幻影の書2002年刊行。
2008年新潮社より邦訳刊行。

 近所の古本屋で最初に目に入って手に取った本。
 純文学系の棚にあったのだが、裏表紙の内容紹介を読むとミステリーのような感じがする。
 

何十年も前、忽然と映画界から姿を消した監督にして俳優のヘクター・マン。その妻からの手紙に「私」はとまどう。自身の妻子を飛行機事故で喪い、絶望の淵にあった「私」を救った無声映画こそが彼の作品だったのだから・・・。ヘクターは果たして生きているのか。

 まず、何十年も前に行方不明となった才能ある映画監督の作品研究を始めたことがきっかけで、不可解な事件に巻きこまれていく男の物語(第一人称の回想録)という点で、1998年「このミステリーがすごい!第1位」に選ばれたセオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』との類似を思った。
 『フリッカー(以下略)』は、白黒時代のB級怪奇映画の奇才マックス・キャッスル監督の失踪の真相と作品に秘められた謎を探り出そうとする主人公が、芸術による世人の洗脳を企む宗教組織(絶滅したはずの異端カタリ派の末裔)に拉致され、大洋の小島に監禁され、そこで同じように何十年も監禁されていたキャッスル監督に出会う――という奇抜にして重厚にして壮大な物語。著者の類いまれなる創造力と奔放なる想像力とが、緻密な構成と正確で深い映画知識とで担保された確たるリアリティに支えられ、読み手を物語世界に強い磁力で引き摺り込み陶酔させる。宗教とミステリーを絡ませたものでは『薔薇の名前』(ウンベルト・エコー著)に匹敵する傑作であり、映画とミステリーの結びつきを主要なトリックとしたものでは、あれを超える作品はそうそう現れないだろう。
 ポール・オ-スターは日本でも人気の高い有名作家である。いくつかの作品は映画にもなっているし、彼自身も何本か映画を撮っている(ソルティ未見)。『フリッカー』ほどでないにしても、それなりの質の高さと面白さを期待しても良かろう。
 オースーターデビュー(馬の名前みたいだ)となった。

 読み始めてすぐ気づくのは、この作家のストーリーテーリングの上手さ。スティーブン・キングばりの語りの才、構成の卓抜さ、読み手の生理と快楽のツボを心得たエンターテナーぶりである。数ページに一回は、ハラハラドキドキワクワクするシーンを持ってくる。パーティーでの醜態、交通事故、銃をはさんだ深夜の男女の緊迫した出会い、ポルノチックな場面、飛行機恐怖症の克服、それ自体が独立した物語として楽しめそうなヘクター・マン監督の逃避行中の風変わりなエピソードの数々・・・e.t.c
 単純に娯楽小説に徹すれば、この作家はもっと売れるのは間違いない。
 が、やはり根が詩人で評論家のオースター。ただの娯楽作品では終わらない。終わらせられない。
 この作品も一見ミステリー風の装いを呈している。初めに提出された謎は最後にはきちんと解明される。
 が、謎が解決してすっきりするわけではないし、人生に絶望していた主人公が運命的な出会いをした女性と結ばれて再び希望を見出してハッピーエンドとなるわけでもないし、『フリッカー』のように何らかの罠が最後に主人公を待ち受けていたというホラー映画風の「落ち」がついているわけでもない。
 そもそもミステリーか?という点で言えば、消えた監督の謎や行方について主人公が推理する場面があるわけでもない。 
 正確を期するならば、この作品は「巻き込まれ型ミステリー風の人生小説」といった趣である。
 では、オースターの提出する「人生」とは何か。
 一言で言えば「喪失」である。
  ヘクター・マン監督は、自らの軽薄で奔放な女性関係がもとで結婚相手と元恋人の両者を喪い、映画監督としての職と名声と輝かしい未来を喪い、正体を隠すために自らの本名を喪い、ようやくめぐり会えたパートナーとの間に生まれた子どもを喪い、失踪後も世間に発表する意図なしに秘密裡に作っていた数本の映画フィルムを喪い、最後には自らの命を喪う。
 主人公デイヴィッド・ジンマーは、飛行機事故で妻と息子を喪い、絶望から職(大学の教師)を喪い、力づけようとしてくれる仲間たちをアルコールによる失態から喪い、自分を絶望から浮上させてくれた映画監督を喪い、その作品を喪い、もう一度生きる希望を与えてくれた恋人を喪い、最後には――自分自身をも喪う。
 すべての謎に一応の解決を示した最後の最後に、語り部である主人公はこう記す。

もしこの本が事実出版されたあかつきには、親愛なる読者よ、これを書いた男はとっくに死んでいると確信していただいていい。
 ここにいたって、読む者ははじめて、今まで読んできたエンターテイメント性たっぷりの胸踊る不思議な物語が、死者の手によって書かれたものであることを知る。我々は、50代で病死した人間の「墓からの声」に長々付き合ってきたのである。
 こんなふうにオースターはすべてを無に帰す。
 すべてを幻にしてしまう。
 ここにいたって、『幻影の書』という、内容からはまったくはずれているようなタイトル(『幻影のフィルム』ならまだわかるのに・・・)の意味が理解される。
 「幻影の書(The Book of Illusions)」とは「幻影の人生」の意なのであろう。
 
 オースターの他の作品も読んでみたくなった。