める文体でユーモアもたっぷり。決して成功談に驕ることもなく、読者にやさしく語りかけてくれます。まるでエンターテインメント小説を読む気軽さで、JR九州のビジネスが読み取れます。まさに、こんな「ビジネス書」見たことない!

小さな会社ながら、僕も経営の一角を担う立場です。ムラムラと元気が出てきました。

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《とある社員の深〜い話・・・》 
名古屋にあるE社は、わが社と親会社を同じくする兄弟会社。大きく分類すれば同業他社とはいえ、多々ある製品メニューのごく一部だけを生産する、小さな会社である。

過去の歴史を紐解けば、わが社の方がE社の先輩格。かつては出資もしていたとのことだ。資本を引いた今でもいい関係は続いており、わが社は一部の製品の生産をE社に委託している。そして、その操業指導の名目で、常時1名ないし2名のオペレーターを派遣しているのである(実は中京地区の人材難が背景あるのはわが社も承知している)。

今、北海道のわが社がE社に送り込んでいるのは、昨夏に派遣したA君ただ一人。僕は先週、そのA君と懇談するため、E社を訪れた。そして彼と夕食を共にした。元気にやっているかな。職場で疎外感はないかな。単身赴任生活は辛くないかな・・・。

何のことはない。A君はすこぶる元気だった。わが社に比べると生産ラインが小規模でシンプルだから、慣れない設備でも仕事上のストレスは少ない。職場は誰もが歓迎してくれ、人間関係は極めて良い。社員はスタッフも含めて30名弱、物理的にも精神的にも距離が近いから事務所と一体感があり、製造職場の提案にも耳を傾けてくれると言う。

私生活も楽しそうだった。名古屋は便利な場所で、京都や奈良、大阪など、北海道からだとなかなか行けなかった所にもすぐに行ける。夏の暑さには閉口したけど、何より冬に雪が降らない(今年は降ったけどね)のはとても楽なのだ。

そんな生活を始めて半年。彼は、遠慮がちに言った。「すっかり溶け込みました。もうずっと、こちらで働きたいくらいです」。そうなんだ、それはよかったね。安心したよ・・・。

安心してない。そう、僕には彼の言うことが、すべてわが社の裏返しに聞こえたのだ。生産ラインが大規模で煩雑なわが社では、仕事はストレスだらけ。人間関係にも良くない部分がある。社員はスタッフも含めると150名、物理的にも精神的にも距離が遠いから事務所と一体感が薄く、製造職場の提案にも耳を傾けてくれない・・・。

A君の個人的な感想だから、すべてがそうだとは思わない(京都や奈良より札幌に行きたい人だって多いよね)。それにしても、A君の思いが、決して小さくはない問題を孕んでいるのは疑いようのない事実なのだ。

社に戻り、生産部長に出張報告した。A君は職場になじんでいたよ。適切な人選だったようだね。でもね、僕が報告したいのはそこじゃあない。ねえ、わが社の製造職場には、他社に派遣された社員がほっとするような、そんな空気が流れている可能性はない?

製造職場から叩き上げのK部長には、そのあたりの感触がすべてわかっていた。過去数十年間の製造プロセスの拡大や変革で、操業は確かに煩雑さを増しています。自然、社員のスキルにも差が生じて、それが人間関係の悪さに繋がっている部分は否めません。スタッフと会話しにくい現場のロケーションも、わが社の弱点だと思っています・・・。

新しい仕事が一つ、明確になった。作業手順の見直し。余計な仕事の排除。システム改造。QC活動。ねえK部長、やれることはたくさんあるよ。時間をかけてもいいから、若いスタッフにそんな問題を掘り下げさせて、少しずつ改善していこうよ。

そして、僕自身も反省。明るく元気な職場を作ろう、なんて掛け声はかけてきたけど、言う方も聞く方も、具体的なイメージがなかったよね。そして今回、問題を浮き彫りにしてくれたのは、A君との懇談。現場の最前線と経営が膝を突き合わせた対話は、いいきっかけを作るものだね(今ごろ何を言う・・・)。

この会社に移籍して一年弱。ようやく会社の全貌が見えてきたような気がする。うん、僕もまだまだ、やれるかも。

【2018.2.11】