きぼうのいえ 001 2008年3月刊行。

 発行当時、著者は『週刊朝日』の副編集長を務めていた。その後、別の部署に移動したみたいだが、この人が編集部に居続けたなら、橋下徹大阪府知事(当時)差別記事事件も起きなかったのではないだろうか。
 1964年東京都生まれとある。
 ホームレスに関心が高く、継続的に取材し、本も書いている。
 

 私は一九九三年暮れから新宿西口の段ボールハウスの人々を取材してきた。彼らの人生はみな波瀾万丈で、ときに路上で酒を酌み交わしながら一代記に耳を傾けることは刺激的で楽しく、また教えられることも多かった。九八年にはそれらの話を『段ボールハウスで見る夢』(草思社)という本にまとめた。数年後には山谷にホスピスがあると聞いて、その延長線上で取材をはじめた。たしかに、このホスピスにも、想像力では決して描けない道を歩んできた人がたくさんいた。しかし取材を進めるうちに、人生劇場の面白さ以外にも目が向くようになった。彼らはどのように命のラストランを生きるのか。どんなふうに他人に看取られていくのか。そこを見据えることにも力点が移っていった。(標題書より)

 「このホスピス」というのが、寿町(横浜)、釜ヶ崎(大阪)と並び日本三大ドヤ街として有名な山谷(台東区)にある「きぼうのいえ」である。

 きぼうのいえは、2010年に公開された吉永小百合主演、山田洋次監督の映画『おとうと』で、笑福亭鶴瓶演じるダメな弟鉄郎が最期を迎えるホスピスのモデルになり、一躍有名になった。映画には実際にきぼうのいえの入居者やボランティアが登場しているシーンがあるという。
きぼうのいえ 002 このホスピスの成り立ちは、施設長である山本雅基の著書『山谷でホスピスやってます』(実業之日本社、2010年)に詳しい。
 金なし、コネなし、経験なし、うつ病とアルコール依存症の履歴を持つ山本は、「ホームレスのためのホスピスを建てたい」という熱い思いに突き動かされ、失業保険で生活しながら、看護師の妻と共に希望ならぬ無謀な試みにチャレンジする。いろいろな助けを奇跡のように得て、2002年10月、山谷のど真ん中に在宅ホスピス対応型集合住宅「きぼうのいえ」を立ち上げる。21室21床ある住居はまたたく間に埋まり、NPO運営による庶民のための在宅ホスピスは先導のない未知なる航海へと船出する。
1963年生まれの山本は著者と同世代である。

 きぼうのいえは、厳密には、国が定めた「ホスピス(緩和ケア病棟)」ではない。緩和ケア病棟は主として末期がんとHIV患者を対象にしており、患者あたりの看護師の数や療養体制などに基準がある。それを満たしておらず、社会福祉法上は「宿泊所」に過ぎない。そのぶん病気を限定せずに行き場のない人を広く受け入れており、余命の宣告を受けていない入居者も少なからず暮らしている。

 入居者は全員、生活保護を受けている。男女比は二対一ぐらいという。入居して二日で亡くなった人もいれば、何年も元気に暮らしている人もいる。費用は家賃が六万九千円で食費が一日三食で四万五千円。ほかに光熱費と共用費で毎月十四万三千五百円になる。
・・・・いずれにしても、経営的には、儲からない。行政からの助成金もない。事実、寄付や後援会の会費がなければ回っていかない。

 入居者は生活保護受給者だから、医療費も介護保険料も基本払う必要がない。医療も介護も、それぞれの保険の枠内ならば無料で受けることができる。実際多くの入居者は、介護保険制度で認定された要介護度に応じて、週数時間の訪問介護や訪問看護、医師による往診を受けたり、近隣のデイサービス施設に通っている。
 たが、寝たきり患者やターミナル患者にとってみれば、それだけのケアでは十分でない。保険で適用できない残りの部分の看護・介護を担うスタッフが必要となる。
 建物の維持費やそこで働くスタッフの人件費など、とても家賃収入だけではやっていけない。病院ではないから医療保険からの収入もないし、介護施設ではないから介護保険からの収入もない。となると、寄付頼み。
 10年以上続いていること自体、奇跡である。


 著者は、きぼうのいえの輪郭を描いたあとに、取材した入居者の人生を描き出す。
 これが滅法面白い。
 陳腐な表現だが、「事実は小説より奇なり」という言葉がどんぴしゃである。
 フィリピンで従軍した経験を持ち、戦後は各地の刑務所を転々とした元ヤクザのIさん。戦後14年間もシベリアのラーゲリー(収容所)に抑留され、引き揚げ後はとび職として東京タワーの建設に関わったSさん。息子の嫁と反りが合わずに郷里を捨てて女だてらに上野でホームレス生活を送っていたNさん。W不倫と駆け落ちの果て肝臓ガンに侵されながら最後まで恋男の献身的な世話を受けて息を引き取ったHさん。浅草に生まれスリや劇場のさくらをはじめとし数え切れないくらいの仕事を転々とし、豊富な話題と巧みな語り口で週一回のお茶会の花形であったSさん・・・。
 どの入居者の人生も波瀾万丈で、昨今のいかなる小説、いかなるテレビドラマも、足元にも及ばない突拍子のなさ。まさに、生ける昭和史。
 戦後生まれの日本人の人生がいかに画一的なものに収斂されてしまったかを感じざるをえない。(むろん、戦争の無いことはいいことだ。)

 こうした入居者それぞれの個性的キャラや来歴が、ありのままに発揮され、受けとめられ、親しまれ、死に至るまでその人らしい生活が送られていく。一律的でない、一人一人に応じたオーダーメイドの介護がなされ、他の誰とも交換できないその人なりの「死」が最大限の敬意と共に営まれている。
 

 きぼうのいえでは、入居者ひとりひとりが、他人に迷惑をかけない限りは自由である。外出許可は必要ないし、好きなときに買い物やパチンコに出かけられる。中には、食事の代わりに点滴で栄養を取るためにお腹にあけた小さな穴(胃瘻)から、栄養剤の代わりにお酒を味わう(?)人や、糖尿病なのに、大きな梅干しをマグカップに目一杯詰め込んで焼酎を飲んでいる人までいた。もちろん不摂生を奨励するわけではない。だが、そこには、「良識」を押しつけて入居者がストレスを溜めるよりは、残りの時間を気持ちよく生きてもらおうという配慮があった。


 このほかにも、入居者とスタッフが、気の合うもの同士で、買い物に出かけたりカラオケで歌ったり。食事をキャンセルして外食することもあれば、遠出さえしてしまう。スタッフはすべての入居者と等距離に接する必要はなく、むしろ、積極的に誰かと仲良くなっている。ケアする人とされる人。両者の間に引かれる一線を軽々と飛び越している。垣根は限りなく低いのである。そしてそのことから生まれる交流が、行き場がなく、人生の終章でドヤ街のホスピスに漂着した人たちの心をやわらげているのであった。


 このような自在な介護、自由な生活、スタッフに見守られながらの安らかな死が可能なのはなぜだろう。
 もちろん、施設長である山本の思想や理念、スタッフの質や力量、応援してくれている医師や看護師やヘルパーや近隣の住民の存在は大きいだろう。
 それ以外に、老人ホームで働いている自分の目から見て、大きな違いは二つある。
 一つはこの施設が介護保険や医療保険で運営されていないがゆえに、その二つの頸木から自由なことである。行政によるコントロール現代医療によるコントロールを最小限に抑えることができるのだ。だから、病院や介護施設の中だったら、簡単には許されないようなこと(酒を飲んだり、勝手に外出したり、自室に恋人を泊めたり・・・)ができる。
 もう一つは、皮肉なことなのだが、きぼうのいえの入居者たちの多くは身寄りがないだけに、家族・親族による束縛がないことである。
 ターミナルを生きている老人にとって家族というのは諸刃の剣である。本人と家族の関係が良ければ、家族の支えは非常に大きな力になる。愛する家族に見守られて幸福な最期を迎えることができる。
 一方、家族との関係がそれほど良くないと、両者が理解しあえていないと、家族の存在は死を前にした本人にとって必ずしもプラスには働かない。多くの場合、健常者である娘息子たちと、病人である老親との関係はすでに逆転している。すると、本人の意思よりも家族の意思のほうが尊重されてしまう場合が多い。たとえば、本人は延命治療を望んでいないのに、それを望む家族によって無理やり生かされてしまったりということが起こる。自分の働いている施設でも、モンスター・ペアレントならぬモンスター・チルドレンの存在は厄介である。施設を選ぶ選択権や財布の紐はもはや娘息子たちが握っているので、施設側としても家族の意向を無視して本人の希望を優先することはたやすくない。
 家族がいると「自分が死にたいようには死ねない」公算が高まる。


 さて、著者はきぼうのいえで出会った元731部隊にいた入居者の話をまとめている。

 七三一部隊は、軍医だった石井四郎・元陸軍中将が率いた細菌戦部隊である。実際に中国各地でペスト菌を感染させたノミを空中散布したり、コレラ菌を井戸や食物に混入させる細菌戦を実行した。中国人被害者百八十人が原告となった国家賠償訴訟(2007年5月に最高裁で確定)でも、被害事実は認められている。そしてこの部隊をある恐怖とともに有名にしたのが、中国人やロシア人などの捕虜を「丸太(マルタ)」と呼んで特設監獄に収容し、研究のために生体解剖や生体実験を行ってきたことである。実験台にされたマルタの数は三千人以上とみられている。  

 731部隊(関東軍防疫給水部本部)のやったことは南京大虐殺と並んで大戦中の日本軍のおこなった残虐非道の最たるものであり、日本人の悪魔的恥部である。実際にどんな実験がそこで行われていたか、被害はどの程度のものだったか、現在に至るまで隠蔽されている。もしそれが明らかにされた日には、世界の人びとは決して日本でのオリンピック開催を許さないであろう。
 戦後731部隊の幹部たちは戦犯免責と引き換えに人体実験の資料をアメリカに引き渡した。その結果、東京裁判において関係者は誰一人として裁かれなかった。幹部たちはその後「日本ブラッドバンク」という名の医薬品メーカーの設立に関わる。この企業こそ、80~90年代、非加熱血液製剤販売によって血友病患者約5000人をHIVに感染させ、うち1500人の命を奪った薬害エイズ事件の主たる加害企業である「ミドリ十字」の前身なのである。
 著者は元731部隊の入居者の話を冷静に取材しているようだが、自分だったらどうだろう? 
 とても冷静でいられまい。
 今は老いぼれてアクが抜けきって何の害もなさそうな孤独なターミナルの老人、そして一兵卒として国の命令で否応無く731部隊に配属され上官から命じられるままに日常業務をまっとうしていた駒に過ぎない、本当の巨悪は他にいる、とわかってはいても、悪寒なしに話を聞けそうにない。ましてや介護するなんて・・・。
 だが、きぼうのいえのスタッフは他の利用者となんら差別なく、彼をあたたかく介護し、最期を看取るのである。
 それが可能なのは、きぼうのいえが世間一般の善悪、価値観とは別のものさしで動いていて、スタッフもまたそれを共有しているからであろう。ある種の「宗教性」がBGMのように流れている。

 山本はこう語る。


 これまでの人生で多くの辛酸を舐め、世間を恨み、ひとを恨んで、自分の人生さえ疎んじてきた魂が、きぼうのいえに来て、いやおうなくひとの世話になる時期が来る。そこで、決して見返りを求めないオムツ替えという行為に出会う。それがそのひとと介護者との絆となり、そのひとは微笑みを微笑みで返すことのあたたかさを経験し、何かを学ぶ、そしてその学びを胸に、この世という学校を卒業して、新天地に旅立っていく。


 ぼくは、きぼうのいえの働きには、医療的な側面と並行して、その人の生き方の総決算というものがあると思う。その人の生き方の分かれた親族や知人との和解。おかしてしまった多くの無作法な振る舞いとの和解、自分自身の人生との和解などだ。
「これでよし!」と自分の人生を納得して死んでいくとき、その人は十分に生ききったといえるのだろう。(『山谷でホスピスやってます。』より)


 日本でもっとも貧しく、もっとも忌避されてきた山谷という地域の一角で、もっとも人間らしい介護が、人間らしい最期が実現しているという不可思議。
 どんなに立派な有料老人ホームでも簡単には成しえないこと、得られないものがここにはある。